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はてなキーワード: 世界観とは

2024-05-13

俺はね、世界観とか寄り添いとか、そういうふわっとしたワードじゃなくて機能要件をまとめろって言ったのよ

そうしたら誰も具体的な話をしねーの

例えば動画アプリを作るなら、動画の長さはとかスマホでの使い方はとかそういう話になるでしょ

そしたら自称アーキテクトはハッタショの有害性という社内文書を書き始めたのよね

仕事って糞だね、まあ昔の話だけどね

鬼滅の刃みたいに売れてえなあ

って漫画家が言うのって、「あんなの運に決まってる」って本気で思ってるからだよね。

だってワンピースみたいに売れてえなあ」とは言わないわけじゃん。

ワンピースみたいな世界観の作り込みも長期連載もしてないから、それを言ったら失礼になるとわかってるからじゃん。

でも鬼滅には言うんだよねベテラン漫画家が気軽に「売れてて羨ましいなあ」って。「うまく当てて羨ましいなあ」って。

ドラゴンボールみたいに売れてえなあ」とは言わないんだよ、鳥山明には及ばないと最初から思ってるから

かなり地金が出てたよねあの辺りの発言は。

 

それはそれとして、鬼滅の刃みたいに売れてえなあ。

2024-05-12

anond:20240512200706

ニンテンドースイッチゲームまた50本遊んで感想書いたのでまとめ(その三)


普通

アオイシロ

和風伝奇ジャンル女の子同士の恋愛表現する、アカイイトと同じ世界観ノベルゲーム

今作では主人公小山内梢子が剣道の有段者ということもあり、バトルよりのエピソードが多めになっている。

衒学趣向の文章がかなり多く、ラスボスと戦っている最中ですら、語源歴史解釈小ネタが挟まるので徹底した味合いだった。

対して恋愛パートの文量はあっさりめなので、前作との比較で好みが分かれてしま作品だった。


嘘からはじまる

嘘と恋愛テーマにした短編連作ノベルゲームで、複数エピソード連作っぽいミステリーズなストーリーになっている。(ミステリーズなストーリーとは、いっとき東京創元社から刊行される短編連作小説がみんな揃ってやってたアレを揶揄している)

中学高校大学とそれぞれの学校舞台にした短編で、どれも嘘のテーマを上手に処理して、恋愛の起伏を描いており、やりたいことは理解できた。

特に成人年齢になる大学生編では、テキストだけの表現とはいえエッチ過激な内容も多くあり、なるほどと感謝できるシーンが多くて好き。

信頼できない語り手にまつわるミステリ議論は、まあ本作の本題ではないし、多様な好みを許容したい。


人形の傷跡

行方不明大学生の姉を探しに上京した上条明日美が、サイコホラー事件に巻き込まれノベルゲームで、90年代後半の同人ゲームリメイクしたもの

姉を思う主人公気持ち以外一切信用が置けないストーリーが展開されるため、出てくる登場人物全員が怪しく見えてくる怖いゲームだ。

ストーリー的に意味がない読者を驚かせるためだけの仕掛けがあるのは、時代性を感じた。

少し駆け足な展開が多く、せっかく田舎から上京したのだからなにかアクティティを楽しみ、キャラたちを立てるパートがあっても良かったかもしれない。


いづみ事件ファイルVol.2黄昏編

携帯電話専用ゲーム移植版で、物語としてのミステリー、というよりは推理クイズ体裁シリーズ第二弾。

事件概要構成要素こそ前作とは異なるが、大きな流れとしてはほとんど変わっておらず、話の筋が非常に薄い。

シリーズを通してのキャラクタや、前作とのちょっとした繋がりなど、ひっかかるところもあるにはあり、特に主人公のいづみの傍若無人ぶりは相変わらず面白い

とはいえ、謎を解く過程議論こそがミステリの本懐であり、ただ謎を提示され、その謎に対する答えを選ぶ現代文試験を、ミステリ呼称するのは個人的な好みとは外れていた。


千羽鶴

恋人のお見舞いに病院に行くことから始まるホラーノベルゲームで、携帯電話専用ゲーム移植版で千羽鶴シリーズ第一弾、シリーズではあるが、作品間の繋がりは薄く、今作独自世界観キャラクタが楽しめる。

生理的嫌悪感を煽るようなホラーが中心で、とにかく徹頭徹尾おどろおどろしい嫌な雰囲気が漂っている。

特に不快臭いに関する描写は妙に文量が細かく、ねっとり描写されるので、否が応でも話に引き込まれしまった。

ルートごとに異なる世界観分岐するため、根幹の設定が違う妙が楽しめるのだが、割とどれも似たような話が多く、エピソードの幅が小さいのは惜しい。


幽限御界堂探偵社 1章

妖怪実在する世界でそれを退治する役目を持った御界堂守丸が主人公コマンド選択肢アドベンチャーゲームシリーズ第一弾。

現場捜査容疑者への聞き込み、知識図書館で調べるなど、妖怪という突飛な設定ではあるが、地に足がついた丁寧なゲームを遊べる。

最終的に妖怪対峙するパートになるが、ここは要するにミステリ系のゲームにおける容疑者証拠を叩きつけるパートになっていて、本作独自翻案がうまくできていた。

シリーズものなので、縦筋となる父親の謎、ヒロインとの関係値、敵の親玉など気になる設定も出てくるが、次作の第二章でシリーズ展開が止まっている。


幽限御界堂探偵社 2章

妖怪実在する世界でそれを退治する役目を持った御界堂守丸が主人公コマンド選択肢アドベンチャーゲームシリーズ第二弾。

今作はAIロボット殺人を犯すという魅力的な謎が提示され、妖怪だけでなくSFもやるのかとワクワクしたが、そういう話ではなかった。

妖怪ロボットといった要素だけなく、殺人事件すらも本題ではなく、ゲストキャラたちの関係値のエピソードが主になっており、二作目ながら番外編っぽい立ち位置作品

シリーズは今作で止まっており、縦筋となる布石が回収される見込みがないのも残念なところ。


ANGEL WHISPER

ノストラダモスの大予言間近の1998年に、フリーゲームプランナー由島博昭が開発業務を通じて世界真実に気づくノベルゲーム

1999年に発表されたゲームのフルリメイクで、当時の時代感が色濃く出ており、非常にらしさがあった。

陰謀論に傾倒するヤバい人と一蹴するのではなく、自分ごとのように読めるような具体的なエピソードと設定の開示の工夫の丁寧さが面白かった。

リメイク時に追加されたエピソードも、ノストラダモスの大予言世界が滅んでいないという前提にたったメタ視点面白く、短いプレイ時間の中に壮大な世界があって良かった。


Night of the Crabz ~カニの頭に気をつけろ~

ライターの兼城と保村の二人が、炎上事件に苦悩している旅館取材に行く、インターネットミームてんこ盛りのコメディアドベンチャーゲーム

終始不真面目なテキストが一貫しているちょけた作品ながら、しっかりとフリとオチが決まっていて、作品としては真面目に作られている。

なお、大浴場でお風呂に入るサービスシーンで、ヒロインの保村がお風呂には入るが、変えの下着を忘れていたため同じものを履き回すシーンは、お風呂に入らない系女子に大きな感情を向けがちな僕としては、気が効いている良いストーリーだと感謝した。

アドベンチャーゲームではあるが、RPGアセットテンプレートを流用しているからか、ステータス画面や謎の戦闘シーンがあるのは、開発会社の続編への布石らしいので、そちらにも期待したい。


刑事J.B.ハロルドの事件簿 マーダー・クラブ

パソコンゲーム黎明期から続く犯罪事件操作するコマンド選択アドベンチャーゲーム第一弾。

聞き込み、探索、聞き込み、探索と、刑事は足で稼ぐの格言の通り延々とコマンド選択して証拠を集めていくタイプゲーム

ストーリーは非常に薄く、容疑者たちが語る人間関係から、その間柄を想像で補完しながら遊ぶことになる。

昔のゲームは、今と面白さの尺度が違うものも多いが、テキスト主体のアドベンチャゲームは、概ね今も昔も変わらず一貫した良さがあるなあと再確認できた。


刑事J.B.ハロルドの事件簿 マンハッタン・レクイエム

パソコンゲーム黎明期から続く犯罪事件操作するコマンド選択アドベンチャーゲームの第二弾。

ひたすらに延々と聞き込みを繰り返す昔ながらのスタイルで、謎らしい謎はあるものの、基本的には犯人たちが自ずと語ってくれる。

UIテンポがいいので、コマンド選択することで主人公刑事と一体感が楽しめるのは、アドベンチャーゲームの根源的な楽しみだった。

なお、同名の被害者が三人いるという非常に魅力的な謎は、途中で明らかにゲーム容量やUI画面の大きさの都合であることが伝わってくるのも、パソコンゲーム歴史を感じさせられた。


刑事J.B.ハロルドの事件簿 キス・オブ・マーダー

パソコンゲーム黎明期から続く犯罪事件操作するコマンド選択アドベンチャーゲームの第三弾、というか第二弾のマイナーチェンジ版。

いや、アドベンチャーゲームマイナーチェンジ版ってどういう意味なのかよくわからないと思うけど、要するにキャラ絵と背景絵を使いまわした番外編。

前作の事件構成要素は同じだが異なる事件が展開するので、はっきり言って続けて遊ぶと混乱した。

流石に当時の開発事情をとやかく言うのは野暮なのだろうが、全くそういった知識を入れずに遊んだので、なんらかのトリック時間移動による世界線改変とか、作中作による叙述トリックとか)を疑った身としては拍子抜けした。


Looking Up I See Only A Ceiling 上に天井がある。

イタリアインディーゲームで、学生少女テスト勉強の合間に色々と苦悩するアドベンチャーゲーム

翻訳がかなり丁寧にされており、独白中心のこじんまりとした世界観がよく伝わってくる。

特に朝食を用意するパートで、頑なに自分が決めた順序でしか動こうとしない主人公の生きづらさは必見。

読者に解釈を委ねるような物語賛否あるだろうが、短い時間で遊べる短編としてはこういうのも有りだと思った。


秋田・男鹿ミステリー案内 凍える銀鈴花

ファミコン風のレトロドット絵サスペンスドラマのようなストーリーが楽しめるコマンド選択ADVミステリー案内シリーズ第二弾。

事件解決目的に来たはずの刑事旅情を楽しむパートが多いのはシリーズ恒例の展開だ。

前作と比較すると3倍ちかくボリュームが増えており、警察サイドのサブキャラ複数人登場、容疑者も多数おり、謎も二転三転していき、事件も数多く起こる。

しかし、謎の振りと落ちが整理されていない箇所が多く、ボリュームは多いのに消化不良感が残るしっくりこない結末は残念だった。


BUSTAFELLOWS

時を巻き戻す能力をもったフリーライタの女性テウタが、法律に縛られない自分たちの正義を実行するフィクサー集団出会うことから始まる乙女ゲーム

キャッチコピーの「あざやかな悪に染まれ」の通り、悪徳弁護士殺し屋クラッカーなどの犯罪を厭わない男性キャラとの恋愛が楽しめる。

いわゆるクライムサスペンスじみた展開もあるにはあるが、本題はあくま女性主人公目線での男性キャラとの恋愛パートにあり、悪を成す部分の段取りの薄さは気になった。

アメリカ舞台なので、出てくる飯がピザテイクアウト中華が多くなかなかお腹がすく展開が多いのは好き。

○好きじゃない

該当作品なし

anond:20240512200453

ニンテンドースイッチゲームまた50本遊んで感想書いたのでまとめ(その二)

LOOPERS -ルーパーズ-

宝探しが大好きな主人公が、永遠に続く夏休みに巻き込まれしまう、疲弊する仲間たちを宝探しゲームの魅力で前向きに成長させるノベルゲーム

位置情報を使った宝探しゲームの魅力が本作の大きな主題で、いわゆる「謎解き」が何故楽しいのかを掘り下げるストーリーは、ある意味ではミステリ評論的でもあり、非常に興味深かった。

作り手はいじわるで解けない謎ではなく相手レベルに合わせた解ける謎を愛を持って提示すること、解く側は愛を持って作っていると信じること、この二点への議論が丁寧に何度も行われており、なるほど納得する箇所も多かった。

物語としても、永遠に続く夏休み満喫する楽しいパートと、それを否定して前向きになることを希う苦しいパートとのバランスがよく、ボリュームこそ少ないが過不足はあまり感じない、いい作品だった。

(と僕は思うが、完全版ではエピソードが増えるらしい)


金色ラブリッチェ

普通男子市松央路が某国王女とひょんなことから知り合いになり、いろいろな事情彼女を始めとした上流階級が通う超エリート校、私立ノーブル学園に転校する学園ラブコメ美少女ゲーム

魅力的なヒロインが多数登場するものの、市松央路がまさに主人公していき、自分の「金色」を見出していくストーリーは、美少女ゲームにとらわれない王道のまっすぐな面白さがあった。

そんな無数に広がる夢を追う若者の瑞々しさと、とあるヒロインにまつわるビターな展開とが、良い意味で後味が残る作品になっていた。

オープニングテーマ歌詞明日宇宙飛行士になって大気圏外で愛を叫ぼうか」が端的にこのゲームの良さを示しており、口ずさむたびに主人公の市松央路の未来を考えてしまう。


金色ラブリッチェ ゴールデンタイム

金色ラブリッチェのファンディスクで、それぞれのヒロインのアフターストリーと、追加ヒロインルート、そしてゴールデン独自ルートが楽しめる。

特に前作ではルートがなくサブキャラ扱いだった、年下ながら主人公教育役でビシビシと厳しく指導してくれるミナちゃんルート追加が嬉しかった。

前作はビターで苦いエンディングもあったが、今作は塗り替える万事がすべてうまくいくハッピールートであることが、開幕早々に示唆される。

多少、いやかなり無茶な設定が唐突に出てくるが、どんな過程だろうと金ラブリッチェをハッピーエンドに締めてくれたのは嬉しく、これはこれで大好きな作品だ。


災難探偵サイガ~名状できない怪事件~

ハードボイルド探偵サイガが、謎と事件がひしめく奇妙な地方都市「祭鳴町」を駆け回る短編連作形式ノベルゲームで、コメディ調の明るいゲーム

探偵事件、謎とミステリの建付けではあるものの、そうそうにリアリティラインと軽いノリが明かされ、本格パズラーでないことが明示される潔さが良い。

サイガ相棒となる性別不明助手レイの可愛らしさは素晴らしく、キャラクタの性別を問わない魅力的なシーンが多くあって印象深い。

はじめは打算で助手になったレイが、いつの間にかサイガと分かちがたい関係値を築いていくシーンは感動的で、名コンビとして末永くシリーズ展開して続いてほしいと願っている。


ファミレスを享受せよ

数名の客と無限に飲めるドリンクバーしかないファミリーレストランに閉じ込められた主人公が、ひたすらに雑談をし続けなにかを変えていくアドベンチャーゲーム

とにかく同じく閉じ込められた他のキャラ雑談をしていくことで話が進んでいくのが独特な味を出している。

情緒溢れる風景描写するテキストに、何かを示唆するような哲学的な会話と、何も示唆しないただの雑談とと、雰囲気重視の芸術的考えオチ系のゲームかと思いきや、しっかりと設定の開示がされ明確なストーリーの筋があるのが面白い。

徐々に明かされる設定の妙も良いが、魅力的な会話劇がたまらなく、主人公ガラスパンキャラ名前)のカップリングはひときわ心に残る良いものだった。


和階堂真の事件簿 TRILOGY DELUXE

非常に荒い抽象的なドット絵事件捜査を行うアドベンチャーゲームで、をスマートフォン向けに発表されていた3篇と、移植独自のエピーソードの計4本楽しめる。

殺人事件捜査をする刑事という王道中の王道が導入ながら、なかなか一筋縄はいかず、お約束に縛られないストーリー面白かった。

ルックドット絵もそれに一役かっており、この絵柄だからこそ出来る表現もあったりして、やれることは全部やるような圧すら感じる。

謎解きの過程よりもサプライズに寄った作風は、テキスト主体アドベンチャーゲームでは珍しく、良い意味プレイヤー探偵乖離した、独特の魅力があった。


○好き

月姫-A piece of blue glass moon-

直死の魔眼という人、物を問わずそれを殺す線が見える奇妙な体質になってしまった遠野志貴主人公新伝奇ノベルゲームで、同人ゲーム月姫リメイクバージョン

全ての人の死が見えるため独特の価値観を持つ遠野志貴が、月が出ている間は決して死なない吸血鬼の姫アルクを見たとき、死の線が見えないため美しいと感じ、彼女と行動を共にすることになる。

この物語の導入部分で一気に引き込まれ、一息に遊び終えてしまい、かなりのボリューム作品なのに物足りなさを感じてしまった。

真祖の姫、死徒二十七祖魔法使いなど気になる設定が数多く登場するのも興味深く、特に死徒二十七祖がその「原理」を開示するところは、めちゃくちゃ格好良かった。

(まあ、原作では5ルートあったうちの2ルートしかいから、主人公の生まれ秘密とか、妹の秘密とかは不明だしね)


境界領域

南極遭難した調査隊と、何故かメッセージのやりとりが出来るようになり、彼女たちに文章を送付することでストーリーが前に進むアドベンチャーゲーム

メッセージアプリを模したタイプゲームで、家庭用ゲーム機では少ないが、スマートフォン向けゲームでは結構流行っていたジャンルだ。

システムの都合上、一切キャラクタのデザインなどは画面に登場せず、テキストだけで淡々と進むが、しっかりとそれだけでもキャラ愛着が湧くし先が気になる。

サイエンスフィクションらしい、未知の技術を踏まえたストーリー面白く、しっかりした丁寧な作品だった。


探しものは夏ですか

母方の実家帰省した主人公が、奇妙な言動少女出会うことから始まる一夏のボーイ・ミーツ・ガールものノベルゲームで、原作スマートフォン向けのゲームだがケムコインディーゲームパブリッシュする流れで移植したバージョン遊んだ

ボリュームはそれなりだが、登場人物がかなり絞られているため過不足はあまり感じず、ヒロイン真琴の魅力は十二分に伝わってきた。

導入こそ嫌な奴だが、少しづつ絆されていき、関係値がどんどん出来上がっていくのは、青春ものらしい良い展開。

中盤で一気に作品雰囲気が変わり、ハラハラする展開が始まるが、主人公真琴関係を疑う余地なく信じられるからこそ、このタメの部分も楽しく遊べた。


慟哭、そして…

原作セガサターン美少女ゲーム脱出ゲーム(今風の言い方で昔はこんな呼び方じゃなかったかも)を組みわせた作品で、それを遊びやすリメイクしたバージョン

プロバビリティ殺人大好きマンが建てたとしか思えないデストラップ満載の奇妙な館に閉じ込められた男女が、恋愛しつつ館の謎を解き明かしていくストーリー

ストーリーを楽しむというよりは、フラグを建てたり建てなかったりの、フラグ管理ゲーム性を楽しむタイプのアドベンチャゲームになっており、各ヒロインごとのエピソードはそれなり。

本筋となる記憶喪失少女にまつわるエピソード郡は文量も確保されており面白いので、手を抜くところと力を入れてるところの加減がはっきりしていたゲームだった。


サスペクツルーム~警視庁門前署取調班~

警視庁に新たに設立された取り調べ専門の部署、そこに配属になった女性刑事真野ハルカ主人公に様々な事件を取り調べだけで解決していく短編連作形式アドベンチャーゲーム

いわゆる閉鎖劇を期待するが、案外普通現場には赴くし、周辺の捜査や聞き込みを行うパートもあるので、普通ミステリアドベンチャーゲームとあまり有意差異はなかったかもしれない。

しかし、テンプレ感があるのは3話までで、後半の4話と5話は取調専門部署独自設定をうまく利用した展開が続き、見どころもおおかった。

シリーズ化もできるだろうし、続編では最初から今作後半のクオリティでやってくれれば、もっと好きになれるかもだ。


FatalTwelve

死を前に運命女神によって生きながらえた12人が本当の生を求めて「女神の選定」というゲームに挑むノベルゲーム

そんな緊張感溢れる導入ながら、女子高校生のありふれた日常と、女性だけの三角関係から来る恋の鞘当てが話の主題になっていく構成面白かった。

特に三角関係パートを陰ながら支え「女神の選定」とは無関係なのにメチャクチャ苦労する小熊真央ちゃん活躍は目をみはるものがある。

最終的にはこの二つの路線主人公ヒロインの生きて叶えたかった未練に直結していくため、無駄描写になっていないのも面白かった。


送り犬

奇妙な犬、送り犬にまつわるホラーエピソードがいくつも収録されたサウンドノベル

サウンドノベルらしく、ルートごとに世界の設定レベルで変化していくため、多種多様ストーリーが展開していく。

ホラーベースではあるものの、コメディサイコスリラーと色の違うものに加えて、視点人物女子大生、その友人、ストーカー警備員ポメラニアンと多様なのが面白い。

メインの主人公が親元を離れて一人暮らしをする女子大生なので、親の目無しセックス有り略奪愛有りの大人なやり取りが多くあるのが面白かった。


大分・別府ミステリー案内 歪んだ竹灯篭

ファミコン風のレトロドット絵サスペンスドラマのようなストーリーが楽しめるコマンド選択ADVミステリー案内シリーズ第三弾。

今作は自殺した女性の足取りを追う丁寧な展開で、落ち着いた雰囲気の中、少しづつなぜ被害者自殺したのかの心の在りようを探っていく。

シリーズを通しての観光パートや、名産品に舌鼓を打つパートなどは健在で、大分県の名物たっぷり楽しめる。

社会的テーマを問う部分も、とってつけた感は薄く、しっかりと本題の謎と密接な関係にある点が良き。


臨時終電

終電に乗れなかった主人公臨時終電と名乗る謎の電車に乗り込んだことから始まるホラーノベルゲームで、携帯電話専用ゲーム移植版で千羽鶴シリーズの第三弾、シリーズではあるが、作品間の繋がりは薄く、今作独自世界観やキャラクタが楽しめる。

今作では、一つの大きなシナリオがありそこから分岐する形式で、同じ電車に乗り合わせた複数人と力を合わせつつ、シナリオザッピングしながら進めていくのが特徴。

原作媒体携帯電話なので小さいゲームではあるが、本格的なサウンドノベルをやろうとする気概が伝わってくるし、実際フラグ管理や、群集劇めいた作劇の妙など、かなりシッカリしたゲームになっていた。

メインから離れた設定のシナリオも用意されており、そちらではコメディSF恋愛ものなど、ホラー以外のバラエティ豊かなエピソードも読めるのが良かった。


RPGタイム!~ライトの伝説~

小学生男子のけんた君お手製の自作RPG放課後に遊ぶという”テイ”が面白い、アドベンチャゲーム。

小学生が作ったという建付けのルックが徹底しており、手書きノート、筆箱やボールといった小学生のお道具を使ったシーンなど、見てるだけで小学生らしさが伝わり凝っている。

けんた君がその時々ですべてのシーンを演じてくれるのが、作中作めいた構造の妙を感じれて面白い。

テキスト主体ではなく、その時々シーンに応じた操作方法になる多様なゲーム性があるが、ステータスを増減させたり、複雑なフラグを立てたり、アクションプレイングが求められたりといった、他ジャンルの要素はあっさりめで、あくまでアドベンチャゲームではあったと思う。


いづみ事件ファイルVol.3湯宿編

携帯電話専用ゲーム移植版で、物語としてのミステリー、というよりは推理クイズ体裁シリーズ第三弾。

今作はシリーズを通してついにストーリーらしいストーリーが導入され、普通面白かった。

とはいえ、相変わらず推理クイズのような謎とあらすじの関係性が薄い点は気になりはしたが、ストーリーがよければ全て良しなのはこのジャンルならでは。

シリーズを通しての馴染キャラたちにも変化があるなど、続きが気になる終わり方ではあるが、移植されているのここまでなので、続きの移植G-Modeさんお願いします。


ナイトハイク

アウトドア初心者新人ライターキャンプツアーに参加するホラーノベルゲームで、携帯電話専用ゲーム移植版で千羽鶴シリーズの第二弾、シリーズではあるが、作品間の繋がりは薄く、今作独自世界観やキャラクタが楽しめる。

ホラーストーリーが主軸ではあるが、ルートごとに全く異なる設定になっていくタイプストーリーで、コメディ、伝記、スリラーサスペンスなどが楽しめる。

視点人物ヒロインに変わるパートもあり、そちらではまた異なったエピソード郡が待っているのも面白い。

全体的に人が死んだり傷ついたりする残酷な話が多いものの、やったやられたのバトルシーンのような読感のため、ある意味カラッとした山らしい内容が多いのが特徴的。


探偵・癸生川凌介事件譚 あねの壁

携帯電話で展開していた探偵癸生川凌介事件シリーズの第十一弾。

今作からシーズン2と呼称されており、今までとはシナリオライターさんが異なるし、作品中でもいつもの面々の登場も少なめ。

五作目の「昏い匣の上」で登場した、都市伝説ライター弥勒院蓮児が視点人物になっているため、情緒的な文章が多く、謎解きも動機の側面が多め。

シリーズキャラである癸生川凌介が登場するときに思わず、ホッとしてしま空気感が変わるのが面白かった。


探偵・癸生川凌介事件譚 泣かない依頼人

携帯電話で展開していた探偵癸生川凌介事件シリーズの第十二弾。

中学校舞台複数事件が発生し、それぞれを追っていく複雑なシナリオ

謎を解き明かす過程よりも、それぞれの事件における被害者加害者の心の在りようを深堀りしていく操作が多く、人間関係の妙を楽しむタイプ作風だ。

短い文章ながら、身勝手な悪意で他人を振り回す残酷さがしっかり情緒かに描かれており、操作を通じてドンドン嫌な気持ちになっていく悲しいストーリーだった。

ニンテンドースイッチゲームまた50本遊んで感想書いたのでまとめ

1年前に50本遊んで感想を書いた記事を書いたのですが、

あれからまた50本遊んで感想を書いたのでまとめ記事です。

前回のブコメオススメしてくださったゲームは遊んでいるものもあれば、遊んでいないものもありますが、どれも参考にしていますし、いつか遊ぶと思います

なので、また何かオススメがあれば書いてくださると嬉しいです。


51〜65はこの記事

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好き好き大好き超愛してる

ニューダンガンロンパV3 みんなのコロシアイ新学期

ダンガンロンパシリーズ完結作で、突然集められた超高校級の才能を持つ面々が殺し合いゲーム強要されるデスゲームものにして、その殺し合いの加害者クロを見つける学級裁判で謎を解くミステリゲーム

テキスト主体としたゲームとしては3作目とマンネリし始めるナンバリングだが、全くもってそんなことはなく「嘘」テーマにした幾つかの事件を今まで以上の絶望さで描いている。

特に超高校級総督王馬小吉にまつわるエピソードは圧巻で、歴代作品を踏まえて「絶望希望」は「嘘対真実」の言い換えだと無邪気に信じていた気持ちを粉砕させられた。

ダンガンロンパシリーズはこの作品以降はファンディスクのようなものしかリリースされていないが、なるほど確かにこの後に単純な4やV4をリリースするのは難しさがわかるのもシリーズファンには賛否がわかれる内容だった。

このシリーズアニメ版の「3」で絶望して少し身を引いていたのだが、改めてこのV3を遊んで、やっぱりダンガンロンパは最高だなと思いを改めた。


SeaBed

公称ジャンル百合要素を含むミステリーで、物静かで落ち着いた女性のサチと、元気で朗らかなタカコのカップル関係値の変遷を追うノベルゲーム

日常動作食事自然の豊かさ、季節感などなどの風景や情景の描写に文量が大きく割かれているのが特徴的で、淡々と進む中で彼女たちが何を感じたのかを、咀嚼するように読み解いていく。

そんな平和楽しい内容が、あるタイミングで突然ガラッと風景を変え、死と向き合うことの難しさ、生き続けることの意味などを問いかける哲学的幻想的なストーリーに変化していく。

ものすごく大好きで愛してる作品だけど、面白いというよりは、考えさせられるというか、このキャラ達のことをずっと延々に頭の隅で思い続けることになっているような、それぐらい大きな作品だった。


アーキタイプ・アーカディア

文明崩壊した世界で何故か稼働中のVRMMORPGアーキタイプ・アーカディア」を遊ぶ人達思想がぶつかり合う、火傷しそうな熱意が伝わってくる熱血ノベルゲーム

ゲームは遊んでおらず食糧も水も希少な世界必死暮らしているルストと、その妹でラスモス・ゾティーラ・トゥーラッカという独自挨拶ゲーム内で仲間を増そうと頑張っている妹のクリスティンの二人で始まった旅がどんどんと広がっていく壮大さが魅力的。

テーマの「ゲーム楽しい」を伝えるために様々なプレイヤーと対決していくのが、まさに楽しいゲームで、ゲームを遊ぶゲームというメタ構造になっている云々と言った小賢しい理屈を跳ね除ける沸る激情が最高に楽しいゲーム

可愛いヒロインも沢山登場するのでそういう方面でも面白く、特に僕はコロネちゃんダントツに大好きで、専用ルートのその先を妄想して悦に入ることがある。


魔法使いの夜

1980年代後半近代化が進み発展する街「三咲町」を舞台に、電話すら知らないほど田舎から引っ越してきた静希草十郎が、魔法使い自称する二人の少女出会うボーイ・ミーツ・ガールものノベルゲーム

まず目を引くのが非常に作り込まれルックで、立ち絵と背景絵、その上にかぶさるテキストウィンドウという一般的ノベルゲームでありながら、表現の幅がとても広い。

ストーリー田舎に住んでいた主人公が、街に慣れることを通じて、近代的な社会とそうでなかった時代を浮き彫りにしていき、当たり前に享受している一般的水道電気貨幣すらも、近代化恩恵であり当たり前ではないエピソードが手を変え品を変え繰り返し語られるのが、情緒的な染みるように楽しい

この情緒的ながら近代日本では当たり前のストーリーと、新伝奇ものらしい魔術を使った異能バトルのストーリーとが、静希草十郎にとっては同じだけ異質なものなのが、面白かった。

(なお、ちょうどまさに今このときスマートフォンで遊べるガチャ形式運営ゲームFGOで、彼女たちのアフタストーリーが読めるそうなのだが「ガチャ我慢する」という脳の回路が焼け切れ、貯金や手を付けてはいけないお金をあっさり使い込んでしまった過去があるので、僕は遊べないのがモドカシイ


AMBITIOUS MISSION

怪盗、探偵警察、盗人、泥棒正義と悪が入り交じる登場人物たちの中、ハートとため息を盗む怪盗ミスアルテ共に盗みを行っていくクライムサスペンス

フィクションらしい痛快さに振ったリアリティラインながら、この世界観の中でも丁寧に盗みを行う段取りを立てるパートがあるのが非常に好印象。

自分たち犯罪者であることを認めながら、法では救えない大切な人のために死力を尽くす怪盗たちの生き様が格好よくて滾る最高に面白い作品

そんな怪盗たちですら挽回不可能に思えた最後の盗みの仕掛けは、まさにハートとため息を盗まれた爽快さで、思わずコントローラを握る力が強くなりすぎて、スティックを壊してしまうほどだった。


○大好き

Dear My Abyss

陽気なミスカと陰気なスバル対照的な二人の友人関係が、無垢人形のようなルウが転校してきたこから大きく変化することになるノベルゲーム

学校熟成される閉鎖的な人間関係と、思春期らしい堂々巡りを続ける自己言及を、丁寧な心理描写と情景が伝わってくる幻想的な精神世界の問答で文章を魅せるタイプ作品

女の子同士の三角関係のように見えて、早々にミスカの好意は豪快に空回っており、スバルミスカのことを全く好きではないと、二人の視点シーン毎に同じエピソードを描くことでそれがわかる構成が読んでいて辛い。

楽しいとか面白いような前向きな感情で読める作品ではなく、思春期女子高生自己問答の末に得られた後ろ向きで退廃的な選択が、三人の関係値を歪めていく悲劇を読ませる作品だった。


アカイイト

父親実家がある田舎帰省した羽藤佳が、その田舎にまつわる伝説とそれを取り巻く異能のものたちと交流していく、和風伝奇ジャンル女の子同士の恋愛表現するノベルゲーム

まず伝奇ものとしては、歴史にまつわる蘊蓄衒学趣向的なやり取りが多いが、それが少しづつ大きな設定の開示に繋がっていくのがワクワクする。

主人公の羽藤佳は異能こそあるものの直接的な戦闘能力はないため、ヒロインたちに頼ることになる恋愛の導入が、アカイイトらしさだ。

バッドエンドの豊富さも面白く、バッドと言いながらメインルートとは異なる選択を魅力的に描いており、最初から最後まで飽きずに楽しめた。


夜、灯す

琴を演奏する筝曲部の熱血部活ものパートと、数十年前の女生徒同士の心中事件を追うサスペンスパートが混ざりあったノベルゲーム

仲間との和を大切にする鈴と、演奏技術に重きを置く有華の二人の女性対立しながらも関係値を育てていくのだが、こちらのパートは琴の演奏に関するやり取りが多く、甘い恋愛の要素は少なめ。

対して、数十年前の心中事件の方は、終わりが心中からこそ、はっきりと恋愛の要素があり、そこに至るまでの過程は辛いシーンもあれば、甘いシーンもある。

主人公保護者であり老齢の尼、十六夜妙蓮さんの大活躍はすごく印象に残り、もう一人の主役といっても過言ではないだろう。


帰ってきた名探偵ピカチュウ

ポケットモンスター世界観をテキスト主体アドベンチャーゲームに仕立てるシリーズで、2018年名探偵ピカチュウから5年ぶりの続編にして、完結作品

バトル以外の生活の場におけるポケモンの生息が魅力的で、それを映像でなく文章で楽しめるのは唯一無二だ。

これはもう他の作品と違って客観的評価は完全に捨てるしかなく、ポケモン実在する、ポケモン生活したいなどと、ポケモンへの思い入れがあるからこそ楽しめる作品

肝心のストーリーについては、実写映画版が先取りしていたせいで、サプライズ展開がサプライズになっていないのが気になるし、これほど間が空いてしまうと期待度も相応にあがってしまう、可能なら短編を定期的にリリースしてほしいが、難しいかなあ。


ATRI -My Dear Moments-

海面上昇が止まらず住む場所を失った人が多くいる近未来日本離島舞台に、超エリート校に通っていたが夢破れて戻って来た斑鳩夏生が、アンドロイド少女アトリと交流する恋愛ノベルゲーム

主人公斑鳩夏生はめちゃくちゃ優秀で頭の良いカシコなのだが、とある事情により左足がなく、精神的にも不安定なので、生きづらい描写が開幕からは続く。

しかし、美少女アンドロイドのアトリによりそこが一変し、彼女が左足を補い、精神的な不安定さも補いとサポートすることで、どんどんと前向きになり、社会基盤が大きく変化した田舎町でその頭脳を活かしていくのがワクワクする展開。

この頭脳で手の届く範囲の人たちを救っていくシーンは非常に前向きかつ地に足がついた展開で、大好きな丁寧さだった。


死噛~シビトマギレ~

ダンジョンRPGの老舗エクスペリエンスが送るホラーアドベンチャーシリーズ第三弾で、怪異の噂を横スクロールのような探索パートで調べてからRPGボス戦のような怪異との対決パートに挑む構成で、テキスト主体アドベンチャーゲームらしくない画面構成になっている。

死印の直接的な続編で、主人公や他の登場人物共通しており、ストーリー的にもそれを踏まえての悩みや成長が描かれるので、必ずそちらを遊んでから遊びたい。

前々作では怪異に振り回されてばかりの主人公だったが、今作では一転して、怪異と立ち向かうことに強い哲学的な回答を持つことになる。

ホラーの恐ろしさや恐怖を煽る部分に着目しがちだったが、ストーリー的に感動するポイントが多くあり、とてもおもしろかった。


NG

ダンジョンRPGの老舗エクスペリエンスが送るホラーアドベンチャーシリーズ第二弾で、怪異の噂をDRPGのような探索パートで調べてからRPGボス戦のような怪異との対決パートに挑む構成で、テキスト主体アドベンチャーゲームらしくない画面構成になっている。

前作とは同じ世界ではあるが、登場人物は異なっているので、設定を飲み込めるなら今作から遊んでも問題ない。

アウトロー自称する鬼島空良とその仲間たちが怪異と戦うストーリーだが、単純な腕力では倒せないので、現場操作証拠品を集めて、知恵を絞って敵と対峙するシリーズの骨子は共通している。

前作よりもブロマンスな傾向が強調されており、主人公の鬼島空良と、親友にして反社勢力の天生目聖司との持ちつ持たれつの関係値が面白かった。


マヨナカ・ガラン

キャラポリゴンが常にステンドグラスが透けて見える、特徴的なルックが目を引く、キャラクタの演技主体アドベンチャーゲーム

閉鎖的な隠れキリシタンの村の中で、正道とは大きく変化した異質なキリスト教テーマにした、宗教にフィーチャーした作品

前半こそ村人との楽しい交流名産品に舌鼓を打つ展開などコメディ要素も多いが、中盤から宗教を信じることの覚悟を問うような重苦しい展開が続く。

タイトル意味がわかる、とあるキャラ慟哭シーンは、思い出すだけでも気が重たくなる悲しい作品だった。


ワールズエンドクラブ

全国の小学校から落ちこぼれだけを集めたガンバレ組の面々がデスゲームに巻き込まれることから始まる、アクションゲームテキストを読むパートが融合したアドベンチャーゲーム

息をつかせぬ展開が魅力で、一転二転、七転八倒、とにかく次から次へと設定の根底をひっくり返すような、サプライズ展開が目白押し最後まで遊べる。

そんな中でもガンバレ組の絆の深さ、彼らが分かつ事ができない強い関係であることを信じれるようになってからは、痛快なストーリーが続くのも楽しい

アクションゲームは若干とってつけた感があるとも思うが、ガンバレ組の得意な能力ゲームっぽく表現できているとも言える、かも。


ワールドエンド・シンドローム

転校生主人公複数美少女たちと恋愛しつつ、100年に一度死から蘇る謎の現象を追う伝奇サスペンスの要素もある、ノベルゲーム

恋愛部分は正直前フリ感が強く、伝奇パート関係が薄いヒロインたちのエピソードは薄めで、関係が濃いヒロインは濃いと、濃艶がはっきりしているのは好みが分かれそう。

から蘇った人間は周りの人間記憶整合性操作しながら生きながらえるため、どうやってその蘇った人間を見つけるのかのフーダニット段取りが、ミステリしていて面白い

設定こそ新本格作家アニメ化もした某作と似通っているが、ゲームならでは仕掛けやミスリードがあり、しっかりとノベルゲーム翻案できている良作。


anond:20240512175828

表自やアンフェってオタクと重なるけど別に同一じゃないんだよ

そっちの界隈にばっかり行ってるだけだろ

フェミがーって言ってるのブロックしまくれば平和だよ

年食って新しい世界観覚えたりするの億劫になって今期は何本見てる~とかそういう話できなくなった奴の行く末が、大して作品知らなくても女がーフェミがーって大騒ぎできる表自やアンフェの世界

はてな腐海に沈んだけどTwitterは変なの除けとけば平和なTLは作れる

ラノベじゃないラノベがあったら教えて

矛盾してるようだけど、なんかこう…重厚世界観とか設定がとても緻密で、「これ、もはやラノベじゃないだろ!」みたいな作品あったら教えて

詩とか俳句短歌について思うことメモ

もう人生の折り返し点をすぎて久しい。目を通す文字は、仕事書類ばかりとなった昨今。

でも小学校高学年から中学生にかけての頃に、文学少女に憧れた時期があった。

書店の奥のほうにいっては新潮文庫コーナーで、適当に数冊手に取っては解説に目を通したりしていた。

まれて初めて自分で買った詩集は、井上靖詩集だった。小学校5年生か6年生の頃だと思う。

頁を開いたとき、これは詩なの?というのが最初感想だった。普通に文章だったからだ。

調べてみると、井上靖の詩は、散文詩という形式らしい。なにが自分の知っている詩と違うのだろうというところで

「韻」という言葉もその時初めて知った。

井上靖詩集を手に取ったのは、国語教科書に載っている著者の本でなるべく読みやすそうなものを探したからだった。

というわけで、あすなろ物語のついでに手にしたのが、人生最初詩集だった。

小中学生の頃、国語の授業で、詩や短歌に少し関心をもった私は、韻を踏む、という作法が苦手だった。

季語などルールがあったり、韻で楽しめなければならない、みたいなもの短歌俳句だとすると、ちょっと縁がないなと。

特に覚えているのは、中学校の時習った在原業平短歌に、かきつばたを詠みこんだものがあるが、韻だけでなく、言葉ニュアンスにいろいろな仕掛けを作らないと詩として成立しないのかと思うと到底自分には向いてないジャンルだった。しかし、そうはいっても、短い言葉で何かを表現してみたいという思いは消えず、ひそかに詩集をつくって引き出しの奥底にいれていた。


井上靖の詩のなかに

幼少の頃、川辺の石段の下で手を洗っているとき不意に石鹸が手元を離れ、深みに落ちていったという情景の詩があった。その喪失感をその後の人生でも刻まれているという内容だった。これなら自分でも書けるかもしれない、と思った。

自分世界表現の仕方や詩の味わい方を学べたのも井上靖の詩の影響が大きかった。

例えば、雪という詩がある。


 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

 こういう二行の少年の詩を読んだことがある。

 十何年も昔のこと、『キリン』という童詩雑誌

 みつけた詩だ。雪が降って来ると、

 私はいつもこの詩のことを思い出す。

 ああ、いま、小学校教室という教室で、

 子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。

 この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。

 勤勉、真摯調和

 そんなものともどこかで関係を持っている。

井上靖詩集運河」より

中学生の私は、なるほどと思った。

詩というのは、雪が降って鉛筆の字が濃くなったという描写やその言葉なかにあるのではなくて、物語は書かれてない背景のなかにあるのだなと。

鉛筆の字という描写だけだったら、だから何?という感想しかない。しかし、鉛筆を持つ誰かの表情を想像し、その背景を想像して足してあげることで一枚の絵になる。

井上靖の次に手に取った詩集もよく覚えている。

武者小路実篤だった。やぱり散文詩だった。

当時、大好きだった先輩が「友情」を読んで感動したといっていたので、友情ともう一冊詩集を手に取った。その後しばらくして、私の失言が原因で先輩は私からフェイドアウトしていった(つまりフラれた)ので文学をダシに先輩と仲良くなろうという作戦は失敗した。しかし、武者小路実篤の詩はそんな私をなぐさめる言葉にあふれていた。

いじけて 他人にすかれるよりは 欠伸(あくび)して他人に嫌われる也 夏の日。 嫌う奴には嫌われて わかる人にはわかってもらえる 気らくさ。


ほどなくして、種田山頭火という自由律俳句というジャンルを知った。

山頭火面白い普通俳句じゃないところがいい。規律から解放されるってすばらしいことだと。

定型詩嫌いな私にとっては、ある意味で、俳句短歌エントリーポイントとなって、

新聞の俳壇や短歌欄に時々目をやるようになった。

いわばお勝手からこっそり入門したような形だ。

しか俳句は、季語の煩わしさにどうしてもなじめず、自分には遠い世界のままだった。

いつしか手にしていたのは、興津要解説する江戸川柳 誹風柳多留だった。古典落語にはまり始めた時期だった。

剣菱という酒を飲むことを江戸時代の人が剣菱る(けんびる)と言っていた、など、現代言語感覚と近い、興味深いことがいろいろと書かれていた。

エロい川柳結構好きだった。今でいうサブカルチャーだ。

その後は巴毎晩組み敷かれ

木曽義仲の元を離れ、和田義盛に見初められ身柄を預けられた巴御前、ネトラレ系の元祖ともいうべき味わい。思春期の私はこうした江戸時代川柳妄想たくましく想像し、手が動いた。五七五だったら、こっちの世界のほうが楽しい

一方、短歌のほうは、というと、当時の朝日歌壇は毎週とても楽しみにしていた。

俵万智サラダ記念日ベストセラーになったからというのとは全く関係なく、プロではなく、市井のいろいろな人が短歌を詠んでいるということが興味深かった。

例えば、こんな一首。

わが胸にリンチに死にし友らいて雪折れの枝叫び居るなり

あさま山荘事件を起こした連合赤軍幹部坂口弘収監中の東京拘置所から毎週のように短歌朝日歌壇投稿していた頃だ。

朝日歌壇では他にも穂村弘がいた。短歌表現する世界の幅広さを朝日歌壇で知った。

そして渡辺松男太田美和が常連投稿者として名を連ねていた。

風花って知っています

さよならも言わず別れた陸橋の上

渡辺松男太田美和は実社会で互いに関係があるわけではなく、それぞれの思いを歌に込めていたのだと思うけど、なぜか不思議と互いに呼応し合うものがあった。これは当時の歌壇リアルにみていた人にしかからないことだけど。雨の森や樹々など独特の世界観を表現する渡辺松男に対して、雨の日に部屋にこもれば憂鬱発酵すると詠んだりする太田美和。

生活で恋をしていた私は太田美和の言葉自分を重ね合わせた。


でもこのころが私の文学少女期のおわりだった。

大学卒業したものの、就職できずに苦しむ時期がやってきた。就職氷河期というやつだ。

生活が一変した。

書店で立ち寄るのは、奥の文庫コーナーではなく、店の前の新刊コーナーであり、資格取得のコーナーだった。

購読紙も朝日新聞から日経新聞に代わり、東洋経済となった。

世の中からどんどんと取り残されてゆく焦りでいっぱりになっていた。

山頭火武者小路実篤もへったくりもない、そんなことより面接資格だ!という日々。

就職が決まってからは、病気になったら人生終わりだし、干されたら終わり。もう一歩先に、もう一歩とただひたすら走り、走らされる人生が始まった。

たまに思い出しては、現代短歌最近の潮流を知りたくなって、枡野浩一の本を手に取ってみたりはしたものの、ピンとこなかった。

若い頃あれほど好きだった渡辺松男も改めて著作をみると作風が変わったのかと思うほど、何一つ言葉にくすぐられることなく、不感症になっていた。変わったのは自分のほうだ。


それから数十年、あるとき気が付くと、新しい家族が増え、家が建ち、旅行などしている。

そういえば何十年も詩や短歌を目にしていない。寺山修司の本は引っ越しのどさくさでどこかにいってしまっていた。

思春期のことを遠く思い出すようになった。実家の部屋の引き出しにはまだヘンな自作ポエム集が眠ってるはずだ・・。自分死ぬ前にはなんとしても奪取してこないといけない。

中年になっていいかげん自分限界を悟って、ふっと一息いれた、という形だ。

ふと思い出すのが、最初に買った井上靖詩集

 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

この二行の子供の詩を、何十年も経って思い出す井上靖感覚がとてもよくわかるようになった。


これは人生の楽しみを食に見出して、ワインをたしなむようになってから思ったことでもある。

詩を楽しむということとワインを楽しむことには、ひとつ共通点がある。

どちらもウンチク語ってめんどくさい奴がいる、という意味じゃない。

鉛筆の字が濃くなる、という情景として、勤勉で真摯子供の姿を思い浮かべる、という

文として書かれていることと、書かれていない想像の背景の補完的な関係は、ワイン食事、一緒に食事するひととの関係によく似ている。

ワインの味や香りは、それだけで勿論、それぞれのワインに特徴があるし、品種ビンテージ気候土壌などさまざまな情報がある。

しかワインのおいしさを決めるのはそれだけではない。過去に飲んだ記憶とか、一緒に食べているもの、そしてそのとき話題、体調などに大きく左右される。

だって同じことで、喉が渇いているときの一杯と会議中にやり込められているときの一杯は全然違うはずだ。

マリアージュという言葉があるように、ワイン一種調味料として機能するため、食べ合わせ重要だ。

またワインプロファイル情報あるかないかも味を左右する。

ブラインドで呑むワインはどんな高級ワインだろうが、初見ワインしかない。ワインの特徴まではわかってもそこまでだ。

逆に偽の情報表現かに補完してしまえば、コンビニ販売しているワインを高級ワインと偽って出してもたいていの者には気が付かれないだろう。

ワインを色やら香り、余韻など物理的に因数分解した表現ができても、美味しさは客観的規律として表現することはできない。

詩も同じだと思う。規律ばかりを語るひとがあまりにも多い。本居宣長には悪いけれど、歌をつくるのは道だとしても楽しむのは道じゃないと思うんだよね。

井上靖が「小学校教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。」というとき井上靖にとってその詩に初めて出会ってからの何十年間が効いてくる。井上靖は詩は規律ではなく、詩との出会い方だと教えてくれた人だ。

その情景を自分のなかでセットできるかどうかは、鑑賞眼の問題ではない。

どちらかというと、そのような情景がセットされてしまう、長年の思いの蓄積、その詩と出会ったときメンタル、いわば偶然の力だと思う。

渡辺松男太田美和が並んで歌壇掲載されていたあの空気感にしても、あのとき限りのものだったのだろう。

失恋をして武者小路実篤の詩に慰めれられた思い出もそう。まさに一期一会

先ほど、卒業してから詩どころではなくなったと書いた。

そのとき自分が置かれれる状況やそれまでの経験によっては、詩に対して、鈍感になることだってあるのだ。


ところで、先日、Yahoo芸能ニュースをみていたら、TBSプレバトというバラエティー番組で、俳句を競う企画があって、ある芸人俳句先生から5点と酷評されたと報じていた。

お題は「文房具」で彼女が読んだのは

消しゴムが 白き水面に ボウフラを

というもの。作者は「頑張って勉強して、消しゴムを何回も消すと、消しカスがたくさん出る。それが白いノートにたくさん積もっていると、ボウフラのように見えるという句です」と意味説明したものの、腹が立つ、とまで評者先生にののしられている。

ちょっと間抜けた感じはするものの、正直、なんでそこまで素人俳句酷評されなければならないか理解できなかった。だが、番組演出脚本としてはそれがオチなのだろう。

演出もさることながら、これは、他の出演者俳句が以下のようなものだったことも影響しているように思えた。

迎え梅雨 紙端に滲む 友の文字

虹の下 クレヨンの箱 踊り出す

天王山 黒ずむ袖に 薄暑光

薫風や 隣の君と 教科書

こんなふうに優等生を気取った俳句がずらりと来たら、それは「お約束」として、こき下ろすしかないのかもしれない。

バラエティー番組のなかで俳句を味わうということはつまり、こういうことなのだ。その芸人に対するイメージ作品クオリティが補完されてしまうのだ。

しかし、この句が仮にお笑い芸人ではなく、どこかの学校児童生徒が作ったものであったとしたらどうだろう。

消しゴムをかける姿は、情景としては授業中であることを示唆している。5月番組文房具からまだ気持ちフレッシュだ。だけどがんばろうという気持ちは長続きしない時期でもある。

ぼうふらにみえるほど消しゴムをかけるくらいだから、授業中、何度も消していて、その間、ノートをとる手が止まることになっただろう。

それでも授業はお構いなしに進んでいく。溜まってゆく消しごむのカスからは、授業についていく焦りとともに、生徒のひたむきさ、間違って消すことが多い生徒のどんくささも垣間見られる。

いかげん疲れたかもしれない。めんどくさいと思ったかもしれない。

一方で白い水面(ノート隠喩)は、清潔さや純粋さを象徴している。

ふと手を止めた瞬間に、そこにボウフラがいるようにみえた、というのは、一瞬立ち止まってボウフラ?などとくだらないことを想像してしまった自分の不純さや切れた集中力で抜けてしまった気力(投げ槍感)との鋭い対比となっている。

と、このように解釈すれば、俳句としてむしろ「ボウフラを」で間抜けた形で止めた意味が出てくる。そこから先は、苦笑いなのだ

ボウフラを季語と認めるかどうかはわからない。しかし、純粋に詩としてみれば、消しゴムとボウフラという組み合わせは非常にユニークだ。

また、どんくさいもの弱者がボウフラというノート上のより小さい存在視線フォーカスする、という手法小林一茶方法とも通じるところがある。

番組の評者は、この芸人俳句酷評したうえ、次のような添削をしたという。

しかすはボウフラみたい夏休み

夏休みかよ。口論の途中で勝手に話の前提を変えられたときのような不快感を覚える添削だった。消しかすって文房具じゃないし。

しかし、誰しも詩に対して鈍感になる、そういうことはある。端的にあれバラエティ番組からね。

ただ、私の場合、やっぱり俳句には縁遠いのだろうと思った。俳句がメインのカルチャーであろうとする、優等生を選ぼうとする、そのいやらしさも嫌だ。上品そうな季語を競うかのような世界一種ルッキズムだ。夏休みかいって勝手おめかしさせようとするんじゃねーよ。

そういうところがまさに、かつて私が川柳などのサブカルに引き寄せられるひとつ動機だった。ボウフラにシンパシーを感じる感受性は恐らくはかつて親しんでいた落語川柳で身につけたものだろうからゆりやん一句を悪くないと思うのは邪心かもしれない。そもそも番組ADがテキトーにつくりましたってオチかもしれないんだけどね。

300円でおいしく飲めるワインもあれば、駄作でも楽しめる作品もある。そういうことだと思う。

EVに乗るとなぜバナナが食べたくなるのか、それは一つのミステリーだ。

静かで、しかスムーズな乗り心地のEVは、どこか未来的な雰囲気を漂わせている。

そんな中で、プラスチック香り新車匂いが混ざり合い、不思議バナナの甘い香りを思い出させるんだ。

それに、EV運転していると、エコな気分になるからか、自然と体に優しいものを求める心理が働くのかもしれない。

バナナは手軽に食べられるし、エネルギー補給にもいい。

からEVに乗っていると無意識のうちにバナナを欲するんだろう。

それに、バナナ黄色い。

EVの静かな走りと、黄色バナナは、なんとなく未来的なビジョンを結びつける色だ。

黄色は注意を引く色だし、EVの静かな走りは注意が必要だ。

から無意識バナナを求めるのかもしれない。

それに、バナナは曲がっている。

EVの曲線的なデザインと、バナナの曲線は、どこかシンクロしているような気がする。

まるで、バナナEVの曲線をなぞるように、手に取りたくなるのかもしれない。

それに、バナナは持ち運びやすい。

EVでのドライブは、快適で長時間に及ぶことが多い。

そんな時、手軽に食べられるバナナは、最高のスナックになるんだ。

それに、バナナは分けやすい。

友達EVドライブに出かけた時、バナナシェアやす食べ物だ。

からバナナEVに乗る時の、コミュニケーションツールにもなるんだ。

それに、バナナ環境に優しい。

バナナの皮は自然に戻るし、EV排気ガスを出さない。

からバナナEVは、エコペアと言えるだろう。

それに、バナナストレスを減らす効果がある。

EVに乗るときの静けさと、バナナリラックス効果は、ドライブをより快適なものにする。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、自然ことなのかもしれない。

それに、バナナ記憶に残りやすい。

子供の頃、おやつバナナを食べた記憶は、多くの人にとって懐かしいものだ。

EVの新しい体験と、バナナの懐かしい記憶は、不思議と心地よい組み合わせを生み出すんだ。

それに、バナナユニークな形をしている。

EVユニークデザインと、バナナユニークな形は、どこかでマッチしているような気がする。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、デザイン親和性からくるのかもしれない。

それに、バナナは安い。

EV運転するとき経済的選択意識する人も多い。

バナナコストパフォーマンスが高く、EV効率的イメージに合っている。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、経済的理由からかもしれない。

それに、バナナ世界中で愛されている。

EV運転すると、世界中どこでも行けるような自由な気分になる。

バナナ世界共通スナックで、EVグローバルなイメージにぴったりだ。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、世界観の拡がりを感じるからかもしれない。

それに、バナナ簡単に食べられる。

EV操作簡単で、バナナの食べ方も簡単だ。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、シンプル美学からくるのかもしれない。

それに、バナナ健康にいい。

EVを選ぶ人は、健康にも気を使う傾向がある。

バナナ栄養価が高く、健康的なライフスタイルマッチする。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、健康への意識の高さからかもしれない。

それに、バナナは色々な料理に使える。

EVの多機能性と、バナナの多用途性は、互いに補完し合う。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、多様性を求める心理からかもしれない。

それに、バナナ子供から大人まで楽しめる。

EVの楽しさは年齢を問わずバナナ普遍的な魅力も同じだ。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、全世代共通する楽しさからかもしれない。

それに、バナナはいつでもどこでも手に入る。

EVアクセシビリティと、バナナの入手の容易さは、利便性で結ばれている。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、手軽さからくるのかもしれない。

それに、バナナエネルギーをくれる。

EVの静かなパワーと、バナナエネルギー補給は、ドライブサポートする。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、エネルギーシナジーからかもしれない。

それに、バナナは気分を明るくする。

EVの快適なドライブと、バナナの明るい色は、気分を高める。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、ポジティブ気持ちからかもしれない。

それに、バナナ写真映えする。

EVでのドライブは、写真を撮りたくなる瞬間が多い。

バナナインスタ映えするし、EVスタイリッシュイメージと合う。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、SNS映えを意識すると当然だ。

それに、バナナ気分転換にもなる。

EVでの長いドライブは、時には単調になりがちだ。

そんな時、バナナを一本かじることで、ほんの少しの冒険を味わえるんだ。

それに、バナナ話題作りにもなる。

「なぜバナナなの?」という疑問から、新しい会話が生まれることもある。

それに、バナナは時には武器にもなる。

突然のバナナの皮で、ドライブ中の友達を驚かせることもできる。

それに、バナナ音楽リズムにも合う。

EVの静かな室内で、バナナを食べるリズムは、まるで音楽のようだ。

それに、バナナアート作品にもなる。

バナナの皮で作るアートは、ドライブの思い出に残る一品になる。

それに、バナナは時には哲学的思考を促す。

バナナは曲がっているけど、宇宙は曲がっているのか?」という深い問いかけをすることもできる。

それに、バナナは時にはゲームアイテムにもなる。

EVでのドライブ中に、バナナを使ったゲームで盛り上がることもある。

それに、バナナは時には記念品にもなる。

ドライブ目的地で買ったバナナは、旅の記念になる。

それに、バナナは時には友情象徴にもなる。

バナナを半分こして食べることで、友達との絆を深めることができる。

それに、バナナは時には冒険の始まりを告げる。

EVでの旅にバナナを持っていくことで、何か新しいことが始まる予感がする。

それに、バナナは時には平和シンボルにもなる。

バナナを食べながら、世界平和について考えることもできる。

それに、バナナは時には時間概念を変える。

バナナゆっくり味わいながら、EVでの時間の流れを感じることができる。

それに、バナナは時には自己発見の旅にもなる。

バナナの味をじっくりと感じながら、自分自身について考える時間を持てる。

それに、バナナは時にはミステリーを解く鍵にもなる。

「なぜバナナがこんなにも多様なのか?」という疑問を解き明かす手がかりになる。

それに、バナナは時には未来への希望象徴する。

バナナを食べながら、EVでの未来の旅を夢見ることができる。

それに、バナナは時には過去への郷愁を誘う。

子供の頃に食べたバナナの味を思い出しながら、過去を振り返ることができる。

それに、バナナは時には現実逃避手段にもなる。

EVの快適な座席に座り、バナナを食べながら、現実から少し離れることができる。

それに、バナナは時には創造性を刺激する。

バナナの形や色を見ながら、新しいアイデアを思いつくこともある。

それに、バナナは時には人生の喜びを教えてくれる。

バナナシンプルな味わいから、人生の小さな幸せを見つけることができる。

それに、バナナは時には人間関係を修復する。

バナナを分け合うことで、友達との小さないざこざを解決することができる。

それに、バナナは時には新しい出会いをもたらす。

バナナを食べていると、同じくバナナ好きな人と話が弾むこともある。

それに、バナナは時には旅の安全を祈るお守りにもなる。

バナナを持っていると、なぜか安心してEVでのドライブができる。

それに、バナナは時には自然との一体感を感じさせる。

バナナを食べながら、EVでのドライブを通じて、自然の美しさを感じることができる。

それに、バナナは時には人生哲学を考えさせる。

バナナ存在を通じて、生命不思議宇宙の広がりに思いを馳せることができる。

それに、バナナは時には心の平穏をもたらす。

バナナの甘い味と、EVの静かな走りは、心を落ち着かせる。

それに、バナナは時には新しい自分発見するきっかけにもなる。

バナナを食べることで、新しい趣味や興味を見つけることができる。

それに、バナナは時には人生旅路象徴する。

バナナの一本一本が、EVでのドライブのように、人生の一歩一歩を表している。

それに、バナナは時には幸せの分かち合いを表す。

バナナを人と共有することで、幸せを感じることができる。

それに、バナナは時には新しい文化体験する窓口にもなる。

バナナを食べながら、異なる国のバナナの食べ方を学ぶことができる。

それに、バナナは時には人生のサイクルを思い出させる。

バナナ成熟していく過程は、人生の成長と似ている。

それに、バナナは時には自己表現手段にもなる。

バナナの持ち方や食べ方で、自分個性表現することができる。

それに、バナナは時には新しい挑戦を始める勇気をくれる。

バナナを食べることで、EVでの新しい旅に踏み出す勇気が湧く。

それに、バナナは時には人とのコミュニケーションを円滑にする。

バナナを食べながらの会話は、なぜかスムーズに進む。

それに、バナナは時には日常からの脱却を助ける。

バナナを食べることで、日常ルーチンから抜け出すきっかけになる。

それに、バナナは時には新しい自分を見つける旅にもなる。

それに、バナナは時には新しい自分を見つける旅にもなる。EVでのドライブは、日常からの小さな逃避行だ。バナナを片手に、新しい景色を眺めながら、自分でも知らなかった一面を発見するかもしれない。それに、バナナは時には心の栄養にもなる。EVの静かなエンジン音をBGMに、バナナの甘さが心に染み渡る。それに、バナナは時には冗談ネタにもなる。友達との会話の中で、「バナナは曲がっているけど、お前の道筋はどうなんだ?」なんて笑いを誘うこともできる。それに、バナナは時には旅の仲間にもなる。一人でのドライブが寂しい時、助手席に置いたバナナが、なんだか慰めてくれるような気がする。それに、バナナは時には思い出のアルバムにもなる。旅先で食べたバナナの味が、その場所記憶とともに蘇る。それに、バナナは時には未来の夢を語る相手にもなる。EVでの静かな夜道を走りながら、バナナに向かって「いつかこうやって宇宙を旅するんだ」と夢を語る。それに、バナナは時には過去の懐かしい味にもなる。子供の頃に食べたバナナの味が、EVの新しいテクノロジーと融合して、新旧のハーモニーを奏でる。それに、バナナは時には自分を励ます言葉にもなる。ちょっとした失敗をした時、バナナ一口かじりながら「まあ、次があるさ」と自分を励ます。それに、バナナは時には旅のリズムを作る。EVの滑らかな加速と、バナナを食べるリズムが、まるでジャズのようにシンクロする。それに、バナナは時には新しい出発を告げるサインにもなる。バナナを食べ終わった瞬間、新しい何かが始まる予感がする。それに、バナナは時には自然との対話を促す。バナナの木が育つ熱帯の風を感じながら、EVでのドライブ自然との調和を教えてくれる。それに、バナナは時には人生の小さな発見をもたらす。バナナの中に隠れた種を見つけた時のように、EVでのドライブ中にも、予期せぬ発見がある。それに、バナナは時には新しい挑戦の象徴にもなる。バナナを食べながら、「次はどんなことに挑戦しようか」と考える。それに、バナナは時には人生の楽園を思い描くキャンバスにもなる。バナナトロピカルな味が、EVでのドライブを南国のビーチへと連れて行ってくれる。それに、バナナは時には心のオアシスにもなる。疲れた時、バナナを食べることで、心にひと時の安らぎをもたらす。それに、バナナは時には新しい自分を受け入れる勇気をくれる。バナナの柔らかさが、変化を受け入れる柔軟性を教えてくれる。それに、バナナは時には人生旅路における休息の時を与える。EVでの長いドライブの途中、バナナを食べることで、ほっと一息つける。それに、バナナは時には新しい友達を作るきっかけにもなる。公園バナナを食べていると、同じくバナナを楽しむ人と友達になれるかもしれない。それに、バナナは時には人生サプライズを運んでくる。バナナを食べていると、思いがけない幸せが訪れることもある。それに、バナナは時には新しい発見を促す探検家にもなる。バナナの味を追求することで、未知の食文化に足を踏み入れることができる。それに、バナナは時には人生の航海図を描く羅針盤にもなる。バナナを食べながら、EVでの次の目的地を決める。それに、バナナは時には心の平和を守る盾にもなる。バナナの甘さが、日々のストレスから心を守ってくれる。それに、バナナは時には新しい自分を育てる土壌にもなる。バナナを食べることで、新しい趣味や興味が芽生える。それに、バナナは時には人生の喜びを分かち合うための道具にもなる。バナナを人と共有することで、共感や喜びを感じることができる。それに、バナナは時には新しい冒険の始まりを告げる。EVでのドライブが終わり、バナナ最後一口を食べると、次の冒険が待っているような気がする。それに、バナナは時には人生旅路における忠実なコンパニオンにもなる。バナナと共に過ごす時間は、EVでのドライブをより豊かなものにしてくれる。それに、バナナは時には新しい自分発見する旅の始まりにもなる。バナナを食べながら、EVでのドライブが新しい自分を見つける旅になる。それに、バナナは時には人生旅路における快適な休憩所にもなる。バナナを食べることで、EVでの長いドライブの疲れを癒すことができる。それに、バナナは時には新しい自分発見する旅の終わりにもなる。バナナ最後一口を食べた時、EVでのドライブが終わり、新しい自分との出会いが待っている。それに、バナナは時には人生旅路における楽しい仲間にもなる。バナナを食べながら、EVでのドライブ楽しい冒険になる。それに、バナナは時には新しい自分

anond:20240511122004

わかります

俺もです。

まり、異性から本能的に求められた経験がない、っちゅうことなんすよね。

俺もないわー。一度たりとも。

言葉を尽くして好意を伝えてね、そんで信頼され、心を開いてもろて、求めたところ受け入れられる、いうんやったらあります、ありますよそりゃ一応。

そういう正規手続きやなくて、

どうしようもない衝動とか、ストレート欲求とか、なんかダイレクトフィジカルガツンっちゅう「求められ」ってあるんでしょ? 知らんけど。

そら知らんですよ経験ないんですもん。

そんなんフィクションだけ? いやそうは思えへんですわ、設定や世界観創作はできても、感情ゼロからは創り出せないでしょ。たぶんそういう心の動きはあるはずなんです。

それを経験したことない、ということは俺の人生に大きな影を落としてますよ、確実に。

そんで俺が愚かなんは、今に至っても

「まだどっかでそういう経験できるんちゃうか」

と思ってもうてるとこなんすわ。

愚かやねー、救いようがない。でもこの愚かさについては諦めてます

2024-05-11

0歳児がいて育休中でそんなママ友とか普通できるか?

そういう設定の世界観なのかがマジでわからん

学校が嫌いだった

から早く大人になりたかった。

でも実際に大人になってみると想像とは違ってた。

大人になっても朝早くに起きて忙しなく支度して急いで家を出て、朝の混んでる電車に乗って会社に向かう。

これ、学校と一緒じゃん。

誰だよ。会社学校と違うって言ったの。

会社学校みたく甘くないっていうけど…それ、そもそも学校で遊んでる人の話だと思う。

学校でもやることをやっていれば会社でもやることは変わらないし、会社でも社内には明確なヒエラルキーがあるし社内恋愛の話を小耳に挟んだりする。

学校と一緒じゃん。

もっと違う世界想像していたのに会社学校からの地続きで、途切れていない世界観だった。

早起きも、朝の混んでる電車にも乗りたくなくて大人になりたかったのに全然変わらない。

会社勤めなんて、ただ時間が長くなった学校みたいでつまらない。

大人になったら楽しくなるなんて嘘じゃん。

これがずっと続くんだと思うと絶望しかない。

2024-05-10

ブルアカアニメの目指す場所さえ感じ取れないてないニワカ・ニセモノ・エアプ・アンチは清渓川で洗礼をして出直しから口を開きな

ブルアカへの怒り

あーマジで見てられね―な。

お前がブルアカのこと好きでもなんでもないことは明白なんだよ。

バ レ バ レ って奴ね。

ブルアカ本質、透き通るような世界観の青を理解していればブルアカアニメが何を目指していたのかぐらい秒で理解できる。

ブルアカが目指していたのは「韓国原産ゲームアニメ化という偉大なる成功体験再現」なんだよ。

韓国ゲーム二次元大国日本文化侵略を繰り返し、その象徴としてアニメ化というゴールへと到達した日々の走馬灯こそがブルアカの見る夢なのだ

原作ゲームを荒削りに再現し、キャラ萌え狂気と闇(ニチャァ)で安易オタクを刺激しようとする牧歌的原色的な平成中期のポップカルチャーをやり直しているわけ。

原作ブルアカOPを聞いた時、君は言いようのない懐かしさを覚えたはずだ。

ブルアカはね、若いオタク青春を味わうゲームじゃないんだよ。

老いオタクたちが、自分たちの夢見ていた青春を思い出すゲームなんだ。

青春を夢見ていた頃の気持ちを共有することで、オタクとしての若々しい情熱を蘇らせてくれるんだ。

ブルアカは決して最新型の体験ができるゲームじゃない。

今風の技術と絵柄を使っているだけで根っこの部分は何十年も前に流行ったような王道楽園美少女動物園だ。

偉大なるキム・ヨンハが目指しているのは、まだ美少女動物園が青々と輝いていた頃を懐かしむことなんだよ。

レッドオーシャンしていくなかで差別化のために迷走を繰り返し、パイを広げていくためにオタク臭の脱臭を図りだす前の時代追憶だ。

彼は未来を見通す賢者ではなく、自分経験によって学んできた歴史課題評価する愚者だ。

愚者であるからこそ、余計な知恵を振りかざさないからこそ、その実直な気持ち受け手の心を捉えるのだよ。

日本カルチャーが忘れた原始的萌え体験を愚直になぞり続けるキム・ヨンハの繰り出した新たな一手こそが、オタク黄金時代風なアニメ化なわけだ。

OPだけやたら気合が入ってて本編の作画はちょいちょい手抜きを感じさせるこの空気、これを懐かしめない奴はブルアカのことを何も分かってねえ。

声優がフルボイスで全部の台詞を読んでくれているだけで嬉しいと思えるかどうかが試されていることが、自分が本当のファンであることを証明してくれる試練となっていると思えねえのか?

ブルアカアニメは俺達に大事気持ちを思い出させてくれたぜ。

このガッカリ来るような気持ちがよ、当たりの少なすぎるガチャのような理不尽さがよ、スコッパーたれと言うが如くの玉石混淆、これが俺達の脳をぶっ壊してきたんだろうが!

☆3が全然引けねえから☆3を同時に引けただけで自慢スクショ取っちゃうような、そんな賭博性が快感大原則なんだよ!

ブルアカアニメから成功して欲しいという気持ちが裏切られたと感じる時、その気持ちに「コレだよコレェ!」となれないような奴がブルアカをいっちょ前に語ってんな。

過酷オナニーとやらでもやってるがいい。

そしてアニメ版エデン条約編の評判の良さを聞きつけて帰ってきてから「クソすぎて途中離脱してたわwwww」と言ったこから炎上して全部のアカウントが凍結されるがいいさ。

anond:20240510103706

だけど欧州だってキリスト教以前はアニミズム多神教世界だったわけだし、ギリシャローマ神話北欧神話などを通じてそういう世界自体結構知られているだろ。他にもケルト神話とか、いわゆるパガン宗教キリスト教以前の異教)とかも今でも伝統が途絶えているわけではないし。

科学的に存在しうるクリーチャー娘の観察日記

面白いんだけど突然フェミニズムについて長々主張し始めてウケた。

本編中でなぜか本当に唐突フェミを煽るような長文がねじまれて(すらすらと語る女とそれを聞いて青ざめる女という分かりやす演出付き)

あとがき手前のおまけページでもしっかり長文でフェミを煽っててなんか急に作者の思想押し付けられた感じになってフェミニストじゃないけどげんなりした。

チンポを押し付けるように思想押し付けないでください!って言葉はこういうのに当てはまるんだろうか…

クリーチャー娘の構造とか作りこまれ世界観とか発明とかけっこうおもしろいしエロくて最高なので読み続けるけど、そこだけうっとおしかった。

anond:20240510055956

■よくある剣と魔法のなろう世界で作る武器アサルトライフル

そうはならんやろ。世界観こわれる

よくある剣と魔法のなろう世界で作る武器アサルトライフル

そうはならんやろ。世界観こわれる

2024-05-09

anond:20240507144022

久美沙織によるノベライズってそんなに良いかな?

ゲームノベライズ (小説に置き換えて表現) したというよりは作家としての感性自由創作しているように見える。

Hameln とか PIXIVかに二次創作として投稿されていても不自然に思わないようなテイストというか。

出来が良いかいかというと間違いなく良いとは思うのだけれどノベライズという感じがしない。

メディアミックス作品というのは本来は全体を統括するプロデューサーがいて、組織の枠組みの中の小説家というのはプロデューサーの構想を形にする技術者だ。

小説家は文章表現についての専門家ではあっても (メディアミックスでは) 世界観ストーリーキャラクター自由に作れる立場ではない。

逆に小説家に大きな裁量権を与えて作られた小説メディアミックス作品とは言えず、二次創作だろう。

個人的には久美沙織公式の許諾を受けた二次創作をしているのであってメディアミックスに関わっているのではないと考えている。

出来の良し悪しで言えば良いというのは重ねて強調しておくけど「ノベライズ」と言うとなんか違うなーという感じ。

2024-05-08

anond:20240508173943

ChatGPTに要約してもらいましA!

我輩は、この度「魔法使いの夜」なる作品について初めて知ることとなった。世間の評判を聞くに、「Fate/Grand Order」における「魔法使いの夜コラボ」は絶賛の嵐とのこと。しかしながら、我輩にはこの企画が甚だ不可解であり、不快まりないものに感じられてならない。

型月の世界観においては、並行世界が枝分かれしており、その先に待つの人類絶滅だという。そこで登場するのが蒼崎青子なる人物だ。彼女は、宇宙移民可能性を秘めた世界を見守る存在とされている。だが、「Fate/Grand Order」の登場人物たちは、宇宙移民など微塵も考えていない。むしろ人類絶滅危機に瀕した状況下でも、異聞帯を巡ることで充実した日々を送っているのだ。

そもそも世界剪定を行っているのは魔法使いサイドではないのか。つまり、彼らはゲーティアや異星の神よりも強大な敵だということになる。彼らは、遠い将来において人類が生き残る世界線を作ろうとしているが、独力ではORTにすら勝てない。そこで、地球を捨て、世界ガチャを回して世界線の育成に励んでいるというわけだ。

このような状況を鑑みるに、我輩は蒼崎青子共感することはできない。むしろ彼女は敵チームの一味だと感じずにはいられない。今回のコラボイベントも、彼女暴走した際に対抗できなければ、上位レイヤーからこの世界線の存続を諦めるよう判断されるのだろう。これは、かつて潰してきた異聞帯を剪定するがごとく、要らぬと判断した上位存在傲慢さを感じずにはいられない。

いかがでしたか

anond:20240508090015

いやあ今のフェミって、それこそ中卒高卒のあまり教養がない半径数十メートルくらいの世界観

スマホポチポチして自分と同じような境遇人間と馴れ合ってるうちに

自分の不遇さや不満を男のせいにする術を学んだ女がなるんじゃないの?

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