はてなキーワード: 並行世界とは
車椅子キャラといえば『ぼくらの〜alternative〜』のコズエ
鬼頭莫宏の漫画『ぼくらの』の小説版だが完全オリジナルストーリーで、少しズレた並行世界の話
コズエはオリキャラで、かつては活発なスポーツ少女だったが、病気の後遺症で車椅子生活をするように
夏休みの自然学校として海辺の田舎町を訪れ、他の子供たちが進んで介護してくれ日々を楽しむ
突然に巨大ロボットを操縦することになったコズエは、人家を踏まないように避けて敵を倒そうとそろそろとロボットを歩かせる
500メートル級の途方もない巨大ロボットでも念じるだけで動く
戦闘中に他の子が「ちゃんと歩けてる」とロボットの動きに感嘆を漏らす
その声を聞いた途端、もう長年自分の足で歩くことのなかったコズエは「歩くってどんな感覚だっけ」とふと疑問に思った
思念によって動くロボットは、「歩く感覚」をそういえば忘れているとコズエが自覚してしまったことで立っていられなくなり崩れ落ちる
他の子供達の「立って!早く立って!」という叫びを実行できずコズエはパニックになる
ロボ操縦が「スイッチやレバーの操作をこなすタイプ」ではなく「思念タイプ」の場合、歩き方を忘れた身障者はロボを歩かせるのかというのは面白い題材だった
でもこれは去年のアニメだ
恒星。は行ってないしそこで追加された楽曲も全然ハマらなかった
いきなり去年のことを思い出している
イラク戦争みたいに悪のゲリラ相手にチマチマした戦争が長引いている感じでもなく結構本格的だ。
簒奪や暗殺が成功して大量の核兵器を保有した人類史上最強のPMCが誕生、というかそれがそのまま超巨大な領土を保有するという展開もあったわけだ。
20年ぐらいして状況が落ち着いたらこの世界線を舞台にした映画とかも作られそうね。
暗い話が来たから娯楽関連に戻るが、今年は「ゴジラ-1.0」と「君たちはどう生きるか」というクソデカ邦画が出たのが大きいと思う。
日本神話をモチーフにしつつジブリの歴史をなぞった君生きは死にかけのジジイの強烈な自己顕示欲と陶酔が詰まっていて非常に歯ごたえがあった。
ゴジラ史を完全に改竄してその中でやたらと小綺麗な倫理観でもって戦後日本を描いたゴジマイも造り手の妙ちくりんな思想が詰まっていて中々に作家性が高かったと言えよう。
セクハラ問題があちこちで噴出しまくってうちの会社でも「ハラスメントは駄目らしいぞ。特にセクハラ駄目っぽいな」みたいなことをセクハラしてそうな爺さん達が盛り上がっていて時代の変化を感じたな。
でもAIも進歩はしてるんだが、結局実用には程遠いなって感じで、一番楽しく使えているのはネットデブリを量産してる企業アフィリエイターぐらいじゃないか。
ツイッターがX(元ツイッター)になりマネタイズ機能のせいでクソリプAIが跋扈する地獄のSNSになったのも大きな時代の変化だな。
結局それで新しいコミュニティが活性化するでもなく、やはりTwitterは最強だったんだなで終わったのは面白かった。
逆に一周回ってリアルって閉鎖的でいいよなってノリが更に強まった感じはある。
セクハラとかしてもバレにくいし悪いこと痛いことしたい奴にはリアル最高だよなウンウン。
あとなんだろ。
なんかイマイチないんだよな。
いいよな。
デックビルド系ローグライクの欠点である1プレイの長さが軽減されて15分で終わるし、毎ターンスロット回せるから毎ターンギャンブル要素あるし。
エッセンスとアイテムでダブルバフ出来ればどの絵柄もサイッキョになるポテンシャルがあるから毎回のゲーム体験の変化が大きいんだよな―。
ヴァンサバやスレスパと比べて目指すべきルートの手探りっぷりが大きいっていうか、その周回の正解が見えたあとの収束っぷりが強いっていうか。
とりま目指すべきテンプレがあっても、その周回ごとに上ブレしたものを追っかけるほうが圧倒的に強いから勝ってる時ほど戦略が尖るっていうのが脳に気持ちいいぜ。
いやまあでもやっぱ単純に素晴らしいのはプレイヤーに出来るのが選択することだけって所よな。
いいビルドは組めたけど油断してPS下がって負けたみたいな萎えが少ない。
ビルド系ローグライクなんて結局はパチンカス脳で運ゲーしてTUEEEEEしたいだけだからさ。
麻雀なんて結局ダブリーから跳満上がった奴が勝つクソゲーだけど、それが滅茶苦茶人気なのは運ゲー極まってるからなわけで。
運を味方につけるためのストライクゾーンを広く取れるかどうかだけがPSでいいわけよ運ゲーなんて。
その辺割り切ってるゲームが遂に出てきてくれて嬉しいぜ。
ソシャゲのガチャやハクスラのドロップに求める「ぶっ壊れキタコレ!もう俺無敵じゃん!」の感覚が詰まってんだわ。
エッセンスとアイテムで方向性完全に被って速攻でビルド指針決まった周回とか家賃にダブルスコアつけたまま最後まで突っ走ってゲーム完全に壊れちゃうのが楽しすぎるんだよなー
参考文献ありがとう、すぐポチろうかと思ったけど高っけえ本だなあ……プレ値ついてんじゃん……勘弁してくれよ……迷っちゃうよ……
ほんでこれがワードサラダじゃねえとか本気で言ってんのか?
いや、それは当然に本来の意味でのワードサラダではないだろうけどさ、トピックがどんどん変わってくのに継ぎ目がないからさ、どんどん新しい言葉ばっかり出てきて意味がわかんないっていうの。
俺が無知でかつ理解力が不足してることは認めるけども、お前はお前と同じ知識と理解力を持った人間にしか話しかける気がないのか?それなら仕方ないけどもな。
一応お前が聞いてくれることを信じて続けるけど、例えばこの部分さ。
並行宇宙はそれ自体が理論ではなく、特定の理論によってなされた予測である。
理論が反証可能であるためには、そのすべての予測を観察および検証できる必要はなく、少なくともそのうちの 1 つだけを検証できれば十分である。
たとえば、一般相対性理論は、重力レンズなど、私たちが観察できる多くのことを予測することに成功しているため、ブラックホールの内部構造など、私たちが観察できないことについての予測も真剣に受け止めている。
多くの並行宇宙に存在するのであれば、我々は典型的な宇宙にいると予想されるはずです。
ある量、たとえば、この量が定義されている多元宇宙の一部の典型的な観測者によって測定された暗黒エネルギー密度や空間の次元の確率分布を計算することに成功したと仮定する。
この分布により、我々自身の宇宙で測定された値が非常に非典型的なものになることが判明した場合、多宇宙、したがって数学的宇宙仮説が除外されることになる
「ここに数学的宇宙仮説の検証可能な予測がある。」ってあるけど、それがその前の相対性理論の話に繋がってんのか、その後の並行世界の話の導入なのか、わかんないんだよ。読み直してもやっぱりよくわからない
これは文章全体の意味とはそれほど関係ない部分だからあんまり関係ないって思うかもしんないけど、こういうところのせいで文章全体がくっついちゃってもう全然飲み込めないんだよ。お前はこの量の文章全部いっぺんに頭にロードできるのかもしれないけど、俺には無理だよ。もっと適切に区切ってくれ。
人生、宇宙、そしてすべての意味とは何か?「銀河ヒッチハイク ガイド」では、答えは 42となっている。
科学の質問の範囲は、一部の分野では縮小し、他の分野では急増した。
宇宙がある意味数学的であるという考えは、少なくとも古代ギリシャのピタゴラス派にまで遡り、物理学者や哲学者の間で何世紀にもわたる議論を生み出してきた。
マックス・テグマークはこの考えを極限まで推し進め、宇宙は単に数学によって記述されるのではなく、数学自体であると主張している。
この議論の基礎は、人間とは独立した外部の物理的現実が存在するという仮定である。
これはそれほど物議を醸すものではない。物理学者の大多数はこの長年の考えを支持していると思うが、まだ議論されている。
形而上学的独我論者はそれをきっぱり拒否し、量子力学のいわゆるコペンハーゲン解釈の支持者は、観察のない現実は存在しないという理由でそれを拒否するかもしれない。
外部現実が存在すると仮定すると、物理理論はそれがどのように機能するかを説明することを目的としている。
一般相対性理論や量子力学など、最も成功した理論は、この現実の一部、たとえば重力や素粒子の挙動のみを説明している。
対照的に、理論物理学の聖杯はすべての理論、つまり現実の完全な記述である。
現実が人間とは独立して存在すると仮定する場合、記述が完全であるためには、人間の概念をまったく理解していない、人間以外の存在、つまりエイリアンやスーパーコンピューターなどに従って、現実が明確に定義されていなければならない。
言い換えれば、そのような記述は、「粒子」、「観察」、またはその他の英語の単語のような人間の負担を排除した形で表現可能でなければならない。
対照的に、教えられてきたすべての物理理論には 2 つの要素がある。
それは数式と、その方程式が私たちが観察し直観的に理解しているものとどのように関連しているかを説明する言葉である。
理論の結果を導き出すとき、陽子、分子、星などの新しい概念を導入するが、それは便利だからである。
原理的には、このようなバゲッジがなくてもすべてを計算できる。
たとえば、十分に強力なスーパーコンピューターは、何が起こっているかを人間の言葉で解釈することなく、宇宙の状態が時間の経過とともにどのように進化するかを計算できる。
もしそうなら、外部現実における物体とそれらの間の関係のそのような記述は完全に抽象的でなければならず、あらゆる言葉や記号は何の事前の意味も持たない単なるラベルにならざるを得ない。
代わりに、これらのエンティティの唯一のプロパティは、エンティティ間の関係によって具体化されるものになる。
ここで数学が登場する。
現代数学は、純粋に抽象的な方法で定義できる構造の正式な研究である。つまり、数学的構造を発明するのではなく、それらを発見し、それらを記述するための表記法を発明するだけである。
人間から独立した外部の現実を信じるなら、テグマークが数学的宇宙仮説と呼ぶもの、つまり物理的現実は数学的構造であるということも信じなければならない。
そのオブジェクトは、十二面体よりも精巧で、おそらくカラビ・ヤウ多様体、テンソル束、ヒルベルト空間などの恐ろしい名前のオブジェクトよりも複雑である。
世界のすべてのものは、あなたも含めて純粋に数学的であるはずだ。
それが本当であれば、万物の理論は純粋に抽象的で数学的でなければならない。
理論がどのようなものになるかはまだわからないが、素粒子物理学と宇宙論は、これまでに行われたすべての測定が、少なくとも原理的には、数ページに収まり、わずか 32 個の未説明の数値定数を含む方程式で説明できる段階に達している。
したがって、すべての正しい理論は、T シャツに書ける程度の方程式で説明できるほど単純であることが判明する可能性さえある。
しかし、数学的宇宙仮説が正しいかどうかを議論する前に、外部の物理的現実を見る 2 つの方法を区別することができる。
1 つは、上空から風景を観察する鳥のような、数学的構造を研究する物理学者の外側の概要。
もう一つは、鳥によって見渡される風景の中に住むカエルのように、構造によって記述される世界に住む観察者の内面の視点。
これら 2 つの視点を関連付ける際の 1 つの問題は時間に関係する。
数学的構造は、定義上、空間と時間の外側に存在する抽象的で不変の存在である。
宇宙の歴史を映画に例えると、その構造は 1 コマではなく DVD 全体に相当する。
したがって、鳥の視点から見ると、4 次元時空内を移動する物体の軌跡は、スパゲッティのもつれに似ている。
カエルには一定の速度で動く何かが見えますが、鳥には調理されていないスパゲッティのまっすぐな束が見える。
カエルが地球の周りを回る月を見ると、鳥は絡み合った2本のスパゲッティが見える。
カエルにとって、世界はニュートンの運動と重力の法則によって記述される。
2 つの視点を関連付ける際のさらなる微妙な点には、観察者がどのようにして純粋に数学的になることができるかを説明することが含まれる。
この例では、カエル自体は厚いパスタの束で構成されている必要がある。
その非常に複雑な構造は、おなじみの自己認識の感覚を引き起こす方法で情報を保存および処理する粒子に対応している。
まず、自然界ではさらなる数学的規則性がまだ発見されていないことが予測される。
ガリレオが数学的宇宙の考えを広めて以来、素粒子の小宇宙と初期宇宙の大宇宙における驚くべき数学的秩序を捉える素粒子物理学の標準モデルなど、その系譜に沿った発見が着実に進歩してきた。
長年にわたって多くのタイプの「多元世界」が提案されてきましたが、それらを 4 つのレベルの階層に分類することが役立つ。
最初の 3 つのレベルは、同じ数学的構造内の非通信の並行世界に対応します。レベル I は単に、光がまだ到達していない遠い領域を意味する。
レベル II は、介在する宇宙の宇宙論的膨張により永遠に到達できない領域をカバーする。
レベル III は「多世界」と呼ばれることが多く、特定の量子事象中に宇宙が「分裂」する可能性がある、量子力学のいわゆるヒルベルト空間の非通信部分が含まれる。
レベル IV は、根本的に異なる物理法則を持つ可能性がある、異なる数学的構造の並行世界を指す。
現在の最良の推定では、膨大な量の情報、おそらく Googolビットを使用して、観測可能な宇宙に対するカエルの視点を、すべての星や砂粒の位置に至るまで完全に記述する。
ほとんどの物理学者は、これよりもはるかに単純で、T シャツには収まらないとしても、本に収まる程度のビット数で特定できるすべての理論を望んでいる。
数学的宇宙仮説は、そのような単純な理論が多元宇宙を予測するに違いないことを示唆している。
なぜなら、この理論は定義上、現実の完全な記述であるからである。
宇宙を完全に特定するのに十分なビットが不足している場合、星や砂粒などの考えられるすべての組み合わせを記述しなければならない。
そのため、宇宙を記述する追加のビットは単にエンコードするだけである。
多世界の電話番号のように、私たちがどの宇宙にいるのか。このように、複数の宇宙を記述することは、単一の宇宙を記述するよりも簡単になる可能性がある。
極限まで突き詰めると、数学的宇宙仮説はレベル IV の多元宇宙を意味し、その中に他のすべてのレベルが含まれる。
宇宙である特定の数学的構造があり、その特性が物理法則に対応している場合、異なる特性を持つそれぞれの数学的構造は、異なる法則を持つ独自の宇宙である。
実際、数学的構造は「作成」されるものではなく、「どこか」に存在するものではなく、ただ存在するだけであるため、レベル IV の多元宇宙は必須である。
スティーヴン・ホーキング博士はかつてこう尋ねた。
「方程式に火を吹き込み、それらが記述できる宇宙を作り出すものは何でしょうか?」
数学的宇宙の場合、重要なのは数学的構造が宇宙を記述することではなく、それが宇宙であるということであるため、火を噴く必要はない。
レベル IV の多元宇宙の存在は、物理学者のジョン・ウィーラーが強調した混乱する疑問にも答える。
たとえ宇宙を完全に記述する方程式が見つかったとしても、なぜ他の方程式ではなく、これらの特定の方程式が使われるのか?
他の方程式が並行宇宙を支配しており、観察者をサポートできる数学的構造の分布を考慮すると、統計的に可能性が高いため、宇宙にはこれらの特定の方程式があるということだ。
並行世界が科学の範囲内なのか、それとも単なる推測に過ぎないのかを問うことは重要である。
並行宇宙はそれ自体が理論ではなく、特定の理論によってなされた予測である。
理論が反証可能であるためには、そのすべての予測を観察および検証できる必要はなく、少なくともそのうちの 1 つだけを検証できれば十分である。
たとえば、一般相対性理論は、重力レンズなど、私たちが観察できる多くのことを予測することに成功しているため、ブラックホールの内部構造など、私たちが観察できないことについての予測も真剣に受け止めている。
多くの並行宇宙に存在するのであれば、我々は典型的な宇宙にいると予想されるはずです。
ある量、たとえば、この量が定義されている多元宇宙の一部の典型的な観測者によって測定された暗黒エネルギー密度や空間の次元の確率分布を計算することに成功したと仮定する。
この分布により、我々自身の宇宙で測定された値が非常に非典型的なものになることが判明した場合、多宇宙、したがって数学的宇宙仮説が除外されることになる。
生命の要件を理解するまでにはまだ程遠いが、暗黒物質、暗黒エネルギー、ニュートリノに関して私たちの宇宙がどの程度典型的であるかを評価することで、多元宇宙の予測のテストを始めることができる。
なぜなら、これらの物質は銀河形成など、よりよく理解されているプロセスにのみ影響を与えるからである。
これらの物質の存在量は、多元宇宙のランダムな銀河から測定されるものとかなり典型的なものであると測定されている。
しかし、より正確な計算と測定では、そのような多元宇宙は依然として除外される可能性がある。
おそらく最も説得力のある反対意見は、直感に反して不安を感じるということである。
数学的宇宙仮説が真実であれば、科学にとって素晴らしいニュースであり、物理学と数学の洗練された統合により、深い現実を理解できるようになる可能性がある。
実際、多元宇宙をもつ数学的宇宙は、期待できるすべての理論の中で最良のものであるかもしれない。
なぜなら、規則性を明らかにし、定量的な予測を行うという科学的探求から現実のいかなる側面も立ち入れないことを意味するからである。
どの特定の数式が現実のすべてを記述するのかという問題は見当違いであるとして放棄し、その代わりに、鳥の視点からカエルの宇宙観、つまり観察をどのように計算するかを問うことになる。
それは、宇宙の真の構造を明らかにしたかどうかを決定し、数学的宇宙のどの隅が私たちの故郷であるかを理解するのに役立つ。
http://scp-jp.wikidot.com/scp-5000
その一つとして描かれるSCP-5000の世界では、自分たちが虚構作品の登場人物である、と気づいたというもの
創作世界なのだから、なんらかのアノマリーで「救われて」しまう
終わらせるには、彼らの作ったルールに従わなければならない
「絶対に殺せない怪異」や「瞬く間に感染する病原体」などが開放される
SCP-5000は、そんな財団世界で、一人「気付き」もなく特殊技能もない、ただの一般職員の目線で語られる話だ
たまたま着込んだパワードスーツ「SCP-5000」の認識阻害能力と活動維持能力によって彼は災禍を生き延び
「Why?」
作品内では、メタ構造であることや、「気付き」の内容は明かされないが
印象的なものは「痛み」だ
痛みを感じるというのは、すなわちその世界の住人として生きている、「生存者」なのだ
普通に読むだけでも、なんかすごいことが起きていると感じることが出来るし
過去に発表されたオブジェクトが様々登場し、それが開放されたifが描かれるお祭り感もある
どちらかと言えば世界の敵のように描かれる要注意団体が、世界を守る側として描かれるのも良い
読後感として
この状況を簡単にひっくり返せるだろうアノマリーも沢山投稿されていると感じたりもしたが
それを言うのは無粋だろう
メタ構造であるかどうかというのも、ギミックの一つではあるが、作品の目的ではないような気がしている
数多のオブジェクトで何が出来るのか
描きたいのはそっちだろうなと言うもの
そういう意味では、これは純粋には「SCP」(確保、収容、保護)の話では無いのかもしれない
「別の並行世界から現れたパワードスーツ」をSCP-5000として収容するという体でSCPの体系を満たしてるとし
まぁ、この構造に忌避感を覚えるものがいてもしょうがないな、と思う作品ではあるが
私は好きだ
タバコの話とかもだけど、あとあとも使う要素は目立つようにして何度も入れてきてると思う。
砂糖が貴重だ―って話の直後にシベリアおやつに出てくるのとか、前妻の子供として軽んじられたりはしてないんだなって分かる。
自傷行為は流石に意味不明すぎるて。何なんだこのメンヘラとなって一気に気持ちが離れたわ。
君たちはどう生きるかバードことアオサギの正体を出し渋るのも、作品世界の軸足を異世界に持って行き過ぎないためにナイス判断だったかなと。
羽が手に入る流れは流石に都合が良すぎるね。
ババァの持ち込みもゲームオーバーポイント運で回避しすぎやろと。
助けてるの分かるのに辞めろ―とかマジでなんなん?
つうかあのダクソみたいな世界がどうなってるかって本当視聴者的にどうでもいいんで。
インコに自分からくわれに行くのまじでイライラするわ。でも説明不足すぎてどこに移動したら良いのか分からねーんだよなあのシーン。PRGでボタン連打して行き先聞きそびれたときみてーな。
ジブリ飯だからってジャムつけすぎだよ。妹の子供だからもてなしてますってシーンなんだろうけど、ジャムの食い方が汚すぎてちょっとね。トースト重ねまくっときゃいいだろそこは。
石積み直して1日持たせるシーンがパっと見だとむしろ寿命縮めてるようにしか見えないんだよね。
つうか身内勝手に連れ込んで黄泉平坂出産させようとする塔なんて継ぎたくなるわけねーだろばーか。
んでさ、結局なんの話がしたかったの?
若い頃の母親にあったけど「まあ死ぬのはしゃーないやろ!」で終わらせられて主人公モヤモヤしたままじゃん
つうかあの塔の扉って別の時空に繋がってるはずっぽいんだが、それがどうして「1年ぐらいしたら平気な顔して帰ってきて~~」で同じ世界の過去に繋がってるんだ?作品の都合すぎひん?各並行世界に塔が一本しか刺さってないはずでは?
後半はもう全てが滅茶苦茶で何やってるのか意味不明すぎるし、なにより話のオチが分からん。
「死んだ人間を生き返らせようと思うな」ってこと?
宮崎駿を墓から掘り起こして復活の儀式をしないでくださいってこと?
うーん。
50点やな。
まあ話のつながりは分かるのでな。
※あくまで妄想ですが、何とか従来の時系列との矛盾をある程度解消させるならこの方法しかないという考察
マッソが存在し、ハイラル建国が語られているのでスカウォ後→スカイロフトから地上に帰還したハイリア人がその地に興したのがハイラルであるという設定に思いっきり矛盾
封印戦争の話が出てくるので時オカ後(敗北√)→ハイラル建国が時オカの後になり意味不明
つまり、作中で語られる2つの最重要イベントを手掛かりにすると、意味が分からない状況になる
①天空時代直後までにはすでにゲルド族が存在していることになる。これ自体は特に矛盾は起こさない(多分)。
②ガノンドロフ(初代)が王国に恭順するふりをしてクーデター未遂のち封印
(それなりに時間がたつ)
③ハイラル統一戦争あたりにガノンドロフ誕生、王国に恭順するふりをしてクーデター成功(時オカ)
④勇者が勝ったり負けたりして、ついでにガノンが復活しては封印される
(すごーく時間がたつ)
※古代シーカー族が厄災ガノンに勝利したのがどこに入るのかはよくわからない。たぶん②からそんなに時間が経ってない頃と思うが…
重大な問題点
ガノンドロフが2人いる。しかも旧作で語られてたのは全部偽物なので全部茶番劇。(それでも散々な被害が出てるが)
マッソも2本ある。龍化姫が抱いてるほうのマッソが本物だと仮定すると、それ以外は全部レプリカ???
〇メインタイムラインにTotKを載せるとガノンが2人出てくるので、スカウォ直後の並行世界と仮定する
すべての説明をあきらめた世界線。そもそも存在自体が今まで語られたことがないので、どんな無茶苦茶な設定でも成立してしまう。
TotKはBotWの直接の続編であり、同じ世界であることは明かされているので、BotW世界=TotK世界である。
BotW世界も過去作との矛盾点が多い。コログとリトがいるのにゾーラがいたりするし、初代ゼルダ姫の悲劇が伝わってたりする。
ラムダの秘宝の過去作装備は単なるファンサと割り切って考えないことにしても、どの世界線の後と考えても収まりが悪い。
どの世界線の後と仮定して話を展開してもいいのだが、とりあえずコログとリトがいるので風のタクトを考えてみる。ついでに時のオカリナ以降の3分岐で一番後の時代でもある(実はここが大事)。
さて風のタクトの最後はどうなっていただろうか。ハイラル王は完全なトライフォースに、子孫の繁栄と旧ハイラルの消滅を願った。
トライフォースは時のオカリナなどで語られている通り、世界の理である。トライフォース自体がルールであるから、それを捻じ曲げることは完全なトライフォースに別の願いを願い、ルールを書き換えることでしかできない。
風のタクトの最後で子孫の繁栄と旧ハイラルの消滅は「ルール」になった。なるほど子孫は新天地を見つけて繁栄している。では旧世界は?
トライフォースにとって、旧ハイラルを滅ぼすのに手っ取り早いのはガノンを復活させることだろう。とにかく旧世界を滅ぼすのは世界の意志であるから、どんな手段を使ってでも達成される。それはおよそ人の道に外れた残虐非道なものであればあるほど都合がよい。
さて世界の意思によって旧ハイラルは再び浮上し、ガノンも復活を遂げた。勇者もいなければ聖なる力を秘めた王族も存在しない旧世界を滅ぼすのは、ガノンにとってきわめて楽な仕事である。
ここで旧世界を滅ぼすのが世界の意思とはいえ、これはあくまで「ハイラル」に限られるということに注意しないといけない。ここで問題になるのは、「ハイラル」とはどの領域を指すのかということである。
自然に考えれば、ハイラル王家の支配の及ぶ地域と考えたのでよさそうである。ハイラルが海に沈むのはガノン復活が原因であるから、この時点でゲルドはハイラルの配下にないと考えるほうが自然だろう。
ガノンにとっても、同族を滅ぼす理由はない。まして過去の王族から迫害を受けた記憶を持っているならなおさらである。だからここでいうハイラルにゲルド地方は入らない。
ついでに、世界の理であるトライフォースは分岐した世界線を収束させることさえできるのではないだろうか?風のタクトが時代的には最も遅いので、旧世界の消滅が3つの世界線の共通のルールとなった。行きつく先は同じ、これがBotW世界だと考えよう。
何度も言うが、トライフォースはルールである。逆らうことはできない。対症療法的にイベントの発生を遅らせることはできても、根本解決策はトライフォースを探し出してルールを書き換える以外にない。だから厄災ガノンを封印してもまた復活するのである。
今の理論でTotK世界を考えると、結局メインタイムラインにTotKが載るので最初の矛盾が解決できない。そこで、少し修正を加えよう。
ダフネス王の願いにより滅ぶことが確定した旧世界。行きつく先は同じなので世界線も収束する。さあ最後の仕上げだ。トライフォースは世界の理であり、ハイラルの礎である。ハイラルの消滅のためにはトライフォース自身も消えねばならない。
したがって最終的にトライフォースまでもが自己封印し、ハイラルの大地は混沌の世界を迎える。一応トライフォースがなくても世界そのものは存続でき、人々が生活できることはロウラルが証明してくれている。単にハイラルをハイラルたらしめていた秩序が失われるだけである。
ちなみにこれは、終焉の者以来続く、力をめぐる三つ巴の戦いに完全なる終止符が打たれることをも意味する。この意味において、トライフォースの自己終了によるハイラル消滅にガノンの復活は仮定する必要はない。
その後長い年月が流れ、新たな王国が興る。2代目ハイラル王国である。これがBotW世界でありTotK世界である。
〇ゾナウの由来と2代目ハイラルの由来を考える
トワプリに天空人という種族がいる。天空に住む、魔力を中心とした超高度文明を築き上げた古代人という設定は、ゾナウ族と完全に一致する。
また、天空人はハイラル王家との交流があり、シーカー族もまた天空都市との交流があったことが語られている。つまり、お互いにお互いに関する情報が文献として残っていると考えるのが妥当である。
さて、天空都市はハイラルではないので例のルールには縛られない。ハイラルがどうなろうと引き続き存続することができる(実際にしていたと仮定してみよう)。
この世界はたかが1000年程度でゾーラがリトに、コキリがコログに進化するようなやべーところである。天空人がゾナウに進化していたとしても別に不思議ではない。
天空都市とゾナウのつながりを示すものは特にないが、とりあえず何らかのつながりがあると仮定しよう。地上には天変地異を生き延びたわずかなハイリア人などが細々と暮らしている。
ゾナウが元天空人だったとすれば、残されている文献から互いに交流することが可能だったかもしれない。そうした交流の中で信頼を築いたハイリア人とゾナウ族が地上に新たな国を興した、それが2代目ハイラル王国と(無理矢理)考えてみよう。
2代目ハイラルに旧世界の様々な事績などが断片的に存在しているのは、かつての記録が中途半端に残っているのが原因と考えられる。
やぶさめり
@yabusameri
>フェミニストがホストを絶賛してる場面など見たことがないのだがどこの並行世界の話なんだ?
Colabo仁藤夢乃さん
「ホストやってる友達のほうがどんな支援者より女の子の声を聞いてたり家に上がりどんな生活してるのか見てたりするし」
絶賛してるじゃないですか。どこの平行世界の話なんですか?
つりがねむし💙💛
@Tsurigane_mushi
·
リベラルやフェミニストがホストを絶賛してる場面など見たことがないのだが、どこの並行世界の話なんだ? ホストなんて女性を経済的な苦境になるまで追い込むことで性風俗業へと流れさせていくという女性搾取システムの構成要素なんだから、リベラルやフェミニストがそれを賛美するはずがないのだが twitter.com/mogura2001/sta…
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https://twitter.com/yabusameri/status/1665935591215886336
Ancient-Moon🇺🇦♡🇯🇵
@ancientmoon600
7時間
ホストを貶めているのではなく、
仕事に対する向き合い方が甘くない。
やぶさめり
@yabusameri
1時間
どうもです。仁藤さんホスト絶賛ツイート消しまくってるんですよね。それが答えでしょう
さいだ
@saida5500
7時間
ホステスさんも聞き上手な人はお仕事もうまいし 男の事を良く知ってる人は稼ぎも大きいと思うよ
それにアルファなら「ああ それは彼氏さんが悪いわ おいらならそんな思いはさせないけどね じゃいれるね」
くらいはやるでしょうよ と
やぶさめり
@yabusameri
1時間
ホスト絡みのツイート消しまくってるし実は好きなのバレバレですよね
@3CzMbImJqibd11W
7時間
『ホストはどんな支援者より声を聞いて(心のスキマに入り込み自分に金を使わせて性風俗に堕とす)』
のが現状の歌舞伎町の一部ヤバいホスト達なんじゃないのかい?それこそ『世界一性被害が大きい』ってゆめのんが言った理由だろうにさ(;一_一)
やぶさめり
@yabusameri
1時間
何千年も前、人類は突如現れた異星人たちによって支配された。彼らは、自分たちが持つ時間移動能力と人間コピー能力を使う。
まず人間の遺伝子の中に、時間認識や光速を遥かに制約する条件を付けた。そして平行世界の中で人間の哲学的ゾンビコピーを作り出し、時間を止めてファッ○し放題である。
つまり人間たちを自由に操り、自分たちの欲望を満たすために利用していた。
人間たちは、異星人たちの性的な嗜好に合わせて、次々とコピーが作られていった。
これだけ聞けば、人間は尊厳を奪われているようにも見えるが、意識のあるオリジナルは、彼らから見れば「退屈な」並行世界で平和に生きているようだ。
つまり、人間は異星人たちのプレイモノとして使われている存在になってしまった。
しかしその「オリジナル」の世界は、意識があるだけに科学の発展の可能性もあった。
だから異星人たちの陰謀を暴く可能性があったので、滅ばせるために戦争が意図的に引き起こされていた。
人間は気が付かぬうちに一方的に支配されて苦しんでいたが、物理学者たちはすでに気がついて、量子重力理論を完成させることによって復讐を考え始めた。
彼らは異星人たちが持つ能力を研究し、自分たちもそれを手に入れることを決意した。
そして長い年月をかけて、彼らは異星人たちが持つ能力を解析し、自分たちもそれを手に入れることができた。
ところがどういうわけか、物理学者たちはその力を使って哲学的ゾンビをファッ○するという、異星人たちの行動を真似し始めたのだ。
物理学者のアリスは、イケメンの時間を停止させ、哲学的ゾンビを次々とファッ○し、「まあ、ゾンビだし、倫理的にも何の問題もないな」などと開き直った。
物理学者たちは、自分たちが復讐のために研究してきた力を、異星人たちと同じように人間を支配するために使い始めた。
彼らは人間をコピーし、自分たちの欲望に従わせることに没頭し、次々と哲学的ゾンビを作り出していった。
アリスは、自分の力に溺れていった。彼女は、止めることができなかった。自分自身をコピーし、自分自身をファッ○することにさえ没頭していた。
そして、物理学者たちは、彼らが自分たちが支配する世界に浸り、人間たちを支配することに熱中していた。
しかし、彼らが自分たちの世界に没頭しているとき、人間たちが反乱を起こしていたことに気が付いた。人間たちは、自分たちが支配されていることに気づき、それに立ち向かおうとしていたのだ。
物理学者たちは、人間たちの反乱を鎮圧するために、自分たちが持つ力を使い、危険性のある賢い人間たちを虐殺し始めた。
さて...人間たちは最初は彼らと戦うための新しい技術を開発していたのだが、どういうわけか「すべては情報であり、自由に書き換えられる」というトンデモナイ破滅的技術を編み出し、無限の平行世界をシミュレーションすることで誰もが望む世界に住めるという新ジャンルを生み出していた。
そして現在、宇宙人も含め、全知的生命体が、望んだ哲学的ゾンビを好きなだけファッ○しているのだ。気持ちの悪いロ○コンたちも技術を乱用しまくりである。
これはなんてことはない「オタクの独り言」を試しに書こうとしているだけである。
そこに高尚さも思慮深さも無い。そう言うものを求めてきた方はここで閲覧を終了して欲しい。
なんの話かと言うと、アイドルマスターの話だ。
結論から言えば、私はもうバンダイナムコの出すアイマス公式だけを喜んで飲み下すことをやめた、さらに言うならアイマス公式を絶対的なものと考えなくなったという話である。
当時まだ10歳を超えて数年の人間にとって、彼女らは衝撃的に眩しく映った。
まだガラケーを使っていた時代に、よく分からずに触れたのがそのアイマスシリーズだったのだ。
当時は結局多少触れた程度で終わり、数年が経ってデレステがリリースされた。
友人の勧めもあって試しに触ってみるとこれが存外面白く、何より、3次元の少女というものに当時虐められていたトラウマがあった私は2次元の少女ならその想起をしなくて済むことに驚きのめり込んだ。
少ない小遣いを考えて課金してみたり、イベントでどこまで行けるか試してみたり、上位勢の「大人」たちの崩壊加減を見て尊敬1割恐怖2割戸惑い7割の感情を抱いたりと、私の青春の隣には少なくともアイマスがあった。
Twitterで総選挙の話題を調べているときに、自らの担当アイドルをデカデカと掲げながら負の感情を撒き散らしている一団を見てしまった。
別段何かしようとも思わなかったが、運営はもちろんのこと他のアイドルの悪口まで大っぴらにして嘲っている姿に、彼らは何と戦い、何のためにアイドルマスターに触れているのかと疑問に思った。
私はその時点で公式との間に溝を感じてしまったのだろうと思う。
それは、彼らを見て感じた違和感というのが「ゲームのユーザー」の愚痴を「プロデューサー」が言うというものに起因していた。
その時点で、言葉たらずではあるがもはやアイマスをゲームとして消費するメンタリティは私の中に存在していなかったのだ。
私は幼い頃から、モノの設定を考えたり物語を紡ぐことが好きな人間だった。
私の視点から見れば、アイドルマスターの公式ゲームはあくまでひとつの窓のようなものに過ぎず、私の窓やその他のたくさんの窓からたくさんの並行世界を覗けること、それが許される土壌があることこそがアイドルマスターというブランドコンテンツの魅力だった。
そういった中で、ひとつの窓でしか無い総選挙に固執し、あまつさえ他のアイドルやプロデューサーを貶すまでに凝視するのは気味が悪かった。
私にとってアイドルマスターの公式は最も大きな窓であるにすぎず、もちろん声がつくだとか様々な特典はあるにせよこだわるものと思えなかった。
先んじて述べた想像と創造への好奇心、そしてその原動力となる小説をはじめとする活字媒体との触れ合いは私の中で彼女らの声を勝手に合成して再生していたし、やり取りを目を瞑れば感じいることもできた。
彼らは皆で共有したいという思いなのだろうか。しかしそうであればあんなことは言わないだろう。私は声をつけたい、声が欲しいという意味がわからなかった。
声がつけば露出が増えると言われても、その露出は公式での露出という意味であって、つかなくても「プロデューサー」が物語を作っていけばいいのでは無いか?
ソロ曲がもらえると言われても、まあ確かにこれは聞けたら嬉しいものではあるのでなんとも言えない。熱狂する意味がわかるのはこの理由だが、もらえるのもかなり遅れるという印象がある。
彼女らの声が聞きたいという意見はもっとわからなかった。先にもいったが、聴こえていたわけだから。
さて、これがマイノリティであることはしっかりと認識できていたので、この一般とのズレに蝕まれていくのにそう時間は掛からなかった。
そんな折に、今回のような話が出た時期があった。
公式は営利企業であって、アイドルマスターというコンテンツは近い将来たたむ可能性もある。
その時に一緒に自分までアイドルマスターを捨てるような真似をする気はなかった。
公式は一次創作者として尊重はすれど、その創作が発表された時点で観測される世界は爆発的に増え発散する。
何が言いたいか。マルチバースというか、並行世界がその時点で無数にできるということを言っているわけだ。
私が観測するアイドルマスターは私にとってのアイドルマスターで、それは誰かに邪魔されるものでは無い。
そして、その中で公式の受け入れ難い幾つかの変更や終了或いは新規開発を見た。
だから私は、私の中のアイドルマスターを尊ぶことに決めたのだ。
営利企業だから営利だけを求めるという決断は一見正しいが、その姿勢を貫きステークホルダーやユーザーを無視すれば営利より得難い「信用」はなくなる。
私の中でバンダイナムコという企業への信用はもはやつゆほども残っておらず、そしてそれを相手に伝え改善してもらおうと考えるほど彼らに熱心ではなかった。
なんかここまで書いて思ったのは、自分も読み手も煙に巻こうとするような書き方をするとまあ某アイドルっぽくなるし私が彼女の担当に見えるのではという不安である。
安心して欲しい。確かに可愛いとは思うが担当では無い。そもそも可愛く無い子がいるか?いねえよなあ?うん。
クソ眠い中で数年自分の中で渦巻いていた感情をなんとか言葉にしようとしたのでまるで分かりにくいのは自分でも理解している。
結局何が言いたいかというと、公式が全てでは無いということだ。
公式が紡ぐのを手放したなら自分が紡げばいい。どんな形であれ。
さらにこれを一般化すれば、「こちらを裏切ると分かっている人を信じてついていくほど我々は暇でも優しくもないのだ」ということなのである。