はてなキーワード: クレヨンとは
言うてメイクなんて自分のコンプレックスを隠す、もしくは良いように装う作業なので増田が自分の顔面気にならない(≒気になるけどそれよりメイクのめんどくささが勝つ)のであればノーメイクでも何にも問題ないよ。
脂性肌なので乳液やクリームは塗ってない。化粧水だけじゃぶじゃぶ大量に塗って、頬に触ってもペとぺとしないぐらいまでぼーっとスマホいじって待つ。
塗ると手触りがサラサラするので塗ったとこと塗ってないとこが分かりやすい。
クマの上にキャンメイクの真っ赤なクリームチークを隈取みたいに塗る。これコンシーラーじゃないね。ワハハ
・ファンデ
液体のさらっとしたやつを手の甲にワンプッシュして指先でちょんと触って顔にちょんと置く。
顔全体に点々と(皮膚病の発疹?てぐらい点々と)おいてから水ふくませたスポンジでひたすらポンポン叩きこんでなじませる。
クマの上に塗った隈取を良い感じにファンデと混ぜながら叩きこむとクマが隠れる。
今使ってるのは花西子のめっちゃ伸びがいいやつ。すごい自然なのにカバー力いいので推し。
以下分岐
ちょっと手間かけたいとき
・カラコン
なんとなく盛れる。良い女感が出る
ツイッターでかんたん地雷メイク!って流れてきた手順で塗ってみたら簡単だったし目がデカく見えたのでずっとそうしている。リンク見失ったけど「クリオ 地雷メイク」で検索したらゴロゴロ出てくる。
・アイライン
限界まで手を抜きたいとき
・眉
右側の眉書いてつぎ左側、とやるより右を一筆書いたら左を一筆、と交互に書いていった方が事故らない(左右のバランスがとりやすい)と聞いたのでそうしている。
ペンシルで眉の形を書いてから隙間をパウダーで塗りつぶしている。
やりすぎるといかにも書きました!!!!!!!!な眉になるので塗りすぎないことに気を付ける。
眉から鼻にかけてうっすら影をいれる。Tゾーンとほほ骨の上にハイライトを入れる。気持ち鼻が高く見える。やってもやらなくてもいい。もはやおまじないである。
・リップ
アイメイクしっかりした日は強めのリップを塗ってもいいものとする。(1度塗りでもしっかり発色する系)
雑な日はナチュラル系(3度塗りぐらいでやっと見本と同じ色になるやつ)を1度塗り
唇の形がしっかり主張しているタイプの顔なのでリップオイルだけの日もある。
チークは私もおてもやん恐怖症だし頬に赤みが出やすい肌をしているので塗っていない。
生まれ持った剛毛の副作用でまつ毛長くて太いのでマスカラも塗らない。ビューラーであげるだけ。
よくある普通のビューラーでいっぺんにまつ毛をあげようとするとまぶたを挟む率が跳ね上がるので、カーブが浅い携帯用のビューラー(https://amzn.asia/d/dx2Aidw)で何回かにわけてやるといい。
・帰宅後
思考実験なので具体的に考えることにあまり意味はなさそうだけど、具体的に考えると…
ついでに未来の話を聞きたい。よろしければ。
クレヨンとかでコンセプト画を描く。
下っ端が実図面に起こす。
ザハ・ハディドなんかはトンカチ一つ持ったことがないから、下っ端に完全おんぶにだっこ。
日本人は、そういうセンセイの立場になるまでに下積みなしということはまずないので、
これはもちろん例えで、
コンセプト・構造・意匠を統合して立体構築する頭脳労働=プログラ厶の設計
ということになろうかと思うが、
建築の場合やっぱり下から全部やった人がクレヨン握らないといいものができない。
ザハ・ハディドなんかはどっかの独裁国に馬鹿げた「作品」作っただけで先進国ではついに通用しなかった。
プログラミングはどうなのかな。
年長の娘が自分の部屋で何やらずっとやっているなと思ったが、ふと見ると、りかちゃん人形の洋服(ワンピース)を切り刻んで、スカート部分をクレヨンで緑色に塗りたくっていた。
唖然として、何やってるの、と聞いたら、りかちゃんを初音ミクにしようとしているとのこと。
俺と同じ部屋にいた嫁さんも気づいて苦笑いしていた。
そのリカちゃん人形のドレスは、昨年、俺の妹が娘の誕生日にプレゼントしてくれたものだった。
物を粗末にするな、と注意した方がいいのかと考えたが(そのドレスは切り刻まれてボロボロになっているのでゴミ箱行きだろう)、
娘の主観として粗末にしているわけではないような気もするし(初音ミクにしようとした)、初音ミクの人形を親にねだるのではなく、自分で作ろうとしているので、それはそれでよいような気もするし、よく分からなくなったので、結局、何も言わなかった。
男児誕生から3年半ほぼ専業主夫1人で育てた 92%ぐらいワンオペ
覚書代わりにだらだら書く
そうなってしまった理由としては男児出産後すぐに嫁さんが事故で大怪我して入院>リハビリ生活に突入してしまったから
そんな状態で育児なんぞできるはずもなく退院してからも嫁さんは実家に戻ってリハビリすることになって俺が育児続行
関係ないけどほぼほぼ3年休職して普通に復帰できた嫁さんの職場とんでも福利厚生やねって思っちゃった
思っていたより楽だった所
夜泣き>まあまあキツかったけど我慢できないほどではない、仮眠取れないってことはないし世の中のお母さん騒ぎすぎじゃね?って印象は正直否めなかった
食事>割と好き嫌い多くて食べない時期もあったけど別に食わなきゃ食わないでいいや餓死しそうになったら食うだろってスタンスで適当に食わせてた 4日間毎食サラダせんべいとかぼちゃだけしか食わなかったこともあった
多分2歳半からの1年間は食事の1/3はサラダせんべいと薄皮チョコパンとかぼちゃ食わせてた でも健康診断でも問題ないのでOK
お医者さんに聞いたら「食わないより全然いいからそれでいい」とも言われたことで気が楽になったのもある
イヤイヤ期>生まれる前から2人でかなり警戒してて実際結構ひどかったんだけど、義母から「適当にほっとけ」って言われて適当に相手してたらいつの間にかなくなってた
体感6割ぐらいへーふーんって感じで無視してたけど特になんもなかった ほっときゃ疲れて寝るし
行った方策としては外で人様の迷惑になるのもあれだからこの時期ちょっとだけ外出量減らしたぐらい
検査してないけど諸々の所作から間違いなく定型発達だってのもあったんだろうけど、他の人こんなのに苦労してんの?って点はかなりあって拍子抜けした部分はあった。
子供のうちから映像に慣れされるとゲーム画面見せるのがあやしの一貫になるんで抱っこ紐でお腹側に赤ちゃん固定してゲームするだけで子供は画面見て喜ぶし自分はゲームできるしで趣味と実益兼ねた状態だった
子供がFF15をものすごく気に入って半年ぐらいそれずっとやってた時期もあった
ただMMOとかネットゲームは流石に触れなかったね、最近FF14復帰して浦島太郎状態です
思っていたより大変だったりつらかった所
洗濯>これは大変だった 子供の汚れもの生産スピードが想定の2倍を超えててあわててドラム式洗濯機を導入
家の汚れ>子供の思い切りのよさにちょっとビビっちゃったね 壁にクレヨンで落書きされた時は流石にキレそうになったけどなんとか抑えた
男親に対する周囲の無理解>差別されるとかではなく男親が子供連れてどっかでなんかをするというシチュエーションが想定されてない施設が沢山あった
保育園からの呼び出し>3歳半ぐらいからやっと幼稚園入れたんだけど結構多かった 赤ちゃんの発熱多いとは聞いてたけど入園当初の頻度はすごかった 保育園入れたら身軽になって働けるなって浅く考えてたけどここはかなりの想定外で反省すべきところ
総じてまあ、ワンオペでも育児そんな辛くないなという印象を抱きました
赤ちゃん自身よりもそれによって引き起こされる外的要因というか外的事件に手間取った感じが多かったね
自分で書いた世界一えっちな小説に、世界一解釈一致なえっちな挿絵をつけたい。
好きなキャラのえっちSSを書いている。いくつも書いてる。世界一えっちだと思ってる。この自作SSにえっちな挿絵をつけたい。
AIが生成したイラストじゃだめなんだ。自分で描きたいんだ。超弩級のえっちな挿絵を、自分でないと描けないやつを。
内なるエロスを視覚的に表現したい。小説にしかできない表現があるように、絵じゃないと表現できない内なるエロスを自身の外に解き放ちたい。エロスを表現したくてムラムラする。
ンアーッ!描きたい。リビドーがあふれるーーーーーーーーッ!!!!
そうして一念発起しイラストの練習をしだして、もう何回挫折したか分からん……。しばらく経ったらまた一から始めるんだが、また挫折するんじゃ。(数年ぶりN回目)
とにかく絵を描くという行為を楽しめないんじゃ。白い紙に何か描いてて楽しいと思えない。真っ白いキャンパスの圧迫感すげえ。
小説の練習は半年ぐらいやって最初の一作書いたんだけど、絵の練習は半年続かないんじゃ。つまんない&集中して線を引くのがつらい。えちえち小説を書いてる時は余裕で数時間ぶっ続けで書ける。楽しすぎる。絵は20分くらい描くと集中力切れて「もう、つらい……」。
絵を描いてる時はひたすらに「つらい」と「つまんない」しかない。でも絵を描きたい、表現したい欲求だけはある。小説で書いた好きなシチュのえちえちイラストを描きたい。だって世の中にはそんなイラスト存在しないんだもん。
はぁ……誰だってちっちゃい頃は楽しくお絵描きしてたはずなのに、どうしてその気持ちを失ってしまうの?
ふとオタクのやっていることは幼児の頃から変わらないと思う。例えばアニメも漫画もゲームもみんな子供が好きなことだし、絵や漫画を描くのもクレヨンで自由帳に落書きしてる子供の延長線上だ。コスプレもプリキュアなりきりセットやライダー変身ベルトみたいなものだし、ネットでいくらでも作品を上げられる時代に即売会をやってるのだってお店屋さんごっこが楽しいからだろう。鉄オタや車オタもトミカ好きの子供だし、ぬい活とかしてるオタクもぬいぐるみはまさに子供が好きだ。
人によってはこの時点で無理と思う人もいると思う。
自分の場合はただの幼児趣味というだけならあまり引かない。例えば世間で結構叩かれてる鉄オタは個人的にそこまで嫌いじゃない。あと特撮好きの男オタクとか純粋に可愛い女の子を愛でてる女オタクとか。苦手なのは幼児趣味に性欲がプラスされた場合だ。
例えばプリキュアを見てる男オタクとか、美少女フィギュアやらドールを収集したり写真撮影してる男オタクとか、ぬい活で推し(男)を着飾らせたり男キャラのぬいぐるみ同士でイチャつかせて写真撮ってる女オタクとか、レジンやビーズでキャラやカプのイメージアクセ作ってる女オタクとか、イケメンキャラの男装コスプレしてる女オタクとか、逆に美少女キャラの女装コスプレやバ美肉してる男オタクとか、うわーってなる。あとウマ娘とかけものフレンズとか刀剣乱舞とか艦これとかアズレンとか萌え擬人化コンテンツは全部無理だ。子供は自己中心的であり、物体や現象も自分のように命のある生き物として扱うことで理解しやすくなるらしく、こういうのをアニミズム的思考というそうだ。萌え擬人化コンテンツもそれに近いもの+美少女やイケメンを眺めたいという性欲を感じる。あと女性声優やVTuberの高くてハキハキしたいわゆるアニメ声も、うたのおねいさんを彷彿させる。うたのおねいさんをエロ可愛くした感じ。引かない方で上げた特撮オタクとかもこれが特撮で二次創作してる腐女子とかだと引くし、女の子を愛でる女オタクもそれをイケメンキャラとくっつけてカプとして楽しんでたら引く。
物心ついたときから私には母と兄しかいなかった。母はまだ幼い兄と私を連れて父と離婚した。暴力を振るわれたとかで離婚したと言っていた
狭いアパートに家族3人で暮らしていて、深夜に仕事をしている都合上、夜になると兄と私は同じアパートに暮らす母と同じ国籍の夫婦に預けられた。
今では真偽は不明だが、母は私達を預かる代わりにその夫婦にお金を渡していたらしい。ほんとうに苦労して育ててくれていたと思う
兄と私が園児になったころ、その夫婦のところに預けられなくなった。トラブルか何かがあり、母はその夫婦に私達を預けることをやめたらしい
母は私達にゲームを買い与えたりして手間を省いてたかもしれない。他にもおもちゃは買い与えられたが、私達が欲しがったのはわかりやすいゲーム機で遊ぶことだった。
家に子供だけがいる状況で、その頃から私達はおかしくなっていたのだと思う
やんちゃする兄を母は躾としてハンガーで叩いたことがあったらしい。当時はまだ体罰が許されていた時代だったかもしれない。そしてまだ幼い兄はそれを真似て、私が言うことを聞かないときにハンガーで叩いて言って聞かせた。
兄は母がいるとき私に躾をすることがないので、私は夜になるのが怖くなっていた。
すぐに言えばいいものを、子供ながら母が苦労していることがわかっていたので言えずにいた。自分だけが我慢すればいいことだと思っていたかもしれない
兄の行動は徐々に歯止めが効かなくなり、ある日、本当に怖くなってしまったから泣きながら母に兄のことを話した。
父は山に囲まれた田舎に住んでいた。亭主関白そのもののような人だと思う
私は父が何をしている人なのか職業以外なにもしらないまま育った。それより父を父親だと思うことができなかったのでどうでもよかったまで思っている
まだ読み書きもできなかったころ、母がお父さんと話してほしいと言って電話をわたしてくれた。父とは物心ついたときに父親だと言われて会ったことがあったから、電話先にいる人物を父親だと私は認識して話していた。
そしてある時、父にお金がほしいと頼むように母に「おねがい」された。私達は教えられたとおりの内容を電話で話した。
例えば、お母さんがお金がないって言ってるからお金ちょうだい。といった子供が言える最大限の言葉で父に頼むのだ。
そして頼むことができれば褒められ、父が無理だと言った日にはもう1回電話して頼むように言われることもあった。
まだクレヨンとかで絵を描く子供が5万円ちょうだいなんて言うのだから、ほんとうに今考えると気持ちがわるいと思う
もうその時点で母に合わせないといけないと思っていたかもしれない。そしてこれは19歳になるまでやっていた。
たぶん離婚したとき養育費について具体的に決めていなかったのだと思う
父から父親らしいことをされた記憶は私には数えるくらいしかない。それも本当にたまに会ったときにだけだった。10代半ばあたりからはお金を頼む相手としか見てなかった
まだ園児だったころから、私は自分が他の子たちと違うことを認識していた。
母は日本語の読み書きができないのだ。だから私達が通う場所のことなどを理解するのに苦労したのだと思う
持っていく必要なものや行事などは、私はいつも忘れていたしできなかった。兄もそうだったのか今では過ぎたことなのでわからない
しかし他の子が不自由なく過ごしていて、自分にできないのはなぜかわからなかった。
それと母が昼間に働くようになったときは、いつも私達の迎えだけがすぐには来なかった。
兄が小学生になったあたりで、静かになる施設の中ひとりで迎えを待つ時間が途方もなく感じたのを覚えている。
小学生になった私と兄は多少物事を理解するようになっていた。引っ越しして前よりもまともな生活ができた。
ここから母は私達の教育を学校に任せるようになった。元々、教育などされていないかもしれなかった。教えられたことと言えば、母が帰ってくるまで家事をすることだったかもしれない。
今でも母が仕事から帰ってくる時間あたりから何かしなきゃいけないとか、待たなくちゃいけないとか焦ったりする。怒られないようにしなきゃいけないと考えていたと思う
仕事をしなければいけない母は日本語を勉強する時間は無い。大きくなったらお母さんを支えてねみたいなことを言われた覚えがある
厳密には仕事で疲れて日本語を勉強することができないのが正しいかもしれなかった。
勉強を教えられなかった私達は学校へ行って授業を真面目に受けても、勉強をするということがわからないのだ
宿題をやってくるように言われて家へ持ち帰っても、宿題をするということを教えられていないからやれなかった。
兄もそんな感じで、私達が自分から勉強することができたのは高校生からだったかもしれない
学校関連の保護者が処理すべきプリント用紙や、家での細々とした書類なんかはその頃から兄と私がやるようになっていた。
ここまで読めば予想できるとは思うが、もちろん学校行事に母が来れるはずもなく、私達も親が日本語を理解するのが難しく仕事で参加できないのをわかっていた。
それだけはさすがに保護者が必要なので仕事を休んでもらって来てもらっていた。
先生に宿題や成績のことを言及されたとき、私を責めるような辱めるようなことをその場で母から言われたのを覚えている。
親が外国人の教え子なんて当時はまだまだ珍しかったのだろう、私の担任になった先生たちはあまり触れないようにしてるよう感じた。
勉強ができなかった私は高校生になり、片道1時間弱かけて偏差値の低い高校に通っていた。
1年生の時はまったく勉強ができなかったのと、いじめられて孤独だった私は深く傷がついている状態だった。
それでも周りに心配させないように隠して過ごしていたが、途中から環境が良くなったこともあり卒業するまでは一般的な高校生だった。
変わらず母は私達に教育などしてくれなかった。私達は家事を手伝っていたが、それは怒られるからやるといった感じでしていた。
私はその頃には周りの顔色を伺ったり合わせようとするような人になっていた。自分さえ我慢すればいいと思っていたのだ。
ある時死にたいと母に泣いて告げたときすごく優しくしてもらったことを覚えている。
兄が成人して家から離れるまで、まだ私達は家族でいたのかもしれない
大学生になった私はいなくなった兄の代わりに家のことをやるようになった。私には無理だった
兄と私は違うのだ。それなのに母と兄は私にも同じように立ち回ってほしかったらしく、できない私を責め続けた。
昔から私は泣き虫だったのだが、感情を出すのを悪いことだと捉えているかもしれなかった。
怒るときも悲しいときも泣いてしまうし、自分の気分が落ち込んでいるときは自分を責めていた。
母はそんな私に向かって泣けば済むと思っているとか、もう今じゃどんなことを言われたのかここに書けなくなってしまった。
そして悪い出来事が積み重なっていたときのある朝、玄関のドアノブに手をかけた時、開けられなかった。まだ1年生の夏休みすら過ごしたことがなかった
私が引きこもってる間に母はなにもしてくれなかった。普通は親とかが休学手続きなどをしてくれるだろうが、私の母はそんなことわかるはずがなかったのだ。
そして一切大学に連絡がいかない状態が続き、ある日家に届いた退学通知を見た時から、私はそれまでの自分が失くなったように感じたのを覚えている。
兄もたまに家に帰ってきていたが、私が何もしてくれなかった周りを責めたときから帰ってくることはなかった。
それからは半年か1年引きこもって半年アルバイトをするかしないかみたいな生活をしている。友達もいなくなってしまった。
引きこもりから脱せた時、低賃金でも収入を得てやり直そうとしている私を見て、母は応援してくれていた。正確には何も言ってこないようになっただけだったが。
仕事をするようになっても上手くいかないことが多かった。馴染めなかったり体力的にも向いてないのに無理やり働いて続かなかった。
まだ家から出れないときから、母は光熱費などの支払いを忘れることが多かった。口座引き落としにすればいいと思われるだろうが、母がそんな手続きできるわけがない
電気やガスが止まるとさすがに私も困るので、何も話し合いをせずに自然と私が家の支払いの一部を負担するようになったのだが、私の貯金はたまることがなかった。それよりも本当に忘れているんじゃないかと思うくらいだった。
さらに私からお金を借りていくことが多かった。ある時、私の貯金がたまらないことと支払いについて母に言ったことがあったのだが、今まで世話していた分やるのは当然で一緒に住んでいるのだから当たり前といった感じで喧嘩になった。
私はこの時点で支払いのことや諸々の家のお金にまつわることが嫌いになっていた。喧嘩をしたくないので母が忘れている支払いを全部していたのだ。
働けるようになったのだから私が負担することは自然な通りかもしれないとは思うが、先に進むためのことがなにもできなかった。
安定した収入を得る仕事をする必要があるのはわかっていたが、自信がなくなっていたのと自分はなにがしたいのか今でもよくわからない。
私は甘ったれなんだと思う
母とはいつも喧嘩しているように思える。昔と同じで家事をやらなかったりすると怒るのだ。
一緒に住んでいるならして当たり前だと思うだろうが、感情が爆発してから何かをやろうとするのが本当にできなくなってしまった。私自身もこういうことはできなくちゃいけないと思っているのに上手くできなくなってしまった。
私は母を話が通じない相手として見ている部分があるのでこの家には異常者しかいないんじゃないかと思うことがある。
1年前、心療内科に通うようになってそこで初めて私には精神疾患があることがわかった。処方された薬を服用するようになって母にそれを説明したのだが理解されなかった。
そして私自身ただ薬を服用してるだけで次に繋がっていかないことを自覚してしまって数ヶ月前から通院をやめた。
また半年前にアルバイトをやめてしまったので少しだけの貯金を切り崩しながら家の支払いをしていたが、もうその貯金もなくなってしまって今に至る。
よくある親エピソードなんだろうと書いてて思うが、日本語を理解できる親というのが私には羨ましかった。
私の母はコミュニケーションがとれるくらいには日本語が扱えるが、ひらがなとカタカナの一部を除いて日本語の読み書きができないのと難しい言葉などが全くわからない。
故に学校で勉強した自分の子供だけが頼りということだ。そしてそんな私がいつまでも家にいるから生活できているんだろうと思うことが何度もある。私の人生は母のためだったかもしれない
わかりやすく言うなら宗教的な考え方を持っていて、科学を話すことができない人だといえばいいのだろうか。言語さえまともに通じる相手ならここまで苦労しなかったのかなとか、こんなふうになることがなかったのかなとか気休めに考えてしまう
ほんとうはもっと筆舌に尽くし難いエピソードが多くあるのだが、書いていたらきりがないのでここで終わりにする。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
実際に問題は起きた。
黒人の活動家で黒人研究の大学講師でもあり、全米黒人地位向上協会(NAACP)の支部⾧をも務めたレイチェル・ドレザルが、実は黒人ではなく白人であることが地元のテレビ局によって暴露された。
両親は白人で黒人の祖先が一人もいないドレザルが本当の自分は黒人であると主張し、⾧年、黒人として生活していた。
地毛が金髪で肌の白いドレザルは肌を褐色にし、黒人のヘアスタイルを真似、「黒人」に変身していた。
秘密が暴露された後、ドレザルはメディアの取材に対し自分のことを black (黒人)、biracial (混血)や transracialと呼称し、幼い時から自分が黒人であると思い、自画像を描く際、自分の顔色に「brown」(茶色)のクレヨンを塗っていたと述べている 。
つまり、彼女は自分の「本当の姿」、自分の精神というか魂が黒人であり、自分が認識する人種と自分の身体的な人種あるいは社会から割り当てられた人種が一致していないと感じ、自分はいわゆる「トランスレイシャル」の人間であると主張した。
https://www.huffingtonpost.jp/2015/06/14/rachel-dolezal-naacp_n_7582132.html
『クレヨンしんちゃん』って錯誤がある。
作中の描写における野原しんのすけが、絵を描くシーンは非常に稀である。
そこからは、クレヨンという素晴らしい画材に対するrespectの念が、微塵も感じられない。
『クソ生意気学童・野原しんのすけの奔放すぎた日々』が、正しいタイトルであるように感ずる。
画材に敬意を払え。
また、『名探偵コナン』というタイトルにも、錯誤が感じられる。
そこからは、阿笠博士が開発した幾多の発明品に対するrespectの念が、微塵も感じられない。
『阿笠博士の発明に依拠し、事件解決を進行させる黒縁眼鏡の蝶ネクタイ小学生』が、正しいタイトルであるように感ずる。
技術に敬意を払え。
実行者が案山子だろうと、木偶の坊だろうと、私は微塵も興味を感じない。
裏方にSpotlightを浴びさせろ。
裏方に、Spotlightを浴びせかけるんだ。