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[B! 芸能] R-1決勝の「デモ活動」ネタが物議に 「完全に無理だった」「テレビ消した」「ブラックジョーク」など賛否両論殺到/デイリースポーツ online
あれは「今の」デモやデモ参加者を風刺しているのでも何でもなく、
暴力革命?とかほざいていた「50年ぐらい前の」おっさんおばさん(当時はおにーちゃんおねーさんか)の狂気を、ネタの一部に憑依させただけやん。
吉住さんって、端々に狂気をちりばめて、笑いに落とし込むのが上手だよね。
その題材の一つとして選んだのが、50年ぐらい前の狂気でしょ?
「すいません、武力だけが取り柄で」ってセリフが象徴しているよね。
服に血がついているのを指摘されて、「私の血じゃない」って笑って流すところなんて、恐らくだけど、50年前の暴力活動家のマインドでもないでしょう?
(50年前の暴力活動家は、血まみれの服を見て「俺の血じゃないから大丈夫」とか、そんなマインドだったというエピソードがあるなら取り消すけれど)
って、ここまで書いて、そういえばと思ったのだけど、
妙なマウントをしてくる人がいるんだよね。
ごく一部だけど。
「自分が若いころは若者が皆政治の腐敗に対抗して云々」みたいなことを言い出して、
年下に「すごーい」「そうなんですね」って「さしすせそ構文」で敬遠されていることに気付かず悦に入る人って、
そもそも自分らが対抗に失敗したから、今もデモをし続けるはめになっているって、分かっているのかな?
あと、何ていうか、政府(自民党)が自分(たち)の思い通りにしないことを憤るのと同じように、
若い参加者にも、「自分(たち)の思い通りのデモに皆参加すべし、支持すべし、行動すべし」っていう意識を持っていて、そこから外れる人を悪し様に非難するというか。
正直そういう人は苦手だな。
あ、そういえば、自分よりちょっと前の世代だけど、「しばき隊」とか、ふざけんなって感じ。
あいつら、ただ正義という棒で誰かをひっぱたきたいだけじゃん。あんなのには乗れなかったね。全く。
吉住さんには全くそんな意図はないだろうけれど、「武力だけが取り柄」ってところは、彼らに刺さるという意味で、結果として風刺になっているかもね。
なお、 意匠とは、 意味をたくらむ(意味をこらす、たくらむ)ことであり、中学生のホームページのように、視覚の魔術によって美観を与えるということが、文系的な古代的なデザインであるが
意匠法にいう意匠とは近代的に工業利用可能なデザインであり、 知的に高度である、 デザインだけを権利として保護している。
しかし、デザインは、 意匠法で保護される程度に至らない、デザインもあるため、 平成10年にインターネットで大流行した、Naomichiの、 Windows98テクニカルサイトは、
視覚の魔術によってHPに美感を与え、作成者と閲覧者が悦に入る、古代的なデザインの最たるものである それにまた、 MONO君も、 平成19年11月18日から、電灯の当て方で
自分の顔の見た目を美しく見せようとしている、詐欺写メ、といった言葉が流行したが、これも、デザインである。
ところが最初からデザインと言えばいいものを、 ありゅようにみせているだけでないんですよなどと激怒している社員が多くいるため、混乱している。
また、裁判所の法も、デザインであるが、公務員の多くのものが、 法がデザインであると見抜かれると、 手続きで逆用されるおそれがあるため、 問い合わせても絶対に説明しない。
言ってるとおり完全な偏見だな
そういう発言を摂取して悦に入るようになった人間の方が老害みが強いと思うぞ
趣味の極まった人がたどり着く領域を小馬鹿にして無知を誇るようになったら人間としておしまい
実際このへんは保守的なんじゃなく常に技術が進歩していき知識のアップデートが必要なため、革新的気質のデジタル・電気系オタクが集まる
オーディオ界隈でも真空管とかレコードとか言ってる周辺やピュアオーディオ周辺は保守的傾向があると言っていいかもしれないけどな
もちろんオーディオは聴覚という数値化しづらい分野なので、この中のどこにでもオカルト的要素が極まった製品に熱中してしまう低リテラシー民も一部いることは認めるが
すべてを一緒くたにしてネガティブ印象を持ってしまうのは物事の解像度が低い人間がやりがちなことだ
いずれにせよ個人の趣味、好みの話なのでそれでとやかく言うべきではない
ともかくそのような偏見をSNSで撒き散らす癖のある人は、有名人なのか何なのかしらないが、ろくな人物ではないはずなので追わない方がいいだろう
インプレゾンビじゃないが、同類の過激なことを言うことでPVをあつめようとする界隈の人間は、インターネットリテラシーのある人なら近寄らないはずだ
偏見と断っているのも狡猾なところで、ネットの不特定多数から同意を集める手法に関して精通してしまっている厄介な人物だと思われる
かつてのインターネットは今と比べればまだ理性的な空間だった。
そりゃあ中には狂人もいたが、その影響力は限定的で、コミュニティ内の自治で対応できるレベルだった。
今は違う。インターネットは万人に開かれた公共の物になった。自治の及ぶコミュニティは成立せず、狂人どもは自らが公共の場で糞をひり出す様を我々善良なネットユーザーに見せつけては悦に入るようになった。
我々善良なネットユーザーは奴ら狂人どものいわば自慰行為に利用されているのだ。こんなことが続いていいはずがない。
加えて誹謗中傷である。現代において誹謗中傷の根拠が事実に即しているかはもはや二の次三の次になってしまった。狂人どもは自分たちに都合の良い理由を見つけては嬉々として人間を貶めている。
車の運転には免許が必要だ。正しい運転の方法を知らずに公道に出れば誰かの人生を毀損する危険があるからだ。ではネットはどうか? 言葉の力の使い方を知らない狂人どもは野放しにされ、気に入らない人間を言葉の針で刺している。言葉の力が弱かった時代は野放図で良かった。だが今は違う。いつ誰が正当な理由も無しに誹謗中傷に晒されるか分からないのが今の世の中だ。
インターネット免許は更新制が望ましい。10代は所定の年齢から限定的なアクセスを付与、成人以降は3〜5年の更新とし、高齢者に差し掛かる前後で2年に1度の頻度に増やしていく。金融機関の利用など、ネットを経由しないと難しい部分については、それらに対応した限定的なアクセス権を設定するが、ネット空間での発言行為は遮断する。
免許の有無は最終的に就職をはじめとした社会生活上の不利益などに直結するだろうが、狂人どもがもたらす潜在的課題、そしてそれに対応する社会的コストを削減していくためにはやむを得ない不利益と考える。次の時代を生きる人間に求められるのは、情報を検索して集める力ではない。物事が分からない己を認めて受け入れる知的胆力である。
20年以上ネットに浸かって育ってきた自分がこのような考えに至るとはまったく想像していなかった。ネットは常に自由で、社会や政府の監視を受けるべきではないと信じていた。今のインターネットの前には、そのような信条はもはや牧歌的なノスタルジアに過ぎない。
そして当たり前だが、こんなことを書いたって明日からインターネットが免許制になるとはつゆほども思っていない。生きている間にはならない可能性が高いだろう。だが今の状況がこのまま続いていけば、いずれ私の頭に浮かんだような考えの一つ一つがやがてうねりとなり、何らかの形で善良なネットユーザーにふさわしい秩序が敷かれるだろう。
俺は貧民なので貧民スーパーでよく買い物をするんだけど、そこの店内BGMが、「最近流行りの邦楽」みたいな感じなんですよ
流行りっつうか、時々15年前くらいの曲が流れてたりもするんで、もしかすると「かつての流行り」なのかもしれないんだけどね
そうすっと、結構な頻度で、歌がうめえおネエちゃんが、「若い2人の、自堕落でキラキラしてはいない、しかし美しい恋の思い出」みたいなテーマの、失恋ソングを歌っていらっしゃる
そんで、なんかよ、「夜中にコンビニに出かけて、安いアイスを買って2人で食べる」的な、安いエピソードが歌われるわけ
なんていうんですかね、エピソードがね、露骨っつうのかな、そのまますぎるんですよね
分かりますよ、そういうね、等身大の、共感できるような、あー……っていうね、気持ちを呼び起こそうっていうことでしょう
でもよ、そうするとさ、被るんだよ他の歌とかマンガとかそういうのと
「あー、そういうのあったなあ」より、「聞いたことあるぞ、そのエピソード!」が先に来るんだよ
感傷に浸るより先に、手垢付いてんなあ、クソエピソードがよ!って気持ちになってしまうわけ
2人で夜中にコンビニに行ってアイスを買うっていう行為ですが、現代の若いカップルは、文字通り全員やっているからよ
もうちょっと詩情のあるエピソードを捻り出して欲しいと感じるんだよ
俺のやや好きな歌で、付き合ってた頃の思い出を羅列するのがあるんだけど、
「溢れた川を見に行ったこと」
とか、いかにもいい感じじゃないスか?
溢れた川、見に行くじゃん
なんだったら
こういうあたりまでカバーできる
かなり共感性が高く、かつ、そんなに歌われてないし、描かれてない感じじゃないですか
このくらいを狙って欲しいんだよな
Xとかでこういう凡俗・カスエピソードを披露して悦に入るのは全然OKだと思う
歌にしちゃダメだ
歌にするからにはもう少し捻ってほしい
あるだろ、もっとこう、何か
・部屋着のまま出かける
独身の頃は『障がいを持つ子供は生まないのが正解』と思っていたし妻も同意見だったけど、実際に妻が妊娠して、どんどんお腹が大きくなり、中で動いているのを触ったり話しかけて反応しているのを経験しているうちに、そんな残酷なことはできないと思うようになった。どんな子供であろうと立派に育つべきだし、社会は支えなくてはいけない。
https://twitter.com/chokyori_tsukin/status/1690473553244868608?s=46&t=PU5AOiwRhM6aomFuehN6cw
自分の身内に関わることにはこういう殊勝なこと言って悦に入る一方で、
自分の経験から、こういう上司は気をつけた方が良い。程よい距離を保つのが正解。
1. チビ(168cm未満)
2.家族と不仲
3.趣味がない
4.定期的に運動してない
https://twitter.com/chokyori_tsukin/status/1690297484042747904?s=46&t=PU5AOiwRhM6aomFuehN6cw
ムカつく奴にはこの言い分。
なぜ100kg近い体重か?
→子供が生まれ家庭優先になり、ジム通いを止めた事に加え、コロナでフル在宅になり運動する機会が減った。
お酒ですか?
https://twitter.com/chokyori_tsukin/status/1690553634646638592?s=46&t=PU5AOiwRhM6aomFuehN6cw
そして本人はただのデブ…。
「人間なんて所詮小賢しいだけでよわっちい猿w」「人間なんてみんな愚か」みたいな言説を唱える人がまあまあいる。少なくとも俺の周りには、なんだけど。
まあ、わからないでもない。
確かに人間は野生動物と素手で喧嘩したらほとんど勝てないし、”意味”とか”理由”とかについて悩むし、戦争するし、思想や人種による争いも絶えないものだ。
だが、そのような自嘲的というか、シニカルというか、そういう態度でいつまでも人間をあざ笑っていることで何が生まれるのか、これがよくわからない。
そういう人物を愚かだというつもりはない。というより、むしろそういう人は自ら進んで「まあ俺も愚かだよw」とひっくるめて価値を貶めようとする。
きみらの狙いはなんなんだ。
楽しく過ごしている他人がそんなに許せないのだろうか、愚かに映るんだろうか。
若い人でもいい年いってる人でも、こういうのを唱える人がいる。
たぶん思想とか考え方の違いなんだろうけどさ。
それはそうなんだけどさ、少なくともジャニーズでデビューして売れた人間は、全員加害者だから。
はてなーでは、構造的な差別だとかいう観念的な話をして悦に入る人がすぐ出てくるが、ジャニタレは全員、被害者であると同時に加害者だ。
ジャニタレは被害者であることを受け入れ、被害者になることにメリットがあると喧伝し、被害者の拡大再生産に貢献してきた奴らだ。
その結果、今のジャニーズがある。
ジャニーズで幹部になった木○、井○原、もう辞めたけど滝○、その他幹部じゃなくてもデビューして売れた人たち、
そいつらは全員、ジャニー喜多川の性加害を肯定し(自分が性加害に直接遭遇したかはさておき)受け入れた結果、今の地位にいるわけ。
ジャニー喜多川の性加害を肯定したら俺のようにデビューして成功できるぜってキャリアモデルを体現し続けた奴らなんだよ。
もう何十年も前から性加害の話は知れ渡っており、当然そのことをジャニタレは知っており、何なら裁判でジャニー喜多川は認めちゃってるわけ。
藤島ジュリー景子は先日、本当に知らなかったとか嘘八百を並べ立てていたが、ジュリーもジャニタレも、知らないなんてありえない。
だって裁判やってただろ。自社の裁判知らないなんてありえないだろ。
それでも、ジャニーズを辞めもせず、告発もせず、もう少し大人になれば別の人に矛先が向くからと現状を追認してきた。
何なら、相談してきた後輩に、デビューしたければ受け入れろ、交通事故みたいなものだから諦めろとか、「後輩のためを思って」実際に言っちゃってるかもしれない。
その結果、アイドルとしてありえないほどチヤホヤされ、地位と名声とお金を得て、成功者として良い思いをしているわけ。
それは思い込みでもなんでもない。
先日の誰だったかの暴露記事でも、性加害を拒否した人間に、ジャニー喜多川は「ユー、ずるいでしょ」と言ったと。
つまりジャニー喜多川は、性加害を受け入れることを前提に、デビューや成功を提供してきたわけです。
性加害を受け入れずにデビューや成功だけの果実を貪るのは「ずるい」という感覚が、ジャニーズの中にはあったということです。
もちろんジャニー喜多川は地獄に落ちるべき人間だけど、ジャニタレだってそれを受け入れた奴らだ。ぜんっぜん一方的な被害者じゃない。
ありえないだろ。