この解釈では波束の収縮は起こらず、代わりに重ね合わせ状態が干渉性を失うことで異なる世界に分岐していくと考えられる。
しかし意識がどのように一つの分岐を選択するかについては疑問が残る。多世界解釈ではすべての可能な結果がそれぞれの世界で実現するとされている。
意識が一つの分岐を「選択」するのだろうか。それとも意識のすべての可能な状態がそれぞれの世界で実現するのだろうか。
この解釈は物理学者や哲学者の間でさまざまな議論を引き起こしている。特に多世界解釈が「存在論的な浪費」であるとの批判もある。
つまり観測できない多数の世界を考えること自体が論理の無駄だというものである。
ところでエントロピーは一般的には系の「乱雑さ」や「不確定性」を表す量として理解されるが、エントロピーが低下するということは「秩序」が増すということを意味する。
観測によって情報が定まることによってエントロピーが低下するという観点から見ると、系の状態が特定の状態に「収束」するという意味で理解できる。
ここで情報理論について見てみると、観測者が持つ知識が、観測対象に対して影響を与えうるのではないかという疑問が生じる。
ジョン・フォン・ノイマンは、1932年の著書 「量子力学の数学的基礎」において、精神が現象に直接的に影響を与えないという前提が科学的世界観にとって基本的な要請であるとして、実験系と測定側の境界を置けなければならないと述べている。
しかし観測主体が対象のエントロピーを低下させるという事実を無視することはできない。これは環境と対象が相互作用した場合のデコヒーレンスとは違っているのである。
熱力学第二法則では基本的に2つのことを述べており、一つはデコヒーレンスによるエントロピー増加、もうひとつは観測によるエントロピー低下である。
観測者が系に知識をもたらすことによって情報が積み重ねられていった結果、現在の世界が存在すると考えれば、本質的に情報理論こそが量子力学の基礎を成していることがわかる。
しかしこの情報理論は諸刃の剣であり、つまり世界の安定性がなぜ保証されるのか不安になるので、当面の物理学の要請として量子力学から情報理論の側面を剥ぎ取ることが要求されるだろう。
]]>素晴らしい絵と世界観を持つ作品群で、自分はその作品も作者さんもコミュニティも大好きだった。
そんなコミュニティから抜けたのは、きっかけは色々あるけど、作者さんが自分の意に添わぬファンを罵倒したりイエスマンばかりに耳を傾けるようになったことだ。
長い間嫌がらせを受けていて、あるジャンルが嫌いになった。
それは仕方がないことだが、そのジャンルを好む人々を罵倒したり人格を攻撃するようになっていった。
周りのファンも少しでも嫌いなジャンルにかかわっている人間は「頭がおかしい」「「怪物」とののしり、そうじゃないファンを攻撃し作者もそんなファンをほめるようになった。
正直居心地が悪くなっていき、距離を置くことにした。
常々作者さんは自浄作用を口にしていたが、ファンも作者さんをいさめるようなことはしなかった。
いや、いさめたファンもいたがやめることを宣言したりもはや何も言わなくなってしまった。
ただ傍観していた自分も何も言う資格はないのだが、あのコミュニティや作者さんが大きなトラブルに巻き込まれないことを祈る。
金曜日の夜にこんなことを描いてごめんなさい。
描いていたら楽になった。
読んでくれた人ありがとう。
]]>世界観狭くね?
]]>よくよく考えると変なことわざだ
いや、待て……
あの世にお金は持って行けない、って話はどこから来たんだ
もっと言うと、あの世に現世のモノは持って行けない……という世界観はいつからあるんだ
古墳からなんかすごい剣が出土したというニュースを見た
あれはまさにあの世に持っていくためのものではないのか
(順序が逆で、このニュースを見たからこそあの世に持って行けるものって何?という疑問がスタートしたわけだが)
それが現代日本に生きる人の世界観ではあの世にモノを持っていけないという認識に……いや、違うか
「オレが死んだら棺にタバコを入れてくれ」とか「あの人はタバコが好きだったから棺にタバコを入れましょう」みたいなことを言う人もいるな……
これはあの世にタバコを持っていく気満々の発言ではないのか
ということは「あの世にお金は持って行けない、しかしそれ以外のモノは持って行ける」という世界観を持つ人がいることになる
なんか……中途半端な感じがする、なんでお金だけダメなんですかアナタ
その一方で冥銭ってやつもあるんだよな
これはまさに「あの世に持っていくお金」そのものである
本物のお金じゃないあの世専用のお金を燃やすことであの世にいる死者に送金するらしい……類感呪術ってやつなのかな
これは中国とか沖縄でそういうことをやっているらしいと聞いた
三途の川の渡し賃の六文銭ってのもあるよなあ
昔は冥銭用のイミテーションのお金じゃなくてマジのお金を六文銭として使ったと聞く
ギリシャ神話でもカロンってやつがいるし
ただ、こっちは「あの世への通行料」って感じやな
通行料がいる、それ以外の財産は持って行けません……みたいな?
でも奪衣婆って鬼がいるんだよな
六文銭を払えなかったら衣類を奪う、逆に言えば六文銭を払えたなら衣服というモノは持ち込める……
身につけているものはセーフ?
脳内の別人格がツッコミをしてくる
対話を試みましょうね
「 『地獄の沙汰も金次第』というけれど、どんな苦境でも札束を積めば解決できることがあるって意味であって地獄というのはものの例えだよ。本当に閻魔大王様に賄賂を渡せると昔の人が考えていたわけじゃないと思う。」
「坊さんに高い金さえ払えばしっかり供養してもらえる状況を皮肉った側面もこのことわざにはあるんじゃないかな。」
「もともとの意味は『財産を寄付など善行のために使えば地獄に落ちない』みたいな意味らしいよ。」
なるほどなるほど、私もそう思います(あたりまえだ、そのツッコミをしたのは私なのだから)
でもなー、そのツッコミ群は「あの世にお金は持って行けない、しかしそれ以外のモノは持って行ける」という話について説明してくれない
「そもそも『あの世にお金は持って行けない、しかしそれ以外のモノは持って行ける』という世界観を持つ人がいる話はあくまで仮定でしょ?その前提は正しいの?」
確かにそれはそう、まずは現代日本における死生観……あの世観の裏取りしたほうがよさそうだ
その仮定が真か偽かを確かめるために調べている、これがゴール
「 『あの人はタバコが好きだったから棺にタバコを入れましょう』イコール『あの世にタバコを持って行ってもらう』は本当に真なの?」
そこも怪しいよね
死後の世界を信じていない人でもそういう事をするかもしれない
いや、どうだろう?自信ないな……
少なくとも言えることは、副葬品の目的はあの世に持って行ってもらうためだけではないであろうということ
「 『あの世にお金は持って行けない』は拝金主義者を嗜めることが目的の言説でしょ。」
でしょうね
「 『あの世に現世のモノは何も持って行けない』が実際のところじゃないの?」
それも確かにもっともらしいんだけど、実際に副葬品として亡くなった人の身の回りのモノとか生前好きだったものを棺に入れることもあるじゃん
その棺に入れるものの選択肢としてお金が無いのは何故?という話にもできる
「お金を棺に入れたらもったいないじゃん。」
確かにね、しかしだからこそ中国などのアジア圏の一部では冥銭というあの世専用のお金があるんじゃないか
あーそうか、これって「なぜ(一部地域を除く)日本では中国のような冥銭の文化が根付いていないのか?」という問いと言い換えることもできるのか
「死んだら無になるよ。あの世は存在しない。」
私もそう思っている、でもそう思っていない人もいる
余談だが「自分が死んだら無になる」はすんなり受け入れることが出来るけど「大切なあの人は死んだから無になった」はちょっと受け入れるのに抵抗がある
いろんな地域、いろんな時代の世界観をごっちゃにして物事を見てしまっているのであろう
混乱の原因です
ちゃんと調べて考えを整理したい欲求が高まってきた
ここらへんについて調べよう
①「地獄の沙汰も金次第」の語源について
②「あの世にお金は持って行けない」って考え方はいつから存在する?
③古墳の副葬品は本当にあの世に持っていくためのものなのか?
④日本の各時代の副葬品の変遷について
⑤いろんな地域・宗教の副葬品について
⑥冥銭について
⑦現代日本人のあの世観について
いろいろ読みかけの本の続きを読むべきかもしれない
『日本人はなぜ無宗教なのか』 『日本人無宗教説 ――その歴史から見えるもの』あたりに何か関係あることが書いてあるかも
追加で本を探して買ってもいい
そういえばキリスト教圏は副葬品という文化が全然ないらしい(全くないわけではないらしいが)
その一方で中国は冥銭を燃やすことでお金やら車やらスマホやらをあの世に送っているらしい
日本はなんか、中間というか……ほどほどに副葬品がある
なんにせよ知識不足、生半可な知識で「これこれこういうことです」と理解してしまうと大火傷してしまいそうだ
なんか、タイとかブータンあたりの仏教文化圏の葬儀がどんなものかも調べた方がいい予感があるな
儒教文化圏の葬式も
古墳時代の日本だと持って行けるって考えだったろうから古墳の副葬品に通貨とかが……あっ、古墳時代の日本に貨幣ないかもか
仏教伝来あたりの時代の墓の副葬品が気になるな……
今日は問いを設定するまでで終わってしまった
いろんな国地域時代の葬式スタイルを調べることで、そもそも問いの立て方がずれていたと発覚することもありえるが……
調べるのはまた後日にしよう
しかしこれって何を調べ上げたら私は納得することができるんだ?
まだわからない
納得できるのはこのままいろいろ本を読み続けたあとの数年後とか普通にありえる
という私の思考を整理するための日記です 3/28
]]>日本って「さぁ、これから近代工業を導入するぞ!」って国でしたっけ?
という気持ちになってモヤモヤする…
高校球児に罪はないんだけど、
あの世界観を好む大人が、世間が、
これからも負け続ける日本を再生産してるしてるようでモヤモヤ…
現在のベトナム、タイ、ミャンマーあたりの
世界の生産工場みたいな地位を狙ってるようにしか見えない…
]]>日本って「さぁ、これから近代工業を導入するぞ!」って国でしたっけ?
という気持ちになってモヤモヤする…
高校球児に罪はないんだけど、
あの世界観を好む大人が、世間が、
これからも負け続ける日本を再生産してるしてるようでモヤモヤ…
現在のベトナム、タイ、ミャンマーあたりの
世界の生産工場みたいな地位を狙ってるようにしか見えない…
]]>いくら裁判の意義をとなえたところで、「暇空が要求してる」のはメディアによる報道だがいわゆる保守系のメディアですら一切報道していないのが答えにしかならんよ。
保守メディアが行政を攻撃する暇空を持ち上げるわけないだろ。あいつは全方位バーサーカーなのに、左翼を攻撃する敵は全部一枚板、みたいな雑な世界観をまずなんとかしたほうがいいぞ。
]]>攻略本にはそのゲームの攻略がもちろん書いてあるので、それを読んでゲームをプレイした気になれる。
最近の攻略本には設定資料等もあって内容が充実しており、読むだけでも非常に楽しい。
ストーリーの詳細を読んでいると小説を読んでいるような心地になれるし、各ゲームが持つ独特の世界観が見ていて面白い。
これからもゲームはプレイしないだろうけど、攻略本は読み続けていこうと思う。
]]>作画とか枝葉末節にこだわる人にはお勧めできないけど、まず一話が凄い
一話の演出が、シナリオが、作りこまれた設定や世界観が、モビルスーツの巨大さを表現するアオリ構図が、
今となっては当たり前の表現がすべてここに詰め込まれているし、今になっても当たり前になってないのは、
初代ガンダム一話の無駄のなさ、まったくといっていいほど無駄がない、
これから始まるであろう作品に絶対必要となる道具、登場人物、世界観、設定、技術、あらゆるものが詰まってる
はっきり言って、初代ガンダム第一話は教科書に載せるべきレベル
安彦氏の描く、ぐにゃりとしなるロボットによるダイナミックな動き
父親との葛藤から、これは父殺し、少年の成長の話だと分かる
そして、青葉区での最終決戦まで話は飛ぶ
その間の話は、当然物語に必要な要素も多くあるが、単なる時間稼ぎのようなくだらない話も存在する
それもこれも大人の事情というやつである
アッザムが登場する回なんて、そんなに物語上必要だろうか?
そんな枝葉末節をあげつらって、ガンダムが喋ったwとか、作画崩壊wとか、くだらない話である
であるならば、作画は現在のレベルだと目で補完して観てほしい
というか、劇場版での安彦氏による描き直しでさえ、もうかなり今でも観ても十分耐えるどころか素晴らしいものがある
結論を急ぐと、ZやZZはオチがショボい、盛り上がりに凄い欠ける
初代はアバオアクーがあった
最終激戦地という設定が、嫌でも視聴者を盛り上げた、生身でのアムロとシャアとの宇宙でのフェンシングの一騎打ち、
そして、最後には自分にも帰れる場所があったんだ、という全面的な自己肯定感で満たされる主人公
正直言って、初代ガンダムが富野氏の頂点だったと自分は思ってる
まぐれも重なって、中途半端な時期に頂点を取ってしまった
つまり、今度は自分で取ってしまった頂点を、更に越さなければならなくなる
自分で最強の敵を生み出してしまい、更に次でその敵を倒さなければならないのに、最強なだけに倒せないのである
ZやZZにはアバオアクーのような舞台が設定されておらず、盛り上がりに欠ける
富野氏自身、なんというか、もう物語全体を盛り上げることより、シャアという人物をどう描くかばかりに固執するようになっていく
初代ガンダムで実現できなかったリアルさ、未来の技術の設定はZの方が格段に上であり、
ZはZで、第一話のリックディアスの地面擦れ擦れの飛行、全天候型スクリーンなど、とにかく設定は盛りだくさんであり、ディティールは格段に上がった
でも、初代ガンダムにあった、ものがたりのようなものは失われ、よくわからない政治描写に煙に巻かれたり、無意味な暴力シーンがあったり、
これって単に現場の苛立ちが作品に反映されただけなんじゃないの?と思わせられるぐらいだった
Z以降には、黒い三連星だの、マチルダさんだの、そういったものがたりっぽいものが失われている
そういった、誰もが観て、共通に語れるような要素がなくなってしまっている
大人はみんな難しい顔をして、複雑な政治に奔走し、かといって、やたらに他人を殴るし、姿は大人なのに、行動は大人のやることじゃない
もちろん、そのカオスな感じが、監督の女性観のようなものとか、そういったものが面白おかしい作品になっているのは確かである
しかし、初代ガンダムの本当の良さは、Z以降で失われしまったのだと思う
]]>その一人はたしかにすごかった。世界観少し変わったくらい。わざとらしくなかったよ。
臨床心理士(今は公認心理師か)のピンキリ具合って患者の認知の歪みとか相性だけでは説明付かないくらい露骨で酷いと思うんだけどもう少し何とかならないのかなあれ
]]>これフェミニストの世界観だとフェミニストの男も似たような存在になるのでは
]]>朝:バナナヨーグルト。昼:もやし、人参、キノコ、餃子のスープ。夜:おにぎり。間食:柿の種。チョコ。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、おやすみなりー。
○ ファミレスを享受せよ
ファミレスムーンパレス、そこには店員がおらず奇妙な客と無限に利用できるドリンクバーがあり外には出れず閉じ込められている、永遠に浮かび続ける月を眺めながら淡く何処かへ消えてしまいそうな雰囲気が魅力のアドベンチャーゲーム。
ゲームシステムはコマンド選択式だがポイントアンドクリックの要素も少しあり、夜空に浮かぶ月を調べられる辺りかなり雰囲気を出している。
ファミレスの自席と、それぞれの客席、そしてドリンクバーを巡りながら、この謎多きファミレスからの脱出を目指す。
開幕早々気になる謎が提示され、徐々に明らかになっていくのだけれど、その謎解きの過程が議論や捜査ではなく、雑談がベースになっているのが、この作品の強い独自性だ。
試験勉強の気分転換にファミレスに寄ったところ巻き込まれた普通の女性である主人公だが、雑談のタネを撒くのが大得意でグイグイと他人を距離を詰める。
主人公の雑談力によって、無限のときを生きていたムーンパレスの面々が変化していき、ストーリーが前に進んでいく。
勿論、謎が徐々に解けていき設定が開示されて行くのも面白いのだが、個人的には物語の本筋とは関係のない空振りの雑談を噛み締めるように遊ぶのが楽しかった。
雑談相手は主に四人おりそれぞれの個性も面白いので紹介する。
まずは唯一の男性セロニカ。
冷静沈着な落ち着いたキャラだが、少しづつ熱が見えてくる熱いキャラでもある。
魅力的な女性陣に囲まれながらもソワソワしたところがない達観さは超越したものを感じさせられた。
雑談の細かい内容よりも、頭が回る知恵者の側面で謎解きの際に頼りになる印象が強い。
次にオドオドして小部屋から出てこない幼そうな女の子ツェネズ。
閉じ込められたファミレスの中でさらに引きこもっているコンプレックスの塊のようなキャラ。
明らかに何かを隠しているため、序盤は彼女の元に足繁く通うことになる。
なにかに怯えているようだが、決して泣かないエピソードなど、弱さに立ち向かおうとする話の流れに呼応するような雑談が面白いキャラだった。
引きこもっているためルックは中盤までわからないが、想像通りな可愛らしさなのが、雑談で話が進むからこその想定通り感が面白かった。
三人目は王様を自称するレイルロード・スパイク。
このキャラだけ第一印象の世界観が違うため、雑談の内容もかなり変則的。
ノブレスオブリージュのような人の上に立つことからこその義務感の話や、普通の暮らしからは想像できない悩みなど、異なる世界の人間であることが伝わる雑談が面白い。
それでいて、同じところもあることが、話を前に進めるキッカケになるのが主人公の雑談力の高さだ。
そして、今作のメーンヒロインとも言うべき存在で主人公と濃厚な関係値を築くことになるガラスパン。
とある経緯から、どこか投げやりな態度をとっている。
しかし、そんなことで怯まない我らが主人公がドンドンと距離を詰めていく様は、ちょっとしたギャルゲ主人公でもまだ控え目にアプローチをかけるぞと心配になるほどだ。
少々ネタバレになるが、実のところ彼女は物語の全体像からはあまり関係のないキャラで、ハッキリ言って彼女が居ようと居まいと、あまり本筋とは関係ない。
しかし、僕が一番楽しかったのは彼女との雑談だ。
そして、そのように主人公も思っていたからこそのラストも素晴らしい。
以上四人がメインキャラになるが、忘れちゃいけないのが、雑談の鬼にして、彼女たちを色々な意味で変化させる主人公だ。
プレイヤーイコール主人公のようなスタイルだが、雑談を通じて、そして合間のモノローグから、少しづつ彼女は彼女で中々に奇妙なキャラであることが見えてくる。
無個性なプレイヤーが感情移入しやすい一般人であること自体は間違っていないのだが、彼女の有り様もまた四人の奇妙な客たちと同様、興味深い可笑しさがあった。
ここまで雑談を通じてのキャラクタの魅力を語ってきたが、その先にある展開もこれらの雑談が程よく前フリとして効いていて面白い。
設定の開示のタイミングが絶妙で、その提示のタイミング毎に読む手を止めて彼女達の感情を想像してしながら、それまでの雑談を振り返っていた。
これは雑談が主のゲームだからこその面白さだった。
雰囲気を重視した物語によくあるボカしたような曖昧さや寓話的な部分はあまりなく、かなりじっくり練られた設定の開示と、その設定を踏まえた登場人物達の葛藤とその根底にある愛が非常に面白かった。
限られた空間の閉じたファミレスの中で進む会話劇でありながら、壮大な物語に思わず、僕も月を見ながらファミレスでドリンクバーを嗜みたくなってしまった。
エンディングの読感も非常によく、大団円でかつ、洒落の効いたいいオチも待っている。
個人的には主人公とガラスパンのカップリング的な魅力も感じられて、文学的でありながら、エンタメも意識されている、非常に面白いゲームだった。
]]>あの世界ではドラゴンさえ食材じゃないのだ。
俺達の知っている近代的RPGの世界では、異世界のご馳走といえばドラゴンステーキだ。
A5ランク黒毛和牛みたいなものとしてドラゴンステーキが扱われているイメージを現代人は共有しているはずだろう。
だがダンジョン飯の世界、古典的WIZ世界においてはドラゴンは素材に放っても食べ物にはなっていない。
不思議だ。
古来より狩人という物は外敵を倒すために殺したとしても、その肉は食料として溜め込んでいたはずではないのか。
そうはいっても狼は食べられはいなかったが、これは誰かが狼を食べて不味かったという感想を述べた過去がまず存在している。
ドラゴンを食べたことがない理由が「不味いと聞いたことがある」からではなく「そもそも食べるという発想がなかった」というのはなかなかおもしろい。
つまり、あの世界においてダンジョンというものは独立した自然の生態系というよりも、一つの異界としての側面が強く、そこに住むものは口にするようなものではそもそもないと考えられていることがこの一件からも分かる。
たとえば宇宙飛行士が未知の惑星に不時着して、いきなりその星の食べ物を口に含まないのと同じように、安全性が確保されていない物にそもそも手を出さないという意識なのだろう。
宇宙飛行士が異星のものを口に含むのは、救援が来るまでの日数と積み込んだ食料のバランスを加味して、どうしてもそれを接種しなければいけないという前提条件が揃ったことに確信を持ってからであるということだ。
WIZというゲームの世界観自体が「油断大敵。基本的にチキれ。無茶するなら2軍にやらせろ。少なくとも救援部隊と脱出経路が固まってから動け」で作られていることから、ダンジョン飯の世界観もそのように「臆病こそが冒険者の美徳。蛮勇もまた美徳ではあるが命は保証されない」となっているのは想像に固くない。
ドラゴンを倒せるほどの冒険者であればこそ、未知の物を口に含むなんてリスクは侵さないし、素材として持って換えるにしてもまずは換金レートが固まっている鱗からというわけだ。
そうして鱗を運んでいるうちに肉は腐るわけだが、ドラゴンが住むような下層で腹を壊したら危なっかしくて仕方がないので、誰もその場で調理なんてしないと。
だから皆ドラゴンステーキの味を知らずに過ごす。
なるほど。
夢がないな。
そういう環境で育った反動がセンシのような異常者を生み出すわけだな。
]]>デレは好きな曲だけ遊んでてイベントほとんど参加しないので不快に思ったらすまんね、里に帰ってくれ
・結論
「羨ましい」
「うちの子じゃないのにどうしてリソース喰って実装されてんねん、今まで通りのカバーと新規3Dモデル実装だけで良かったじゃん」
「デレステの発展のためには仕方ないのかもしれないけどそれはそれとして自分の最推しコンテンツでやられたら嫌だ」
前提
・ASミリシャニМのオタク、デレは推しが出来ず友人と偶にライブに行ったりゲーム内イベントで良さげな曲が出たらCD買う程度のエンジョイ、ガチ勢からみたらかなりニワカ
・Vはちょいちょい切り抜きで見てたので星街すいせいちゃんと月ノ美兎さんがアイマス好きなことは知ってる。タキシード仮面みたいな人と月ノ美兎さんで犯罪者みたいな人にアイマス紹介する動画と、ときのそらちゃんとすいせいちゃんが餞の鳥歌ってる切り抜きみたいなやつは勧められて見た。めっちゃ上手かった。
・正直自分が推してるブランドではこの金の使い方出来ない(シャニは最近のゴリ推し的にワンチャンできるかも)だろうから羨ましさはある
広瀬香美さんやDJ COOさんはokで星街すいせいちゃんだけがなぜ駄目なのか
→羨ましいから
普段自分等と何ら変わらないファンの立場ですよって顔で「ゲームの担当」の話してるのに、企業として自分の担当とコラボ楽器作ってもらってメインイベントまでやってもらえるの普通に羨ましいだろ。壁になりたい派だって推しに認知される夢1回ぐらい見るよ。
→私からしたら一般人だから
上の続きだけどももクロも広瀬香美もDJ COOも、私から見たら常に「芸能人」だけどすいせいちゃんに限らずVとほとんどのYouTuberは「芸能(テレビ)よりのコンテンツを提供する一般人」扱いを私はしている。
芸能人がアイドルとコラボしたところでなんとも思わないけど、自分と同じ一般人が急にアイドルです、って自分の好きなアイドルと歌いだしたりイベントやられたら「は?」って私はなる。歌でメジャデビューしてるとかこのコラボ始まるまで知らなかったし。HIKAKINレベルなら芸能人と差し支えないかもしれないけど、世間一般的にコアな部分でしか知られていない女の子を私は芸能人とは思えない。地下アイドルが急にゴールデンタイムのテレビに出てきてコメントしてもこの女の子誰?何?ってなるじゃん、今それ。
→単純に他に割くリソース部分あるだろ
これは当事者じゃないので都合の良い叩き棒になってしまうので深く言えません。でも他に割くリソースあったんじゃないですかねとは思ってしまう。
→中身が透けて見えるのがマジで嫌
これ1番。これはすいせいちゃんはそこまで悪くなくて情報社会の歪んだ詮索欲のせい。
恐らくVチューバーって立ち絵にあった動きや話をしている中で「素(リアル)」が見えることが魅力のひとつなんだろうけど、アイドルマスターって身も蓋もないけど二次元じゃん。私はプロデューサーごっこを全力で楽しんでる中にガチの三次元が透けて見えるの嫌なんだよね。
実在性は大事だけどそれってあくまで二次元だって分かっているから、3次元のこっちとリンクするような背景が出てくると「もしかしたら」っていう楽しい想像や妄想ができる訳で、常に三次元がちらつく人がいると普通に覚める。電車の中でスマホいじってる最中にこっちチラチラ覗いてくるおっさんいたら気になるだろ?
異次元フェスが基本楽しめたのは全部二次元だからだよ。
Vのアンバサダーの人たちもアイドルと歌うわけじゃなかったからそんなに気にならなかったし。
ラブライブのVみたいなやつも詳しくないから忌避感覚えなかっただけかもしれないけど、ちゃんとキャラクターの設定に則ってストーリー展開があるから何も思わんかった。
ヴイアラはごめん、アイドルマスターの一部だとは思ってるけど今の練習生の段階だとすいせいちゃんと同じ一般人で見てる。でもちゃんとアイマスのブランドのキャラをゲームキャラとしてではなく常に実在しているように接しているのは好感持ってる。
最終結果でアイドルデビューできたらいいね。応援してます。
以上がどうしてVコラボが嫌なのか私のお気持ちの一部分です。
すいせいちゃんは今回の6周年ライブで改めてきちんと歌声を聴いたけど、めちゃめちゃ上手だった。技術も実力もある方なんだろうなって思います。あと普通ににじみ出る可愛らしさがこっちまで笑顔にさせてくれて、惹きつけられる方だなって思いました。このコラボがなかったら知ることもなかった相手ですが、このコラボで知りたくはなかったなという気持ちが強いです。最も違う場所で出会いたかったです。
ですが私は老害なので、最初に結論言ってるけど私と同じ一般人枠が推しに認知された挙げ句ライブと新曲とイベストご用意されているのは普通に羨ましいです!!本人の努力と企業の力、様々なものが噛み合った素敵な機会なのはわかっていますがお気持ち編なのでいいます。妬ましいです。ほぼ私物化みたいなもんじゃないですかこれ。いや、運営がご用意したものなのでちょっとニュアンス違うけど。
なんで一般人が優先されて私の担当のイベント減らされなくちゃいけないのか、なんで同ブランドアイドルは世界観同じなのにSRで、すいせいちゃんはSSRなのか。(これは単純にすいせいちゃんの方がコラボ効果があるからでしょうけど、悲しいね)
デレを片手間程度にも遊んでいない私がこう思うぐらいなので少ない割合でしょうが似たような思考の老害はいると思います。
今は対岸の火事だと思っていますが、自分の最推しブランドでこれやられたら老害なので普通に垢削除して引退します。
嫌だ、なんで私の課金が知らねえ男か女に使われなきゃいけねえんだ。
Vファンの方は自分の推しの配信に立ち絵もないリアル親友の声とか明らかにリアルの生活音でてきたら喜べるんですかね?
私こういう二次元向けコンテンツで自分の意志関係なく現実に引き戻されるの絶対嫌なんですけど。配信で今日ウーバーがさーとかディズニーがさーとか言われた日にはお前なんのためにその姿してんだってなるかもしれない。
]]>そうすると、今まで自分の人生を通して思いついたと思ってきた自分の中の小さな思想やポリシー、あるいは個人で考えつく世界観、感傷、恋愛経験、虚しさ、悲しみ、小さな喜び……。
そういったものが過去の賢かった人々によって、殆ど書き尽くされていることに気づいた。
そうして世界に目を向けてみると、もうすでに書き尽くされた議論を何度も何度も最初からやり直している人々や、少し言葉を変えて新しい発想かのように発表している人々が殆どであることに気づく。
そう考えると、あまりにも虚しい……。
そして俺が今書いているこの感情ですら、もうすでに書き尽くされているに違いない。
そう思いつつ「いや、オリジナルでないからといって価値がないわけない」と自分を慰めつつ本を開くと、それすらも書き尽くされていた。
俺は本を読むことをやめた。
]]>AIが作曲するのが当たり前の世界観なので時代が追い付いてきたようなそうでもないような
]]>聖剣Lomは
①DQのAltであるFFの②スピンオフである聖剣伝説シリーズ③の非ナンバリングタイトル
という出自から生まれて仏教を混ぜ込んだ奇跡的世界観なんだよな……ダナエすこ
あのセンスは今になっても腐らない独自性があるわ。戦闘が地味なのが惜しい点
しかし、いまどきはああいうの ないよなあ
ダン飯は世界観がかなり細かく組み立てられてるけど、そういうのはお好みでない?
]]>コロナ前のディズニーのキャストって演者から清掃員まで世界観守って演じてる人が多かった記憶があったがコロナ後人数制限とかあった時に言ったら明らかに質が下がってた
これは自分が悪いんだけどホーンテッドマンションかなんかでベルトつけるのにモタモタしてたら普通にキレながら「ベルトつけてください!!!」ってお姉さんに乱暴にベルトつけられてかなりしょんぼりした
]]>パニックワールドのハラハラで中盤までは夢中で読めた
後半、謎解きというか、ゾンビ化を起こすものがどこから来て何を目指して、というのも興味深かった
日常がなくなった世界での人間達の社会の再構築とか争いなんかも興味深く読んでた
けどそれらのどれもがテーマではなくて、主人公の冒険・成長譚、恋愛譚の味付けなんだな、と読み終わっての感想
パニックワールドものってそんなもんなのかな
壮大な世界観で話を拡げるけど、結局は個人の内面世界が肝っていうの、夢オチレベルでがっかり感ある
7seedsもサバイバル・パニックワールドものだったけど、読み終えてがっかり感・購入して読んで損した感がひどかった 少女の人間関係と成長物語といった感じで、ただの少女マンガだった 各人の強い気持ちでサバイバルの状況がトントンと解決するのもとてもご都合主義的で馬鹿馬鹿しい気持ちになった
そんで今回のアイアムアヒーロー、青年マンガだし、別のオチを期待してたけど、同じような落胆を感じた
パニックワールドものはこんなもんなのか
雰囲気とノリが重要で、ストーリーとしては平々凡々な個人の成長譚にしかならないものなのか
なんにせよ今回は買わずに読んだのが救い
]]>あまりにも生成AI推進派として向いていない。今すぐ方針転換するべき。
才能の民主化って言葉にしても、どこから作ったんだろう。AIの民主化からかな?意味合いが全く違うことも気づいてなさそうだが。
とりあえず、才能の民主化なんて変に気取った言葉を使うのが良くない。
主張をなるべく分かりやすく書くべきだ。
「自分の周りの狭いオタクコミュニティでAIの力を借りてお手軽にチヤホヤされて承認欲求を満たしたい」と。
分かりやすいじゃないか。こっちの方が素直で好きだな、自分は。
さて、才能の民主化くんが生成AI推進派に向いてない話をするぞ。
例えば、ゲーム実況配信。
才能の民主化くんいわく「男性として生まれたので、女性としてのゲーム実況配信者にはなれません」。
当たり前だ。男だからな。
「しかし生成AIの技術があれば、女性の声になってゲーム実況等ができます」
ん???
ボイチェン、あるじゃん。
VTuberとかも、いるじゃん。
中身まで完全に女性の、ガチ女性配信者は無理だが、声だけでいいんだな?ガワだけで。画面の向こうに女性と思われさえすれば。
できるよ!可愛い声で女性のキャラとして配信するだけの、女性のガワかぶった配信者なんて、生成AIがなくても当たり前に存在している。
才能の民主化くんは、それを全部無視して、そんなことやりたくなーい、でも女性配信者になりたーい、って言っている。
いやいやいや…おかしくないか?もっと簡単な言葉で素直に主張しないからそうなるんだろうな…。
素直に主張するなら、これもこうだ。
「生成AIで超お手軽に女性配信者のガワかぶって配信してチヤホヤされたい」
大いに夢を見ているな。
もっと詳しい人がいると思うけど、「女性が配信したら人気者」になれるか?
仮に、万人が可愛い声で配信できるとする。
才能の民主化くんは、きっと消えていく泡沫配信者の方だ。
なぜ視聴者がついてくるか、の視点が抜けてるから。
女性だから見てるんじゃなくて、面白いから見るものだろう、実況なんて。
下手でも面白ければ見る。上手くても面白くなければ見ない。
長く続いてる人気な配信者なんてのは、努力して面白い配信を作ってその位置にいるのに、気づいてない。
気づいてない以上、一瞬で消滅してまたグチグチ言うに決まっている。
そうじゃないと言うなら、見られなくても構わないと言うなら、今すぐボイチェン入れて配信すればいい。
でも、してないんだよな…。AIあっても配信しないと思う。
逆にそうやって配信してる人に文句言う側になるだろうな。
それから、イラスト。
才能の民主化くんいわく、「私は生まれつき手が震えて線がまっすぐ引けないので漫画やイラストは描けません。」
「しかし生成AIの技術があれば、表現したい世界観がビジュアルで表現できます。」
うーん…本当に絵が描きたいなら、手が震えようが何だろうが、描いてるよ。
幼稚園でクレヨン握ったことある?
小学校や中学校で絵具を使ったことは?
ノートの端っこに鉛筆で落書きしたことは?
これを書いてる自分は絵を描かないが、全部経験がある。
経験がある上で、絵を選択しなかった。
入口は用意されていたのに。
興味がなかったから。
絵を消費することには興味があるけど、生産することには興味がなかった。
絵の上手い人なんていうのは、絵を描くのが好きで好きで仕方がなくて、いっぱい描いてきている。
だから上手い。
それをしていないから、我々は下手なまま。
生成AIがあっても、しばらくは消費ができて楽しいかもしれないけど、そもそも生産に興味がないのだから、いずれ飽きる。
それに、仮に万人が綺麗な絵を生成できたとして。
小学生でも作れる絵を生成したところで、誰が褒めてくれるだろうか。
ふーん、で終わる。
それでも生成できるなら、向いてるかもしれない。
それから、きっと才能の民主化くんはこれも才能って呼ぶと思うんだけど、万人が綺麗な絵を生成できるようになると、別の壁が現われる。
一般にはセンスって言うんだけど。
同じAIを使って、同じキャラで、同じ絵柄で、同じ構図で…それでも絶対に巧拙が出る。
間違いなく、センスのある奴が現われる。
だいたい、絵師だと思う。
今までたくさんの経験と知識と技術と努力を積み上げた、その果てに持っているのがセンスだから、才能の民主化くんは勝てないと思う。
あと、これは勘だけど。
才能の民主化くん、絶対に消費者だろ。生産者じゃない。
そんなに絵が描きたいなら、生成AIに出会って最初にやることは、「AIが補正してくれれば真っ直ぐに線が引ける!」だぜ。
ツールとして使い倒す方向に走ると思う。
ちなみに自分が思ったのは、「バクマンに出てた背景完全点描コミック、AIがいれば週刊連載ワンチャンいける」だ。
生産の視点がないまま生産ツール使うのは無理がある。
音楽の方まで話した方がいい?もう結構長いけど。短くまとめるの苦手でね。
要するに、才能の民主化くんは、本当に万人が生成AIを使えるようになってしまう(=ライバルが増える)と、パッとしないよねこの人、って脱落する側って話なんだけど。
AIは技術は補ってくれるけど、それだけで誰でも一流に仕立ててくれるツールじゃない。
努力しないとそれは得られないけど、努力したくないって言ってるようだから、それならライバルは少ない方が才能の民主化くんにとってお得。
皆が持ってるのは才能じゃなくて努力なんだから、努力したくない以上、競争相手を増やしたら駄目。努力できる人に負けてしまう。
才能の民主化くんは才能って言葉が好きなようだから合わせると、
彼にはエンタメの才能がない。
]]>まずゲートからして普通の遊園地だし普通の窓口でチケット買わされて現実に引き戻される。
チケットは最近窓口で買ってないけど多分変わってないだろうな…まあ普通。ゲートのまわりのポスターが、アトラクションのPRポイントをおしゃれに示しているところが好き。歴代ポスターの変遷や、海外パークとの違いなんかも面白いけど遊園地内で分かる話じゃないので割愛。
中に入るとまずギフトショップがあって商品が並べられていて資本主義丸出しで白ける。
入口のギフトショップ群はそもそもワールドバザールと言ってショッピングモールをイメージしたエリア。資本主義の香りすら世界観の一部にしてるのかしこい。ちなみに屋根が付いてるからどんな天気の日でも安心して散財できるよ!さあ!
店ごとにテーマがあって並んでる商品も違うあたり凝ってる。ネイティブ・アメリカンの店にココペリが並んでたりする。
あと「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」みたいなお店チックな言葉は「ようこそ」「いってらっしゃい」みたいな平易な言葉にする、銀行でお金を下ろすとピン札で出てくるみたいな細かい工夫が散らばっている。
私の友人がよく結婚式の前にディズニーに行くのはこの銀行が理由だ。
中を覗くとなんの工夫もないデザインのスタンダードなレジ。どこがディテールにこだわってるんじゃ。
レジのうしろにミッキーがおるじゃろ?
まあ店ごとにデザインは異なってたと思う、それくらい
売店じゃ出来合いのポップコーン、チュロス、ホットドッグ。なにこれ?
ほんそれ
結局ハウスのカレーが美味しい
アトラクションに乗ろうとするとどこにでもある麻縄で列が区切られていて長時間放置される。おもてなしの心とは?
ここは同意できず、列整備とかは他の遊園地とは群を抜く上手さだと思う。
Qライン(待機列)の装飾やイベントも凝っていて飽きさせない工夫は結構多い
そもそも並ばせるなって話なら仕方ない。
ホテルに行くと喫煙室にたまっている大人たち。興ざめじゃ。
ほんそれ
]]>ただ結局、どれくらいその世界観というか、パーク側の作るムードに乗ろうとすることができるかどうかだよ。
ハリポタランドに行った時、一番楽しんでいるのはホグワーツ生徒コスプレして杖を持ってた人たちだったしな。
]]>
ワイの強い怒りの衝動は、相手に謝罪や反省、負の感情を持ってもらうことを求めてはおらず、単純に破壊したいという衝動に基づいている
強い怒りを感じた場合、即座に反撃する。その場で、相手から謝罪を受けても、相手の反省のポーズを見ても、衝動はおさまらない
なぜなら、ワイの行動は破壊したいという衝動に基づいているから
えっ、何?破壊したいってどゆこと?っていうと、そのままだよね
ストレス解消のために皿などを壊したりする、“Rage Room” とか “Break Room” とかのサービスあるじゃん?(日本にも物ぶっ壊し体験としてある模様)
Rage Room
https://en.wikipedia.org/wiki/Rage_room
Rage room | CBC New
ああいう、強いぶっ壊す願望・衝動があるってことですね
ただ、ワイは物や動物に対しては破壊衝動を感じない。『物が可哀想くない?』となったり、『物を作った人に対して悪いことをしている』となるため、物を壊すことに抵抗がある
また、関係のない人に対しても破壊衝動はないが・・・・・・・ーーー直接的な原因となった人や無形のものに対しては純粋に破壊したいと感じる(ホラー)
クソ雑魚ナメクジゆえ、他人に対して物理的な衝動を向けることはないけども、書ける(過去書いちゃった)範囲だと、例えば下記
ワイは業中に上司に泣きながら殴りかかられたことがあるぞ
その上司は休職したけど、結局、首にも警察沙汰にもならかったので、ことある事に恨みがましく増田に書いてた
この強い衝動は、水泳やジョギングをしても収まらず、瞑想や創作、ゲームや映画を楽しむために静かに留まることもできない
場合によっては食事も取れない。そもそも座っていることすら難しく、エネルギーが完全に尽きて眠るまで、対象をどう破壊するか以外にはまったく集中できない
(破壊の計画を練ったり、実行するためなら、静かに留まれる)
それは1日であるかもしれないし、数週間かもしれない
怒りの対象に対しての目標が単純な破壊であるため、他人の共感を得ることもできない (むしろ、今からそいつを これからそいつを 殴り行こうか〜ってなったら怖いよね)
しかし、この強い衝動に『破壊衝動』というラベルを適用することで、ワイは以下のような認識に至りました:
以上の理由から、破壊衝動に身を任せることは避けるようにしました。万能の解決策ではないけど、多少の効果は感じてる
(そもそも、最近は怒ること殆どないけどね。気張って生きなくなったから)
あと、どんな風に考えようとも、結局、長い時間掛けて認知変えてくしかないな・・・となりました