はてなキーワード: hPとは
いいぞ。70歳近い俺のオヤジは「成り上がり~華と武の戦国(リンクは公式HP)」とかいう中国yoozooという目立たない会社の作った典型的なオールドタイプなソシャゲを5年以上やってることを誇ってる。
イラストのテイストもいかにも老人が好みそうな感じだな。略称はナリセン。
そういうチャチな娯楽に一生浸りたいならそうしたらいい。
俺はそんなタイトルに人生費やすのはもったいなさすぎると思うから、どうせ中国ゲームをするなら原神とかスターレイルとかゼンゼロみたいなアニメ・ゲーム系サブカルチャーの最先端でリッチな作りのゲームをPCでやるけどな。
その方がはるかに文化的だと感じるし、映画やら何やらを超えたようなリアルタイムの感動体験が得られて、充実感がある上、作り手にも純粋に敬意を抱けるくらいの出来だからな。彼らの顔も知ってるし。
古臭い娯楽であっても一時代を築いた立派な人々や会社組織による製品であれば、仮に現代の人目線ではそれらが評価されてないとしても、過去に評価されてたものを思い出補正込みで愛し続けるってのはいいと思う。
でも新しいものを拒む人って、いろんなものに触れようとしないせいで、市場に溢れるモノの中から精髄を見抜く力が低くなるんだよ。
その結果、大昔の知ってるやつだけを選び続けるならまだマシなんだけど、大昔のものは基本的に市場からはなくなっていくだろ。だから手に取るのは「昔っぽい今の製品」になる。
結局、ナリセンみたいに、何かを彷彿とさせるけどそのIP自体には思い入れはないし、作り手が何者かにすら無頓着な、アンテナの低い人をターゲットにした量産製品に吸い寄せられる。
なんとなく古い時代を感じさせてくれる、だけど中身はチャチで、「古き悪き」ソシャゲの毒が未だに残ってる製品を引き当てる、そんな貧乏くじを引きに行くことになる。
けれど本人がそれを貧乏くじだと思っていないなら、たとえそれが視野の狭さゆえだとしても、指摘はしづらいだろう。
もし本当にソシャゲ黎明期の作品フリークで、あの陳腐で射幸心煽ることに特化した野蛮な作りと文字画像だらけの狂気のUIが好きでたまらないんだというのなら仕方ないけれども。
そうではないのに、市場の平均レベルから著しく低い水準のものをあえて選んでしまうことになりやすい、それが最新を追わない人が背負うべくして背負う業だと考えるしかない。
増田の友人に自営業で複数の事業を展開していた友人がいる。その彼が2年前に結婚相談所を始めたことをFacebookで知った。
彼は元々爽やかでコミュ力の高い人間だった。Facebookの投稿も奥さんや子供との日常を投降したものが多く、幸せそうだった。
けど、そんな彼のFacebookが結婚相談所を開業してから変わった。
最初は加盟した結婚相談所連盟での研修を受けた時の様子や連盟から貰った新人賞の賞状とかを投稿していた。
けど、そうした投稿が終わると、なんというか、上から目線の投稿が増えた。
「うちの結婚相談所は大手○○に加盟している。入会すれば結婚できるんだから、費用をケチって入会を渋るなんて結婚できない男の思考だ」
「ものごとには投資が必要。会費をケチっている人間になんて結婚なんか一生できない」
「何かを成し遂げるには投資が必要なんだ!!それを決断できない人間には結婚でも成功できない」
こんな感じの投稿が増えていった。正直、独身の増田にとってはあまり気分のいい投稿ではなかった。
そして先月、ふと気になって彼の結婚相談所のHPを見てみたら、閉鎖されていた。加盟していた結婚相談所連盟のページからも情報が消えていた。
治ったと思っても、今度こそあんなに苦しい思いしないさせないと思っても、再発するから。
もう脳の不可逆的な癖なんだろうな。いくら認知行動療法とかやって考え方を改めたってあの特有の頭のもやが突然やってくるんだ。本当に突然。
軽い軽いストレスでもすぐに脳はもとの癖に直ろうとしやがるから、必死に、いろんなものを失わないように押しとどめなくちゃいけないの、それがずっと続くと思うと眩暈がする。押しとどめるための気力だって病前ほどには戻らないから、押しとどめきれなくて動けなくなってしまうときがある。こんなのが一生?勘弁してくれ。
増田がうつになったのはよくある話で、新卒で配属された部署が合わなかったのと、生来の強すぎる自責思考(まあこれは来歴とかいろんな要因があると思うから詳しくは書かない)が最低の絡み合い方をして、どんどん自分を追い詰めていった結果なんだろうなと自分では思ってる。悪化は緩やかだったけど、重症のときは会社から飛ぼうとした(迷惑)。本当に希死念慮に押しつぶされると他のこと何も考えられなくなるからな。理由もなく急に来るんだよ、便意と同じだ。
幸い、今は毎日泣いて早退するような状態でもぼくの意思を尊重して会社に居場所を作り続けてもらえたから、一進一退だけどなんとか勤め続けられているけど、ずっと頭にもやがかかりつづけてずっと悲しいんだ。こんなに恵まれた環境で自分のやりたい仕事をやらせてもらえてるのに、喜びも楽しみも病前に比べればほとんど感じられないし、頭だってまったく働かない。こんなはずじゃないのに。もっとできるはずなのに。感情も不安定だから、不調な時に無理な業務をすると涙が止まらなくなる。それでもなんとか手は動かすけど、成果物なんて人に見せられないほどひどいことがほとんどで、またダメだったが積み重なっていく。上司が手を止めて話を聞いてくれるのも申し訳ないから、自分でコントロールしたいのにコントロールする気力すら残されてない。どうにかして抜け出したいのに、全然治らない。治ったと思っても、いとも簡単に再発する。増田は一回目のときにもう大丈夫だと思って自己判断で通院を辞めて、より重症化した形で再発したからうつの再発率の高さに関する研究の信憑性は高いと思ってる。
頭の良かった病前の自分に戻りたい。ずっと動いてる自分に戻りたい。意欲や喜びを感じられる自分に戻りたい。感情の安定した自分に戻りたい。体力のある自分に戻りたい。頭の靄を取っ払いたい。
いくら望んだって戻れない。うつ病が完治じゃなくて寛解だって言われるのもこういうことなんだろうな、と最近は思う。治ったって思ったって、最大HPもMPも減ったままだし、引き金があればまた真っ逆さまだ。
希死念慮は死にたいな~くらいのものじゃなくて、急き立てられるように死ななきゃいけないって観念から逃れられなくて、いてもたってもいられなくなっちまうんだよ。そこに理由はない、というか理由なんてなんでもいいんだよ。上で便意みてえな希死念慮って書いたが、便意を覚えたときにああ肉を食ったからか、じゃあ肉を食わないようにすれば間隔を伸ばせるかなとかそんなこと考えないだろ、それと似たようなもんだと思えばいい。生死を左右する行動観念が理由なくやってくるってのはなかなか恐ろしいぞ。
うつ病で失ったものも戻ってこない。増田は幸い周りに本当に恵まれて仕事は失わずにいられているけど、精神病者の枷から逃れられる日は来ない。
調子が良くなったと思ったって病前と同じくらい元気になれたと思えた日なんて一度もない。ずっと心のどこかが悲しいんだ。
自分はなるわけないと思ってるやつ、それでいい。その性格でいい。ただ、一度でも病識を得てその恐ろしさ、避け方を覚えておけ。なるわけないと思われてた人がうつ病になって地位を失った例なんていくらでもある。
なるかもしれないと思ってるやつ、全力で回避しろ。うつ病は不可逆な病気で一度かかったら普段の落ち込みなんて比にならない、まさに"精神病"としか形容できない日々が待っている。大切な人にも心配&迷惑をかけることになるぞ。
なりたいと思ってるやつ。やめとけ。お前が想像するようなメンヘラちゃんじゃない。精神病の世界に足を踏み入れるな。本音ではそんな奴にはなってみろよ、って言いたいところだが人類みんな幸せがいいからな、言わないよ。みんな笑顔で生きようぜ。
まだまだうつ病界隈ではひよっこだから、この後に何が待ってるかなんてわからんけど、界隈を見てると10年、20年なんて人間もいるから基本的には完治しねえんだろうな。
ラブライブ関係無いが、ぶいすぽの初印象がなんか画一的だな…という印象だった。恐らく当時の公式HPの全員が並んだ姿を見て差異が少なく見えそう思ったのだろう。
改めて今見ると当時と印象が違ってみんな誰が誰か分かる…みんなかわいいな~お揃いなのもありだな~と感じるが、当時はそんな風に思っていたと思う。
ラブライブに対して近い認識を持っていた気がした。世代のはずだが当時見逃していて、今もそのままだ。知っていることといえば、にっこにっこにーというセリフと、ことりちゃんが左下にいる構図ぐらい。どういうお話なのかもまだ知らない。どうなんだろう。
不利になるほど一発逆転の可能性が高くなる?それもいいでしょう
不利になってもギリギリ勝てるゲームバランス?それでもいいでしょう
しかし、それよりも操作キャラがピンチになって負けることが目的となるゲームであれば、操作キャラに2重のデメリットを強いるゲームシステムがプレイヤーにとって楽しいものに変わります
皆さんは雑魚敵や中ボスに通常攻撃押しっぱなしで勝ててしまい、「いや、負けろよ。ゲームバランス考えろ」と思ったことはないでしょうか?私はあります
これはどういうゲームかというと、操作キャラのヒロインが敵に負けてあれやこれや(18歳未満閲覧禁止の内容を含みます)されるゲームですね
武装をはぎとられてジワジワいたぶられて抵抗する力を奪われて最後に負けイベントが発生するゲームにおいて、楽勝できてしまうことはストレスフルなことなんです
何度も負け行動を選ばないといけないということもストレスがたまる行動です(今は勝っても負けイベントを回収できるシステムや自爆アイテムを用意することが多くなってきていると思います。ストーリーを進めるために勝たないといけないこともストレスなんです)
HPが減ると武器破壊や拘束によって攻撃力が弱くなったり攻撃手段が限定される、あるいは衣服が破壊され露出度が高くなって防御力が下がることが視覚的に理解できて、負けた時に特別なイベントが発生するゲーム
つまり、操作キャラがピンチに陥って抵抗する手段を無くして負ける過程を楽しませるゲームデザインだと「HPが減るとそれと連動して攻撃力が下がる」ことが楽しいゲームであると主張します
格ゲーで「後ろに下がることは防御のリソースを消費する行動。リソースを消費しきって画面端に行くとすごく不利」みたいな話を聞いたことがあるならわかると思う。
ほとんどのRPGはボスを攻撃してHPを0にすれば勝ちのゲームである。そのためにHPやMPやお金(あるいはターンや時間)などのリソースを管理して、ボスを攻撃して敵のリソースが尽きるまでのリソースを運びに行くゲームとみなせる。
そしてHPは直接的に「敵を攻撃するためのリソース」であり、MPやお金などは「間接的にHPに変換可能なリソース」と考えることができる。
例えばMPを使った強力な攻撃は「敵の攻撃でHPが削られる代わりにMPで代用する」とみなすことができるし、MPや道具を使った行動でHPを回復すれば「MPや道具をHPに変換した」と言える。
補助魔法なんかも「MPなどのリソースを使った自分のHP消費を抑える行動」とみなすことができる。
別な見方をすれば「HPが0になったとたん攻撃力が0にまで下がる」ともいえる。皆さんがRPGと言ったときには「HPが(ある閾値まで)減ると攻撃力が(0まで)下がるゲーム」ともいえるのである。
この話はDPS(1秒当たりのダメージ)の概念を知っている人なら飛ばしてもよい。DPSを「1ターン当たりのダメージ」に置き換える話にしか過ぎない。
さて、皆さんはボス戦で「このターン回復するか?まだ耐えられるから攻撃するか」迷った経験はないだろうか?これは相手からHPを減らされたから攻撃するためのリソースを別の行動に割かなければならないという状況である。
敵からのダメージが大きくなると回復の頻度が上がり、ターン当たりのダメージは下がる。ごり押しで勝てないゲームは基本的に「HPが減れば攻撃力が下がるゲーム」とみなすことができる。
ここまででRPGが資源管理ゲームということを渋々納得した方には「でも、HPと計算式上の攻撃力は連動してないじゃん。そういう話じゃないじゃん」と思われる方が多いだろう。
だが、「HPが減れば敵を攻撃するリソースが減る」というゲームデザインなのだから、「HPが減れば攻撃力が連動して下がるゲーム」はありなのである。
多くのゲームがこれを採用していないのはおそらく、「他のゲームが採用していないルールなので計算しにくい・わかりにくい」ということだと思う。サッカーのオフサイドみたいなものである。
分かりやすくする方法としては「連動をHPの半分や1/4になれば攻撃力ダウンというように段階的に行う」「チュートリアルや導入を丁寧に行う」ことがあげられる。
プレイしてすぐに「そういうルールでこういう攻略をしていけばいいんだな」と分からせればありなのである。
ヒロインピンチ18禁同人ゲーを少々嗜んでいれば「HPが減れば攻撃力が(連動して)下がるゲーム」というのは全然ありなゲームルールなのである。
そういうゲームデザインが良いか悪いかは別として、その手のはJRPGだとドラクエもFFもずっとそうじゃん。
厳密に言えば、ドラクエは2からだけど、ゲームデザインとして「パーティー」の概念があるターン性RPGは基本的にそうでしょ。
HPと攻撃力が厳密に比例するようなゲームデザインは悪いのでは?という問いの立て方が限定的過ぎて変なんだよ。
HP60%で攻撃力60%だと困るだろ、みたいな。なんでそんな変な前提を置くねん。
閾値があるようなゲームデザインであってもアリやナシや、みたいな検討にしないと。
(ゼルダの体力マックス時のビームみたいなのに触れている点からも、本来そっちに気が付くべき)
で、そう考えれば、パーティーを組むターン性JRPGは、基本的にパーティー全体の体力(全滅までの余力)とパーティー全体の攻撃力(ダメージソース)は、関係するでしょ。
アタッカーのHPが0になる(という閾値を超える)と、パーティー全体の攻撃力がガクッと下がる。おなじみの構図でしょ。
HPが減れば(ひとりかければ)攻撃力が下がる(ダメージソースが減る)という基本があるから、回復役を入れようとかそういう話になるわけで。
感覚的にも、パーティーのメンバーが一人また一人と倒れていくのにパーティーでの攻撃力が下がらないって違和感しかないでしょ。
アタッカーが戦闘不能になる、それを回復させる、またアタッカーとして活躍する。
ユーザー体験として、ジリ貧だなあ、みたいな戦闘って絶対経験あるでしょ。
アレでしょ。
(逆説的に、全員バーサーカーの脳筋パーティーみたいなのがロマンとして語られるのは、その前提があるから、ともいえる)
だから、このゲームデザインがアリやナシや?って考え方になる方が自然なのでは?
それはある意味ナシじゃね?ってのが、「サガ エメラルド ビヨンド」で、河津秋敏さんの「自分としては、回復はバトルを引き延ばしてプレイヤーの時間を奪っている要素だと思っているんです」に繋がるわけじゃん。
この、ある閾値を超えてある箇所にダメージを受けると、攻撃力が下がるというのは、RPGではあまりにも基本的過ぎて顧みられることすら無かった部分じゃん。
いくらなんでもコレを前提に置かないJRPGの話はダメでしょ。
「HPが減ると攻撃力が下がるゲームデザインがなぜないのか?」という問いなんじゃなくて、
「キャラクター単位でHPが減るとそれに比例して攻撃力が下がるゲームデザインはどうか?」という問いなんじゃないの?
それなら答えは「そんな面倒くさいことを一人のキャラクターに設定しなくても、すでにパーティーと言う単位で行われているから」になるじゃん。
(逆説的に、パーティー単位でないゲーム、例えばシミュレーションゲームのユニットみたいなのは、ユニットの所属人数と攻撃力とが比例するゲームデザインになってるものが結構あるでしょ)
(そういや、レベルを吸われるのでパラメーターが下がるという珍しい体験悪化が行われる戦闘もまれにだけどあるよね)
こんなん議論するまでも無いと思うけど。
ゲームデザインとして、「ユーザー体験を悪化させるようなことはどこまでなら許容されるのか」みたいなのは面白そうだけど。
いくつか思いつくけど、結構あるでしょ。ポケモンがあるレベルを超えると言うこと聞かなくなるとか。雨降ると崖を登れなくなるとか。
意味の無いゲームデザインがなぜ意味が無いのか考えるのは、意味が無いからという答え以外無くない?
百歩譲っても、「こういう意味があるので体力に比例する攻撃力を設定したいんだけど」という前提を置いてくんないと議論にならんでしょ。
バッテリー電圧とかなら下がり幅を監視できるんだが、ゆーてアレも入荷して最初の半年だけマックスで段々下がってくるうちに「これどこまでセーフなんだ・・・」って分からんくなるんだよな・・・。
でもこういうのってあくまで「どのラインを超えたら死ぬのか分からない」ってときの話であって、HP0になったら死ぬのが分かってる条件でのHP1残ってる状態ってどんなだよと。
試験の赤点とか免許の違反点ぐらいしか思いつかないんだけど、そういうのも別に全くデメリットがないわけじゃなくて、やっぱテストは100点取って査定SS貰った方が良いし、違反点数は0でゴールドが理想じゃん?
先日、親族が無くなって各種手続きを行っているのだが、銀行口座とかの相続人の印鑑証明とかを集める系ミッションも大変だが、
各種手続きを電話でしか受け付けてない系のミッションがとにかくしんどい。
ナビダイヤルでおつなぎしますが1時間以上つながらないというスタートラインにも立てない状況。
クレジットカード系もそうだけども、同業他社のJALが手続き書類をHP上に載せてるのに、そうなってないANAが一番しんどいわ。
ディアボロの冒険の名前を出せば、理解できる人は一発で理解してくれますよね?
あのゲームが消えた一番の原因は「有名になりすぎたから」でしょうか?
私は違うと思います。
「お目溢しをしてもらえる猶予期間を過ぎたから」ではないでしょうか?
一部の非合法な遊びには「一時的にという条件付きなら許される」という側面があります。
たとえばコミケの同人誌には会場限定という物がありますが、あれらの中には通販で容易に再入手できないから存在を許されているものが数多く存在するのです。
また、昨今において高速で変化を続ける著作権法の中では、昨日まで許されたものが今日突然アウトになることもある。
もちろんドラゴンボールRPGは既にアウトですが、それに対して警察や出版社が急いで動くかどうかという情勢さえ明日の朝を待たず今日の夜には変わっているかも知れないわけです。
その状況の中で少しでも多くの人、知れば必ず遊んでいたであろう人の手に渡るためには、「さっさと大勢に情報を伝えてしまう」ことが最適解なわけです。
また、ファンメイドを問わずあらゆる作品において「公開し続けることそのものがコストになる」側面もあります。
公式サイトが存在する限りは善意のバグ報告はいつまでも続きますし、悪意のある感想だって永遠に飛んできます。
作者が名前を捨ててネット人生をやり直さない限りは、いつまでも作品の存在が作者に影響し続ける。
そのため作品によっては作者が自分の意志で公開を打ち切ることもある。
粘着質なファンを避けるためのHP閉鎖や、サーバー管理会社の撤退によって公開ページそのものが消えることだって少なくない。
少し古いフリーゲームの名前で検索してみれば、著作権的な問題がなくとも公開停止されている作品が数多くあることも分かるでしょう。
再公開を待ち望まれる作品も数多くあれど、それらが戻ってくる可能性はほとんど0に等しい。
ならば、公開しているうちに届くべきすべての人がその名前を知るべきなのです。
もっと早く知っていれば遊べたであろうゲームが貴方にもありませんか?
名前は知っていたけど後回しにしているうちに公開が終わってしまったゲーム、久しぶりに遊ぼうとしたらHDDのどこかに行ってしまったもう落とせないゲームだってあるでしょう。
「グラフィックにかけた手間は関係ない」だったらまあ分からなくはないんだけど、「グラフィックの出来」だと流石にゴミみたいなグラフィックで面白かったゲームは思いつかないなあと。
そもそもゲームをデザインする段階でグラフィックはどうしてもくっついてくる訳じゃん。
そのゲームがどういう思想で作られているのか、コンセプトはどういうものなのか、それぞれのキャラの役割を伝えたりユーザーインタフェースを良くしたりと、ゲームとしてのコミュニケーション能力を支える重要なパーツでしょ。
たとえばRPGツクールのデフォルトグラフィックだけのゲームは素材を探す手間さえかかってないけど、ゲーム全体を通してグラフィックは統一されているし、それぞれのグラを与えられたキャラクターの役割(例:魔法使いだからHPは低いけど魔法攻撃は強い 水の精霊だから水属性)はシッカリ伝わるからねあのデフォルトグラは。
(おっとここで風のリグレットで反論しようとしたキミは見事にダウトだ~~~あのゲームは想像を掻き立てるシンプルなパッケージデザインと黒一色の画面という強烈なグラフィックを武器にしており、手間はそれほどかかってなくとも「グラフィックのインパクト」「ゲーム性を伝えるコミュニケーション能力」という意味では高得点なのだから~~~)
駄目なゲームにありがちなこととして「グラフィックによるコミュニケーションを軽んじている」という部分があるんだよ。
ゲームってのは基本的にはゴッコ遊びなので、グラフィックを見た瞬間にそのキャラクターや行為が持つ役割が伝わってこないとアカンのよね。
スピードが早いものにはスピードの早いグラフィックを当てはめるべきだし、鈍重なものは重たそうなグラフィックであるべきなのよ。
そしてなによりそのゲームが想定している「こういうイメージで遊んでくださいね」というものがゲーム画面をみてすぐに、そして少しでも具体的に伝わったほうがいい。
弾幕STGが人を引き付けるのは「一見回避が難しそうな弾が画面いっぱいに広がっていて、これをクリア出来たら全能感が凄いだろうな」と想像させる力があるから。
逆にクソゲーと呼ばれがちなSTGは「一見避けやすそうなのに全然避けられない弾が飛んできて、この程度も避けられない自分は無能だと感じさせてくる」ってパターンがかなり多いわけよ。
ゲームってのは元々はTRPG(テーブルRPG。サイコロ遊びと指輪物語ごっことノート迷路を足したようなの)みたいなごっこ遊びに端を発したものであり、ゲームソフトはGM(ゲームマスター(語り部・ディーラーぐらいの意味))としての役目があるわけなんだからさ、そこはちゃんと「今、こういうことをしています。この遊びはこういう所が楽しいよ」ってちゃんと伝えてくれなきゃ。
なんか手抜き感満載のグラフィックな上にそれぞれがどういう役割を持ってるのかも伝わらず、結局やってることがシックリ来ないし、どう楽しいのかも伝わらないならそんなゲームの評価はやっぱ下がるよ。
思い切って文字だけで表現するとか、諦めて汎用フリーグラフィックを使うとかで誤魔化してもいいから、少しでも自分のゲームがどういうものかを伝える努力をすることにエネルギーを使うべきなんだって。
https://kids-future-passport.org
「こどもごちめし」は基本的には月に1回、1000円までのメシが食えるみたい。中学生まで。
このNPO法人にはやたらアーティストが多いように感じるが、他のNPO法人を知らないからそんなもんなのか?も知らん。
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支援しないくせにケチつけるな、とか言われそうだが安心して欲しい。
俺がケチをつけるのは出前館だ。このNPOでも、ごちめしでもない。基本的にはね。
8月1日から出前館がごちめしクーポンというのを始めるらしい。
配達員の一部と、お客様の一部から、かなり粘着質に嫌われている(と俺は認識している)
興味ある人は「みんひょう 出前館」でググってレビューを見てみたり、
iPhoneやAndroidの出前館アプリのレビューをみたら嫌われっぷりが分かる。
ともかく、めっちゃ嫌われている。
まぁ、ああいうのはアンチこそ熱心に書き込むものなので実態は知らん。そう見えるだけかもしらん。
プレスリリースをみると今の日本は、約280万人の子供が貧困状態にあるらしい。
大変だ。
そんな現状を月1回のクーポンで解決できるとはとても思えないが、、、、まぁ、何もしないよりはマシだろうw
出前館も「ごちめしクーポン」で「こどもごちめし」に対応するようだ。
ただ、どうも説明を見る限りでは1000円引きクーポンのように思える。
ふむ。
フードデリバリーを利用した人なら当然知っていると思うが、出前館にしろUberにしろ、普通に「割増価格」なんだよね。
店で1000円で食えるものは、だいたい1350円か1400円になってる。
これは良心的な大手チェーン店の話で、ひどい店?になると、単なる豚丼で2100円とかしたりする。
お前、適正価格800円くらいだろ…ってのは俺が勝手に思ってるだけで、まぁ店が決める事だけどさ。
いいんだよ、貧困家庭に贅沢をさせてあげるのは全然素晴らしい活動なので、俺はNPO法人はとってもよいと思ってる。
ただ(おそらく)出前館は35%以上の利益を得るわけで、これって慈善事業なのかな???
でも出前館が1000円のクーポンを負担するのではなく、おそらく、他の飲食店同様、1000円はNPO法人から、ひいては、このNPO法人に寄付した支援者のお金から出るわけだ。
●レッツWork!
出前館の注文アプリで、マクドナルドのホットアップルパイ190円を注文しようとしてみてほしい。
現金支払いで。
貧困家庭に偏見を持つわけではないが、クレカ支払いより現金支払いの方が確率は高いだろう。
出前館で、ホットアップルパイ1個 190円を注文すると、支払総額は1050円になる。
ちなみに、店頭で購入すると140円だ。
配達員はボランティアじゃないし、出前館はNPO法人ではなく営利企業なんだから。
でも140円のホットアップルパイが1050円になるのを「ボッタクリ」と感じてしまうのも、これまた当然であろう。
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ちなみにこれは余談なので、別に本質ではない。普通、そんなへんな注文の仕方はあまりしないから。する人も居るだろうけど。
なるほど。
しょっちゅう送料無料キャンペーンやっていたので、送料無料のイメージが強いが、それはコロナ禍の話。
今は、6年連続赤字で、毎年100億とか200億とか300億とか、80億とか赤字を出していたせいで、送料無料キャンペーンは現在行われていない。
送料は420円かかる。
これはどういう事か?
仮に、マクドナルドのホットアップルパイ 店頭価格140円のものを、ごちめしクーポンで注文すると、
そんなアホな注文する方が悪いか。そうか。
現金支払いで110円の手数料がかかるので、1100円なら1630円、クレカ払いでも1520円
630円とか520円でメシが食える。
送料無料じゃないって事は、高い商品頼むわけにもいかず、なんか安いメシを一応お得だけど割高に食わされて出前館に利益を吸い取られているように感じる。
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月1しか支援しない、出来ないなら「いいもの食わせてやろう」とかならんかね?
もしくは、毎日は無理でも毎週クーポンを使えるようにするとかさ。まぁそれはNPOの方の仕切りだから文句は言わない。意見表明に留めとくわ。
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あなたが貧困の子供のために1100円支援したら、貧困の子供は自腹で630円で牛焼めしの特盛が食べれます。
月1回の贅沢です。
牛めしの特盛なんて店行ったら790円で食べれるんだよ。
(790円は十分高い贅沢品だけどさ)
1100円の支援があって、やっと貧困の子供が【自腹で】630円を払って牛めしの特盛食えるってさ。
1100円の支援に対して、160円しか助けになってないよね???
これは悪意ある計算だけどさ。
松屋が直で、ごちめしに対応したら、1100円のうち100円がNPO法人の手数料で
自腹を払わずに、牛めしの特盛が食えるんだ。 タダメシだよ!!!
うん。
出前館さえいなきゃ、タダメシが食えるのに、家に配達してもらうから630円支払うって…
貧困家庭の助けになってないって。
いや、助かるお母さんが居るのはわかるよ。