はてなキーワード: bgmとは
オモモという単語を見いだしてしまうブクマがいくつか出ているが、一つ言わせてもらいたい。
2003年から2014年まで続いた、シールオンラインというMMORPGのモンスター(正確にはバイルと呼ぶ)である。
当時珍しいトゥーンシェーディングを利用した可愛らしいアニメ調の3DMMORPGでありながら、ラグナロクオンラインに似た耳に残るキャッチーなBGMと意外に重厚な世界観で人気を博したタイトルだ。
MMOによくあるスキルを回していく戦闘スタイルだけでなく、決まった順番でA,S,Dキーをタイミングよく押すことで多様なコンボ技を繰り出せる、コマンド入力風のバトルもユニークなRPGだった。
モンスターも動物をモチーフにした狂気にあふれるデザインのものが多く、スプラッタなブッチャーナイフを振り回すウサギのラビなどが象徴的だ。
その中にあって、オモモは中盤の町へ向かうための上り坂に群生している二足歩行の🐑モンスターでありながら、目出し帽の覆面をかぶり遠距離から強力な機関銃攻撃をしてくる、初心者のトラウマ級モンスターなのである。
正式な名前は「寂しいオモモ」。これと対になるような、「楽しいエメメ」という二足歩行の🐑モンスターも存在し、対比される陰湿ぶりに恐れ慄いたものである。一体何があって楽しげにぴょこぴょこ跳ねながらステッキで魔法を放っていた存在が、まるで銀行強盗と化して銃乱射をするような寂しい羊になってしまったのか。いやむしろ生まれた時からそうだったのか。
今となってはすべてが謎である。
なんかよく知らないんだけど誰かが死んだらしくて友達がみんなおろおろさめざめしている。
増田は誰だか全然しらんので死んだんかぁ、ぐらいに思っているが皆ひどく動揺しているのでなんて声をかけたらいいものかわからない。
先日友人の家の犬が死んだ。とてもとても悲しんでいたが増田の家の犬ではないため、これもなんて声をかけたらいいものかわからない。
そもそも増田は犬も猫も飼った事ないし、厳密に感情がわからないのだ。体験した事ない人間に慰められるのは不愉快じゃないだろうか。
芸能人が死んだときもどういう事を喋れば正解なのかわからなかった。
根本的に増田は希死念慮が強くていつでも死にたい故、正直な気持ちを語れば「死ねて羨ましい~」だがこんなこと言ったらそれこそボコボコに殴られるだろうな。
5年前祖父が死んで、家族は皆泣き続けていたが、増田はなんだかよくわからなかった。
祖父が自分にしてくれた事、思い出なんかを脳裏に描いてみたが、あんまり出てこなかった。
それに目の前で泣いている親、つまり祖父の子供とかと比較すると格段に思い出レベルが低いに決まっている。
もちろんそんな事は告げなかったが、むしろ死体の冷たさや骨の残り方、葬儀の一連の流れに感動を覚えた。申し訳ないながらそんな微妙な気持ちでお花を置いた。
厳密に言えば涙は出たが、それは周囲が皆泣いている、その場自体がかなしい状況だから泣いている感じだった。
増田は話がよくわかんなくても君の名は。でRADのBGMが流れてくると号泣してしまう増田なので場に流されて泣いてしまうのである。
そういう感じで、別に「俺は感情がない・・・」なんてのでは微塵もないが、どうしても他人が死に対して悲しんでいるのを理解できていない。
何を言っても不謹慎になってしまうだろうから基本黙っているけど、いつも人や動物が死んだときモヤモヤしてしょうがない。
人が死んだときって、どういう話をするのが一番正しいんだろうね?
1月20日(水)から27日(水)まで、渋谷PARCO5階「PARCO de YOSHIMOTO」にて『月刊芸人 PHOTO EXHIBITION @ SHIBUYA PARCO』の写真展が開催される。若手吉本芸人の魅力をお届けするウェブマガジン『月刊芸人』の表紙や特集で掲載されてきたレアフォトが展示されることもあって、プレミアムなイベントになること間違いなし。いやがうえにも、期待が高まる。
そんな会場で流れるBGMを担当するのが、本誌でも音楽コラム『俺のプレイリスト』を担当するニューヨーク・嶋佐和也だ。こちらでは、彼が、渋谷PARCO地下1階にある『ユニオンレコード渋谷』に出向き、直接ディグって選曲したプレイリスト『渋谷で聴きたくなる曲』の特別公開と、今回のコラボレーションについて話を伺った。なお、プレイリストに関しては、全部で4パターンあるので、会場に行って確かめてほしい https://medium.com/@akashyapparikh/how-fatphobia-is-leading-to-poor-care-in-the-pandemic-bd5ec7481784
だとしたらサウンドノベルって呼び方のほうがやっぱり正しいんじゃねえかな?
でもそっちの呼び方は滅んでるんだよな。
いやもうどっちも合わせてヴィジュアルサウンドノベルって呼ぶべきだろ。
VSNでいいだろ。
ギャルゲーじゃなくて
注意:鬼滅の刃が大好きな人、読んで気分を悪くしたらごめんなさい。
今まで流行りものを進んで見るのは敬遠してきた。半沢直樹も、進撃の巨人も、米津玄師も全く知らないしむしろ進んで見ないことを選択してきた僕が鬼滅の刃を見た。その際にいろいろ思うことがあったから忘れないうちに書く。
まず、なんで鬼滅の刃を見たのかということだけど、流行っているから、ではなく、好きな女の子と話を合わせるためだった。1年くらい前、鬼滅の話をツイッターでしていたのを見て、慌てて見始めたが、序盤の退屈な展開と、戦闘中に寒いギャグ入れてくるナンセンスさと、善逸のうるささと、死体のグロさで、13話くらい(善逸と伊之助がそろったところくらい)まで見てしばらく見るのをやめていた。(でもBGMは高く評価してた)それで、最近になって女の子とlineをしていたら鬼滅の話になったので、これはまずいぞぅと思って2日でのこりの全話みて今日映画見てきた。
アニメは、最初はつまらなく感じていたが、蜘蛛一家を倒して柱が出てくるあたりでちょっとだけ面白くなってきた。それでも同じ会社のFateやら空の境界やらと比べたら、まだ微妙だなあと思ってた。ちなみに冨岡さんが出るシーンは爆笑してた。あの人いつも真顔でおもしろいもんね。
今回の映画の主役は煉獄さんだったが、アニメを見る前の煉獄さんの印象は「目がこわいなあ、なんか嫌だなあ」という感じだった。アニメで初めて煉獄さんの声を聴いた時、はつらつな熱血そうな人、という感じでそこそこの好印象だった。
まず列車の中で煉獄さんが「うまい!うまい!」と言いながら弁当食ってるシーンは笑った。その後鬼が出てきて、煉獄さんが炎の呼吸使って秒殺するところは、さすがのufo作画だけあってかっこよかった。で、その後眠らされて炭治郎と煉獄さんが幸せな夢を見てるシーン、炭治郎が泣きながら家族を見捨てていくところは泣きそうになった。でも泣かない。逆張りオタクだから。
炭治郎の無意識領域で、核を殺しに来た少年を導いてる無意識妖精さんを見て泣きそうになった。おま、おま、お人よしにもほどがあるだろう。そんなんだから毎回死にそうになるんだぞ、と思った。それとは逆に煉獄さんの無意識領域が焼けた荒野なのもなんかジーンときた。はつらつな人の無意識がそんな荒野なのって悲しくないですか。
それから飛んで、炭治郎と伊之助が列車一体鬼の首を斬るシーン。斬ったのはいいんだけど、運転手が炭治郎のお腹に針みたいの刺しちゃって、炭治郎が怪我をしちゃう場面。列車が脱線して倒れてから、運転手は列車の下敷きになるんだけど、炭治郎が伊之助に「その人も助けてやってくれ」みたいな事言いますよね。オイオイオイ、このお人よしが、ってなった。伊之助がぶちぎれて助けないようにしようとしてたが、僕はこっちの方に賛成だった。なぜなら僕はお人よしじゃないし、その運転手が足を引っ張ったから。
アニメ1話からここまで見てきた全体的な印象として、炭治郎はあまりにお人よし過ぎると思った。乗客全員救おうとするし、鬼の事情を思って一人で悲しくなっているし、実際結果がどうであれ、思想だけで言えばめちゃめちゃ綺麗で道徳的なことであると思うのだが、あまりに理想を追いすぎている。それは炭治郎が中途半端に実力を持っているために、救えない命を救おうとして、それが空回りして、そう映っているように見えるのかもしれない。鬼滅の刃がいわゆるオタクではない一般層に人気がでたのはここら辺が大きいんじゃないかと思う。オタクが見るアニメは基本的に主人公は何らかの問題を抱えていて、決して道徳的とは言えなかったりすることが多い(ただしこれは、僕が型月のオタクだからそういう感じに慣れすぎてるだけってのが大きいと思う)。だから、主人公の炭治郎のお人よしさは、アニメなんか普段見ない人間じみた思想に浸された人たちには大うけするが、僕みたいな逆張りオタクは違和感を覚える評価になると思うし、伊之助の意見の方に賛同する人が多くなりそうである。小学生にうけてるのだって、炭治郎の生きざまを見れば正義のヒーローと変わらないもんな。
話を戻す。列車が倒れた後に上弦の猗窩座さんが出てきて煉獄さんとばとる事になるのだが、最後の一歩手前まではとてもよかった。なんか作画のいいドラゴンボールみたいだし、さすがufoだと思ったし、煉獄さんかっこいいなあと思った。
最後に煉獄さんが猗窩座さんの首に刀を食い込ませて猗窩座さんがヤベェってなってるとき、「いけー!れんごくさんがんばえ~!」と心の中で応援しながら首を斬るのを待っていたのだが、炭治郎が「煉獄さんを助けなきゃ!」といって飛び出していくシーンで、おいおいおい、まて、男と男の一騎打ちに首を突っ込むな、となった。そのあと(ぶっちゃけ詳しく覚えていないけど)煉獄さんが死んで猗窩座さんが逃げちゃって、負けるんかーい!!って思った。猗窩座さん逃げちゃったら回復して煉獄さんが負わせた傷とか全部無駄になっちゃうんじゃないの?煉獄さん無駄死に?え?え?となって困惑していた。かまたんが逃げる猗窩座に煉獄さんのほうがすごくてすごいんだぞ!みたいなことを言っていたような気がしたが、負けてちゃなにも意味がないだろうって思っちゃった。
それで、結局煉獄さん死んじゃってかまたん伊之助善逸みんなベソかいて、でも伊之助が奮い立たせるのは解釈合ってた。でもその後、伊之助が泣くのを堪えて修行に励むのかと思ったらぼろな気して女々しくかまたんをポカスカ叩いていたので解釈違い起こした。伊之助、お前は強くあれよ。
今回の映画は最後のシーンには納得はいかなかったけど、この後の物語につなぐための中間着地点としてはまあ妥当なのかなあなんて思ったり。
その後スクリーンから出て、トイレで「70点は高いし、60点は低い、うーん、67点くらいかなあ」と心の中で点数をつけていた。
何より煉獄さんがたった2時間主役になっただけで、あかざさんを殺せずに死んでしまったのが悲しかった。
ここまで書いて改めて、流行りものにツッコミいれながら見るのは気持ち悪いなあと感心してしまった。
映画を見る前は「もしかしたら僕は社会の波に飲まれて手のひらクルクルすることになるのではないか」と恐怖していたのだが、いざ映画を見てみたらナチュラルに僕の好みに合わないところを見つけて、「この気持ちは逆張りとは関係がないぞお」と嬉しくなる半面、そんなことで嬉しくなる自分に自己嫌悪を抱いた。
僕は逆張りのオタクだからこんな感想になったのだけど、ちゃんと流行りものに乗れるオタクはどんな感想だったのか気になる。
それではまた
人間の会話や余計なBGMもなく、車輪の音が程よい環境音でちょっと疲れたら窓のを外を覗いて動く景色が観れてこれがまた楽しい。
そして乗車時間というのが決まっているので無意識のうちに「次の駅にいくまでにここまでやろう」と区切りをつけられる。
そして自分の場合はさっき1.5時間ほど乗っていたんだけどこれがそろそろ座るのも疲れてきたな、というタイミングだったりして完璧だった。
隣に人がいるときはパソコン開いてカタカタするのは憚れるのだけど、そうでない場合すいてる時間帯を狙ってグリーン車で執務するのも悪くないかもしれない。
人間それぞれは自分なりの最善を尽くしているって考えていて、それ以上はなかなか自分では気が付きづらい。
だからこそ政府や組織のリーダーが旗を振って、具体的にこういうことをしていきましょうというように、常識をコントロールしていく必要がある。
ところが政府は、外食ばかりを目の敵にして、営業自粛やら補償やらで勝手に板挟みになっている。
もっと1市民レベルで対策を強化できることはいくらでもあって、まずはそこを具体的に示していこうよ。というのは、今回の緊急事態宣言の会見を聞いててずっと思ってた。
手洗い、消毒の再度見直し。
外食では食事中の会話を小声で、最低限にする。それに合わせてBGMも絞る。
人と直接会うことを回避して、リモートでできることはできるかぎりする。そのためのサービスなんかを民間に募って情報サイトを立ち上げる。
などなど。
そういう話をなくして、営業時間短縮、外出自粛を叫んだってどうすんの?とは思う。
コロナが流行りはじめて1年経つっていうのに、未だにデビ婦人見たく「意識高いから大丈夫」っていう人が一定数いるのは驚きでしかないんだけど、でも、それが現実。
そういう人に「無症状でも感染します。」って何回言ってもわからない。
直前に抗体検査受けたって1時間後に体内でウィルスが急増してないとも限らないし、検査で検出されなくったってウィルスを持ち込んでないとは言い切れない。
だからただ「会食禁止」ってするのではなくて、何人まで、換気の徹底、食事と交流の時間を分けてマスク着用をする、とか、開催するならこうしなさい的なガイドラインをどんどん作り上げていったほうが健全だよなとは思う。
テレビ、冷蔵庫、エアコン、照明、ガスレンジ、トースター、電子レンジ、カバン、ノート、ペン、電卓、CD、耳かき、綿棒、カッター、ハサミ、メジャー、定規、救急箱、タンス、洗濯機、物干し竿、洗濯ピンチ、机、椅子、マウス、キーボード、ひげ剃り、ドライヤー、掃除機、扉、鍵、服、靴、靴紐、レシート、伝票、お菓子の袋、空気入れ、歯ブラシ、ピンセット、爪切り、
履歴を残して一覧化することが出来る。
定規やメジャーで図った長さ。
いつ歯磨きしたのか。
ピンセットで何本の毛を抜いたのか。
つまり、あらゆるものごとを記録して可視化することが出来るようになる。
使用許諾をとったうえでの話だが、より細やかなCMがうてるようになる。
売ったら終わりではなくなる。
安くて保証がない製品より、より保証がしっかりしたメーカーの製品が値段の高い理由にすることが出来る。
家事ロボットのようなものにとって、全てがネットワークしていることは有利になる。
火事が少なくなる。
車のようなものの場合、車という大きな単位でネットワークに繋がっているのではなく
故障を正確に察知できる環境では車検の必要性があらためて問われる。
集計が正確になる。
眼鏡とかを通じて人が本当に観ているのかがわかる。
映画の指標として、入場者数だけではなく、人が熱心に観ていたかどうかの数字。
音楽がどれだけ再生されているのか正確にわかる。これは今でもわかるはずだ。
音楽がBGMとして流されているのか、そうではなくその音楽を聴くことに集中しているのか。
本はきちんと読まれているのか、理解されているのか、より理解される本。このへんも今の環境で出来ることが多い。
膨大なデータを処理して人間をサポートする機械の存在が重要になる。
これは現在でもそうだ。
いや、そうではなくて木の一本一本もネットワークされることになっていたらどうなるのか。
道路や電柱や、ガードレール、白線、盲導設備、手すり、存在するすべてのもの。
自動運転などにとって有利に働くことは間違い。
そういった社会では人がネットワーク化されていない、ネットワーク機器を持たいない場合には、その人は存在していないことになるのかもしれない。
というか、そのように規定できるかどうかが、その社会の発展に重要な要素となるかもしれない。
Twitterに投稿されるハメ撮りを時々オカズにするんだけどBGMがめちゃくちゃ気になる。
そもそもセックス中に音楽なんかかけたことないんだがどっかの地域の風習とかなのか。
アトリエは黄昏シリーズだけプレイ済み。現在は古城の翼竜倒したあたりで、まだ半分も行ってなさそう。
・通常戦闘曲『啓蟄、嬰の足』が当たり前のように7拍子なのがTHE・アトリエって感じで最高。
・ついでに拠点BGM『秘密の隠れ家』は当たり前のように5拍子。
・グラフィックはきれいに作られているように見えてハリボテ感がすごい。それ以外にも各所からどことない安っぽさが滲み出てる感じ。
・「錬金...術?」とか言い出す錬金術を知らないライザ、明らかに魔法とか使ってるし試験管とか最初から付けてるのは何なんだ。
・戦闘システムが面白い。ドラゴン相手に一回負けたけど、戦い方を変えただけで余裕で勝てるようになった。リアルタイムでの進行に焦りながらブレイクゲージを削って相手の攻撃を阻止するのが楽しい。
・明るい世界観のアトリエが初(!?)なのでだいぶほのぼのとするかと思いきやそんなことはなかった。とにかく人間関係がギスギスしている。シナリオもわりとシリアス。
・ビジュアル的にはライザはそんなに刺さるわけでもない。でもライザの冒険にやれやれって言いながら振り回される夏を送りたかった。
・良くも悪くもアトリエだなあと思う。調合が楽しいかイラストが好きかじゃないと厳しい。個人的にはキャラクターはそこまでだけど調合は楽しいのでヨシ。
誰向けでもない。ヘビロテした曲たち
普段からよく行く小さめのショッピングセンターに行ったんだけど、頭の疲労感が大きくてしんどいと思ったで考え直した。
そしたら
幸いにも「年内にそこに行かなければならない用事」はないから行けなくても死にやしないけど、しんどい。
Googleマップで施設の混雑の目安が知れるので、混雑の回避は難しくないが、店のBGMが大きいかどうかを知る方法が無いのでキツい。
手持ちのカナル式イヤホンは音源に繋がないで耳に挿すだけでも遮音効果が得られるので、イヤマフ代わりにつけてもいいけど視線が気になる。
というか、音が割れたBGMって健常者でも不快に感じると思う気がするんだけど、まったく気にしないもんなの?
【悲報】とわざわざつけるのも変な気がしたので、外しておきました