はてなキーワード: 青息吐息とは
それを言うなら青息吐息やで
もうちょっと上。国が関与して殺した
すでに他でも炎上してて青息吐息のボーイングだけど、今回死んだ人の告発がいちばん芯に近いところを食ってた
非常時の酸素供給マスクについては公的にも告発が真と認められている
告発者はボーイングの製造ラインそのものの欠陥も指摘してて、そこが公的に真と認められたら、ボーイングは完全に向こう数年は身動きが取れなくなる
737MAXだけでなく、全ての旅客機の生産ラインが動けなくなり、エアバスに無抵抗で市場を明け渡すことになる
アメリカとしてはそれは拒否したい、一方で世界のデファクトスタンダードを担うFAAが公正を欠く判断を下すわけにもいかない
昔の化学者のエピソードを見ると「合成した物質を舐めた」みたいな話がたまに出てくる
1965年、アメリカの製薬会社G.D.サール社の化学者ジェームズ・M・シュラッターが、ガストリンの合成に取り組んでいたときに偶然発見した[113]。シュラッターは、抗潰瘍薬の研究をして、ホルモンであるガストリンのテトラペプチドを生成する中間段階としてアスパルテームを合成した[113]。シュラッターは、薬包紙を持ち上げようとして、アスパルテームがついた指をなめて、その甘味を発見した[8][114][115]。トルン・アテラス・ガリンは、アスパルテームの開発を監督した[116]。
うん年前は私も大学で学生実験をやっていたわけだが、生成物を舐めるなんて発想はとてもじゃないが出てこなかった
まあ、私の場合は重金属を扱ってたので舐めたらヤバいと知っていたわけだが
アスパルテームの場合は製薬会社内の出来事、つまり薬学系なのでそこらへんの肌感覚が異なるのだろうか?そんなことないと思うがな……
Sucralose was discovered in 1976 by scientists from Tate & Lyle, working with researchers Leslie Hough and Shashikant Phadnis at Queen Elizabeth College (now part of King's College London).[21] While researching novel uses of sucrose and its synthetic derivatives, Phadnis was told to "test" a chlorinated sugar compound. According to an anecdotal account, Phadnis thought Hough asked him to "taste" it, so he did and found the compound to be exceptionally sweet.[22]
スクラロースは1976年、テート&ライルの科学者が、クィーン・エリザベス・カレッジ(現在はキングス・カレッジ・ロンドンの一部)の研究者レスリー・ハフ(Leslie Hough)とシャシカント・ファドニス(Shashikant Phadnis)と共同で発見した[21]。スクロースとその合成誘導体の新規用途を研究していたとき、ファドニスは塩素化された糖化合物を「テスト」するように言われた。逸話によると、ファドニスはハフから「味見」するように言われたと思い、実際に味見をしてみたところ、その化合物は非常に甘かったという[22]。
testをtasteと聞き間違えたからといって舐めるか?そうか、舐めたのか……
スクロースのヒドロキシ基を塩素で置換したものなので、まあ舐めても危険ではないくらいの認識はあったってことなんだろうか
Tate and Lyleは食品系の会社でそこの研究室での出来事なのか、なら味を確かめろって言われたら舐めるか……
科学者の倫理感の移り変わりが気になるので『世にも奇妙な人体実験の歴史』という本を買って読んでいる
少なくとも20世紀初頭くらい最近になっても現代基準で見ると危険な実験やりまくっていたようだ
自己実験とは違う話になるがデーモンコアの実験も1945年くらいか
前述の本を読んでいると「申請すると許可が下りるわけないので自分の体で実験して事後報告した」みたいなエピソードが出てきて笑う(笑えない)
シェーレが若死にしたのは同時代の化学者の例に漏れず、危険な実験条件のもとで研究を進めたためだと考えられている。また彼には物質を舐める癖があったため、毒性のある物質の毒にあたったのではともされる。
18世紀とかだと「まあ舐めて確認する人がいても不思議じゃないわな」と思うのだが
イギリスのとある医師がニトログリセリン舐めて心臓止まりそうになって死にかけたのが19世紀の出来事
舐めて死んだとか、舐めて大発見に気付いたみたいになっていないから記録に残らないだけで
有機系をやってた大学の頃の同期に「実験生成物を舐めるって発想あった?」と聞いてみたが「ありえん」の一言が返ってきた
現代日本の大学の研究室で、教授が学生に向けて「生成物を舐めて確認してみよう」なんて指導するところなんてありえるのだろうか?
流石にないだろう……あるのか?生成物がアミノ酸とかならありえるのか?有毒なものだってもちろんあるが生成物はだいたいこんな感じの物質って元素の内訳も構造もある程度予想ついてるなら舐めても多分大丈夫みたいな肌感覚が育つのだろうか?わからん世界だ
でも薬学系とか食品会社の研究所でも一度動物に摂取させるとかやると思ってたんだがな、きっと普通はやるのかもしれないが一部の人がいきなり舐めたのかもな……
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医学者による自己犠牲的とも勇敢ともいえる自分の体を使った研究ではなく
ある種の迂闊さでペロッと舐める科学者が今でも一定の割合でいるんじゃないか?という疑問を書いた日記
ペトリ皿に鼻水垂らしたのがきっかけでペニシリンを発見したという出来事は幸運な結果に終わった迂闊な出来事だったわけで
そういった種類のおおらかさは現代だとあまり許されないはずなんだよな~
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耳寄りな心臓の話(第2話)『爆薬が心臓病を癒す』 |はあと文庫|心日本心臓財団刊行物|公益財団法人 日本心臓財団
なぜニトログリセリンを舐めようという発想が出てきたのか?を伺い知ることが出来そうなエピソードもぐぐったらでてきた
20世紀初頭にイギリスの火薬工場で、週日の作業中は何も起こらないのに休みが終わって月曜日の仕事が始まると決まって胸痛を訴える工員が何人もいることが話題になりました。最初は工場で扱っている爆薬が原因で起こる病気を疑ったのですが、もともと持病に狭心症のあることがわかりました。
それというのも、原料であるニトログリセリンの粉塵が工場内に舞い、露出した皮膚や粘膜からある成分が吸収されて狭心症が抑えられていたものが、週末に休みをとることで粉塵にふれることもなく薬がきれて、月曜日に力仕事を始めることで狭心痛が起こったと推理されたのです。
痛む胸を押さえて、それこそ青息吐息の月曜日になったことから、「ブルーマンディ」という言葉が生まれたようです。今日では休日明けで、仕事や学校に行くのが億劫になる月曜日の憂鬱、月曜病の走りとなりました。
blue Mondayの語源がニトログリセリン説はかなーり怪しい気がする、勘だけど
これを調べるのも面白そうだ
『世にも奇妙な人体実験の歴史』によると1858年にフィールドという名のイギリスの医師がニトロを舐めたとある
その後1878年にウィリアム・マレルという医師が再度ニトロを舐めて効果を確認し、狭心症の治療薬として自分の患者に試した
火薬工場のエピソードは20世紀初頭……1901年頃ということになる
男だが、まぁわからんでもないところもある。
本屋で即目につく入り口近くの場所に、BLコーナーってでかでかと書いてあったとことか、ちょっと通りづらかったからな。
まぁ、紙媒体は青息吐息だろうし、表現の自由うんぬんだけじゃなく、そういう雑誌社が目につく場所から遠ざけられることに抗ってたりもしそうだなーとちょっと思う。
個人的に、エロ系がコンビニから消えようがクソほどどうでもいいけど、ロリ絵だとかそういうのはなんとも言えんな。なんならロリ絵は女性も好きな人いるしな。
そういう「絵の方向性」だけで公共の場に出すなとか言うのであれば、男側からも、先のBLとかもそうだが、BLでなくとも男がめちゃくっついてる絵とか雑誌の表紙とかやめてくれって思いたくなる人もいるだろし、他にも色々あるが、その辺りの不快感ってのはどちらも薄く我慢しなきゃしゃーないもんだと思うわ。
今回の件では、大学のハラスメント相談が使えないという話がかなり出ている。これは大学によるだろうが、教員が担当者である場合、基本的に使えないのは当たり前だと思ったほうがよい。
現在の大学教員には、きわめて多くの業務がある。学部広報、入試関連業務、人事関連業務、カリキュラム改正、学生間のトラブル対応、不正行為対応、意味のよく分からない研修、無数の会議と書類書き等々。それらの業務の合間に授業準備やら授業やら研究をちょろちょろっとやっている。果てはコロナでオンライン授業やらハイフレックス授業やらで青息吐息というのが現状。昔とは違って学生がおとなしくなったので、学生運動対応がなくなったのが、かろうじて救いとしてある。そういう状況のところに、教員によるハラスメントの対応という超ヘビーな仕事が降ってきたとして、まともに対応できるはずがない。
それでも時間を捻出して対応にあたるとして、大学教員には当たり前だが捜査権がない。警察と違って指紋採取などもできない。できるのは関係者を呼んで話を聞くことだけだ。しかも、その関係者の話がそれぞれに食い違っている。自分が担当したときには、まるで逆転裁判だと思った。良くも悪くも、当事者が全員、自分にとって都合のよい話をする。関係者同士が陰で口裏を合わせることもおそらくある。それを素人の大学教員が判断することになる。
しかも、これは大きな声で言えないのだが、明らかに当事者が精神を病んでいるケースもある。「電車に乗ったら乗客がみんな自分の悪口を言っていました」というような話を聞かされたこともある。完全に専門のカウンセラーが必要な領域だと思ったが、この手の話は本人のプライバシーにかかわる問題なので、勝手に病院に相談することもできず、まして学内で共有することもできないので、担当した教員と一部のスタッフで抱え込むしかない。
その反面、たしかに教員側に大きな問題があるケースもある。まじでクソなハラスメント野郎もいて、厄介ごとを引き起こしているのだが(ただし、外面は良かったりする)、その対応に当たる教員はめちゃくちゃに疲弊している。
以上を踏まえると、大学がまともにハラスメント対応をするためには、専門部署を作り、そこにかなりの予算と権限を与えるよりほかないと考える。
8月に湾岸でポルシェのGT2RSが起こした死亡事故について週刊誌が容疑者のプロフィールを暴露していたのを読んで「ああ、やっぱり」と思ったので、この機会に自分が知る「この手のスーパーカーを所有する人たち」について3つのカテゴリーに分けて全体に対する比率(自分の主観だが)も併せて書いておく。なお自分も跳ね馬を一台持っている者だ。
規模の大なり小なりはあるが、とりあえず一代で商売が当たって、憧れの車種を買った人間たち(自分はここに属している)。中小企業経営者が多い。このカテゴリに属する人間たちの傾向として、「車種」に対するこだわりが強く、小金持ちになったステータスとして高そうな車の中から気に入った車を選ぶのではなく「いつか〇〇社の〇〇が欲しい」とずっと思っていて、その夢を叶えた者たちである。
車の維持費もぽーんと出すんじゃなく、実は身を切る思いで捻出してるし、段差とかで擦ったりしたらハンドルを持ったまま小さく悲鳴をあげたりするし、高速道路の飛び石で傷がついたりしたら半べそかきながら我が子の髪を洗うかのように拭いたりしている。サーキットの走行会なんて半年に一度行くか行かないかで、行っても直線でちょっとだけ全開にするだけで大満足だ。
それでも人並みに承認欲求はあるので、おしなべて皆みんカラのアカウントは持ってるが、そのわりに友達もコミュもそう多くない。
とにかく大事に大事に乗ってるので、中古市場でよくあるショップの騙しではなく、本当に状態のいい個体が出てきた場合、前のオーナーはこのカテゴリーの人間で、しかも泣く泣く手放した個体と思っていい。
成りあがりAに比べると当てた一山が大きく、簡単に言うとAより金持ちである。名の知れた企業を一代で築き上げた経営者(あくまでイメージだけどZOZOの前澤氏みたいな人を想像して欲しい)もいるし、グループ規模に拡大した水商売経営者や芸能人、最近ではユーチューバーなんかがそうだ(あとは半グレ系?)。彼らの傾向として車は「まあ好き」であり、車種にこだわりはあまりない。彼らにとっての車とは夢ではなく「何かいいじゃんこれ」で衝動買いするものである。
維持費は特に気にしないし、雰囲気で乗ってるからあまり飛ばさない。したがってサーキットの走行会に現れることもあまりない。彼らも一応は大事に乗るが、彼らが大事に乗るのはリセールバリュー、つまり投機的価値も含めて下取り価格を落とさないためである。そのあたりがやはり彼らも成りあがりなのだ。
スーパーカーはすぐ壊れる。もう国産車じゃ考えられない所が考えられないような理由で壊れる。Aだと修理工場からの連絡をスマホの前で正座せんばかりにソワソワと何週間も待つが彼らは、あまりにそれが続くとさっさと下取りに出して次の車を買う。
コアな車好きとまでは行かない者が多いためか、みんカラのアカウントは持ってたり持ってなかったりで、持っていてもまったく更新されず「車を手放したのかな?」と思ってたらツイッターの方で活発に画像を上げてたりする。そして彼らもまた、友達もコミュもそう多くない。
※ここで前もって断っておくが御曹司と呼ばれる人種そのものに対して言ってるのではない。そのヒエラルキーに生きていながら、いまどきスーパーカーなんぞを乗り回す者たちのことだ。
高級車の中でも、スーパーカーを乗り回すのはこのカテゴリーが一番多い。親の代からの医者、親の代からの弁護士などの士業を始め、賃貸物件をいくつも持つ大地主、関西方面になると宗教関係が増える。言わば「生まれながらにしての勝者」だ。みんカラ率は高いが、主に走行会が多く、もっぱらInstagramで大皿にちょこっと乗っかった料理の写真を上げてる方が多い。
彼らに共通しているのは、そもそも裕福な家に生まれているので教育水準が高い者が多い。留学などの海外経験もあるし語学に堪能な者も少なくない。もちろん箸にも棒にも掛からず親に守られたまま大人になったような者もいるが、そういうのは比較的少数派で、この御曹司カテゴリの中もで少しずつ仲間外れになっていく。
このカテゴリだが、高い教育水準で身に着けたその知性と教養に反比例して、なぜか情緒と倫理が中高生くらいで止まっている。なんと言うか…幼稚なのだ。ざっくりまとめると絵に描いたような鼻持ちならない人種、そう、ワンピースに出てくる「天竜人」みたいな人たちだ。一言で言えば「傍若無人」である。この傍若無人さだが、他人のことなどお構いなしという傲慢さではなく、文字通り「傍らに人無きがごとく」である。ようするに他人を認識していないのだ。居酒屋でイキってるちょっと規模の大きな大学生のサークルをイメージして欲しい。
彼らはよくトラブルを起こす。自分が目の当たりにしたので多かったのは、ミーティング会場にしたレストラン、そのレストランの駐車場、高速のパーキングエリアなどだった。俗に言う(貧乏育ちの俺がこの表現使うのはおこがましいのだが)一般人からの、注意、クレームに対して逆上するのだ。「余に意見具申するか下民が!」とまさに天竜人のように。
たとえばガソリンスタンドを思い浮かべて欲しい。公道からそこに乗り入れるときにあなたの車が段差でこすってしまったとする。あなたはどうしますか?前述カテゴリ1である自分はその場で悲鳴をあげ給油前にリップスポイラーの傷を確認し、費用を鑑み修理するかどうかしばらく悶々とする。カテゴリ2の人間はたぶん「ああっ!…まあいっか」となる。ではこのカテゴリ3の人たちはと言えば、まず店員を呼びつけて「こんなに段差があるから自分の車に傷がついた。他にも被害に遭ってる客はいるはずだ。だいたい何でこういうのに配慮して段差を最小限にしないんだ、ガソリンスタンドなんて今青息吐息のくせに」となる(実話)。そしてあわよくば弁償すらさせようとする。ようするにこういう人間達なのだ。仮にも「先生」と呼ばれる職業であるにもかかわらずだ。
こういう人間たちが自分たちのヒエラルキーが通用しないトラブルが起きたときにどうするか?具体的に言えば警察沙汰である。主に事故である。彼らは事故を起こしたとき、警察よりも先に弁護士に電話をかける。よくツイッターで見かける「友人の弁護士」なんて真偽不明のものではなく、本物の弁護士の連絡先が彼らは普通に出てくる。友人のなんて言うふわっとした関係ではなく「代理人契約を視野にいれた」付き合いである。そもそも友人の弁護士による弁護なんて裁判所が認めるか甚だ疑問だ。
余談だが彼らの中には何人か、高校や大学時代に、自らが「やんちゃ」と矮小化するトラブルを親の雇った弁護士に解決してもらった経験がある者がいる。
あとは文字通り「弁護士に任せています」で終わりだ。刑事事件だと多少はめんどくさいことになるが、それでもだいたいは書類送検止まりか悪くて執行猶予である。これが民事だとしたら弁護士に依頼した時点で確実に終わりだ。あとは家の中にこもってコーンズから送られてきたカタログのページを平然としてめくっていればいい。怪我だろうが死亡事故だろうが弁護士は事実関係で争えない以上、執拗に和解に持ちかけようとする。そして大抵は和解になる。
おそらく彼らは親がそうやってトラブルから身を守る所を見ている。あるいは自分が起こした、被害者のいるトラブルを、親の雇った弁護士に解決してもらった経験がある。鼻持ちならないが、彼らにとってはこれは「当然の権利の行使」なのだ。
話を今回のポルシェ男に戻す。スーパーカーのオーナー達を多く見て、付き合ってきた自分として、この男はカテゴリ3の、なおかつ自分は箸にも棒にも掛からぬ存在だが、親と家に守られて歳を重ねて来たタイプと見た。彼はきっと今頃はとっくに保釈されて家で過ごしていると思う。なぜなら逃走する理由もなければ隠滅する証拠もないから。そして弁護士が遺族に和解の交渉をしているはずで、本人が被害者の家に謝りに行くなんて絶対にない。絶対にだ。
悲しいけど、悔しいけど今回の被害者の方たち、そして遺族の人たちは泣き寝入りするしかないと確信する。だからせめて和解金ふっかけるくらいはして良いと思う。幕引きのためなら彼らはおそらくポンと出す。
なぜ自分がこんなエントリを書こうと思ったかと言うと、今回のポルシェ男は息子が同乗してたと知ったからだ。息子は父のしでかしたこと、そして幕引きに至るまでの振る舞いをどう感じるだろうか。心底軽蔑して自分はそうならないと固く心に誓うか、それとも「なるほど、俺んちはこうやれば謝らなくても片がつくんだな?」と思うか。
たまたま用事があったので、千駄ヶ谷近辺のスポーツ施設やら何やらを見てきた。昔このへんで仕事をしていたことがあるので、昔と比べてピカピカになってしまった日本青年館とかオリンピック博物館(?)を見てあまりの違いに仰天した。新国立競技場は外からちらっと見ただけだが、やはりかなり手間と金がかかっていることだけはよく分かった。
今年世界がパンデミックに見舞われるとか、日本各地が豪雨に見舞われて悲惨な状態になるとか、誰にも予測できない事態だったとは思うが、当初予定通りだったら来週末からオリンピックかと思うとずいぶん無駄な投資をしてくれたもんだと思う。
私はオリンピック反対派なので延期になろうが中止になろうが痛くも痒くもないのだが、これだけの金を感染症対策や災害対策に使うことができたらどれだけ良かったことかと思う。こんなに金のかかった箱モノを一年間遊ばせておくのかと思うと頭痛がする。
卓球会場の東京体育館がなぜか絶賛工事中だったが、これオリンピックが予定通りに開催されていたら間に合ってないんじゃないだろうか。しかもここは2013年の東京国体の前にも大規模改修をしたはずなのにまた工事するなんてアホすぎる。新型コロナのせいで工事ができなかったのか、オリンピック延期が決まったから安心してゆっくりやってるのか知らんけど無駄遣いもたいがいにしてほしい。
それに、今旅行業界や宿泊業界は青息吐息で、この夏に日本人があちこち旅行してくれないと、再起不能になりかねないと聞く。仮に来年オリンピックが開催されたとしてもおもてなしどころか宿泊やアテンドをできる会社がないという事態に陥るのではないだろうか。
おそらく来年の夏になっても新型コロナを制圧できない国は残るだろう。もう来年の7月からオリンピックとか言ってないで、とっとと中止にしてほしい。百歩譲ってアスリートやスポーツ関係者のために「一年延期して開催する」というシナリオを残しておくにしても、中止になったらどう対処するかというシナリオも書いておいてほしい。一年延期になった分、関係者には時間の余裕ができたと思うので心の底からのお願いである。たぶんオリンピックに希望を持っている人ほど対応策を練っておかないと酷い目に遭うと思うよ。
昔から細々と続いていたものを艦これがメジャーにした艦船擬人化ゲー、確かに一時期は爆発的に流行ったけど、もはや過去の話。
少なくとも日本ではFGOとグラブルが強すぎて、以前の盛り上がりに比べたら完全に下火。
それこそ艦これでさえ「名前だけ知ってる」勢がマスになっていると思われるわけで。
というわけで割と傍流になっている艦船擬人化ゲー、日本での一番人気は間違いなくアズールレーンで、次点がアビス・ホライズン。
…なんて書くと「同人人気ガー」とか言い出すやつがいるけど、そんな話はしてねーから。
あくまでアクティブユーザー、つまり現行プレイヤー数の多寡の話だからな。
で、プレイヤー数ではイベのたびに引退ツイートの爆散が観測される昨今の艦これを尻目に、アズレンとアビホラが艦船擬人化ゲーを牽引する状態になっているのが現状。
そんなところに先日参戦した、新たな艦船擬人化ゲーがブルーオースと。
聞いた話だと、セガと裁判でやりあったアビホラも真っ青になるレベルで、中身が艦これアーケードのパクリらしいじゃん。
しかもPCで遊べるから艦これACほどにはカネがかからないと。
そしたら今やACにキャラを供給するだけの立場に没落した本家を支えるかのように、どうにか人気を保ってきた艦これACもいよいよ終わりってこと?
となると、今まで艦これって、ビギナーズラックで調子こいてたら、組織的かつ合理的な反撃で追い詰められて気がつけば青息吐息という、かつての大日本帝国ないし帝国海軍ををなぞったと散々嘲笑されてきたけど、その喩えで言うならブルーオースはソ連の対日参戦ですかね?
てか、こんなことになるなら艦これACをさっさとPCに移植しときゃよかったんだよ。
その本家だって、2期でもっと根本的なシステム更改でもしていれば、もう少し展開は違っただろうに。
いや、システムをいじってはいるが、改悪に改悪を重ねていてむしろしないほうがマシまであるし、アホすぎて乾いた笑いが出るわ。