はてなキーワード: 足枷とは
最初に言っておくけど特定の誰かの主張をレッテルを使わずに批判するのは問題無いです
いま"弱者男性論"でググってみたんだけど、
ちゃんと内容の整理された理論として確立されては無いよね弱者男性論って…
その時点で「弱者男性論を主張する人達」というのは使う人によって
都合よく定義をコロコロ変えられるレッテル以上の物にはならないよね?
こうも理論が整理されてない現状では仮に弱者男性論という理論を述べる人がいたとしても
だからその人を弱者男性論という言葉を使わずに批判した方が余計な議論をしなくて済むよね
改めて言っておくけど自分は弱者男性論を述べている人を批判する事については何も言ってない
「お前を倒すためにオレは生まれた! だから、お前を倒すことができる!」
戦うこと、目の前にいる“この個体”を倒すこと。
母に怪我を負わせたために廃棄されたロボットは、ここにきて母を倒すために生まれ変わった。
シックスティーンは人だけではなく、利己的にロボットの運命まで翻弄するんだ。
しかし、それでも詰めは甘かったといわざるを得ない。
今この場にいる母の覚悟を、シックスティーンは甘く見すぎである。
「確かに表面は固いけど、中身はどう? 間接部にも配線はいっぱいあるでしょうね」
「そこを狙うことくらい予測済みだ! 素手で引きちぎれるほど、俺のコードはヤワじゃないぞ!」
母は両腕を振り上げた。
「なにっ!?」
データには存在しない攻撃方法に、大型ロボットの対処が遅れる。
その隙を逃さず、母は攻撃を加えた。
「な、なんだそれは! 知らないぞ」
「今まで使える場面が無かったからね」
高速機動と空中旋回を可能とするブースター、日常生活において全く必要のない超音波ブレード。
戦いのために準備をしていたのは、何もシックスティーンだけじゃない。
この時、母の身体は医療用に施されていたパーツはなく、もはや完全に戦闘用だった。
「調理器具とかって、良いもの買っても持て余しがちよね。よく料理をする人でも、使う包丁は3種類くらいで落ち着くんだって」
「なんだ、何の話をしている」
「“専用包丁を使えるキカイがあって良かった~”って話。あなたのAI(お頭)で理解するには、ちょっとハイコンテクストだったかな」
「……侮るな! まだ左腕が動く」
「根性は認めるけれども、時間だから今日は終りね。お金には困ってないけど、1玉70円のキャベツは見過ごせないの」
その後もシックスティーンは大型ロボットの改良を重ねたが、いつも勝てそうで勝てなかった。
それもそのはず、母の体にはラボハテの最新技術が根付いている。
レギュレーションの問題はあったが、立場も状況も違う母にとっては関係のない制約。
同程度の実力なら、よりアドバンテージがあるか、足枷の少ない者が勝つのが道理だ。
世間一般から見れば、母の体は枷だらけかもしれないが、この戦いにおいては誰よりも自由といえた。
ちょっと本気を出せば勝てるだろうと思っていた相手に勝てないのだから。
これから書くことは、すべて本当のことです。
嘘をつく人が嫌いでした。しかしながら、人間だれしも嘘をつく生き物でありましたから、僕は億劫でなりませんでした。この世界には、いったいどれほどの嘘があるというのでしょうか。それとも、嘘というものは、人間が人間である以上、離れることのできない、いわば、足枷のようなものではないのか、などと考え、毎晩、眠ろうとも眠れぬ気持ちに駆られて、それから、戸棚の天板を外し、隠していた薬を口に運んで、それでようやく眠れる、というような生活を続けていたのでした。困窮した作家というのは、概してそのような生活をする生き物なのです。
知り合いの大塚くんが、わざわざ電車とタクシーを乗り継いで、東京の郊外にある小さな学生向けのアパートの一室にやって来て、金が無くなった、3万でいいから貸してくれ。貸してくれなければ、僕は明日にでも死んでしまうだろう、というのです。分かりきった嘘でありました。ははん、きっと彼は僕の弱さに付け込んで、競馬か、あるいはパチンコの軍資金を手に入れようとしているに違いない。僕はそう踏んで、やれ、お前のような人間に貸す金は、一円だって無い、と突っぱねました。しかし、大塚は酷くやつれた顔に、今にも死にそうな、それこそ、病床に伏した末期がんの患者のような姿で、半分泣きながら、僕にそれをねだるのでした。僕には、それを断る勇気がありませんでしたが、しかし、彼のそれを嘘であると見抜く自分の目が、また自分に嘘をついているのではないか、という疑念に駆られて、ひどく怖くなるのでした。
とうとう、僕は彼に金を貸す決意をしたのでした。いいえ、正確には、彼の求めた額の、ほんの数分の一でしかありませんでしたが(何しろ、このときの自分も、金には困っていたのです)、しかし僕は、その、天性のだまされやすさ、とでも言うべきか、はたまた、お人よしとでも言うべきものに従って、彼にそれだけの金を、預けたのでした。そうして、しまいには、雨の降る寒空の東京に、感謝の言葉……それも、見え透いた嘘でした…を口にしながら、いそいそと出ていこうとする彼を見て、僕は彼に、
といって、小さくお礼の言葉を繰り返しながら、彼の背中が消えていくのを見送る始末なのでした。
そんな小さな嘘をつく日々が、やがて行きつけの喫茶店のツケの催促状となって、僕の生活を、ゆっくりと侵食し始めたのは、今年の夏になってからのことでした。ちょうど、大陸産の……はて、確かなんとかという、新種のウイルスだったと覚えています……が、巷の人々の生活を、ゆっくりと変えていくのと同じくして、僕の生活も変わっていきました。
まずは、ある風俗嬢の話をしましょう。僕が住んでいる町は、決して良い場所ではありません。いや、僕の住むアパートの窓から、きれいな太平洋の姿が見えることを除けば、とても人が住む場所とは言えないのです。人気のない、寂れた街。住んでいるのは老人ばかりで、皆、学生運動の時代の人々です。僕のような若い人は、確かに住んでいるのもいますが、しかし、数は、とても少ないでしょう。そんな場所で、僕はもう3年も住んでいます。住めば都、とはよく言ったものですが、あれがもし日本の都であるというならば、この国は、もうおしまいです。
そんな街にも、歓楽街はあるのでした。僕はそこにある風俗店の、とある嬢と関係があって、それも、お金を払わずとも会ってくれるような、いわゆる「セックスフレンド」というやつでした。髪の毛を長く伸ばした、雅な彼女は、僕のことを襲っては、あなたとならどこまでも行きたい、というので、僕は困っていたのでした。僕からすれば、自分の欲求を満たせさえすれば、他のことはどうでもよいのでした。それに、彼女もきっと、自らの境遇を少しでも良くするために、僕にすり寄っていたのです……いや、しかし、作家と生活するというのは、彼女の生活よりも、はるかに地獄らしい地獄であることは、言うまでも無いでしょう。
浮浪者の数、それが増えたという些細な事実に神経が過敏に反応したのは、その彼女が、ひどくやつれた顔で、いつもは情熱的な行為も半ばに、半分泣きながら、僕の方によりかかってきた時だったのです。
「どうした?」
彼女は、僕に抱き寄りました。乳はそれほど大きくありませんでしたが、悲しくありました。華奢な体が、いつの間にか、皮膚と骨だけのようになっていました。寒かったので、リモコンで暖房をつけました。部屋は暗く、ぼんやりとしていました。
「仕事……無くなりました」
「お金か?なら僕が」
「いいえ、いりません」
貧乏な人。
僕はその言葉に、ただぽかんと、宙を見つめることしかできませんでした。
「そうか…」僕はそう言って、立ち上がろうとしましたが、彼女が僕の男根を触ってきたので、そのまま動かないようにしました。
彼女は、一流でした。芸術家でした。きっと、マネも、ゴーギャンも、彼女を見たら、モデルにしたいと思うでしょう。僕は彼女のなすがままに、身を任せました。気が付けば、僕の横で、彼女が倒れているのです。そう、一流の芸術は、それを見ているときには、芸術とは思えないものなのです。すべてが終わった後になって、それがそうだったと気が付いて、それで、唐突に称えるものなのです。
だから僕は、称えようなどとは思いませんでした。同時に、彼女を貶めようとも思いませんでした。ただ、せめて何かの助けにならないかと、思ったのです。僕は、彼女が一流の芸術家であることは知っていたのです。僕は、隣で静かに眠る彼女を起こさないように体を持ち上げると、枕元に、なけなしの現金を添えて、着替えをして部屋を出ていきました。ホテルの受付で、彼女がまだ寝ていることを告げ、足早に去りました。
寒い朝でした。僕の心も、冷たく冷え切っていました。口から吐く息が白く濁って、真っ白な東京に溶けていきました。きっと、その息の中に、僕の魂も溶けているのでしょう。あと何十万回と息を繰り返せば、僕はやがて倒れてしまうのでしょう。そんなことを思いながら、僕は行きつけの喫茶店へ向かいました。毎朝、彼女と寝た日の翌日には、その店で一杯のコーヒーを飲んで、焼き立ての目玉焼きを食べるのが習慣でした。
もともと、払う金もなかったのだそうです。部屋で、薬を飲んで死んでいたのでした。ベッドの上で。僕は、そう、きっとあの時、僕が目覚めた時には、彼女は部屋で、既に死人となっていたのでしょう。「この世で最も重いものは、もう愛していない女の体である」という言葉は、案外的を射ているのかもしれません。実際、彼女の体は、ひどく重かったのです。あんなに華奢で、弱弱しかったのに、です。
彼女の体重は僕が最後に彼女の…生きている彼女…つまり、生き生きとしているという意味での…彼女に会ったときよりも、20キロも痩せていました。彼女の住んでいる安アパートの大家さんも、同じことを言っていました。僕が作家であると言って、なけなしの三流小説のいくつかを持っていくと、取材とのことであれば、と言って大家さんは僕を家に上げてくれました。初老の女性でした。しわの多い、低い声の、優しそうな老婆でした。
「過食症ですよ、ご存じですか」
「いいえ、まったく」嘘。この春、僕もなったばかりでした。
「食べては吐くのです。精神的な病です。この前、私のところで、彼女のために飯を作ってやったのです。彼女は一人で、5人前も食べましたが、その後すぐに、全部吐き出しました。きっと、胃袋の中身は空っぽなのでしょう。私はそれを全部ふいてやって、それから、今日は遅いから早く寝なさい、と言いました。彼女も、いくらかそれを理解したようで、その日は早く眠りました。えぇ、目の色が、死んでいましたよ。あぁ言う人は、良くこのアパートを借りるんです。きっと、そうして、死ぬのです。ここは、自殺の名所なんです。あの樹海なんかよりも、ずっとね」
いつの間にか、僕は老婆の話に聞き入っていました。滅びゆく人間の話を聞くのが、好きだったのです。枯れていく花を見つめるのを、趣味としていた僕にとって、それは当然でありました。
「ほかにも、死んだ人が?」
「いますよ。伝染病が流行ってから、もう3人目です。みんな孤独ですから、私が代わりに葬式に立ち会っているのです」
一人は、サラリーマンでした。職を失って、いわゆる、リモートワークというやつになったのだそうです。画面越しに仕事をしているうちに、あぁ、彼は、自分が、他人に見られない場所にいられることに安堵したのだ。そうして、ふと、見られないならば、死んでもいいと思ったに違いない。アパートの二階で、首を吊ったらしい。大家の話によれば、彼の部屋に入ると、糞尿を垂らしていたという。きっと、すべてをあきらめた死刑囚と同じ気持ちだったに違いない。
もう一人は、哀れ、まだ若い女子大生。彼女は、部屋のドアノブにひもを括り付けて、死んだそうです。生気を失った人というのは、ちょうどゴム人形のようなのだとのことでした。体液で、部屋の床が変色するのです。皮膚は、とても冷たい、冷たい。彼女の遺言は、ただ一行だけで、それ以外には、何もなかったといいます。
寂しい
この一行に、どれだけの言葉がないまぜになっているのか、きっと君ならわかってくれるはずです。僕も、同じことを、何度思ったのか分かりません。
彼女は、卒業を間近に控えていました。卒業論文を書けば、良かったのです。しかし、彼女は、家庭の都合から、泣く泣く大学を辞めたのだといいます。僕とは大違いです。たくさんの猶予をもらった、モラトリアムな人間とは大違いです。彼女はまじめで、多くの人に悲しまれたといいます。それも一度だって彼女のことを見たことのない人も。
特に、テレビの報道はひどいものだったといいます。僕は、もうずいぶん長いこと、テレビなんて言うものは、俗悪で、卑猥なものと一蹴して、見てもいませんでしたから、そんなニュースを知りもしませんでした。彼女の死は、政権批判のタネにされたのでしょう。大家も、今の政治はだめだ、と漏らしていました。その言葉を聞いて、僕は悲しくなりました。
一人の死です。これほどまでに、あっさりと、人が死ぬのです。
僕は、大家に礼を言って、その帰りに、例の少女の墓を聞きました。近くの霊園にありました。立派な墓だったのです。きっと、僕は死んでも、こんな立派な墓は立ててもらえないでしょう。立ててもらえるとしても、僕は断るつもりです。
雨が降っていました。カエルが、一匹、彼女の墓石にできた水たまりで、ゲコゲコと鳴いていました。名前は、よく見えませんでした。僕も泣いていたのです。帰り際に、僕は一輪の花を見ました。何の花かは覚えていません。でも、とても、寂しいことだけは、覚えています。
*
949。
この数字が、何を表すのかは、ご想像にお任せします。きっと、僕のこの文章を読んだ人の多くが、ピンと来るはずです。だって、あんなに毛嫌いしていたテレビが嫌でもついていて、そうして、毎日のように流れてくれば、誰だって敏感になるのですから。
僕は狭い6畳のアパートにいます。学生向けの小さなアパートです。大の大人が、借りているのです。近所の人はみんな、学生です。
若い人というのは元気です。今日は、お隣の音楽学校の生徒が、バイト先の人たちと、ちょっとした遊びをしに行くのだといいます。僕がそれを知っているのは、アパートの部屋の壁が、とても薄いからです。前は、男と女の、汚い喘ぎ声が聞こえて、僕はいつも、すぐに部屋を飛び出して、近くの銭湯へ行き、用もないのに、やれ、世間話に花を咲かせる老人たちと、碁を打ったりしたのです。ですが、ここのところは、彼女たちの電話する声しか、聞こえてきません。あるいは、その、例の「リモート授業」とでも言うべきものを、受けているのでしょうか。
コロナ禍において[判読不能]、あるいは、私たちは自覚を持つべきです。若者が[判読不能]なことをしているために・・私たちが悪い…また今度。
そんな内容のことを、表では言いながら、例の、「遊び」には、行くのです。きっとこう書いて、そう、君、この文章をネット上で見つけた下世話な君は、ここだけを切り取って、「若者の乱れた考えが云々」という、お決まりの文句を言うのでしょう。僕がこう言っても、きっとそういうに違いない。お好きにしてください。僕は何もしませんし、それも見ませんから。
大人には、彼らの気持ちが分かるはずありません。きっとあなたは、この文章を読んで、そんな気持ち、皆同じだ。お前だけ特別なことのように語るな。それに、何だこの下手糞な文章は。お前は、太宰治にでもなったつもりか、というでしょう。
みんなと同じ。
そうです。その通りです。僕は、みんなと同じです。みんなと同じく、孤独なのです。きっと、あの病院で遅くまで働いているナースの彼女も、同じです。きっと、街中へ出て、夜まで飲んでから帰る政治家も同じです。みんな孤独なのです。孤独だから、寂しいから、みんな、死んでいくのです。
みんな同じなのです。みんな同じ気持ちなのです。ですから、みんな同じなのです。
なんとか、なる。
そう書いた作家もおりました。みんな同じです。
みんなで耐えましょう。みんなで耐えれば、良くなります。今こそ、農村地帯の、あの共同で助け合う気持ちが、大切なのです。みんな、そういいます。
僕の故郷では、旅人が殺されたそうですよ。バレないように、死体は埋めたそうです。ドラム缶でよく燃やしてから、埋めたそうです。みんな同じです。
僕は作家です。ですから、僕は今、目の前で起きたり、耳で聞いたりしていることしか、書いていません。それ以外のことは、妄想は、一行だって書いていません。僕の知り合いが、首を吊りました。僕の知り合いが、電車に飛び込みました。もうすぐ、始まります。みんな、合掌しながら飛び込むのです。こんな世界に、何の希望があるというのでしょうか。
みんな「またいつか」と言って、去りました。そのいつかに、用があるのに。そのいつか、は、もうやってこないのに。
いつか、という言葉は、とても面白いのです。いつ、という疑問の言葉に、か、という呼びかけを付けるだけで、日本人は、未来を指せます。そして、いまでないどこか、今でないどこかに、この「現在」から伸びる直線上に、架空の点を置いて、それを呼ぶのです。ひもを引っ張り続ければ、必ず訪れる、「いつか」をです。
でも、これを英語で言うと、とたんに「See you again」という言葉になって、変わります。「またお会いしましょう」というのが、直訳です。また、というのは、いつのことなのでしょうか。僕には、わかりません。
経験は、僕と未来の僕の間に、差を作ります。もしも僕が生きていたとすれば、そこにいる僕は「彼は昔の彼ならず」という言葉通りになります。何か大きな災害が起きて、僕は死んでいるかもしれません。何か、特別なことがあって、僕は生きているかもしれません。
それでも、あなたは、大人という生き物は「みんなと同じだ、我慢しろ」というのですか。
僕はそんなこといいません。「僕も同じです」といって、そばにいます。
それが、今の僕が吐くことのできる、精いっぱいの嘘です。
生理って基本的に女性にとってはデメリットでしかない足枷的なものだと思うし、私自身もPMSで困ったり、腹痛も初日、二日目あたりは市販薬をたまに使うくらいあったりするんだけど生理と生理中が結構好きだったりする。
生理が好きってどういうことだよ、意味がわからないと大半の人は感じると思うので、私が生理が好きな理由を書きます。
※生々しくて汚い話なので注意してください。
■経血のにおいが好き
あの独特のにおいが好きで小学生くらいからナプキンを取り替えるときににおいを嗅ぐくせがあって大人になってもやめられない。
実はこれはネットで検索すると「経血を吸ったナプキンのにおいを嗅ぐのが好き」という書き込みがあったりするので自分だけじゃないとわかって安心している。
角栓や耳垢除去の動画を見てしまう心理に近いものなのかもしれない。
■メノフィリアの気がある?
自分の経血に興奮していることをメノフィリアと言って良いのかわからないけど、ドロっとした塊やたっぷり血を吸ったナプキンを見ると興奮というかちょっとした高揚感があるし、生理中は性欲が強くなりオナニーをよくしてしまう。他人の経血に対して興奮するかはわからない。
生理中の全体的に身体に重しがついたような感じが好きでベッドに横になってひたすらボーッとするのが好き。ただ思考力や集中力も低下するので外出や作業を強いられるのはつらい。
■そもそも血が好き
子どもの頃に針でちょっと指を刺してぷくっと血を出すのが好きだったし、包丁で指を軽く切ったときに真っ赤な血が出ると少しワクワクする。ちなみにリストカットはしたことがない(跡が残って半袖が着られなくなるらしいので)
■まとめ
自分で書いてて本当に気持ち悪いと思うし、ここまで読んだ人は男女問わずドン引きしていると思うが、犯罪は犯していないし自己完結している性嗜好なのでこういう女が存在することくらいは許してほしい気持ちがあります。
生理で苦しんでいる人を傷つける意図は全くないのでこうして綴っているだけでも罪悪感があるのですが、本当にただ存在しているだけなので許してほしい…
自分は異常者なのか?加害性のある嗜好なのか?と悩むこともあるのでこうして書くのも結構勇気がいりました。じゃあなんで書いたんだよって言うと共感してくれる人がひとりでもいたらちょっと救われそうだからです。いる?
まとめ:勉強がアイデンティティだった人間が、仕事でも自己実現できると信じていたのに叶わず挫折。
自分が反面教師にしていた生き方を歩まざるを得なくなり、幸せなはずなのにアイデンティティが崩壊して辛くなってるって話。
昔、父親に
女だからって化粧ばかりしていては馬鹿になるぞ。賢さは一生のものだから化粧より勉強しなさいと言われた。
1日10時間ぐらい勉強したけど、勉強は向いてたから、やればやっただけ結果が出て楽しかった。ずっとこのまま勉強していたいと思った。幸せだった。
自分が勉強している間も化粧して遊んでる彼女らとは違うと思っていた。
そして 私は仕事でも結果を出してこのままバリバリ働くんだと思っていた。大学2年目ぐらいまでは。
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それはメッキのようなもので、大学に入ってから漠然と将来のことを考えると、頭はバリバリ仕事をして充実した職業人生を送ることを欲しているのに、心は大切な伴侶を得て充実した子育てをし、素敵な家で穏やかに趣味に生きるを求めていることに気付いた。
B:大切な伴侶を得て充実した子育てをし、素敵な家で穏やかに趣味に生きる
まず、私は社内政治しながら身を粉にして働きたくなかった。そもそも男性が苦手だ。アウェイ感。体力面でも私に勝ち目はない。専業主夫になってくれる人を探すのも難しいだろう。
そして、競争して何になる?
必死に働いても、自分の親(年収1000万over)よりも稼げないだろう。更に、余暇や子供に構う余裕も減るだろう。(私の親は在宅勤務のことが多く、子供の遊び相手や勉強の面倒を見てくれていて幸せだった。)
一方、大学生の私は子供に興味が湧いていて、自然や動物も好きだった。やりたいことで生きるなら、大学学部から間違えていたのだ。
Bで生きるなら、専門学校なり偏差値にこだわらずに好きな大学学部を出て、就職すれば良かったのに。一体、どこでどうすればよかったのだろうか。
ちなみに、私は目立ちたくないほうだ。
だが、私の出た大学は悪目立ちする。
どうしてあの大学の人がここにいるの?
被害妄想かもしれないが、下手に転職するとそんなことを言われるのではないかと考えてしまう。事実、事務仕事は苦手だ。チッポケな自分。
大学4年のとき、とにかく継続的に収入が欲しくて、とりあえず就職した。
でも、色々とやる気を折られることがあったりしたので、適当に過ごしていた。
続く
例えば歌詞とか小説とかにおいても、そもそも受け手の立場にとっては他人のことなんかわからないわけである。尾崎豊が歌詞を書いたって、俺には尾崎豊の人生のこともなにもわからないし、なんで亡くなったかとか、マジで15歳でバイク盗んで走ってたかとかもわからない。なぜなら俺はそんなことをしたことがないから。これはきっと15歳でバイクを盗んだ人間にしかわからない「経験」だし、20歳になった今バイクを盗んでもそれとは違う。なんなら15年間尾崎豊という人間を生きていなければわからない歌詞であるのに、そこに人気が集まったのは、「なんとなくわかる」という自分を持っている、もしくは作り上げてそこに投影したからではないだろうか。では作り上げた自分という人格に価値があるのか。
「文章」を理解するのは大変に難しいと考えている。ハグやキスといった身体的コミュニケーションに比べて明らかに難易度が高いのは、目に見えないからだろう。受け取り手の感性に多く順応するために最も適切なコミュニケーション方法は五感に依存するものと比例している。たとえば本のなかでも絵本は最大限に五感に攻撃している。絵と文章、読み聞かせなど、幼少期に「自覚」の獲得に必要な感性に訴えるもので、人間はそこから物心をつけていくわけだが、そこに協調性というノイズが入るせいで感性はやがて鈍ってゆく。
人間は所詮動物であるため、種の保存という目的さえあれば何の問題もなく活動を行えるはずだが、そこに思考という足枷がかかる。人間は考える葦であるが、考えなくてはならない葦である。この葦は協調性、多様性といった様々な性質を持たざるを得ない葦である。本来必要ではない、無駄な思考であるこれらを動物にとってプラスにとるかマイナスにとるか。それもまた一つの多様性というノイズのひとつになる。
詩や文章という他人の知識や語彙に依存したメディアが発展するのは特に人間的でもあり、前時代的でもあると考える。人間が思考した結果が他人への依存であるならば、思考したことは無駄であると一蹴できるからである。なぜなら思考は内的感覚への訴求であり、それもまた自らの知識や語彙に依存しているからだ。他人から受け継いだ知という感性を自らに受け止め、それを発展させることに意味があるとすると、それと矛盾するからだ。その矛盾と戦う人間たちは極めて無駄であり、また自然であると考えるのである。こんな「文章」を書いている自らについて。
交際相手がバ先の異性と二人きりで飲みに行くことになったらしい。
ここで干渉してしまうのは簡単だけれども、どこか不甲斐ないので相手に決定権を委ねた。
長い間付き合っていると何をするのにも恋人と一緒なので本来体験するであろう様々な人々ととの出会いの消失を懸念したためである。
カップルというのはどこか羨ましいと思われがちだがどこか人間関係に制約が出てしまって心地が良くない。
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また私が極端にコミュニティが狭くて出会いに飢えているだけかもしれない。
仮に破局をしてしまえばもっと他人と遊んだり、話し合ったりがしやすいのではないかという幻想を抱いている。
プログラミングで食って生きたくてやってきたはずが、体壊して休んでいるうちにブランク空いちゃっって、もう第一線ではやっていけないなあ、でもコード書くんだったら他の人よりできるのになあ、って思ってしまう。そんなことは忘れてなんとか食いつなぐ道を探すべきなのだろうが、当時の風潮に甘えて社会生活をおざなりにしてきた。こんな社会人としてのスキルを全く持っていない中年が入ってこられたら、迷惑だと思うんだよね…。社会人としてというか、人間同士のコミュニケーション自体をおざなりにしてきた。そんなんでも当時はコードが書ける方が価値があった時代もあったんだ。
アメリカだと、年齢性別や顔写真はむしろ提示されて落とすと差別と言われる可能性が高いから、書類選考段階では送ってこないで欲しいくらいらしいんだよねーいやなんか年齢がさーもうマネージメントとかやっていて欲しいアラフォーで、そんなんが下についたせいで若者がやりにくくなるなら死んだ方がマシっていうか。差別由来の年齢不考慮と就職後の話がごっちゃになってし、誰に何をどうして欲しいのか分からない。
あー、なんか、なにをどこにどう相談したら良いのかも分からない。
今ホッテンの派遣の話では会話がおぼつかなくても問題ないって書いてあるけれど、本当に?
そのレベルなのに職種を選ぼうとしているのが駄目なんだろうが、もう他に何かできる気がしない。お金をもらうっていうのは他人の利益になるってことじゃんんか…自分の人間としての能力じゃ負担にしかならない。利益出したいよ…だって普通に働いていたら自分の働きの三倍は会社に利益を出さないといけないんでしょう。ああもう、そんな自分とはもう関係の無いはずのことばかりが足枷になる。
ごめん質問の形になっていないな…ぐちゃぐちゃだ。
普通のおばさんが日本語学校とこねがあるという理由で、東北か北陸の日本語学校で研修しているカンボジア人を大量に旅館やホテルに就職させる人材派遣会社を立ち上げた。”
作ったのは監理団体だろうね。
半端な知識で半端なこと書かないでほしい。
経験者を集めないといけないし組合に出資してくれる法人を集めないといけないし行政書士に頼むと手数料50~100万かかるし法人設立から認可まで1年ぐらいかかるし。
それなりにパワーがいる。
免許を発行されている監理団体の売買は一時期活発だったけどその時の金額は安くて300万円ぐらいだったはず。
それぐらいの価格で売買される程度には手間がかかる。
でもまぁエネルギーと根気ある人ならできるっちゃできる。
そういう意味では元気なふつうのおばさんが会社を立ち上げることもあるかもしれんけど、ふつうのおばさんが会社を立ち上げたらあかんの?
そんで今は監理団体もレッドオーシャンだから維持していくのも結構大変だよ?
”その管理会社が斡旋する際に借金という手枷足枷をはめるわけだ”
フィリピンにせよベトナムにせよミャンマーにせよ海外出稼ぎで外貨獲得という政策を掲げているから、国と銀行と場合によっては実習生の親も一丸となって実習生に借金を抱えさせてる。
実習生の借金問題に言及するならもっと調べて相手国に文句を言おう?
だったらさっさと自分の理念そのものの会社を作ってかわいそうな従業員たちを好待遇で引き抜いてあげなよ。
理想の賃金を支払うためにどうやって単価の高い売上作るつもり?
無理だよ。
日本人のOSに「安くていいものに価値がある」って組み込まれてるから。
それでもね、理想と現実のはざまで清濁併せ吞んで現実を前に進める人がいるから、300万貯めて笑顔で帰国してマンション買って悠々自適な実習生もたくさんいるわけでね。