はてなキーワード: 潜在意識とは
『トイレの鍵、かけなかった側が悪い論』というものが人間の潜在意識に刷り込まれている。
ドアを開けてしまった者、そして第三者に意見を募った場合、たいてい「鍵をかけていない方が悪い」と言う。不快感を露わに言う。
確かにそれはそうだ。
しかし、鍵をかけなかった側にもそれなりの理由がある。鍵が壊れていた、焦っていた…等。実際そんなもの理由にならないことも分かっている、頭の片隅では。
こうして、誰かにとっては加害者でありまた別の誰かにとっては被害者である状況がうまれる。
でも実際、結局のところ誰も加害者ではないし被害者でもないのかもしれない。
トイレに誰かが入っている。トイレのドアを誰かが開ける。ただそれだけの話だったのだ。悲しいことに。
誰もがトイレのドアを開ける側にもなれるし、開けられる側にもなれる。悲しいことに。
今日はてブを見ていたら「『病むくらいなら逃げなさい』というアドバイスは無責任」ではないかという記事がホットエントリーに上がっていた。
それについて思うことがあったので、書かせてもらう。
[参考記事]
https://news.careerconnection.jp/?p=54001
自分は小さい頃からほとんど全てのカテゴリーでいじめられてきた。
小学校、中学校、高校、塾、部活動と。さすがに大学になるといじめはなくなったが、それでも大学生、社会人となった今も友達はほとんどできない。
いじめに対して先生が悪かったとか、いじめてた人が悪いとかいうつもりは全くなくて、むしろ先生は見つけ次第、(今では問題になるであろう体罰も含めて)叱ってくれたし、そうすると一定期間はいじめられなくなる。
でも結局、いじめられる原因は自分にあったから、すぐにまたいじめられるようになるし、先生も同じ人間だから全てを未然に防ぐことなんてできない。
最初は「なんで自分だけ」と思っていたけど、だんだん時間が経つにつれて自分に原因があることは分かっていたから、周りが悪いとか一切思っていないし、むしろ平均よりモラルが高い環境にいたから、この程度で済んだのが幸いというくらいに思ってる。
翻って何が言いたいのかというと、少なくとも自分の経験則からしていじめられる人は、(「いじめられる人よりいじめる人の方が悪い」といった比較論は理解できるにせよ)多分にいじめられる要素を普遍的に持っていると思う。
そしてそれは、もしかしたら転校するなり環境を変えることが改善される可能性は多少あるにせよ、確率論で言えば環境を変えても同じ目に逢うことも多い。
さらに同じ目に遭った場合、「環境を変えてもダメだった」という経験がますます自分の無能感を高めて、それを受け入れるようになり、さらに社会不適合になるという負のスパイラルに陥る。
もちろん命に支障が出るようないじめられ方をしているのなら環境を変えたり、引きこもっても良いが、その環境に異常性がないのにいじめられているのであれば、環境を変えることは自分の経験則からして一概に正解とは言い難いところがある。
社会で生きている以上、そういったいじめが起こるのはやむをえないところはあるし、その矛先が自分に向いてしまうことは受け入れるという度量は多少必要だと思う。
まして社会人ともなれば、お金を稼いで自立しなければならず、環境を自分好みに変えることはさらに難しくなる。逃げてばかりでは生きていけないし、(むしろ現代は共同体から省かれても生きていけるという点で幸せであり、)残念ながらそれを受け入れる経験は必要なのかもしれない。
では結論としていじめられている人は何をすべきなのかということについて、これといった答えは持っていない。
ソフトウェア用語で「銀の弾などない」という言葉があるように、パーソナライズ化された苦境の中で、それを一括りに取り除ける行動術がないと思うし、その人自身が色々な試行錯誤をして何とか生き延びていかなければならない。
幸い自分は引きこもらず、いじめに耐えながら、勉強だけは人よりできるようにするという意欲を持てたことで、そこそこ良い大学に通っていじめから脱却できたが、仮に勉強すら放棄してしまったらと思うとゾッとする。
結局のところ「辛かったら逃げて良いんだよ」というのは、銀の弾丸を求めている人々の潜在意識に訴えかける良質なコンテンツということで、実用性はさほど伴っていないのかもしれない。
逃げていても誰もが幸せに暮らせる社会を実現したいという志は全く否定しないが、残念ながら自分たちの生きている時代では実現しそうにないし、まずは目の前にあることを一つずつ対処していく他はないのではないのだろうか。
精神世界について論じた本がたくさんある。それらの多くは読むに値しない浅薄なものである。想い続ければ叶う。清く正しく生きていれば成功するなどなど。嘘である。適当なことを書いているだけである。
しかし中には本物もある。本当に成功している人々はただ効率的な仕事をと考えているだけではなかった。実務的であると同時に精神的な活動も重視していた。
普通に真面目に仕事や学習を一所懸命にやっているだけでは見えない世界があった。何事も一所懸命にやりさえすればうまくいく成功するというのが嘘である。そのようにいい続けている人々を見ていればわかる。彼らは成功しているようには見えない。
物事には正しいやり方と誤ったやり方があるのだ。一所懸命にやって報われるのは正しい方法であった場合のみである。誤ったやり方に拘泥して、それを一所懸命やったところで無駄足になるだけである。この厳しい現実を忘れてはならない。
その気づくことすらできなかった世界を教えてくれる精神世界系の本は少なからずあった。たしかに偽物も多いわけであるが、本物もあった。そしてある種の考え方は人の命・健康を守ってもくれる。逆にある種の考え方は人の健康を損ね、命を縮めもする。人を害する考え方があるという事実、恐ろしい話である。
一見、常識とはかけ離れた事柄といっても良いものの中に潜在意識がある。この潜在意識というもの、本物である。効き目抜群の手法が、潜在意識を論じた本の中に書かれてある。これがなければ、今の僕はなかった。
https://anond.hatelabo.jp/20180508223804
「漫画村の情報提供をねとらぼに行うまでの思い」(https://anond.hatelabo.jp/20180427180812)を公開し、多くのコメントを頂けた事、とても感謝してます。
ありがとう皆さん。
その中に「家族と友人がいい人でよかった」というコメントを見かけた。
どちらかが欠けても自分は動くことが出来なかっただろう。
面と向かって伝えることは恥ずかしくて出来ないが、この場を借りて家族と友人に感謝を伝えたい。
みんなありがとう。
今回情報提供した事でクソ真面目なイメージを持たれたかもしれないが、自分は全くの正反対で怠惰な性格である。
「明日でいいか」といつまでも先延ばしにする性格で、夏休みの宿題はいつも学校が始まってから慌てて片付ける。
惰眠を好み、やる事(やれる事)や関心が持てる事がなければすぐベッドに潜るぐらいのダメ人間だ。
ダメ人間だから褒められることには慣れていなくて、コメント欄を見た時には「もっと早く言えばよかった」と申し訳無さしかなかった。
「お前はバカ正直で素直で、大人になっても子どものような純粋さを持っている」
「その純粋さを覚えていて欲しいが、社会に出たことでスレる必要もある」
「世の中で悪い大人に利用されて泣くことになるのは、悪い人とお前のようなバカ正直者だ」
家族と友人から度々こういったニュアンスの言葉を投げかけられる。
これは幼少の頃からの悪い所だ。
大人から「危ないからやめなさい」注意を受けても、何がどう危ないのかを説明されないとやめなかった。バカだからだ。
そしてたくさん擦り傷切り傷をつくり、骨折をしたこともあった。
それでも自分は「なるほど、だから危ないのか」と痛みと引き換えに答えがわかったのでヘラヘラしていた。
それは面接の時にも言った、バカ正直な自分は事前に言うべき自己PRは頭にいれない。
「どうして弊社に来たのですか?」
「インターネットが生活と切り離せなくなった昨今、目につく広告が多く、そういう広告を配信している会社は何を思ってそれを生業としているのか、どういう仕組みなのか、全ては興味本位です」
バカは言葉を飾る必要なんてない、飾った所でバレてしまうのだからバカはバカらしく正直に言えばいい。
生活する上でお金は大切だ。お金とは別にこの問題はもう一つ大切なものがある。
文化。
この国の名前を背負って世界中の人々に見てもらう、そして日本の文化に触れてもらう。
クリエイティブな活動をする彼らは知らず知らずのうちに大きなものを背負っているのだ。
作品に触発され、日本人の我々よりも行動的な海外の彼らは実際にこの国へ足を運ぶだろう。
世界を巻き込みながらお金が回る、これは経済としてあるべき姿ではないだろうか。
(このあたりは専門家ではないので薄っぺらい事しか言えない、申し訳ない)
アニメやTV番組、映画などの映像をアップロードしたサイトは悪と言われているのに同じ映像のアダルト作品に関しては目を瞑られている所。
これはどうしてだろうか、常々疑問である。
夢がないと言われそうだが、自分は映画もアダルト作品も同じクリエイティブなものだと思っている。
娯楽として見る映画と性的欲求を満たすアダルト、何が違うのだろうか。
女優、俳優、監督、スタイリスト、カメラマン、それぞれが集い一つの作品を作っている。
世に出るまでの工程はさほど変わらないのに、なぜアダルト作品は違法サイトで取り扱われても問題視されないのか。
これは恐らく、日本人の性に対する考え方だと思う。
現状の性教育レベルと性に関する抵抗がある限り、アダルト作品は"作品として"扱われることはないだろう。
性に対して閉鎖的かつ抵抗がある限り、潜在意識下で「アダルト作品は極力見てはいけない」というセーブが働いてしまうから。
海外では家族がそういう事に関する疑問や不安に答えるとも聞いた。
もう少しだけ、この国もオープンになるべきではないだろうか。
そうすれば自然とアダルト作品を違法アップロードしているサイトも問題視されるはずだ。
(誤って消してしまったので再掲)
きっとそうだと思う。
だからただ白いだけのひょろなが白人を「なんか尊そう」って潜在意識下では見做してるんじゃないか。
歴史的に。
そして「白は貴い」と思ってたけど色んな栄養素をゴリゴリ削ってるだけだったって科学が発展し気付いたことで
「白はそこまで尊くない」という意識に変化しつつあるのではないか。
中共がなんか自信満々なのは、白米がコメ序列の中でトップだった時代から転落し、あまたあるコメの中から選ばれるワンノブゼムに過ぎないことに気づいたからだ。
そのことに気づくには白飯を腹いっぱい食えるだけの経済力が必要だったわけで、飽きるほど白米を食った結果、「白はもういいや」って白人コンプレックスを克服したんだよ。
これを書いてだいぶすっきりした。
他の人にも(オンラインでだけど)軽く話をきいてもらって、やっぱり発散するって感情の整理に大切な行為なんだなとおもった。
それからは段々と落ち着いてきて、そろそろ猫タワーを片付けるかと思っていたところ、動物病院から電話があった。不幸があったときの支払いは別日に「ご都合の良いときに」行うマニュアルがたぶんあり、そういうことになっていたのだが、こちらとしては当然あまり近寄りたくない場所になっているので訪問を避けていた。だが、いつまでも逃げ続けるわけにもいかない。
実はその前にもフラワーサービスが動物病院から届いてたりしたんだよね。そのぶんの代金を引いて欲しいとか思ったけど、コップに移し替えたら百合の花は案外長持ちしている。つぼみを咲かせるまで保たせたい。
で、今日、支払いに行ってきたんだけど、到着してベンチに腰掛けてる間に涙腺が緩んできて困った。本当に、最近は全然だいじょうぶになっていたから、場所に潜在意識が反応してしまったんだと思う。それでまた増田に縋るというか、こぼしに来た。
これから人と遊ぶ予定なんだけど、花粉症の季節だから顔面赤くても誤魔化しやすそうで助かるわ。
ちなみに処置費用は前日の検査費と合わせてざっくり六万円ほど。
他の猫が急死したときは原因もわからず、飼い主として出来ることがあったはず、と後悔も大きかったので、これは飼い主が納得するための費用だなと思った。一方でただ死ぬためだけに6万円……と貧乏人は歯噛みするのだが、獣医師さんもボランティアでやってるわけじゃないので仕方ないですね。
保険には入っておいた方が良いラインってどれくらいからなんだろう……とぼんやり考えたが、それはギャンブルの考え方だよな……。
はーーーー、いなくなった猫のことを考えるとしんどい。
しっぽつきのロボットクッション https://shop.qoobo.info/ が販売されるとのことで飛びつきそうになったが、発売日が秋口とのことで堪えた。
焦点が定まっていなければ、目的を見出せない、意識を向けるべき先がわからないからだ。それは意識の仕事である。
潜在意識は意識の命令を待っている。潜在意識にどのように命令するか、指令を出すことが個人の重要事となる。潜在意識のような受動的な人のなんと多いことか。実はそれが自然なのかもしれない。受動的な人が多いということは必ずしも悪いことではないのだ。それが実は自然な姿なのかもしれないのだから。
目標や目的が明確でなければ意識を向ける方向がわからない。意識を向けるべき先が分からなければどうでもいいことにまで意識が向いてしまう。結果煩わしい日々を過ごすことになってしまう。それが幸せの道とは考えにくい。
自らの生きる指針を定めることによって、捨てるべきもの、捨てなければならないものが見えてくる。全てを手に入れようと欲張るのは誤りである。いかに不要なもの、重要でないものを捨てるかが鍵なのだ。
自己肯定感が低く、めんどくさい性格の男で、正直自分ほど性格的にダメな男は刑務所にしかいないと思います。
それなのになぜかいい友達ができて、みんな自分を優しい人だと言ってくれます。
自分は優しくするために、というか嫌われないために、自分のめんどくさい性格を我慢し、言いたいことを抑えて、やりたいことも抑えて、相手優先でしてきました。
好きな女の人の恋愛相談を受けて、恋を実らせる寸前まで行ったこともありました。
自己肯定感が低いので、嫌いではないかといつも不安で、それを確認したい気持ちがたまります。
それがたまって、弾けてしまい、結局好きな人ほど友情が長続きしません。
自分を変えなければいけないのは分かっています。自分を受け入れるということを何度もして、潜在意識とやらを使ったり、何度もポジティブな言葉を唱えました。
しかし、そんなことをするほど、精神が壊れていきました。理想の自分になれず、結果もでないのに、ひたすらポジティブになるなんて、狂人にしかできません。
自分は、変われません。
ここに書けないぐらい、めんどくさい性格です。めんどくさい男に彼女なんてとてもできません。友達すら最終的にいなくなるのですから。
自分は、人と関わってはいけない気がしてなりません。人を愛せば嫌われるのです。
ここに書いてあることは、自分の素直な気持ちですが、もしそれが世間と大きなずれがあるなら、病院に行きますのでいい病院を教えてください。
ムームービーの内容に関しては散々言われてるので置いといて、"牛乳石鹸"を叩く男は実際に家事育児分担なんてしないから結婚したら苦労するよって話をする。
共働きなのにこの男はゴミ捨てくらいで不満なのかとか誕生日に飲んで遅く帰ってくるとかありえねー!奥さん可哀想〜
と同じ口で
石鹸みたいな消費財の買い置きって、奥さんがスーパーで買っておくケースの方が圧倒的に多いよね?パパが自分で石鹸だけ買いに行くか?(行かないよ)ちゃんと市場調査やってんのかしら、電通。ターゲティング失敗してるぞ。と
え。石鹸の購買決定者は母親なんだからってさ、家事は女がやるものっていう潜在意識なら父親は仕事できてりゃいいじゃん。なんで叩くの?
というのも、彼らの主張する
今の時代共働きが普通で男も家事育児分担すべきとは"意識"のことであって、行動に起こすことではない。
・男の領域であった職場を(自分達が脅かされない程度に)譲ってやるし、男女平等だから(自分の食い扶持くらいは)稼いでいい、応援するよ(本当に応援だけ)
・女の領域のケア労働はそのままだから日常生活の家事育児は妻がやるもの。行動ベースではこれ。
ここから本題で、
女性は妻も働く=夫も家事育児やると考えがちだけどそれに同調する男は牛乳石鹸をボロクソに批判しない。
だって仮に(結婚相手の)男性が分担を考えてたら、育休1年に時短2年くらい取らなきゃいけない。これを今の日本で心の葛藤なしに決断できる男性がいるのか。世間の目と、無理解の上司と、同期が昇進することを想像しふつふつと湧いてくる焦りを幾日もかけて洗い流さなきゃ決心できないだろう。真剣に考えている男性は新井パパと種類は違えどなんらかのジレンマを抱えていて、ムービーを見れば心が揺さぶられるはずだ。
苦悩を一蹴できるような彼らはあくまで思想を持っているだけで、当事者意識を持ってがっつり分担を考えているわけじゃない。だから新井パパへの要求が高い。育児も介護もやらない奴に限って理想で語り少しでも粗相をすれば叩く。他人事だもん。
やたらと"誕生日なのに"飲んで遅く帰ってくることを批判するのもポイントだ。365日子供の世話してたら仮に誕生日を祝えなくたって子供は傷つかない。364日一緒に遊んでもらってるからね。だからムービーの誕生日にこだわる男は育児の楽しい楽なところだけやる似非イクメンの可能性大。似非に限って要所要所イベントはガッツリ押さえにくる。これ見よがしに子供の誕生日なんで有給取りますと吹聴して回る。本当に育児してたら急病とか行事で休まなきゃいけなくて、生命線である有給なんてもったいなくて取れない。
ゴミ捨てをクローズアップするのも同様で、(分別されまとめられた上で)ゴミ捨てなんて家事のパーセンテージでいうとほぼゼロで、ちゃんと家事をこなしている男性なら気にならずスルーするレベル。しかし家事時間が短い(予定)男性にとっては存在感あるからやたら突っかかる。楽なタスクだと理解してるから、それを引き受けて家事してるって言いたいんだよね。彼らが考える数少ない家事だから流石にそれを嫌がる新井パパやばいね!ってだけ。
これ結婚して一緒に生活しないと中々発覚しないらしい。しかもタチの悪いことに外にはリベラルな俺で通ってるから文句言っても他の男より手伝ってると反論され、他人に愚痴ってもあんな素晴らしい旦那さんなのに!と非難轟々。味方いない、離婚しても責められるの自分だから、よく考えて。
潜在意識使ってやりたいように生きるって決めたのに
もう疲れちゃったよ
全然楽しくない
変わりたいから潜在意識使って何もかも思い通りにしようと思ったのに。
めんどくさいなあ。変わりたいけどもう変わりたくない
何もしたくない
思考止めるのもしたくない
私が勝手に外に出てるって頭ではわかるけど
めんどくさいめんどくさいめんどくさいめんどくさすぎ
それでも諦めるなんて絶対嫌だけど。
やり通せないだろうけどそれでもいいや
でも何もすることないなんてつまんないなあ
すぐ飽きるし
何がどうしたいのかもよくわからないなあ
そうだ、吐き出して楽になりたかったんだっけ
どうでもいいや
思考するだけアホなことしか思いつかないと改めて思い知ったわ。
思考止めてるとき不安が全く感じないしできる、としか感じないんだから
考えるだけ無駄、止める止める止める。ただ止める
私の全てを潜在意識にあげるよ、好きにしてくれ
久しぶりに近況報告でもしようかと思います。てか初めて。
旅の思い出をここに残したいので長文になります。
長文を読むのが苦手な人、センター国語を切り抜けたあなたなら大丈夫です。
え?切り抜けてない?ドンマイ。
まぁ徳島は行ってないんですけど75パーなんでほぼ一周です。
そこで入った温泉が最高でした。
あつい。あついよあんちゃん。
だからずっと快感の顔つきではいってるおじばあちゃん(※おじいちゃん+おばあちゃん)がホント不思議で理由をググってみた。
熱くなったら冷やす。
そうか。なんとシンプルなんだ。
早速試そうとおもった。
でもプールとか海って足まではいけるけど腹らへんから「あヒィ冷たい」ってなってなかなか入れないじゃないですか。
とくに水風呂は。
あったまりに来てんのに水風呂ってなんやねん潰すぞ。って今まで思ってました。
22年間そう思ってた僕が思い切って入るのはクリスチャンがイスラム教に改宗するのと同じくらい難しかった。
だからほんとに入るのには5分位費やしたんです。
でも冷静に考えて死ぬわけじゃないんだから大丈夫と言い聞かせてこの凍えそうな場から離れたい衝動を抑えていると体が慣れてくるんですよね。
で、ある時を境に普通に感じてくる。
プールとかと一緒。
だって、
そして一番でかいのが
のぼせかけたら冷やしてリセットできること。
昔は「あぁーあついもうやだ二度とこない出る」ってなってたのを冷やして元に戻すことができるんだから。
食べ放題で満腹になったあと腹の中全部空にしてまた食べれるようになるのと一緒。
チートでしょ。
それが水風呂なんです。
よく見るとあのおじばあちゃん
彼らはこのチートを知ってたのです。
なぜですかね。説明会でもあったんでしょうか。
だって行けなかったところに行けるようになれるんです。
ゲームでいうといけなかったステージに行けるようになったあの感覚。
ポケモンで言えばいあいぎりを覚えたようなもんです。
そういや、よく東南アジアに行って価値観が変わったとか言いますよね。
まぁ10万ちょっとで価値観が変わるならコスパいいかなとは思うんですが
私は今回300円(温泉安い☺)で価値観を変えることができてるんです。
大変お買い得。
え、ほんとに。
水風呂マスターのコツは、「冷たくても死なない、死なない」って心の中で唱えることです。
僕は個人的に水風呂が冷たくて生命の危険を無意識に感じ取ってたので。
こういう潜在意識?に向き合っていくことでやりたくない、怖いって気持ちが消えると思います。
四国は、
がよかったです。
😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇水風呂最高なっしー😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇
自分を知らないことは往々にしてデメリットばかり注目される。が良い面もある。
二面性があるのだ。
実際、知れば知らない自分よりは幸せになることはできる。ただ、そこで失うものもある。それは夢である。くさい話であるがそうである。
自分を知らないものは、自分では叶いそうもない夢を追いかけることができるのだ。それは自分を知らないからである。夢を追いかけるか、幸せになるかは選べるが選べない。というよりは、それは潜在意識が選ぶことではないだろうか。
自分がなにものかわからないのであれば、何かを追うべきである。その指針は潜在意識が示すものである。別にわからなくてもよいのだ。
他にも自分がなにものかわからないというものに得られるものがある。それは人を見る目が養われるという点である。
自分がなにものかわからないので、他人を分析して比較して自分を探すのだ。その過程でその力は得られる。
自分がなにものか知っている人は自分の強みを知ることができる。
「ここではない、どこか」を追い求めている。
そんなものは存在しない。なぜならばそれはユートピアという名の何もない世界だからである。
「二面性」
逆に
ただ、認識できる、できないではなく、ある、ないでもなく。その中間の世界が存在する。人はそこをユートピアと呼ぶ。
そしてそこを目指すのだ。
暫く休め。
体と心が休まれば、喜びに気づくことや、不快に向き合うことができるようになるから。
調子の悪い時に考えても、いい答えはなかなか出ないよ。
休みながら長い時間をかけて内面に向き合うと、心が鎮まり充実感が湧いてくるよ。
内面が充実し、それなりの健康と最低限の衣食住があれば、「生きる意味」や「幸せになる条件」に頼る必要がなくなる。
というか、この充実感が生きる意味とも言える。
人生経験の中で大きく変わることがあるから、「本性は狂犬」なんて考えないほうがいい。
頭が理解する"理屈"とは無関係なことで、腹の底の衝動は変わるから不思議。
頭で考えることが多いなら、気分を変えて様々な自然を感じることをお勧めしたい。
雄大な自然でなくても、よくある木や石にも人を癒す力があるよ。
癒されれば、あなたの言う「何をしてほしいのか考えてうまくいくのが楽しかった」という実感に
既婚子無しロスジェネ女の、ある種のグチ。
実力を買われ、数年前からプレイングマネジャーとして「部下」が数十人いる。「部下」の半分は年下、残り半分は年上の社員だ。世間でもブラックと認知されている業界なので、多くの女性は耐えきれず、年齢とともに離脱していく。なので業界歴の長い年上の社員たちは、大半が男性だ。
私の年上の「部下」たちは、団塊ジュニアからバブル世代まで。正直なところ、ついこの間まで先輩だった彼らの「上司」として振舞うことに、初めは馴染めず、戸惑っていた。しかし、人間は慣れる。最近は、相手に年長者として一定の敬意を払いつつも、こちらの要求ははっきり伝える「コツ」みたいなものを身に付けた。もちろん、慣れたのは私だけではない。「部下」の方も、自分を追い抜いていった小賢しいブスを「上司」として扱う忍耐を身に付けた。プライドの一部を犠牲にし、会社員として組織の決定に従った。当たり前のようで、なかなか辛い事だったろう。彼らには、その点で感謝している。
問題は、最近加わった「年上の部下」である。「自分より若い女」に追い越されたという実体験を持たずに、女がリーダーの組織に後から付け足された若めのオッサンである。彼らは、もれなく「年下の女上司」を舐めている。あからさまな態度でなくても、彼らの潜在意識から「年下女の言う事なんて聞いてられるか」という嘲笑が滲み出してくる。厄介なことに、彼らは女を蔑視しているつもりは全くない。ごく自然に悪意なく「女の言う事に聞く価値はない」という態度を垂れ流してくる。
そんな態度を取られては正直残念だが、業務に支障がないなら私も我慢できる。私のミッションはチームの業績を上げる事だから、多少腹が立つ態度でも、結果を残してくれるのなら何とか目を瞑ろう。しかしながら、「年下の女上司」の忠告を聞かないオッサンは、顧客のニーズを汲み取るのも下手だ。人の言う事も聞かず、人に尋ねることもせず、顧客に的はずれな提案をして白けさせた挙句が「教えてくれないから」とはどういう事か。何か、お前のその下らないプライドを慮って私に上手く立ち回れと言うのか。
まあ、私は業績が大事だから上手く立ち回って、オッサンのクソみたいなプライドを真綿に包むようにしておだて、何とか上手くやれるように気を使ってやる。オッサンが私のお陰で上手くやれて、それをあたかも自らの実力と機転かのようにふれて回るのも、黙って生温かく見守る。オッサンが何の役にも立たないプライドをギンギンに膨らませて気持ち良く仕事が出来るように、あくまでも目立たず、さりげなく、頭下げて這いつくばって地ならしをしてやる。
でも、オッサンがニヤついて些細なお手柄に酔ってる間に、彼らには出来ない大胆で繊細な決断を下してビジネスを牽引するのは、オッサンより若くて優秀な女の私だ。奴らより稼いで若手を養い、経営を安定させ、雇用を増やし、業界を良くするのは私だ。
私にとって出世はもはや、ミソジニーに対する復讐みたいなものだ。彼らが絶対に追いつけない所まで行ってやろうと思う。そして、邪魔なだけの彼らのプライドを、いつか根元からへし折ってやりたい。はるか上の方から、小さな石を投げる。石は小さいが、重力で加速し、想像を超えた破壊力が生まれる。オッサンのプライドに当たると簡単にぽっきりと折れ、オッサンは二度と立ち直れない。そんなシーンが見られる日を楽しみにしている。
わんわんを飼っていて仕事の取り合いになった結果、わんわんは1階(主にリビング)、僕は2階(主に自分部屋)を警備することにした。
業務内容はいたって簡単。なんとなくの1日を過ごすだけである。
そんな自宅警備をしていて悟ったことを書いていこう。
本を読むことに意味はない。経験こそ全てである。ただ読むべきものもある。それは「読みたいもの」だけである。読まなければいけない本は存在しない。あるとすれば自伝。
・将来に夢を抱いて突き進む人
である。
やりたいことやりたくないこと問題
自分のできないことをやりたくないからと投げ出す人がいる。端から見れば、傲慢で自己中心的な人間であるし到底理解できない。だがしかし、やりたくないという人は存在する。やりたいと言ったから、やらせたのにやっぱりやりたくないという人もいる。それは実際やってみたら思っていたのと違っていたからである。だがしかし、見えない責任のようなものを投げられる。
自分とは違うという人も、同じである。とても冷酷であるという人も。あなたもその立場なら同じことを考える。何を思うかは、その人の立場と状況だけによるものである。
人は他人のことを思う人に寄せられる。なぜならば、自分のことを知ってほしいからである。他人のことを考える人が好きとうのはつまり、自分のことを考えてくれる人であって、極めて自己中心的である。
男は強さを求め、女は美しさを求める。そして、それを得られぬものは優しさが与えられる。それはあくまでも、手に入れたものでなく与えられたものであって、何の価値もない。
手に入れたものに価値があり、与えられたものに価値がないのは、能動的か受動的ということである。能動的に得たものとは自分の欲しいものである。受動的に与えられたものは望んでいないものである。欲しいものにこそ価値がる。なぜならば潜在意識と意識の距離が近づくからでる。自分というものに出会うきっかけである。
だがしかし、ここで得られた価値のある自分は本当の自分ではないため、価値はあるが意味はない。
受動的に得られた、価値のない自分こそが意味のある本当の自分である。
他に自動車もいない夜道を飛ばしてたら、急にほらほらちょっとハンドル切れば全部楽になるよ大丈夫あの橋げたに向けてとりあえずやってみようよ大丈夫だからという考えに取り憑かれ、気づいたらしない、しない、しない、と叫んでた。今にも腕が勝手に動きそうで本気で怖かった。
うつ病になったことがあるものの投薬が終わって5年経ってる。希死念慮もこの1年くらいでかなり薄れていたのに、潜在意識に埋もれてたんだろうか。
でもさっきのは別に死にたいと思ったわけじゃない。むしろ嫌だ死にたくないと思った。そしてその状態は起きたときと同じく突然去った。
オカルトは全く信じないけど、あの区間に何かあったのかもしれない、と思いついてまた怖くなった。それくらい不気味な体験だった。また病院に行った方がいいのかな・・
当方は夫で夫婦でそろそろ40って感じで子供は2人。俺が言うのもなんなんだけど奥さんはかなり美人。
結婚前から毎日オナニーしてたし俺は毎日でもHしたいんだけど、ほぼ断られる。
なんか同僚とかが話してる週1とかのペースまじ信じらんない。どうやってんの?うちは多くて2か月に1回だし約1年開いたこともある。
1. やだ
2. お風呂に入ってない(疲れて次の日の朝入ることが多い)
3. 月のもの
こんな感じで、基本的にはなんかこうお膳立てがないというか、雰囲気がそうじゃないのにHに突入するのがいやなんだそうだ。
わかるんだけど、奥さんは早起きして上の子の弁当つくってて、日中は小さい子の相手と家事でくったくたになって、そのあと夜にそうなるのってほぼ無理ゲー。
だから俺がなんとなく無理やりキスしてるうちにー、とか、布団の中に隠れてて寝にきた奥さんにいきなり襲いかかったりとか、そういうノリでなんとか押し切る感じで夫婦生活を始めてる。
それはそれで奥さんもまんざらじゃない……、みたいのはほぼなくて時々マジで切れられてしまう。泣かれたこともある。ごめんなさい。
ただ、そうしなかったらHに至れる気がしない。
真剣な話し合いもしたし、私はもともとH苦手だから浮気してくれてもいい。しょうがないと思う。みたいに言われたりしたけど、いやそうじゃなくない?
行為にさえ突入すれば、嫌がってる様子はないと思うし、普段はろくに触らせてくれない美人の奥さんが俺に体を許してる、って思うと本当にすごい興奮する。
めったにHできないから、性行為がマンネリで、みたいな悩みはまったくないし、Hしたい一心で奥さんの負担を減らすためにあれこれ腐心してるし、これはこれでいいのかもしれない。
追記)
いろいろアドバイスなどありがとうございます。
Hを早く終わらせたいっていうのは、俺がそう感じなくてもぜったいあると思う。ただ、奥さんの場合、次の朝はやいとか、そういう心配があるならしない、というスタイルなのです。
今書いてて思ったんだけど、奥さんもともと体弱いし、Hの次の朝しんどくて起きれないとかわりとある。
Hに至ればいやじゃなさそうなのは大丈夫?っていうのは直接的、間接的にそうとう確認したんだけど、本人曰く性的快感に乱れるのが恥ずかしくて自分を嫌悪してしまうとか。
たしかにご両親が性に対して相当保守的な方々で、奥さんをみてると端々に潜在意識まで教えというか躾が染み付いてる感じがする。下ネタにすごく拒絶反応でるとか。
なので、子供寝てる横でキスするだけで嫌がる。だからいつそういう雰囲気になってもいいように今日は!という夜は別室に布団しいて避妊具用意してる。まあ99.9%空振りなんだけど。
というわけで俺本人が嫌がられてるわけではない、はず。友人たちからも子供からも仲良しすぎるっていわれるくらいだし、奥さんも俺が仕事やすんでデートとかするの喜んでくれてる。
俺がひとりでゲームしてるとくっついてきたりするし。その延長でついその夜に体を求めたくなるのが俺で、あー嬉しかった!で終わるのが奥さんって感じかなあ。
奥さんが泣いてしまうのは、Hそのものが嫌というわけじゃなくて、ほぼ俺の無理解が悲しいという理由。今まで5回ほど、だいたい2年に1回起きてる。
なんで俺がそうしてしまうかというと、基本100%だめって言われるので、もうちょっと探りたい、もうちょっとだけ!って感じで、いつの間にか一線を越えてしまう感じ。
申し訳ないです。