『トイレの鍵、かけなかった側が悪い論』というものが人間の潜在意識に刷り込まれている。
ドアを開けてしまった者、そして第三者に意見を募った場合、たいてい「鍵をかけていない方が悪い」と言う。不快感を露わに言う。
確かにそれはそうだ。
しかし、鍵をかけなかった側にもそれなりの理由がある。鍵が壊れていた、焦っていた…等。実際そんなもの理由にならないことも分かっている、頭の片隅では。
こうして、誰かにとっては加害者でありまた別の誰かにとっては被害者である状況がうまれる。
でも実際、結局のところ誰も加害者ではないし被害者でもないのかもしれない。
トイレに誰かが入っている。トイレのドアを誰かが開ける。ただそれだけの話だったのだ。悲しいことに。
誰もがトイレのドアを開ける側にもなれるし、開けられる側にもなれる。悲しいことに。
いわゆる自衛ともちょっと違って 最近の仕組みとしては鍵をかけるのがそのまま入ってますよシグナルとも連動してるから かけ忘れはプロトコル違反なんだよな…
何者にもなれるって悲しいことだったんだね。
トイレは社会の縮図ってことでよろしい? まぁでもトイレのドアを開けてしまった人は悪くないと思う。