はてなキーワード: 家具とは
心の発達が遅れていて、年中の頃に聞いた話だと、3才程度なんだそうだ。
母親は懇談会だ保護者会だという時の自己紹介のたびに「見た目は普通なんですけど」と言うが、いや、とても普通には見えない。いわゆる「重度知的障害」の子と比べるとマシに見えるかもしれないが、その程度。
発達障害には少なからず遺伝も影響していると聞くが、なるほど、やはりその通りなのだなと思えた。
他人に見せると意識していないにしても、言葉の選択がおかしい。幼稚園では、子どもの障がいにも負けず気丈に振舞う母親、という雰囲気を醸し出していたがどうだ、蓋を開けてみれば、普段我々と話している時にもあのような言葉が胸の内にあるのだと思うと寒気がする。
そのブログでは「自閉症児の親がいかに大変か」という記事が大半を占めていた。
言葉でのコミュニケーションが取れないとか、未だにオムツが取れないとか、オムツに出したウンコを手で触りそれを壁や家具になすりつけるとか、親が悲観し泣くのを見てゲラゲラ笑うとか、買い物に行ったとしてもすぐに走り出してどこかへ行ってしまい、その上商品を放り投げたり棚やケースの中にもぐりこんだりするので他の客や店員から終始白い目で見られるとか、もちろん大変だなとは思うのだが。
息子の幼稚園には、クラスは違うが自閉症児がもう一人いる。心の発達は同じく3歳程度らしい。
母親がすごく頑張っていて、視覚的に手掛かりを与えるとかで「絵カード」「写真カード」なるものを駆使し、入園したての頃は奇声を上げ片時もじっとしていられなかったとは考えられないほどの穏やかさを手にしている。
障害と言うほどではないが少し落ち着きがないなという子の親がそれを真似し、見事に落ち着いたという事で園内で話題にもなった。
前者の親に同情できないのは、いかに自分が大変か、いかに周りの理解がないかなどをグチグチ言うだけ言って、努力などしているようにも見えないからだ。同情できないだけではない、どうにか周りに迷惑をかけないように暮してくれとさえ願う。自閉症だからといって、親が子どもを操縦しきれていない状況では、白い目で見られても仕方がないだろう。
もちろん親にも問題があれば行政などが指導するべきだ。
お前がどこに住んでるのかしらないけど
電気の発電所、上水道の先の貯水池、下水の流れる先、知ってるか?
それらの産地や流通経路、知ってるのか?
知らねえだろ。
そういう言い方をするなら
東京都民がお前と同じような汚い口をきくなら
「田舎もんを支えるためじゃなく、経済を支える為に働いてるんだよ。」
となるだろうよ。
で、こんなこと言ってなんになる?
お前はどこの田舎者かしらないが、
捧げてねえだろ。
捧げる必要はねえよ。
日本中はお互い様だもん。
お互いに支えあってるけど普段意識もしてない。
東京都民にだけ憤ってるんだろう?
要するにくっだらねえ都会コンプレックスだろ?
いい加減にしろ馬鹿。
日本のネット界隈の嫌中国報道は痛ましく思っている。思っていた。
椅子が爆発するだとか、米がプラだとか、ビルが倒壊するだとか、そんなことはどうでもいい。
僕がこの国に住んでみて感じた事はそんなことじゃない。
なぜ、そんぜそことが起こるのか、本質はなんなのか、僕の見た中国。
それを書く。
この国は今、まさにバブルだ。
高度経済成長に乗っかって、金が乱れ飛び、バブル時代の象徴のようにデコラティブな超高層ビルが並び、地下鉄は縦横無尽に市内を走る。
カルチャーを伴うようなものでもなければ、買えないものなんてほとんどない。
国が先進国の仲間入りを果たさんがために、成長にじゃぶじゃぶ金を使っている。
だが、人は違う。
これが全く経済の成長に追いついてない。
列に並ぶ、降りる人に道を譲る、前の人を押さない、脚を投げ出さない、弱者に席を譲る
こんなことも、本気でわからない。
高層ビルで働くホワイトカラーは、そのエレベーターの開くボタンを後から来る人の為に押しておくことを知らない。
どこの街角にもファミマやセブン、ローソンがあるが、列に並ぶ、たったそれすらもわからない。
「なぜ?私いそいでるのよ?譲ってよ。当然でしょ?」
家の寝室のドアの立て付けが悪いと業者を呼べば、布団や家具にカバーをかける事も無くいきなり大理石に電ノコを入れ始める。
終わった後にはうずたかく積もった砂埃の山に頭を抱える。
レストランで注文をする。
運んで来ればまだましだ。3回に1回は必ず何か忘れる。
おもしろい話がある。
中国でオーダーしたものが出てこない時、「早くもってこい」といっても出てこない。
「もういらない」と言えばいい。5分で出てくる。
いちいちイライラさせる。
もっと世界を知れば、そんなこと気にならないのかもしれない。
清潔(に見える)な新しい地下鉄に並ぶ時、誰が後ろから突き飛ばされることを予想できる?
舗装されて交通量の多い交差点をわたる時、誰が信号無視の車両を予想できる?
誰がドアマンのいるレストランでコックが厨房でシャンプーしてると想像できる?
何もかも不釣り合いだ。
分不相応だ。
そう思ってる。
基本的に、他者を思いやる、想像する、ということができない。
そう感じる。
さて、釣りタイトルだが、今朝、例によって地下鉄に乗っていた。
上海の2号線は朝、ひどい混雑だ。乗車率で言えば東京の山手線以上、田園都市線以下といったところか。
いつもは上のような理由でイライラするのが嫌で、タクシーで出社している。
自宅から会社まで日本円で250円くらいだから、その方が精神衛生にいい。
だが、今朝は早く目が覚めた。
背中を押され、体をぶつけられ、眉をしかめながら電車に揺られていたわけだが、そのひどさといったら日本人には絶対理解できないだろう。
他人なんかどうでもいいんだ。自分の乗る場所を確保できればいい。そんな人間の集まりだ。
脚をふもうが、肩が女性のほほを擦ろうが、鞄が誰かの胸を圧迫してようが関係ない。
やっと車内のアナウンスが降車駅を告げた。
こっちの人間は、自分が降りるときは、列車がつく前にドアの前に移動しないと気が済まない。
日本人なら、どんなに混んでいても、並んで降りれば降りられないなんてことは無いと知っているのだけれど、そんなことは皆知らない。
これはマジだぞ?
もう少しも動くスペースがないのに、無理矢理肩をこじ入れてドアの前に行こうとする。
僕はその時目の前に数人の人がいたので、お行儀よく並んでいたのだが、後ろにいた中国人の目にはそれが「降りない」と映ったようだ。
僕を突き飛ばしながら肩をぶつけてきた。
すると、そいつ、「やんのかおい」と言わんばかりの顔で睨んできた。
笑える。
キレた。
振り返るや胸ぐら掴んで思いっきり殴ってやった。
嘘だ。そんなにうまくいかない。ただのサラリーマンだ。中学は卓球部で高校は美術部だ。
胸ぐらつかんで列車に押しもどしてやったら、後ろから誰かに後頭部を殴られた。
一瞬、中国人が日本人に対して集中攻撃を始めたのかと思ったが違った。
仲間だ。仲間がいた。向こうは2人だった。
後頭部をうしろからガンガン殴ってくる。それ自体は全然痛くない。拳なんかより頭蓋骨の方が固い。
知らない、そんなことはどうでもいい、それよりこいつ、この今胸ぐらつかんでるこいつ、こいつは許せん。
そこで殴ろうとしてとうとう止められた。
駅員に。
羽交い締めにされながら「てめーこっちこいこの野郎!」そんなことを喚いていた気がする。
内心ホッとしてたか?そこまでひ弱じゃない。
どんなにボコボコにされてもごめんなさいと言わせてやる電車に乗るマナーを教えてやる!
無理だった。
その後引き離されても挑発してくる。
上等だおい。
ジェットリーよろしく胸をはって薄ら笑いを浮かべて、手のひらを上に向けてクイクイっとしてやる。
こいよ。マジでぶっとばしてやる。
まぁ、そんなこんなで、僕は眼鏡を失った。
「秦八郎」という眼鏡職人の作ったお気に入りの眼鏡だった。レンズも含めたら4万円はするだろう。
この国で落とし物が見つかる事は無い。
先ほど吉祥寺の眼鏡屋に問い合わせたら秦八郎氏はもうその眼鏡を作ってはいないそうだ。
早起きは3文の得?
4万円の損失だ。
これから中国に旅行に行ったり、赴任したりする人がもしかしたらいるかもしれないので言っておく。
あいつらに他人は見えていない。
嫌中国多いに結構。思う存分やってくれ。おれも嫌いだ。
飯もうまいと思おうとしたし、うまい飯を探した。あるわけがない。
いい人も沢山いる。ホントに親切だ。
だが、そんな人ですら、「列に並ぶ」ことができない。ドアを支えておくことが出来ない。
これが文化の壁だ。
最後になったが、地震の被災者とその二次被害者に心からお悔やみを申し上げる。
救援物資を待つ長蛇の列をニュースで見ると、涙がでそうになる。
横から。
「平成21年全国消費実態調査 単身世帯の家計収支及び貯蓄・負債に関する結果の概要」によると、
単身世帯での男性の1ヶ月平均消費支出の中の食費項目は45,601円。女性は同33,125円。
単身世帯のうち勤労者世帯に限ってみると、男性は平均49,254円、女性は平均34,694円。
http://www.stat.go.jp/data/zensho/2009/tanshin/pdf/gaiyo1.pdf
食費の内訳は
食料について,費目別支出金額割合をみると,男女共に外食が最も高く,男性では食料全体の55.9%,女性では39.7%を占めている。次いで男女共に調理食品が高く,男性では食料全体の14.4%,女性では16.3%を占めている。調理食品に次いで高いのは男性では飲料(食料全体の7.3%),女性では菓子類(同9.3%)となっている。なお,「素材となる食料」(穀類,魚介類,肉類,乳卵類,野菜・海藻,果物)についてみると,男性では食料全体の12.9%,女性では21.5%を占めている。
外食率の差で概ね説明がつくのでは。
ちなみに元の話で行くと逆に女性のほうが目立ってコストが高いのは住居費。
業務の前に書店に寄ることが、半ば習慣化していた。
人の声の重なりのような、妙なざわつきを感じる。
地面が揺れていることに気づいたのは、その後だった。
一昨日の余震だろうか?それならばすぐに収まるだろう。
生まれて初めて体験する激震が、我が身を、そして店全体を揺らしたのは、そんな甘い考えが脳裏をよぎった瞬間のことだった。
本を買うより、身の安全の確保が第一だ。
店を出る瞬間に、視界の片隅だけに見えていたものだけど、その光景は良く覚えている。
激しく揺れ動く地面と同様に、あまりにも落ち着きのない思考が私を動かしていた。
だけど私は運が良かった。ガラスが割れる軽やかな音に気づけたから。
目の前で、ガラス造りの街灯が落ちて地面に砕け散った。
あと数秒、私の走りが早かったら、危なかったかもしれない。
まずは身の安全の確保だ。最優先事項にやっと気づいた私は、元々いた書店の入り口近くにある金属の柱にしがみつく。
建物の近くにいては倒壊に巻き込まれるのではないか、という考えもあったが、倒れそうには見えない外見のビルであったし、何よりも、屋根があった。
何かが落ちてきても、屋根があれば最悪の事態を免れることが出来るだろう。
一息ついて油断した、その瞬間を見逃さずに追撃するかのように、それはやってきた。
もっとも、どんな覚悟も、あれの前には無意味だったと思う。
視界に入るもの全てが揺れ動いていた。地面が左右に揺れる、というのを視認したのは初めてだったと思う。
地鳴りと悲鳴が重なる。震度表には「立っていられないほどの揺れ」という表現があるが、まさにそれであった。
銀色の柱にしがみつき、身体を支えること以外、何も出来なかった。
勇気ある人は、危険な位置にいた女の子たちを比較的安全な場所へと誘導していた。
その後、ガラスの街灯がまたひとつ落ちた。ガラスの破片が散らばったけれど、気にしている余裕はない。
私は死ぬのか、この世は終わるのか。本当にそう思った。
長い、長い、私の体感では3分ほど、実際はもっと短いだろう(これを書いている時点では正確なデータがないのです)、
だけど長い地震が終わって、私の思考はまた落ち着きのないものへ切り替わっていた。
そうだ、職場に行かなければならない。
揺れが収まり、身動きが取れることを確認すると、私は職場のビルへと向かった。
エレベーターは動かない。12階立建てのビルの3階に職場はある。
階段の壁は一部が崩れ、破片がそこらに落ちていた。非常灯がなかったので、昼と言えど薄暗かった。
それは階段だけではく、各階でも同様のようであった。日の光が差し込むだけ、階段よりは明るかった。
ドアを押しあけ、オフィスへ入るとほぼ同時に、余震が襲いかかった。あの本震の直後の余震である。実際にどれほどの震度の余震だったのか、これも現時点ではわからないけれど、本震と同じくらい強いものに感じた。
「危ないから入ってきちゃ駄目!」と悲鳴に近い声が私に掛けられたけれど、入ってきてしまったものは仕方ない。
オフィスの中にいた他の方々とともに、私は机の下に身を隠した。
自ら飛び込んできた私はともかく、朝から働いていたオフィス内の人々は、突然の、しかも未曾有の大きさの地震を受け、憔悴しているようだった。
それから、階段を降ってビルを出て、一度は近くの小学校へ避難した。しかし、地域の方々の避難が最優先であるため、解散の命令が出るまで、私たちは歩道で待機していた。
その間も余震はまるで容赦しない。地面が揺れる、街灯や電線が揺れる。大きな看板が地震で壊れていて、たくさんの人が携帯電話で写真を撮っていた。
本震の最大震度が7と聞き、やっぱりね、とか、宮城県沖地震かな、などという話題が上がった。少量ながら雪が降り始めて、とても寒かった。
地震保険の話があった。我が家には適用されるのだろうか。いや、それよりも我が家は無事か。
携帯電話を操作して、自宅に電話をかけるも、繋がらない。当たり前のことだった。
それからしばらくして、今日のところは解散、ということが上司から伝えられた。私は家まで歩いて帰ろうとしていたけれど、同じ方向に住まいがある同僚がいたので、家の近くまで送っていただくことになった。
車道は当然のように渋滞していた。加えて、一部を除いて、信号も動いていない。
仙台市中心部から郊外へ移動しようというのだから、渋滞に巻き込まれるのは致し方ないことだ。30分で100メートル移動出来たかどうか、ということもあった。
正直に言えば、自宅まで徒歩で戻った方が、早く家についたかもしれない。しかし、車で送って頂いて本当に良かったと思う。
そう思う理由はいくつかある。ひとつは、複数の人とともに移動することによって、不安や恐怖と言ったものを少しは紛らわせたということ。また、車にはラジオが搭載されているから、最新情報を確認することが出来たのも大きい。外気を遮断し、暖をとりつつ移動出来たというのもある。被災直後から、仙台市内には断続的に雪が降り、吹雪くことさえあったから。
最終的なマグニチュードが8.8であるという報道を聞き、私たちは笑うしかなかった。この地震で亡くなった方が出るかもしれない、という話題にもなった。これを書いている今現在、確認されている死者は1000人以上であると聞いている。ここまで多くの方が亡くなってしまうとは、あの時、思いもしなかった。
移動中、私は家族が心配でならなかった。特に、自宅にいるであろう、母。我が家は築25年の木造住宅である。自宅が倒壊してしまったのではなかろうか、それに母が巻き込まれてしまったのではないか、心配で心配で溜まらなかった。
同乗している同僚は、2歳のお嬢さんを心配していた。夫の実家に預けているのだが、連絡が取れないのだという。
私も母との連絡は取れない。「頼りがないのは良い証拠」であるという、この場にはまるでふさわしくない故事を信じるしかなかった。
被災直後であるから、携帯電話は全く役に立たない。それはとうに承知していても、家族の安否を確かめたいというのは当然のことだ。電話はとても繋がりにくかったが、幸い兄との連絡はついた。それから、機械に疎い家族が見るかどうか分からないが、災害伝言板に書き込みをしておいた。
車に乗っていても、余震は我が身に伝わる。窓から見える外では、多くの人が歩いていた。結婚式の最中だったのか、よそ行きの格好のまま避難する人、スーパーのビニール袋を被る人、クリーム色のカーテンを纏う人、様々いた。
1、2時間も経つと、日が傾き、徐々に日の光が失われていった。明かりがあるのは車ばかりで、どの店、どのビル、どの建物も真っ暗なままだった。唯一、警察署だけは明るかったけれど、自家発電装置はいつまで持つのだろうか。
これだけの巨大な地震であるにも関わらず、高層ビルの倒壊がなかった、このことはすごいことだと思う。
しかし、それは外見の話だ。どこも大なり小なりの被害を受けていて、壁が崩れたり、窓ガラスが割れたりするのは当たり前、水道管が壊れて、水が溢れだしている家もあった。
3時間半ほどの時間を掛けて、自宅の近くまで送って頂いた。ここからは、歩いて帰ることになる。
外はやはり寒かった。実際の気温だけではない。街のどこにも光がない。駅の近くにある大きな交差点、そこの信号は機能していたけれど、他の信号は依然光を失ったまま。これまで車で通り過ぎてきた光景と同じく、街のどこにも灯りはなかった。
この夜の空は、山中で見るもののようだった。星座が確認出来るくらい、綺麗な星空。あまたの星がいつもと同じように、黒のキャンパスの上で煌めき、瞬く。暗い街並みといつにも増して美しい夜空を、私は生涯、忘れないと思う。
さて、この地震では、かなり多くの方が避難所での生活を余儀なくされている。
我が家はかなりましな状況であるということを、ここで記しておく(こうやって被災最中に手記らしきものを書いている時点でお察しの方も多いだろう)。
何せ、不自由なことは多いものの、自宅で生活が出来ているのだ。現在、これを書いている3日目の朝も、白いご飯を食べ、暖かな野菜のスープを飲み、ゆで卵まで頂くことが出来ているのだから。
4時間かけて自宅まで戻ってきたが、電気はついているはずもない。もしかしたらみんな、避難所にいるのかもしれない。あるいは……。
最悪の事態を思い浮かべながら、玄関を開ける。ただいまと誰もいないかもしれない家に声をかける。返事はすぐに戻ってきた。
家族は全員、茶の間にいた。みんな、無事だった。そのことに安堵の息を漏らしつつ、私は茶の間に入った。
意外なことに、茶の間は暖かだった。捨てるつもりでいた石油ストーブを物置から持ってきて動かしていたのだ。停電していても暖が取れるのはありがたかった。さらに、ストーブの上にやかんを置けば、時間はかがるがお湯が湧く。パンを置けばカリカリに焼ける。外は氷点下にまで冷え込む中、石油ストーブで外から身体を暖め、お茶で内からも暖める。とても幸せなことだった。これを呼んでいらっしゃる皆様には、是非一家に一台、石油ストーブの購入をお勧めする。
家の中には、父、母、兄、それに近くに住む親戚の小母さんがいた。小母さんは、この地震で誰とも連絡が取れず、また誰も帰ってこないという。家の中は地震で家具が散乱しており、中にはとても入れない。一人でいるのも不安である。そのため我が家に来たのだという。
自宅へ帰って来た頃、時刻はもうすぐで8時を迎えようとしているところだった。こたつの上には大きな蝋燭が立てられていて、その脇にラジオが置かれていた。懐中電灯もあるにはあるが、あまり明るくないので、部屋全体は照らせない。そのため、トイレに行く時等、移動する際に使われていた。
そういえば、自室に小さなライトがあるのを私は思いだした。いつだかに、ゲームセンターのUFOキャッチャーで取ったものだ。おもちゃに近いが、電球ではなくLEDなので、大きさの割には強い光を出す。
本棚が倒れたため、本で埋め尽くされ、足の踏み場がない部屋へ行く(自室の荒れ方がまた素晴らしかったので、出来ればお見せしたいところであるが、この時既に携帯電話の電池が切れていた。残念である)。机の引き出しの中にライトはあった。スイッチを入れると、白い光が散乱した部屋を照らした。
また、その時の私は、黒いタイツにストッキングと随分冷える格好をしていた。荒れ果てた部屋からジーンズを引っ張りだして着替えた。ついでに、タオルケットと毛布を茶の間へ持ち出した。
茶の間に戻り、ライトで辺りを照らしてみせると、蝋燭や懐中電灯よりも広い範囲をより明るく照らせたので、当座はこのライトで部屋を照らすことになった。裸火がなくなり、火事の可能性が低くなったのでひとまず安心した。
余震は断続的に続いていた。これを書いている今もそうだが、大小の関係なしに、何度も何度も地震に遭っていると、いつも地面が揺れているような感覚に襲われる。恐怖が完全に拭われることはなく、むしろ大きい余震があるたびに増大していった。
母は、少し昼寝をしようとしていた時に地震に見舞われたそうだ。これほど大きな地震であれば、逃げることをまず第一に考えそうなものだが、母は42型の液晶テレビが倒れないか心配だったらしい。テレビを支えつつ、近くの柱にしがみついて、本震を耐えきったそうだ。
兄は仕事をしていた。オフィスの中にあったパソコンは全て倒れて使えなくなったそうで、しばらくは仕事にならないだろう、それどころか解雇されるのではないか、と心配していた。
父もまた、仕事をしていた。スーパーでカゴ集めのパートをしている父は、地震の瞬間に店内にいた。これは危ない、と思い、しかし出口からは遠い場所にいた父は、普段は閉じられたままのガラス張りのドアをこじ開けて外に出たという。後から聞いた話によると、父の勤務地のスーパーは、天井が落ちてしまったそうだ。
ラジオから聞こえてくる男性の声が、この地震による被害の状況を伝える。泉区で家がひとつ倒壊した、壁に挟まれて死んだ人がいる、火災が発生した、津波で何もかも飲み込まれた……。いつもの夜のラジオなら、軽やかな音楽や楽しげに話すDJの声が漏れてくるのに、今宵は厳しい現実と、それを乗り越える手段が、無機質に流れ出ているだけだった。
私が自宅に帰宅して、1時間ほどして、親戚の小母さんの娘さんが帰ってきた。
この時、電話はまともに使えなかったが、メールやインターネットならば使用可能な状態にあった。
機械音痴らしい小母さんは、メールを打てない。私が代わって、娘さんに「小母さんは我が家にいる」との内容を打ち、送信したところ、娘さんはすぐに我が家に駆けつけた。それまでは近くの避難所を当たっていたらしい。
娘さんの勤め先は、長町にある。我が家は仙台市泉区に位置しており、長町とはかなりの距離がある。娘さんは同僚の方から自転車を借り、ここまで帰ってきたのだった。それまでに1時間半の時間を要したそうだ。
午後の10時頃に、小母さんの旦那さん、つまり小父さんが帰ってきた。小父さんは地震発生直後に車に乗ったのだけど、ひどい渋滞に巻き込まれて、この時間に帰ってきたのだという。実に7時間もの時間をかけての帰宅だった。
先にも述べたが、被災はしたものの、我が家はかなりましな方だった。屋根瓦が吹っ飛んだり、壁に多少のひびがはいったりはしたけれど、とりあえず住める状態にはあったのだから。停電していて茶の間以外は真っ暗だし、ガスも当然止まってはいるけれど、この時点で水道は使用できた。トイレも流せる。これだけで、精神に随分と余裕ができた。とは言っても、時間が経つにつれて水圧は低下していき、2日目の昼には断水になってしまうのだけど。
しかし、断水前に風呂に水を貯めておけたのは良かったと思う。おかげで、今のところ、トイレの水には困っていない。流石に大しか流せないので、そこらへんの節約は必要だ。
とにかく、電気とガスが使えないのが痛い。そうは言っても、ライフラインが回復するまでは今ある環境で耐えるしかない。母に菓子パンを食べるように勧められたが、遠慮して、お茶だけ飲んでいた。……皮下脂肪が厚いので、少しの間飲まず食わずでも耐えられる。
夜の11時を迎えたところで、両親に就寝するように言われた。どうせ、余震が続いて眠れないので、次の日の夜明け、6時50分頃まで起きているつもりだったが、せめて横になるように、と言われたので、茶の間の畳の上に体を横たえた。今夜は座布団が枕の代わりだ。寝転がり、目をつぶるだけで、少しは休むことができる。
形だけの就寝をし始めて1時間。日付が変わった後、ふと母の携帯電話を見てみると、2、3時間前まであった電波がなくなっていた。メールやネットならば使えたのに、それすら出来ない。ラジオ以外の情報獲得手段がない。ニコニコ動画やユーストリームでNHKの放送をしている、とラジオは伝えていたけれど、そんなもの役に立たない、と思った(もちろん、まだ電池のある携帯電話等を持っている人には重要なのだと思うけど)。ちなみに、家に帰ってきた時点で、私の電話の電池は切れてしまった。
日の出まであと6時間。ラジオは伝える。どうか日の出まで、希望を持ってと。ラジオは伝える。現実を。荒浜に、200から300の遺体が流れ着いたとの報を聞き、涙が頬を伝った。
3時か4時になった頃、NHKのラジオが音楽を流した。2曲流れて、1曲は確か「カノン」だったと思う。そのおかげがどうかは分からないが、私は少し、眠ることが出来た。余震がある度に起こされはしたものの……。
長い、長い夜を過ごしているうち、私はひとつ思いついた。
被災している最中から、忘れないうちに、体験談を記しておこうと。
携帯電話は使えない。iPadは不向きだ。だから今、pomeraを使って書いている。我が家にて、単4電池を使う懐中電灯等もなかったから、こうやって書いている。
これは被災してから2日目に書き始めた。現在荒削りながら、被災当日のことを書き終えて、5日目である。出来れば電気が繋がった3日目のことまで書いて、増田に上げられれば、と思う。私なんか、とてもとてもましな方だったけれど、千年に一度とも言われる天災の体験談は書いておかなければならないと思った。……エゴイストで申し訳ない。
また、普段は趣味で小説のようなものを書いているので、そのような表現があり、読みにくい箇所も多々あったかと思う。このことについてもここでお詫びする。
私が住んでいる仙台市泉区のとあるところでは、3日目で電気が繋がり、4日目で携帯電話の通話及びメールが使用可能に、そして現在、5日目の朝にネットが復旧した。
ちょっと前(自分的には)コンビニでツルモク独身寮の絵が使われたパンが売られていた。ちょっと嬉しくなって買った。
自分にとって、ツルモク独身寮といえば、田畑さんがすべてだ。田畑さんの班長試験の話がとりわけ印象的で好きだった。フランスに渡り家具デザイナーとして羽ばたく主人公と、家具工場の班長試験であがく田畑さん。最後にはみずからを悟り全力で試験を受ける。
読んだときは高校生だったけど、自分もあんな大人になりたいと強く思った。自分を知り、今出せる全力を出して、その場でできることを尽くす。主人公はウソみたいに家具デザイナーになったり、美人のヒロインを射止めたりするんだけど、そんなのはどうでもよかった。最後は田畑さんが幸せになってくれたのがなによりよかった。
最近はなんやらかんやらと勘違いしてる人が多いけど、田畑さんは自分について勘違いしてなかったし、あきらめてもなかった。そこがとてもかっこよく、今ではいかにそれが難しいかよく判る。
さて今年も多摩キャンという迷路に迷い込むであろう仔羊たちが沢山生まれるわけか…
っつーわけでまあ、記憶を辿って適当に書いてみるとしよう。俺は現多摩キャン1年(社会学部社会学科)だ。
もちろん間違っている、不正確な情報もあるはずなので、真実は自分の目で確かめてほしい。
俺自身が田舎からの上京組なんで、上京組を想定した項目も入れてある。
西八王子、めじろ台←→法大間は安い定期券と回数券をキャンパス内で買えるので、入学前に買う必要はない。
地図見るとわかるが遠いくせに基本ルートが2つしかない。つーわけで超混む。都心の満員電車の気分をこんなところで味わえます。
なので通学時間帯のバス時刻表は全く当てにならないと思っていい。所要時間はめじろ台15分~20分、西八王子25~30分、相原15~20分(もちろん通学時間帯は後ろの数字)だ。
最近ダイヤ改正で八王子駅←→法政大学直のバスができたので、八王子近辺からはこれでいけばよい。
他のルートは使っていくうちに覚える。とりあえず4月は大学に行けりゃ十分。他のところなんて先輩が案内してくれる。
あとは各自Googleマップを見るなり、路線図見るなり、実際に行ってみるなりしておくといい。初登校日に迷うなよ?
都心のことは覚えなくていい。たぶんほかのことで忙しいだろうし、(サークルや交友関係にもよるが)都心に行く機会なんて意外とないから。
ちなみにめじろ台は「めじ台」、西八王子は「西八」と呼称される。
基本多摩キャン生が住む場所は3つ。めじろ台・西八王子・相原。上記最寄駅ってことね。次に八王子、橋本、高尾。んであとは京王線・中央線・横浜線の各沿線。
都心が近いって理由だけで都心近くに住もうとするとまず破綻する。便利なとこがいいなら立川あたりで止めとくべき。
田舎からの上京なら西八王子でもそこそこ便利と思えるだろうし、俺は西八王子をおすすめしておく。
めじろ台、相原はそれに比べると劣る。そのかわり家賃は安い。ただめじろ台はプロパンガスなんでガス代が高い。千円二千円の家賃の違いでめじろ台にするのはやめたほうがいい。
都会人だけど大学にも近くしたい人なら橋本もいいかも。本数は少ないもののバスで行けるし、そこそこ都会だし京王相模原線が通ってるので都心へも行きやすい。いい物件を見つけられれば穴場。
あとは適当に箇条書きで。
家具・調理器具・家電などは本当に必要なものだけをまず買うのが一番いい。住んでいくうちに必要になるものがわかってくる。
めじろ台であれば、高尾駅(めじろ台駅の隣)の近くにあるイトーヨーカドー、その通りにあるダイソーと電機のセキドで大体のものが揃うはずだ。
まあ住まいや家具家電は親の意向等もあるので、親とか財布とか自分の性格とかとよく相談したうえで決めてくださいな。ここ(や他の情報)で書いていることを親に強弁しすぎないように。
入学式は日本武道館で行われる。服装は自由だ。といってもほとんどの人はスーツだが。
書類をちょいと貰うのでバッグがあるといい。わざわざ買う必要はないが、スーツに合わないバッグしかないなら考えておこう。
駅に着きさえすればあとは案内と人の流れでわかるだろう。周辺では某団体や某サークルがビラを配ってたりするが、気にせず進もう。
キャンパス以外でのビラ撒きは公式的には禁止のはずだ。キャンパスに行けば嫌というほどビラをもらう。
式では校歌を歌わされるが、付属生以外知らないので歌わなくていい。
市ヶ谷生は式後キャンパスへ向かうが、小金井・多摩生は解散となる。
「こんな田舎だと思わなかった」は新入生の自己紹介の常套句。使うと下調べ不足を自ら晒すことになるのであまりおすすめできない。
つーわけでまず一度キャンパスに行ってみるべき。近い人は入学を決める前に行っておくといい。本当に。
上京組でもだいたいの人は入学式前に引っ越すだろうから行ける時間はあるはずだ。百聞は一見にしかず。
では軽くキャンパス案内といこう。
バスで入口を通るとき、セブンイレブンとすれ違うはず。よくお世話になる。その横にはバイクの駐輪場がある。マナーが悪い。
バスから降りた真上に見えるのがEGGドーム(エッグ)だ。サークルに入ればよくお世話になる場所。奨学金の手続きなどををする学生生活課もここにある。
目の前にでっかい木があるはずだが、これはクリスマス期間イルミネーションされる。予算の無駄だと思う。
横断歩道を渡ろう。普通に車が通るので油断するな。右手にはトンネルがある。大学にトンネルがあるなんて聞いたことねえ。
トンネルの向こうにはスポーツ健康学部がある。残念ながら雪国ではなかった。しかし思いっきり民家や私有地が隣にあるので驚くこと間違いなし。
さて進もう。なぜ大学は坂道にしたのだろうか理解に苦しむ。左手にちょっと奥まった下り坂があるが、そこに入ると大教室A棟がある。
ここで新入生オリエンテーションが行われる。俺はオリエンテーション以外でここに入ったことはない。まだ1年だからだろうか。
バス停があるが、ここで体育棟行の循環バスに乗れる。キャンパス内バスなんて北大の専売特許かと思ってた。
上ると道が二手に分かれるが、左へ行くと経済学部棟へ、右に行くと社会学部と現代福祉学部棟に行ける。真ん中に総合棟と図書館。奥の道は体育棟へと続く。
左へちょっと行くと円形型の芝生=円形芝生:通称円芝もある。ここはリア充系経済学部生のたまり場となっている。近づき辛い。
ちなみに多摩キャン、憩いの場がやたら多い。某公式キャンパス案内は、円芝、EGG、社学棟1階、現福棟前、食堂を憩いの場として紹介しているそうだ。
各学部棟は説明がめんどくさいので、あとはパンフなどを参照してほしい。後日、各施設の無駄知識も書く予定だ。
結婚って色々お金かかるからね、予算を決めて何にお金をかけて何にかけないのか、ふたりで相談するのがいいんじゃないかな。
今後「生計を共にするもの」になるわけだから。こういうことで折り合わないと今後ももめとおもうよ。
「結婚式を身内だけにして後に残る指輪はいいものを」とか、「式だけは皆に祝ってもらいたい」とか、こだわるところに集中してお金かければいいと思う。
結婚にまつわるイベントは女子の方が理想や夢があると思うけど、ちゃんと話し合って双方が納得できる形にするのが重要。
蛇足だけど自分の場合は婚約指輪はなしにつもりでいたら、母親がもう使わないからとと自分の婚約指輪を嫁にくれた。その分夫婦おそろいになって一生つける結婚指輪にはお金かけたけど。
センター試験が終わったからか、なんだか最近はてな界隈がインテリアブームだね。
関係ねぇだとう?服もインテリアも基本は同じなんだよ!
■一点豪華主義を狙え
みんなお金無いよね。毎シーズン何万円もする流行の洋服をぽんぽん買えないよね。
※服の場合:
最初にちょっっと背伸びしてシンプルで長く使えそうなダークカラーの仕立てのいい服をひとつ買おう。
例えば本物のレザーのブルゾンとか、例えばプラダみたいな有名ブランドのジャケットとか、
カジュアルなファッションならアークテリクスのマンパとか、ラベンハムのジャケットでもいい。
そういうの一個持ってればいいよ。
ただモンクレーはやめろあれはもうユニクロきてるのと変わらんあーモンクレーねハイハイってなるから。
それならまだDUVETICAのほうがいい。
そんなお金すら無い!ってヒトは、最低4万円出して定番の形のPコートを買おう。
そういうちょっと背伸びしたアイテムにユニクロやシマムラやライトオンで買えるようなシャツやパーカー、チノパンやデニムを合わせるだけでいいんだよ。その時はジャストサイズでね。
アウターのいらない季節なら、デニムだよね。チノでもいいけど。
ディーゼルでもリーバイスのビンテージでもGスターでもヒステリックでもいいよ5年後も着てられる定番でお気に入りの一点にケチらずお金を使おう。
そしたらやっぱりTシャツはユニクロやライトオンで無地のシンプルなものを買おう。秋ならスウェットパーカーも。
ほんとそれだけでオシャレに見える。絶対バカにされないから。
時計もネックレスもウォレットチェーンもいらない。バンダナ?とんでもない。
ただ身体が細いヒトは腕にアクセサリをつけると少しごまかせるから、そういうヒトはカシオのデータバンクを狙おう。
7000円くらいで買える。
家出るときに鏡の前に立って、バッグも含めて自分の服のブランド数を数えてみて。
ユニクロ、シマムラ、ライトオンみたいな量販店を覗いて3つ以上あったらそれは危険信号。
服で言うとアウターやボトムなんだけど、じゃぁ部屋で言うとなんだろう。
ソファ?テーブル?キャビネット?テレビボード?そういう大物家具だよね。
どれくらいの広さの家に住むのかにもよるけど、それぞれの部屋には適正なTVの大きさがあるから、その範疇で一番おっきな薄型TVを買おう。
きっと10万円くらいだよね。
じゃぁそのTVにすっごいお金つぎ込んだんだから、そのTVをおもいっきり目立たせるようなコーディネートを考えて自慢しちゃえばいいよ。
その時ホントにソファは赤がいいのかな?カーテンの色はそれでいい?そのガラスばりのローテーブルは間違いじゃない?
IKEAなんかがある都会のヒトはいくらでも安くてシンプルな家具があるよ。無印でもいい。
選ぶときのポイントはできるだけシックな色目の木目を狙うこと。所謂ウォルナット調。濃いコーヒーブラウンだよ。
なんで木目調だよオレはホストみたいなクールな部屋にしたいんだよ!っていうヒトもいるかもしらんけど、金属やガラス、プラスチックなんかはその他の調度品とバランスをとるのが非常に難しいんだよ。絶対、キャビネットはシルバーでクールな雰囲気なのにソファの色は暖色で、なのにテーブルはガラスでライトな感じで、でも間接照明で落ち着く雰囲気、とかになるから。
じゃぁガラスだけや、金属だけや、プラだけで家具揃えられるかって言ったら、それは難しいよね?
そんで、さっき服んときも言ったけど余計なアクセサリーはいらないよ。そのスタンドライトもお香たても流木も写真立てもいらない。
何部屋あるのか知らないけど、貧乏ならせいぜい1ルームだよね。その部屋に生活するのに最低限必要なもの以外はおいちゃダメ。
それとあのよく雑誌とかで見かけるダンボール切ったり、板をホームセンターで買ってきてなんか作るやつ。
せっかくTVにお金かけたのに、部屋にお金ないからがんばってます感というか、僕貧乏です感が丸出しになっちゃう。
そんなのかっこ良くできるわけないんだから、あんなの信じちゃダメ。
そんで仕上げに腐るほど言われてるけど、照明を温かいオレンジに変えちゃえばもう最高だね。
家具はウォルナットの木材(調でもOK)でまとめる。ソファーもダークブラウンや黒が好ましい。カーテンも絶対無地にしてね間違っても西友とかでチェックのカーテンを買ってきちゃだめ。いや西友はべつにいいけど。
それじゃぁどこで個性だすんだよ!って思うだろうけど、絶対物は増えるんだから。
色なんて絶対あとからいくらでも入るから、ベースにある家具は無彩色にしとかないとほんとに統一感がなくなっちゃう。
それで、じゃぁその超絶シンプルな部屋でどうやって個性だすか、ていうと答えはラグマットです。
黒い薄型TV(もう床置きでもいいよ)、ダークブラウンもしくは黒のソファ、同じ色のカーテン、ウォルナット調のテーブル、こんだけベースを暗く揃えたら、ラグマットに好きな色をもってきていいよ。芝生みたいなグリーンでも、ショッキングピンクでもいい、ワインレッドでもいい。明るい色のラグを敷こう。
なぜラグかっていうと、ラグだけは基本交換サイクルの早い家具なんだよ。それに値段も手頃。
そのふかふかのラグマットをローテーブルの下に敷けば、もう立派なオシャレルームだよ。
そのうちどうせ部屋なんて物で溢れかえっちゃうんだろうから、とにかく最初のベース作りをシンプルに。
ここさえ間違えなければ絶対成功するよ頑張って!
+
20代30人、本気で“森林ガール” 岩井有加さん
「衰退が著しい日本の林業を変えるには、今までなかった『女子目線』が必要だと思うんです」
淡々と話す様子からは、“パイオニア”に位置づけられるべき気負いがまったく感じられない。屈強な男性が山で黙々と木を切るという、林業のイメージからは最も縁遠い、都会の女子が集まる「林業女子会@京都」を昨年7月に立ち上げ、代表を務める。
平均年齢20代のメンバーは京都の女子大生を中心に、建築士や会社役員なども含めて約30人。アウトドアを楽しむ「山ガール」や、おしゃれ重視の「森ガール」が人気だが、「大木を切ったり、急斜面を登ったり、現場は体力勝負」と、明らかに一線を画す。
昨年11月に開催した京都府南丹市での「伐採体験会」。メンバーはヘルメットや地下足袋、つなぎ姿で山に入り、のこぎりを使って手入れした。一方で今年2月にはフリーペーパーを発刊し、薪ストーブを置くカフェなどを女性向けに紹介するという。
「家の柱や家具、読んでいる雑誌の紙だって、森からいただいた恵み。都会の女子的生活にも林業はなくてはならない。だから、あえて女子をターゲットにしてみたんです」
大学では森林科学を専攻。京都で活動する男女混成の林業サークルにも所属したことがあるが、女子会結成はツイッターでのつぶやきがきっかけだった。
《農業に興味のある若い女性が「農(ノ)ギャル」と呼ばれて注目されるんだから、林業に若い子がいてもいいんじゃない?》
反響は大きく、賛同した若い女性と意気投合し、つぶやきはわずか2カ月で形になった。
大学近くのカフェを活動拠点とするが、定期的に集まるわけでもなく、思いついたときにブログやメールで呼び掛ける。「『木っておしゃれ!』みたいな、シンプルなところから入ってくれたらいい」という軽いノリも魅力の一つである。
国土の7割を森林面積が占める日本。「里山」の良さは近年見直されてきてはいるが、木材自給率はわずか3割しかなく、林業の衰退が叫ばれて久しい。
「一過性のブームに乗るのではなく、ライフスタイルとして山とつながり、100年先を考えられる余裕のある女子が増えたら、未来はきっと明るくなる」
「草食系男子」とは比べものにならない「女子力」なら、日本の山に活力を与えるかもしれない。(白岩賢太)
=おわり
林業って簡易トイレから離れた所でも作業やるからトイレは……なんだけど、こいつらその覚悟あんのかね。
大学近くのカフェを活動拠点とするが、定期的に集まるわけでもなく、思いついたときにブログやメールで呼び掛ける。「『木っておしゃれ!』みたいな、シンプルなところから入ってくれたらいい」という軽いノリも魅力の一つである。
あ、こりゃ望み薄だ。死傷者出る前に飽きる事を祈るのみ。
・・・なんで義姉まで動員せにゃならんのよ?
一週間で結納婚約させられ式場押えられ、時代錯誤な結納金100万払わせられ
地味婚と言っていた弟嫁だったはずなのに、嫁親が大々的にやれと言い張った挙句、婿の方が嫁より出すべきとのたまって300万結婚式代を出させられ
妊娠したから嫁実家近くとはいえ、弟は職場まで毎朝2時間以上掛かる始発の12時帰り、だが嫁は嫁職場まで徒歩10分
相手の言われるがまま18万の洗濯機に10万の電子レンジ等金銭感覚ぶっとびアッパークラスで全ての家具を買わされ、
弟仲間からも「なんであんな女と結婚したの?」と言われるような、相手の意見に全く耳を傾けない女と結婚したあげくだってのに、
子供の命名で何の変哲も無い字を入れる入れないで「絶対やだ」「絶対いれる」で離婚するしないとか、もうね。
結婚前に両親が散々後悔しないのかと問い詰めたし、弟友も本当に結婚してよかったの?と言ったそうだし、
ま き こ む な 本 気 で。
ちょっとあたまおかしくね?
家族だからフォローすべきなのは分かってるけど、自業自得で招いた結果の後始末とかもうね。
こっちは滅多に取れないイベント休暇なんだよ。
今日スーパーの帰りにフラっと立ち寄ったモデルルームで、そのままマンションの契約をしてきた。
比較もなにもなく、1軒目。
「昨日さ、○○(俺の名前)作戦を発動しちゃったよ」
とはつまり、衝動買いしたよ、ということだ。
例えば電気屋に電球を買いに行っただけのつもりがパソコンを買っちゃったなんて話は、少なかれどまったくない話ではないだろう。だが、マツキヨでシャンプー買った帰りに3000万のマンションも買っちゃったなんて人はそうはいまい。
本題に入る前に少し、過去の話を書こうと思う。
学生、親の管理下にいる頃はお金の扱いに非常に厳しく、お小遣いすら支給してもらえずおやつひとつ買うのも母親の承認が必要で、100円のおやつがほしいともなれば3日はおやつを我慢しなければならなかった。
社会人になり自分でお金を稼ぐようになって、その反動がきたかのように「ほしい物を、ほしい時に」買うようになった。はじめは会社の寮に住んでいた為お金は溜まりに溜まり、とにかくありとあらゆるものを即金で買うようになった。パソコン、ホームシアター、大型液晶テレビ。最近はホームベーカリーやCisco社のルータも買った。特に衣食住における”住”のウェイトが高かったように思う。
その考えはそのまま住居に直結し、不景気の煽りで退寮を迫られたときには賃貸のデザイナーズマンションを契約し、引っ越した。家具家電も全て新調したため、引越し総額は100万を軽く超えた。
しかし、それまでタダ同然の家賃でで暮らしていた自分に9万オーバーの家賃は想像以上に重くのしかかり、それ以降まったくお金も貯まらず、それでも浪費癖だけは健在でボーナスを含めた総支給でなんとか生活が出来ている状態だった。いや、なんとか、というと語弊があるかもしれない。少なくとも切り詰めてはいないのだから。スポーツジムにも通ったし毎年冬山に7,8回程度滑りに行っていた。今が幸せで楽しければそれでいい。そんな考えで手取りをめいっぱい使って生活していた。もちろん今もその考えは変わっていない。(だからこその3000万の借金なのだが)
そんな自分にも彼女ができ、結婚を考えるようになった。デザインがどんなに優れていようが、居心地がどんなによかろうが所詮一人暮らし用の賃貸マンション。さすがに手狭で引越しを考えていた。お金もないし結婚資金も必要で、現実的に考えてもう少し広めの、もう少し安めの、普通のアパートに。
だけれども自分にとってやっぱり衣食住の何が大事かということを考えると、”住”なのだと思う。今よりもう少し広めの、もう少し安めの、普通のアパートに住むなんて、もちろん現実的だけど自分には考えられなかった。
30回ぐらい引っ越したので役立ちそうなメモを書きます。あくまでも経験を通じて感じた個人的な感想です。
不動産屋は免許更新回数が多い方が信用できると思う。サイトがある店なら会社概要などに括弧書きで書いてある数字。
DQN不動産屋はたいがい1。希望エリアに不動産屋が複数ある場合、自分はまずこの数字を確認します。
DQN不動産屋というのは誠実さが感じられない店を言っています。具体的には店が契約させたい物件をごり押ししてくる。
それ以外はほぼ紹介しない。とにかく手早く終わらせることしか考えていない。質問にも答えない(答える知識がない場合もある)。
ホストみたいな茶髪の兄ちゃんが接客。不動産屋でこういう店・人物は信用できない。
ターミナル駅のこぎれいな不動産屋はDQN業者が多い。こぎれいな店というのは事務所ではなくいかにも店
という感じのところ。店の中が携帯ショップみたいな雰囲気の不動産屋かな?
カウンターの向こうにデスクが並んでいる事務所っぽい不動産屋のほうが信用できる。
ネットの不動産情報にある優良物件はただの広告と思った方がいい。
今は不動産業者専用の物件共有ネットのようなものがあって、現地の不動産屋ではなくても店に行くと
でも市場に出される前の情報も押さえている現地の店のが物件が豊富。
電気のブレーカーは黄色(20A)がメジャーだが、たまに緑(30A)がある。違いは同時に使える電気量で、
緑は黄色より基本料金が300円弱高い。単身者用物件で灰色(40A)も見たことあります。
一人暮らしなら黄色でまず大丈夫。黄色の電力量ですが、感覚的には電気ストーブとエアコンと
ブレーカーは電力会社が無料で変更してくるとのうわさだがやったことがないのでわかりません。
賃貸だと家主の許可も必要でしょうから普通は変更しない(と思う)。
部屋の隅々まで確認して汚れが気になる場合は契約前にちゃんとクリーニングをさせましょう。
契約までにクリーニングをしておくと不動産屋が言っても、一度契約・支払いをするとまずやらない。
自分で掃除でもかまわない人はいいですが、ひどい場合は別の部屋を探す。
キッチンや風呂などの水まわりもきちんと確認しましょう。流し下のキャビネット部分も確認しましょう。
内見にはメジャーと方位磁石を持って行くといい。夕方や夜間に見る時は方向を確認して日当たりをイメージしておく。
メジャーは今自分が使っている家具などをおけるかどうかを確認する。
なるべく鉄筋づくりの頑丈な壁が良いですが、これは予算を考慮して決めましょう。
部屋にあるすべてのドア・窓を開け閉めしてみましょう。エアコンの効きにも差がでます。
電気のコンセント、電話線、テレビのアンテナがどこにあるか確認する。
古い建物だとなぜその場所に!?みたいな場所に電話やテレビの線がついてることがある。
カーテンレールの本数。自分は1本あれば十分ですが、女性の場合は普通のカーテンとレースのカーテン2枚つけたい方も
多いようなので気にする人は確認。しかし1本のところのが多いと思います。
外国人が多いところはやめた方が無難。治安的にも心配だし、炒め物が好きなお国の方は
使用済み油や料理カスを流しにガンガン流すようで、近隣までGが発生しやすい気がする。
建物によってはとなりの部屋は別の不動産屋の管轄ということもあります。騒音などのトラブルが無いかどうかは
不動産屋がわかる限りで答えてもらうべきですが、正直近隣住人については情報が無い場合が多い。
いい部屋と思ったらすぐに決めましょう。
退去時に不当な原状回復料を押し付けられないように、写真を撮っておきましょう。
不動産の契約が新旧の部屋で1ヶ月重なるときは、新部屋の電話・ネットの工事日は旧部屋でネットが使える間に決めておく。
前もって手配をしておかないと1週間や2週間またされる場合があるので、新しい部屋に行ってからすぐに使えなくてストレスがたまる。
電気は連絡すれば当日にでも開通するので前日に連絡すれば十分。
ガスは立会いが必要だが当日の連絡でも来てくれる場合が多いのであせる必要はない。少なくとも前日に連絡しておけばよいでしょう。
両方とも一度連絡を入れると基本料金が発生してしまうのでギリギリまで待った方がいい。水道も同じ。
電気と水道は、自分が知らない間に不動産屋が(気をきかせたつもりで)各社へ連絡することがあるので注意。
入居日が1ヶ月先になる場合などは、使っていないのに基本料金を取られることになる。いなかの不動産屋に多い。
家賃を期日までに払うことが一番重要。最近では大家と直接会うような物件は少ないので、
快適な生活をするために大家に気に入られる必要は特になし。しかし契約時に家賃保証会社の審査が必要なので、
一度家賃が遅れると保証会社のデータベースにその履歴が残り、別の部屋を借りる時に審査が厳しくなる。
不動産屋は別でも保証会社は同じなので、もし審査に落ちたら不動産屋を変えてもごまかしはききません。
あとはトラブルを起こさない。個人的には騒音が一番迷惑。低音を聞かせて音楽聞いてるやつは死んでくれと思うね。
音量下げても低音がうっせー。初めて実家から離れて一人暮らしを始める人は特に注意してください。
単身者が多いような都会のワンルームマンションではゴミの分別は適当でもまず問題ない。
ゴミの分別はいなかほどうるさくなり、完全に分別していないと本当に持っていかないところもある。
そういう場所に住むのはやめましょう。時間も無いし、せまいワンルームで分別なんてやってられない。
女性は管理人がいる方が安心でしょうが、こういう別の問題が発生します。
新旧の部屋の契約が一ヶ月重なってしまうのは家賃の無駄ですがあきらめましょう。
実家が近くてしばらく住めるならば、契約が重ならないように退避してもいい。
タバコで茶色くなった壁や天井は経年劣化扱いにはならないので、壁紙張替えに金がかかる。
引越しは正直なところ引越し屋に頼んだ方がいいです。自分でやると大変だし時間の無駄。
どうしても安くあげたいのならレンタカーで業務用の車(軽トラやハイエースなど)を借りて自分でやるのがいいでしょう。
知り合いを一人ヘルプで呼べば単身者用冷蔵庫と洗濯機もなんとか運べます。それでも階段はつらいです。
一番いい引越しパターンは燃えるゴミの日の前日の午前中に終わらせて、午後は掃除をして夕方暗くなってから、
掃除のゴミを捨てて新ルームへ行くか、その日は旧ルームで我慢して翌日午前中に退去立会いをする。
掃除を半日で終わらせる自信がなければ燃えるゴミの日の前日を一日掃除にあてる。
個人的におすすめは静かな部屋です。日当たりが良くなくても騒音が無い方がいい。
電車や車がうるさい部屋、ケンカの声が絶えない隣の外人カップル、
いつも子供をどなりちらしている隣の病的なお母さん、これまでいろんな環境がありました。
というと男性から批判が来ると思うので、ぜひとも批判してご意見を賜りたい。
うちの夫の年収はアバウト550万円。
結婚して1年、夫と私は別会計にして食費や生活用品、税金なんかは私が私の稼ぎから出して、その他は旦那というやり方にしていた。
●家のローン(かなり安い)
●大きな税金(年1回程度)
ぐらい。
家を買ってリフォームした時は大半を払ってくれたけれどね。
だけど、私の収入は年100~200万円ぐらい。
おかげで独身時代に貯めた貯金が底を付いてしまって、夫に一度だけ15万円ほどカンパしてもらった。
もっとあげるよーと言われたけど、いくらもらっていいものか検討がつかないので断った。
私は家計簿を付けていたのだが、夫は忙しくて家計簿なんか付ける暇がない。
というより家計簿を付ける習慣もない。
家っていうのがいろいろわけありなので、ある程度お金が貯まったら繰上返済したいのだけど、夫がそのお金を管理してると、何年後にどのくらいの繰上返済をしたらいいのかとか、見積もりもできない。
外国の女性みたいに、夫の財布に頼らずにお互いを慎重する暮らしを~なんて思ってた。
旦那が小遣い制ってカワイソウだとも思っていた。
けど、実際無理。
家計の全体の収支がつかめない。
全体をつかみつつ、小遣い制を避けるためには夫に家計簿をつけてもらう必要があるんだけど、仕事が忙しくてそれどころじゃない。
さて、夫の小遣い制に反対する男性の方、この状況で夫の小遣い制を避けて、家計の収支をつかむ方法ってあるでしょうか?
あったら教えて下さい。
ちなみに、うちは夫婦一致の見解で「俺が稼いだ金なんだから俺がどう使おうと勝手だろう」などという男はクズクズ、人間のクズじゃなくて人間でもないクズだと言っております。そんなクズを親父にもったせいで、苦労した人が知り合いにいるからね。
別段、ソファの上にPS3はあっても珍しくも無いような。
PS3に限った話じゃないが、ゲーム機は背部の通気口を塞がれるとほぼ確実に熱暴走(ハングアップ)するし、基本的に水平な場所に設置される事を前提にしてるから、ソファなんて不安定な場所に置くってのはすんげーレアな状況だと思うぞ。
特に据え置き型はテレビの傍に起きっぱなしが基本だろ? 人が座ったり周囲を歩き回ったりする家具の上に電源ケーブルやビデオケーブルがテレビと繋がってる機械を普通置くか?
Twitterとか追跡されたらアウトなので増田に書く。書きながら自分でも整理したい。
元同居人が怖い。今年の7月にやっと別れた。同居自体も3年超えてた。最後は嫌々だったが。
別れた理由は様々あるがそこは割愛。結果的にはどっちも悪いと思っている。自分はだが。
別れを切り出したのは1月。僕から。
で、別れる直前、その元同居人が同じマンションの別の階へ住むと言い出した。
職場に近いという理由で。僕から別れを切り出した手前そこまで否定的にできなかった。
家具家電類も買い与えた。手切れ金という意味合いも込めて。金額的にトータルでかなりかかったが感謝もしていたし。
別れた1ヶ月後、PCのソフトを入れてほしいという理由で部屋に呼ばれた。
僕は作業を終えたらすぐ帰るつもりで伺ったが、セットアップ中恨み言の嵐。おまえが全て悪い。一緒にいるだけでストレスになる等々。僕は呼ばれたから行ったのだが、感謝もなく恨み言を背負ってセットアップ後帰宅。その一件があって以来くるメールを全て無視することにした。付き合ってられなかったから。
その後現在に至るまで1週間に3〜5通程度メールがくる。全て無視しているがくる。今までで単純に40〜50通程度はきているだろう。内容ははっきりいってどうでもいい内容。夜中に外出すれば「事故らないように」、布団を干していれば「下の階の人ベランダ付近までさがっている」、かと思えば「置いて行った雑誌を返せ(申し訳ないが別れてしばらくたってから捨てた。だって置いていかれても困るし。)」「使ってないなら鍋をくれ(使っている)」、タイトルだけ「鍋」←これが1日に数通。
正直監視されているようで怖い。メール拒否したら乗り込んできそうで怖い。引っ越せって話だけど、資金的にちょっとまだ厳しい。ただ手取りが少ないからなかなか資金がたまらない。
一応元同居人からのメールで新しい相手が出来たらしい。できたのにいまだにメールがくる。それが本当なのか妄想なのかはわからないが。
書きなぐるだけ書きなぐったがどうすればいいのか。解決策が思い浮かばない。関わりたくない。引っ越すしかないのか。
よく「コンクリートがむき出しの部屋に憧れる~。住みたい~」って話を聞くが、
建築的にはコンクリートむき出しが一番難しいらしいですよ?(理由までは知らない)
だから、普通の白い壁なんかと違って、値段もかなり跳ね上がるらしい。
しかし、確かにかっこいいとは思うが、コンクリートむき出しの部屋は、住居として果たして適切かね?
何かの拍子で頭をぶつけたりしたらと思うと、怖くて住めやしない。
女性のためのインテリアから、若者向けの『モテ部屋』指南の本まである。
たくさんあるということは、需要があるということ。
だけどそれは裏を返せば、『住居に対して不満を持っている』人が多いということだ。
どんなスタイルが人気かと中身を見てみれば、みんな、高級家具などで
部屋を覆いつくしている。かなりゴチャゴチャした印象。
そうやって部屋を複雑にするから、不満が溜まるのでは?
僕はシンプルにしたい。必要なもの以外は要らない。
ネットでよく見かける、座敷にPCのみの部屋の画像なんかが良い。
googleで探したけど、見つからない。保存しとけばよかった。
ちょっと長くなるけど、頭から説明するよ。
現在のジャニーズ事務所の業務形態、それと、「パトロン」と「プロデューサー」の違いについて。
覚束無い所は調べながら書いてるけど、アイドルビジネスには詳しくないから、細かい所は大目に見て欲しい。
強いていえばジャニーズの「パトロン」は所属アイドルのファン。
それぞれ細かく分けると別の事業をやってる。
各々に会社役員や雇われてるプロデューサーや、資金提供者=投資家がいる。
投資家とパトロンの違いは、投資することで利益を得るか、得ないかって所か。
ジャニーズの興業で利益が上がれば、提供した分の資金に配当金がプラスされて投資家に返る。
これで彼らは利益を得て生活している。
彼はプロデュース的な仕事も行っていた筈だし(現在は不明、ただプロデュース能力が無ければ、
少年野球チームをミュージカル俳優の事務所にはできないだろう)、
個人の資産を事業に組み込んでいるなら資産家としての側面もある。
ただ、これは有能な個人が複数の役割を兼ねているだけで、基本的には全て別の役割。
西洋には教会音楽、宮廷の音楽、世俗音楽ってのがあって、全部システムが違ったんだよ。
これらが相互に影響しあって発展したのがクラシック音楽の系譜。
近代以降、商業的な音楽が発展していくけれど、日本に輸入された音楽も、この系譜に連なっているし、
日本国内の商業音楽の現代のビジネスモデルはアメリカのショービズ界が原型だから、やっぱりここに繋がる。
教会音楽は文字通り宗教式典用の音楽だけど、音楽を理論家したのは教会だから、
「クラシック音楽」を作ったのは教会、とも言える。構造は「宗教だけに」非常に特殊。今は関係ないから割愛。
で、宮廷音楽。発生は貴族社会以後。近代以前の西洋社会ににおける「パトロン」は、王侯貴族の役割だった。
利益はあってもなくても気にしない。彼らの文化的な生活には豪華な家具やドレス同様、
オーダーメイドの音楽が必要だった。だから、庇護下の音楽家は、彼らの為に曲を書く。
クラシックだと、○○×世に捧ぐ、○○式典の~みたいな曲あるじゃん。ああいうの。
馬鹿みたいな金を使って作曲家や腕利きの演奏家を雇って、絢爛さを競った。
で、世俗の音楽。これも歴史は古いけれど、カヴァー範囲は非常に広いから色々省く。
キリスト教が弘まって以降、演劇の娯楽性と衆目を集める力から教会に弾圧されてたんだけど、
ルネサンス期にギリシア文化への回帰から戯曲や演劇が見直されるようになって、劇場なんかも建設されはじめた。
演劇は当初、貴族によって嗜まれるものだったんだけど、17世紀あたりから市民にも親しまれるようになる。
娯楽の少ない市民は劇場に通いつめた。劇場主・興行主は劇場を使って興行を行い、資金を稼いで循環させる。
彼らがプロデューサーの前身だ。オペラなんかはこのシステムの中で成長したし、現在のショービズの原型でもある。
このへんの歴史にはいわゆる流浪民やら乞食なんかの社会階層外の人々も大きく関与しているんだけど、
話がややこしくなるから省略して、外枠としては大体こんな感じかな。
アイドルビジネスは歴史的に見ればごくごく新しい+日本独自のカラーも強い形態だけど、
ジャニーズ事務所なんかは特に、元々アイドル事務所じゃなくてミュージカル俳優の事務所だったくらいだから、
(ジャニー喜多川はブロードウェイミュージカルに憧れて興行を始めたらしい)、
一応はこの興行の歴史の延長線上にある。もっとずっと、資本主義的に洗練されているけど。
片や、今はいわば文化事業とか王侯貴族の嗜みみたいな文化はほとんど存在しないから(しかも不景気だし)、
その為に、芸術家をいわば保護する「パトロン」は絶滅危惧種だろうね。
一応血が繋がってる年上の男だったけど、兄とは呼びたくない。
親や姉が以前なんとかしようとしたけど、そのたびに狂ったように泣いて叫んで暴れた。
無理矢理外に出そうとしたけど、散髪と面接用の服のために持たせたお金は漫画だかゲームだかに化けたし、親同伴のバイトの面接なんて通るわけがない。
諭されても、宥められても、殴られてもダメ。
父は厳しい顔をしていることが増え、全く笑わなくなった。
アレ自体もそうだけど、アレをどうにかできないウチの親のことも相手方に相当印象が悪かったっぽい。
姉はそのあと暫らくして家を出て、一度も帰ってきてない。
私も卒業したら家を出ると親に言って、思っていることをそのまま伝えた。
「自分たちだけ引っ越す。あいつは家が好きみたいだからくれてやる」
それからは早かったよ。
一人暮らしじゃなく、両親と暮らす家探し。
引越し先の家のことを私と母で段取りしている間に、父は今の家をアイツ名義にしたり、光熱費の自動引き落とし先をアイツの通帳に変えたり、その他諸々の手続き。
卒業して数日経った日、最低限の家具と食器を宅急便で送ったあと、自分達も移動。
多分追いかけてこられないようにするためだろうけど、転居先は海外で、今の家は仮住まいってことになってるらしい。
なんか夜逃げっていうか、敗走するみたいな形なのが腹立たしかったけど、そこは我慢。
その後、姉に連絡。
結婚の話が出る前にこうしてやれなくてすまなかったと謝った父を許したっぽい。
一戸建てだった前よりずっと狭いマンション暮らしだけど、家の中の雰囲気が天と地ほど違う。
アイツがどうなったかは知らない。