はてなキーワード: ライフスタイルとは
女性手帳を使って、「30歳までに産みましょう」と一生懸命啓蒙したところで、
例えば、
「25歳までに出産すれば、出産時に1,000万円支給します」
26歳出産は800万円、27歳出産は600万円、28歳出産は400万円、29歳出産は200万円、
30歳以降の出産には一切の手当てを支給しない。
年齢反比例出産手当の「原資」には、既存の子供手当て、もとい児童手当の財源を流用する。
つまち、30歳以上の出産だと、今までなら児童手当貰えていたのが、貰えなくなるので、
「マイナス」になる。
ここまで露骨に「アメとムチ」を使い分けたら、相当程度、出産の前倒しになって、
ライフスタイルを変える(例:婚姻年齢を前倒しにする)女性も出てくると思う。
男性側も、「この娘が25歳のうちに結婚出産させよう」と結婚に前向きになる。
↑こっちが覚悟で
またライフスタイルも固まっていて、「男は仕事・女は家で子育て」というのが当たり前になっていたのもこのころ。男は覚悟を問われる以前に子どもを持たない理由がなかった。必要なのは仕事をしっかりやって食わせていく覚悟であって子ども関連の揉め事を分担する覚悟ではなかったので話が早かった。産まない理由はないのでみんな産んだ。
君が「状況」ないし「覚悟」としている理由がわかったような気がします。どうも。
「覚悟」って言われると「うぇぇぇ?」って思ったんだけど、「状況」でもいいわけね。
『景気が良くて「男は仕事・女は家で子育て」というのが当たり前』という状況でもいい。
個人的にはふと「ひょっとすると日本は後者の方で成功してしまうかもしれない」と思った。
いやまぁ、フェミっぽい人が安倍政権に噛み付いているのを見ると、逆にそういう焦りみたいなものあるのかな、と思った。
たとえば景気が回復してしまって、不況のときフェミニストが主張していた『女性の労働力の活用が!』とか別にいらなくて、
普通に失業率が下がって、内需が回復してきて、社会的に安定する、そうすると「結婚してもいいかな」と思える男女が増えて、徐々に婚姻率が上がって、女性も産後はパートのおばちゃんなんだけど、特別不幸でもない、みたいな世の中。
それでもいいんだよな。
どこまで遡るべきかよくわからんが、適当に大戦前後くらいから。
まず第一次ベビーブームの時点、終戦を引き金にそれまでの反動で子どもが沢山産まれた。端的に言って戦時中は妊娠出産環境として最悪だった。男は出ていって帰ってこないわ爆撃機は来るわ物資がなくてメシも満足に食えないわでろくでもない。産めよ増やせよったってそれどころではない状況。
それが戦争終了となると、現代に比して衛生や倫理やいろんな観点からして万全には程遠かったとしても、戦時中に比べれば「これからはきっと良くなる」「少なくとももう子どもが兵隊に取られて死ぬことはない」という形で社会や未来に希望が持てたし、実際戦中よりは状況は改善していた。男は地獄から帰ってきたようなものだったんで覚悟の度合いが違ってた。
第二次ベビーブームは第一次の時の子どもたちが成人して子ども作ったんで人口比がすごく高くなったっぽく見えた。合計特殊出生率は上がっていない。
このときは高度成長期が大体落ち着いたくらいで、安定成長期とか呼ばれていたタイミング。社会的には決して不安定でなく、またライフスタイルも固まっていて、「男は仕事・女は家で子育て」というのが当たり前になっていたのもこのころ。男は覚悟を問われる以前に子どもを持たない理由がなかった。必要なのは仕事をしっかりやって食わせていく覚悟であって子ども関連の揉め事を分担する覚悟ではなかったので話が早かった。産まない理由はないのでみんな産んだ。
今は社会や未来に希望は持てない・楽観視は許されない状況だし、仕事をしっかりやっていれば食わせられるとは限らないし(というか高確率で食えない)、食えないものをどうにかこうにか食わせていくためには覚悟が必要になる。
というより、男が手帳を受け取って出来ることというのが実質覚悟しかないのに、お前の主張ではそれもできっこないという話になっている。男は「自分のすべき負担」から逃れ続ける。
その一方で女は知識を植え付けるという名目で「自分のすべき負担」から逃げられなくされる。「手帳まで配って出生率が上がらなかったら女のせい」にされる。
女だって手帳を渡されただけでママになる覚悟ができるわけじゃない。そもそも覚悟とかいう問題以前に社会的に環境が整ってない。なのに妊娠に必須のパートナー即ち男には逃げ道が確保されている。
仮にも政策として打ち出すものである以上、このように性別で負担が変わるものは不公平の極みで女性蔑視で差別的だと言われてもしょうがない。全部事実だ。
>「手帳まで配って出生率が上がらなかったら女のせい」にされる。
されません。被害妄想です。また書くけど、女性手帳の目的は「少子化を解決する(出生率を上げる)」ではない。「晩婚・晩産に歯止めをかける」だ。間違えるな。これは理由1でも書いた。じゃあ、「晩婚・晩産に歯止め」がかからなかったら、女性のせいか?違います。女性手帳の導入を決めた人の責任になるので、安心してください。
適齢期を外れた女性が結婚できなくなる問題と男が無知で終わってる問題を意図的に混同している。
そして、そういう理由なら結婚できなくなるのは適齢期を過ぎた女だけじゃない。結婚に向かないライフスタイルの男、即ち共働きで互いに互いを支えられるだけの家事分担の能力や意志がない男や産休育休子どもの世話に手が割けない男も結婚できなくなる。長時間労働を前提に残業代で稼いでるクチはアウト。当然不妊の男や高齢の男もだが。
>適齢期を外れた女性が結婚できなくなる問題と男が無知で終わってる問題を意図的に混同している。
別におかしくない。上から目線は上から目線。表現として反語で書いたかそうでないかという次元ではなく、事実として女性手帳政策は上から目線なのでそう言われても仕方がない。
それはお前の主観であって、客観的な事実(みんながそう思うこと)ではない。現に、僕は上から目線だとは思わない。別に「上から目線だ!」と言う分には自由だけど、それだと「こいつは感情的に批判してるな。幼稚だな」と思われるよ?
10代が「責任取れない」のは何故か? いのいちに「カネがない」から、その次には「遊びたいさかり」だからだ。
経済的・精神的に子どもを作って育てるのに適していない、だから10代は子どもを作ってはいけない。
しかし同時にこの「10代」に何歳台を入れてもこの命題は成立し得る。理由が「責任取れなきゃ」にある限り、いくつであろうと「子どもを作ってはいけない」に帰結する。
この状態で「適齢期だから子どもを産め」なる教育が成立するわけがない。年齢は責任が取れないことの理由にはなっても責任が取れることの保障にはならない。
これはちょっと誤解を招く。出産を強制しようとしているわけではない。僕がしたほうがいいと思うのは、「(産むとしたら高齢ではなく)適齢期に子供を産め」という教育。なぜ、「だから」に変えた?わざとか?意味が違ってくるだろ。
>この状態で「適齢期だから子どもを産め」なる教育が成立するわけがない。
「責任が取れるようになったら、適齢期に子供を作ってね」という教育が成立すると思うが?
>手帳の最大の問題点のひとつは、配付した時点で周知完了としてこの点における議論を封じているところだ
「妊娠・出産の適齢期と高齢出産の知識をいかに普及させるか」という議論でいいんだよな?何度も書くが、僕は女性手帳”だけ”で教育しろなんて書いてない。知識が普及しないのなら継続して議論は必要だと思っている。
これはさすがにバカすぎる。今までと何が変わると思うんだ?昔からWeb上に妊娠・出産の適齢期と高齢出産のリスクの知識は転がっていたとしたら、「知りたかった」人間は知りたいと思った時点で検索して知ることが出来ていたはずじゃないか。現にお前だって理由3を挙げている。「知ってる」と言える人間はいるわけだ。
知りたかったのに教えてもらえなかった?知りたい・知ろうとする発想すらなかった受け身人間だったというだけのことなのに、まるで知識を得ることを妨害されたかのようだぞ。意図的によくない印象を与える表現を使うな。
そりゃそうだろ。女性手帳や学校の授業などの教育によって「知らない人間(特に女性)がいないようにしないといけない」というのが僕の主張。
>知りたかったのに教えてもらえなかった?知りたい・知ろうとする発想すらなかった受け身人間だったというだけのことなのに、まるで知識を得ることを妨害されたかのようだぞ。
それを高齢出産で苦しんでいる人の前で言ってきてください。
>女だって手帳を渡されただけでママになる覚悟ができるわけじゃない。
女は覚悟ができるってどこにも書いてないけどなあ。「男”だけ”は手帳を渡されただけで覚悟ができない(女性はできる)」こう読んじゃった?
というより、男が手帳を受け取って出来ることというのが実質覚悟しかないのに、お前の主張ではそれもできっこないという話になっている。男は「自分のすべき負担」から逃れ続ける。
その一方で女は知識を植え付けるという名目で「自分のすべき負担」から逃げられなくされる。「手帳まで配って出生率が上がらなかったら女のせい」にされる。
女だって手帳を渡されただけでママになる覚悟ができるわけじゃない。そもそも覚悟とかいう問題以前に社会的に環境が整ってない。なのに妊娠に必須のパートナー即ち男には逃げ道が確保されている。
仮にも政策として打ち出すものである以上、このように性別で負担が変わるものは不公平の極みで女性蔑視で差別的だと言われてもしょうがない。全部事実だ。
>「産まなきゃ産めなくなる」という焦りだけ植え付ける。
「産まなきゃ産めなくなるという知識を身に付ける」でいいだろ?
ダメ。理由は上記。
僕はそもそも男性が妊娠・出産の適齢期の知識をつけるのは反対じゃない。けれど、そうなると適齢期を外れた女性は今まで以上に結婚できなくなりますよ、と。これもおまけの部分で書いた。
適齢期を外れた女性が結婚できなくなる問題と男が無知で終わってる問題を意図的に混同している。
そして、そういう理由なら結婚できなくなるのは適齢期を過ぎた女だけじゃない。結婚に向かないライフスタイルの男、即ち共働きで互いに互いを支えられるだけの家事分担の能力や意志がない男や産休育休子どもの世話に手が割けない男も結婚できなくなる。長時間労働を前提に残業代で稼いでるクチはアウト。当然不妊の男や高齢の男もだが。
そう、当たり前なんだよ。だから、女性手帳に限ってわざわざ「上から目線」という表現を使うのはおかしいよねってこと。これは反語表現といって広く使われるから今度からは誤読のないよう気を付けてね。
別におかしくない。上から目線は上から目線。表現として反語で書いたかそうでないかという次元ではなく、事実として女性手帳政策は上から目線なのでそう言われても仕方がない。
もちろん、学校の教育でもやるべき。女性手帳”だけ”で教育しろなんて書いていないし、僕は両方やるべきだと思っている。「責任とれなきゃ子ども作るな」と「適齢期に子供を産め」は矛盾しない。適齢期は10代じゃないぞ。
10代が「責任取れない」のは何故か? いのいちに「カネがない」から、その次には「遊びたいさかり」だからだ。
経済的・精神的に子どもを作って育てるのに適していない、だから10代は子どもを作ってはいけない。
しかし同時にこの「10代」に何歳台を入れてもこの命題は成立し得る。理由が「責任取れなきゃ」にある限り、いくつであろうと「子どもを作ってはいけない」に帰結する。
この状態で「適齢期だから子どもを産め」なる教育が成立するわけがない。年齢は責任が取れないことの理由にはなっても責任が取れることの保障にはならない。
手帳の最大の問題点のひとつは、配付した時点で周知完了としてこの点における議論を封じているところだ。
これはさすがにバカすぎる。今までと何が変わったんだ?今でもWeb上には妊娠・出産の適齢期と高齢出産のリスクの知識は転がってるぞ。それじゃあ、知りたかったのに教えてもらえなかった層のためにならないじゃないか。
これはさすがにバカすぎる。今までと何が変わると思うんだ?昔からWeb上に妊娠・出産の適齢期と高齢出産のリスクの知識は転がっていたとしたら、「知りたかった」人間は知りたいと思った時点で検索して知ることが出来ていたはずじゃないか。現にお前だって理由3を挙げている。「知ってる」と言える人間はいるわけだ。
知りたかったのに教えてもらえなかった?知りたい・知ろうとする発想すらなかった受け身人間だったというだけのことなのに、まるで知識を得ることを妨害されたかのようだぞ。意図的によくない印象を与える表現を使うな。
俺が早とちりしているというよりも、単純にお前に突っ込みどころが満載なのが問題。
少子化ってのは、人々の自由な選択の総合的な結果として、(未婚も含めて)子どもが居ない(あるいは少ない)ライフスタイルの選択が起きているってことだよな。
そうだと思う。 それこそ女性はパートみたいなところでしか働けなかった時代もあった訳で、そういう状況下だとライフスタイルの選択っていうか結婚するしかない、みたいな状況だよね。
だとすれば必要な活動は、自由な購買が行われている市場で販売が思わしくない開発済み自社製品のマーケティングと同じ様に見なすことが出来るはずで、
「自由な購買」だったのか?というとそうでもない。情報の流通が正しくなされていない市場では顧客が誤った商材に集中してしまう事だってあるよね?
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2012/0623/
取材に応じて頂いた方々が口をそろえておっしゃっていた言葉です。
親にも、兄弟にも、友人にも打ち明けられない不妊治療。涙ながらにお話頂いた苦しみの声が、どうすれば多くの人の心に届くのか。悩み抜いた日々でした。
また、アンケートで寄せて頂いた8000人を超える人々の声。
まぁ「情弱女乙」ということかもしれない。
今の40代団塊Jr女性は親から「早く結婚しなさい」って言われて育った世代ではあると思う。
ただ今の若い女性は言われずに育ってきてる。 それで自己責任というのは、ちとかわいそうかなとも思う。
まず周知が必要なんだと思うよ。 あと女性であれ男性であれ若くに結婚して出産したほうが良いことには違いがない。
男性も若く結婚したほうが良い。 ただ女性は若い男性、つまり年収の低い男性をパートナーに選ぶことはするのだろうか?という問題がある。
女性手帳がなんだかんだってんで 内閣府少子化対策 http://www8.cao.go.jp/shoushi を眺めたんだが。
少子化ってのは、人々の自由な選択の総合的な結果として、(未婚も含めて)子どもが居ない(あるいは少ない)ライフスタイルの選択が起きているってことだよな。
だとすれば必要な活動は、自由な購買が行われている市場で販売が思わしくない開発済み自社製品のマーケティングと同じ様に見なすことが出来るはずで、要するにそれは、少しの押しで選択が変わる可能性があり人数が多い層に対して、弊社ソリューションの優位性(笑)をアピールしたり、販促グッズなどでお得感を出したりする、ってのが対策の中心ってことになるよな。
そう考えた時、このサイトを眺めても、いったいどの層をターゲットにして何をアピールしようとしているのか、そのボリューム感とテーマがさっぱり分からないんだが、教えてエロいひと。
イベントチケットの販売数で、PVの内訳が信者よりウォチャーだったと可視化されて
「イケハヤなんかを信じて人生踏み外す奴がいたら迷惑だから」の懸念がなくなったんでしょ。
少数のコミュニティだとわかって、そっとしておこうと思ったんじゃね?
最近のイケダハヤトさんは、PVやアフィリエイト収入を意識しすぎるあまり、ソーシャルとかノマド的良さを伝える方ではなく、そうではないサラリーマン的ライフスタイルをバッシングすることによって注目を集める手法に傾倒してしまったように感じています。
私自身は、イケダハヤトさんのブログが、サラリーマン批判を軸にした煽りブログであり続けるかぎり、定期的に読みに行こうとは思わないので、その戦いからは距離を取らせて頂きますが。10年後に向けてどういう進化を遂げていくのか、遠目からウォッチさせていただきたいと思います。
でも「いいね押されたくない」とか言って、
信者も「僕は君たちとは違うんだ」と突き放してるし何がしたいんだろう?
PV落ちたら望まない展開になるのにねぇ。
ダニエルピンクのモチベーション3.0ということがしきりに言われて久しい。
課題に対するアメとムチの動機づけがモチベーション2.0であるのに対して、モチベーション3.0では課題そのものの面白さを追求する。
言い換えれば、学習心理学などにおける内発的動機づけの概念体系を提示したのがモチベーション3.0と言える。
しかし、内発的動機づけは本当に2.0よりも「上」なのだろうか?ここに私は疑問を呈したい。
確かに内発的動機づけを行えば、アメもムチも要らないからローコストではある。頑張った自分へのご褒美(笑)にスイーツ(笑)を買う必要もない。
しかしながら、ピンク自身も言っているように、内発的動機づけはあくまで創造的な業務にこそ役立つものであって、
創造性の要らない業務にあっては、むしろ仕事そのものを面白いと思う気持ちは「邪魔」にすらなりうる。
面白いとその面白さに導かれるがままに探求したくなって、脇道にどんどんそれてしまう恐れがあるのだ。
好きこそものの上手なれという言葉が当然のように受け入れられているが、用法・用量を誤ると取り返しのつかないことになる恐れがある。
基本的に好きになるべきはライフスタイルである。どんな仕事をしてどんな生活をしてどんな人とどんなコトをしてどんな成果を出してどんなふうに歳をとるのか。
そういった全体的なスタイルを好きになることで、その全体を構成する仕事であるとか人であるとかモノであるとか、そういったものに興味が広がっていき、全体の最適化が自動的に起きていく。
創造的な業務の内発的動機づけにしたって同じことで、実はライフスタイルを好きになっている部分があるから良いのだ。
例えば、音楽家は音楽だけでなく、生活全体が発想のヒントになる。だから、音楽そのものを面白いと思うことで、生活全体に視野が広がっていく。だから、内発的動機付けしても害が少ないのだ。
ところが、創造性を要しない業務では、発想を広げる必要がないから、内発的動機づけはその業務にしか視野に入らないような人間を生産してしまう。視野がどんどん狭くなってしまう。
業務に限らず、一般に創造性を必要としない課題に対しては、内発的動機づけを行うのは危険性も考慮に入れる必要がある。
では、アメとムチをやればいいのかというと、それも違う。アメとムチでは課題をやればいいんでしょ、やれば褒美が貰えるんでしょ、締め切りに間に合えばいいんでしょという発想になってしまう。
それでは肝心の課題の中身への観察や考察が欠落してしまい、どんな課題でも多少は必要な創造性が根元から摘み取られてしまう。
業務への内発的動機づけでもなく、アメとムチではないなら何をやればいいのか?答えは、ライフスタイルへの内発的動機付けなのだ。
個々人の人生設計にまで視野を広げる。いまモチベーションマネジメントはそういう時代に来ている。
先述のようにライフスタイル全体にこそ、内発的動機づけを適用されるべきなのだった。
例えば、画家であれば絵を面白いと思うのも結構なことだが、それよりもっと良いのは人生全体を面白いと思うこと、そんなライフスタイルを描くことだ。
でないと、絵のことばかりで人生のこと生活のこと自分のことがあまり見えなくなってしまう。
で、最初は人生全体なんてわからないから、身近なレベルから拡大していく。
例えば、数学が好きだから数学者になりました。数学、確かに楽しいですよ。だけど、数学する一日にも目を向けてみる。
すると数学は主要な楽しみではあるが唯一の楽しみではないことに気付く。また、数学そのものが楽しいだけでなく、
数学を考えながらカフェで過ごす時間が好きだったり、風呂で数学のことをぼんやり考える時間が好きだったりすることにも気付くだろう。
そうして数学で色づけられた、一日全体の「模様」「表情」を見ていく。その「模様」「表情」をもっと面白おかしくするにはどうしたらいいだろう?
そういうことを中心に考えて生活設計、ひいては人生設計していくのである。
そういう全体の見通しなしに内発的動機づけをやみくもに導入しても、表面的にはモチベーションが上がっているようで、
「自分の抱えるある問題が本質的には『自分がナードかつウィンプであること』に由来する、というのをある程度理解しつつも
それを抜け出すような選択が出来ない層(→要は、勇気がないんでしょ?)」
の心情を(かなり極端な形で)代表しているので、この層から常に支持がある。
精神分析好きのフェミニスト。しかし自身が「社会派フェミニスト」と呼ぶものとは距離を置いているようだ。
主張はうまく飲み込めないけど、
動物行動学的な意味合いでの「性」からは人間も社会も逃げられないよ、という感じ……なのかなあ?
たまにフェミニストと共闘できそうなエントリを書くとヤフコメ臭の漂う男にディスられる忙しい人である。不幸だ。
また、「左派のインテリ男性」にあまり厳しくないフェミニストは珍しいので、
必然的に取り巻きが増え、まとめて大野組などと呼ばれてディスられる。不幸だ。
はてなで最も戦闘的な左翼の一人。政治的な論争では常に攻撃的だ。
「はてサ」が嫌いな人には、筆頭のような扱いで疎まれている。
Twitterアイコンが暴力的ポルノだったりするような(ある意味で)自傷的な姿勢からすると、
自分語りを増やせば「ありむー萌え」みたいなそれがこの人に起こってもおかしくないかなあ……
と一瞬思ったけど、やっぱりそれは無いような気もする。
何が違うんだろう?
攻撃的でも愛されるタイプの人って、どことなくヤケっぱちな姿勢があるよね。y_arimにはそれがある。
ずっと、本名が本田さんだからfont-daなんだろうなあと思い込んでいました。fort-daか!
自称極左……なんだけど、政治的な論争にあまり積極的に絡まないため、
「はてサ」について言及される時でも大体無視されていてちょっと哀れ。
「妻にDVで逃げられたワープア」というアイデンティファイを何度も繰り返しているが、
これにはどういう意味合いがあるのだろう。
流石にこの属性を愛してくれる人なんかいないんだから、無視されるのもしょうがないよ……
常に懐疑的な立場からライフハック(に絡めたジョーク)を書いている人、という印象がある。
ジョックの論理を(後天的に)身につけてそれなりに対応できる、という点でナードを拗らせたクネクネ民とは大きく違うという気がする。
政治・社会問題にはほとんど首を突っ込まないが、明らかにニヒリズムが伺える。
「はてなの戦闘的な思想家を疎んじている人々(=「ノンポリは体制」という言葉でディスられる人々)」は潜在的にはかなりいるはずで、
マッチョ/ウィンプの構図を意識しつつ、明確にマッチョ寄りのライフハックを書いている。
もちろんウィンプからの反感はかなりあって、ことあるごとに叩かれている。
実はid:kokoroshaと姿勢が似ているんじゃないかと思っている。
id:kokoroshaがあまり叩かれないのは、自分をさらけ出す(正確には、さらけ出しているように演出する)ことで、
あと、ビジネスエリートであるという自己演出をする/しないの違いもあるか。
要するに「僕は君たちサイドの人ですよ~」っていう布石を打つか打たないかっていうのは
読者の反応を決定的に変えるのかな。
ところで、当初はなんでも相対化する人という印象だったので、id:ululunの人とはしごたん絡みの騒動で怒っていたのは少し驚いた。
同じメタと相対化を繰り返すタイプの人でも、ビジネス寄りの人とアカデミズム寄りの人は全然違うんだなあとか考えたり。
フェミニズムに対してやや懐疑的なエントリをしばしば書いて、微かな反発を受けていたのが記憶に残る。
最近は書いてないようだけれど、もう少しあなたの文章を読んでみたいです。ねえ、id:ohnosakikoさん?
薄く保守的な感覚を持っていて、ややマッチョ寄りの思考をする人。つまり、一般人。
不幸なことにはてなでは異物であるため、結婚観についてのディスり合いに巻き込まれたことがある。
はてなで起こった政治的な論争を「あさま山荘的な何か」と位置づけ、
自分はそこから外れた存在であると自己演出することで、一定の地位を得ている。
「今世紀はライフスタイルに基づく人種間対立の時代」という言葉が私の頭のなかをぐるぐる回っています。
id:takisawaみたいな人とは完璧に相性悪いのに(どちらも潔癖なタイプで、かつ方向性が決定的にズレている)
なんで仲良くできるんだろう、不思議だなと思いつつもほっこりしていたら喧嘩別れした。
ち、違うねん!
最初に30人くらい思い浮かべて、昔のことを先に書こうかなとか思ってただけなんです!
それと、paris713さんとohnosakikoさんが同じ人だって言ってるんじゃなくて、
いつも大野さんがエントリに真っ先に理解を示してたなあとか思い出したのです。
改めて読み返すと確かに今更感がすごい……
風呂も入らず食事も取らずあっさりと意識を失い、そのまま12時間近く寝てしまう。
夜明け前に目が覚めて風呂に入る。二度寝したいがさすがにもうできない。動いてないから腹も減ってない。
で、休みが少ないので次の日も大体仕事で、仕事終わりにはもう眠くなる。
仕事に支障はないんだが、どうにも小学生みたいなライフスタイルなので変えたい。
もともと病気がちなので病人らしいライフスタイルといえばそうなんだが。
なんとか十時くらいまで起きているようにしたいんだけど、まず確実に家にいるといつの間にか寝てしまう。
遠出するなら車で一時間ほどのところに県庁所在地と温泉街があって古本屋や湯治で時間が潰せるが、なんとも遠い。
http://anond.hatelabo.jp/20130424205318
を読んで、自分のことかと驚いた。
都会人ぶるつもりも文化人ぶるつもりも無いけど、何か違うんだよ田舎は…。
速度が遅いというか。強いアイデンティティが求められる気がしてつらくなる。
必要最低限のものだろうが嗜好品だろうが、選択肢が少ないから「自分らしさ()」を示すのが難しい。
自分らしさなんてものはないんだけど、"目紛しい情報の中から選択すること"がせめてものそれだったから、田舎に行くと自分を保っていられなくなる。
自分は東京で生まれ育って、中学校の頃から遊ぶといえばいわゆる都心の繁華街だった。
高校以降は、新宿や渋谷で学校帰りにプラッと映画見たり本屋寄ったりってのが普通だった。
それが当たり前だったからいろんな文化の「あ、いまの"ノリ"ってこんな感じなのか〜」を常に敏感に察知してた。
別に察知なんてしなくてもいいんだけど、最近服屋さんでこの柄よく見るな〜とか、その程度の。
移り変わりまくる流行にビシバシ攻撃されながら、時にのったり追いかけたりして過ごすのが自分にとっての普通。
流行を否定したり、日本では日の目を見てない海外の文化に傾倒したりとかもする。でもどれも軽い感じでやってるから、田舎にいってしまってその流れと分断されると一気にさめてしまう。自分の中の感情が無くなってしまう。
学生だからお金もないんだけど、毎週末都心に出て来てはプラプラしてたな。
映画見て、カフェいって、雑貨屋いって、本屋寄って帰る…みたいな。
21時ぐらいの田舎の駅前、活動終了してます感がたまらなく寂しかった。
仕事の関係で都心まで1時間弱のところで一人暮らししてるんだけどね、俺自身はぜんぜん不満はないんだ。
ところで、同じようにこの町に一人暮らしをしていて、休みの度に都心に出たがる同僚がいる。
自分がそうあるように、彼女もまた職場近くに部屋を借りて、徒歩で通っているので、バスや電車の定期などは持ち合わせていない。
彼女がいうには、「この街には本屋とかもないし」とかなんとかで。
正しくは、本屋はある。
すべての商業施設がそこにある。
それ以外の土地には、誰も足を踏み入れたことのない空白地帯が広がっていると思っているようだ。
アマゾンで買えって言ってるんだけど、中身をパラパラと少し読んでから買いたいとかなんとかで。
5千円くらいする本ならとにかくとして、聞けば普通に1000円くらいで買える本ばかりだし、古本屋で発掘するような本でもない。
明らかに交通費のほうがかかっている。
駅を基本に動く彼女には、この町はすごくすごく不便なようだ。
ローソンを探し(ロッピーを使いたかったらしい)に、バスに乗り駅に行き、電車に乗って出掛けたり、不思議な行動をしてる。
仕事を終えてからバスに乗って駅前、食料品を一日二日分買いに行き、休日は都心に出て、たかだか1000円、2000円くらい散財して帰ってくる。
遊び人というわけじゃない。
むしろ、チャーシューメンを食べたいが、給料日前だから我慢我慢、とか考えるような地味な女だ。
効率悪すぎだから、肉なんて数キロドカッと買って、冷凍しとけ。
本なんてアマゾンでいいじゃん。
って言っても、なかなか聞き入れる様子はない。
それは、いいんだけどね。
俺が育った街は駅なんかなかったし、コンビニもなかった。
本を売っている場所といえば、スーパーの一角の雑誌コーナーくらいだった。
当然宅配ピザも届かない。
そんな街で、今みたいに通販でなんでも買える時代ではなかったし、さすがに、困ったことはある。
でもさ、この時代にここに住んでて、なんでそう不満があるんだろうな?
病院と、食料品店と、ドラッグストアが自宅から10km圏内にあって、ケータイ電話の電波が3キャリアともはいれば、十分だろ。
紀伊国屋もロフトもハンズもヤマダ電機も、生きる上でそんなに必要か?
毎日足を運ばなきゃいけないとこでもないだろうし。
田舎暮らし(都心まで1時間が田舎というべきかでいつも荒れるけど)のストレスなんて、今はそんなにないように思うんですが、みなさまどんなもんでしょう?
究極にカスタマイズ、サジェスチョン機能を強化した不動産サイト案
・勤務地、勤務先住所
・希望面積
・希望階高
・新築へのこだわり有無
・南向きへのこだわり有無
・子供の通学条件
等々
「その人の希望条件に適合している、マッチしている度合が高い不動産」を
表示されるのは、新築マンション、中古マンション、新築戸建、中古戸建、更地の全て。
従来のサイトだと「新築マンションしか表示されない」「中古戸建しか表示されない」てな感じで、
横断検索的機能は弱かったが、このサイトはオールジャンルの不動産物件が表示される。
1番目に新築マンションが表示され、2番目に中古マンションが表示され、3番目に更地が表示され・・・という感じになったりする。
俺に話しかけてるなら俺の論点から大幅にずれた反論はやめてよ。
イケダさんがいじめられてるみたいになってる?っつーのもしらん。
(それが本当ならそれはそれで問題だと思うが、今は関係ない話じゃないのかそれ。)
ただそのイケダさんが自意識としての変人性とかライフスタイルとしてのノマド(?)とかを
挨拶しないことで表現してるっていうなら(ほんとに当人そんなこと言ってんの?)
やりたきゃ挨拶禁止のサークルとか作ってやってみりゃいいと思うけど
ノマドってそういうことなのか?
そしてそういう自己演出を、
そこまでイケダさんに興味無い世間相手にノー説明でかまして
結果「単に挨拶も出来ない奴」と思われたっていう顛末を
「誤解された!」とか「圧迫だ!」とか泣き入れるのはおかしいと思う。
そんなん孤高にやってろ。
中学生高校生向けに、働く母親働かない母親働く独身女性など様々な人生のパタンを持つ例をいっぱいいっぱい提示したらちょっとはましになったりしないかな。
働かない母親は「性役割の固定」を増長する、とフェミニストから反対されたんではないかな。
教科書なんかは女性だけが料理している図って消えたんじゃなかったっけ?
個人的には様々なライフスタイルを提示、選択可能にした方がいいでしょ、とは思うよ。
あと日本の少子化に関しては、「なぜ団塊Jr女性は適齢期に結婚しなかったのか?」という話になるんじゃないかねぇ。話がそれるけど。
この世代のインパクトは大きくて、「女性の賃金は上がっていったのだが、ハイパーガミーは消えなかった」という世代になる。
男性が若い時点では結婚自体が成立しない、という社会になった。
トラバさんへ
これさ、最近の事例を紹介してもらえます? 1970-1980年代に関しては「主婦の地位向上」を目指している面がある。実際、主婦の割合が多かった訳だしね。
でもそのライフスタイルは一生続けることは出来ないよ。
若い頃と全く同じ健康状態を保ち続ける老人はいないし、放っておいても勝手に成長する子供もいない。
全ての業種が24時間365日営業していて、仕事の無いときを選んで行けるなんてこともない。
人生には自分の生活のために使う時間が絶対に必要だし、年とってライフステージが変わっていけば
自分の人生が自分だけのものだけでなくなり、より多くの時間が必要になっていく。
両親が既に不在でこの先も一生独身を貫くつもりなら今の生活を続ける事も可能だろうけど
結婚、子育て、親の介護など人生には仕事以外で時間が必要なことがたくさんあるぜ。
人生は仕事だけしてりゃ他が勝手に上手く回ってくれるってもんじゃないからね。
野心を持ってバリバリ働くのもいいことだとおもうけど、
会社の成長戦略や予算達成のために必死で働くのって体のいいただの捨て駒だから。
http://anond.hatelabo.jp/20130212012119#tb
十年ほど前にそういう生活を一年くらいしてたけど、本当に楽しかったって思うわ。
カレンダーを見なくなって時間がぼやけてくるあの感覚は良かったなあ。ずっと酔っているみたいで。
確かにその頃はとても若かったし、人生が空転しているというか人生の浪費のようにも感じたけど、実際それほどは焦らなかった。
働いてみてわかったけど、みんな本当に頑張って働いているしそれが当たり前の社会だから。
時間を浪費するというのは、それだけで贅沢な人生の使い方だと今でも思う。
それから実家に戻ってさらに一年ほどぶらぶらして、最後に残った手持ちの金使って神学校行って資格とって就職、今も勤めてる。
ライフスタイルなんて千差万別だし、これだけ大勢の人間が生き延びているんだから、世の中にはアンタが生きる余地くらいいくらでもある。
ホントどうにでもなるよ。
農民が多数を占めていた時には、確かに女性は働いていたよ。
でも、それって「家の仕事を手伝っていた」ということで、
親族でもない多くの別の部下を従えて働いていたり、
そんなことをしていたわけじゃないんだよね。
農民が多数を占めていた時には、男も農業をしていたって事になるよね、
親族でもない多くの別の部下を従えて働いていたり、
そんなことをしていたわけじゃないんだよね。
この理論なら「男は家庭 女も家庭」になることくらい分かるよね。
この形態でいられるほうが、女が安全な家にいて育児にも専念できて
出生率も上がっていくのにね。
人類の出生率が増えたのは農耕を始めたからで、男も女も定住して農業始めたのが要因。
狩猟時代のライフスタイルが優れていて自然なら、人類は今でも狩猟してるっての。
農耕の方が優れていたから農耕に推移したんだよアホが。
「日本の尺度では中韓に勝てない」日本電産社長、労働規制の柔軟化求める
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/130108/biz13010820040036-n1.htm
なんか勝つ負けるとかじゃなくて、「日本人の労働者がどんなライフスタイルを持てれば幸福か」を基準に労働規制のあり方とかって考えられないの?一定の生活・経済水準を維持するために一生懸命働いて勝負し続けなきゃいけないんだろうけど、それと国民一人一人が豊かな生活リズムを持てるようにする事のバランスをどうするかこそ議論してほしい。
生産力・競争力をひたすら求め続けて、経営者がどこに向かってるのかよくわからない。「日本ってのはこういう国になるべきで、日本に住んでる人はこういう生活ができるべきで、そのためには皆さんこれくらい働きましょう」ならわかるんだけど。
それともそんな甘いこと言ってないで人生かなぐり捨てて働かないと経済が崩壊するくらいの状況ってことなのか?極論、365日7日間24時間働けるようにした方が生産性も競争力も高まるような気がするけど、それって幸せな国なの?
お互いもう三十半ばで、
結婚を視野に入れてお付き合いしていることを以前きちんと告げてあって、
相手もそれに反発するような事はなくて、
今月も休みを相手になるべく合わせるように取って、
仕事とペットの世話が忙しくなる時期で休みなんだけど休めなくて、生き物の事だから確約も出来ないし、会えないんだって。
ペットと言ってもかなり特殊&高額で、やたらと世話に手間暇かかる生き物だから、まあしょうがないといえばしょうがない。
三十半ばまで一人で結婚もせず生きてきてしまっている者同士、これまで築いてきてしまった生活スタイルをなかなか崩せない。
私にも当てはまる話ではあるし、そのこともよくわかる。わかるんだが。
まあここだけに限った話でもないんだが。
どうも努力が足りないと感じるんだよな。
周りの同年代の人間の大半が結婚して暮らしているのは、ただの浮かれた恋愛沙汰の結果ではなくて。
二人でやっていく結婚生活というスタイルにきちんと自分自身を当てはめる努力を、大なり小なり例外なく全員がした結果だと思うんだが。
なぜしないのだろう。自分には足りないと考えないのだろう。相手に合わせてやっていこうという努力。
私も、「結婚を前提にお付き合いしていきたいと考えています」と告げて否定しない相手なら、休みも合わせて取るし遠いところへ会いにも行く。
だから彼女も、安定した職種の男性が結婚を前提にお付き合いしようと言っているのだから、そこだけはせめて努力して合わせないと。
大切なのはわかるんだが、そこはペットの世話してる場合じゃないでしょうと。
結婚を前提とした交際相手に合わせるべき局面でしょうと。
そう思うんだが。うーん。私の価値観は古くてもう通用しないのかな。
でも、これだけ結婚して生活を続けている人々がいて、それが当たり前のライフスタイルとされているのだから、伴侶となる相手を尊重し優先する姿勢は常識として必要不可欠な要素だと思うんだけどなあ。
自宅から遠い所で飲んだらいいだろ
うちもお酒は飲まないけど、ご近所さんがやってる飲食店には行かないルールがあったよ
ご近所づきあいちゃんとやるつもりなら気にするよ
> ・・・「亭主が一人で外で酒を飲む」というのは、幼稚園的には、許されないのか?
> 幼稚園パパたるもの、仕事が終ったら、真っ直ぐ帰って、マイホームパパを演じなきゃならないのか?
> そういう「肩肘張ったライフスタイルの押し付け」が、世の中の男性を子作り子育てから遠ざけてる気がする。
> マイホームパパ、理想的なパパ以外にも、「ぐうだらパパ」「飲み屋で飲んでるパパ」が
> いてもいいじゃないか。
月一回でもいいから、奥さんに「ぐうたらママ」、「パパが会社から帰ってきたら夜遊びに出ちゃうママ」を経験させてあげられるのならいいんじゃない?
自宅の近所は結構な繁華街で、酒の好きな自分にとってはベストスポットになる・・・はずだった
しかし、妻から「自宅の近くの店では飲むな」と言い渡されてしまった。
その理由は
「アンタの姿を近所の店で目撃されると、幼稚園ママとかに噂になりかねない」
「アンタは気付かなくても、向こうが目撃して噂するケースが結構あるから」ということだそうだ。
仕事の付き合いの飲みは許されても、純粋に「自分が楽しむ飲み食い」はご法度なんだとか。
これでは「灯台元暗し」である。
・・・「亭主が一人で外で酒を飲む」というのは、幼稚園的には、許されないのか?
幼稚園パパたるもの、仕事が終ったら、真っ直ぐ帰って、マイホームパパを演じなきゃならないのか?
そういう「肩肘張ったライフスタイルの押し付け」が、世の中の男性を子作り子育てから遠ざけてる気がする。
マイホームパパ、理想的なパパ以外にも、「ぐうだらパパ」「飲み屋で飲んでるパパ」が
いてもいいじゃないか。
家族に暴力振るうとか、飲んだくれてる/給与が少ない、とかなら問題だが、
普通に家庭生活していて、それなりに収入を家計に入れていれば、
「飲み屋で飲んでるパパ」は、許されていいのでは?