はてなキーワード: マムシとは
ワンピース大好きだけどもう社会人になってからは話す人がいなくてさびしい
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とりあえず自分が燃えたのはバジルホーキンスの戦闘シーンがかなりよかった。
呪い系占い系の能力者だと思ってたけど、部が悪いときに運要素で戦う能力ってのが今回初の情報でくそ面白かった。
ていうかあんな能力でよく部下ついてくるよな。だって自分の船長が致命傷追ったら代わりに自分が死ぬじゃん。
ていうかシャボンディ諸島でホーキンスの部下みたいなやつで二足歩行の猫みたいなやつチラッといたけどあいつでないのかな?
あの猫が話に出てくるの楽しみにしてたんだけどなあー
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ホーキンスと同じ立ち位置でホールデムとスピードがいると聞いて、マジかホーキンス並みに強いのかと思っていたけど、ホールデムは一撃でやられたし、スピードは仲間っぽくなっちゃったな、スピードはなんかかわいかったからいいけど。
ライオンの能力者はもっとすごいやつだと思ってたけど、あんなホールデムみたいなやつなのか、いやあいつはスマイルだから、ライオンの純粋な能力者ではないのかな?
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二代鬼徹が出てきた!
ゾロがローグタウンで三代鬼徹てに入れて以来、ようやく同じ種類の刀が出てきました!最高だね!
ローグタウンで業物とか大業物の話したわりに、その後の冒険ではほとんどその話出なかったからなあ、元々わの国で消化する予定の話だったのかな?その辺も含めて、わの国まだまだ楽しみだなー
ていうか、たしぎの世界中の海賊の手に渡った名刀を全て回収するって話どうなったんだよ!
でもパンクハザードで結構馴れ合っちゃったからなあ、ナミがたしぎのことをベルメールさんと重ねて、私女海兵の涙に弱いのとか言うシーン超いいシーンだよな誰か共感してくれ
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相変わらずくそいい話だった、普段食べれないような、米をたまがルフィにあげるシーンもルフィが恩返しで大量の食料あげるシーンも感動的だった。何て言い話なんだ。心に残るシーンの数々、ありがとうワンピース。
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今回の気に入ったシーン
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きんえもんとデカイ女がいちゃついてて羨ましいなと思った、ようやくきんえもん側の味方側も大体わかってきたか。
きんえもん側の人間関係どんなかもっと読みたい!いつも通りの長い過去変でやってくれるかな?
イヌアラシネコマムシじゅうしたいきょうかくだんみんな戦うのか、ゾウ編でちょっとしか出なかったからなああいつら、たのしみーー!!
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ジャック出てきたか、おれジャックだいっきらい、あんなにひどいことしやがって早くやられろ
カイドウの能力龍か、地上最強の生物か、勝てんのかあれ、でも四皇に勝ったら大部ワンピースの話としても終わりに近づく感じだな、鬼ヶ島にいるのか、犬猿雉っぽい立ち位置のキャラってどのキャラ?あんまりちゃんと読んでなかったから誰か教えてくれ。
はー早く次の巻でないかな
モリアオガエル:要注目種※庭の池に毎年卵を産みにくる。シュレーゲルより産卵時期が遅い
コテングコウモリ:絶滅寸前種※去年家に飛び込んできて何日かぶら下がっていたが、具合が悪そうだったのでミールワームなどを与え数日鳥かごで世話をした。その後元気に飛び去った
コキクガシラコウモリ:絶滅危惧種※普通に屋根裏に住んでる。時々座敷の天井にもいる。だいたい2匹でいる。
シロマダラヘビ:要注目種※先週、台所の土間に現れた。ニュースになるくらい珍しいヘビ。一回しか見たことない
ホンシュウカヤネズミ:準絶滅危惧種※毎年庭のカヤに球巣をたくさん作っているが、姿を見たことはまだない
ヤマカガシ:普通に庭にいるけど準絶滅危惧種※なんだってマジ?
ジムグリ・ヒバカリ・ニホンマムシ:要注目種※普通にいる。家の中にもいたりする。マムシは困るけど動きが鈍くておとなしいのが救い。
俺は何人だ!何者だよ!
答えろよ!俺は何者だよ!」
<在日>って呼ぶってことはなあ、俺がいつかこの国から出て行く
それわかって言ってるのか!
俺は時々、お前ら日本人をどいつもこいつもぶっ殺したくなるよ!
お前ら俺が恐いんだろ!
なあ !? じゃあ、俺はライオンだよ!
調子こいて近づいてみろ、頚動脈に咬みついて、咬み殺してやるぞ!
俺は俺なんだよ!
いや、俺は俺であることすら捨ててやる!
物体Xだ!
どうだ恐いだろう!なあ !?
何黙ってんだよ!何とか言えよ!
何なんだよ!ちくしょう!
うるせーな、俺は!
皮肉にも今日のネトウヨいじりなんか見ててこの主人公の叫びに共感してしまう
政治的正しさで見れば、ネトウヨなんて住人も、パヨクなんて住人もいない
皆説得すべき国民であって敵なんかじゃない
敵とするのはその支持率をかき集めようって人物同士くらいで、あとはただただ国民ですよ
それが今日、互いに敵と置き換えても過言なくいじるばかりがまかり通ってて、なんだか悲しくなる
特に平和や話し合い、人権や個人主義を普段掲げる人たちが、ネトウヨ叩きに興じてるの見るとくらーい気持ちになる
今一度、自分のその信念に立ち返って欲しいなと
勝手に乱暴にぐしゃっとネトウヨなんて言葉でまとめてさ、見下して終わるような真似はして欲しくない
政治番組、政治コメンテーター、政治家、新聞も安直にそんな言葉を使って不特定多数の国民を貶さないで欲しい
もっと正しいことを指し示して欲しい
なんか、ひょんなことから月蝕歌劇団(という小劇団が都内にあると思ってほしい)の公演を見に行って、それ以来なんか芝居づいている。
これまで演劇なんてぜんぜん興味がなかったのに。
いくつか劇場に足を運んだところで、もう1回くらい観ればもっと色々と見えてくるものがあるかと思い、また月蝕歌劇団に足を運んでみた。
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演目は『ねじ式・紅い花』と『盲人書簡−上海篇』の2本立て連続公演
(前回の観劇の記録は
https://anond.hatelabo.jp/20170925212923
を参照のこと)
ということで、自分のログを兼ねて、また観劇記を残しておくことにする。
御用とお急ぎでない方は、しばしお付き合いを。
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ただし。
自分は舞台観劇についてはとことん素人なんで、これから書くのは、通りすがりの素人が見た印象批評くらいのつもりで、紹介文としての情報は期待しないでほしい。
(というか印象批評というワードも小林秀雄みたいで偉そうだな。ほんとに感想文くらいの感じで、ひとつ)
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■全体として
歴史の長い劇団というのは知っていたけれど、今回は公演100回記念とのこと。
で、旗揚げ時代からのライバル劇団その他のビッグネームが集結した大プレミアム公演だったらしい。
普段は若い女性主体の “少女歌劇団” っていう感じの劇団なんだけど、今回はキャストの年齢が大はばに高めだった。
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ちょっと変わった構成をしていて、1つのシーズンというか公演期間を前後に分けて、2種類の演目を上演する。
さらに各演目について前座というか露払いというか、出演キャストの歌唱ショー、寸劇、詩の朗読その他をまとめたパフォーマンスとして “詩劇ライブ” というのがある。
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なので、フルで鑑賞すると1シーズンで合計4演目。
これを多いと思うか、アリだと思うか。
いろんな作品世界が見られてオトクだとも言えるし。
リハーサルやシナリオの練り込み等々のリソースは分散されるから内容的に落ちるものになるかもしれないし。
自分が見たところ、器用な高能力キャストと、まぁそうでもないキャストでうまく仕事を振り分けて、不満を感じさせない作りにしている感じだった。
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順番に見ていってみると。
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先に不満点を言わせてもらうと。
演目『老人と子供のポルカ』の歌唱。
左卜前役のベテランキャストがカンペ片手に左右のキャスト(岬花音菜、慶徳優菜)を振り回して大暴れ。
休みなく次の曲『本牧メルヘン』が始まり、そのまま岬花音菜がマイクを握るが、息の上がった彼女にはキーが低すぎた。
おかげで貴重な戦力(岬)を空費。
トリの白永歩美がキッチリと『バフォメット(と、あとなにか悪魔がもう一柱)の歌』(詳細不明)で締めてくれたのが、せめてもの救い。
ハプニングなら再発防止策を取ってほしいし、プロットなら、申し訳ない、あれに快哉を送るハイなセンスは自分は持ち合わせていない。
しかし。
詩劇ライブというのがファンミーティング兼同窓会だというのなら。
いとしの大スターがいつにないハジケっぷりを開陳したほうがファンサービスとしてのお値打ち感は高いのかもしれない。
と、思って周囲を見回してみると、自分と同じか、あるいはさらに年配の観客がホクホク顔で舞台を見守っている。
ハテ、招カレザル客ハ自分ノホウデアッタカ。
うん、わかった。
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■後半の前座『詩劇ライブ 暗黒少年探偵団』
詩劇三傑(←たったいま自分が決めた。はるのうらこ、岬花音菜、そして白永歩美の3人)のパフォーマンスがたっぷり見られたので実に良し。
はるの嬢は前回と同じギター伴奏かと思ったら、ギターからキーだけもらって、ほぼ独唱。それでいてピッチは正確、ハイノートも申し分なく出ていたし、なんというか、 “このヒト、ひょっとして劇団の隠れた屋台骨なのではないか?” という予感がさらに強まる。
(↑それは本編でガツンと証明されるんだけど)
なぜ合唱のときは控え(それはもう、あからさまな控え)にまわるんだろう?
リハーサルの負荷をソロに集中させるためか。
岬花音菜はカッパの舞。そして小阪知子を舞台に引き出してカッパの相撲。
あいかわらず、この人は歌って動いてが実に良い。
そしてトリは白永歩美。
朗読、歌唱と大活躍。
いつ見ても、この人は安定しているなぁ。
はかなげで、あやうげで、その状態のままガッチリ安定しているという不思議なキャラクター。
そういえば『Those ware the days』に日本語歌詞をつけたものを歌ってたんだけど、受付で立ち読みしたセットリストにそんなのなかったぞ、と思って調べてみたら、『悲しき天使』なんていう日本語版があったのね。
知らなかった。
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さて本編。
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■前半の本編『ねじ式・紅い花』
つげ義春の原作、『ねじ式』『紅い花』『女忍』『沼』『狂人屋敷の謎』をまとめて1つのストーリーにしてある。
実を言うと、前回の公演を見たあとに、某氏から、
「なに、月蝕歌劇団が面白かったって? それじゃアレだ。主催の高取英のアレ読んどけアレ」
といって勧められたのが、『聖ミカエラ学園漂流記』(小説版と戯曲版)。
前回の公演を観たときに、
「この人の持ち味は “奔放に見えて実は緻密な複数世界のマッシュアップ” だろうな」
と感じていたのが、この本で確信に変わったのだけど。
原作が2作品や3作品なら、例えば2つの世界の登場人物が呉越同舟で共闘する、みたいな展開もあり得るけど、さすがに5作品同時となるとメドレー形式にならざるを得ない、という感じ。
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さて、もう1つ、高取氏の特長と思ったのが、ストーリーに必ずクライマックスを用意する、という点で。
(それが、エンターテイナーとしての氏の本性によるものか、それとも “客にはなんとしてもカタルシスを持ち帰ってもらわないと次につながらない” という興行師としての冷徹な計算によるものか、そこまではわからない)
それが、つげ義春の茫漠としたアンチクライマックスな世界とどう折り合いをつけるのか、そこに興味があったんだけど。
これが『紅い花』を中心に最小限の改変を加えただけで、見事に全ての原作が一斉に収束に向かうオチといえるオチになっているのは、さすが。
最後にはねじ式青年が『パーマー・エルドリッチの3つの聖痕』(P. K. ディック)みたいに無限増殖するあたりの幻想テイストが高取氏らしい。
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あと、前回公演みたいな「身捨つるほどの祖国はありや」的な大きな主題は今回は抑制されている。
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助成金云々の楽屋落ちは生臭いので忘れたことにする。
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そして、この劇団特有の時間がゆがむ感覚をまた味わう。
今回は、サヨコの祖父の楽屋オチ的な台詞。
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「最近、嵐山光三郎が書いたんですがね、松尾芭蕉は忍者だったんですよ」
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えーと、嵐山光三郎の “芭蕉忍者説” は2000年代なんですが。
高取氏の作品世界が戦前、戦後、昭和30年代、1960年代、1980年代みたいに複数の時代を放浪するように、劇団自体も、60年代、80年代、そして2000年代の全ての時代に存在しながら、どの時代にも存在しないような不思議な立ち位置。
それが、この劇団の持ち味でもあり。
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あ、あと、狐舞の意味がやっとわかった。
なんのことはない、 “ここから現実感と見当識がゆるんで、心象風景と象徴劇が始まりますよ” という演出効果だ。
多色発光LEDを掲げた葬列も、夜光塗料の試験管をもった少女たちも、おそらく同じ。
少女漫画で「なんでクライマックスに花びらが飛び回ってるの?」とか訊かないでしょ? アレと同じだ。
そういえば、最近の子供は漫符(怒りの青筋とか緊張の汗とか)がわからないケースが多いらしい。
つまり自分は月蝕の鑑賞において子供だったわけだ。
というあたりで。
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そして、問題の↓
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■後半の本編『盲人書簡−上海篇−』
あー、うん。
むかし『草迷宮』(寺山修司)を観て途方に暮れたことを思い出した。
あるいは、さらにむかし『原始人』(チャーリー・ミンガス)を聴きながら、
「これは良い音楽なんだ、良い音楽なんだ、みんながそう言ってるから良い音楽なんだ」
と歯を食いしばっていたことを思い出した。
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はっきりしたこと。
自分に “前衛” を受け止める感受性はない。
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それでも、なんとか受容を試みてみる。
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(1)1930年代の第二次国共合作を背景にした不穏で混沌とした上海共同租界。
(2)明智小五郎と小林少年という、戦前・戦後の言ってみれば “陽のヒーロー” をどす黒く改変したキャラクターと、堕落した母親としての小林少年の母。
(3)白痴の少年と娼窟の姉妹がからむ、不快にユーモラスな人物群。
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この3つの人物群を主なストーリーラインとして、失明した小林少年を中心に “目明きと盲(めしい)、世界が見えているのはどちらか” という問いを主題として話はすすむ(ように見える)んだけど。
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途中、影を喪失した少女、みたいな挿入話をはさみながら、ひたすらグロテスクなストーリーとも言えないストーリーの断片が続く。
クライマックスは小林少年と恋人(?)のマサ子の再開を中心にしながら、全てが虚構の中の虚構、悪夢の中の悪夢、という入れ子の構造をあからさまにするところで、唐突に終わる。
最後の最後には第四の壁も突破して現実のキャストの名前まで出てくる。
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うーむ、書いておいてなんだが、なんの説明にもなっていない。
ねぇ、寺山修司って、ホントに70年代、80年代の青少年のカリスマだったの?
(今度、『書を捨てよ云々』でも読んでみるか……)
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可能性としては、今どきの若者がP. K. ディックやら筒井康隆やら読み慣れてるせいで、 “崩壊する現実” やら “虚構の中の虚構” を普通においしく摂取しているのに対して、当時はその種の超現実的な幻想悪夢ワールドが知的にトガった青年だけの愉悦であったとか。
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ま、さておき。
これ以上はどうにも言いようがない。
自分にとって確かなことは。
ということ。
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さて。
キャスト、演出その他については、以下の通り。
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■白永歩美
女忍コジカの息子、宗近と小林少年を好演。
このヒトが、登場するだけで舞台が猟奇的でビザールな空気になるような、言ってみれば “嶋田久作” 的な怪優でありながら、それでいて結構な美人サンである、というのは劇団にとって大きなアドバンテージなんじゃなかろうか。
劇団のカラーを一人で体現しているような。
ビジュアル、演技、歌唱、トップの名称は伊達じゃない、って感じ。
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というか。
実のところ、トップというネーミング自体はどうでもいい。
それがプリマドンナでもソリストでもエースでも四番でも同じことで。
その種の人に求められるのは才能でも鍛錬でも、ましてやプロデューサー/ディレクターの寵愛でもなく。
それは「いつ、いかなるときでも、自分が前に出ていってなんとかする」という思考形態だと思う。
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例えば才能、というか生まれつきの資質なら。
前回の公演には高畑亜美という彼女に負けず劣らずのビザール美人さんがいた。
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例えば技能なら。
前回の公演で、白川沙夜というキャストは、ストーリーテラー、コメディリリーフ、仇役という3つの仕事を3本の腕で同時につかんでブンブン振り回して大暴れしていた。
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でも、彼女たちは今回はいない。事情は知らない。
いっぽうトップには「事情により今回は出演しません」という選択が無い。
脚光も浴びる、注目もされる、そのかわり劇団の出来が悪ければ矢オモテ、火ダルマ、槍ブスマと。
群像劇主体の劇団で、ある程度は負荷が分散するにせよ、あの細っそい体にかかっている重責を想像すると、なんというか、なんというか。
長くなった。
ともあれ、健康にお気をつけて。
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■川合瑞恵
前回までは “作りようによっては、いかめしく見える” ビジュアルを活かしたワンポイント役だったのが、今回は『女忍』パートのキーとなる女忍コジカに大抜擢。
これが大根だったら目もあてられないところを、実に器用に演じきってしまった。
本職はモデルさんだと思ってたんだけど。違うの?
芸能関係って器用な人が多いのよね。
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■岬花音菜
演技はさておき、まずは狐舞。
今見ているのがカラダのオモテなのかウラなのか、腕なのか脚なのか分からなくなってくる超絶変態空間機動がひっさびさに大炸裂!!
これだ! これが観たかった!
いや、じつは、このところモヤモヤしていた。
「いや、たしかに踊りも歌も演技も良いけど、ここまで追っかけるほどか?」
でも、たしかに思いちがいじゃなかった。
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そこには、たしかに岬花音菜がいた。
およそ2ヶ月前、片目の猫の舞で自分の脳味噌をブチ抜いた岬花音菜が。
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ちなみに。
あとから取材を試みたところ。
あの一連の動きは、ボランティア(アルバイト?)のダンス教室で子供たちに最初のウケを取るために編み出した動物踊りがオリジナルだとのこと。
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するとなにか。
自分の鑑賞眼は子供レベルか。
まあいいけど。
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というか、彼女の狐舞に視線をもぎ取られ、ねじ式青年と女医のベッドシーンの大半を見逃していたことに、劇場を出てから気がついた。誠に申し訳ない。
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さて。
キャストとしては『紅い花』パートのシンデンのマサジ、『盲人書簡』で白痴の少年を担当。
この演技、周囲の評価はウナギ昇りだろう。
じっさいTwitterを中心にネットを見ると、彼女と慶徳優菜の評価はウナギ昇っている。
ただ。
自分としては評価は保留としたい。
なぜって?
あまりに、あまりにもハマり役すぎて、いま見ているのがキャラクターなのか、それともキャスト本人なのか、観劇素人の自分には判然としないから。
(これ、自分の中では笠智衆と同じ位置づけだ)
大竹しのぶがアニーを演じたり、同じ劇団でいえば白永歩美がピーターパンを演るのとは、意味が違う。
『紅い花』ではプレ思春期の少年のいら立ちを、『盲人書簡』ではスケベなアホの子を、と、いろいろ打ち出しているのは分かる。
分かるけど、いずれも、まずは本人あっての効果であって。
このあと彼女は “月蝕きっての永遠の少年役” として存在感を増していくのだろうか。
それもアリだと思うけど。
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■慶徳優菜
『紅い花』キクチサヨコ役。
だけど彼女の評価も保留。
理由は岬花音菜と同じで本人そのものだから。
その意味では、娼窟の妹と小林少年の想い人のほうが、本人のポテンシャルがよく分かる気がする。
そっちの方はというと、うん、悪くない。
ただ、これは自分の思い込みかもしれないけど。
なんというか彼女は “月蝕、次世代のプリマドンナ育成枠” というのに完全に入っている気がする。
この直感が正しければ、それはおそらく本人の十分な資質と劇団の目算があってのことだろうけど。
なんかモヤっとする。ほかの新人も若手も、ひとしく頑張っている(ように見える)のに。
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■はるのうらこ
なんというか、詩劇ライブのときは “ひかえめな、でもシャレのわかるおねーさん” というオモムキの彼女。
キーとなる配役のキャスティングが多いから、信頼の厚いキャストなんだろうな、という以上の認識はなかったんだけど。
(そしてそれは、ねじ式青年という大役を見ても動かなかったんだけど)
これが。
『盲人書簡』娼窟姉妹の姉役。実にすごい。
あのフワっとしたキャラが、女の嫌なところを全部集めて煮詰めたようなキャラクターに大変身。
慶徳優菜をサポートに娼窟パートのカラーというか空気を完全に支配していた。
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あと、些細なことだけど。
キーアイテムとなるタバコをチャイナドレスに入れ忘れたか、取り出せなくなったか。
取り出そうと悪戦苦闘して2秒。
見切りをつけてアタマの中でプロットを切り替えるのにコンマ2秒。
架空のタバコをふかして場面転換の決め台詞につなげるまでの時間の空費がわずか2.2秒。
はるの氏にとっては迷惑な賞賛かもしれないけど、ここの所作の切れ味に地味に鳥肌が立った。
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■宍倉暁子
彼女が登場すると、そこだけ別の照明があたってるようだった。
さらに今回の千本桜ホールより少し大きめの劇場向けにチューニングされた、よく通る発声。
今回集結した “夢のベテラン勢” の中では、彼女が出色だった。
彼女だけは気になって調べたら、舞台を中心にTV、映画と活躍の現役大ベテラン。
たしかに分かる。
自分の外見と所作が人にどう見えるか、何十年にもわたって掘り下げていないと、ああは行かないと思う。
『紅い花』では漂泊の釣り人。すこし困り顔の茫漠とした旅客でありながら、マサジのカウンターパートとして要所を締める。
『盲人書簡』では軍人と密通する小林少年の母として、実に汚ならしい堕落した母親像を体現。
教科書的に言えば寺山修司の作品世界に通底するコンプレックスというかオブセッションというか、ともかく “その部分” を実に彼女一人で背負って担当していた。
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■大久保千代太夫
今回最高の当たり役の一人。
犬丸は尾張織田と敵対している設定だけど、人物造形はおそらく美濃のマムシこと斎藤道三がベースだと思われ。
自分に襲いかかった刺客を手籠めにして側室にする一代の梟雄らしい悪太郎ぶりと、戦国武将の透徹した死生観が、もう全身からみなぎっていた。
『盲人書簡』の方は。
うーん、自分の中では “生ける舞台装置” としての黒い苦力(クーリー)の集団は、なんというか、全員が均質な筋肉質の没個性の集団だったんで、あの巨躯が逆にマイナスにはたらいた気がする。
こればっかりは、いたしかたなし。
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■小阪知子
影の殊勲者にして功労者。
前説とカッパ相撲のときから(自分の見立てでは)この人は切れ者だろうな、と思ってたんだけど、今では確信に近い。
馬鹿をやる、それもビビッドに馬鹿をやれる人間は、なんというか、切れる。これは自分の持論。
自分が見るかぎりでは、月蝕歌劇団キャストのベテラン高位職者(?)には2つのカテゴリがあって。
1つは白永歩美、岬花音菜のように “スタア” 役を仰せつかってスポットライトを浴びる職種。
もう1つは、前回公演の鈴乃月葉や今回の彼女のように “ひとり10役をこなしてストーリーラインを維持する” という重責の担当者。
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■若松真夢
薄い眉、暗く沈んだ眼。白永歩美が陽のビザールだとしたら、彼女は陰のビザール美人。
もっといろんなキャストで見てみたいと思った。できれば和装で。
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■城之崎リアン
詩劇ライブのみに登場。OGか。
そりゃ、男女問わず固定ファンがガッツリと付いたことは想像にかたくない。
問題は、貴公子以外にどんなキャストをやっていたのか、想像がしにくいことで。
もっと昔から見ていなかったことがくやまれる。
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■登利忌理生
前回の中村ナツ子に続き、今回の「なにものだ! このひと!」ワクに期待のダークホースが登場。
自分は茶髪に偏見があるようで、「えっとぉ、学校卒業の記念にぃ、オーディション受けちゃいましたー!」みたいなハスッパな外見と、そこから飛び出す恐ろしい長セリフと演技巧者ぶりのギャップに舌を巻いた。
本当に何者だ! と思って調べてみたけれど、月蝕以前の芸歴がまったく引っかからない。
あれか。学生演劇出身か。
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■音無ねむ
今は、まだ大部屋女優といった立ち位置。
(たぶん。自分が調べた限りでは、まだ無名)
何者でもない。
何者にも、まだなっていない。
だけど、あの男に引けを取らない長身とキリっとしたマスクには、絶対に活きる使いみちがあるはず。
実際、『盲人書簡』の “新聞朗読笑い男” には何とも言えない味があった。
(キャスティングの認識、間違ってないよね?)
陵南の田岡監督ふうにいえば、「体力や技術を身につけさせることはできる。だが、彼女をでかくすることはできない。立派な才能だ」ということ。
まずは、その長身を恥じるような猫背をやめて、胸郭を開いてまっすぐ立つところから、カンバレ!!
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■J・A・シーザー(と音響)
ふむ。ふむふむ。
エンディング、こんな感じかにゃ? 間違ってるかもだけど。
(いま手元にGarage Bandしか無いんで大変)
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Bm....................BmM7(←Daugかも)
寺 の 坊 ん さ ん 根 性 が 悪 い
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Bm.............Bm........F#m..GM7
守 り 子 い な し て 門 し め る
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F#m.........Bm........F#m......Bm.E
ど し た い こ り ゃ き こ え た (か)
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(間奏2+4小節)
E.................Bm.......Bm.......Bm.......Bm
+--------+--------+--------+--------+--------+--------+
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Bm.......D/A...GM7..........Bm.D/A..E..
守 り が 憎 い と て 破 れ 傘 き せ て
.
Bm.......D.....GM7.......Fm#......GM7
か わ い が る 子 に 雨 や か か る
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Fm#.........GM7.......Fm#......GM7
ど し た い こ り ゃ き こ え た か
.
(間奏4小節)(以下同じ)
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メジャーセブンに合わせて変えたか。
採譜するまで気が付かなった。
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えー、日本のニロ抜き音階(いわゆる田舎節)で作られた民謡/童謡に、7th、9thがタップリ乗ったモダンコードをあわせて。
さらに、それを流行りのリズムパターンに乗せると、こう、実にカッコいいニューエイジ/ワールドミュージックになるのは皆さんご存知のとおり。
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こういう音楽はみんな大好き。ボクも大好き!
この種の音楽の嚆矢は自分が知る限りYMO(実質、坂本龍一)で、80年代ではあるけど、このスタイルが「教授(坂本)のパクリじゃ〜ん!」と言われなくなったのはEnigmaやDeep Forrestが日本でワサワサ紹介されて一般化した90年代のような感じがしていて。
(“姫神せんせいしょん” や喜多郎については、当時ノーマークだった自分に語る資格はない)
問題は、J・A・シーザー氏が、何故この時期にこの種のスタイルをぶつけてきたか、だ。
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本公演エンディングの『竹田の子守歌』はJ・A・シーザー氏の手になるものではないとの指摘がありました。
お詫びして、訂正します。
以下、上記の誤りを前提にした言及をカットします。
.
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でも、今回のエンディングが実にイイ感じだったことは確かで、これからもこの路線はアリなんじゃないか、と思った次第。
うん、自分に言えるのはそれだけ。
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最後に音響について。
なんか、今回の殺陣は斬撃の効果音のタイミングがやたらと良かった。
何か条件が変わったんだろうか。
ただ、いつもながら思うのは、客席一番奥にコントロールブースを置かないで、それでもあのレベルの音響を維持できているのは、それ自体が奇跡に近いことだ。
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ただ、生きている動物の仕込みはさぞかし苦労しただろうな、と。
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んー、今回の月蝕歌劇団はこんな感じでした。
全体としてどうなのかって?
うん、良いところもあれば、首をかしげるところもある。
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まずは。
自分はもともと聖子ちゃん、キョンキョンのころから、それほどアイドルが好きではないので、フレッシュなキャストのライブ感、というのにはそれほど重きをおかない。
なので、(おそらくは)キャストそのものに入れ込んでほしい、という劇団の方針には同意しかねる。
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しかしながら。
高取英氏の作品世界。これにはどーしても、どーしても不思議な引力を感じでしまう。
結果として、スケジュールが合って演目の印象が良ければ、これからも足を運ぶような、そんな感じがしている。
というあたりで。
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また機会があれば。
、
織田信長につかえた森一族に攻め落とされた大変かわいそうなお城ですの。
お城の構造がじっくり観察できました。
構造はいわいる連郭式で、南から北に四段の郭が連なっています。
本丸からは二の丸、三の丸の内部と、三の丸への虎口が見下ろせ、
左側面をさらして通らねばならず、
登坂路を押さえられたら、上の郭に移動することは困難ですわ。
攻め手が奪っても集結場所に利用することはできませんわ。
水不足で苦しむかもしれません。
郭一つに50人ほど詰めることができそうでしたので、
四段と北の丸で250人、踏査できなかった谷を挟んだ西の郭に
350~500人くらいが配置できそうでした。
パンフレットの地図によれば登り口からの本丸までの比高は65メートル。
わたくしの鰭では、寄り道しながら13分で登れました。
※看板によればイノシシとマムシに注意ですわ。斎藤道三ってとっても長生きですのね。
http://ameblo.jp/tkjsk0231hzannitiroku/entry-11949051251.html
ここ数年、実家付近でマムシの出没が増えているらしい。幸い、実際に誰かが噛まれたという被害はまだないそうだが。
ジョウレンやカマを装備したじーさんばーさんの咄嗟の戦闘力と躊躇のなさは意外とすごい。いわんや草刈り機をや。
しかし、溝掃除のときなどには、以前は滅多に遭遇しなかったのに最近は毎回のようにマムシが出没するのだそうだ。
聞けば、長老たちは口をそろえて「タケさんが亡くなったからかねー」というのだという。
タケさんとは、山から村に農業用水をおろしてくる小川沿いに住んでいた老人だそうで、毎日川沿いを散歩するのが日課だったそうだ。
そしてその際、目ざとくマムシを発見しては二枚におろすというのを、もう一つのライフワークにしていたらしい。
幼いころ、一度だけ、犬の散歩中にタケさんらしき爺様が不意にしゃがんだかと思ったら、立ち上がるのと同時にマムシをカマで引き裂いているのを見たことがある。
その動きは一切の迷いを感じさせず、それはもう鮮やかの一言であった。でも犬にまだちょっと動いてるヘビ肉食わせようとするのは色々不安になるからやめてほしい。
私が連れていた犬が食べない(えらい)とみると、爺様は無造作に二枚におろされたヘビをあぜ道に放り出していた。恐らくあれはカラスかトビの晩飯になったのだろう。
シーズン中の雨が降った翌日なんかにはたくさん流されてくるらしく、日に20匹近いマムシが干物になったこともあるという。
想像するに、山から里へ蛇がやってくる大きなルートがその川および川沿いであったのだろうが、
そこを門番のように長年守り続けていたのがタケさんという存在だったのだろう。ゲートキーパータケ。
そのタケさんが数年前に亡くなって、当然ながら後継者も現れなかったため、
山から川伝いに里へ流れてきたマムシたちは駆除されることなく里で繁殖し、村人の目につく機会が増えたのではないかということである。
http://anond.hatelabo.jp/20140311140955
宮台 「抽象的に言えば、都市からスキマや余剰を消去する動きが、1996年に完成したんですね。
こうした、スキマや余剰を消去する動き、共同体自治の中で是々非々で対処する代わりに、何かというと警察を含めた行政権力の呼出線を使うという、
学問的な言い方をすると「法化社会」の展開が、全国化したわけですよ。法化社会の出発点は、1983年頃です。
1977年に鈴鹿市で、子供を隣人に預けている間に建築現場の池で溺死したことで隣人と自治体と建築業者を訴えた「隣人訴訟」がありました。
1983年の判決では一部を除いて原告敗訴でしたが、それよりも、判決が報じられると同時に原告夫婦に非難の手紙や電話が殺到し、上告取下げに追い込まれたことが重要です。当時はまだそういう時代でした。
ところが、これ以降、判決とは裏腹に、何かというと管理者責任や設置者責任を問う訴訟が相次ぐようになります。
これに恐れをなした行政は、屋上や放課後の校庭をロックアウトし、小川などは暗渠化したり柵を設けたりし、公園からは箱ブランコなどの遊具を撤去する動きが進み、
90年代に入ると監視カメラまでが入ってくる。法化が進むわけです。こうして空間から、危険な場所の除去という名目で、スキマや余剰が消去されます。これは妥当な動きでしょうか。 そうは思えません。
小さい頃に用水路で一緒にザリガニ捕りをしていた弟がマムシに噛まれたことがありました。僕の父が設置者を訴えたか。いいえ。「だから危ないって言っていただろう!」と弟を叱責した。それが当たり前でした。
おととしの暮れにCOP15があってコペンハーゲンに行きました。昼間でも零下10度以下で、道がアイスバーン化している。
自動車レーンの脇には自転車レーンがあって、その向こう側に歩道があるんですが、どこにもガードレールがない。
「危なくないのか」と尋ねると、「だから気をつけるようにしている」と言うわけです。ザッツ・オールです。
コペンハーゲンの人々は美観を問題にしていました。でも美観に限らず、空間からあらゆるスキマや余剰を消去してフラット化することで、子供たちは幸せになるのか。
何もかもを行政に「依存」することで、僕たちは幸せになるのか。違うでしょう。自分たちで自分たちをハンドリングする「自立」なくして、強度はなく、幸せもあり得ません。
ノイズやリスクを消去した環境こそが子供には良い、といった思い込みの延長線上に、東京都の条例改正にみられるような有害メディア規制があります。
子供をノイズレスな環境におきさえすればスクスク良い子に育つ、といった馬鹿みたいな発想に多くの人がはまっているのが現状です。どうしてこうした考え方が蔓延してしまったのでしょうか。
(中略)
まとめると、「便利」と「快適」があれば大丈夫というのは短見で、実はそんなことでは人は「幸せ」も「尊厳」も得られません。
似た話で、「絶対安全」な堤防や原発を作れば大丈夫というのは短見で、実はそんなことでは人は自分も社会も守ることはできません。
むしろ社会は、そこそこ不便、そこそこ不快、そこそこ危険なのが良いのです。人は、高い堤防さえ作れば大丈夫とか、丈夫なガードレールを作れば大丈夫とか、原発の安全装置にお金をかければ大丈夫とか思いがちです。
間違ってるんです。 社会が「そこそこ危険」であれば、僕らは自明性に「依存」せず、危険に対処する知恵を獲得し、「自立」できる。さもないと、僕らは「依存」した結果、「世界の手触り」を失うんですよ。 」
http://archive.eco-reso.jp/feature/love_checkenergy/20110714_5099.php
http://www.j-cia.com/article.php?a=6709
2011/03/20(日) 22:08福島原発は本当に人災だった
【*nikaidou.comとほぼ同じ記事です。】
最初に行方不明になった2名。報道にも「福島第一原発の技術者2名が行方不明」と最初出ていたので覚えている人もいるだろう。
津波後、原発の冷却装置を誤って操作したまま、さっさと逃げたという。しかも、そのまま郡山市内に逃げて酒を飲んでいた。
「俺たち津波にさらわれて行方不明になってるんじゃないか?顔つきで報道されたりして。アハハハハ!」
そういう会話をしていたそうである。店の店員は「ヘンな二人だな」と思っていたそうであるが、やがておかしいことがわかり、当サイトにタレ込んで来た。現在裏取り中であるが、この2名が原発をほっぽって逃げた犯人なのは間違いないという。
しかも、呑気に刺身を食って酒を飲み、楽しく歓談していたという。名前を出せば、この二名は間違いなく殺されるだろうから、今のところは名前を出さないでおく(←と思ったが、小久保和彦・寺島祥希って出てたね)
この二人、運が悪い。だって、飲んでいた店は、実は俺の友達の店だから(笑)。しかもこの情報は、「横浜のマムシ」に掴まれているし、マムシがつかんでいることを警視庁も知っている。あーあ、もう逃げようがないね(大爆笑)。当日払った札に指紋がついてますから~。まさに「天網恢々疎にして漏らさず」だね。
いずれにしろ、大変な目撃情報をいただいた。これは東電を追及するのにいい材料である。表でやってもどうせ、マスコミの”電力マフィアに鼻薬かがされた連中”はやらない。しかも、裁判とかにかけても仕方がない。だったら、影の軍団の得意な方法でやってやろうと思う。
東電や保安院、そして民主党は、必ずこの事実を隠蔽するに違いない。最後、自殺ということにされて本当に死んでしまうかも知れないな、この二人。死人に口なしだもんな。
うーむ、日本のメディア使えないし、外国メディアにやらせるほうがいいのかな。いずれにしろ、あとは横浜のマムシの右翼に任せようか!
http://www.47news.jp/CN/201104/CN2011040301000248.html
東京電力は3日、福島第1原発4号機のタービン建屋地下で、地震直後から行方不明になっていた社員2人が遺体で見つかったと発表した。多発性外傷による出血性ショック死で、地震直後の3月11日午後4時ごろに死亡したとみられる。福島第1原発で東電社員の死亡確認は初めて。
東電によると、遺体で発見されたのはいずれも第1運転管理部に所属する小久保和彦さん(24)と寺島祥希さん(21)。2人とも3月30日に発見されたが、付着した放射性物質の除染作業が必要だったという。
「ふたば二次裏でまとめられていた、中高生のための100冊」シリーズの外伝的ネタ
『夢渓筆談』 沈活
宋代中国に書かれた古代中国科学史を研究する上での必読書だけど
今俺たちが読めば民明書房気分を味わえる名著だし仲間に入れてくれよ
小学校6年生の病弱な子がすごくよかった
『糞尿大全』 柳内伸作
とにかく世界中および歴史上のありとあらゆる糞尿に関する事柄をまとめた本
なるほどそんな事がと頷かせながらも
日常においてまったく役に立たない無駄な知識が!!
読んでると
腹が
減る
読書を始めた
あの
頃に
ホモホモしたり百合百合したり、大興奮間違いなし!
つい盛り上がってしまいパンツを脱いでしまったが大後悔!
『ダークライン』 ジョー・R・ランズデール
『ゼーガペイン 忘却の女王』 日下部 匡俊
言わずと知れたゼーガシリーズの外伝
先輩も出るよ!
ようぐそうとほうとふ!
ようぐそうとほうとふ!
ようぐそうとほうとふ!
『ニンギョウがニンギョウ』 西尾維新
あと拳銃は右手で
『ちびっこ吸血鬼はミステリーがお好き』 アンゲラ・ゾンマー・ボーデンブルグ
汚職に直接関与する事件のみならず副次的な殺人すら隠蔽せねばならぬことにうんざりした
アレクサンダー・マッケイはなんとか政治的な判断を相手に促しつつも事件の過熱化を防ぐために奔走するが
関係者よりも力を持つ上院議員とのコネを繋いだところでマッケイは殺害される
『異常の門』 柴田錬三郎
例によって「夢殿ウタタ」という名前に一癖ある主人公が、エロゲ展開とシリアス路線を並行して、物語の謎を解きあかしていく
主人公を助ける強力な右腕、ルートから外れたヒロインのひどい始末、クライマックスの盛り上がりという、シバレン小説の醍醐味が一冊で味わえるのでおすすめだ
『死ぬことと見つけたり』 隆 慶一郎
厨侍が厨性能で唯我独尊状態
娘の黒髪おっぱいは必読
1ページ目からやっぱり常人とは違うと思い知らされる
独特の人生観が貫かれてる傑作
『永遠も半ばを過ぎて』 中島らも
-永遠も半ばを過ぎた。わたしとリーは丘の上にいて、鐘がたしかにそれを告げるのを聞いた-
(書評1)異性との交際、学問への精進、肉体の鍛錬、
そんなものとは無縁な大学三回生の物語
まるで「」の活躍(?)を見るようだった
(書評2)来るべきハッピーエンドを目指したいけどそんなのは軟派だと世を拗ねてみるけどやっぱりなんとかしたい、という
まさに大学生「」というべき男が主人公
一緒に「夜は短し歩けよ乙女」も読むと幸せになる気もする
いもげの100冊がいもげの1冊になり兼ねない恐怖の書
急に読みたくなった
冴えないおっさんが若い女性に誑かされたりするよ!
(書評1)エロ面白い
(書評2)それ近くの図書館で高校の時に見つけてな…… 何度か借りて一年くらい使えた
二巻、三巻は男の子も多くて実に「」向きだよ
『神秘の島~ミステリアスアイランド~』 J・ヴェルヌ
ほぼ何もない状態での無人島サバイバル
海底二万マイルと実は繋がってる
『肖像画、馬車』ゴーゴリ/平井肇訳
神絵師になれるかもしれない才能を持った若き絵師「」が
悪魔のような肖像画に出会ったために破滅の淵へ追いやられる「肖像画」
のどかな農村で繰り広げられるホラ話と、それによって大恥をかく「」ちゃんが出てくる「馬車」の二編を収録
神絵師を志してる「」ちゃんは、「肖像画」の方だけでも読んでおくいいんよ
『ショスタコーヴィチの証言』 S・ヴォルコフ
長年真贋が論議されてきたが今ではほぼ偽書ということで確定している
ただ全部が嘘じゃなくて半分くらいは真実じゃないかというのが現在の評価
スターリン支配下にあったソ連の芸術家がどういう立場にあったかが分かる
あとアネクドートとかそういうので面白い
『私の一世紀』 ギュンター・グラス
20世紀百年、それぞれ一年につき一編の短編が収められた連作短編集と長編の間の何か
WW1を振り返る五年間がレマルクとユンガーの架空対談に費やされているという時点で
ドイツスキッヒにはたまらないだろう
『キッチン』 よしもとばなな
名前は聞いたことあるけど、あまり「」が読まない本だと思う
だけど地味に面白い
今でも通用する小説だと思う
自分の趣味に没頭する話
400ページくらいの本編に脚注が400くらいある
『かえるくん、東京を救う』 村上春樹
かえるくんいいなあ
いいなあかえるくん
白痴の人妻と「」がキャッキャウフフするお話
孔子は詐欺師ぺてん師パラノイアであることを文献引きまくって描く
呉智英推薦
『りかさん』 梨木香歩
WW2後イタリアの田舎で友達の妹とキャッキャウフフする物語
自殺した中学生の肉体に、天使が記憶喪失の魂を入れ直して第二の人生を生き直させるお話
キャッキャウフフあり、青臭い中学ドラマあり、少年の心を忘れない「」にお勧め
オチのカタルシスは語りつくせないのでぜひ一読を
『ガルガンチュワ物語』 ラブレー
世界一お下劣な文学と名高い
ケツの拭き方が24通りも載っているのでメルターの「」には必携の書
もう60近い年齢の方がメイドさんの小説を書いてると思うと時代ってのはすごいなと感じる
途中からエロ小説 とってもライトな読み味でいい
前者は20世紀における数学大事件の一つであるフェルマーの最終定理の証明を、数学の歴史に沿って、数学が苦手な人にも分かるように説明された良書
後者は楔形文字からエニグマから量子コンピュータまでの暗号と数学と人の歴史をこれまた専門外の人でも楽しめるように書かれた良書
「本当は怖いグリム童話」を怖いところを薄味にしてラノベに仕上げたような作品集
作者は流血とかが苦手らしいのでそういうのはぼやかした表現とかカットとかしてある
『楽園の知恵』 牧野修
お気に入りは「逃げゆく物語の話」
人型の物語再生機の面々が当局による弾圧から逃れようとするお話でせつない結末が待ってる
『シグナルとシグナレス』 宮澤賢治
鉄道本線の信号機シグナルと、軽便鉄道の信号機シグナレスの恋物語
鉄道の信号機の擬人化恋愛モノというまさに「」風の尖ったセンスに脱帽すること間違いなし
「ピタゴラス派の天球運行の楷音です」って台詞が大好き
『バルタザールの遍歴』 佐藤亜紀
それくらいハズレなし
男の子同士の友情を、少年サイドと中年サイドから迫った「飛ぶ教室」は人気が高いね
エーミールも好きだが、続きのないこちらを推そう
魔性の女に会ってにんとかかんともならなくなる話
人がいっぱい死ぬ
カルト専門ジャーナリストが幸福の科学の本を読んでたら突然偉人が乗り移ってきて…
大川隆法の著作をパロって
大川が偉人が乗り移っていったと書いている内容を著者に乗り移った偉人が批判する
タイムリーな本なのに絶版
『寄生虫実話』
自分の息子の首を切ったお母さんにインタビューしに行く話
『ワルの恋愛術 ワルな男は3秒で女を虜にする!』 内藤詛人
恋愛指南書という「」からもっとも離れたところにある本だが、
心理学者である著者の語るテクニックは心理学の実験や理論を基にしており
そこいらのホストの書いた本よりも興味深く、真実味にあふれる
また、作者が前もって宣言している通りわかりやすい口調で書かれており
心理学入門書としても楽しめる良著
表紙のメイドさんや挿絵がかわいらしい
「私の記憶は80分しかもたない」
事故で記憶容量に80分のリミットがついた天才数学者の爺さんと、そのヘルパーの女性、そしてその息子通称ルートが数式によって親密になってゆくお話
数学嫌いの俺でもすらすら読めた
数式が「美しい」ってのを肌で実感できたのは初めてかもしれない
『百頭女』 エルンスト
「あの猿に聞いてごらん――百頭女って誰なの?
教父さまみたいに彼は答えるだろう――百頭女をじっと見つめるだけで、わしにはあれが誰なのか分る。
ところが君が説明を求めるとそれだけで、わしにはその答えが分らなくなってしまうのじゃ。」
絵本を模して、コンピューターや二進数の原理をわかりやすく説いた本
あちらこちらにジョークをちりばめユーモラスに書かれているが、内容はいたってきっちりとしているので
全く判らない素人にもお勧め
絶版なので図書館を探すこと
『銀河旅行』 石原 藤夫
ロケットの基礎原理から化学エンジン、原子力エンジン、反物質エンジンの各特徴と、なぜ化学エンジンでは銀河旅行が出来ないかなどの、宇宙機に関する基礎的な物理がわかりやすく解説されてる。
SF要素をふんだんに盛り込んだヒロイン達に振り回される学園もの
一巻は良かったんだ一巻は…
倫理とか意識って何なんだって話をつきつめてく話。
シノフサの先輩の人で、こないだ亡くなりました
『ふわふわの泉』 野尻抱介
ゼロからの世界構築でありつつ、どこかで見た(聞いた)ような気がするので決して障害にならない
アニメで見た「」もぜひ読んでほしい
母に、いい歳なんだから、結婚して沢山子供を産んで女として幸せになって欲しい、と言うようなことを言われまして。結婚出産=幸せという感覚にかなり違和感があるんだけども、それはとりあえずおいといて。
「自分が生きていて楽しくて幸せ、と思えないのに、今存在していない命をこの世につれてくるような無責任なことをしたくない。ママ、生きることはこんなにつらいのに、どうして僕を産んだの?って子供に言われたら、私には、ごめんねとしか言えない。」と答えたら、「お母さんは三十路ちゃん(私)に幸せになってもらいたいだけなんだけどなあ」と。お母さん、お母さんが私の幸せを願っていることは、多分うそではないんだと思う。でも、だからこそ、私は幸せになるということに抵抗があるのです。
最初の子供だった私は多大な期待を背負っていたのだと思う。未熟児で逆子で生まれた私は、生まれる前から母にとって、「悪い子」で「反逆児」であったらしい。逆子のために帝王切開で私を産んだ母は、「あんたのせいで私の体は傷物になった」とお風呂に入るたびに私に訴えた。幼稚園の頃、「赤ちゃんは、お母さんのおなかを食い破って、マムシみたいに生まれて来るんだよ」といって先生を仰天させたことがある。でも、それが母の私に植え付けた、血まみれの「私」の誕生のイメージだったので、先生は大人なのにそんなことも知らないのかなと不思議に思っていた。母にとって、私は蛇の子だったんだね。
体が小さく、育児書どおりに育たない私は母にとっていつも「できそこない」だった。「私がこんなに頑張っているのに、どうしてこの子はご飯をたべないんだろう。」って。今で言う育児ノイローゼってやつかな。あんたなんか殺して、私も死んでやる!とたびたび言われた。生真面目で完ぺき主義の母には、規格外の私が耐え難い失敗作に見えたんだね。顎関節症の私には、ご飯を食べることは一仕事で、いつも一番最後まで夕食をモグモグやっていると、「グズのあんたのせいで台所が片付かないよ」としかられ、私はますます食事が嫌いになっていった。
もと陸上選手の母に似ず、運動神経の良くない私は更に母の不興を買い、運動会のたびに「母を辱める」自分が情けなくて泣きたかった。小学2年生の運動会で、母に「あんたが一番背が低いのに、足が一番太い。どうして?」と聞かれて、答えられるはずもなく。お小遣いをためて買った、「足やせ」の本を母に発見され、「そんなもの効くわけない、お金を無駄遣いした」と怒られるのが中学生のとき。高校に入ってからは、一向に育たない胸をみて、「パットなしブラで外歩いて恥ずかしくないの?」と言われ返答に窮し、結局パット入りのブラジャーを大量購入。自分が「恥ずかしい外見」なんだということにショックを受けたのをよく憶えてる。
こんなことが積み重なって、私は痩せ気味で背の低いコンプレックスの塊へと成長し今に至るわけです。
私は幸せになりたい。でも、私が幸せになることで母が幸せになるのが許せないのだと思う。いつまでも子供な自分に自己嫌悪。いい歳なんだから、過去のことは過去のことで割り切ってしまえばいい。新しい自分として生きていけばいい、と自分の人生のことを考えているところです。生きることが楽しくはないし、長生きしたいとも思わないけれど、私は不幸ではない。
でもね、おかあさん、わたしはあなたのことがだいすきです。
どうか、わたしのことをきらいにならないで。
追記:こんな泣きながら書いたエントリにブクマやコメありがとうございます。自分が親離れできていない子供である自覚は、上にも書いてあるように、たっぷりあります。そういう自分に困っております。ねじれてるよね。
そして、元増田は、幸せ=結婚出産とは思っていないので、幸せになりたい=ハッピーになりたい、とそのまま捉えていただければ。今後出産する計画は今のところありませんし、婚約者とも「今存在しない命」をつくるよりも、「すでに存在して親を必要としている命」を養子縁組することはどうだろう、と言う話をしています。
人間がちっちぇ話につきましては、確かに元増田は大変小柄ですが、人間の器はそれ以上にびっくりするぐらい小さいです。文章がうまいと言ってくださった方、褒めるのが本意ではなかったかもしれないですが、ありがとうございます。嬉しかったです。ひらがな部分は、母を批判することに対する罪悪感の現れかなと今読みなおして思いました。それから、ブクマにありましたリンク先の方は私ではありません。モノカキではありませんが読書は好きです。
プレシオスの鎖。私の幸せを見つけるために、鎖を解く方法を探したいと思います。
いろいろアドバイスいただいてありがとうございました増田さん。
その後の話を。
ケーキ屋なんてどこも開いてるわけもなく、
仕方がないのでコンビニで彼女の好物・ハーゲンダッツを5つほど買って帰りました。
帰宅すると、流しのところにビールの空き缶が2本。
この増田さんの言う通り、やっぱり悲しませていたんだな、とあらためて反省。
初めて見たよ本物。
ってゆーか、これは「このインポ野郎!」というメッセージなのか?と
ドキドキしつつお手紙作成へ。
まず「ゴメンなさい」。
そして「言い訳だけど」と前置きして、「寝てしまうのはきっと安心してしまうからだと思う」とかつらつらと書き連ねて
そしていよいよ寝床へ。
彼女を起こさないように入ったつもりだったんだけど、起きてしまった。
「おかえり」と寝ぼけた声。
「今帰ってきたん?」
「いや、終電」
いつも通りの様子だった。
この増田さんの言う通り、もう溜飲は下がってたのかな?
いや、それなら酒なんか飲まないよな。
ドキドキしてあまり眠れなかった。
「あのハーゲンダッツ全部食べていいん!?」
声が<うっひょー>という感じで踊ってました。
増田さんたちのおかげで、どうにかうまく機嫌を直してもらうことができたみたいです。
よかったー。
これまでそんなことはなかったんだけど
もし「キイーッ!」とヒステリックになられたらどうしようかとガクブルものでした。
今度からは元気なときだけ迫るようにします。
それでは。