はてなキーワード: シンポジウムとは
この問題に関しては中国の学会の今後の動向がとても注目されるのではないでしょうか。
私は、7年ほど前、中国で開催された経営学関係の国際学会に出席しました。
開会の冒頭に開催校の副学長がスピーチをしたのですが、彼は絶対に中国語しか話しませんでした。
その横には中国語を英語に翻訳する通訳の学生がついていました。
この副学長のスピーチは「中国は、西洋近代由来の経営学を超克すべきときに至った。西洋をはるかに凌駕した中国独自の経営学を今や確立するときである!」という傲慢とも言える、激しい内容で、ほとんどアジ演説でした。
彼の演説・アジテーションを聞いたとき、私は日本で戦時中(1942年)に開催された13名の評論家によるシンポジウム「近代の超克」のことを思い出していました。
何か戦前・戦中の日本と雰囲気が似ているような気がしたのです。
「もし、中国が敗戦前の日本と同じような方向に行くとすれば、今後、この国は敵国言語である英語起源の言葉を禁止するようになるのだろうか?」といった思いが去来しました。
日本の場合、それは「ボール」とか「ピッチャー」というカタカナ言葉であったわけです。
また、この人物の主張に対し、香港出身のイギリスの大学教授が激しく対立していたのが印象的でした。
結論としては、世界のパワーバランスが論文や学会で使用される言語にまである程度影響を与えることは否定できないように思います。
研究職をやっていると大学の同級生から「私も研究したい」「大学院行きたい」「もう一度大学行って勉強したい」と結構言われる。
こういう人はいつまでもそう言っていて、何もしない。何もしようともしない。
一方で上のようなセリフを言わず、黙々と論文や専門誌、関連の新書や著述を読みながら、日々の仕事をこなして活かしている人がいる。
さらに踏み込んで、住んでいる地域の大学の聴講生やっている人もいる。
一番上のようなセリフをいう人間は、研究とかアカデミズムとかの威を都合よく借りたいだけなのだと思う。
そういう人にそれぞれの街にある大学の聴講を薦めると、「いや時間ないし」とか「体調が」とか「研究のセンスないから」とか言う。
一番ひどい回答は「いやあそこは市立大学でレベル低いし」だった。
もちろん本当に都合がつかない場合や身体の事情も多いのだろうけれど、上の人の場合は、個人的には言い訳であると思う。
無理ならば、なんどもふわっと「研究したい」「大学院行きたい」「もう一度大学行って勉強したい」などと言うべきではない。
学問で格好をつけようとするべきではない。
少しずつでも、関連する本を読むくらいはできるはずだ。というか学びたいなら身体がそう希求するはずだ。
繰り返すが黙々と本を読みシンポジウムに参加し、そこから何か実践している人たちがいる。
そうした人々がいる以上、上の「口だけ」の人は知らず知らずのうちに恥ずかしい言動をしているように思う。
「私さえ黙れば」みな思っていた 兄の性暴力が見えない
Q:今回取り上げるのは兄から性暴力を受けていた看護師の女性(29)です。どんな人ですか?
A:とてもかわいらしい、つつましやかな、清楚(せいそ)な感じの女性です。私が登壇した、あるシンポジウムで出会いました。
当時は連載の第1部がすでに掲載された後で、「性暴力の連載をしている大久保さんで
すよね」と彼女から声をかけてくれました。「実は私も当事者なんです」と。
でも、そこでは周りに人もいたので詳しく聞くわけにもいかず、連絡先だけ交換して、
Q:どんな被害があったんでしょうか。
A:私に声をかけるわずか1年ほど前に、自分の身に起きたことが性暴力だったと気づいたそうです。
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区切られた範囲でマナーを呼びかけるのはできるってことじゃね?
あるキャンプ場とか、あるアウトドアブランドがマナーを呼びかけるのはできる。
コミケみたいな会場や、フェミニストの学会なんかでもマナーを呼びかけるのはできる。
サッカーの大会ごとに、ファン同士でマナーを呼び掛けるのはできる。
でも、Twitterでマナー違反者にリプライで注意ってのは敷居が高いよ。ゼロではないだろうけど、なかなかできない。
特にオタクやフェミニストは、社会運動として拡散している部分があるから、見知らぬ色んな人が属性として掲げてるんだ。
(なお、データはけんゆう様作成の「将棋棋士成績DB」を参照しています。けんゆう様には感謝を申し上げます)
年齢 | 棋士 |
---|---|
67 | 大山康晴(A級/27位) |
66 | |
65 | |
64 | |
63 | |
62 | |
61 | |
60 | |
59 | |
58 | |
57 | |
56 | |
55 | |
54 | 有吉道夫(A級/22位) |
53 | |
52 | |
51 | |
50 | 加藤一二三(B1/13位)内藤國雄(A級/17位) |
49 | |
48 | |
47 | 米長邦雄(A級/8位) |
46 | |
45 | |
44 | |
43 | |
42 | 中原誠(名人/3位) |
41 | |
40 | 淡路仁茂(B1/18位) |
39 | |
38 | 真部一男(A級/50位) |
37 | 青野照市(A級/7位) |
36 | |
35 | |
34 | |
33 | |
32 | |
31 | |
30 | 高橋道雄(A級/12位)福崎文吾(B1/20位) |
29 | |
28 | 谷川浩司(A級/1位) |
27 | 南芳一(A級/5位)島朗(B2/14位) |
26 | 神崎健二(C2/19位) |
25 | 塚田泰明(A級/11位)中田宏樹(C2/16位) |
24 | 森下卓(C1/2位) |
23 | |
22 | 阿部隆(C2/10位) |
21 | |
20 | 佐藤康光(C1/5位) 先崎学(C2/15位) |
19 | 羽生善治(B2/6位) |
18 | 屋敷伸之(C1/9位) |
中原誠(名人・棋聖・王座:この直後8/1に屋敷伸之に棋聖位を奪取されます)谷川浩司(王位)羽生善治(竜王)米長邦雄(王将)南芳一(棋王)
このシリーズで一番の縦長ですが、その原因は言うまでもなく大山康晴です。この2年後69歳でA級在位のまま死去。ほんの数年前までは羽生善治ならそれに並びうるのではと思われていましたが、さてそれが達成できるかは見ものです。私も健康に気をつけてせめてその歳までは健康に生きていたいと願っております。あと、有吉道夫・内藤國雄の西の両巨匠もまだまだ指し盛りですね。ご両名はそれぞれ74歳、75歳まで現役を務めました(内藤は規定による引退を待たずの自主引退)。このお二人が関東在住でしたら、2020年において長老格として加藤一二三だけがメディアを独占する、ということもなかったのではないかなあ、とも。
この表だけ見ると谷川浩司の周りにずらっと名前があって多士済々。しかもタイトルホルダーやタイトル経験者、A級在位者が多い。特に南芳一にいたってはこの前後数年でタイトル5期を重ねるなど最充実期といっていい活躍。にもかかわらず「谷川世代」という呼ばれ方はついにされず、しかもその後の歴史を見るに多分それは正しかった。1991年を最後に、福崎文吾まで含めてこの年代の棋士は谷川以外誰一人タイトルに届きませんでした。そういう意味では、棋界の「見る目」というのは冷徹なほどに的確です。また、もしかしたら2020年における30歳前後の棋士たちへの評価に重なる部分があるのかもしれません。
この表だと塚田泰明とは1つしか年齢が違いませんが学年では2つ、プロ入りでは3年度下なので、55年組よりは「羽生世代」に近い位置づけをされる森下卓。昨年木村一基が初タイトルを奪取するまでは「無冠の帝王といえば森下か木村か」と言われる存在でした。この年24歳、C1在籍ながら準タイトル戦格の全日本プロトーナメントを制しています。棋界一の律儀者とも称される物腰の柔らかさとじっくりとした矢倉を得意とする棋風で人気も高く、一般棋戦優勝8回、タイトル挑戦6回を数えながらついに54歳の今日までタイトルに手が届いていません。そのことについては本人の口からも幾度か語られてはいますが、それを判定できる人はだれもいないのでしょう。書かずもがなの無内容なことながら、それでも一筆書かずにおれないところがあります。
はい、30年前にもうこうやって出てくるわけですよ。この表の中には名前ないですけど村山聖と森内俊之はレート的にはすぐこの下にいますし、郷田真隆と丸山忠久はこの年の4月に新四段になったばかり、翌91年4月には藤井猛が、同10月には深浦康市が四段に上がってきます。そして屋敷伸之が上記の通り、2回目のタイトル挑戦中で中原から棋聖を奪取し史上最年少タイトルホルダーに輝く。上は大山から下は屋敷まで、そして中原・谷川・羽生の3人のスターを抱えるこの時期の「幅の広さ」はその前後には見られない豊穣さといえましょう。
レーティングという指標で見るなら、実は羽生は藤井聡太よりもほんの少しだけ早い17歳6ヶ月で全棋士中1位になっています(88年3月、藤井聡太は2020年2月に17歳7ヶ月。この比較こそ数字遊びに過ぎませんが羽生のほうが藤井よりプロ入りが遅く勝率も低いのに対局数と勝数の要素でこうなっています※追記:eloにせよglickoにせよ「将棋棋士の場合は」全体のレートがマイルドにインフレする(対して大相撲力士のレーティングは目立ってインフレしない)ので攻略する頂の高さは羽生より藤井の方がずっと高いのでした。その分藤井のほうが増やしやすくはありますが)。この時期は、ちょうど羽生にしては珍しい「不調」といえる時期で、もしかすると当時史上最年少でのタイトル獲得に伴う環境の激変の影響が出ていたのかもしれません。この年の秋には谷川の挑戦を受けた竜王戦で防衛を果たせず、年明けの棋王戦で南から棋王位を奪取してすぐにタイトルホルダーに復帰するものの、「前竜王」の呼称がなくなった現行の方式であれば、この4ヶ月弱ほど「羽生七段」になっていたということになります。そういう意味では、藤井聡太のここから1年ほど、あるいは高校を卒業したあとの1年くらいの動向には注目すべきでしょう。これまでは学業優先で免除されていた普及活動、将棋連盟主催のイベント、タイトル戦主催者企画のシンポジウムや講演会の依頼、単著の執筆依頼、テレビ出演への依頼などがそれでなくても多い対局の合間に豪雨のように降ってくるわけですから。
https://www.buzzfeed.com/jp/yutochiba/covid-19-symposium
https://note.com/nihon_koutei/n/nd30f145c841e の内閣官房の作っている医療提供キャパシティに比べて圧倒的に赤線が低い。
内閣官房の縦軸が「等」とついており混乱を防ぐために、医療強化すればピークは落とせるのだというメッセージになっているわけだが、
これが今の外出する楽観的な雰囲気を作ってしまっているのではないだろうか。
第二次世界大戦時でも数理モデルや統計などオペレーションリサーチが酷かったわけだが、そろそろ見直しが入ってもいいのではないだろうか。
https://toyokeizai.net/articles/-/292845?page=3
外務省が最近、ハーグ条約についてのシンポジウムを開催した際、参加者によれば、登壇した最高裁判所の家庭局の澤村智子課長は、日本のハーグ条約の実施状況に自信を見せていたという。とはいえ、ハーグ条約では日本国内で起こっている誘拐は解決できない。
「確かに連れ去りのほとんどは、母親が父親との関係で深刻な問題に直面しているときに起こる。だからといって、必ずしも子どもから親を奪ってよいことにはならない。国内でも、連れ去りは原則として違法であることが明確にされるべきだ」と、ある弁護士は言う。
こうした連れ去りが頻繁に起こる背景には、日本では離婚後の共同親権は認められていないことがあるだろう。そのため、子どもの養育に2人とも深くかかわってきたカップルでさえ、片方だけが100%親権を得るという以外の選択肢はない。
【シンポジウム】#マンガ が先か!? #原画 が先か!? -「マンガのアーカイブ」のネクストステージに向けて-
✔️日時:12/17(火)13:00~17:00
✔️会場:大日本印刷株式会社 DNP五反田ビル
✔️申込不要・当日先着順
近年注目の集まる「マンガのアーカイブ」について考えます。https://t.co/gAEHvNf9zk pic.twitter.com/RjrUUCzxvq— ぶんかる【文化庁公式】 (@prmag_bunka) 2019年12月11日
こう言うのを見ても昨今漫画家出版と文化庁が急速に接近している事が良く判るな。
当時、規制問題で創作物の抑圧が話題になっていた時には何もしなかった癖に急に流出とか言い出しているのも怪しい。
何か取引や癒着でもあったんじゃないかと思う程度には怪しさを感じるわ。
ダウンロード違法化拡大やリーチサイト規制の会議が短い期間と少ない回数で急激に取り決めようとしている件と言い、漫画家、出版はもう完全に利権確保の為なら、平気で他者の言論の自由や表現の自由を奪う側についたとみても良いだろうね。
==以下、引用==
(略)
以下の記述は、記憶によるもので、あいまいな点が多々ありますし、小沢さんの言葉ではなく、私が自分なりに解釈、要約して書いている部分もあるので、誤解や間違っている部分があるかもしれないことを念頭にお読みください。
小沢さんは、これから自分の語ることは誰か特定の人を攻撃するものではないので誤解しないでほしいと何度も断った上で、「アートという罠:アートではなく」という講演を開始されました。
小沢さんが取り上げたのは、「なぜイギリスの行政は貧しい地区でのアート振興にお金を出すのか、彼らは何を狙ってアートを援助したのか。」という問題です。
行政的にはその答えは明瞭で、
第二に、職を作るためであり、
第三に、セルフ・エスティームを高くするためであり、
第六に、再犯を防止するため
なのですが、小沢さんはこういったアート政策が、実は新自由主義、ネオリベラリズムの息のかかったプログラムそのものであると指摘されました。
ネオリベラリズムとは、簡単にいうと、人びとを激烈な競争に巻き込んで、優勝劣敗、弱肉強食のジャングルの法則を貫徹し、社会を一部の大金持ちと、残りの貧乏人に分断し、様々な格差が拡大することをもって良しとするような主義・主張です。
勝ち組の新自由主義者たちは、アートを媒介にして、貧しい人たちが暴動を起こさないよう社会の中に取り込もうとします。こっち側に入れてあげるよ、といった彼らの傲慢さは、ソーシャル・インクルージョンとでも言えば、何かカッコよく今風に響くから不思議です。
なぜ、ソーシャル・インクルージョンをネオ・リベラリストたちには必要とするのでしょうか。端的に言えばそれは、暴動を抑え、革命を阻止するためです。そんなこと「野蛮」なことを、夢にも思わない人間を作り出すためです。
(略)
「企業的な社会、セラピー的な社会」で小沢さんは、セラピストの前で自らを語ることは、実は「灰色」=システムが用意した一定のヒエラルキーの下に、「あるべき自分」を位置づけて、希望を失っていくプロセスなのだと批判していました。
小沢さんは今回の講演で、同じことがイギリスのコミュニティアートにも起きているといいます。
セラピストが皆、気持ち悪いくらい落ち着いた低い声で、その患者たちをシステム内に柔らかく取り込むように、コミュニティアートも、誰にでも受け入れられるような、丸っこく優しくゆるーいアートを媒介にして、貧しい人達が「暴発」しないよう、その力、希望をソフトに去勢して、システム内に取り込んでいる、と批判しているのです。
イギリスではソーシャル・インクルージョンを目的にすると企画書に書けば、補助金が比較的容易に降りるということもあって、この言葉が大氾濫しているそうです。
そして、実際に許可して一年で700億円もの金を分配している男は、アートのことなど何も分からない小役人で、アートを通じて、貧乏人の心に野心を高めさせ、燃えたぎらせ、優秀さへの野望を常に胸に抱いて他人を出し抜こうとする嗜好など、ネオ・リベラリストたちが好む欲望を植えつけることをアート政策の目標にしているのです。
小沢さんは、こうしたイギリスの取り組みが「コピペ」されて実施されたのが、大阪ではないか。世界と地域はつながっているのだと主張されます。
The Economistとかいったネオリベの雑誌を好んで読み、「アーツとビジネスの融合した創造性豊かな都市をめざす「創造都市戦略」を掲げた」(ウィキペディアから)關淳一第17代大阪市長を名指しで批判している最中で、なぜかスカイプの音声が乱れ、もう時間ですからと急かされて、最後は駆け足気味の話になって終了。
小沢さんは1時間の講演を予定していたようで、話を止められた後、両手を頭に組んで仰け反っていた姿から、もう少し語りたいことがあったように見えましたが、私の気のせいでしょうか。
それにしても、これほど過激な、これほど尖りまくった講演は聞いたことがありません。
下手すると、企画の趣旨を全てぶち壊すような、シンポジウム関係者を激怒させ、二度とお呼びにかからないようなリスクをあえて冒して、小沢健二さんは自らが信じることを堂々と語ったのです。資料を持つ手は微かに震えていたとしても。
「アートの力を信じる」というシンポジウムで、「アートという罠:アートではなく」という、まるでちゃぶ台をひっくり返すような講演をやる蛮勇さ。なんという毅然さ、なんという美しさだろう。私はただただ感動していました。
小沢さんは、どこにも帰属せず利害関係を超越した場所から、誰も反論しようがないお行儀のよい正論をぶつだけのイデアリストではありませんでした。
アートしている人たちの苦労を理解した上で、行政からのお金であっても貰えるものならば、貰っていたほうが良いとはっきり言われました。
しかし、彼らの意思、権力作用を十分理解しながらも、それを逆手にとって、何か思いも掛けないあらぬ方向に投げ返してやること、突拍子もない事件を呼び起こすこと、例えば、親のカネを使って自由に遊ぶ頭のいい不良少年、内から食い破るエイリアンのように振る舞うこと、
これは私の解釈ですが、そんな但書きを小沢さんは付けたかったのではないかと推測しました。
==引用ここまで==
津田大介の出るシンポジウムに抗議がたった数十件あっただけで中止ってさ、津田大介がどうこう以前に恐ろしい話だよな。
ちょっと友達集めて抗議したら大抵の集会は中止に追い込めるってことだろ。
昔のハガキの投書ほど投函するまで何段階もバリアがあるわけでもないし、
俺が今こうやって匿名ダイアリーにクソみたいな意見書いてる様に、暗闇に文章投げ込めば意見が通ることがある。
そういった成功体験を重ねて増長した奴らがターゲットを漁ってまた抗議する…まずこの連鎖を断ち切らないと。
そのためにもいい加減「抗議は来る」という前提に立って、少なくとも、この規模なら閾値は何人だね、じゃあ抗議がこの人数超えないからとりあえずOK、みたいにしないと、その内集会なんて一切できなくなる。
和の住まいシンポジウムでは、木の家は高額だというのは思い込みだってことらしい。
ただ、木の家=日本風の家ともいえないのかな?参加して聞いたわけじゃないから微妙だ。
https://ayabekoumuten.jp/wp/wp-content/uploads/2019/01/10f7666f554480ef6e5edc61e3565278.pdf
粘土瓦の屋根は初期費用は高いけど、長期的に見ると安くなるらしい。
https://www.try110.com/kawara/qanda/customer/product-c/entry-315.html
決して裕福とは言えない家庭に生まれ、狭いコミュニティの中でそれなりに楽しく生きてきた。
常に周りには友達もいて、運動神経も良く、勉強もクラスの中では10番目以内に入るなどスクールカーストでは最上位にいただろう。
その地域では進学校と言われていた出身高校も就職と専門学校の割合が多く、一部の頭が良い人たちが大学に通う程度だった。
当時大学は頭の良い人が行くものだと思っていたし、偏差値なんてものはあまり気にしたことがなかった。
自分は指定校推薦をもらい、その高校からは入ることが難しいとされていた私立大学に合格。
大学の場所は県庁所在地にあり住んでた地域では都会扱いされ、そこに住み大学に通うなんてことは夢のようだった。
実際に大学に通い始めると多くの苦労が待っていた。
高校では優秀とされていた自分も講義に着いていくのがやっとなのだ。
しかし、これはまぁ想像していた。なんせ自分はあの難しいとされていた大学に通っているのだから。こんな高いレベルで講義を受けられるなんてむしろ誇りに思っていた。
その時期から少しずつ課外活動に興味を持ち始め学生団体に所属した。そこで他大学の人と出会う機会があり、その地域で一番優秀とされる大学出身の人に出会った。
そこで初めて劣等感を感じるとともにその人たちと一緒に団体を運営してることに対しての優越感も同時に感じていた。
自分はこいつらは違うという意識が芽生え始め、学業より学生団体の活動を中心とした生活を送るようになった。
セミナーやシンポジウムへの参加、団体メンバーと社会課題やビジネスについてディスカッションしている時間が自分の好奇心を満たしていた。
学生ながらにして出来るビジネスは大抵決まっており、小資本で始めることができるインターネットサービスが定石だ。
自分もビジネスをするためにHTML, CSS, JavaScriptとWeb制作をするための最低限の知識を挫折しながらもなんとか身につけた。
しかし、やればやるほどWeb制作は事業の面白みもなく、技術的な好奇心も満たしてくれないことがわかった。
周りの目も気になり下手な企業に就職するのは自分のプライドが許さない。
そこでさらにスキルを伸ばすために休学をすることに決めた。調べれば調べるほど休学にはメリットしかなかったのだ。
色々と悩んだ結果、東京でインターンシップをすることに決めた。
本当は海外に行きたいところだったがお金もなく、しぶしぶ東京に決めたところもある。
日本の中心地東京は夢の場所であり、勝手に怖いイメージを持っていた。
しかし、ここまで積み重ねてきた自信から「自分ならなんとかなる。」 とそう言い聞かせた結果、思ったよりもインターン先はあっさりと決まった。
バイト代をもらいつつエンジニアとしてもスキルを伸ばせる最高の環境だ。
社員と同様に週5で働き着実にスキルと自信を身につけていった。
そのまま東京で就職活動を行った結果、スムーズに夢の企業から内定が出たのだ。
給料は新卒平均年収の2倍はあり、内定者の多くは東大、京大、慶應、早稲田など名だたる大学ばかりだった。
自分は偏差値40代のF欄大学生であり、就職してからはとにかく劣等感ばかり感じていた。話してる内容も理解出来ないことが多くついていけない。
そこで初めて自分は全く優秀ではないことに気づき、ただただ小さいコミュニティで満足して生きていたことを知った。
本当に優秀とされる人の前ではあまりに無力で自分の実力のなさが見に染みてわかるようになった。
しかし、ここを逃げて田舎の小さいコミュニティの中で生きて行くのはこの世界を知ってしまった以上出来なかった。
本当に優秀な人たちに囲われて自分も優秀なふりをしながら常に劣等感感じて生きるしかないのだ。
自分に嘘をつき続けながら生き続けた結果、今ではとある企業から役職をもらうまでとなった。
自分は優秀なふりをするのが上手いらしい。
実力が伴っていないのは自分が一番わかっている。
しかし、もう後戻りはできない。
幸せってなんだろう。。。