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はてなキーワード: サイレントマジョリティとは

2020-11-03

anond:20201103110107

いいねと比べるならよくないねじゃね?

なんの話か知らんけど、よくないねボタンがないか批判サイレントマジョリティがいるのかいないのか、もしいるならどれだけいるのかはわからない。

からないイコール「ない」ではない。

比べられない事について、何も結論づけることはできない。

フェミ騒動基本的ノイジーマイノリティ問題

いいねの数なんかを見ると基本的にはサイレントマジョリティには支持されてることが多いんじゃないかと思うけど

実際どうなの?

2020-10-25

バイデン持ち上げすぎ

前回もメディアは圧倒的にヒラリー予想で、サイレントマジョリティを捉えられなかったから、大多数がトランプ当選予測できなかったのに

同じことを繰り返そうとしているのか

2020-10-09

anond:20201009122331

ちなみにサイレントマジョリティであろう騒がない非モテあなたからみて俺の主張ってどう思う?騒いでる奴らに対しての

おれはそもそも非モテちゃうバリバリモテ立場だわって話だったらすまんな

2020-09-09

増田にいる人間ジェンナー観って偏ってんの?

それともサイレントマジョリティに近いの?

中にいる人間はどう思ってんの?

2020-08-29

無知な人たちに説明をするのかしないのかを、コストの点から考えた場合

知識がないゆえに誤ったことを主張する人たちに、そのことを説明することはおトクなのかどうかという問題です。

説明することのメリット
  • 誤っている、ということを認識させることができる(SNSなどの開かれた場での説明ならばより多くの人にリーチやすい)
  • 正しい知識が浸透し、今後同様の主張をする人が減る可能性がある
  • 誤った情報が誤ったままで多くの人(傍観者)に認識されることを防ぐことができる
説明することのデメリット

説明することはどう考えても「おトク」じゃないです。

したがって、明らかに誤っていることが「拡散」している場合でも指をくわえて黙って見ているしかありません。どうしても譲れない場合にだけ行動に移せばいいとは思いますが、そういうケースはほぼ無いと思っています

「分かる人は分かっている」「サイレントマジョリティーだ」という信念を持ち続けてスルーするしかありません。私の場合は「分かっている」人のツイートブックマークしておいて、心が荒んだときにそれらを見返して精神の安定を得ていました。

ここでやっかいなのが、誤った主張をしている人たちは「中途半端知識がある人」であることが多いという点です。主張の内容には部分的に正しいことが入っていて、それが主張の確からしさを裏付けしまます

ともあれ、結論としては黙っているしか無いのだと思います

2020-08-28

大坂なおみ選手言動への違和感

大坂なおみ選手大会ボイコット話題になっているが、個人的にはあまり支持できない。

自身が目立つことを優先しているように見えて若干の嫌悪感があるのと、自分の影響力に無自覚なところが気になるのだ。

以前のBLMで大阪デモをしようと呼びかけがあったときにも感じたのだが、

コロナウィルス感染拡大防止のために飲食店や、スポーツ音楽イベント等が全て自粛しているときに、

人を集めて集団感染リスクを高めることをよくもできるなと思ったのだ。

そして、そういう慎重な意見SNSで投げかける人には「あなた差別主義者なの?」的なリプライをしていて、

大義名分のもとに反対意見一方的に切り捨てて、対話ができないところも気になった。

で、ぶっちゃけその手の嫌悪感を感じるのは大坂なおみ選手に限ったことだけではない。

環境活動家のグレタさんも苦手だし、反原発運動最近フェミニズム運動も苦手だ。

個人的嫌悪感共通点が何なのか言語化すると、いわゆる『活動家』嫌いという傾向だ。

もっと言うなら、『急進的で実効性が乏しい主張をする人たち』に強い違和感を覚えるのだ。

ぶっちゃけ例として挙げた活動についても、個々の論点自体賛同できる部分が多い。

黒人権利大事だと思うし、気候変動の問題放置できないし、原発事故危険性は対処しないといけないと思う。

大学入試性別が違うだけで合格点が変わるなんて論外だと思う。

が、しかしだ。

それなりに清く正しい社会生活を送っている自負のある一市民に対して、いきなり「良くもそんなことを!」言われて

お前は環境破壊する悪い奴だ見たいなレッテルを張られるのはイラっとするし、自動車を使うなと言われても、利用をやめると生活が成り立たなくなる。

原発事故危険性は理解している。だけど原発を即時全廃して安定的な電力供給はどうするのだろう?太陽光や風力は天候に左右されるし、

無秩序再生可能エネルギーの新設を推進したことで、山林の乱開発といった新たな問題も発生している。

東日本大震災後の日本は、天然ガス石炭火力の比率を増やしてしのいでいるけど、天然ガス資源には産地が偏在しているリスクがあるし、

石炭比較的産地が分散してるけど、採掘・燃焼による環境破壊や温室効果ガス排出に目をつぶってよいのだろうか?

性差によって職業差別を受けるのは許してはいけないと思うけど、

いわゆる萌え絵のようなイラストはすべてが男性に媚びるために書かれているのだろうか?

全部まじめに対応した先に待っているのは、人民服就活リクスーのような、画一化して多様性のない社会なんじゃないだろうか?

なんというか、正義感で突っ走って始めたものの、『私のいう事を聞け、多少の問題大義のために目をつぶれ』というような、

話が通じない雑な主張には反射的に虫唾が走ってしまうのだ。

では、どういう私は個人的違和感を感じないのだろうか?

大会ボイコット警官による射殺事件への抗議なら、落としどころはどこになるのだろう?

BLMが全面的収束するまで全ての大会ボイコットするのが正解なのだろうか?

個人的には大坂なおみ選手の事例ならば、大会ボイコットというような強硬的な態度を取られるのではなく、

大会の獲得賞金を全額事件被害者遺族と支援団体寄付する。皆さんもこの問題を考えてほしい」的な呼びかけだったら、違和感なくすんなり支持できると思うのだ。

今の態度だと、社会の分断と対立必要以上に煽る方向になってしまっているように見える。

なんだかんだ言って、社会構成している人の過半数ノンポリに近い穏健保守派なわけだし、(世論調査無党派層の多さでわかるだろう)

トーンポリシングと言われるかもしれないが、社会運動をしようとする人たちは、声の大きな支持者よりもサイレントマジョリティの方を向いて世論に刺さるように行動しないと逆効果と思うのだ。

2020-08-08

ここ10年の日本人なら誰でも歌える曲一覧

意外に多かった

2011 ヘビーローテーション

2012 女々しくて

2013 恋するフォーチュンクッキー

2014 Let It Go R.Y.U.S.E.I. ようかい体操第一  ひまわりの約束

2015 あったかいんだからぁ♪ トリセツ 私以外私じゃないの

2016 PPAP 前前前世 恋  LOSER 海の声 サイレントマジョリティー PERFECT HUMAN

2017 打上花火

2018 Lemon USA ドラえもん

2019 パプリカ マリーゴールド 白日 Pretender

2020 香水 夜に駆ける うちで踊ろう

2020-07-15

老いへの恐怖と尊厳死

年寄りが嫌い…自分の冷酷さにゾッとするという52歳女性に、鴻上尚史が「それは逆では?」と思ったこととは (1/5) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

老い」は、間違いなくいろんな意味での「劣化」だと思います。それも「死へとつながる劣化」です。

 その冷厳な事実をどう受け止めるのか。

(中略)

 そして、やがて自分がそうなった時には、どうするのかという問いかけに移りました。

(中略)

 もちろん、まだ結論は出ていません。ヨーロッパでは自分選択する「安楽死」の問題として多くの人が考えるようになりました。

この世に生み出されたらそこから死に向かって一直線なのは避けられないのに、老いは避けられず老いを恐れる人は多いのに、尊厳死自殺幇助)が日本では全然議論されないのはなぜだろうか…。

安楽死/尊厳死トピックについてワイのアンテナが低いのはまあそうなんだけど、でも例えば日本で、いわゆる死ぬ権利¹が夫婦別姓同性婚の是非ほど広く議論されてるか? と言われればそこまでされてないと思うんだよな。人間全員回避不可能イベントにも関わらず。

しかしたら回避できてるやつが大半で黙っているのか…? サイレントマジョリティーというやつで、ワイや議論してる人間たちやメンタルを病んだ民が苦悩しているのを見て笑っているのか…?(ついでにメンタル安定して薬も出なくなったし! とコロナこわくて通院中断してから数ヶ月たってることにもいま気づいた)

ドクターDEATHの自殺マシーン

それでも世界を見ればだんだんこの辺の話も進んでるとは思うけどね。この自殺マシーンを作った博士へのインタビューは興味深い。

どのような反論が多いですか?

いちばんよく聞くのが、〈理性的自殺〉などありえない、精神病が原因で死を望むようになるのだ、という意見です。しかし、私は断固否定します。死を望む気持ちは、治療すべき疾患ではありません。また、他の反論として、人生ギフトなのだから、敬意を払うべきだ、という意見もあります。それに対してはこういえます。もし生命ギフトだとしたら、それを捨てるのも自分勝手だ、と。さもなくば、それはギフトとはいえません。ただの重荷です。

尊厳死を選ぶのは、〈権利〉だと信じています。例えば、今この瞬間、あなたが外へ出て自殺をする、と表明したら、私は阻止すべきでしょうか? そうじゃないでしょう。あなたは自立した個人であり、あなたがどう決断しようと自由です。もちろん喜びはしませんよ。でも、あなた決断ですから。その場合、私にできるのは、安らかな死を迎えられるよう協力することです。

¹ 死にたいなら死ねば? という話ではない

2020-06-27

増田にも投票システムが付くべき

あっ!サイレントマジョリティ可視化ちゃう常連の危ない人さんへのヘイト👎が届いちゃうから付けられないんですね

2020-06-04

こばるさん(@sha_k_br)のブログを読んでの感想

私は、ただの通りすがりである

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今までは、ただ荒れている海を時たま平和なところから眺めていただけだった。

そして、たまたま見かけた漂流物に対して思ったことを気まぐれに書いて見ようと思った。

ここから書くことは、現段階書いている私には公開するかもわからない文章であり、該当のブログ記事に対して思ったことを気ままに書くだけなので何かを伝えるというつもりは一切ない。自分のなかのことを整理しようと思っただけのことで、こばるさんが何を思おうと私は興味はないし、これを読めというつもりもない。

発端はそのブログであっても、おそらくは私の思ったことまとめに終始すると思われるからである

以上のことを踏まえて読むかを決めてもらいたい。

これは自己保身という人もいるかもしれないが、私にそのつもりはない。

匿名で、なんの影響を被ることもない場所で、ただ書き散らかす文章から一切の重みはないということを読んだ人皆に伝えるという意図の、私の責任感の表れと取ってほしい。この文章はただの電子ごみだ。

さて、まず該当ブログurlを貼らせてもらう。

ヌメさんへのネットリンチに加担し続けている人たちへ

私は、このブログ題名名前があがっている方のCFにまつわる問題を時たま眺めていた。最近出来事などの一連も一通り見ていたつもりではある。

私には、一切法律的知識CF知識はないため、収支報告を求めるものに、「まあそりゃあ疑念が湧いたら事実確認をしたくなるよね」程度のことを思うことしかできない。これは、お使いに行かせた子供お金をちょろまかしていないか確認したい、というような感覚と似ているのでCF適用できるのかは私には判断はつかない。

私はここで、この方の問題について白黒をつけたことを書くつもりはない。あくまで、こばるさんのブログについて思ったことを書くというつもりだからだ。

このブログ記事は「CFした方がネットリンチをされている」という前提で書かれている。(題名からしてそう)

なので私がそのことについて書くということは、その前提に対して物申すということになってしまう。

そうなると、私の考えたいことと外れていくと思うのでとりあえずそこは保留にしておく。

以下、本文を引用しながら書いていく。

ヌメさんへのネットリンチに加担し続けている人たちへ。

あなたたちは愚かです。

優しさに賢さが追いついていない人、賢さに優しさが追いついていない人、その両方が見受けられます

優しさに賢さが追いついていない人は、大局を見る能力がありません。「優しい」という自己イメージに捉われて、その表面的な振る舞いからはみ出す勇気がないだけの愚か者です。

賢さに優しさが追いついていない人は、あなたが学んできた知識を、愛情を持って世界還元しないところを見ますと、やはり愚かだと思います

あなたのための寛容な世界づくりを、自ら放棄し続けているあなた方は、全く賢くありません。

声を上げる人の、精神高潔さを知りなさい。

そしてあなた自身の恥を知り、愛を知りなさい。


正直言うと、私はこの「優しさ」や「賢さ」という言葉が何を指しているのかがわからないため、ここは飛ばす。

ただ、「寛容な世界づくり」という言葉から弱者にやさしい世界をということなのだろうかということを何となく推察するに、この人々は強者に当たるのだろう。そのあとの、声を上げる、などは最近話題トーンポリシングもろといった感じである。これ以降のところで語気語調で判断するな、といった内容のことが書いてあることだし。

トーンポリシングに関しては、議論の場は対等な人同士が様々なものを用いて議論をするという理想があるが、そこにも権力関係があるのだということを自覚しよう、といったものであると私は認識している。(何かで読んだ、何だっただろう…)

恥を知り愛を知る、は、まあちょっとよくわからない。思いやりだろうか。悔い改めるとかだろうか。

あなたは愚かです。しかあなたの愚かさは許されます

5年後、10年後に、あなた自分自身の行いを恥じたとき過去あなたの行いを誰も責めてはいけません。

もちろん、今あなたがそれを行なっているならば、咎められるでしょう。法に基づき裁かれることもあるでしょう。

あなた積極的または消極的加害行為が、今、あなたからの加害を受けている人の心の安寧よりも、優先して認められることはありません。

しかし、あなたの今の幼稚さは許されます

あなたはかわいそうです。然るべき手段で裁かれた後、あなたあなた自身からも許されることを願っています


これはまあ、おおむね一般的な考え方であるように思われる。罪は裁かれ償いをしたら一種チャラである。あとは良心問題

まずあなたは、あなたが何に依らなくても、あなた自身が当たり前に存在してよいのだということを、深く理解してください。

これはまず一番最初に、あなたの心の底の底に置いておくべきあなた自己肯定感です。

あなたが今それを得られていないなら、とても悲しく、残念なことです。

自分自身の心を明かし、賛同でなくとも肯定されることが、あなた世界を信頼できる根拠になるということを、ぜひ知ってほしいと思います

自分自身の心を明かす勇気を、あなたの愛する、信頼できる人に向けてください。

その信頼が報われたときあなたあなたのための自己肯定感を得られるはずです。

その経験を得たとき、その自己肯定感や誇りが、他者にとっても同じ、誰にも脅かされてはならないものだということを、想像できる人になってください。


ここはいささか唐突に思われた。なぜここで自己肯定感の話なのだろうと率直に思った。

自己肯定感がないからこそ、曰く「愚か」な行為をしているという考えであるのかと推察するが、「自分自身の心を明かし、賛同でなくとも肯定されることが、あなた世界を信頼できる根拠になる」という点では、賛同/肯定をされた時点でその賛同/肯定されたものが、結論として善であろうと悪であろうとその内容はかまわないように受け取られる。

それとも、「愚か」なことであってもその自己肯定感が生まれたらばそれ以降回心できるはずといったようなことなのだろうか、私には少々やはり呑み込めない。

ある層に受けることを言ってしまったらその承認におぼれてしまい、そこから抜け出せないこともあるのではないか、等々考えてしまう。

まあやっぱりよくわからない。

また、「中立」の立場をとり、自分を冷静だと思っている方へ。

あなたが行動をしない限り、あなたは無敵です。

あなたが何かを決めない限り、あなたは誰にもジャッジされることはありません。

あなたは、いつでも世情に合わせて、怒られないための「正解」を選ぶことができます

あなた卑怯です。安全場所で、物事を見定めているつもりになっている自分自身のことを恥じてください。

あなた対立する勇気を持っていないのなら、あなたは有力な参謀にはなり得ません。

そのことを理解し、自身のことを省みてください。


私としてはここが一番の山場であった。ここで、こばるさんは他者に対して「対立する勇気」求めている。

私はここが一番引っかかった。

意見を表明する勇気」ではなく、「対立する勇気」であり、「中立」、決めかねるという一つの判断否定していると思うからだ。

以下は、浅い知識によるものから最初に書いたことを思い返して、あまり真に受けないで読んでもらいたい。

私は、この言葉を読んだとき、エポケーという言葉を思い出した。

エポケーは、判断停止や判断中止とも言われる。これは、懐疑的もの見方として生まれもので、常識などを棚上げし、事実を見るというようなことである。「これまではそうだった、だからこれからも違いない」ここに対して待ったをかけるようなものと私は習った記憶がある。思考停止とも違うということも。

判断を停止するということは、結論を下すことを中止するということで、こうだった場合にどうなるかといった想定をしてその場合結論としてはどうなるか、と考えることをやめるわけではない。

判断停止をし、意見表明をしないということは確かに叩かれるものがないという点で「無敵」かもしれない。

しかし、むやみに敵を作るような行為は慎んだほうがよいのではないだろうか。対話可能と思えないのならば、口をつぐむということも選択肢に入って来るのではないだろうか。そこで人は絶対意見を言わねばならないというのは酷であると私は思う。

立場を明らかに意見を表明できないのは、冷笑主義でもない限りそれ相応の判断停止の理由があるのではないか

または、明らかにするほどのことではないという一種の”判断”でもあるだろう。

ここをおして判断を迫るのならそれ相応の論拠を明確に提示していく必要があるだろう。

また、全貌を知らないままに下した判断には危険性があるのではないかと言いたい。

ヨクシラという言葉があるが、ヨクシラで首を突っ込み盲目的に突っ走るというのは恐ろしいことである。むやみやたらに判断を求めたらいいというものではないと考える。

ただ、これはヨクシラで判断を下し動いている人々に対して判断を下し行動することをやめろといいたいのではなく、その判断に基づいて物事を見ることに固執しかねない、という危険性を留意しておくべきではないかという意味であり、柔軟性があるのなら、意見を表明するという言語化を通して自身の考えをまとめることができ、それを叩き台にしていろいろの人との対話をすることで自身の知見を深めることができるため、それ自体をすべて悪いとは思わない。

これはヨクシラでない人であっても同様のことがいえると思っている。固執することは恐ろしいことである

そして、これらの話はどちらか、いずれか、なんらかの想定されるコミュニティに与するという話ではないと思う。

私は、「対立する勇気」という言い方にどうしても、二項対立ですべてを説明しようとする姿勢が見えてならない。

人々はそうそ一枚岩ではないだろう。学校クラスの分裂ですら、賛成反対と大きく分けてみた中をのぞけば、容易にその中の分裂が見える。

「有力な参謀」という言い方も、ある組織構造を持った何かを想定しているように思える。

ここ以降は、声を上げるリスクについての説明などで、黒人男性黒人若者に対し言っていた言葉彷彿とさせるものだった。

以降に関しては特に思うところはない。しいて言うなら、「数は力」という言葉と、黒人差別意識させること自体だろうか。(全体な気がしてきた)

「数は力」に関しては正当性があると思ってのこの書き方なのかもしれないが、それはマイノリティマジョリティの流動にしかならないのではと思ってしまう。

数は結果であることが望ましいのではと、素朴に思う。まあ、綺麗事なのはわかる。正当に数を得られるように頑張ってほしいものだ。

政治について学んでおらず、社会学に関しても知見が浅いので、これは当たらないかもしれない。(田中角栄しかでてこない程度の知識である。)

黒人差別意識させる書き方をしてることが引っかかるのは、これは黒人差別と同じものではないからだ。

ここからは本格的に蛇足であるが、考えたので残しておく。

ネットリンチは悪いものだ。

差別だって犯罪だってそう名のつくものは悪いものだ。だってリンチ差別犯罪からネットリンチ批判することに是非は問われないだろう。

ただ、ネットリンチというレッテルを誰か他者に貼ることはどうだろうか。

私は、この悪者としてのレッテル他者に貼ることが端的に言って怖い。

これを叩かれるのが怖いということだとは勘違いはして欲しくない。

ここでは、叩かれることは問題ではない、他者レッテルを貼ることが問題なのだ

それをするのは、覚悟必要だ。

その時周りなどは関係ない。私とその人との問題しかない。間違っていた場合のことを考え、極力それをしないように努めなければならないと私は考える。気分としては推定無罪、のような感じだ。自分責任を取れないと思うから責任を持って私はどちらに加担することもしない。

私は当事者でもその近くでもないからだ。

誰かが言ってるから、そんなことで自分の行動を決めてはならない。

大勢迎合することも好ましくない。責任に欠ける。

こばるさんのこのブログ記事は、前提がもう、ネットリンチというレッテルを誰かに貼っている。

想定されているだろう個別具体的な人々はいるのだろうが明確にはされていないから、私にはわからない。ネットリンチは無くさねばならない。

しかに当該の方にネットリンチと(法的、公的に)されることをしている人はいるのかもしれない。

それならば、その人は然るべき罰を受けるべきだ。

私もそのネットリンチをしている人々に対してのみに当てられたものだったら特に何も言おうとは思わなかった。

しかしこの記事では、ネットリンチとこばるさんが思うものについて、ネットリンチだと断定しない人間(中立)への批判がされていた。

私はそこにとても引っかかりこんな長文乱文を迷いながら書いている。

繰り返しになるが、ネットリンチだと判断するのは、ネットリンチ批判するその個人がしなければならないと私は思う。少なくとも、公的な場で決まりきっていないなら、そうなる。

それはしかし、「どう見ても正しさの欠片もないもの」と「正しいけど程度として問題があるように思えること」など、いろいろなものがあるのではないだろうか。私刑は正しいことではない。

少なくとも私は、ネットリンチというレッテルは、どこまでいったら貼って良いものなのかの知識はない。

こばるさんはそのような発言をして批判をするのなら、せめて、明確にネットリンチがなされていると自分が思う根拠を示す必要があったのではないかと思う。

このブログは、黒人差別問題彷彿とさせる。

しかし、黒人差別と同等なほどに、誰がみても、正当性を持って、ネットリンチと言えるものなのだろうか。こばるさんがネットリンチだと思っているものは。

ネットリンチというレッテルを使わずに、自分が目に余ると思う行為をしてる人たちについての問題提起をするということだって、一考の余地はなかっただろうか。ネットリンチとされなくても、人道的に嗜められるべき行為などはある。

私は少なくとも、一連を見てて何に義があるかというのは、簡単に言えるものではないと思っている。

いろいろなひとがいろいろなところでいろいろのスタンスで話してるのを見かけるからだ。

そこまで注視してない私ですら様々な意見を目にするのだからもっと様々な人がいるだろう。

私が見てる中にも、見てない中にも、ネットリンチに当たる行為があるのかもしれない。

ただ、私は誰かから困っていると言われたら、然るべき対応を、としか言えない。

手に余ることをするのは、無責任だ。

デマの流布をしないことが、一番私としては誠実な態度だと考える。

こばるさんの想定には私のような問題を外部から眺めている人間などが入ってないのかもしれない。ただ、この書き方はあまりにも広範な人を巻き込んでの批判ではないかと思う。

声を上げることそのもの正義、ではないと私は思う。

後半の論調的にはネットリンチ気づきつつ口をつぐんでいるサイレントマジョリティーを想定されているようにも感じられたし、基本的にこのブログ記事は、正義は我にあり、と信じて書かれているように思われる。

なので、正当な判断をしたらきっとこばるさんの側につくとこばるさんは信じているのだろう。

個人的には、正義は我にありと信じてやまない、揺らがない態度というのは、少々怖いものだと思う。

たとえ考えが変わらなく思えても、問い続けることは大事ではないだろうか。

乱文なので、また編集をすると思います。ここまで読んだ人がいたら、お疲れ様です。文意通らないとこあるかもだけど許してちょんまげです。

頓珍漢なこと書いている気もするけど、暫定的に。

2020-05-25

anond:20200525095753

ネトウヨばかりが選挙に行っているせいでサイレントマジョリティが勝てない」という設定どこ行ったの

2020-05-24

anond:20200524120252

ふー、びっくりした。でも、反対派の意見はほぼ一点に集中している。

今回のこたえは数字のうえでは「しなくていい」派が圧倒的だったけれど、

応募しなかった多数のサイレントマジョリティ考慮にいれて決定させてもらいます

2020-03-11

anond:20200311122809

クズ男は少々残念な女としか出会ってないんだけども

クズ男が「女はみんなバカだぞ」と言えば非モテ鵜呑みにしてしまうのが問題

普通の男はサイレントマジョリティーだしな

2020-02-08

学生が動かなくても対処してやれよ。指示待ち人間か。

うん。政府は指示待ち人間なんだ。行政には「申請主義原則」というものがある。基本的政府は、市民に言われないことはやらない。これは怠惰からでも無能からでもなくて、自由主義現代社会の基本原則の一つだ。新しい政策も、基本的には、政治家への陳情業界団体政府への要望書の提出をきっかけにして作られる。消費税増税経済界から要望があった。(防衛とか外交ちょっと別)

指示待ちの反対を考えると、行政市民社会のあるべき姿へ向けて自律的に動くという状況になる。そのためには行政が「市民社会のあるべき姿」をあらかじめ把握しておく必要がある。現実問題として、市民の多様なニーズを全部把握するのは不可能なので、行政があるべき姿を決めるということになる。行政が正しい市民社会を決めるというのは現代社会にそぐわない。

原則として、自由民主主義国家政府は自らの意思を持って動く機関ではなく、市民意向体現し、市民意思に従って動く機関だ。(安倍首相特定の層の有権者意向体現している)だから学費を下げるべきだと思うなら、何らかの形で政府市民要求を伝えなければならない。単にツイッターつぶやくのではなく、デモ計画し、実際にデモ場所に出向いてデモ行進を行うことでは、行政の受け取り方が違う。政治家の反応も違う。サイレントマジョリティ意見は、政府政治家にとっては、「別に声を出すほど困ってないんだな」と受け取るしかない。

2020-02-07

からやってきてトップブコメをかっさらっていく奴

もうほぼほぼ同じ意見で固まってるブコメ群に突撃し、かといって自分意見などを特に言うことなく、その場の誰よりも元記事本質看破し、それまでに付いたブコメ違和感をうまく整理して、鮮やかに100字以内にまとめ上げ、同じように違和感を抱いていたけれどどうにも言語化できなかったサイレントマジョリティブコメスト達のハートキャッチし、気が付いたらトップブコメになってる奴

稀にいるよな

俺はそれを目指してる

2020-01-24

欅坂46について、私が伝えたいいくつかのこ

欅坂46は、2016年末までは最高だったの。

反抗、不健康、暗い、厨二病、などのネガティブイメージではなかったの。

2016年4月6日発売の1stシングルサイレントマジョリティー」は大人への反抗だけでなく、

「君は君らしく生きて行く自由があるんだ」「Yesでいいのか?サイレントマジョリティー」と他者にも蜂起を促す曲なの。

のちの1stアルバム「真っ白なものは汚したくなる」のリード曲「月曜日の朝、スカートを切られた」はサイマジョの前日譚とされたけど、

歌詞を読んでも全然つながらなくて、全く文字通り後付け設定なの。

メンバーはどちらかといえば大人しいタイプだったけど、この頃は冠番組「欅って、書けない?」などでキャッキャしてたの。

センター平手友梨奈さんは流れ星ちゅうえいが好きと公言し、振られたらGO!皆川の「うんちょこちこちょこぴー」とか、「コマネチ」とかやってたの。

最近イメージからは信じられないでしょ。

パフォーマンスにおいても、

顔面真っ白で体調悪そうとか、俯き気味で髪で顔隠しがちとか、みんなでやるおじぎを一人だけしないとか、当日まで出演するか不明とか、

そういうのはなかったの。

グループとしても「普段普通にアイドルだけどパフォーマンスはかっこいい」っていう、最高にクールグループだったの。

のちの演出過剰な「笑わないアイドル」「アーティスト」って言葉に乗っかっちゃうようなイタさとは違ったの。

2ndシングル世界には愛しかない」、3rdシングル「二人セゾン」も素晴らしかったの。

これらの表題曲だけでなく、カップリングユニット曲あり、ソロ曲ありで楽曲の幅が広くて、厚みがあったの。

3枚のシングルを経て同年12月24日と25日に有明コロシアムで初のワンマンライブをやったの。

本当に奇跡のような1年の集大成で、Abema TV生中継もされたかファンはみんな見れたの。

そこのアンコールで「W-KEYAKIZAKAの詩」という曲が初披露されたのだけど、

夢に向かうメンバーとそれを応援するファンを包み込むまさにアンセムで、

こんな幸せはないってぐらい幸福の極地だったの。

本当に2016年末までは最高だったなぁ。

2020-01-18

ソシャゲ無課金サイレントマジョリティじゃないの?

ソシャゲ課金ばかりの話を聞くけど、課金率でググった諸々のサイトデータによると無課金が圧倒的に多い

熱心な信者が集まるゲーム攻略サイトでも課金してるのは数値として精々三割前後と見受けられる

課金システムガチャ依存の~だの言われるけど、大半は無課金な訳で例にも漏れず私も無課金

過去に400万課金fgo女とか居て物議を醸してたけど、正直そもそも大半のユーザー無課金から心境があんまり理解できないのでは?

だって無課金勢という大半の人は射幸心に負けずにプレイできてる訳で、そういう人間にしてみれば400万も課金してるとか「ちょっと意味からないですね」「えっ…(ドン引き)」という別世界出来事

つまるところ、あの話は課金してるであろう一~二割の人達だけで問題にして論議してる狭い世界の話じゃね?とは結構本気で思う

からガチャ規制論議の話されても尻切れになるのは(俺私は金払わないし)好きにすれば?という無課金勢のサイレントマジョリティ面もデカいというのではと持論を述べてみる



◆ここからは毒吐き

私自身は無課金だけどもガチ勢型月厨のつもり、逆に400万の人はキャラ欲しいという射幸心fgo課金してるだけの人

熱心さから課金してる訳でも無い(最初はあったんだろうけども継続しない)のを見ると、ますますこの手の後悔する廃課金という人種は「理解できない残念な人」という認識が強くなった

※鯖コンプするのが本当のガチ勢~みたいなマウントは知らん

個人的にはマテ本でもっと設定読めるから充分と思ってる

2020-01-11

成人の散文

私は1999年まれだ。

まり成人し、明後日の1/13に成人式が控えている。

しかし、私は参加しない。

当然、参加しないという人たちは多数いるだろう。どれだけの人が参加し、不参加なのだろうか。

私の周りでは参加する事が当たり前のようである。そんな中、参加するのかと聞かれて、正直に答えるのは面倒なので適当お茶を濁すのだ。

参加しない事自体には何も負い目を感じることはないのだが、一つ心に引っかかる事がある。

両親に成人式に行くという事実を伝えられない事だ。晴れ着姿で友達と意気込んで会場に向かう、その姿を見せられないことだ。

こんな息子は親不孝者であろうか、そんな念が頭をよぎってしまう。

高校に行ってない16歳もいる」

私はそうであった。高2の春から不登校になり、年内で中退した。

卒業式も親に見せることが出来なかった。これは私自身大変悔いが残っている。

そんな事もあり自責にも似た念に駆られている。

私は現在大学生であるが、高校中退をしているという事をカミングアウトした人物は2人しかいない。

怖いのだ。

何に恐れを抱いているのかは分からない。これまでに打ち明けた2人には大して気に留めず肯定的に受け入れられた。

実際、気にするような事でもないのかもしれない。

ただ、怖いのだ。

これがいわゆるコンプレックスなのだろう。

世代マイノリティになることへの恐怖として。

マイノリティというものへの潜在的な恐怖が私の頭を蝕んでいる。ただ、それと同時にただのマジョリティサイレントマジョリティにはなりたくない。

そんな中二病じみた自己矛盾を抱えながら成人の日を迎える。

2019-10-24

インターネット不寛容さが可視化されるシステム

例えば「50歳の男性20歳女性結婚しました」という微笑ましい体裁ニュースが有ったとする

 

それを見た6割の人が「どうでもいい」と思い、2割の人が「微笑ましい」と思い、2割の人が「けしからん」と思ったとする

ここでコメントを書いたり拡散するのは「けしからん」と思ってる人だ

そこで議論が発生するとそこに人が集中する

けしからんか否か」という話はやがて「けしからん話題に」になる

 

インターネットはそういう感じ

寛容な人ほどサイレントマジョリティー化する

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