はてなキーワード: ウイスキーとは
人との待ち合わせのため上京したのだけど、
そしたら棚に山崎の18年が置いてあって、
えっ、こんなところにあっていいの?ほんとにいいの?飾りじゃないの?
聞けば、18時以降にお出しする、と。
メニューにないので少々お待ちを、だとか
チェイサーのソーダをソーダ割ですか?と聞き間違えたり、
若干不安になりつつも目の前でボトルを開けていただいたウイスキーは
屋台のちっぽけな光に映えるような、飴色のような琥珀色をしていた。
鼻を翳すと、色に似つかわしい豊満な香りがすぐに吸い込まれていった。
アマゾンさんで購入しようとすると、
同じ年付き、同じラベルで、700mmのボトルが45000円くらいだったか。
飲み干してもお釣り取れるよ、つーか東京住みなら毎晩通いたいよ!?
滅多に出来ない経験だった。
ゆ~きよ、いわ~よ、われらーが宿り
ふふふん、ふふふん、ふふふふふふふん~
祝日ね。
損した気分じゃないかしら?
うふふ。
や~まはしろがーねー、かぜきるはや~さ~
ふんふんふん。
山の歌って雪山な感じが多いわよ、
夏の感じに涼しいかしら
と言って今日は山とか登らないけど。
そうそう、
ウイスキーがお好きでしょ、
って歌あるじゃない、
あの歌を浸っていい感じに歌い上げてる女は
飲ませてくれるわよ!
やっぱり心なしか茶葉が多い感じがするので、
うーん、このくらい少なくても大丈夫かしら?って心細い感じの量でも
やってみるときは、
出だしを見てから調整してみてね。
お口の中がスッキリ爽快よ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
チャオ!アミーゴ!
暑さでバテ気味よ!
ここは牛の赤肉を求めて、
近くのジャスコに行ったの!
生肉買ってこれから調理したり焼いたりするのが面倒だったので、
ローストビーフ買ってみることにしたの。
私としては、
ギブミー厚い牛の赤肉!だったので、
物足りない感じなんだけどね。
美味しいんだけど、
もっとやっぱりギブミー厚い牛の赤肉なのよね!
がっつり夏は赤肉食べたいわ。
初めて使ってみたの。
何かしら背降る支払いレジって。
要は、
レジのお姉さんが、ピッてやってくれるけど、
支払いは、それぞれの支払い端末に移動して
おそらくよ、
レジで一番もたつくのはお客さんのお金支払う時ってことがFAだったのね。
ごめんなさいジャスコーン!
まあ、
そんなこんなで、
ギブミー牛の赤肉だったので
元気いっぱいよ!
たまには牛乳もいいわ。
最近気づいたわ。
煮沸かしたやつがなくなったので、
今度は水出し麦茶を仕込んできたわ。
すいすいすいようび!
今日も頑張りましょう!
もちろん比喩ではない。
私は最寄の駅にあるコンビニで、40度のウイスキー二本と梅酒と炭酸ジュースを買って家に帰った。
そして「次に死にたくなったときのために」ととっておいた向精神薬(よく覚えてないが、ストラテラやジプレキサ、トリプタノールなど10種類くらいあったと思う)を酒で煽るように飲み込んだ。
私は夫が自室に入ったのを見計らい、薬・酒・財布・電話だけを持って逃げるように家の近くの公園に走り込んだ。
そこにあったベンチに座り、なにも考えず、とにかく飲み続けた。
私が覚えているのはそこまでで、気がついたら家の布団にいた。
私は驚愕した。酒を飲んでいたのは金曜日の話で、土曜日がなくなっていたからだ。
夫によると、公園で倒れていた私を誰かが通報したらしく、警官が私を家まで連れてきてくれたそうだ。それからずっと眠り込んでいたと。
もちろん、そんなことは一切覚えていない。
夫は泣きそうな目をして、君が生きて帰ってきて本当によかったと言った。一言も私を責めることなく、泥まみれになった私を洗い、トイレに連れて行き、ずっと私のそばにいてくれたようだ。
私は今、正規の社員として勤め、そこそこの収入があり、優しい夫がいる。
それでも私は、会社で同僚に言われた一言に激しく傷ついた時、「これがきっかけで、やっと死ねるのではないか」と一種待ち遠しい気持ちになったのだ。
私が初めて死にたい気持ちになったのは小学生の時だった。当時見た「シックスセンス」の中で、母親が食事に洗剤を混ぜて子供を殺害したシーンをみて、「これだ!」と天啓を受けた気持ちになった。
私は観賞した数日後に、台所にあった味噌汁の中に洗剤を混ぜて飲み込んだ。何かに混ぜなければ、原液ではとても飲み込めなかったからだ。
だが、私の身体には何の変化も訪れなかった。
その後も、友達とふざけたふりをして体育館のギャラリーから飛び降りたり、完全自殺マニュアルを買って首吊りを試みたりした。
電気の延長コードがカバンの中に入っているのを見た友人は不思議そうな顔をしていたが、まさか何時でも首を吊れるように持ち歩いていたなど知る由もないだろう。
自殺を試みていることを人に言ったことはない。 身体に跡が残るようなこともあまりしない(リストカットなどは考えたこともない。あれ、死ねないらしいから)。
自己啓示欲でも本当に迫れているわけでもないなら、私は何でこんなに死にたいのだろうか。
私が発達障害者だからだろうか(でもそれならこの世に発達障害者はいなくなってしまう)精神科にはずっと通っているが、はっきりしない。
きっとまた、私は死にたくなるのだろう。
ブコメで「嫌なことから逃げ出したいけど確実に死ぬのも恐いから不覚時な方法をとって死ねたらラッキーくらいの気持ちなんだろう」とつきそうだし私もちょっとそう思う。
週のど真ん中ではあるけど、久々に一人で飲みに行こうと思って焼き鳥屋に行ってきた。
一度友人と一緒に行ったことがあるだけだったから、一人で行くのはちょっと緊張したけど、まあカウンターに座ってしまえばどうとでもなる。
周りにも酔客しかいないし、変にカッコつけたりしなければ別に恥ずかしがるようなことはない。
そのウイスキーハイボールでしか飲んだことないやーって言ってたらストレートで一杯分サービスされた。
普通にバーで飲むワンショットより多いぐらいの量注いでくれて、うれしいけど振れ幅でかすぎて酒量の計算が狂うよ!
でもどうしても日本酒とあわせてホタルイカの沖漬けとじゃこ天も食べたかったから、
頑張って喋りながら時間かけてウイスキー飲みきってから、もう一杯日本酒飲んで帰った。
結局、酒4杯に串6本アテ3品+突出し。
予算はしれっとオーバーしたけど、お店とメニューに慣れるまではつい色々試すから仕方ないと割り切ることにする。
久しぶりに宇多田ヒカルの「Time will tell」が聞きたくなって、本当はネットからすぐにダウンロードできるのだけれど、一駅分となりのTSUTAYAまで自転車を走らせる。春はあけぼの、とは言うけれど、実際わたしは春は夜のほうが好きである。ふわふわした陽気と、新年度の賑々しい人の声、あたたかな街のネオンは、わたしにまるで夢の中にいるみたいな気持ちをくれるのだ。三月の沈丁花の香りが春のはじまりを告げ、いつしか桜が咲き、そのあとにツツジ。東京都心はいわゆるコンクリートジャングルのようだけれど、よくよく見ると季節感にあふれている。思えばわたしが東京で春を迎えたのは、こちらの大学に入学したときのことで、もう七年も前のことになる。あのとき住んでいたのは久我山で、はじめて神田川遊歩道の桜並木をみたときは、もうなんだか、これからいいことが起こるんじゃないかというわくわくした気持ちになったものだ。たぶん久我山という場所は田舎から出てきたわたしにとっては、適度に自然を感じられる良いところだったのだと思う。井の頭線に乗れば吉祥寺にも下北沢にも行けるし、賑やかさを感じたければ渋谷へもすぐに行ける。東京というところはなんと表情豊かな街なのかと、そのころのわたしは感じていた。七年後のわたしはいまだにそう思っているかというと、ちょっと感じ方は変わってきた。もちろん、一駅一駅表情は違うのだけれど、駅を出て出迎えてくれるのは、同じコンビニ、同じ牛丼屋、同じコーヒーショップと、まるで金太郎飴のようなチェーン・ストアの数々。いまでは部屋の壁紙みたいに思っているが、一時はあの感じにほとほと嫌気がさしていた。まぁしかし、今では地方にいってもどこにでも似たような大型ショッピングセンターがあり、駅前の商店街はシャッターで閉ざされ、という感じなので、あの閉塞感にさいなまれるよりはいくらかマシだろうとは思っている。逆に言うとわたしが東京に住んでいる理由はそれくらいしかない。あとは仕事があるかないかくらいの違いだ。
TSUTAYAでCDを借りたわたしは、閉店間際のスターバックスでドリップ・コーヒーを買って外に出た。歩道の柵に腰かけながら飲むコーヒーはまだ少し熱くて、オトナの男性がウイスキーをストレートでたしなむみたいにちびりちびりと飲むほかなかった。オトナ。あれからわたしはオトナになれただろうか。陳腐な問いである。わたしはコーヒーをブラックで飲めるようになったとか、異性と何人か交際したとか社会人になったとか不倫をしたとか、そういう経験値的なものはそれなりに積んできているが、本質的には何も変わっちゃいないと思っている。ただ、子どものときの、あの何もかも新鮮でわくわくを感じさせるきらきらとした気持ちだけが徐々に鈍く灰色を帯びたものになっていく。それがオトナになるということなら、なんとつまらないことだろうか。大学でつるんでいた友だちは私を除いて皆実家暮らしで、一般職で就職して、さいきんは今の彼氏と結婚すべきか否かみたいなことを口をそろえて言うし、平日は定時に退勤する生活を送り、年に一、二回は海外旅行へ行く。彼女たちの違うところは、付き合っている男の顔と、あとは旅行の行き先くらいで、こいつらもやはり金太郎飴だ。たぶん海外旅行というのは、わたしと同じように何事にも刺激を感じにくくなったオトナたちが苦肉の末に発明した麻薬みたいなものなんだろうと思っている。わたしは表面的には彼女たちと仲良くやっているつもりだが、大学を出てからはなんとなく距離を置くようになった。たぶんわたしのほうが「彼女たちとは違う」意識をしてしまったのだろうと思う。ワタシハアナタタチトハチガウ症候群。実際にはなにも違わない、わたしも金太郎飴の一部なのだ。ただただ金太郎飴であることから逃れたかっただけで。
幸せとは何だろうかということを考えるととたんに頭の中は穏やかではない不安で満ちることになるから、いまではそういうことはもう考えなくなった。ただ、春の花のにおいで季節を感じるとわたしはなんとなくよい気持ちになるし、幸せとはそのぐらいの観念で良いだろうということにしている。わたしはコーヒーを飲み干し、目を閉じて大きく深呼吸した。さぁ、明日からまた仕事だ。そう自分自身に言い聞かせるように自転車のペダルを踏みだした。
実家にお金入れて、奨学金返還して、父の車のローン払って、もういっぱいいっぱい。
友達との縁も切りたくないから交際費もかかるし、ぎりぎり切り詰めて月々貯金に回せる額が6万円(自立の為に3万+将来の為に3万)
家ではちょっと贅沢して新作DVD借りてヱビスビール買って、家で飲みながら見るような週末。
私には2年付き合ってる彼氏がいるんだけど、まーなんというか、お金に困ったことの無い人というか、高収入ゆえの金銭感覚の違いみたいなものを凄く感じる。
名門中高進学校→有名私立大→大手メーカー総合職→特待生、な順風満帆な社会人生活。
手当も沢山もらって、家賃も光熱費も全て会社持ちの、利便性の高い立地のマンションに住んでる。
具体的な金額は聞いたことがないけど多分相当貰っていると思う。(趣味はバイクとウイスキー集めで、そこらへんにお金を注ぎ込んでもまだ十分貯金できるくらいの余裕があるらしいので)
そんな彼だが、私にもその金銭感覚でもって話しかけてくるのが最近苦痛になってきた。
「一緒にツーリング行こうよ!たった10万あれば免許とれるし!ほらこのバイクなんか中古で68万だって!安くない?」
「この25年もの、すごく美味しいよね?最近よく飲んでるんだー。増田ちゃんも今度お薦めのお酒持って来てよ!安いのでいいから!」(それって鏡月とかでもいいわけ?)
「これ安くて品質いいし衝動買いしちゃったー!」(と言って3万円もするジャケットを見せてくる)
極め付けは「仕事でイタリアに行くことになったから遊びに来て!30万あればいけるから!」(一体どこから30万円を捻出すれば良いのやら)
それ相応の給料を貰っている人はその分消費して経済を回す方が良いのだろう。高い収入は彼の能力の一つでもある。そこはとても、とても尊敬する。
でもその金銭感覚を私にまで押し付けないで欲しい。まぁ、押し付ける気は全くないんだろう。彼の中での10万円って、多分そんなに高くない金額だと思うし「たった10万」は彼にしてみれば気遣いの一言なのだ。
彼の周りもボンボンから大企業に入った人ばかりだし、多分、手取り12万の正社員が存在していることすら知らないんじゃないかと、私は最近思っている。なんかむかつく。
そんな彼氏に最近プロポーズされた。イタリアから帰ってきたら結婚したい。考えといてね、だって。こんなに金銭感覚が違う人と結婚して、果たして大丈夫なんだろうか。
勿論彼のことは総合的にみれば本当に尊敬してるし、こんな奴にプロポーズしてくれる人なんてめったに居ないと思うので、受けるつもりでいるのだが。
「高収入の男性と結婚」てすごく世間的には憧れの対象かもしれないけど、私はどっちかというと、彼と私の格の差を生活レベルで毎日見せつけられるような予感がしてて、とてもじゃないが舞い上がる気持ちになれない。
高収入の男性と結婚→私が高収入になるわけではない。私は私で手取り12万の女のままだ。
だから私自身の生活レベルが変わるわけでは無いし、このみみっちさも変わるわけではないのだ。
かといって貧乏な男と結婚したいかと言えばそうではない。上手く言葉にできない。夫の収入で賄うことが何だか「負け」の様な気がしてしまって甘えられない。
私だってさぁイタリア行きたいんだよ。彼に会いたい。でもいきなり30万ポンと出せるわけないだろ。15万ならなんとか捻出できそうだけど…30万って…。
「15万円負担してください」って、言いたいなー……でもやっぱ、言えない……
なんでこんなやるせない気持ちにならなきゃいけないんだ。
以前、バーテンダー修行をしていたバーで、ある団体さんがみんな「おい。ウイスキーの水割り、遅いぞ。早く持ってきなさい」とか「こっちのお皿あいてるぞ。下げなさい」とかって感じの注文をすることがありました。
服装はスーツの人もいれば上下ジャージの人もいます。ガラが悪い印象はなく知的な感じもします。すると先輩のバーテンダーから「あの人たち、教師なんだよ。あの命令言葉、いちいち気にしなくて良いから」と教えてもらいました。
そうなんです。教師という仕事は毎日ずっと「○○しなさい」と言い続けているから、ついつい酒場でも「若い雰囲気の僕たち」に、そういう言葉遣いをしてしまうんです。
これはあくまで東京都区部を生活圏にしている自分から見て、という話なんだけども、
どうもここ数年、酔っぱらいにやさしい風潮が広まっているような気がしてならない。
というのも、電車の中でビールやチューハイの缶を袋で隠しながら飲んでいる人は前から多少はいたが、
近頃は会社帰りのリーマンが連れだってコンビニからビール缶を手に手に出てくる。
またメディアでは「昼呑み」やら「朝呑み」やらが取りざたされ、店先でもアピールに余念がない。
立ち飲み屋が世代問わず人気だったり、いわゆる「センベロ」という言葉を聞く機会も増えた気がする。
ふと「ハイボールの流行」がその流れに影響しているのではないか、と思った。
いつからだか具体的には思い出せないが、じわじわとハイボールが流行りはじめた。
自分の周りでも、最初の数杯はビール、あとはハイボールで、という人が増えた。
そして今や「流行り」ではなく「定番」として受け入れられている。
扱われ方としては、ビールの代わりにゴクゴクいける酒、という感じか。
しかし、このハイボールはウイスキー、つまりはハードリカーを割ったものだ。
ゴクゴク飲む酒として代表的なのはやはりビールだが、アルコール度数は5度前後のものが多いだろう。
一方、ハイボールはどうか。
それにもし、これを自宅でつくって飲むとなれば、
酔いが進むと同時に濃くなってゆくのも自然のこと(自分のことです)。
実際、サントリーが缶で売ってるハイボールは通常で7%、「濃いめ」と称するもので9%だったと思う。
15度前後の日本酒やワインをビール感覚で飲む日本人はそうそういない。
確かにハイボールはそれらと比べれば低い。
低いが、ジョッキとか、メガハイとかいうノリでゴクゴク飲んじゃってもいいような酒なんだろうか。
でも「酒離れ」にはなっていないのではないかと思う。
ハイボールの流行に関して、これもまた自分の感覚なんだけれども、
簡単な話、ハイボールがなぜ流行ったかというと「安くて強い」からだ。
あの地震の影響もあるかもしれない(時期的にも少し被っている気がする)。
そしてどうも最近、ある種の「諦念」が世の中に蔓延しているような気がしてならない。
これ以上がんばってもどうしようもない。報われない。あの頃とはもう違う。
それならせめて楽に(酔っぱらって)生きようじゃないか、という空気が。
しかしハイボールという酒が、その流れを加速させているような気がしないでもない。
水は低きに流れるという。なら酒はどうか。
もっとも、自分自身も他ならない(からこそこんな文章を書いてみた)。
そんな流れに流されまくって週末ともなれば昼から酒浸りになっている自分のような人間は、
ハイカーストのお歴々にひたすら搾られる側なんだろうな、とも思う。
といったことを考えながら通勤電車に乗っていたら、
「私らしく、なんてどうでもいいじゃない。」
何とも言えない気分になった。
「行きつけのバー」
男なら誰しもが憧れるだろうが、そう簡単には手に入らないソレ。
僕は冷や汗をかきながらトイレを探していた。
トイレを貸してくれそうな店はない。
そう思った時に目の前で店のシャッターを開ける、
「すみません。お腹を下してしまって、トイレを貸してはいただけないでしょうか」
と、持ちうる限り最大限の丁寧さでお願いした。すると男性は、
「いいけど、なんか飲んでって。ここ、バーだから」
と、真顔で答えた。
(この人、腹を下してる人間に何を言ってるんだ……)
お飲み物の代金をお支払する形ではダメでしょうか」と提案すると、
「じゃあ帰りに飲みに来て。ここはバーで、トイレじゃないんだ」
男性はそういうと僕を店内に手招きした。
(そうなると、僕は帰りにここに寄らずに、そのまま帰ることもできるのに、
なんだかとても変わった人だなぁ)そう思いつつ、トイレを済ませると、
「では、帰りに寄らせてもらいます」そう言って僕は店を出た。
面倒だから帰ろうかなとも思った。けれど、ちょっと様子を見てみよう、
そんな気になって、僕は帰りにその店の前を通った。
ガラスがはめられたドアをそっと覗くと、
やはりというか、当然だが、この店のマスターだろう。
正直に言うと、その姿があまりにもカッコよく、様になっていて、
僕は無意識の内にドアを開けていた。
「あんた、変わってるね」と無表情に言った。
(それはあなたの方では……)と思っていると、マスターはグラスを出しながら続けた。
「寄らずに帰ろうと思えば帰れた。けれどあんたはここに来た。
あんたいい人だ。今日は店を休もうと思ったけど、開けてよかったよ」
そういって丸氷を入れたグラスにお酒を注いだ。
目の前に琥珀色より少しばかり深く落ち着いた、何とも美しい色のお酒が出された。
当時、酒を全く知らなかった僕は、とりあえず値段が怖くなり、
「お幾らですか?」と財布を出しながら聞いた。マスターは
「俺は一杯飲んでけ、と言っただけで、金をとるとは言ってない
この一杯はプレゼントだ」と優しく笑った。
その後、僕はこのバーに足しげく通い、色々な人と知り合った。
そんな矢先、マスターが亡くなった。
いつだっただろうか、常連達でしっぽり飲んでいた夜、
『落ち着いたバーですね。僕好きです』みたいな若造が増えた
俺はそういう客は好かないんだ。機械による巡り合わせは好かないんだ」
僕も含め、何かしらおかしな巡り合わせでこの店とマスターと縁が出来た常連達は、
必死にネットを探し、掲載元に記事を取り下げるように頼んだりした。
けれど、大半のところは「言論(表現)の自由だ」と取り合ってくれなかった。
そんな中、マスターが暫く店を休むと言った。
今思えば、あの頃から体調が悪かったのかも知れない。
そのまま復帰の知らせのないまま、常連仲間からマスターの訃報を聞いた。
会場には見覚えのない女性が2人いて、話を聞くと離婚した元奥様と娘さんだった。
マスターは自分の話を全くしない人で、「俺は既に天涯孤独だ」と言っていたので、
我々はそれが本当だとてっきり信じていた。
「これを渡すように、と言われました」と僕に1本の酒を渡してきた。
何でも亡くなる少し前に、マスターが2人に、僕に渡すように言付けたそうだ。
具体的な商品名は控えるが、某日本メーカーのウイスキー(50年)と言えば、
分かる人にはその価値がわかると思う。何故こんなものを僕に、と混乱していると、
娘さんがバーで使われていた伝票を渡してきた。裏には走り書きの文字で、
そう書いてあった。
「行きつけのバー」
僕に人生とは何か、人付き合いとは何か、
大人になるとはどういうことかを教えてくれた、大切な空間だ。
男なら誰しもが憧れるだろうが、そう簡単には手に入らないソレ。
僕は今後の人生において、もう行きつけのバーをつくることはないと思う。
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