はてなキーワード: つのとは
それで不正が出てきたら偉いかもしれないが、出てくる前から「あいつは誘拐犯だ詐欺師だ横領犯だ」と中傷し続けたのにいまだに出てこないのに疑問を持てないのは夫婦そろっておかしい
端的に言えばただのデマ屋がデカい声で言い切ったら信じてしまっているだけ
特に5・6・7間の差が大きい。
値段が大きく変わる。
昔は単行本割引は古本屋の値付けしたいだったけど、今は出版社主導のもと50%オフや10円セールなんかがしょっちゅう行われている。
そういうのに関わることなく定価で売り続けている漫画とそれ以外の差はあまりにも大きい。
時間はかかるがチケットで全話無料なんかも貧乏人、とりわけ時間だけはあり余っている無気力オタク学生や引きこもりニートなんかは毎日張り付いて広告視聴やボーナスコインなんかも合わせて1年で500話ぐらいアッサリ読んでしまうだろう。
恐ろしいものだ。
貸本屋から単行本商売、そして雑誌全盛期が来たことを思えば、変化なんてのはいつの時代もあるって話だが、それにしたって久しぶりの大きな変化だ。
次にくるマンガ大賞にWEBマンガ部門なんてあるのはもう完全に時代の切り替わりだ。
今や連載部分は無料で読ませて、気に入ったら単行本をどうぞの世界だ。
アプリ連載でちょっとしたオマケ部分を課金コインで売ってそれで儲けてる所だってあるらしい。
まっ、昔からテレビはNHKがショバ代召し上げてただけで地上波は無料だったし、ラジオなんてプロパイダ料金だっていらないんだからさ。
でもそういうにはCMってのが挟まっていたわけで、昔は雑誌の漫画だってページの真ん中にドーンと広告があったわけじゃないかよ。
それがいまやターゲット広告で最初と最後にチョビっとつけて終わりだが、それで基本無料で読ませてございだ。
これぞまさに意識の変化、感覚の変化、時代の変化、常識の変化だ。
いやはや、ジジイにはついてけねえよ全く。
そんでネットで話題になるのはどれもこれも基本無料の漫画だってんだから。
訳知り顔で考察なんぞしてるやつのうち何割が金払わなきゃ読めなかったらそもそも興味も持たなかったやら。
昔から断絶ばかりだったとは思うけどさ、「りぼんとゴラク両方買ってます」なんてのは相当気合の入ったオタクぐらいだったもんだからねえ。
職場で性的に嫌な思いをしたら女性が働けないのでよくないですよねというレベルの話なんだよね
数多くの悪しきフェミを倒しTwitterを救い、その後 いずこかへ消えた……
Twitterが乱れる度に、人々は伝説を語り、救いを願った。
人の世の興亡はくり返す。
安倍晋三による平和な時代が終わり、分裂と闘争の時代が始まった。
ひまそらあかねの名はふたたび語られ始めた
そして、彼は来た
YouTubeの再生リストはブックマークじゃなくて再生リストなのが気に入らない。
再生リストを先頭から順に再生したいことなんてほとんどなくて、その中の1つを再生したいだけなのに、再生リスト自体を再生しないと、再生リストの中の1つの動画を再生できないのは不便。
再生リスト自体を再生すると、無駄に再生した動画が履歴に入るし、じゃあその余計に再生した1件の履歴を削除したくても、削除すると×をクリックした1件だけじゃなくてその動画の履歴がまとめて削除されるし、融通が利かなすぎる。
ワイなんか、屋久島に遊びに行って、そこの宿の主人と仲良くなったらいつの間にか、
その宿のお客さんの送迎をワイがすることになってたんだぞ
その代わり晩御飯は豪華にしてくれた
同年代の活躍してるやつの情報がSNSでバコバコはいってきてしまう
それで発奮してやる気だすやつもいれば
て考えたらこれほどIT社会になってなければ多分こんなに自殺とかはない気がする
でもこれってコントロールされてることに意識的にならんといかんのではないか
嫉妬させようとしてる奴がいて
そこに注目を集めてそこで儲けてる奴がぜったいいる
嫉妬したら負けなんじゃね?
伊藤匠が同世代の藤井聡太を破ったというニュースがあったようだが、こういうライバル関係は大好物だ。
将棋のことはよく知らないのでこの件についてはここまで。あとは好きなライバルを発表していくよ。というより自分用のまとめだね。
ライバル関係といっても、多くの共通点と少しの大きな違いがあるのが私は好きだ。
年齢や種族や得意なものは近いといい。しかしあまり似すぎると微妙。
生い立ちは違ってると面白い。英才教育を受けた天才VS野生の天才、的な。
ライバルなので思想や敵味方は違うことが多いね。後に共闘すると熱い。
こういう要素がその作品を読んだり見たりするきっかけになることが結構あった。
それに対して特効薬的なアドバイスを期待しているなら、それは難しいっす。
現実的には、増田ちゃんが言っているように、病気や障害に悩まされている状況では、自己肯定感を保つなんて簡単じゃないっす。
「生きてるだけで偉い」なんて言葉は確かに、特別な努力をしている人に向けられることが多いけど、増田ちゃんの場合も、ただ生きているだけで十分に大変な状況にあることは否定できないっす。
普通の健康な人が日々やっていることすら、多くの障害や病気を抱えている状況では、大変な努力が必要っすから。
もし少しでも自己肯定感を上げたかったら、まずは小さな成功を見つけることが大切かもしれないっす。
ほんの些細なことでいい、たとえば今日は少しだけ体調がよかったとか、何か小さなことを達成したとか。それを見つけて、少しずつ積み重ねていくっす。
ボランティアや社会奉仕活動が無理なら、自分のペースでできる趣味や活動を見つけるというのも一つの方法っす。
外に出ていなくてもできることはいくらでもあるっす。
それデモいい
それデモいいと思える
故意だった
怖い 暗い 覚えてるの〜
犯しでしょ〜
総意って笑ってよ
わかれているのnear鉈の事ばかり
"防衛相、初訪沖で玉城知事との会談見送り 国と県の溝浮き彫りに"
一人になると考えてしまう
"基地問題で保革の対立が先鋭化しがちな県内政界で、党派を超えてまとめてきた原動力は「【私利私欲】を捨て、大局を見極め判断することだ」と強調"
あの時 私 忘れたらよかったの?
もう二度と戻れなくても
"... 二度と戻れない人も沢山いた。何という悲劇・しかし、更なる悲劇が沖縄の人々を襲うことになる。沖縄に駐留した米軍兵士の「軍紀は世界中の他の米駐留軍のどれよりも悪く、沖縄は米陸軍の才能のない者や、のけ者の体のいいハキダメ」(ジャーナリスト ..."
今は無料 a 鉈 a 鉈のことだけで
★あなたのことば借り
「鉈を貸して山を伐られる」(なたをかしてやまをきられる)の意味
https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/3949.php
"琉球王国が誕生する前は、沖縄本島は「南山(なんざん)」「中山 (ちゅうざん)」「北山(ほくざん)」の3つの国に分かれ争っていました。この頃を三山時代と..."
バカかどうか測る。
つまり、ばかり。
366日
ーーーーー
続き
『将棋×音楽 スペシャルコラボイベント 駒音に耳をすませて。』
か調布であったようだ。
https://x.com/cmf_pr/status/1804138179341291737
蒼い鳥弾いてくれました。
254=じこし=ニコし。
俺は断固として言うね。たこ焼きは立派にご飯のおかずになるって。
さっき、昼休みに同僚が「たこ焼きは絶対にご飯のおかずにならないだろ」って言ってきたんだよ。その時のあいつの自信満々な顔がムカついた。なんでそんなこと断言できんのかって。
いやいや。たこ焼きっておかずになんだよって俺は力説した。
まず、たこ焼きのあのソース。既にあれがもう、ご飯との相性抜群。あの濃厚なソースが白米に絡むと、もうたまらんのよ。
それに考えてみろよ。たこ焼きって具材も結構バラエティ豊かだろ?タコはもちろん、ネギとか紅ショウガとか、マヨネーズもかけるし。そんなもん、もう立派なおかずじゃねえか。
それ全部ご飯と一緒に食べてみ?口の中が祭りになるんだぜって言っても、同僚はまだ納得してなかった。
「たこ焼きはあくまで軽食とか、おやつの類だろ」と同僚は言い張った。俺はムカついて、「お前、それ偏見だって。たこ焼きのポテンシャルをちゃんと理解してねえんだよ。たこ焼きはな、工夫次第でどんなシーンでも主役になれるんだよ」って言ってやった。
最終的に、「じゃあ今度、お前ん家でたこ焼き定食やってみろよ」って言ってきたから、「いいぜ、証明してやるよ」って受けて立った。
下記の増田だけど、あれから1年経つのにびっくりして、何となく日記として残す。
https://anond.hatelabo.jp/20230529151106
上記、ph.D彼とは、私が振られる形で2023年8月に別れた。
付き合い始めた彼は、東京一工の院卒で、学歴、身長175以上、年収1千万越えで、お顔もタイプで、申し分ない。けど、未練タラタラ。
ph.D彼との結婚が無理だから現実みて、私の事好きって言ってくれる男性となら結婚していいかなとから贅沢なことを考えてる。
私はもうすぐピー歳になる。
いつになったら結婚できるのか。
というか、好きな人に巡り会えず、巡り会えたとしても結婚できないのなら、せめて1人で子どもを産み育てたい。
子どもを産み育てるためには無理やり誰かを好きになって結婚しないといけないのもしんどくない?
体外受精で妊娠出産してシングルマザーで子育てすることが認められたり、卵子凍結の金銭的ハードルがより低ければ、こんなに悩むことないのに
大岡裁き。それは我が子を想う母親の心情を巧みに掬い上げた大岡越前守が名裁決である。
白洲に引き出されたは二人の女と幼き稚児。女どもは我こそが子供の母親であると口々に申し立てる。母は己が益よりも我が子の心身を重んじるはずと考えた大岡越前守は、自らこそ子供の母親であると声を上げる二人の女に子供の手を引っ張らせ、まことの母親であれば子供を諦めないはずであると、敢えて真逆の行為をけしかけた。果たして本物の母親はすぐさまに我が子の身体を想い手を離したのであるが、偽りの母親は最後まで子供の悲鳴にも聞く耳を持たずに手を引き続けた。
この、お白洲という非情がまかり通る場所での親子の情を重んじた名裁決は、またたく間に江戸中の評判となった。大岡越前守の公正かつ賢明な裁きに感銘を受けた江戸の母親達は、我と我が子が白洲へ上げられる最悪の事態に備え、こぞって相手よりも素早く手を離す訓練を始めた。はじめは隣近所で集まり細君同士で児戯の如く交流を重ねていたのだが、次第に規模が膨らみ長屋単位で集うようになり、数月経つ頃には江戸の町全体の奥方を網羅した「大岡裁き番付」が作られるようになっていた。
これが大岡裁きの極限競技〈エクストリーム・スポーツ〉化である。
「大岡裁き」の基本ルールについては今更語るまでもないだろうが、念の為、以下簡潔に説明をする。まず試合場にて競技者たる二人の女と奉行所より公正な基準に則って選ばれた稚児が並ぶ。三者が正面の裁き手へと礼をした後、女・稚児・女の並びに移動し、女がそれぞれ稚児の片腕を取る。そして裁き手の号令にて一斉に手を離す。このとき、最後まで手を持っていた方が敗者となる。お白洲に立ち裁き手の最高位たる大岡越前守より御裁きいただけるのは、番付上位のごく限られた存在だけである。
競技化してからの大岡裁きについて、その全貌を余さず語るには頁が幾らあっても足りることはないが、ここではその初期にあった一つの名勝負を紹介しよう。「突き」が体系化されて技法が複雑化する直前の、純粋たる「離し」の名人達による今もなお語り継がれている試合である。
その日お白洲に現れたのは、枯れ木のようにやせ細った女と、それとは対象的に首や四肢にたっぷりと肉を蓄えた肥えた女であった。二人は丸々とした稚児を挟み向かい合うとニヤリと笑いあった。両者とも当代一の達人との名高い見知り同士であり、両者五勝五敗のこれが通算十一回目の試合であった。
枯れ木のような女の腕名は湖越えのちよという。彼女は軽やかに美しい所作により「離す」名人であり、彼女の「離れ」による跳躍は水辺を渡る鷺の如きであったという。ちよのあまりにも優雅な「離れ」を語る逸話には限りがないが、その中で最も有名なものは彼女の腕名となっている湖越えであろう。ある武家の屋敷にて試合を行っていた彼女であったが、裁き手の号令の瞬間にはそこに残っているのは砂けぶりだけであり、その姿はもはや稚児の傍になく、邸内の池を越えて対岸へと着地していたという。池の幅は少なく見積もっても六間(約11メートル)あり、常人ではとても真似することの出来ない幅であった。彼女の跳躍を間近で目撃した御隠居は、もしあれが池ではなく湖であったとしても、彼女は間違いなく越えていただろうと語った。
もうひとりの太り肉の女は箱根のお松という。彼女はちよと異なり跳躍ではなく縮地による「離れ」を得意としていた。彼女の張りつめた四肢から繰り出される俊足は、十間(約18メートル)を瞬きの間に駆け抜けたという。暫し誤解されることであるが、彼女は純然たる江戸っ子であり、腕名の箱根はちよと同じく試合の逸話に基づくものである。彼女が縮地を己がモノにした頃のある試合において、「離れ」の瞬間、大砲のような轟音が響き、試合の場である屋敷全体が震えた。その揺れの源は、屋敷の塀に衝突したお松であった。塀が大きくたわむ程に突っ込んだお松の縮地は常人が捉えられるものではなく、かろうじて越前守の弟子であった見届け役が認識できただけであった。その驚くべき俊足を見た屋敷に逗留していたとある粋人は、仮に塀がなければ彼女は箱根の峠まで飛んでいったであろうと称したのである。
当代一の名人である二人の勝負は一回で終わることはなかった。裁き手の大岡越前守が号令をかけた瞬間、そこには土煙が残るだけであり、お白洲の両端にちよとお松。そして砂煙が晴れてふくよかな稚児の姿が現れるという始末であった。近年ますます加速化する「離れ」の瞬間に、裁き手たる越前守はこれまで辛うじて追いついていたものの、この二人の速度は群を抜いて速く、副審のからくり手の技能を持ってしても勝敗の判別が不可能であった。
土煙が判決の邪魔をしているのではないかと、砂地に水を撒き再度取り直しをさせたが、稚児の両脇に残ったのは深々と空いた丸穴と抉れた足跡だけであった。何度取り直しても決着がつかず、ついぞ判決に困った越前守は奇策を思いつく。稚児を立たせるのではなく二人で釣り上げて、先に爪先が落ちた方がより早く「離れ」た方だと。この日の稚児は二十五貫(約94キログラム)ある恵体であったが、お白洲に立つのは江戸の最高番付の二人であった。両者は再びニヤリと笑い合うと、片腕で軽々と稚児を釣り上げた。ちよが右手、お松が左手。越前守が号令を下した瞬間、先に爪先が落ちたのは右足──即ちちよの方であった。
後年、お松は「あれは稚児の左足が短かっただけであり、離れは同時であった」と語り、自分の負けを死ぬまで認めることはなかったという。この勝負を切っ掛けに「離れ」の主流はちよの跳躍となった。彼女が残した縮地は「突き」において花開くことになるが、それを本人が見届けることはなかった。
次は、「離れ」に対して「突き」の興りを記さねばなるまい。あくまでも原点に忠実に手を「離す」ことを重視する「離れ」に対して、何よりも早く手を振りほどくことを重要視するのが「突き」である。「突く」行為そのものは競技の興り時点から散見されていたものの、体系化されるまでには長い時間が必要であった。
最初期にはっきりとした「突き」の使い手として名が後世まで残っているのが千手観音の桂子と呼ばれる存在である。それまでの「突き」の使い手と彼女の最大の相違点は、「突き」の「離れ」に対する優位であるといち早く看破したことにある。すなわち、「離れ」る前に「突き」押すことで、相手に稚児の身体を押し付けるのである。この発見により、「突き」戦法が大流行し一時は「離れ」が番付から消滅寸前にまでなった。その後、「突き」に対して優位を取ることができる「躱し」が発明され、今に至るまで知られている三すくみ「離れ」・「突き」・「躱し」が完成された。
この篇の最後に「突き」の名人同士の試合を一つ紹介しよう。「突き」手同士の戦いは間に挟んだ稚児を押し合うこととなるため、両側から押された稚児が地に転がることは日常茶飯事で、中には体にかかる力の作用により、大独楽のごとく勢い良く回転する稚児の姿も見られることも珍しことではない。しかし、「突き」の達人同士となれば、人知を越えた奇跡の瞬間が興り得るのであることを示したのが次の試合である。
その日の最後の取り組みは、寅と辰という、うら若き双子の「突き」手の試合であった。二人は千手観音の桂子の孫であり、祖母から直々に手ほどきを受けた若き俊英であった。二人が公式の場で手合わせをするのは今日が初めてであり、観衆は期待を胸に見分け難い二人を見守っていた。
裁き手の大岡越前守の声とともに同時に二人の体が動き、稚児を押した反動で揃って稚児から半間(約90センチメートル)ほど離れた位置にゆるりと着地する。はじめに異変に気がついたのは観衆であった。
お裁きを見守っていた観客の間から「ホウ」という感嘆の声が上がった。続いて興奮を隠せない小声が観衆の間から漏れ聞こえ始めた。その段階に至り、判決を下すのに集中していた大岡越前守はようやく気がついた。彼が注視していた稚児が、まるであやかしに持ち上げられるように宙空へ浮かんでいることに。稚児は宙に「丁の字」を描くように腕を開いて静止していたのだ。
双子が全くの同時に両側から稚児を押したことで、稚児に伝わった力が正中線でぶつかり合い、その力が幼き肉体を地から持ち上げたのである。しばらくの間稚児は宙へ浮き続け、やがて萎れるように地上へと降り立った。その間、双子たちは周りの喧騒に顔色を変えることもなく、裁き手の判決をただ待ち続けていたという。記録には、さしもの稀代の裁き手大岡越前守も、この妙技の前には両者引き分けを言い渡すしかなかったと記されている。
縦の長さが3で横の長さが4の直角三角形があったら
斜めの長さを人類が知るには人に聞くか数学的な証明を頭の中で行うか実際に測るかするしか無い
Aが成り立ちA→Bが成り立つならすぐにBも成り立つと分かってしまう
ではここで人類よりも遥かに優れたスペックを持つ生命体がいたら…
上記の直角三角形にしてもすぐに大量の図形の組み合わせが脳内で成り立つのを当たり前のように受け入れ
その中から斜めが5だと分かるような図形の組み合わせを連想してしまうであろう
これは単なる例に過ぎない
他の様々な数学の命題も脳内で大量の推論が当たり前のように浮かんでしまうせいで
人類が今までに証明してきた大量の命題がただの当たり前の物としか映らないし
一方で人類が把握する事すら困難な数学の長い長い命題を面白い物として人類に提示してくるだろう
だが人類も人類で高スペックの生命体にその困難な命題とその形式的証明さえ与えて貰えば
ポスターのそういう表現も作戦の一つなんだし、嫌なら投票しなければいい話で。
もちろん、俺は、こんなやつに投票するやつの気がしれん!って思うけど、だからと言って叩くほどのことでもない。法に触れてなければ。
ホテルに誘った相手が何も言わずについてきたからセックスしちゃったとして。
後で女性側から「あの時はしたくなかったけどノーとは言えなかったので不同意」って言われたのに対して「俺も誘った手前、ノーとは言えなくなっちゃってたけど部屋に入るころには本当はしたくなかった。でも相手が乗り気だったので最後までやらされたので不同意」って主張するとするじゃん。
これどっちが勝つの?
まず、出来損ないの万博会場に子供を連れて行くことについて。一般的に万博は大型の国際イベントであり、様々な国や企業の最新技術や文化を紹介する場なので、子供にとっても勉強になる場であることが期待されるっす。しかし、もし会場が未完成で十分な展示がないとなると、その期待が大きく裏切られることになるっすね。それでも外出して家族や友人と一緒に過ごすこと自体は楽しいかもしれないっすけど、その価値はやはり場所や内容にもよるっす。
参加表明したものの建物が完成しなかった国々について。実際に工事が進まなかった背景には多くの理由がある可能性があるっす。例えば、資金不足や工期の遅延、コロナ禍などの外的要因などっす。でも、最終的には何かしらの対応を迫られることになるっす。プレハブ小屋なんていうアイディアも一つの対策としては考えられるけど、その国の イメージや展示内容が十分に伝わるかは疑問符がつくっす。
維新の会の姿勢についても辛辣な意見が出るのは理解できるっす。特に、過去に自民党の箱物行政を批判していたのに、同じような失敗をすると信頼失墜は避けられないっすね。万博のような大規模イベントは計画段階での予測が難しい部分もあるけど、タイミングや管理が悪いと結果的に大きな批判を浴びることになるっす。
総じて、増田ちゃんの意見は的を射ているし、たくさんの人が共感する部分も多いと思うっす。どんなイベントも成功するためには計画の段階から慎重に進める必要があることを改めて感じるっす。
最近、話題になっていた例の件を流し見してた時、そういえば子供のころコロンブスのアニメ見たことあるなあと思い出して、テキトーに検索してみたら出てきた。
ほとんど内容覚えてなかったから久々に観てみたけど、大人になってから視聴するには色々とキツいものがあった。
話の流れ自体はコロンブスの新大陸発見をやってるんだけど、作風というかノリが如何にも子供騙しって感じ。
タイトルにもなってるピコっていうオリジナルキャラがいる時点で十分だろうに、コロンブスも狂気に近いレベルでコメディリリーフに徹する。
そんなコロンブスの変人っぷりに船員たちが不信感を持って、彼を殺そうとするシーンとか一応シリアスなんだけど失笑してしまった。
航海中のストレスで船長が殺されるっていうのは実際ある話だったらしいけど、散々ふざけたノリやっといてそんな殺伐としたことやるんだっていう。
で、新大陸でインディジョーンズもどきみたいなことやってて、史実に詳しくない俺から見ても「やってんなあ」って展開の連続。
ラストで、コロンブスが新大陸にアメリカ都市が建つのを夢想するシーンとかあるんだけど、見てて思わず「おいおい……」って言っちゃったよ。
アメリカの切っても切れない歴史、それをアク抜きしたアニメをドイツが作って、それを日本で見てる俺。
上手く言語化できんが、なんか変な感じ。