はてなキーワード: 過食症とは
ここ数年、Twitterで香ばしい激臭を放っている国際政治学者・篠田英朗先生(東京外国語大学教授)、佐藤優氏の「持病」を揶揄する発言で炎上しているようですね。
正しくは、
https://twitter.com/ShinodaHideaki/status/1668030764695560193
これでは、安倍晋三元首相の持病である潰瘍性大腸炎を「下痢ピー」「下痢三」と揶揄した反安倍と何ら変わらんではないですか。
しかも篠田英朗先生は大学の名を背負ってこの差別的暴言を世界に発信されているわけです。
そういえば篠田先生、コロナ初期の2020年4月18日にも、当時WHOで上級顧問を務めていた渋谷健司医師が「日本の実際の感染者数は10倍以上いる」と専門的見地から指摘したのに対し、
頭にきた。渋谷氏、何週間かかけて、潰す。
https://twitter.com/ShinodaHideaki/status/1251190281883357185
3年以上経った今、渋谷医師の見識の正しさがますますもって証明されると同時に、篠田先生の見識の無さ、学者としての不誠実さが際立っています。少しは自己批判されてはどうでしょうか。
私はもう何年も毎日毎日低容量ピルを欠かさず飲んでいる。5年以上になると思う。
昔、ピル飲んでハッピー!みたいなはてな匿名ダイアリーを書いたような気がする。
私は生理前に気分の激しい浮き沈みや体調不良が続くPMSというやつだ。
それに気づくまではとにかく定期的に死にたくなったり涙が出てきたり、ちょっとしたことでひどく傷付いたりしていた。
あと、これも後から思えば生理前の症状だったのだけれど、生理前はふらつくせいかよく階段からべろっと落ちていた。
よく落ちるって何!?って感じだけれど、半年に1回ずつぐらい階段から落ちるか自転車から転げ落ちていた。
ピルを飲んだらなくなったので、あれも生理前の症状だったんだと思う。
気分の浮き沈みというかもう死にたいレベルの、限りなく鬱に近いネガティブ思考だった。
恋人に一方的に別れを告げて、恋愛も何もかもうまくいかなかったタイミングを改めて逆算してみると、それもすべて生理前だった。
※改めて計算して気づくまでに本当に何年もかかった。ピルを飲み始めて数年してようやく気づけたぐらいには自分では当時それが女性ホルモンに由来するものだということがまったくわからなかった。
生理前に大量にできていたニキビも人間的なレベルぐらいにしかできなくなった。
ピルは、私にとって最高だった。
ピルと出会ってから付き合った彼氏とは気分がずっと一定なのでずっと仲良しでいられるし、今、一緒に暮らしている。
もちろん、何もかもが生理のせいじゃないと思うので、ピルを飲んでいたって今までの彼氏とは別れていたかもしれないし、
ピルを飲んでいなくても今の彼氏とは付き合い続けられるのかもしれない。
ひどい生理不純なので、生理前の症状がいったいいつ出てくるのかわからない。
このイライラが自分のものなのか、ホルモンによる影響で過敏になっているのか、本当に検討もつかない。
仮に生理前だっとわかったとしても、イライラしたり落ち込んだり死にたくなったりして、仕事にも生活にも、24時間すべてに影響が出る。
そんな日が5日〜10日続いて、食生活も荒れて、荒れて、過食症みたいになって。体調もだるくておもくて、遊びの予定も急にキャンセルしてしまう。(仕事の予定はキャンセルできないのに)
そんな日が続くのがとにかくイヤで、いつくるかわからないのもイヤで。
「死にたい」と思う日なんて全然ない。イライラする日や落ち込むはあるけど、ピルの休薬期間のほんの2〜3日だけだし、明確に「薬が休薬だからだ」がわかっているから安心だ。
「何もかもいやだ」と思うことがないから、一緒に住んでいる彼氏に八つ当たりすることもない。
こけない。ふらつかない。生理が来るタイミングがわかっているから友達との予定も入れやすい。
いつもニコニコして過ごせているし、理不尽なことがあってもヒステリーにならず冷静に対処できる。
最高だ。一生やめたくない。あんな日々に二度と戻りたくない。怖い、怖い。
でも。
こんなに女性ホルモンのバランスが乱れやすいなら妊娠中もきっと大変なことになるから、あんな日々みたいに、もしくはそれ以上になるならいらないとまで思っていた。
でも、私は、彼と出会って、毎日がとても幸せで、彼ととっても仲良く暮らしていて、この人との子どもがほしいなと、お互いが心の底で思っている。
でも、彼は少し前に病気をしてしまった影響で今、精子がほとんどない。
これがこの先どうなるか、まったくわからない。数年かけて戻っていく場合もあるらしいし、まったく戻らないこともあるらしい。
私は、「避妊行為を一切せずに性行為をすること」を試してみたいと思っている。
もうお互い30代半ばになるので、この先、彼だけじゃなく私の方の課題もいろいろと加速的に増えていくばかりだ。
子どもが欲しいなら、不妊治療でもなんでもやらないといけない。「子どもができない行為」に力を入れている場合ではない。
ピルをやめないと、子どもはできない。ただでさえ、私たちには「できない」ための条件がたくさんそろっているのに、私が先陣切ってできない理由をつくってしまっている。
ふたりとも「この人の子どもがほしい」と思っているなら、私はまずはピルをやめないと。
以前、妊娠をした夢をみたことがある。「やったー!私はピルを飲んでいて、あなたは無精子症になっちゃってたけど、妊娠できたー!やったー!」って喜んでいる夢だ。
起きたとき、すごく嬉しくて、絶望するほど悲しくて、ワンワン泣いた。
私は心の中で彼との妊娠を強く強く望んでいるのだ。
でも、こわい。ピルをやめてしまったら、私はまた「死にたい」と思うのだろうか。私はまた「別れたい」と言い出すのだろうか。
彼に八つ当たりして、イライラして、寝込んで、むくんで、嫌われてしまうかもしれない。
今、休薬期間でこれだけ不安なのだ。やめてしまったら、を考えると怖い。
でも、私は人生ではじめて、「この人との子どもがほしいな」と思ったんだ。できるだけのことをやって後悔したい。
でも、それでもこわい。泣けてきた。休薬期間だからだ。ほら、薬がないとすぐにこうなる。
やめられるのだろうか。やめない方がいいのだろうか。諦めたほうがいいのだろうか。
それでも言わせて欲しい
少なくとも私はきつかった
父はアスペルガー(高機能自閉症)、鬱で癌でアル中のドクズ、母は難聴
お互いを理解しない両親と発達障害全網羅する己の特性に苦しんだ挙句鬱やら過食症やらの精神疾患を鬼ほど持つ身体になった
父は難聴で聞こえない母に対して俺の話を聞かないと言い放つろくでなしだが、同じ様な障害を持ち更に暴力を振るわれ育ったのでいずれこうなる
「お前は何一つ思い通りにならない、生きてるだけ無価値なクズ、早く樹海に行って勝手に死ね」
死ねと言うならば殺して欲しい
掃除や片付けをする気は無かったんだけど、
1箇所手をつけたら止まらなくなりひたすら片付けてた。
今、休憩中。
で。。
相変わらずの自分の癖というか傾向というか、に、ウンザリしてた。。
封を切らないまま賞味期限の切れた調味料多々に、ノンアルコールビール、ノンアルコール飲料は箱で2箱3箱と賞味期限切れ。いや、缶だし賞味期限切れでも飲むけどさ。調味料も未開封だし使うけども。
服も似たようなものが後から後から出てくる。出社だったり、然るべきタイミングで着るものないと嫌だからとセールのたびにちょっと余計に買うんだよね。で着ないまま1年2年経ってる。いや発掘したからには着るけど。
買い物大好きだけど、過食症ならぬ過買症ってレベルだなあと反省。捨てるの、手放すのも楽じゃ無いのに。
とりあえず一旦休憩。
大学はそれが原因で中退して、数年間を暗黒時代として過ごした。
何とか社会人になってからも数年間摂食障害抱えて生きていたが、20代半ばのころに寛解して、これから数年間は全く症状出ずに過ごせていた。
去年、モラハラ旦那との生活でひどいストレスを抱えて、在宅勤務になった瞬間に摂食障害が再発した。
元旦那は在宅勤務ができない仕事なので夜まで帰らなかったので、昼休みスーパーに走り、夕方から夜まで過食嘔吐をしていた。
幸い離婚できたが、ちょうどその時期に仕事のトラブルなどが重なり精神的にいっぱいいっぱいで元旦那と離れたあとも過食嘔吐が止まらなかった。
再発して1年半、過食嘔吐した回数は数え切れない。婚姻期間中は平日毎日、今も週4-5回嘔吐している。
Uberなんかも使うからなかなかに費用もかさみ、いい歳して全然貯金ができなくなった。
精神科は行きたくない。過去何年も病院に通ってカウンセリングや○○療法も数え切れないぐらい受けたが、何一つ効かなかった。
もう自分が何をしたいか分からないし、親もまさかこんないい歳で再発してるとはきっと思わない。
さっきも帰りがけにスーパーによって半額惣菜買い込んでやってしまった。
経済的に逼迫しているわけでもなく、前のように鬱や強迫神経症を併発してないので生活できてしまっている。
一部の男性の性欲が日常生活に支障をきたすような苦しみであり、
性欲は定期的な射精によって解消することが可能であり、心地よく射精に至るための文化的装置がポルノやオナホである。
それは医薬品ではないが、自分ではコントロールできない強い生理的欲求を解消するという広い意味での医療に類する役割を担っている。
私は性欲が比較的薄く、オナニーの頻度も低いが、ある程度の期間オナニーをせずにいるとある日朝起きたらパンツが夢精でべっとり、ということはざらにある。
もちろんこれはPMSに比べれば苦痛の程度は遥かに小さいだろう。精液は血液と違って洗濯すれば綺麗に落ちるわけだし。だが、「勝手に身体から変なものが出てくる」という意味では、朝起きたらパンツが経血で真っ赤だったというのと同じことだ。どちらも自由意志でコントロールできるものではなく、ただただ不愉快な経験であることには違いない。
女性の生理と違うのは、男性の射精は、その過程で快感を感じることができるということだ。したがって、男性の性欲は「定期的に訪れる不随意の生理現象」であると同時に、「定期的に快楽の機会を提供するもの」にもなっている。これが男性の性欲が医学的に問題視されにくい理由である。強烈な空腹を美食で満たすことができるように、強烈な性欲は自慰や性交で満たすことができる。
人間社会は、食欲を薬によって解消可能な生理的欲求ではなく「快楽を感じる機会」と捉えることによって美食文化を発達させてきた。ゆえに「食欲を抑える薬」はない。性欲も同じで、男性の性欲は薬によってではなくポルノ文化を発達させることによって解消することが目指されてきた。ゆえに「性欲を抑える薬」はない。
もちろん性依存症というのはあるので、医学的な介入が一切不要というわけではない。過食症に対する医学的介入が必要なのと同じだ。だが、適度の性欲は、適度の食欲と同様に「そういうもの」だと捉えられ、「お腹が減ったなら美味しいものを食べよう」というのと同じように「性欲が溜まったなら良いポルノを見よう(風俗に行こう)」というやり方で解消するものだとされてきた。
ポルノに対する規制にやたらと反発する男性は、ある意味では、薬やレストランを奪われようとしているようなものだ。そう考えれば、彼らの執拗な抵抗も理解できるだろう。
繰り返すように、月経による苦痛を矮小化する意図はないし、男性の性欲による苦痛が生理による苦痛と同程度とも思わない。だが、それは「定期的に訪れる、自分ではコントロール不能な生理現象」であるという点では同じなのだ。普通の風邪とエボラ出血熱がどちらも「ウイルスによって引き起こされる感染症」という点では同列であるように。
風邪とエボラはどちらも感染症だと広く認識されている。「エボラは病気だけど、風邪は病気じゃない」「エボラ患者はこんなに苦しんでいるのに、症状が遥かに軽い風邪の患者と一緒にしないでほしい」なんて言う人はいない。でも、「PMSは自分の意志ではコントロールできない生理現象だけど、男性の性欲はそうじゃない」という言説はありふれているし、男女を問わず多くの人が漠然とそう信じ込んでいる。それは間違いだ。男性の性欲も、女性の月経と同じく抗いがたい生理現象なのだ。その過程で快楽を生じさせるか否かという点が違うけれど。
これから書くことは、すべて本当のことです。
嘘をつく人が嫌いでした。しかしながら、人間だれしも嘘をつく生き物でありましたから、僕は億劫でなりませんでした。この世界には、いったいどれほどの嘘があるというのでしょうか。それとも、嘘というものは、人間が人間である以上、離れることのできない、いわば、足枷のようなものではないのか、などと考え、毎晩、眠ろうとも眠れぬ気持ちに駆られて、それから、戸棚の天板を外し、隠していた薬を口に運んで、それでようやく眠れる、というような生活を続けていたのでした。困窮した作家というのは、概してそのような生活をする生き物なのです。
知り合いの大塚くんが、わざわざ電車とタクシーを乗り継いで、東京の郊外にある小さな学生向けのアパートの一室にやって来て、金が無くなった、3万でいいから貸してくれ。貸してくれなければ、僕は明日にでも死んでしまうだろう、というのです。分かりきった嘘でありました。ははん、きっと彼は僕の弱さに付け込んで、競馬か、あるいはパチンコの軍資金を手に入れようとしているに違いない。僕はそう踏んで、やれ、お前のような人間に貸す金は、一円だって無い、と突っぱねました。しかし、大塚は酷くやつれた顔に、今にも死にそうな、それこそ、病床に伏した末期がんの患者のような姿で、半分泣きながら、僕にそれをねだるのでした。僕には、それを断る勇気がありませんでしたが、しかし、彼のそれを嘘であると見抜く自分の目が、また自分に嘘をついているのではないか、という疑念に駆られて、ひどく怖くなるのでした。
とうとう、僕は彼に金を貸す決意をしたのでした。いいえ、正確には、彼の求めた額の、ほんの数分の一でしかありませんでしたが(何しろ、このときの自分も、金には困っていたのです)、しかし僕は、その、天性のだまされやすさ、とでも言うべきか、はたまた、お人よしとでも言うべきものに従って、彼にそれだけの金を、預けたのでした。そうして、しまいには、雨の降る寒空の東京に、感謝の言葉……それも、見え透いた嘘でした…を口にしながら、いそいそと出ていこうとする彼を見て、僕は彼に、
といって、小さくお礼の言葉を繰り返しながら、彼の背中が消えていくのを見送る始末なのでした。
そんな小さな嘘をつく日々が、やがて行きつけの喫茶店のツケの催促状となって、僕の生活を、ゆっくりと侵食し始めたのは、今年の夏になってからのことでした。ちょうど、大陸産の……はて、確かなんとかという、新種のウイルスだったと覚えています……が、巷の人々の生活を、ゆっくりと変えていくのと同じくして、僕の生活も変わっていきました。
まずは、ある風俗嬢の話をしましょう。僕が住んでいる町は、決して良い場所ではありません。いや、僕の住むアパートの窓から、きれいな太平洋の姿が見えることを除けば、とても人が住む場所とは言えないのです。人気のない、寂れた街。住んでいるのは老人ばかりで、皆、学生運動の時代の人々です。僕のような若い人は、確かに住んでいるのもいますが、しかし、数は、とても少ないでしょう。そんな場所で、僕はもう3年も住んでいます。住めば都、とはよく言ったものですが、あれがもし日本の都であるというならば、この国は、もうおしまいです。
そんな街にも、歓楽街はあるのでした。僕はそこにある風俗店の、とある嬢と関係があって、それも、お金を払わずとも会ってくれるような、いわゆる「セックスフレンド」というやつでした。髪の毛を長く伸ばした、雅な彼女は、僕のことを襲っては、あなたとならどこまでも行きたい、というので、僕は困っていたのでした。僕からすれば、自分の欲求を満たせさえすれば、他のことはどうでもよいのでした。それに、彼女もきっと、自らの境遇を少しでも良くするために、僕にすり寄っていたのです……いや、しかし、作家と生活するというのは、彼女の生活よりも、はるかに地獄らしい地獄であることは、言うまでも無いでしょう。
浮浪者の数、それが増えたという些細な事実に神経が過敏に反応したのは、その彼女が、ひどくやつれた顔で、いつもは情熱的な行為も半ばに、半分泣きながら、僕の方によりかかってきた時だったのです。
「どうした?」
彼女は、僕に抱き寄りました。乳はそれほど大きくありませんでしたが、悲しくありました。華奢な体が、いつの間にか、皮膚と骨だけのようになっていました。寒かったので、リモコンで暖房をつけました。部屋は暗く、ぼんやりとしていました。
「仕事……無くなりました」
「お金か?なら僕が」
「いいえ、いりません」
貧乏な人。
僕はその言葉に、ただぽかんと、宙を見つめることしかできませんでした。
「そうか…」僕はそう言って、立ち上がろうとしましたが、彼女が僕の男根を触ってきたので、そのまま動かないようにしました。
彼女は、一流でした。芸術家でした。きっと、マネも、ゴーギャンも、彼女を見たら、モデルにしたいと思うでしょう。僕は彼女のなすがままに、身を任せました。気が付けば、僕の横で、彼女が倒れているのです。そう、一流の芸術は、それを見ているときには、芸術とは思えないものなのです。すべてが終わった後になって、それがそうだったと気が付いて、それで、唐突に称えるものなのです。
だから僕は、称えようなどとは思いませんでした。同時に、彼女を貶めようとも思いませんでした。ただ、せめて何かの助けにならないかと、思ったのです。僕は、彼女が一流の芸術家であることは知っていたのです。僕は、隣で静かに眠る彼女を起こさないように体を持ち上げると、枕元に、なけなしの現金を添えて、着替えをして部屋を出ていきました。ホテルの受付で、彼女がまだ寝ていることを告げ、足早に去りました。
寒い朝でした。僕の心も、冷たく冷え切っていました。口から吐く息が白く濁って、真っ白な東京に溶けていきました。きっと、その息の中に、僕の魂も溶けているのでしょう。あと何十万回と息を繰り返せば、僕はやがて倒れてしまうのでしょう。そんなことを思いながら、僕は行きつけの喫茶店へ向かいました。毎朝、彼女と寝た日の翌日には、その店で一杯のコーヒーを飲んで、焼き立ての目玉焼きを食べるのが習慣でした。
もともと、払う金もなかったのだそうです。部屋で、薬を飲んで死んでいたのでした。ベッドの上で。僕は、そう、きっとあの時、僕が目覚めた時には、彼女は部屋で、既に死人となっていたのでしょう。「この世で最も重いものは、もう愛していない女の体である」という言葉は、案外的を射ているのかもしれません。実際、彼女の体は、ひどく重かったのです。あんなに華奢で、弱弱しかったのに、です。
彼女の体重は僕が最後に彼女の…生きている彼女…つまり、生き生きとしているという意味での…彼女に会ったときよりも、20キロも痩せていました。彼女の住んでいる安アパートの大家さんも、同じことを言っていました。僕が作家であると言って、なけなしの三流小説のいくつかを持っていくと、取材とのことであれば、と言って大家さんは僕を家に上げてくれました。初老の女性でした。しわの多い、低い声の、優しそうな老婆でした。
「過食症ですよ、ご存じですか」
「いいえ、まったく」嘘。この春、僕もなったばかりでした。
「食べては吐くのです。精神的な病です。この前、私のところで、彼女のために飯を作ってやったのです。彼女は一人で、5人前も食べましたが、その後すぐに、全部吐き出しました。きっと、胃袋の中身は空っぽなのでしょう。私はそれを全部ふいてやって、それから、今日は遅いから早く寝なさい、と言いました。彼女も、いくらかそれを理解したようで、その日は早く眠りました。えぇ、目の色が、死んでいましたよ。あぁ言う人は、良くこのアパートを借りるんです。きっと、そうして、死ぬのです。ここは、自殺の名所なんです。あの樹海なんかよりも、ずっとね」
いつの間にか、僕は老婆の話に聞き入っていました。滅びゆく人間の話を聞くのが、好きだったのです。枯れていく花を見つめるのを、趣味としていた僕にとって、それは当然でありました。
「ほかにも、死んだ人が?」
「いますよ。伝染病が流行ってから、もう3人目です。みんな孤独ですから、私が代わりに葬式に立ち会っているのです」
一人は、サラリーマンでした。職を失って、いわゆる、リモートワークというやつになったのだそうです。画面越しに仕事をしているうちに、あぁ、彼は、自分が、他人に見られない場所にいられることに安堵したのだ。そうして、ふと、見られないならば、死んでもいいと思ったに違いない。アパートの二階で、首を吊ったらしい。大家の話によれば、彼の部屋に入ると、糞尿を垂らしていたという。きっと、すべてをあきらめた死刑囚と同じ気持ちだったに違いない。
もう一人は、哀れ、まだ若い女子大生。彼女は、部屋のドアノブにひもを括り付けて、死んだそうです。生気を失った人というのは、ちょうどゴム人形のようなのだとのことでした。体液で、部屋の床が変色するのです。皮膚は、とても冷たい、冷たい。彼女の遺言は、ただ一行だけで、それ以外には、何もなかったといいます。
寂しい
この一行に、どれだけの言葉がないまぜになっているのか、きっと君ならわかってくれるはずです。僕も、同じことを、何度思ったのか分かりません。
彼女は、卒業を間近に控えていました。卒業論文を書けば、良かったのです。しかし、彼女は、家庭の都合から、泣く泣く大学を辞めたのだといいます。僕とは大違いです。たくさんの猶予をもらった、モラトリアムな人間とは大違いです。彼女はまじめで、多くの人に悲しまれたといいます。それも一度だって彼女のことを見たことのない人も。
特に、テレビの報道はひどいものだったといいます。僕は、もうずいぶん長いこと、テレビなんて言うものは、俗悪で、卑猥なものと一蹴して、見てもいませんでしたから、そんなニュースを知りもしませんでした。彼女の死は、政権批判のタネにされたのでしょう。大家も、今の政治はだめだ、と漏らしていました。その言葉を聞いて、僕は悲しくなりました。
一人の死です。これほどまでに、あっさりと、人が死ぬのです。
僕は、大家に礼を言って、その帰りに、例の少女の墓を聞きました。近くの霊園にありました。立派な墓だったのです。きっと、僕は死んでも、こんな立派な墓は立ててもらえないでしょう。立ててもらえるとしても、僕は断るつもりです。
雨が降っていました。カエルが、一匹、彼女の墓石にできた水たまりで、ゲコゲコと鳴いていました。名前は、よく見えませんでした。僕も泣いていたのです。帰り際に、僕は一輪の花を見ました。何の花かは覚えていません。でも、とても、寂しいことだけは、覚えています。
*
949。
この数字が、何を表すのかは、ご想像にお任せします。きっと、僕のこの文章を読んだ人の多くが、ピンと来るはずです。だって、あんなに毛嫌いしていたテレビが嫌でもついていて、そうして、毎日のように流れてくれば、誰だって敏感になるのですから。
僕は狭い6畳のアパートにいます。学生向けの小さなアパートです。大の大人が、借りているのです。近所の人はみんな、学生です。
若い人というのは元気です。今日は、お隣の音楽学校の生徒が、バイト先の人たちと、ちょっとした遊びをしに行くのだといいます。僕がそれを知っているのは、アパートの部屋の壁が、とても薄いからです。前は、男と女の、汚い喘ぎ声が聞こえて、僕はいつも、すぐに部屋を飛び出して、近くの銭湯へ行き、用もないのに、やれ、世間話に花を咲かせる老人たちと、碁を打ったりしたのです。ですが、ここのところは、彼女たちの電話する声しか、聞こえてきません。あるいは、その、例の「リモート授業」とでも言うべきものを、受けているのでしょうか。
コロナ禍において[判読不能]、あるいは、私たちは自覚を持つべきです。若者が[判読不能]なことをしているために・・私たちが悪い…また今度。
そんな内容のことを、表では言いながら、例の、「遊び」には、行くのです。きっとこう書いて、そう、君、この文章をネット上で見つけた下世話な君は、ここだけを切り取って、「若者の乱れた考えが云々」という、お決まりの文句を言うのでしょう。僕がこう言っても、きっとそういうに違いない。お好きにしてください。僕は何もしませんし、それも見ませんから。
大人には、彼らの気持ちが分かるはずありません。きっとあなたは、この文章を読んで、そんな気持ち、皆同じだ。お前だけ特別なことのように語るな。それに、何だこの下手糞な文章は。お前は、太宰治にでもなったつもりか、というでしょう。
みんなと同じ。
そうです。その通りです。僕は、みんなと同じです。みんなと同じく、孤独なのです。きっと、あの病院で遅くまで働いているナースの彼女も、同じです。きっと、街中へ出て、夜まで飲んでから帰る政治家も同じです。みんな孤独なのです。孤独だから、寂しいから、みんな、死んでいくのです。
みんな同じなのです。みんな同じ気持ちなのです。ですから、みんな同じなのです。
なんとか、なる。
そう書いた作家もおりました。みんな同じです。
みんなで耐えましょう。みんなで耐えれば、良くなります。今こそ、農村地帯の、あの共同で助け合う気持ちが、大切なのです。みんな、そういいます。
僕の故郷では、旅人が殺されたそうですよ。バレないように、死体は埋めたそうです。ドラム缶でよく燃やしてから、埋めたそうです。みんな同じです。
僕は作家です。ですから、僕は今、目の前で起きたり、耳で聞いたりしていることしか、書いていません。それ以外のことは、妄想は、一行だって書いていません。僕の知り合いが、首を吊りました。僕の知り合いが、電車に飛び込みました。もうすぐ、始まります。みんな、合掌しながら飛び込むのです。こんな世界に、何の希望があるというのでしょうか。
みんな「またいつか」と言って、去りました。そのいつかに、用があるのに。そのいつか、は、もうやってこないのに。
いつか、という言葉は、とても面白いのです。いつ、という疑問の言葉に、か、という呼びかけを付けるだけで、日本人は、未来を指せます。そして、いまでないどこか、今でないどこかに、この「現在」から伸びる直線上に、架空の点を置いて、それを呼ぶのです。ひもを引っ張り続ければ、必ず訪れる、「いつか」をです。
でも、これを英語で言うと、とたんに「See you again」という言葉になって、変わります。「またお会いしましょう」というのが、直訳です。また、というのは、いつのことなのでしょうか。僕には、わかりません。
経験は、僕と未来の僕の間に、差を作ります。もしも僕が生きていたとすれば、そこにいる僕は「彼は昔の彼ならず」という言葉通りになります。何か大きな災害が起きて、僕は死んでいるかもしれません。何か、特別なことがあって、僕は生きているかもしれません。
それでも、あなたは、大人という生き物は「みんなと同じだ、我慢しろ」というのですか。
僕はそんなこといいません。「僕も同じです」といって、そばにいます。
それが、今の僕が吐くことのできる、精いっぱいの嘘です。
自分の中で不安な気持ちやストレスが高まると、コンビニやスーパーのお惣菜や弁当を2-3個食いしてしまう。体にはすごく悪いことをしている自覚はある。ただ無性に食べたくなる。食べたくなるっていうか、脂っこくて味の濃いものを口いっぱいに頬張って飲み込むと胸のあたりにある穴が少しだけ埋まる感じがする。今日もそうだった。スーパーで弁当を2個買って、人目の少ない物陰で一緒に買ったエナドリで流し込むように食道の方に押し込んだ。何でこんなことしてしまうんだろう。お金も勿体無いし、体にも悪い。でも定期的にやってしまう。長らく健康診断の類は受けていないけど、内臓はボロボロなんだろうなぁ。一通り飲み込んで冷静になった後はこんな感じで自己嫌悪タイムになる。吐いたりとかはしたことないので過食症まではいかないのかな?よく分からん。何か「またやっちゃった、あーあ」っていつもの感じで思った流れで投稿してみてる。ひとまず次のかかりつけ精神科でのカウンセリングで報告してみることにする。脳に騙されて腸が泣いてるよ…。あーあ、いい年した大人の男が何やってるんだろう。
※一部汚い話になるので注意
きっかけはダイエットだったんだけど、もっと根本的な原因があったんだと思う。
よく摂食障害は母親との関係が原因とか言われてて、認めたくないけど本当かもしれん。
自分は母とわりと仲がいい方だと思ってたし幸いお金に困るような家庭じゃない。だけど小学生の頃、やたらと私の体型をいじってきた。お尻大きいとか、足太いとか。今思うといたって普通体型だったし写真を見てもそう思う。むしろ他の子より痩せてるくらい。でも母の言うことを気にして、小5くらいからカロリー計算を始めた。小学生のくせに食べ物とか栄養にやたら詳しいっていう(笑)
中学生になったらもっと気にして、減量を始めたら面白いほど落ちて、気付いたら自分でも引くほど痩せてた。数字よりも体の脂肪が嫌で、そのことを考えるとものが食べられなかった。ガリガリになった私を見て母親は「ちょっと痩せすぎちゃっただけだよね?もう少し食べなさい。」と言った。そのことに何故かイライラして部屋で泣いた。30kgしかないの知ってるくせに。
高校進学して過食症に転じてしまってからは食べる量がめちゃくちゃ増えて体重も戻った。ある日私が食べたパンの包装(ゴミ)を見て母は「またこんなもん食べてる!だからブクブク太るんだよ」って言ったんだ。その日を境に吐くようになった。
半年かそれくらい続いた。最初はもうあれもこれも食べたい!って頭がいっぱいで、とにかく好きなものを食べた。1日の終わりにはいろんな人に申し訳なく思って泣いて、そのくせ翌朝はまた食べ物のこと考えてた。自分じゃセーブできない。歯も心配で必要以上に磨いていた。(止めれば済む話なのに)
とはいえ何故かだんだん飽きてきて、食べたいものがなくなってった。あんなに食べたかったのに、もうめんどくさかった。脳が、受験勉強の方がやばいよって思ったのかも。進学校だったし周りに負けたくなくて勉強に集中した。
運良く大学に進学した今では本当に不思議なくらい食べ物への執着がない。カロリー計算もしようと思えばできるけど、前みたいに無意識にできない。
自分がなんで摂食障害だったのかすらわからないし、もう戻らないだろうと思っている。完治はしない病気と言われているが、私はもう二度とあんな風にならないというか、なれない。正直、摂食障害患ってたときはすごく頑張ってた。勉強も部活も何もかも頑張ってた。今はあの頃に比べたら怠けすぎて無理だ。だからああはなれない。無理に食べないようにするのも、異常なほど食べるのも吐くのも泣くのもすごく疲れる。
Twitterには長く苦しんでる人の声が沢山あって、偶にそういったツイートがバズるたびに少しだけ思い出してしまう。自分はあくまでギリギリ引き返せただけだから、もっと苦しんでる人たちの痛みはどれほどのものかと考えると泣きそうになる。彼らのほうが泣きたいはずなのに。
成人してからやっと母と喧嘩もできるようになって、その精神性というか人間性がやっとわかってきた。私に言われたくないだろうけど、子供のままなんだなって思った。
そういう意味でも反抗期ってあったほうが絶対いいやつやん〜親は完璧じゃないし完璧を求めちゃいけないんだって早く気づくべきだった。
まーでもあの頃は親が全てだったから無理か。
長くてすまん
読んでくれた人(もしいたら)ありがとう