はてなキーワード: 言い草とは
オレは論理的で合理的だから「お気持ち」なんかに振り回されないぜ。
じゃあ当然ニヒリストなんですよね?って思う。
不快を避け快楽を得るための経済的に充実した生活を求めて金稼ぎのスキルを磨くだなんて、そんな「お気持ち」ベースの無駄な事はしませんよね?って。
死ぬ理由もないけど、生きる理由もないですよね?そこからどうやって「お気持ち」抜きで合理的な生き方をするんですか?
意味を問うのを止め、欲の炎を吹き消して悟りでも開いたら確かに合理的と言えなくもないかもしれない。
でもそんなんしてないっしょ。
社会に資本主義経済という舞台があるのは事実だけど、そこにコミットすべきだというのは規範の話。
「である」からといって一義的に「そうあるべき」という話にはならない。
社会を維持するのは大人の義務?なんで維持しなきゃならんの?「論理」だけで正当化するのは難しい。
個々の生存と幸福追求の場を守るため?なんで幸福なんか追求すんの?
生物は生存して種の保存をしていくものだから?優秀な子孫を残すべき?
確かに今までそうしてきたけど、これからもそうしていく「べき」という意見の正当性はどこから湧いた?
規範が無からポップする事はないし、理詰めで言えば存在しないものをあると言い張るなら、それは「論理的」な人が大嫌いな宗教ですよねって。
全ての規範の土台は快不快であって、土台が無ければ論理を積み上げていく事は出来ない。
論理的「だけ」で言ったら人間なんかいてもいなくてもどっちだっていいんで。
殴ったって盗んだって殺したって、不快が蔓延するという点を除けば何の問題もない。
ニヒリズムというと脊髄反射で厨二かよと思う人もいるけれど、自然科学が台頭して宗教が相対化されて以来、誰だって最低限心にニヒリズムの影くらいはあると思う。
自覚的であれ無自覚であれニヒリズムを土台(?)にして、そこから刹那主義や実存主義や消極的ニヒリズム、あるいは宗教(人権思想や生命の尊厳だって立派で有益な宗教ですよね)への回帰なんかを選び取ってる。
「お気持ち」に従ってね。
私は大い感情論者だし、生きるとは自分の納得を追い求める事だと信じて疑わない。
そのための近道をする道具として論理を使う事はあっても、どこまでいってもそれは道具で感情に先んじるものではないと思う。
人は理屈でカレーを好きになるのではなくまず先に好き嫌いがあって、そこから遡及的に論理的な分析が始まる。
カレーとはかくある理由で美味しく、あなたが嫌いなのはそれを理解していないからだ。
「本物」を食べれば分かる、とか山岡士郎みてーな事言う奴がホラ食え、ウマいだろ?と強要したらどれほどグロテスクか。
結局は感情論だよね、という話に対する極端な反論として「感情論がイイなら人殺しをしたいって感情もオマエは受け入れるんだよな?」
みたいな話はありがちだけど、それもまた論理や規範、道徳と言うよりは快不快の均衡の話だよねって思う。
殺したいと殺されたくないは等しく無意味で対等なので、まあ多数決的に殺されたくないが優先される。
大抵の人は殺したいより殺されたくないに天秤が傾くんで。
まあ私は別に殺したくても、実行したっていいと思うけどね。突っぱねられて終わりなんで。
その考えは尊重するけど、そこから出力された刃が自分に向けられたら当然抵抗する。
他者の考えを尊重する事と、それが自分の領域に入ってきた時に突っぱねる事は全く矛盾しないんで。対等であるが故の衝突。
アフリカで何万人が死んでますって情報を聞いてもほーんとしか思わんけど、目の前で人が死ぬ所みたら素朴にイヤな気持ちにはなるだろうと思う。
そこには単純な損得勘定で片付けられない道徳や規範について何かのヒントがあるかもしれないけど、何であれ突き詰めれば快不快の問題に収束する。
自然科学的な事実でなく規範を論じるなら、快不快からは逃れられない。
イヤ利他的な行いをする人間だっているだろ、人間快不快だけで動いてない、という反論もあるかもしれない。
主体的に他者へ奉仕するにしたって、その行いが自身の中で快楽を生む、あるいは少しのコストを払ってより大きな快楽を得られるからそうしてるんじゃないって思う。
それは別に偽善でもなんでもないけど、自身の快楽を求めるために働きかける先が自分が他人かの違いでしかないんじゃない。
規範について、例えば今は結果の平等より機会の平等の方が強めに支持されてる。
じゃあその機会の平等の実践として、等しく分け与えるべきか?持たざるものにより多くを再分配すべきか?
後者は甘え、世の中弱肉強食「であるべき」なんだから努力で補え、なんてのはネトウヨにありがちな言い草だと思う。
さりとて前者が「正答」だと決めたらその時点で宗教になってしまう。
元より答えなんてないんだから「合理的に考えて」、なんてカッコつけない方が良いと思う。
私はこっちだと思います、こうこうこういう論理的な理由もありますが、根っこの部分の判断としては私の心がそう囁くからです。
って言った方が誠実だと思う。
論理的に正答が導かれるのなら、道程は違えどちゃんと学べば全員が同じ結論に辿り着くはず。
でもそうはならないはず。
こういう話をすると文章読めない人が素朴な相対主義だ!拗らせ冷笑野郎だ!死ね!ってお門違いな説教をされるんですけど。
私自身はこの話を通じて所詮は「お気持ち」だよねとは言うが、それがダメだなんて一言も言ってない。
むしろそれに自覚的である事が誠実なんじゃない?的な放言をしてるんで。悪しからず。
子どもが、小物感満載で辛い https://anond.hatelabo.jp/20230514131437
人間ってホントいろんな種類がいるなぁ多様性だなぁとしみじみと思わされる増田で、ブコメの反応も様々なのが興味深かった。
私がこの増田について思った感想は「息子に、なぜそういう行動に出たのかを聞いてみよう(子供とコミュニケーションを深めてみよう)」なのだが、ブコメだと、それ以外に「正義を行って何が悪い」「正義を矯める親の言い草ひどい」みたいなものも多く見かけた。
父増田からすると「密告」に見え、おそらく面談で「皮肉に聞こえる褒め」を繰り出している担任も、立場上悪を糾弾した息子を責められないが100%歓迎してるわけでもない、という立場なのかなーと推測したのだが、私が「まずは息子に事実確認」と思ったのは、それが本当に純粋な正義の発露なのか、認められない鬱屈した自己顕示欲の発露なのか、単に空気が読めないのか、はたまた別の理由があるか、今のままだと全然分からんからだ。
そして「息子とコミュニケーション取ろうぞ」と思ったのは、どういう理由にせよ、告げ口や密告ではなく、それ以外の方法で、それ以前のタイミングで、息子が持っている正義を実行できるように、親や大人が導くことはできんかのう…と思ったからだ。
決められたことを守る is 正義はまったくもって正しいし、決まりを守らない人に注意をするのも「正義」だと言える。一方で、正義はけっこう扱いが難しい厄介なものだし、かなりエモーショナルな感情でもあって、それなりに感情をコントロールできた状態で正義を振り回さないと、割とこう、あまり宜しくない。手斧の扱いには習熟が必要…。
禁止事項としての「決まり=例えば校則」は、多くの場合「守ってほしい、かつ、守れない人が多い」ことに対し設定される。学校帰りにファミレスで打ち上げするのも教室にスマホを持ち込むのも、原則は推奨はされない行為なんだろうと想像できる。例えば極端な話、毎日ファミレスにたむろする中学生とか、授業中にずっとスマホをいじってる中学生も居るだろうと思うので決まりがあるのは分かるし、決まりなら守る方がいいだろうと思う。
ただ一方で、決まりは、そのコミュニティを適切に運営するための約束事でしかない面もあり、例えばまじめな中学生たちが合唱コンクールの打ち上げで特別に集まって、なんてのは全然ほほえましいことだと思うし、スマホについては連絡手段や見守りGPSのこともあるから、見せびらかしたり授業中は取り出さないようにしとけば別にいいんじゃね?と思ったりもする(実際にそういう運用をしている小・中学校は増えてきている)ので、ごく個人的には、増田息子の行動は、あんまり意味がない密告だよね…と思う。
人を殺したりものを盗んだりしたら裁かれる、という比較的わかりやすい決まりではない、多くの場合の「決まり=法律や校則」は、その運用において判断されるグレーゾーンがある。極論だが殺人だって理由によっては不起訴になりうる。校則なんてむしろ子どもの人権を無視するような校則まであったりする「都度判断されるグレーゾーンがかなり広い決まり」なわけで、逐条的に「校則を破っているのだから糾弾されて当然である!」となっちゃうのは、ちょっとこう、あんまり健全ではないし、それが「決まりを作って守らせてる側のやりたいこと」でもないんだよなー、と思うわけですよ。
そういうことを伝えるべき担任の先生もうちょっとがんばれ、と思うが、一方で、増田息子にとって「決まりを守らないものの糾弾や処罰」が目的化してしまっているとしたらとてもかなりマズくて、Jokerになりかけてしまっているかもしれないという心配がある(増田もそれを少し心配しているのかもしれない)。
そして密告、告げ口について。
場合によっては(パワハラの密告とか)適した方法なこともあるが、多くの場合、密告や告げ口は方法論としては、結果にハレーションが起きやすい方法でもある。そして、告げ口や密告はかなり雑でイージーな方法である。
ちょっと悪いこと、ちょっとずるいこと(前述のグレーゾーンの範疇)をしている人たちが、自分の悪いことに自覚的であれば告げ口されたら逆切れしたり、告げ口した子に悪感情を抱くだろう。無自覚であっても、好い気はしないと思う。密告という雑でイージーな方法を取ったとしたら、結果としてハレーションにより状況が悪化する(本件に関して言えば、例えば、増田息子がライトないじめの対象になってしまっている?など)可能性も小さくないと思うわけです。
つまり、告げ口や密告自体が悪なわけではなく、当然正しさを追求すること自体も悪でもなく、でも正義を繰り出すタイミング方法を間違っている、ということだと思うのだ。
本格的に大人になる前に、色んな「正義を行う方法」があり、それを適切なタイミングで適切な方法で繰り出すことが大事だと知るのは、割とかなり大事だと思うわけです。まぁこれは大人になってもうまくやるのはそれほど簡単ではないことではあるが、それでも「告げ口」以外にも方法があるってことは、子供のうちに教えておきたい気はするよね…。
例えば、今回の件を例にとって、ファミレス打ち上げについて本当に「学校のなかで正義を行いたい」なら、
みたいなこととか、もっと他にも色々方法はあるかなーと思う。こういうアイディア出したり周りとコミュニケーション取りながら、クラス全体で「一番いい感じの正義ってどんなんかねー」というのを作れるのが一番穏当だと思うんだけどね。まぁ、簡単じゃないよな。こういうのが出来ないから増田息子はストレスを溜めてしまっているのかもしれないし。
増田息子のそういう行動が何に由来して起きているのかは、今の段階で私には全然分からないけど、「正義は正しいが、正義を貫く方法には上級なものから初歩的なものまで色々な方法があって、そして悲しいことだが下品な方法もある」みたいなことが、お父さんと一緒に話し合えると、息子も少し生きやすくならないかな、とか「現実」にアジャストしやすくならないかな、とか、そういうことを考えました。
twitterだと息子の障害が判明して離婚されたみたいに言ってる人がいたけど、記事を読む限りでは違うじゃん
しかし残された娘達のためにに自首しないとか酷すぎる言い草。逆だろ、娘達のためなら自首して離れてやれ
殺害殺3年以上も平然と娘達を育てていたって、サイコパス過ぎて怖い
殺人犯をワンオペ育児させる事の一体何処が娘達を守る事なんだよ
これで懲役4年6ヶ月かあ…
https://news.yahoo.co.jp/articles/b57fec7a31f5a262af61c8d6a1df23f9df7602d3?page=3
翌日、夫に長男を殺したことを告白した。夫は動揺していた。残された娘たちのため、自首しないと決めた。京都府警の捜査員も事件だと気付かなかった。
その後、夫とは離婚。親族と娘2人を育てながら過ごした。ただ、わが子を手にかけた後悔が消えることはなかった。「苦しくて、一人では抱えきれない」。事件から3年半が経過するまでには、妹や知人など数人に犯行を打ち明けた。「聞かなかったことにする」「残された子どもたちを守れ」と口々に言われた。
とにかく時間が守れない奴がいるんだけど聞いてくれよ。
最低でも10分は遅れるし、1時間近く連絡がなくて「今出た」とかもザラ。
でさ、こないだもそいつとの待ち合わせがあったんだけど、
起きたら待ち合わせ時間の30分後。
お前、これまで何回やってきてんだよ。
たまたまっつーか初めて俺よりも早く着いたからってなんだその言い草。
ぶち殺すぞ。
時間がどうしても守れないのはある種の個性として割り切って付き合ってきたけど、
他人との時間におおらかなんだったらせめて自分の時間にもおおらかであれ。
なーに自分が待たされる番になったらブチギレくさってんじゃ。
はーやってられん。
クソが。
リベラルって一言でいう自称もどうかと思うが、とにかく社会的な構造から見ていく、差別を許さない、そういう意見に共感して今までやってきた。
労働環境や非正規雇用問題などもっと各論に立ち入ってほしいと思うこともあったけど、総論として扱われる反原発とかにもなるべく理解を示してきたつもりだった。
今、世間では坂本龍一が亡くなって氏の芸術や経歴についていろいろ語られている。その裏の全く関係ないところで、私のリベラルに対する期待が、折れた。
https://twitter.com/kawai_kanyu/status/1642718374965968896
私もuber配達員をやっている。非正規だけでは稼げず一年半ぐらい前から。もう1500配達くらいになる。uber配達員にはさまざまな背景がある。uber配達員をやるネトウヨ もいるだろう。だがこの言い草はなんだろうか。まるでuberで働くことが何かの罰や、レッテルに値するような言動。「これはネトウヨ に対する批判であってuberは関係ない、些細な巻き添え」みたいな擁護がありそうだが、そんなものには思えない。
この2、3年、ツイッター 上のリベラルの言動に疑問を持つことが増えていた。それは別に理想と現実のすれ違いとかそんなものではない。明らかに、リベラル側も社会の底辺や地方の人間に露骨な偏見を抱いていて、それを隠そうともしなくなってきていたのだと思う。そんな言動が、目に余ってきていた。
この手の人たちをなんと名づけるべきだろうか。
「冷笑左翼・リベラル」?いや、曲がってもこんな人々を左翼やリベラルと呼ぶべきではないだろう。共産党や社民党の大会でこんなことを言う人がいればそれこそ除名されるだろう。
しかしこの手の人々が、堂々とリベラルとして振る舞っていて、身内で誰も批判しない。芸能人の失態にはすごく早く反応する人々も。
一体なんなのだろうか。なぜこんな発言が「いよッ、言ってやりました!」みたいに広まるのだろうか。石原慎太郎辺りの「ガツンと言ってやった」系差別発言(そして「あの人はああいうひとだから」と擁護される)とどう違うのか。
私はこれからも自分なりに社会に向き合っていくし、少なくとも社会問題を個人や世代やある業界の素質に結びつけるようなことはしないように心がけたい。
だが、もうツイッターで見られるような、底辺と周縁と縁の下の力持ちを無視した、瞬間風速ありきの、リベラルには関わりたくない。
「その程度で離れるなら、その程度の思想だった」と言いたいなら言えば良い。その程度の人がそこら中にいて、新しいことを始めるだろう。
別に自分は軍オタでも暇アノンでも無いんだけどさーさすがにこれはキモイ、いや気持ち悪い気色悪い本気で無理って思ったよ。
https://twitter.com/gripen_ng/status/1633218893346131968
なんなんすか?
って……wwwwwwwwwwww
もう一回書くよ。
そこはWW2の無能将軍とかいくらでも例えられる人間いるだろボケ―、コイツ本当に軍オタか?
単に軍事ネタやってるフィクション大好きなだけなんじゃねーの?
それぐらい銀英伝を引用しちゃう奴って気持ち悪いんだよマジで無理―本当に消えてほしいマジのガチで!
いや分かるよ?
自分だって高校生の頃に銀英伝読んだ時は圧倒的なスペースオペラ感に感動したし、民主主義とか軍の役割とか戦争の悲惨さとか色々分かった気になったモンだ。
でもな、もう一度書くよ?
田中なんちゃらっていう面白いのに遅筆だわシリーズ平気で中断させるわ思想は寄ってるわって作家の頭の中の世界なんだよ?
アンドリュー・フォークだろうがヤン・ウェンリーだろうが田中さんが生み出した架空の存在に過ぎないんだよ!
銀英伝でリアルの民主主義とか語っちゃうのはよくて高校生までなんだよ、良い歳こいた大人がやるものでは無い。
個人的に某暇の言い草は嫌いなんだけど、この手の軍オタに限っては「せんちゃ」とか言われてもしょうがねーなーって思わされたね。
いや銀英伝で誇らしげに何かを語れてる気になってるっぽいから、同レベルの馬の糞の軍オタまとめて「ぎんぇいじぇん」とでも呼ぶべきなんだろうか?
こんなんでも軍オタクラスタの中ではアルファなのか。軍オタのレベルってこんなんなの?
鉄オタと大差ないレベルでは?
当時の私の年収は800万ちょっとで、夫は私の半分あるか無いかだったと思う。
夫は私の一個上、まあ年齢で言えば普通?か中の下ぐらいだろうか。
下方婚した理由は、単純に私の求める条件が「家の事をきっちりやってくれる人」だったから。
基本的に仕事に全振りしてしまうタイプで、特に当時は多忙気味だったんだけど、そうなると家が荒れるに荒れる。
元々のズボラな性格もあり、気がつけば毎日の様に虫が湧く汚部屋と化して(引っ越しの時に滅茶苦茶お金取られた)
そんな家に帰るのも嫌なので毎日会社の仮眠室か近所のネカフェ、たまにビジホに泊まる毎日。
これではお金も貯まらないし何より人間らしい生活が出来ない、でも私には家事の才能が本当に無い事に数年間の一人暮らしで痛感させられた。
仕事では面倒な事も出来るのに、家の事になると途端に継続した作業が出来ない。
洗濯、掃除、皿洗い、トイレ掃除、お風呂、ゴミ出し、ゴミ箱交換、風呂掃除、食事、とその後片付け、洗剤等の必需品が切れた時の交換、いや切れる前にストック買う、などなど…
普通の主婦から一人暮らしの男女の大半がやれている事が、私には出来なかった。
なので、結婚相手に求める条件としては「家の事をきっちりやってくれる、その能力がある」というのがマスト条件だった。
他の事には多少目をつぶった。
幸いな事に私には仕事に全力出してそれなりに結果を出せる能力はあったので、もう男を養っていくの覚悟で婚活を始めた。
・長男
・身長は170cm…は無くて168cm、顔はミュージシャンの桑原康伸似
・学生時代から一人暮らしで、料理と掃除が趣味(と書いていた)
正直外見もタイプじゃないし何か服装もダッサイし周りを見れば夫よりも良い男なんていっぱいいたが、私は生活破綻者だったので恋愛はともかく結婚は無理だろうなって思った。
実際に家が汚い事をカミングアウトして自宅に連れて行った事もあった。もちろん次の日に別れを告げられた。
それを二回繰り返して下方婚(という言葉は当時は知らなかったが、今思うと完全にこの発想だった)という結論に達した。
本当に家事が得意なのか、ふと当日に「家を見せて貰って良い?」なんて言って強引に夫となる男の家に上がるという暴挙まで行った。
結果、私からするとビックリするぐらい綺麗に整理整頓された、独身の狭いアパートがそこにはあった。
理由としては、夫の方は私の半分程度しか年収無いのに、それなりに残業がある会社だったから。
たまに私も20時程度には帰れるのに夫が遅いと当然ご飯も用意されていない。
その時はお試し期間の同棲中だったが、状況的に共働きだから自分がやらなければいけないのか……となり、私が生活費の大半を稼ぐから
家の事に集中して欲しい、働くのはバイトとかでも良いから、というのを結婚の条件にした。
夫は当然驚いていたが、最終的には承諾した。
夫側が出した条件としては「家事の合間にアニメ観たりゲームしても良いなら、良いよ」とのこと。
私はそういった趣味・分野には疎く、どちらかと言えば軽い忌避感があったが、オタク趣味を我慢してあげる程度で
結果、夫は週3のアルバイト(後に契約社員となる)でお小遣い+αを稼ぎ、家賃や生活費の殆どを私が稼ぐ事を条件に
私自身が忙しく中々妊活が出来なかったが、その分年収は1000万を超え、現在は1500万程になった。
夫はバイト先で認められたのか契約社員となった、でもフルタイムじゃないし家の事はこれまで通りきちんとやってくれている。
この頃に増田で「下方婚」という概念を知って、「ああ、これがいわゆる下方婚なのか、私がしたのはこれだったのか」と納得したものだった。
原因は主に私。
とある案件で各所に出張に飛び回っている際、一緒に回っていた独身の同僚(俳優の及川光博似)と一線を超えてしまった。
私自身は遊びだと思っていたが、浮気相手が本気になってしまい、夫と私を呼び出し直談判した。
「バイトみたいな仕事しているお前(夫)と違って俺は高年収を稼いでいる、必ず(私を)幸せに出来る」
「年齢的にも子供はラストチャンスだろう、今まで出来なかったのはお前が主夫なんて甘えた立場にいたせいだ、男らしく無い、あり得ないだろう」
「慰謝料は払う、だから(私と)別れて自由にさせてやってくれ、ニートのお守りにこれ以上(私を)縛らないでくれ」
といった事を言った。
夫はそれにショックを受けた様で、「そうか、君はそういう風に俺の事を思っていたんだね…」と、すっかり塞ぎ込んでしまった。
浮気相手は、結婚したら家事は外注に任せよう、食事などデリか外食で問題無いという。
現に浮気相手はそうしているみたいだし、私の年収も合わさればその生活は余裕だろう。
貯蓄もあるし、妊活に集中しても数年は食える程度の蓄えも余裕である。
異性としては当然、浮気相手の方が魅力的なので、彼の言う甘言に傾き始めている自分を否定出来ない。
働き盛りの男の仕事を取り上げて、主夫にさせて、10年近い結婚生活でキャリアを形成する機会を奪ってしまった。
アラフォーにして年収は200万程度しか無い契約社員としてのキャリアしか残らない。
子供もいないし、彼には本当に何も残らない。
10年のキャリアロスを数百万で片付けろ、納得しろ、と言われたら、少なくとも私なら発狂する。
私はそれを突きつけようとしている。
大人しく気が弱いタイプの人だから、恐らく最終的には受け入れてくれるかも知れない。
でも、感情的には非常に辛い。
結局のところ、自分が稼ぐ女なら更に稼ぐ男と結婚して家事は外注にすれば良かったのだろうか?
結婚、子供、家事、がある以上、社会生活的には女が下方婚するには向いていないのかも知れない。
先にも書いているが主たる主計者は私だった。
しかし、既婚者だと必ずと言って良い程他者から夫のことを「旦那」呼ばわりされる。
「旦那」には色んな意味があると思うが、その中に「主たる主計者」「生活費を稼ぎ家を支えている者」「妻よりも(家庭内で)上位、地位が上」という意味は含まれている。
少なくとも私はそう解釈している。
夫も家の事を完璧に回していたので家を支えていると言えば支えているが、それが出来る程度の家計を支えていたのは私だ。
役割で言えば私が「旦那」なのだが、そんな事を一々言って回る訳にもいかないので、表面上は普通にしていたが内心は深く傷ついていた。
女は主計者としてみなされないんだな、と。
まさかアルバイトとも言えず、事務・経理関係の仕事とか普通の会社員とかお茶を濁していたが、正直恥ずかしかった。
私が辞めさせて家庭に入れて家事をして貰っていると頭では分かっていても、夫が同じ所に通って同じ様な仕事を毎日しているという
仕事人としては非常に恥ずべき人間であるという事実に違いは無い。
身勝手だと思うが苛つきや恥ずかしさをその度に感じていた。
名字も色々事情あって夫のものにした事もあり、余計に辛かった。
私が表立って稼ぎ柱になっているのに、あくまでも私は前田(仮名)某さんだし、「前田家」という集団の中の妻としてしか見られていない。
真実を話せば良かったのかも知れないが事情を知っているのはごく一部の親しい人しかいなかった。
今思えば下方婚をしたという事実自体が恥ずかしく、隠したかったのかもしれない。
仕事で疲れているとそういう気分になれないのと、夫が元々性欲が薄い方だった為、ほぼレス状態だった。
少なくとも夫から不満は言われた事は無いし、それでも愛情めいた感情はあったのでそれでも良いと思っていた。
仕事終わりにマッサージをして貰う、という形でのスキンシップは週に一度は最低でもあったし。
その壁を乗り越えてきた清志(仮名)は良くも悪くも遊び慣れているとは感じているし、同時に異性としての魅力は清志の方が圧倒的に勝っているのも事実だった。
夫は残念ながら異性としての魅力は(元より)足りていなかったが、そういう所は求めずに結婚したつもりだった。
でも結果的には異性をどこかで求めてしまい、清志の誘いに応じて一線を超えてしまったのだから我ながら身勝手だとは思っている。
慰謝料は数百万を考えている、とは先に書いた。財産分与は請求しないつもりだし、更に慰謝料をこちらから支払う。
通常であれば良い条件ではあると思うが、それと失わせてしまったキャリアと引き換えになるとは思えない。
でも離婚となればそうするしかない。責任を取るというのはそういう事も含まれているのだと痛感している。
清志は「夫側の財産分与を請求すれば取れる、あっちは(私が)働いているから自分の収入の大半を貯蓄に回せているのだから。良い弁護士も紹介してあげるよ」と強気だ。
実際共同資産と言えるものは殆ど無いと思う。基本は私名義の口座やカードから支払っていたので。
さすがに貯金も取り上げて離婚する気にはなれないから、慰謝料はちゃんと支払うだろう。
夫は先に寝込んでしまっている今ですら、遅くに帰った私の為、だけでも無いんだろうけど、家の事はきちんとやっている。
きっと私じゃ無ければ、私が下方婚さえしなければ、気が利く良い家庭の夫になれたかも知れないのに。
叩かれるかもな、とは思っていたけど、案の定だった。思ったよりも酷い事も言われた。
でも自分が身勝手なのは分かってるしそう思われるのも仕方無いと思う。
その中でも少数ながら擁護してくれている人の言葉に救いを求めている。
実の所、私達の中では離婚はもうほぼ確定的だ。
普段はほぼ寝に帰るだけだが定期的にハウスクリーニングを入れているという彼の家は普通に整い清潔だ。
夫は清志よりも2歳上である。そんな奴が私(女性)に稼がせて飯を食わせて貰うなんて本当に情けない、同じ男とは思えない、人生舐めているゴミ、無能とまでという。
酷い言い草だと思いつつ、その内容に多少なりとも同意してしまう自分を否定出来ない。
私は仕事人としては無能でも、穏やかで一緒に居てストレスにならず、家の事をきっちりやってくれる人を求めたというのに。
だから結果的に下方婚という形で夫を選んだのに、結局は優秀な男を選んでしまったのだから皮肉なものだ。
せめて私と対等に仕事の話が出来る程度の人だったらまだマシだったのかも知れない。
そんな人は、同じ所に通い同じ様な仕事をやる様な仕事を選ばないんだろうけど。
下方婚してまで選んだ相手なのにね。我ながら身勝手で泣きたくなってしまう。
元々出張も多い業種柄、月の半分も家に帰れない時もあった。
自宅の最寄り駅が新幹線の駅から若干不便な所にある事もあり、出張と出張の間、家に帰るのも面倒だからと
夫を新幹線駅まで呼び寄せ、本当に申し訳程度の気持ちとしてのお土産と洗濯物を渡し、代わりの服を貰って会話もそこそこに次の出張に行くのもよくあった。
だからこそ去年から数ヶ月は今日みたいな半同棲状態にあっても夫には不自然だとは思われなかったのだろう。
私が主計者だったが故に浮気を出来てしまう、最後の一線を容易に超えられてしまう環境に陥ってしまったのは本当に皮肉でしか無い。
愛情があれば良かったのだろうけど、感謝や同情はあっても、異性としての魅力は最初から殆ど無かったのかも知れない。
これからは一人で洗濯物を洗濯機に入れるぐらいはやらなければいけないのだけれども。
そんな事までやってくれていた夫に、私は感謝はしても尊敬を抱く事は出来なかった。
初めから相応の出来る男を選んでいれば、お互い不幸にならなかったのかも知れない。
夫は良くも悪くも気の弱い人だ。一方私も清志も、良くも悪くも気が強く押しも強いタイプだ。
弱っている夫にこちらの出した条件を飲ませて手を切るのは容易過ぎる。
慰謝料を支払い、さすがに家から着の身着のまま追い出す訳にもいかないので、夫の職場近くにアパートを借りよう。
一年分ぐらいの家賃だって先払いしても良い。せめてもの情けだと思う。
失わせてしまったキャリアはお金で解決出来ない事は分かってはいるけど、それでもせめてもの償いはしたい。
結局の所、女に下方婚は向いていないのかも知れない。
家を回す役割、その能力があっても、私は夫を男としては尊敬出来なかった。
一方女は家を守る役割をこなしても、それを認められない。
お互いにリスペクトが無いと愛情は続かないし、周りから承認されなくても同じ。
私は最適解を選んだつもりだったけど、後悔しか残らなかった。
同じ舞台に立てる、同じ部隊に属せる人間同士で無いと、夫婦は長続きしないのかもしれない。