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2018-02-26

anond:20180226195253

オリンピックなんてそんなもんです。平昌競技施設半年後にどうなるか見ものです。東京オリンピックもたとえ一時的経済効果があったとしても、結局電通とかゼネコンが儲けるだけ儲けて、貴重な税金無駄に食うだけの余計なハコモノが残るだけです。今さら開催権返上もできないのかもしれませんが、大会組織委員会が自力でできる範囲で、税金役人使わないでやってほしいです。平昌オリンピックは人並みにテレビで楽しみましたが、地方自治体や国が税金を使ってやるべきものとは思っていません。特に地元民にまっとうな生活をさせられない国や自治体オリンピックなんかやってる場合じゃないです。

女性専用車の何が「差別」かと言うと

女性男性に対する恐怖は認められて対策が取られるけど、

男性女性に対する恐怖やゲイに対する恐怖は認められてないことなんだよ。

確率が低いから受忍しろとか、自力解決しろと言われて終わるんだよ。

人の恐怖に差をつけて、一方の恐怖は無視したり冷笑するのが差別なんだよ。

キモくて金のないオッサンキモいは「同情されない+無能」って意味

じゃあなんで無能で金のないオッサンって書かないの?

この「無能」の概念がよく使われる「個人的能力」以上の範囲に及ぶから

例えば障碍者無能レベル能力であっても、助ける必要があり保護する必要があるから守られるでしょ?

あと無能だけど愛されるキャラっているじゃん。それコミュ力高いともいえるけど。

 

でもキモくて金のないオッサンに向けられるのは「自己責任」なの。

誰も「同情してくれない」の。

同情されないか自力で何とかするしかないけど、無能な上に金もないし、若くもないの。

から絶対に助からないの。

健常者だから何とかできるでしょって判断されるけど、

ギリ健常者の能力から一向に生活は良くならないし年収も上がらないの。

でも働き蟻として一生を過ごすしかない。

世代マッチョからすら自己責任って言われる始末。

勝ち組・負け組って言葉が産まれたところの世代に一番多い。

 

同情されない無能で金のないオッサン

それが「キモくて金のないオッサン」なの。

同情されたら頼んでもないのに助けてくれるの。

でもキモいオッサンに誰も手を差し伸べようとしない。

そこがただ無能なのと一線を引くの。

「同情されることはステータスであるという認識が我々に圧倒的に欠けている。

から(同情されない状態を表す言葉がない)ので(キモい)って形容になってるの。

キモい存在に誰も同情したりしないからな。

そして無能であるから経済的能力評価を与える必要もなくキモいまま。

 

同情されたり保護されたり能力があった時点でキモい条件から逸脱して救いの道は見える。

だけどこれらの条件に当てはまった上で、金もなければ、若くもない。

もう絶望しかないっしょ。

金あれば金で慰められる、若ければワンチャンある。

KKOにはそれすらない。

ロスジェネ世代とか圧倒的にKKOだらけだけど、理解できない人は30代以下か50代以上だろうね。

こいつらがテロリストにならないでいられるのは本当に日本洗脳教育のおかげ。

2018-02-25

基礎をちゃんとやらなかった結果

30代前半、フロントエンドエンジニアです。

20代後半で異業界から転職だったので(未経験枠)歴は5年てところ。

にしてはレベルの低い話かと思うが、まあ一般人てこんなもんかと思って読んでください。


最初ついてくれたメンター可愛い子には旅をさせよタイプというか、

子を崖から突き落とす獅子タイプというか

天才肌で理解できない人の気持ち理解できないタイプというか


端的に言って面倒見の悪い人だったため基本的な考え方を教わることな自力でなんとか這い上がってきた。

自分も割と感覚物事をやってしま典型的文系タイプなので、相性は悪くないと思ってた。


なんでも自分で調べて身に着けた。

ついでに、色々調べてると情報源豊富になって色々な技術が目に入るので

直接的な関連性はないが関心が散漫になって広く浅く技術が身に着いた。

今思うとそこの目的意識が薄かったのも悪かったな。

JS技術スタックの変化が激しいとかい事情もありますが。


他方、面倒見の良いメンターに育てられた先輩はちっきりした設計コードかい

自分結構お手本にさせてもらっているほど。

新卒入社なので歳はだいぶ下だが歴はそれほど変わらないはず。彼も文系だ。


最近またその先輩が設計したライブラリを見せてもらって参考にしながらコード書いてたら

最後コミット一年前で、まだそこに追いついてないのかよと愕然としている。

設計が綺麗ならなんでもいいかっていうとそうじゃないこともあるだろうけど。

設計力は応用力かなと思うので、悔しいがその点負けてると感じる。


基礎は大事だよ・・・

最初はあれやれこれやれ、これ関連はこう考えてここを見ろ、

っていちいち全部言ってあげた方がいいよね。

設計実装のものは任せちゃえば自分で考える頭もつくし、

言われたこしかできないってことにはならないかと。


これからどうすっかなあ。

anond:20180225194838

>自力解決できないひとはその技術使用する資格がないと気づくべきだ

今の世の中はこの大前提が脅かされているな、悲しい事に

2018-02-22

anond:20180222210531

自力で入れる大学に入って、働いてお金を貯め、そこから進学するって相当優秀だと思うけど

大学教育を通して優秀な人物になる、というのは、何をするのに優秀、何の分野で優秀、どういう優秀さを持っているか

という人によって方向性の違う「優秀さ」であって、

あなたが考えるような 背が高い⇔背が低い 的な一元的な「優秀か、そうでないか」という一元的パラメータではありません

anond:20180222210118

自力で入れる大学に入って、働いてお金を貯め、そこから進学するって相当優秀だと思うけど、大学至上主義者?

anond:20180222193104

選ぶとか、贅沢って思わないの?

大学教育においては"勉強する"ことそのもの重要ではなく、"何をどのように"勉強するかが重要であるからして、選べない大学意味はないですよ

学びたいことは特になく、勉強するのはなんでもいいから「大卒」の肩書がほしいだけなら、そりゃあ選ぶ必要はないでしょうけど。むしろそういう人物大学へ行くべきではないですね。

選びたい大学があるような、「ここでこれを学びたい」という積極的な学びの姿勢もつ若者こそ、公的福祉で援助をしてでも大学で学んでもらうべきでしょう。

一回大学出て働いてお金貯めてから自力で行けよ。努力もせず甘えんな

ああ、優秀な研究者になるかもしれなかった若者が行くべき大学へ行けなかったことでとある分野の研究10年遅れてしまった!

ということにならないように、一度働いて貯めてから大学へ行け、なんて言わずに済む社会になるといいですね

anond:20180222192653

選ぶとか、贅沢って思わないの?

他人の金でそこまでしてもらうのが当たり前だと思ってんの?

一回大学出て働いてお金貯めてから自力で行けよ。努力もせず甘えんな

2018-02-18

LGBTqのプライドとは

自分はFtXで、パンセクシャル(男女トランスわず愛せる)寄りのAセクシャル(性欲がない)と自認している。

学校では男装

積極的性自認セクシャリティについてオープンにしているわけではないが、聴かれたら答える。

隠しているわけでもない。

私が一番最初に「LGBT」について考える機会を持ったのは、外国人言語を教えあうようなコミュニティアプリに参加していたところ、各国の性的マイノリティの方の集まるコミュニティを教えてもらったあたりだった。

元々興味深かったし、当時は曖昧だった自身の性の認識を確かにするために、英語など外国語は全く不得意ながら参加することにした。

そこで盛んに唱えられていたのが「pride」である

当初私は何を指しているのかよくわからなかった。

pride意味はわかる。

なんで彼らは誇りを求めるのだろう。

もしかして辞書的な意味ではないのだろうかとさえ思った。

それから数ヶ月経ち、自分性別の違和、女性強制されることに耐えられなくなって、制服男性のものに変更してもらい、登校するようになった。

元々男子クラスメイト達のグループだったし、あいつはそういうやつだ、となって、全く問題なく学校生活が送れた。

だが後輩や他クラスの人から視線は存外冷たいものだった。

加えて、通学中にしても、わざわざ聞こえるところで悪口を言うような人もいるし、なんで女なのに?と見た目を変えてもなお女性強制する人もいた。

今一番困っているのは、公衆トイレ問題だ。

体は女だが、見た目は髪型まで男に寄せている。

どちらに入ればいいんだ。

どちらに入っても通報されそうだ。

もやもやしているのは、制服まで男性に寄せた私はともかく、なんとなくオカマっぽいキャラクター男子生徒が「オカマオカマ」と本人が否定していながら囃されることだ。私についてはそこまで執拗には言わないのに、中途半端だと茶化されるのか。

修学旅行の班決めの時は、男女別で分けたいという意見があったが、私がいたせいで基本的に混成の構造になってしまったのと、半端な性別ゆえに扱いにくいのか、これといったグループに参加していなかったのとによる「どこにいても迷惑なのでは」という考えに囚われ、少し仲のいい人にさえ声をかけられず、メンバー希望は全く叶わなかった。

私は独りなのかもしれない、と初めて感じた。

制服を変える前に、スカートを履きたくなさすぎて不登校になっていたときにも思ったのだが、どこにいても罪悪感が付きまとってくるのである

女性専用車両の話で「男と女」の対立構造の論を見ても、私はどちらにもいないんだな、と感じて胸が重くなった。

しかしたらトランスやnonbinary(日本ではX)は透明人間存在しないものとして扱われているのでは?とまで考えた。

そこでふと思い出したのが「pride」だった。

私は性別に負い目ばかり感じて、誇りが持てていない。

周囲の狭いコミュニティでさえ是とされていないと感じるものが、社会的に認められていると考えることは、若い私には難しい。

女性地位向上のためのシステムが「男女差別」と言われるのは、彼らの目に写る男女の像が「平等であることを指す本来好ましいことの筈なのだが、実際格闘技他のスポーツ特別に鍛えている女性でもない限り、男性の力に抗うことはできないのだから「pride」が損なわれている状態になる。

一般的自分の生まれもった性別に違和のない人のことをシスジェンダーと言うが、シスジェンダーの人でさえ誇りをもって「男」「女」として生きている訳でもないと思うのに、どうしてトランスが誇りを求めずにいられよう。

「ひとりの人間として」考えれば、男も女もトランスも何も変わらない。

ゲイでもレズでもバイでもヘテロ(異性愛者)でも、見た目だけではわからない。

それを何故排除しなければいけない?

何故一方的に損なわれた誇りを自力で回収しなければいけない?

そしたら周囲の理解や協力を求めるのも至極当然のことだろう。

女性専用車両場合は話が難しいが、少なくとも性的マイノリティについてはこの理論で通せる筈だ。

ヘテロセクシャルの人が同性愛者を気持ち悪がるのは構わない。でも排除してはいけない。

あなたは偶然異性にしか魅力を感じないだけで、両性共に魅力を感じることのできる人は、普通にいるのである

恋愛感情を持たないノンセクシャルの人だって結婚恋愛強制されることなんて必要ない。

同性愛者の権利向上を唱えるのは、なにも「あなた同性愛者になろう?」という誘いではないのだ。

異質なもの否定してしま心理はよくわかるが、マジョリティ言動が全て正しいなんてあり得ない。

あなたがもし異性愛者なら、心のどこかで覚えておいてほしい。

あなた同性愛者になる必要はないが、人の在り方を否定してはいけない。

2018-02-15

早めに仕事リタイアしたいんだけど…

貯金はどのぐらい必要かな?現状では月々の手取り27万円ぐらいで、結構次の給料日時点で10万円ぐらい余っててそのまま貯蓄用の口座に移すことが多い。たまに出費の多い月もあるので毎月確実に10万というわけにはいかないけど、この他に銀行で積み立て定期をやっていて、年間50万円ずつは確実に貯まるようにしてある。この他にボーナス時にあまりお金を使わなければ夏・冬それぞれ30万円ぐらい貯められる。家の管理費修繕積立金光熱費を含めた月々の生活費が、約17万ぐらいというところか。

40代後半…というかアラフィフで50代に入ってから退職すると退職金を割り増しにしてくれるので、その恩恵にあずかりたい。が、退職して自由になると旅行に行ったりいろいろ使いたいところがあるので、今貯蓄しているより早いペースで取り崩すことになってしまいそうだ。退職金は分割払いもしてくれるらしいけど、あんまり50代のうちに使い過ぎると良いことがないような気がする。

たまに4,000万円とか5,000万円貯めていて「仕事辞めたい」とか言う人がいるけど、あれは全然遊ばずにひたすら仕事一筋に生きて貯めたんだろうか。貯蓄額としてはご立派だけど、特に遊びに行くこともなく、家と職場を往復しているうちに貯まってしまったのだとすればちょっと寂しい気がする。そしてそれだけ貯金があっても、年金を受け取れるようになるまでそれを取り崩して食いつなぐという生き方人ごとながら不安を感じる。

決して自分収入は低くないと思っているし、自宅マンションのローンを完済しているので、当面住むところの心配はしなくていい。ただ、私自身が老いていくとともに家も老朽化して売り物にならなくなるので、自分自力生活できない身体になって施設などに入るときまで持ってくれないと困る。そしてこのご時世なので退職金年金がどのくらい出るかも心配だ。現状では自分の安定志向自由になりたい願望の間でうろちょろしている感じ。どの程度貯金してから辞めれば悠々自適人生が送れるのか知りたい。

正直あんまり長生きは望んでいない。50代はじめに退職したら10から15年ぐらい自由満喫して、後はあまりしまずにあの世に行ける方法があればそうしたい。が、うちの家系女性陣は長生きで、父方の祖母100歳、母方の祖母が90歳だ。すでに二人とも足腰を悪くして特養とか老人施設に入っている。そういうところは色々面倒を見てくれる代わりに月々の支払いもそれなりなので、介護必要身体になって生き延びてしまうと大変だなぁと思う。

あ~結局どうしたらいいんだ。ずるずる仕事を続けることになりそうな予感もあるけど、ただそれだけで60歳までを生きるのは悲しすぎると思う。なるべく体力のあるうちに仕事から解放されて自由になりたいのだ。面識のない親戚で似たような形で仕事を辞め、海外に飛んでしばらく向こうで働いていたけど、日本に戻ってからはろくな収入もなく実家暮らしをしていると聞くと、「やっぱり辞めない方が良いのかなぁ…」と悩む。この堂々巡り、どうにかならないだろうか。

2018-02-14

美人過ぎるナース妄想するとさ。

入院して、自力で入浴できないと看護婦さんに局部、言わばチンコふいてもらえるんでしょ。いいなー。(小並感

2018-02-12

anond:20171106171433

高齢者医療費年金削れは自分高齢者になった時困るのでは?

雑魚労働者自分なんかどうせ40ぐらいで死ぬ関係ない、と思っているなら、

そうやって自力での対策を怠って来た成れの果てが現在貧困老人なのでは?

と思うんだけどなあ。

悲しいことに人はなかなか死ねないものよ。

2018-02-11

anond:20180211112316

増田だが、攻略情報知ってるかどうかにもよると思う

自分最初から攻略サイトガン見で効率良くやってたから楽だったけど

RPG初心者とかFC時代記憶が止まってるおっさんとかが何の情報もなく自力でやったら大変そう

ハッスルダンス無いと中盤辛いのでは?

自分不器用クズでありどうやればこの状態改善できるのか?を常々悶々と考えてしかし結果ほとんどが上手く行かず毎日途方に暮れてそれでもなんとかもがいて生きてきたのだけど、ふとしたきっかけで読んだ本にその答えと思わしき内容が記載されていた。大人ADHD。書いてあることはほとんど当てはまる。どう考えても自分はこれだ。物心ついてからずっと悩んでいた様々な悩みがようやく解決できるのかもしれない。しか病院に行くことができない。理由ADHDと診断されたとして、もしくはADHDでなかったとしても、私のこの多くの悩みを解決してくれるのだろうか?と疑問に思っているからだ。私は自分の至らなさを悩みすぎた結果、10年前と5年前の2回にわたってうつ病と診断された過去を持つ。うつ病は今のところ再発はしていない。通院して薬を飲んでもうつ解決せず、自力でなんとか改善させたのだ。それゆえ心療内科を信用することができなくなってしまった。仮に自分ADHDだったとして正しく治療してくれるのだろうか?もしADHDでなかった場合に「ADHDかもしれない」と伝えてしまうとADHDではないのにADHDとしての誤った治療をされてしまうのではないか?長年悩み続けた悩みが今度こそ解決できるのだろうか?心療内科に向かうより先に発達障害支援センターで先ずは相談に乗ってもらった方がよいのでは?いや、それより先に書籍に書かれた対処法を取り入れて様子をみるべきでは?などと延々考え込んでしまっている。ADHDと診断されなくてもいい。ただただ普通の人が普通にできることを、私もできるようになりたいのだ。ただそれだけなのにどうにも改善できない。悶々と悩む暇があるならどれでもいいかチャレンジすべきだとわかってはいものの手が出せない。そういう自分にとても腹が立つ。この迷宮から抜け出せる良い手があればぜひ教えてほしい。

2018-02-10

やめられない癖

頭皮のかさぶたをめくる癖がなかなかやめられない。

頭が痒いというよりは、ストレスのはけ口としてやっているのだと思う。

傷として悪化している感じがするから本当にやめたい。皮膚科相談したら、いい匂いシャンプーが使えなくなるだろうから、なんとか自力で治したい…

子育てでうれしかたこと2

https://anond.hatelabo.jp/20180129125711

これの続き。(間違えて消したため再投稿

時間ができたので、また書き残しておく。


子供の成長

うちの子は、立つのと歩くのが遅かった。

体は大きくなっていたのに、1才過ぎてもズリバイと伝い歩きばかりで、ハイハイもしない。

特に心配はしていなかったけど、児童館公園で会うママに、「まだ歩かないの?」とか「区の育児相談いってみたら?」とか言われるようになって、ちょっと面倒に感じていた。


夏の暑さをいいわけに、児童館から遠ざかっていた1才4ヶ月のある日。

前触れもなく子供が立った。

「うわ、立った!」という衝撃が抜けきらないうちに、今度はトコトコ歩きはじめた。


両手でバランスを取りながら、自分の足で歩いている子供の姿は、思っていたよりずっと大きかった。

毎日見ているから気づかなかったけど、本当に育っているんだなと実感できた瞬間だった。



ベビーカーと抱っこ紐

子供体重10Kgに近づいてきた頃。突然、ベビーカー拒否がはじまった。

ベビーカーに乗せればギャーギャー泣き、どうにもならずに抱っこ紐に切り替える。


抱っこしてしまえば泣き止み、今度はじっと人の顔を見てくる。

泣きもしなければ笑いもしない。

わが子の熱烈な視線を受けつつ。ふうふう言いながら、空っぽベビーカーを押して歩く。そんな毎日だった。

3ヶ月くらいでおさまったけれど、拒否がひどかった時期は、なんでこんなにベビーカーが嫌いなんだろうと悩んでいた。

その理由が判明したのは、2歳も半分を過ぎた頃のこと。


牛乳を買い忘れたのに気づき。近くのスーパーまで行こうと支度している途中で、ぱらぱらと雨がふってきた。

ベビーカーレインカバーがめんどうだ。

しかたない、抱っこして出かけよう。

そう決めて、ひさびさに抱っこ紐を取り出してきたら、子供が「だっこ? ねえ、だっこ?」と聞いてきた。

「そうだよ」と返事をすれば、今度はひざにかじりつき「はやく、はやく、はやく!」とせがみはじめる。

急かされるまま抱っこをすると、こちらの顔を見つめながら「ママ、だっこだね、だっこだね!」とニコニコ笑う。


それで、やっとわかった。

の子ベビーカーが嫌いなわけじゃなく、ただ抱っこが大好きだったんだ。

表情がとぼしく、しゃべりらない時期だったから、ちっとも気づかなかったけど、本当はあのときも「ママ、だっこだね」と伝えたがっていたのかもしれない。


結局、抱っこ紐でおでかけしたのは、それが最後になった。

でも、最後最後にとろけるような笑顔を見れて、いままでの苦労がむくわれた気がした。



消えたじいじを探しに行く

うちの父は、けっこうなヘビースモーカーだ。

それから、昔気質の頑固親父だ。

母が妊娠してもタバコをふかしていたし、出産タイミングで飲みにも行ったらしい。

この数十年間、母になんども蒸し返されているのに、笑うばかりであやまったりしない。いまだ昭和を引きずったまま、この21世紀を生きている。

そんな父だったが、初孫には気をつかう。

正直、タバコを吸うために換気扇の下に移動する父の姿なんて、想像したことすらなかった。

しかし、まだ幼い初孫には、その気づかいがわからない。

みんなが揃っている状態が大好きな初孫は、じいじがキッチンに移動するのを見れば、どうしたどうしたと迎えに行ってしまう。

なかなかタバコが吸えず、苦戦する父。

母は「禁煙したら、おじいちゃん?」と追い打ちをかける。ほかの兄弟たちも、母に同調して助けようとしない。

それでもタバコを諦めきれない父は、スキを狙って玄関から外に出た。

間もなく、じいじがいないと気づいた初孫が、大慌てで家中を探し回る。

「じいじー、じいじー」と呼ぶ孫の声にガマンができなかったんだと思う。

外に出てまでタバコを吸いに行ったはずの父は、1分もたたないうちに戻ってきて、みんなを笑わせた。


あの偏屈で頑固な父ですら、この子はかわいく思えるのかとビックリしたし、わが子をかわいいと思ってもらえてることが、照れ臭くもうれしかった。


※余談

部屋にもどってきたとき、父が「玄関まで来てくれるのはお前だけだよ……」とつぶやいたようだったけど、家族は誰も反応せず。いまも初孫けがお迎えに行っている。



トイレトレーニング真実

4月から幼稚園だ。

のばしのばしになっていたトイレトレーニングに取り組みはじめたのは、入園が決まってすぐのこと。

しかし、そのタイミング子供中耳炎になった。

抗生剤の影響でおなかを壊してしまって、トイレトレーニングどころじゃなくなった。

何度も復活する中耳炎が、快方に向かいはじめたのは1月頭。

旦那出張で不在のなか、2人でトイレトレーニングをはじめた。


怖がっていたのは最初だけ。

一度成功すれば、そのあとは順調だった。

これなら入園に間に合う。

よかった、よかった……と胸をなでおろしたのも束の間。急におもらしがはじまった。

本人はちゃんとタイミング自覚できていた。

トイレシールも喜んで貼っていた。

それなのになんで? なんで急にできなくなってしまったんだろう?

どうしよう。園からオムツを外すよう言われているのに。

外での練習なんて、夢のまた夢。でも、それじゃ入園に間に合わない。

本当にどうしよう。


一人でもんもんと悩むこと数日。

ひょんなことから、意外な理由が発覚した。

おもらしに気づいて、「残念だったね」と言いながらパンツを脱がせていたとき。ソワソワした様子で「あたらしいパンツ? あたらしいパンツはく?」と聞いてきた。

その表情と、パンツ連呼している様子を見て。「もしや……」と思いながら、ありったけのパンツを持ってきて子供に見せると、すかさずその中から一枚を選び出した。


選び出したのは、おしりに大きく新幹線プリントされているもの

買ってきたパンツを見せたとき、真っ先に手に持った一枚だった。

新幹線パンツを履かせてみたら、それ以降、一切おもらしをしなかった。

どうやら、お気に入りパンツが出てくるのを早めたくて、わざとおもらしをしていたらしい。

つの間に、そんな知恵が回るようになっていたのかとあきれ。ここまで強い愛着が育っているという事実におどろいた。


愛着が生まれたということは、自力で選ぶ力がついたということだ。

選ぶ力がついたなら、この子にとって好きなものが、身の回りもっと増えていくはずだ。

それってすごく幸せなことだな。たくさん幸せになって欲しいなと、そんな風に思った。



パパの帰宅

ひと月ほど出張に行っていたパパが、ついに帰ってくる日。

在中「パパは?」と聞きまくっていた子供に、「パパは夜寝るくらいに帰ってくるよ」と伝えた。

大喜びする子供に満足し、かわいいなあと眺めていたけれど、すぐに後悔した。

「夜まだ?」の連呼がはじまったからだ。

ギリギリに伝えればよかったと思いながら、「まだよ」と言い続け。

日が暮れてからは「夜だよ! まっくらだよ!」と繰り返す子供に、「寝るにはまだ早いよ」と返し続け。

グッタリも通り越した10時過ぎに、やっとパパが帰ってきた。


「パパだー!」と叫んだ子供は、うれしそうに笑う旦那の腕に、いきおいよく飛び込んでいった。

照れくさくて、パパとなかなか目を合わせられない様子も。

抱っこから下ろされても、めげることなバタバタ追尾していく姿も。

全部がかわいくて、思い出すだけで頬がゆるむ。



トイレトレーニングも上手くいって。長かったワンオペも終わって。ようやくひと息つけたので、長々と文章を書いている。

毎日があっという間で、かわいいこと、うれしいことをちゃんと残しておかないと、すぐ記憶の彼方にいってしまう。

もったいないから、できるかぎり残していけたらなと思っている。



※追伸

前回はやさしいブコメありがとうございました。

ちょっと煮詰まっていたので、救われた気分になりました。

書くことが自分にとって最高のストレス解消法なので、また書きにきます

31年間生きてきて、生まれて初めて一人で海外旅行した。

現地に友人がいるので、百パーセント自力ではないが、一人で街を歩いた時物凄く感動した。

好きな場所に行けること、好きなことができるのことの幸せ

でも同時に物凄く不安になって、帰りの空港に向かうバスの中で泣いてしまった。

これから仕事どうしよう。結婚は?子どもは?

別に無職というわけでもないのだけど、人生に色々行き詰まりを感じていて辛い。

現地にいる友達ものすごく成功していて、経済格差を感じたせいかもしれんが。

前に進むしかないけど、どうしたら前に進めるんだろう。

2018-02-08

OJT意味を分かって無い奴が多すぎるから日本は駄目

お前が

自力

対処しろ

だぞ。

「教わる側のマニュアルがないならせめて教える側のマニュアルをくださ~い」とか舐めてんのか。

お前が

自分

対処しろ

だぞ?

anond:20180205164423

自力でやれるところまでやれるようになってからじゃないと無理(最低でも技術アピールして採用されるレベル

どこかに雇用されてから覚えるという方法不可能

2018-02-06

退職届を出してからのこの気持ちがわからない

私は今年度で退職をする。

円満退職であるしかし今とてつもない不安感と罪悪感と劣等感で頭がいっぱいだ。

退職届を出す前は絶対に辞める、辞めたらやりたいことをやるんだと意気込んでいた。それがなぜなのだろうか。今では辞めなければよかったのではないかという言葉が頭の中をぐるぐる回っている。

そもそも退職理由としては

仕事精神的にキツかった

留学がしたかった

の二点だ。

①に関しては、介護職なため利用者対応に追われていた。支援楽しいし好きな仕事だったが、同じくらい精神的にきつい仕事だった。いつかカッとした瞬間利用者に手を上げてしまうのではないか不安になることも少なくなく、少し生きづらい環境だった。体にも少しずつ影響が出てしまい、逆流性食道炎になったこともあった。また、事務作業過酷一年前までは全く残業代がつかないというブラックぷり(現在改善されているがいつ元に戻るかわからないと言われた)。

留学

イギリスワーホリを使って留学をするのが夢だ。そのために仕事をしてきたといっても過言ではない。

他の人から見ればこんな理由で?となるかもしれないが一応動機はある。退職届を出すまでは本当にこの動機で満足していたのである

ではなぜこんなにも気持ちが落ち込んでいるのだろうか。少し考えた

留学が決まらなかった

正確にはイギリスワーホリビザを取得することができなかった。

収入不安

辞めたことにより暫く収入が激減する。そのことへはかなり不安がある

繋ぎ仕事への不安

イギリスワーホリビザを取得できない場合9月を期限に他国ワーホリに挑戦するつもりでいる。しかし、その9月までの間に何の仕事ができるのか?そもそも仕事がしたいのか?

現実を目の当たりにした

お気付きの通り私はかなり計画性がない。辞める=自由 という方程式ばかりに目がいっていた。急に今まであまり良い印象を持っていなかった『無職フリーター』が間近に迫って現実味が増してしまったのではないか

おそらく他にもあるだろうが、なんとなく上記理由もやもやの原因と思われる。

しかしこれらの理由が私の中では腑に落ちない。

少し気をぬくと、今辞めるべきじゃなかった…今後どうすれば…という気持ちでいっぱいになる。なにをしても面白く感じることができず、挙げ句の果てには夢であったワーホリでさえ本当に行きたかったの?と懐疑的になってしまっている。

今すぐに絶対動かなくてはいけないことがあるはずなのに、悪い考えばかりが頭を巡らしてしまう。どうしよう。ほんと、どうすりゃいいんだ。以前のがんばればどうにかなるよ私!みたいか考えを持っていた頃の自分になりたい。答えを自力で探すなんて状況に陥ることがあまりいから、ついはてな投稿してしまったとさ…。

2018-02-05

anond:20180205100135

「あたしおかあさんだから」の歌詞の件はこの投稿を読んで初めて知りましたが、本当に今どきこれはないですよね。平成のこの時代に実際にここまでやるお母さんはいないと思うけど、ちょっと古い世代だとまぁ有りうるのかなと。

自分母親も、家族のために自分の楽しみを犠牲にするタイプです。父とは同い年夫婦ですが、共に70歳を迎え、老後をのんびり過ごせるはずのところを、父が在宅であれば昼ごはん晩ご飯も作り、施設に入っている姑と実母(私からすると母方の祖母ですね)のところに時々行って面倒をみています。父方の祖母と同居していたときは、足腰が利かなくなっていたのでトイレの介助をし、好き嫌いが多いので、自分たち夫婦用とは別のメニュー祖母食事を作っていました。

もう少し祖母が元気で自力で外出できたときは、仕事が不規則な私と近場にお出かけなどしていましたが、介護生活に入ってからはそれもなくなりました。特養に入ったので大幅に手間は省けたはずですが、いつ施設祖母たち本人から連絡が入るか分からないためか、あまり遊びに出かけてはいないようです。ときどき水泳に行ったりランニングをしたりして健康には気を遣っているようですが、極力お金がかからない遊びしかしていません。

本を読みたければ図書館で借り、映画を見るのも映画館ではなくレンタルDVDなどで済ませているようです。父が好きなように外出しているのに、母はいまだに家に縛り付けられているように見えます。私が子どもだった頃は、「夕食のおかずを何にするか」「夫が何時に帰ってくるか」「洗濯物がちゃんと乾くか」みたいなことばかり心配しているようで、「専業主婦ってつまんないの」と子ども心に思いました。

私は社会人になってからもしばらく実家に住んでいましたが、「食事が出来たと声をかけてもなかなか部屋から出てこない」「お風呂に入れといってもなかなか入らない」「髪の毛を乾かすために風呂から上がってもなかなか寝ない」という母の思い通りにならない行動にいちいちイライラされてヒステリックな声を出されてました。自分毎日決まった時間に夕食を用意し、お風呂をぴかぴかにして、皆がすぐに入れるようにしておいても家族が思い通りに動かないのがイヤだったみたいです。なぜか父が夕食どきになると突然買いものやら何やらの用事を思い出し、いちいち外出するのも母の怒りに油を注いでいました。

父方の祖母の60代といえば旅行三昧で、家にいるときも「今日は○○の会があるから」としょっちゅう外出していましたが、母にはそういう自由がありません。私と一緒に外出できていたときも、「晩ご飯の支度に間に合う時間に帰る」のが暗黙のお約束でした。ごくまれ飲み会食事会の予定が入っても、その分家族の夕食を用意してから出かけないと気が済まないので、特段手間が減るわけではなく、あまり楽しみにしているように見えませんでした。

そんな母に頼りまくって育った私は家事能力が低く、あまり介護の役にも立ちません。家族のために自分犠牲にするのがイヤなので、一度結婚したけど、義理親・義理親族との付き合いに追われたり、共稼ぎなのにダンナにやたらとちゃんとした家事要求されるのに疲れて別れました。今思えば家事をてきぱきこなせると、仕事の要領も良くなるようなので、もう少し頑張っておけばよかったかもしれませんが、子供を産んだら育児時間お金を奪われるのも恐ろしくて子づくりも拒否しました。それなりに稼ぎのある仕事をしているので生活には困りませんが、どういう人生が一番幸せなのかいまだに分かりません。長文で失礼しました。

anond:20180205001247

色んな意見に触れるだけ触れて、それを反映させるかどうかは後で考えれば良い

何が正しいとか何が間違いとかいう正解は人間社会数学じゃないから明確な定義はないと思うんだよね

こういう意見がある、こんな意見もある、よく吟味してみる、その繰り返しだけしていれば世の中の流れは大まかに掴める気がするし、そもそも常識」なんて必要ない気がするんだよな

結局子供に身に付けさせたいのは「自力考える力考える力」と「まず受け止める」ことかな……

2018-02-04

職場の脚立

今までの職場には脚立がなかった。周囲は背の高い人ばかりで、しかも「自力でやれ」の一点張り。今にして思えば「パワハラ」ではないかと思う。しかし、二度もそんな職場だと、だんだん背を伸ばす努力をしなかった私が悪い」と思うようになる。情けないと思う日々が続いた。どうにか職場円満退職してしばらくして別の仕事に決まった。

新たな職場で私は衝撃を受けた。なんと新たな職場には「脚立」があるのだ!!!しか職場の人たちは手助けしてくれるときている。しかし、ずっと「1人でやれ」「頼るな」「自力でやれ」が当たり前の職場だったために私は喜ぶどころか戸惑うことしかできなかった。

帰宅後、しっかりした会社就職が決まったことへの実感が芽生え、私はまず家族に「職場に脚立があった」ことを嬉々として報告した。しか家族の反応は当時の私の予想を裏切るものだった。

「え?前の職場は?」

家族の戸惑う顔に私は却って戸惑う。

「え?なかったよ?」

家族は口を開けるばかりだった。私は家族質問され詳細を話すと「それはパワハラではないか?」と家族全員から言われた。私は目からウロコが落ちた。脚立がないのは当たり前だと思っていた。そして自分思春期に背を伸ばさなかった努力不足だと。

最後

経営者の皆さんへ。どうしてもスペースが足りず、高いところに備品を置かざるを得ない時があると思いますしかし、背が低い方にとっては予想以上に不便です。ゴムゴムの実でもない限り、届かない時もあります。苦しんでいるところを「自力でやれ」なんて言ってたらバックレられても文句は言えないかもしれないです……。なので脚立があると働く方のバックレ率が減るかもしれません。

2018-02-03

anond:20180203183342

馬鹿にしたりする気持ちはなくて心配で言うんだけど、増田病院に行ったり助けを求めたり休んだりすることに抵抗を持ち過ぎじゃないかなあ。

自力で頑張ろうとする姿勢は偉いと思うけど、頑張り過ぎて倒れちゃうよりは倒れない程度に時々休んだ方が、増田幸せに繋がると思う。

まあそれは俺がプライド低くて、怠けることばっかり考えるタイプからかもしれないけど。プライド高い人、本当尊敬するよ。

から尊敬できる人には頑張り過ぎて潰れないでほしい。ここぞって時は利用できるものは利用してほしい。そのくらいしても積み上げた偉さは無くならないよ。

尊敬される人になった結果、潰れるしかないんだったらあんまり理不尽すぎるよ。

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