はてなキーワード: 理解力とは
どのような理由でバカなのか書いてあるのがわからんの、バカだな。
話し相手がいないから増田で自分語りしてるって話に対してブーメランだと言ってるんだから、友人に報告する代わりにって話だよ、知能が低いから読解出来てないのか?
増田やってる時点で同じ穴の狢じゃんって話やで。
リアルですれば良いような話を元増田の投稿に無理やり関連付けして書いてるから、リアルの繋がりがないんだろって馬鹿にしてるんだよ、理解力無さすぎるな。
なのに、君はそこに対し、「くだらない話を増田に投稿してたらリアルで相手いない」理論だろ? その理屈で行けば、こんなくだらない話にいちいち難癖つけるより、リアルで話したら?
リアルではお前らみたいなバカと関わりあるわけないだろ、それにリアルでお前らみたいなバカを煽ったら百害あるからな。
そもそもリアルで話す相手がいないなんて情報は君の脳内を除いてどこにも出てきていないわけなんだが、まあ書いてない情報を勝手に読み取ってそれを真実だと思い込むのは増田の基本だからな!今日も増田は平和だ!
書いてあることから読み取って煽ってるんだよ、まともな読解力がないから明示されてることすら読み取れないアホには理解できないだろうな笑
元ネタをざっと見ると、発達障害特性の強い人を避けたいように見える
http://hhttps//www.youtube.com/watch?v=hh7BZCFO414
うつ状態になると服装に気を使うだけのゆとりがなくなる。なので人事としてはうつ状態の人を避けたいと思われる。
なお、発達障害はうつの合併率が高く、発達障害の人を避けるとも解釈できなくはない。
周りとうまくやれず、それとなく追い出されていることを意味し、こういう人は発達障害を持ってることが非常に多い。
発達障害持ちは協調性がなく、空気も読めず、コミュニケーションコストが高いので、発達障害を避ける意図があるものと思われる。
高卒のほうが残念な人が多いらしい。ここでいう残念な人というのは勉強をまじめにこなすことができても、
周りより能力的に劣っており、知能の面で問題があるということを指す。
知能の面で問題がある人は指示が理解できず、マルチタスクもできず、発達障害をしばしば合併しているからだと思われる。
発達障害持ちは前述のとおり採用されない特徴を兼ね備えている。
だが、元気がよく、口だけは調子がよく、おべっかを使うのがうまい人は問題を起こす確率が低いという経験則があり、
すると、面接も潜り抜けるが、仕事を始めた途端、馬脚を現し、様々な問題を起こしてしまう。
だから、元気だけよく、口だけ調子がいい人も採用されなくなってしまった。
かといって、声が小さく、内向的な人は陰口が多く、それはそれで周りのやる気をそいでしまう。
なので、明るすぎないというのが重要なのかもしれない。
今の会社は育休があるので、結婚後の子育てのために退社する必要なく、寿退社をするような人はすぐ逃げるらしい。
確かに発達障害持ちで、仕事自体つらく、結婚して逃げる人はちらほらいるので、あながち間違いではない。
こういうことを言う人はミスも多く、遅刻も多い。ミスを指摘すると他人のせいにするので扱いにくいらしい。
ここら辺も発達障害を持ってるパターンがあるので、発達障害を避ける意図があるものと思われる。
発達障害はしばしこのような会話をすることがある。また、境界知能もこのような会話をすることが多々ある。
どちらも、職場でトラブル招くので、このような会話をする人は避けるほかない。
ドアを強く開ける人、足音を立てる人、皿洗いで音がうるさい人は周りに気を使うことができない。
このような人は空気を読めない特性があり、発達障害を持ってる可能性が非常に高い。
この手の特徴を持つ人はメンヘラらしい。メンヘラというのは今は発達障害のことを指し、
みんな「教養とは〜」みたいな感じで勝手に色々言ってるけどよ?
それでデジタル大辞泉がこれ
学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・芸術・宗教などの精神活動。
いやこんなもんあればあるほどいいに決まってるじゃん。
「それって〇〇で良くね」って言ってもよ?物事の構成要素なんてたいてい一つではないわけじゃん。
仮にその〇〇が一番重要だったとしても、教養もあった方がなおさらいいわけじゃん。
地頭が良い人が見た目も怖くしてなおかつ教養もあれば、より詐欺にあいにくくなるわけじゃん。
もちろん100%は防げないが
じゃあ元増田は何が言いたいのか?教養なんてあってもなくても変わらないなんていうのは、言葉の定義からありえない。
そう考えると、「教養を得るのにもコストがかかるはずだが、それに見合う価値はあるのか?」ということが言いたいのではないか?
だとすればだが、それについては当然なんとも言えない。
「教養」って「創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力」のこと(あるいはそれらに繋がるもののこと)らしいじゃん?カバーする範囲が広すぎる。
コストに見合うものもあれば見合わないものもあるし、それも人によって違う。
こんなフワフワしたものについて意味があるだのないだのって、そんな議論したってそれこそ意味ないんじゃないの。
元増田が上げてる4つの例だって、めちゃくちゃ苦労してその分野の教養を積むのは恐らくコスパが悪いが、そうでないならそこまでコスパが悪いものでもないかもしれない。
結局のところ、無理しない範囲で得られる教養は出来るだけ吸収しておけ、ぐらいしか言えないんでない?まあ吸収できるかどうかも個人の資質によるだろうが
知識自慢、自称インテリ、そして教養の欠如には、確かに関連性があります。これらの概念について詳しく見ていきましょう。
知識自慢や自称インテリは、往々にして真の教養とは相反する態度を示します。
教養とは単なる知識の蓄積ではなく、以下のような要素を含みます:
1. 幅広い分野への理解と関心
知識自慢や自称インテリの態度は、往々にして真の教養の欠如を示しています。真の教養は、知識の量だけでなく、その活用方法や他者との関わり方にも表れます。謙虚さ、継続的な学習意欲、そして社会への貢献意識が、真の教養を持つ人の特徴といえるでしょう。
・学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・芸術・宗教などの精神活動。
・教養とは,一般に人格的な生活を向上させるための知・情・意の修練,つまり,たんなる学殖多識,専門家的職業生活のほかに一定の文化理想に応じた精神的能力の全面的開発,洗練を意味する
・実利主義的,立身出世的,政治的な明治の〈修養〉概念に対して,大正の〈教養〉には内面的,精神的,非ないし反政治的,人格主義的等々のニュアンスが強く帯びさせられているわけである。
・人間の精神を豊かにし、高等円満な人格を養い育てていく努力、およびその成果をさす。とかく専門的な知識や特定の職業に限定されやすいわれわれの精神を、広く学問、芸術、宗教などに接して全面的に発達させ、全体的、調和的人間になることが教養人の理想である
・精神文化一般に対する理解と知識をもち,人間的諸能力が全体的,調和的に発達している状態。
・教養教育を意味するLiberal Artsは、近代大学のルーツといわれる中世ヨーロッパ大学においては、聖書を読み解くための能力(論理、修辞、文法)と神の摂理による自然現象を理解するための能力(天文、算術、幾何、音楽)から構成されていました。つまり教養とは、キリスト教世界において「神につながる」力を意味したのです。
・生きていく上で価値判断の基準となる自分なりのものさしを持っている人のことを教養があると表現しています。
・自分の力で「いかに生きるか」を考える人々が出現しました。彼らは古典語(ラテン語)を駆使して「いかに生きるか」に思いを巡らしました。教養とは古典語に精通することでもありました。
https://kotobank.jp/word/%E6%95%99%E9%A4%8A-53100
https://www.cshe.nagoya-u.ac.jp/nu_stips/sub2_colum_2.html
色々定義はあるが教養は単なる知識に留まらず、文化理解や精神的な豊かさなどの非実利的な意味合いを含む定義が多くある。
これらの意味合いを含める定義に従うなら、知識量あっても知識マウント取ったりする人間は人格に問題があるので教養がないし、知識量等は平均レベルでも精神的に円熟してる人は教養があると言えよう。