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はてなキーワード: 東浩紀とは

2022-07-13

anond:20220713021400

あのへんのいつも中道のフリしてるツイッタラー統一教会擁護してカルト批判をたたいてる時点でお察しなんじゃないかと。メディア沈黙含めて、党派性にかかわらず見逃せるような事案ではない。

東浩紀に関してはもうだいぶ前から変なことばっかり言ってると思う。

anond:20220712140052

三浦瑠麗東浩紀発言はある種「東大話法」の典型だと思う。

「〜〜にチャンスをあげた。」「自分には責任ない」「〜と^^^とは別です。」

ああ、腹が立つ。

2022-07-12

驚きつつ、これはニュースになってしまう、聞いておいてなんだが自分には責任はないと思うと述べていた。

この中〇人なんとかフェードアウトしてくれないかなあ。

せめて人選を3世とかで分かりにくくしてくれればいいのだが、明らかに日本語おかしいし、ハーフとかなんだと思うと吐き気がする。

なぜ共産主義者日本民主主義に口出ししてるのだろう・・・

テレビに出るなら、私はス〇イで母国虐殺に加担してます、とさわやかに言ったうえでテレビに出てほしい

ニコ生開票特番における福島みずほ統一教会発言について

参院選2022】開票特番三浦瑠麗東浩紀、石戸諭、夏野剛と見守ろう 3:11:00

https://youtu.be/T4HE9mY1xxc?t=11462

三浦瑠麗安倍元総理が殺された件について聞いたところ、まっさきに統一教会について言及した福島みずほ

開票特番雰囲気としてはしっかりとした証拠もないのに要人暗殺特定団体を結びつけるのはヘイトクライムを誘う可能性もあるし、

党首がそのような言及をすること自体問題視していた。東浩紀、石戸諭はもはや驚きを通り越して呆れていた。

三浦も驚きつつ、これはニュースになってしまう、聞いておいてなんだが自分には責任はないと思うと述べていた。

しかし一晩経ってもニュースにはなってないし、この番組における四人の反応は過剰だったように思う。

実際のところ安倍暗殺統一教会がどのように関係があるか、次々と情報は出ているが本当のところはよくわからない。

しかしこれほどに統一教会への言及を避ける程の緊張感が発生する理由もわからない。

もちろん、根拠なしに特定団体を叩きに走ることがヘイトクライムに繋がってしまうことを恐れているという言い方はできるのだけど、いまいちしっくりこない。

Twitterはてブなどでは統一教会に関する言及が怒涛の如くされている気がするのだが、

やはりニュース開票番組に出るような知識人匿名有象無象では温度感は異なるのだろうか。

ネットで真実を知った気でいるわけではないが、ニコ生のようなメディアでこそ突っ込んだ議論がされるべきなのではないかと思ったんだが…

統一教会についてもっと多くのメディアが報じるべきだという立場と、証拠もないのに特定団体加害者にしてはいけないという立場

この2つの立場は例えば裁判被害者加害者を訴えた時に第三者が「裁判で結果が出てないのに第三者が色々言うべきでない」と発言するのに似てて、

その発言被害者から平等立場に立とうとする加害」と避難される。だんまりするのではなくちゃんと言えよという意見だ。

しか実際問題その場に自分が居たわけではないのだから、「加害者は悪い!」と断言することはリスクが多すぎる。

それゆえ、何も言わないことが第三者としては結局マイナスのない安定択なのだ

これを踏まえると三浦瑠麗ら四人が福島みずほ統一教会発言非難したのも理解はできる。

証拠もないのに特定団体の名を出して死者が出てる事件と結びつけて言及するべきではない。ましてや党首が。

しかし、それでもなお統一教会についての言及があの場でされることに対してそれほど問題には感じられないのだ。

それは無意識自分が、加害者側に気持ちが寄り添ってしまっているからなのかもしれない。

ネットにおける情報も、統一教会に関連する様々な情報ニュースで明らかになればなるほど「ああやっぱり!」と合点がいく気になってしまう。

私は、陰謀論にハマってはいけないという意識が常にある。

しかし、自分にとって都合が良い情報は、無意識に選別してインプットしてしまう傾向にあるのがわかる。

根拠のない状態統一教会テロを結びつけてしまう考え自体陰謀論の沼にハマってしまっている。

三浦瑠麗による福島みずほへの説教ともとれる進言はそのような指摘を前提とした空気に満ちていた。

果たして自分陰謀論にハマってしまっているのだろうか。

自分以外の人間は、どのように考えているのだろうか。

anond:20220712001212

anond:20220712001212

三浦瑠麗自身責任回避必死

東浩紀統一教会擁護必死

石戸諭は福島瑞穂擁護してたように見えたが三浦と東の論調に流されたのか東に賛同

夏野剛統一教会が何をしてきたのか把握してるのかだんまり



三浦安倍元首相育児放棄熱中症死亡の赤ちゃんでは命の重さが違うみたいなことを言い出したところで山本太郎がつながったのが残念。何を言おうとしたんだ?

ニコ生開票特番における福島みずほ統一教会発言について

参院選2022】開票特番三浦瑠麗東浩紀、石戸諭、夏野剛と見守ろう 3:11:00

https://youtu.be/T4HE9mY1xxc?t=11462

三浦瑠麗安倍元総理が殺された件について聞いたところ、まっさきに統一教会について言及した福島みずほ

開票特番雰囲気としてはしっかりとした証拠もないのに要人暗殺特定団体を結びつけるのはヘイトクライムを誘う可能性もあるし、

党首がそのような言及をすること自体問題視していた。東浩紀、石戸諭はもはや驚きを通り越して呆れていた。

三浦も驚きつつ、これはニュースになってしまう、聞いておいてなんだが自分には責任はないと思うと述べていた。

しかし一晩経ってもニュースにはなってないし、この番組における四人の反応は過剰だったように思う。

実際のところ安倍暗殺統一教会がどのように関係があるか、次々と情報は出ているが本当のところはよくわからない。

しかしこれほどに統一教会への言及を避ける程の緊張感が発生する理由もわからない。

もちろん、根拠なしに特定団体を叩きに走ることがヘイトクライムに繋がってしまうことを恐れているという言い方はできるのだけど、いまいちしっくりこない。

Twitterはてブなどでは統一教会に関する言及が怒涛の如くされている気がするのだが、

やはりニュース開票番組に出るような知識人匿名有象無象では温度感は異なるのだろうか。

ネットで真実を知った気でいるわけではないが、ニコ生のようなメディアでこそ突っ込んだ議論がされるべきなのではないかと思ったんだが…

統一教会についてもっと多くのメディアが報じるべきだという立場と、証拠もないのに特定団体加害者にしてはいけないという立場

この2つの立場は例えば裁判被害者加害者を訴えた時に第三者が「裁判で結果が出てないのに第三者が色々言うべきでない」と発言するのに似てて、

その発言被害者から平等立場に立とうとする加害」と避難される。だんまりするのではなくちゃんと言えよという意見だ。

しか実際問題その場に自分が居たわけではないのだから、「加害者は悪い!」と断言することはリスクが多すぎる。

それゆえ、何も言わないことが第三者としては結局マイナスのない安定択なのだ

これを踏まえると三浦瑠麗ら四人が福島みずほ統一教会発言非難したのも理解はできる。

証拠もないのに特定団体の名を出して死者が出てる事件と結びつけて言及するべきではない。ましてや党首が。

しかし、それでもなお統一教会についての言及があの場でされることに対してそれほど問題には感じられないのだ。

それは無意識自分が、加害者側に気持ちが寄り添ってしまっているからなのかもしれない。

ネットにおける情報も、統一教会に関連する様々な情報ニュースで明らかになればなるほど「ああやっぱり!」と合点がいく気になってしまう。

私は、陰謀論にハマってはいけないという意識が常にある。

しかし、自分にとって都合が良い情報は、無意識に選別してインプットしてしまう傾向にあるのがわかる。

根拠のない状態統一教会テロを結びつけてしまう考え自体陰謀論の沼にハマってしまっている。

三浦瑠麗による福島みずほへの説教ともとれる進言はそのような指摘を前提とした空気に満ちていた。

果たして自分陰謀論にハマってしまっているのだろうか。

自分以外の人間は、どのように考えているのだろうか。

2022-06-17

anond:20220615204919

>呉座電話出演、シラスの姫発言は東が総会で春木にそう言ったのでゲンロン界隈ではその様な文脈があると思って自分も使った

”2022/06/10 01:25 東浩紀×辻田真佐憲-呉座勇一-古谷経衡最近シラスについて語る」(国威発揚チャンネル

https://shirasu.io/t/tsujita/c/beobachter/p/2022061001

今後は綱紀を粛正する。深夜に及ぶイベント放送視聴者が望むからサービスでやっているのだ

優秀なエンジニア上場企業役員でもある方々が心意気でコミットしてくれているシラスという場があの様に乱れると彼らに迷惑がかかる

古谷を責める訳でも戦犯を探す訳でもなく、ユーザー含めて全体で気をつけていこうという趣旨番組(辻田)

古谷電話出演、一般女性にも抱きついて君は恐らく「セックスしたい」とか暴言を吐いていたとの報告があった(東)

春木番組春木3Pを持ちかけてたという報告もある(東)あれはジョークだった(古谷)そうは受け取らない視聴者もいる(辻田)

呉座電話出演、シラスの姫発言は東が総会で春木にそう言ったのでゲンロン界隈ではその様な文脈があると思って自分も使った

春木を囲む飲み会がシラサーによって企画されている事(6/15 シラサー大集合番組)をキャッチしていて、社内で「シラサーの姫」問題として認識されていた(東)

姫の何があかんねん(春木コメントシラスに姫的な存在が居る事でシラサーに対する参入障壁を上げてしまうのでそれを容認できない(東)

春木シラス女性配信者のパイオニアであるという自覚を持ってほしい、今後女性配信者を増やしていくためにも(東)”

2022-06-16

anond:20220616100213

東浩紀といえば20年前から学生をこき使って学生が愛想つかす」「部下に人を人とも思わない態度とって部下が愛想つかす」「相手を目下と見ると見下しまくって相手が愛想つかす」で有名だし

かなり前に東浩紀の下にいた研究者の人とよもやま話になって「僕は東さんとケンカ別れしてない期間が一番長いんですよ」(意訳)という自慢とも自虐もつかない話された

その時点で周囲はそういう人間だとわかってて、それでも利用価値コネカネ)があるからと、ほどほどの距離感で付き合える人が付き合ってるのが今

(30代だった昔より中年になったので尊大な態度で違和感が少なくなったのもあるだろう)

anond:20220616101256

お前に「そう」見えるのは勝手だけど、世間評価としては前世紀に既に浅田彰が「自分を褒めてくれないとすぐ切れる子供」と評しているように、東浩紀は「いつも誰かに擦り寄っては喧嘩別れしてる」というのが一般的見方なので、単にお前に見る目がないだけだな。

ゲンロン・シラス問題(呉座チャンネルキャンセル問題)について

ゲンロン・シラス問題(呉座チャンネルキャンセル問題)について最も良く議論されているのが5ちゃんねるだという状況は嘆かわしい。とにかくシラスにはイエスマンしかいない(批判すると即BANされるからからまともな議論が成立していない。

この問題結論としては東浩紀失言に対して春木チャンネルで苦言を呈され、それに呉座さんが相槌を打ったことに対して東浩紀がキレた以上の事実はない。女性差別だなんだとかいう話はあるが、ちゃん動画を見た人間(まあゲンロン社によって動画アーカイブが消されているので確認できる術はないのだが)、ちゃん議論できる頭を持っている人間だったら芯を食った全うな批判だったと判断するはずだ。

問題の発端については以下の増田が詳しいので是非ご参照されたい。

https://megalodon.jp/2022-0615-2127-40/https://anond.hatelabo.jp:443/20220615175101

こんな状況でゲンロン社内で議論が尽くされていると思えるはずがない。結果としてゲンロン社は呉座さんを「上げて落とす」会社としても団体としても最悪の決断をしている。こんな状態公共性議論なんてできるはずがない。

2022-06-02

落合陽一は最初からいままでずっと選民学者エリート主義)的なことばかり言ってる

落合陽一氏 「意識だけ高い系」と「真の意識高い系」の違い

https://www.moneypost.jp/230962

落合陽一、ハラリは「夢想的で危険東浩紀が斬る“シンギュラリティ”論に潜む“選民思想

https://bunshun.jp/articles/-/53514

主著「デジタルネイチャー」でエリートベーシックインカムAI幸福を与えられた一般市民は分かれるべきと主張

落合陽一さん「社会学者という肩書きの『クソ大学院生』にディスられる事態が発生」とブチギレ

https://togetter.com/li/1649414

落合陽一といえばカレー飲んでる、風呂入ってない、寝てない、ずっと会議研究してるアピールなどの「俺は手を動かしているアピール」で有名だが、つまるところ

自身選民エリート)たる根拠を常にSNS上で発信し続けていることに他ならない。

俺はヨウジヤマモトを着る前の、本当に大道芸人みたいな謎の魔法使いの格好をしていた落合陽一が本当の姿だと思ってるよ

https://www.youtube.com/watch?v=V87zdzSk4ls

2022-05-20

俺は保守だけど、

東浩紀トイアンナみたいな昔はいろいろ放言してた人が

年取って責任ある立場になって保守アンチリベラルアンチフェミ的な意見言うようになると内容には賛同しつつなんかモヤモヤする

どんな人もおっさん、おばさん化からは逃れられないのを直視させられる感じがする

2022-04-17

anond:20220416154005

「この問題って何か名前がついているのだろうか?」と言っているけど、結局何が問題に思っているのだ?

「旧ボディ側の視点では死の恐怖を免れてないよなぁ」が問題なのか?旧ボディが死の恐怖を抱かなければOKなのか?

だとすれば、こういのはどうだ?死んでいく(ことにする)旧ボディに向かって「お前の意識は薄れていくが、次に目が覚めたときはお前の意識は新ボディに移っている。お前は新しい命を得る」と言い、それを信じ込ませられる、とするのである

この方法に対して違和感を持つとすると、それは死んでいく旧ボディの不安を取り除くだけであって、旧ボディが死んでしまうことに変わりはない、という感じだろうか。

しかし、ここでむしろ、「死とは何か?」という疑問を持ってもらいたい、と思う。旧ボディと新ボディなんて持ち出さなくても、次のように考えてみることはできるのではなかろうか?

寝て起きる前の自分と起きた後の自分は同じだろうか?眠る、というのは意識を失うということであり、寝る瞬間にそのときまでの自分死に、起きた時に新しい自分が生まれているのである、と。

もっというと眠る前と後でなくてもいい。午前の自分と午後の自分は同じだろうか?さらにいうと5秒前の自分は既に死んでいて、今いるのは記憶をもっているだけの新しい自分ではないのか?

自分毎日死んでしまうかもしれないのにもかかわらず安心して眠ってしまうのは、単に次の日を同じ自分として迎えられる、という信念を持っているからだけではないか

このように考えてくると、死とは何か、ということを考えようとすると、自分同一性とは何か?ということを考えたくなってないだろうか(こなかったらすまん)?

筆者も専門家じゃないし、哲学科にすらいったことはないけど、同一性ということについて近年(デリダあたりから)は次のように考えているような気がする。

自分同一性、というものは個々の瞬間の自分をつなぎとめる「自分規定」というものがあって、それによって担保されている、と考えられてきたが、実はそうではない、差延という考えがあって、すべての個々の瞬間の自分をつなぎとめる規定なんてものをどれだけ作ったところで、常に瞬間瞬間の自分はそこから微妙にずれていってしまう、という考え方である。この自分がどんどんずれていってしまうことを郵便的というモデルを使って東浩紀表現したし、郡司ペギオ幸夫は「規定」と「個々の瞬間の自分」以外に第三項があるのだ、それがずれを生んでしまうが同時になるべくつなぎとめているのだ、ということを理論化してそこからまれ創造性を説いた。

まあだからなんだ、ということかもしれんけど、しゃべりたくなったので書いた。以上。

2022-04-14

核戦争回避するためには独裁者不条理暴力に屈しなければならないのか

東浩紀の以下の連投について自分として明確にNOと示さなければ収まらないと思いつらつら書き散らす

https://twitter.com/hazuma/status/1513977232557219841?s=20&t=64eiys3xHqslprM6Vb_90Q

現在進行形独裁者による非合理で不条理暴力なすすべがないことを見せつけられしんどくなっている中で民主主義危険性を訴えておりうーんと頭が痛くなるような言説をツイートしてらしてげんなりとさせられる。

明確にしなければならないのはウクライナ現在起きている戦争ロシア独裁政権による不合理な判断がすべての原因であるということ、民主主義国家による瑕疵ではないということである

現実戦時でとても恐ろしく愚かな判断を下しているのはロシア独裁者プーチンであり、またそういったことは私たちの国でも前世紀の戦争経験したことを忘れてはならない。

現状民主主義国家連帯して自体エスカレートしないように理性的対処しており、日本淡々ウクライナへの支援ロシア非難を行っている。

さらに核攻撃をちらつかせているのはロシアである西側諸国のどの国も核攻撃示唆はしていない、おぞましい例えではあるが、ロシアが先制核攻撃をした場合、すべての責任ロシアにある、ウクライナにも西側諸国にも責任はない。

ロシアが不合理な判断をしていいる以上我々は核攻撃危険に常にさらされているがその中でウクライナ支援することやロシア非難することが全面核戦争までエスカレートさせる可能性があるのでやめようといった言説には全く賛成

できない。東浩紀ツイートでは全面核戦争回避するか、ウクライナへの支援ロシア非難を続けるかの二択しかないように簡略化しているが、現実の世情はそんな二択ではない、我々は冷静にウクライナへの支援ロシアへの制裁を続けつつも停戦への努力を続けながら、全面核戦争への抑止もできる。私は東浩紀ツイートには全く同意できない。

2022-04-13

東浩紀の連投について、思ったこ

以下の東浩紀の連投について思ったとこを書き散らす。


ウクライナが今回の戦争西欧諸国やを巻き込みたいのは当然の考えでなぜならウクライナの国力のみでは

ロシアとの戦争に勝てるわけがなく、西欧支援を引き出したいかウクライナが同情を引くようなプロパガンダ宣伝をするのは当然のことだろう。

また宣伝プロパガンダ以前にこの戦争ウクライナ国内ではロシア軍によって多くの一般市民暴力犠牲となっているがロシア国内国民

ウクライナ西欧諸国から制裁の影響は出ているもの外国から暴力さらされているわけではないといった事実は記しておきたい。

この連投の書き方だとまるでロシア世界各国に向けてプロパガンダ戦を仕掛けてないような書きぶりだが、現実ロシア世界各国のフェイクニュース勢力をつかい

巧みに情報戦サイバー戦を仕掛けている。日本でも反ワクチンなどの発信を行っていた陰謀論を垂れ流す勢力ロシアプロパガンダを垂れ流しているという指摘もある。

▼開戦以降のロシアプロパガンダニュースサイバー攻撃の例

トヨタ被害サイバー戦争激化! 国際ハッカー集団から露へのハッキング

https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2203/01/news175.html

ロシア情報戦に「Qアノン・反ワクチン」が接近…人が自らフェイクを求める理由とは?社会への不信の行き先

https://news.yahoo.co.jp/articles/4ace954403d39b36588ad92520a9f457b3ec2cff


東浩紀ウクライナ情報に流されず民衆を落ち着かせ全面核戦争回避停戦を望むとまるでウクライナ停戦拒否

世界中を巻き込む全面核戦争を望んでいるかのような語りっぷりではあるが実際は違う、ウクライナロシアとの停戦協議を何度も行っているし

何度も和平に向けた提案を行っている。この手の人達ロシア側の提案をのみ一刻も早く停戦しろとと言わんばかりで甚だ現実的ではない

言説も見受けられるが、なぜロシアウクライナ側の停戦案を飲めと言わないのだろうか?全く不思議である

日本はこれからも早期終結を望みつつも西欧諸国との協調し、日本淡々ロシア国際法違反指摘やウクライナへの支援難民の受け入れを続けていく国際協調路線をとるべきだろう。

2022-03-11

公式勝手に言ってるだけ」からはじめる文学理論半世紀

最近二次元に魂を奪われ二次創作萌える二次豚とでも呼ぶべき存在どもが、「公式勝手に言ってるだけ」「原作アニメで言ってないだけ」という種類の鳴き声を発明した。

歴史学などの一部学問においてはこうした態度が倫理的要請されてきた、ということはニコニコ大百科でも指摘されているが、そもそもこうした態度はここ半世紀ほど「文学」「テキスト」「作品」といった物事専門家が語るために用いられてきたものがほぼ起源であろうと思う。「テクスト論」と呼ばれるものがそれである構造主義の話はしません)。

すなわち「勝手に言ってるだけ」「言ってないけど言ってる」は、文学者がこの半世紀格闘し続けてきたテーマなのである。ちなみに本稿は、加藤典洋テクストから遠く離れて』をなんとなく参考にして書かれたので、興味のある方はそちらも読まれるとより楽しいかと思う。

さて、半世紀ほど前まで、たとえば夏目漱石作品批評する、ということは「それを書いた当時の夏目漱石思考に限りなく接近する」ということとほぼイコールであった。平たく言えば「作者の気持ちを考える」ことが批評家の仕事であった。友人の噂話やら本人の秘蔵のメモ書きやら、ちょっと引くくらいの何もかもを動員して「唯一の答え」=「漱石意図」に接近しようとした。

これは当時に特異な現象ではなく、それまで人間と「ことば」の関係は大体においてそんな感じであった。人類史上のベストセラーである聖書の読み解かれ方を考えてみればわかるだろう。聖書には○○と書いてあるが、これは当時の××という慣習を踏まえなければ正しく読み解けず、「正しい教え」は△△せよ、という意味になる、という研究は数限りなくされてきたし、今も続いている。

聖書にせよ漱石にせよ、ここでイメージされているのは「正解」というもの(難しく言いなおせば「真理」といってもよい)が遠くにあり、我々は「ことば」というヒントでありフィルターでもあるものを通してそこに接近していく、という構図である

これは我々の日常的な「ことば」の使用から考えてもごく自然なことだ。たとえば日本語話者あなたが「八百屋さんの隣にあるポスト手紙を入れてきて」と日本語話者である子供に頼んだとき、その場で子供八百屋と反対方向に歩き出したら、あるいはその場で手紙を破いて食べ始めたら、あなたは「言葉の正しい意味」「子供がたどり着くべきだった正解」についてこんこんとお説教をすることになるだろう。

これまでの「公式」に対するオタクの態度もまた、まさしくここに連なるものと考えてよいと思う。たとえば「エヴァ世界公式に起きたこと」にアニメ劇場版を通してよりよく接近していこうとする、というのは聖書研究者の態度そのものである(ちなみに「公式」とファンダム関係をもってしてオタク文化を特異なものとする東浩紀データベース消費」などの理論もありますが、例も反例もいくらでも出てくる類の話なのでここでは触れません)。

話は半世紀前の文学研究に戻る。ソシュールという言語学者が「一般言語学講義」という10人くらいしか出席者のいない講義を行い、ソシュール死後、その講義にも出てなかった全く関係ない奴が学生ノートをもとにソシュール一般言語学講義』として出版し、これがコペルニクス的転回にもならぶ「言語論的転回」のはじめとなった。

聖書漱石研究など、ソシュール以前は「世界言葉を作った」とされてきた。されてきた、というか、それ以外の考え方が無かった。わたしたちが「あの赤くて木になってかじると甘いやつ」に「りんご」と名付けたのであって、「りんご」という言葉がまずあって「あの赤いやつ」が後からついてきたわけではない(全くの余談だがりんごと机はこのジャンル議論酷使されすぎだと思う)。

それに対して、「言葉世界を作った」と主張するのがソシュールを祖とする「言語論的転回であるソシュールが言ったのはあくま言語の話で「あの赤いやつと『ri-n-go』の結びつきって別に絶対的じゃなくて、appleとかpommeとか見ればわかるけどたまたまだよね」という程度のことではあった。しかしそれは十分に革命であった。あまり革命的だったために世界が驚くまでに半世紀を要し(講義1900年代はじめだった)、さらに半世紀経った今ようやく振り返りがなされつつある。本稿で扱うのは、世界が気づいてから文学理論最近半世紀である

それまでの哲学世界観と言ってもよい)においては、言語研鑽によって「正解」「真理」にたどり着けると思われていた。しかし「たまたまのものいくら研ぎ澄ませたところでその高みに至る日がくるものだろうか?

よく言われるように、日本人は虹を7色で数えるが、外国人は5色で数える。この差の2色というものは本当に「ある」のだろうか?といった問題一見トリビアルで退屈なものである。だがさらに進めて、そもそも日本人」というものは「日本人」という言葉よりも前から「あった」のか?と問うと大昔の言語学講義がいまなお強烈に突き刺さってくる。

これは今日でも大問題ではあるが、半世紀前の文学研究にとっても大問題であった。確かに、それまでも言語というものがそんなに主人に忠実でないメッセンジャーであることは知られていた。しか言語論的転回は、メッセンジャーこそが主人である、としてしまったのである。その理由は以下のように明快である。我々は言語の向こうの対象(「真理」)に近づこうとしてきた。しかソシュールいわく言語対象の結びつきは「たまたまである。我々が触れることが出来るのは言語のみである。ならば、「たまたま」で検証不能な真理などというものを求めるのではなく、言語言語として我々に何を訴えかけてくるのかこそをガクジュツテキにケンキューすべきである!と。

冗談のような本当の話なのだが、ここ半世紀、世界中の文学研究者はこぞって「公式勝手に言ってるだけ」「原作アニメで言ってないだけ」と言い続けてきた。専門用語でこれを「テクスト論」における「作者の死」という。本当にそういう専門用語がある。

もはや書きぶりから嫌いと蔑視がにじみ出てしまっているが、しかしこの半世紀くらい、この潮流は世界中の識者におけるブームないし真理とされつづけ、最近になってようやく揺り戻しがきている。

二次豚でも簡単にわかることだが、これを言い始めると「公式見解」が意味を成さなくなり、要するにきりがなくなる。しかしこれはある意味正当なことでもある。「全ての『公式見解』が正しいか」と問われれば、とくに今日であれば即座にNOと答えることができる。なぜならもはや「公式」と呼ばれる以上はもはや庵野富野といった個人ではなく、分業化された組織であるからして、そこには作品世界という真理からの誤差、ノイズエラーが当然のものとして含まれうる。最も軽薄でありがちな事例として、公式Twitter担当者調子に乗って後に撤回する、という事例を挙げておけば十分だろう。

しかし、かつてのテクスト論者たちが正当にも考えたように、庵野富野すなわち「作者」個人だってべつに無謬ではありえない。すなわち彼らとて(限りなく比喩としての意味合いが薄くそのままの意味での)「神」ではないのだから、それを絶対視する必要は無くなる。むしろ作品」は1文字、1フレームに至るまで確固たるものとして存在するのだから、そちらから何を導けるかが重要である、とテキスト論者は考えた。さらには一歩進んで、「作品から導かれたわたし感情」が重要だと考える「読者反応理論」というものも生まれた。

上で「きりがなくなる」と書いたが「何でもありになる」とは微妙に異なることに注意されたい。これまで「訴えかけてくる」「意味する」「導く」などとこっそりごまかして書いてきた部分についても、文学研究者は鋭くメスを入れた。すなわち形式としての言語がなにを「意味する」(またこ言葉を使ってしまった!)かについて、激しい議論が戦わされた。つまり、「シャミ子が悪いんだよ」は「原作アニメで言ってないだけで実際は言ってる」という解釈はまあアリだが、「桃が悪いんだよ」は「言ってないし実際言ってない」という我々の直観いか正当化するかについて、涙ぐましい努力が続けられた。

しかしそうした努力にもかかわらず、論理学数学(それぞれ「たまたま」じゃない言語として期待されていた)が発達した結果、クレタ人のパラドクスやらゲーデル不完全性定理やらでそこまで簡単ではないことがわかってきた(ここでは「簡単ではない」と注意深く言ったが、知ったかぶりで「数学は不完全だと証明されたよね」と言うと凄まじく怒られるので注意)。

かくして文学研究者らはそうした論理的数学理論縦横無尽闊達自在引用した結果、文学の「正解」を「何でもあり」にした。現在蔑称として使われる「ポストモダン」という思想潮流は、大体この辺のことを指していると思う。

しかし、文学の「正解」が「何でもあり」であっていいものだろうか。蔑称とか揺り戻しなどと何度か言っているように、今日文学理論は素朴な「作者の死」論には与せず、いくらかの距離を取っていることが多い(『テクストから遠く離れて』はまさしくそうした書物である)。しかし昔と違って「神」のことばこそが「正解」であるとも考えない。そもそも「正解」があるのかどうかもわかってはいない。いまの研究者は、グラデーションの中のどこかに自分場所を見いだそうと必死になっているのだと思う。

から、「公式勝手に言ってるだけ」「原作アニメで言ってないだけ」と2022年に言っている人がいても、笑おうとは思わない。「彼/彼女はこう思う、と私は思う」という感情想像力こそ、人間発明した最も大きな発明であり、誰しもまだそれを持て余しているのだから

 

最後

これを書いた人(@k_the_p)は無職で、仕事を探していますPythonとかほんの少しできますよろしくお願いいたします。

2022-02-10

善悪を越えた人文学

世界はいろんなひとがいる。いいやつも悪いやつもいる。愛も暴力もある。それを知るのが文学を読むとか映画を見るとかい経験で、それが人文知なるものの原点だと思っていたぼくからすれば、世界善悪で分けることに忙しい最近人文学はもはやまったく人文的に見えません。

https://twitter.com/hazuma/status/1491313061130817539

なるほどお。東浩紀さんがかつて「しおちゃんレイプ寸前w」などというツイートをなぜしたのか、これで腑に落ちましたよ。

娘の貞操を守ろうとする父でもなく、また娘を性的とりひきの材料とする父でもなく、ただ善悪を越えて、年端もゆかぬ自分の娘が知り合いの成人男性から股を広げられているさまを、敢えて「レイプ寸前w」と笑ってみせることで、古典的パターナリズムから脱した新たな父親像を示そうとされたわけですね。

「しおちゃんレイプ寸前w」ツイートは当時かなり炎上し、東さんもやむを得ず消してしまいましたが、今こそ評価されるべきものだと思います

善悪を越え、わが娘の「痴態」さえも笑って見せ、なおかつ世界に発信する――これこそが人文学精神なのでしょう。ゲンロンの未来は明るい。

2022-02-07

12年前の東浩紀

https://togetter.com/li/76569

今でいう「表現の自由戦士」をクソミソに批判してる。驚いた。

伊藤剛はあまり今とノリが変わらない。ダニエル兼光も。

人に歴史ありだな。

2022-02-06

東浩紀は偉い

からは「ネトウヨ」、「冷笑系」と揶揄され、右からは「西さん」、「ブタミマン」と揶揄されてきた東浩紀がこれまで彼等に対して削除請求訴訟も起こしてこなかったことは批評家言論人として偉い

彼ほど右からも左からも大量に誹謗中傷されてきた批評家って平成を通して今日に至るまで類を見ない

東浩紀と言う名前を挙げることに二の足を踏む人はまずいないだろう

批評言論生業とする人が、他人自身名前を挙げて言葉を紡ぐことに二の足を踏ませる様なリスク付与したら、それは批評家言論人としては終わりだ

それはただの言いっ放しの無敵の人

anond:20220205131201

いやいや、まず共有されるべきは白饅頭界隈のアンチフェミ言説(男性の苦境を個々の女性責任にしてバッシングする議論)に対する怒りであって、そこはほとんど無関心でスルーしているのに、オープンレターの不備や瑕疵にはやたらに噛み付くようなことをやっていたら、「こいつはフェミリベラルを叩きたいだけなんだな」と思われても当然でしょうよ。「ダブルスタンダード」というのも、「あくまでお前の基準ではな」としか言いようがない。

東浩紀20年前は人文左派の憧れだったのに、いまは三浦瑠麗とべったりで、「コロナただの風邪」論をまきちらして、本当に地に堕ちた。

追記

なんかバズってます・・・

ちなみにオープンレターには個人的には、よほど親しい信頼できる人からまれない限り署名はしないと思う。これが「呉座氏を学術から永久追放する」という効果をもたないわけがない、と考えるからだ。「学術から永久追放」を事実上是認しているのに、その自覚ほとんどないということに危険性を感じる。

そもそも元々の呉座氏の言説も「女性差別」「ミソジニー」と単純に切り捨てられるもではなく、呉座氏ほどの実績のある研究者でもテニュアではないことへのルサンチマンという社会的な背景を無視するべきではなく、その点でオープンレター呼びかけ人の人たちとは思想を異にする。

2022-01-24

ここ数日の雁琳

うろたえて弱者男性の話をし始めたけど

昔のど直球な女性差別ツイートを掘り返されて

東浩紀に「これはちょっと…」と絶句されて

「白饅頭という人のnoteを読んでくれればわかります」とか言い始めて

池内恵に「白饅頭がどうこうじゃなくて、

そう主張してる貴方が書いて世に問え」と一喝されるという流れ、

びっくりするぐらい小物で笑ってしまった

大多数の弱者男性論者はこんなこと言ってねえし

雁林と仲間にされたら迷惑だと思う

今日あたりは、もはや自分で何を書いてもボロが出る状態から

自分擁護してくれる、自分が敵視している相手批判してくれるtweet

ひたすらリツイートするだけの機械になっている

無残だ

2022-01-22

anond:20220122092343

雁琳に限らず、文書が届きまくってるのは東浩紀や白饅頭ツイートからも明らかだからねぇ

自由議論の対極にあるよね、このオープンレターとやらは

2022-01-21

anond:20220121171141

トップエントリの平弁護士東浩紀氏が述べているとおり、発起人側が運営責任果たしていないことだけは大多数の合意がとれているので、一旦はその範囲言及すればいいんじゃない

それ以上は誰も信じられない。

オープンレターフェミ界隈の動きが怖い

https://mobile.twitter.com/hazuma/status/1454693885511233536?t=iQJMHOyTHZobNIB6kdd1Jg&s=19

東浩紀「呉座氏の知人や擁護側というだけで他の学術機関にも「おまえのところのなんちゃらは問題あるから見解出せ」と文書を出しており」

https://mobile.twitter.com/BlauerSeelowe/status/1484211335151820800?t=PfnjRNhTMP8JsQI2pdWMKg&s=19

青識亜論「私も某氏からぶっこまれましたけど、弁護士通して文書送り付けて黙らせようとするムーブ

https://twitter.com/terrakei07/status/1484166570087948292?t=gMBvZGE2uCCvQQ_ex4I8Wg&s=19

饅頭自分出版社経由でそういう「文書」を受け取ったからですね。」

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