はてなキーワード: 暴走とは
異性のアイドルとか女優・声優のファンになったことがないので、よくわからないんだけど
結婚報告とか聞くとヒステリー起こしたりする人たちって、どうしてそこまでショックなの?
アイドルとか女優・声優も人だから、誰かと付き合ったり、恋愛したりとか当たり前のようにあるよね。
たまにSNSで暴走して相手の人を誹謗中傷したりするファンもどき?みたいな人もいるけど、
仮にそれで破局になったとしても、別にファンと恋愛をするわけでもなく、「ただのファンの一部」でしかない人を好意的に見るわけでも
興味の対象になるわけでもないのに、どうしてそこまで騒ぐのかわからないんだ…。
一番わからないのは、ニートで仕事もしていないような輩が好きなアイドルとかの報告を聞いて
あれこれ文句を言っていたりする人がいるということ。
今の子はキラキラネームが多いとか、今の親は名づけを真剣にしてないって言われがちだけど、むしろ逆で真剣すぎるから力み過ぎてるから、変わった名前、難しい名前が増えてるんだと思う。
昔は、近所のお寺で名づけしてもらったとか、お爺ちゃんが夢でみた、とか、そんなんで名前なんてつけてたでしょ。子供だって何人も生まれるし、もともとある名前ギャラリーから適当に縁起良さそうな名前をつける感じ。
でも今は違う。親にとったら一生に一度か二度しかない人生の大仕事。今までの人生で得たセンスと知識の集大成。大切な大切な我が子。絶対に失敗出来ないし、子供に自分がつけた名前で嫌な思いをさせるわけにはいかない。平凡な名前をつけようとすると大体インターネット検索で犯罪者と同じ名前であることが分かってしまう。こんな読ませ方じゃ学がないと周りから思われるかな?なんて考えてしまう。だからって長々考える訳にはいかない、明確な期限がある。
心に余裕がなくなると「お前のようなクズは死んでしまえ」という声が聞こえくる。
私が社会的弱者だった当時は職場で「使えねー」「死ね」「生きてる価値がない」「同じこと二度言わせんな」と言われ続けてきた後遺症だ。
スキルがないクズには何をしてもいいというマッチョイズム、富を持たない者に人権を認めぬ資本主義、都合が悪すぎて存在しないものとして扱っている連中が目に映ること自体すらも忌み嫌う日本社会の構造そのものが、個々人の人格すらも支配して私を攻撃していた。
今でこそハラスメントに対する罰則の厳しさや、私自身の立場の向上により昔ほどは純粋な人権侵害を向けられることはなくなったが……それでもあの頃のトラウマが蘇ると、誰かの言った嫌味の中に「死ね」という言葉を見出してしまう。
そもそもをして今の世の中においてハラスメント対策が取られているのは、ハラスメントを行う者が最大の社会的弱者となるからであり、結局はルールが変わっただけで社会的弱者は強者によって攻撃されていいという不文律に変化は起きていないように見える。
弱者を攻撃した強者が明日の弱者にならないシチュエーションにおいては、変わることなく弱者は強者によって攻撃を受けているし、その正しさを誰も疑っていない(正論によるリンチ行為をはてなで見ない日があるだろうか?)
そんな世の中にいると、心の奥に沈殿させることが出来た「死ね」の言葉が消滅することは決してない。
いつまでも残り続ける。
ふとした拍子に心がかき回されると、かつて投げつけられた「死ね」が頭の中で暴れだす。
ソレに対してある種の防衛本能が機能することにより今度は私自身が「死ね」を撒き散らしてしまう。
飛んできた「死ね」を受け止め続けて死なないためには、自分も殺意によって武装する以外にない、そんな状況を人生において味わいすぎたのだ。
相手が強者であれば、それは単なる無謀な喧嘩で済むが、相手が弱者であったなら私が一方的に「死ね」をぶつけるだけでその場が終わりかねない。
死ね。
死んでしまえ。
終わらないループだ。
殺し合うしかねえ。
もうダメだ。
オレの心をどう修復すればいいんだ。
ふざけやがって。
殺してやる。
てめーらそこに並べ。
殺してやるよ!
俺が今から!
全員殺す!
死ね!
ふー……ふー……
これは女性に特有の権力の一種だから閉鎖的空間だと増幅されるんだと思うよ。
もちろん男性もやることではあるけどね。
例えばあるコミュニティ内において男性だらけで固まっていると社会から危険な集団であるとみなされる可能性が高くなる。
これは犯罪者の内訳として男性が非常に多いという特徴があるから。
つまり女性というのは社会的に安全で安心なものであるという無意識の共有概念が存在するんだ。
これは男性も女性も持ってて「女性は安全である」という概念を人類ほとんどで共有してる。
だから、女性がある人間を好んだりすることってのは社会的に非常に強い意味を持つ。
つまり女性が「あの人が好きです」とか「あの人は優しいです」というとそれだけで社会的に安全だとみなされる効用がある。
もちろんこれも男女にかかわらず作用する。
なので、女性が他人を褒めること自体にものすごいパワーがあって世間から推奨されるように感じてくる。
これは逆説的にに人を否定することに対しても恐ろしい効力を発揮する。
こういう女性の権力を自覚していない女性は徐々にこの行為に酔うようになってくる。
特に女性で固まるコミュニティ内はどんどん歯止めが利かなくなる。
褒めれば褒めるほど身内や自分の好きな人や物はエンパワメントしていくし、外様の人間はどんどん悪魔化していく。
だから外の人間を定期的に連れてくる必要があるんだけど、女性だとミイラ取りがミイラになっちゃうし
男性をコミュニティに入れるってのも解決策にはならないし、実際危険なこともあるから推奨はしない。
なぜならこの承認の権力にエンパワメントされた男性が暴走するから。
このエコーチェンバーはすごく不健全な快感を生むしかなり危険な兆候なので少しコミュニティから距離を置くことも考えてもいいと思う。
箸の持ち方やマナーに関して何やら揉めているようだが
ちゃちゃこ正直クソババアお母さんという下品なハンドルネームの女や
もじゃもじゃ頭のNO科学者が「持ち方の自由」を主張している。
だが、騒ぎの本質は「正しい」という表現への脊髄反射。それだけ。
これが子供ではなく、いい歳した大人の態度というのだから驚きだ。
動作や操作に関しては「適切なフォームやポジション」が存在する。
私は筋トレが趣味だが、いわゆる「正しいフォーム」というのがあり
その「正しいフォーム」とは「数多の先人達による膨大な試行錯誤と経験則」から
「平均的、あるいは好ましいフォーム」として定まったと解釈している。
そして「正しいフォーム」は自ずと美しく見える。
もちろん平均から外れる人もいる。私も種目によっては正しいフォームが合わない。
「正しいフォーム」を頭ごなしに否定し自由で良いんだと言うのは
結局「使いやすければどんな持ち方でも良い」を突き詰めれば
必ず、前述した「数多の先人達による膨大な試行錯誤と経験則」の繰り返しになる。
「正しい」とされるに至るプロセスを辿らず表面だけ見ているとそんな事にも気付けない。
基礎を禄に学ぼうとしないのに「なんとなく」「雰囲気で」調理する。
満足しているのは自分だけ。
ただ「正しいとされたきた」全てを肯定しているわけではない。
例えば「下半身強化には走り込みが常識」という主張には反対だ。
筋力が上がるどころか下がるリスクの方が高いというの学んだからだ。
強化の観点からすれば走り込みは裏付けのない根性論でしかないとわかる。
マナー・エチケット・フォーム・ポジションなどをご破算にし「自由」の行使を主張するなら、
今後、他者の無礼や無作法を「自由」の名のもとに受け入れる覚悟があるということか。
「お前が言うな」と嘲笑されても甘んじて受け入れるか見ものだ。
従来の正しさを葬ったところでまた独自の正しさを押し付けてくるのは明らか。
それが予想できないペラペラ人間には、モジャモジャ毛の生えたハートに箸を、いや釘を刺して
「いっぺん死んでみる?」と言ってやりたくなる。
現代に生きる自分が必ず最良の選択していると勘違いするのだろう。
「親の躾がなっていない」と。私は酷く憤慨した事を覚えている。
今思えば憤慨は恥ずかしさを隠すためだった。
魚や肉を綺麗に切り分けたりしているのを見て
同じ箸を使っているのにどうして自分にはできないのだろう、
そんな疑問が浮かび訊いてみた。
答えは簡単「あなたの持ち方がおかしいのよ」。たったそれだけ。
それから懸命に持ち方と動かし方を真似て練習。するとどうだろう。
今まで何となく不便を感じていた箸がまるで最適な道具になったかのよう。簡単に物を掴める切り分けられる。
米粒でも豆腐でもツルツルした煮豆でも容易く掴むことができた。
正しいフォームを反復練習するだけで、こんな大きな違いになるのか、
自分なりに使いこなそうとしていたのはなんだったんだと、己の視野の狭さと浅はかさに唖然とした。
そして何より箸を考案し正しい持ち方までも無償で提供してくれた昔の人にありがとうと思った。
ちゃちゃこ正直クソババアお母さんという女、ちらっと見ただけでも
その覚悟もなく子作りをした結果、子育てに窮し不平不満を爆発させ
どうせ子育てについて「正しさ」「適切さ」に反発して碌な情報収集や勉強もせず
「己を犠牲にしない自由な育児」なんてアホなお花畑思考だったのではないだろうか。
この女は悪知恵も働くようだ。
子育てしている主婦なら誰でも直面する不安を不平不満に転換させ肥大化と正当化を煽る。
悪いのは夫だ!親だ!環境だ!社会だ!と責任を他に求めるよう誘導し
あなたは一人ではありません、私のサロンで仲間と学び人生を謳歌しましょうと
夫のことを平気で「旦那」なんて呼べる品の無さと
「正直さ」と「あつかましさ」を履き違えたデリカシーの無さは見苦しい。
こんなのがチヤホヤされているのを見ると
未だに橋下や堀江を有難がっている人がいるのも頷ける。
【対案を出せ!】中野剛志が改革バカをぶった斬る【大阪都構想】
https://www.youtube.com/watch?v=EduqZb9Xf0o&feature=youtu.be&t=79
論理性をなくす背景に、新しいこと、普通、改革と言われている「Change」
「New Change」は何か良い事をもたらすはずだという漠たる…
変化を恐れるなとかですね。
それがずっと続いているんですね。
セリフ同じなんですよ。
お前起爆してやるっていうw
http://www.nicozon.net/watch/sm20102492
17:42~
そしてこれまでが全部悪かったんんだ、これまで全部否定して良いんだと言って始まった人達は
行き詰まってくると、またそれをやりたくなる。
これ言葉があるんですよね。
英語では「The Myth of the Clean Slate」って言うんですが
今のシステムチャラにして1からやり直すのが一番良いという発想です。
これをやりだすと大変なことになる。
で、壊すと言うことは何やら「現状に風穴を開ける」ということで
ここ最近だけでも
これだけ話題になってて、それらについて一から十まで深く考えて判断しろいって言われても
俺ら素人じゃん
毎日の本業があるじゃん。それでご飯食べて生活していかなきゃじゃん。
だからこそ、政治を考えるいわば専業政治家が必要なわけで、それを選挙で選ぶしくみになってるのだけど
ロクな候補者がいないのは有権者がちゃんと考えのが悪いって言われてもさあ。毎日の生活で一杯一杯で選挙に行くのが精一杯じゃん(それもできてないけど)
逆に、日本は新自由主義と公務員叩きで研究の金を減らすわ、若手研究者を非正規にするわ、短期成果を求めてる真っ最中。
言論の自由があったうえで、新自由主義による暴走を許してきた。だから、黙ってた奴に落ち度があったというのは言えるだろう。
それから、これまた知識人を叩いてきた独裁(解放前の中国)は確かに低迷していた。
だが、知識人を叩いている民主主義社会(1980年代以降の日本)と知識人を優遇する独裁(近年の中国)では、どちらが優れているのか?という疑問はあるね。
無論、知識人を優遇する民主主義社会(近年の海外)がベストではある。けど、ベストが選べないが少しでもいい環境の研究社会を狙うやつは中国をやっぱり狙うとは思う。
香港は旗頭が明白で、今政治がやろうとしていることの反対側が正しいと断言できるからだよ。
香港の裏側には西側諸国が積み重ねてきた「言論の自由と司法の独立は大事」だという考えがあるから。
それから、香港は中国本土に比べれば一人あたりGDPも高く、自分たちのほうが豊かで優秀だというプライドがあるから。というか、一人あたりGDPで見れば日本より2割増しで豊かだ。
安倍総理がいろいろ暴走しているが、それでも支持されているのはその前の小泉自民党と民主党に比べてやっぱり経済を良くしたというのが間違いなくある。
小泉自民党時代、新自由主義で不景気と、現代に連なるロストジェネレーション世代を生み出した。
ロストジェネレーション世代って、小泉自民党時代の熱狂はしていたが不景気の時代に社会に出されて、その後低収入に甘んじている。
だから熱狂が起きて民主党に切り替わったが、むしろ小泉自民党時代よりも厳しい新自由主義をやらかしたからまた切り替わった。
と同時に、リフレということで金の量を増やせばいいんじゃないか?という言説が生まれた。それを採用して少し小康状態になったから安倍総理は支持されている。
まあ、勝ち馬に乗ろうということで、男尊女卑の日本会議系が乗ろうとしてきたし、外敵を作って国民をまとまらせようとするということで、韓国中国に攻撃するネトウヨも集まってきたがな。
安倍総理に対抗しようと思えば、安倍総理のやってる経済の意味を理解して、その上で経済で安倍総理を上回る内容を提示しないとならない。
ナチスドイツが支持されたのも、メフォ手形という借金で経済を底上げしたからだ。
と同時に、メフォ手形による経済浮揚に限界が来たから、ユダヤ人やジプシーと言う敵を作ってそれを攻撃する、あるいは、海外侵略して、メフォ手形の借金の返済の原資を手に入れようとした。
姪っ子が面白いってガルパンを勧めてきたんだけど、せっかくDVDを貸してもらったので視聴したら、確かに面白かった。
日曜に甥っ子も連れて第二章を観に行くことになった。ここまでは良い。
それを会社の同僚に話していたら、その傍に居たオタクな後輩があれこれガルパンを語りだした。
(なんでオタクかっていうとデスクにフィギュアやら、アニメのスマホケースやら置いてあったり、その手の会話を良くしている)
ガルパンの戦車道がなんたるかーやら、戦車を知らないで観に行く作品ではないやら、キャラ名全員覚えるくらいするのは常識ですやら、
俺は別にそういう興味はないし、ただ普通にミスマッチな要素で青春話してんだなぁって感覚で見てるので、正直専門的用語はどうでもいい。
「あー、俺はそういうの気にしないで見てるから、勧められなかった見ることもなかったし教えてくれるのは嬉しいが大丈夫だよ」って返したら、
結局メールまで使って延々とうんちくを並べられて、ぐったり。
俺ね、1つの趣味に没頭するのは羨ましいし、良いことだと思うし、尊敬できるとは思うのだが
うちの姪っ子はシンプルに「面白いよ、見てみて」しか言わないから、
どう面白いのかも言わないで、まずは見てみて感じてみてって感覚なんだよね。
簡潔に「○○だから面白い」と、それだけでいいのをなんで不要なことまで語り始めちゃうんだろうなと。
ガルパンに限らないのはわかるんだけど、今回はガルパンおじさんに絞って書いたが、とにかく鬱陶しい。
まっさらだから楽しめるってことを理解しない人は、初心に戻って欲しいんだよ。
例えば、今回はガルパンの話だけどもガルパンだって初めて見た時は何も知らないで見たから興味惹かれたんじゃないかと。
その気持ちを知っているのなら、他人にうんちくを垂れ流すのは間違っていると気づくわけなんだが。
仕事が終わるまで、メールを送ってくる根性はホント恐れ入った。
まー…終業時間ぎりぎりになって上司に呼ばれて怒られていたけど(社内メールで業務と関係ないメール送ってきてたのがバレたらしい)
とにかく鬱陶しい。
これ、見終わった後もしばらく続くんだろうか。やだな。
増田の判断は一理あると思うが、だからと言ってこんなブコメに同調したらいかんぞ。
el-condor 経済が弱いから増税凍結しろというのは、正に野党が今年春の国会でしていた主張で、それに対して消費増税を前提とした予算案を強行採決したのが与党である、ということは、きちんと把握していた方が良さげ。
特に立憲民主党は一番だめ。消費税反対?それ立民の前の選挙公約ですよね?なんでまだ法案出してないんですか?って話でな。それに、分かるやつには分かるが立民の言い回しは緊縮を遠ざけているようで必ず緊縮を正当化する文言が入ってる。打ち出す経済政策も耳触りはいいが効果は小さいものばかりで根本的に景気回復を目指すものがない。あれは貧者を引き込んでおいて餌を与えず飼い殺しにする詐欺政党だよ。あいつらの言ってること正確に理解したらお前の血は何色だって言いたくなるレベルだからなマジで。
それとさ、本当に嫌になるけど、統計偽装云々とか、年金云々とか、政策の話をしているときにこんな低レベルなことを持ち出してくる奴にはうんざりするよな。どちらも統計の定義をきちんと理解すればただのプロパガンダだって分かるはずなのに、こういう連中はそれを一向に疑いもしないし、間違いを指摘されても自分で確かめようともしない。統計リテラシー云々言う以前に、もう反アベが宗教化してしまってる。
tatsuya_memo 統計偽装しながら年金資産を相場にぶち込んで溶かしてるのに「アベノミクスだけは支持」などと言える時点で宗教の域に達してるような気がする。選挙直前に消費増税が撤回されたら喜んで自民に投票するのだろうか。
結局、野党はこういうお気持ちだけが暴走した低リテラシー層の顔色を伺う政党に成り下がっているんだろうよ。こいつらはスキャンダルを追い続けるだけで政策の話なんて本当は興味ないんだよ。こいつらの在り方を反映したのが今の野党なのだろうし、この先この連中がマシになる兆しもないから、これからも野党はダメであり続けるだろうよ。
みたいな話をすると、おそらく二つの方向から二つの反応が返ってくるんだろうな。
「その通り!痴漢だからといって安全ピンで刺すのは過剰防衛!」
って。いやいやそうじゃなくて、逆でしょ。「過剰防衛は慎め!」っていう「正論」で殴ること、それこそ「正義の暴走」でしょ。
お互いにいい加減イデオロギーに縛られるのやめようよ。正義の暴走を批判する側が自分たちの正義の暴走に無頓着なのもそうだし、逆に普段は何かにつけて正義の暴走を擁護してるからいざという時に反論できなくなるんだろう。ダブスタとダブスタが喧嘩してるの側から見たらバカバカしいよ。
痴漢被害者が安全ピンを使うことについては、まず積極的に推奨はできないけど、「自分の身を守るため」なら普通に正当防衛で特に文句を言われる筋合いないと思うよ。実際多くの弁護士さんがそういう見解出してるわけだし(モトケンさんも『トラブル弁護団』の一員に名乗りをあげるレベル、と言えばわかるでしょ)。ただ、これに便乗して「正義を執行してやろう!」と思ってるなら、それは「過剰防衛だ」と言って叩いていた連中と同レベルの「正義の暴走」だからやめた方がいい。それは過剰防衛だよ。だから安全ピンを使う前に、「これは正義の暴走ではないか?」と胸に手を当てて考えて、「あくまで自分個人のためだ」と言えるなら特に問題はないと思う。