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はてなキーワード: 愛護とは

2021-06-28

anond:20210627164808

天敵がいないうえに人間(餌やりBBA愛護団体)が味方についてて食料の供給がされてるから猫ってそこらの野生動物より遥かにイージーモードで生きていけるんだよね

2021-05-25

anond:20210525174137

横だけどペットとして飼育していないなら愛護動物でも鳥獣保護法対象でもないか処罰されないらしいよ

鼠取り仕掛けて別の保護対象動物捕まえちゃったらダメと思う

anond:20210525174137

ドブネズミは人が占有する哺乳類ってことか?

動物愛護管理法(1973)では愛護動物として、古くから家畜ペットとして普及していた牛、馬、豚、めん羊、ヤギ、犬、ネコ、イエウサギ、鶏、イエバト及びアヒルの他、人が占有している哺乳類鳥類及び爬虫類が定められている(第44条)。人が占有しているという限定は、ペットなど飼育しているものを想定した表現に基づく。これらをみだりに殺害したり、傷つけたり、虐待、遺棄することは、動物愛護管理法目的の根幹を揺るがす行為となり、罰則が課せられる。

なお、この規定は野生状態にある動物対象とするものではなく、鳥獣保護法(1918)の対象となる野生化したノイヌ、ノネコノヤギなども愛護動物には含まれない。

anond:20210525100847

これ猫じゃなくてドブネズミを毒餌で駆除しようとする場合愛護法に引っかかるのかな?

近所に住んでる猫缶に不凍液混ぜてるおばさん

念の為ぼかす。

一昨年、近所の庭のある1戸建てに一人暮らしのおばさんが引っ越してきた。

その家は前住居者が離婚して、家族が出ていき、その所有者がリフォームを施し貸家にしたものだ。

日当たりが良く、庭はその家と隣の家の間にあり南側道路に面していたので、日照権を得られなかった私の家族はその家を羨ましがっていた。道路に面した部分はフェンスと門扉で覆われているが、野良猫がそのフェンスをくぐり、その庭の間を通るのを昔はよく見かけた。

独居中年女性存在結構珍しく、母の仲間たちも「未亡人なのかね」「子供が独り立ちしてるのかもね」「ママさんバレー興味あるかな」と引っ越し当初は持ち切りだった。

しかし、あまり周りとのコミュニーケーションを取りたがるような人ではなかったみたいで、周りもソッとしていた。

近所に大きな駐車場があり、そこに結構な数の野良猫がいた。過剰に猫に餌やりをする女がいて、そのせいか野良猫のたまり場になっていて、近所に庭のある家は糞尿の被害にあっていて、夏場の臭いは酷いものだった。

おばさんの家の庭も例外ではなかったのが容易に想像はついた。おばさんは園芸が好きみたいで、庭にはプランターや木の入った鉢など沢山おいてあった。

その横に開封してある猫缶らしきものが置いてあったのが驚いた。庭を荒らされても平気な程、猫が好きなんだろうなと思った。

ある日、珍しくおばさんを庭先で見かけた。おばさんはしゃがみこんで、菜箸で猫缶の中身を混ぜていた。その横に青色の不凍液のボトルが置いてあり、チョビチョビと猫缶に不凍液を混ぜながらかき混ぜているのだ。

ギョッとした俺は、見て見ぬふりを通り過ぎた。

今まで彼女はずっと、野良猫に不凍液を混ぜた猫缶を与え続けていたのだ。

今朝、そういえば最近野良猫全く見なくなったね。と母が言った。去年はふん尿のニオイも無くて良かった。窓を開けて喚起ができたから。そういえば駐車場でも冬場に野良猫1匹も見なかった。保健所に連れていかれたのかもね。車運転する時、誤っていつか踏むんじゃないかと思ってたから、ホッとしたよ。

そんな話をしていた。

俺は猫は好きでも嫌いでもないが、野良猫に餌をやる行為は間違いなく誤りだと思う。動物を飼ったことのある人間ならわかると思うが、餌やり、トイレの世話、健康チェックから看取りまで、全てこなして飼育なのだ

去勢手術も施さず1番楽な餌やりだけやって猫を護った気になれるならそれは独善的すぎるし、なんなら雑食の猫の自活力を奪い、の不幸の連鎖を繋ぐ手助けをする悪魔的な行為だ。手えだすならしまいまでやれと、俺が子供の頃に働いていた湯屋で世話になっていた職人が言っていたのを思い出す。

おばさんが恣意的野良猫を殺したことは、褒められたことではない。しかし、おばさんを責める事は誰ができるんだろうか。地域猫としての処置をされた野良猫なんて1匹も居なかった。

愛護法に動物はみだりに殺してはいけないとあるが、おばさんは自分の家の敷地内に不凍液を混ぜた猫缶を置いていただけだ。近所を歩き回って叩き殺したわけでもなく、猫のいるスポットに毒餌を置いて回っていたわけでもない。「みだり」の定義に反するかは疑問である。猫いらずでねずみを殺す感覚に近いのかもしれない。

愛護法によれば猫の放し飼い虐待にあたるるしい。

俺にはおばさんを責める権利が見当たらなかった。

猫殺しの気味の悪い中年女の行為が、近隣住民QOLの向上につながった事を知っているのは俺だけなんだろうな、と今はもう猫缶が置いてないおばさんの庭先を通り、ふと思った。

2021-04-26

ペットショップを否定するゴミクズガイジ

ペットショップ店員です。

ごくたまに「ガラス張りに動物をいれて売るなんて可哀想」なんて言葉を店内で聞きます

でもそんな戯言をおっしゃるお客様のカゴにはビーフジャーキーが入ってるんですよね。

まぁ家畜ペットは違うんでしょうが

ペットショップはきちんと生体に配慮して販売しております

昔ながらのガラスケースとサークル展示ではありますが、大きさにも余裕があり、個体によってどちらがより安心して過ごせるか見極めて展示したり、場合によっては裏で遊ばせたりしています

また仕入れも少数で絶対に売り切れる事を大前提に、またきちんと世話ができる範囲での頭数管理を徹底しています

新しい飼い主さんには所謂審査というのも設けています

本当は資産とか年収とか家族構成とかも聞きたいんですけどね。一度それをやったらプライバシー云々で訴えられかけたのでやめました。その代わりたくさん書類を書いてもらって、その場でペット保険に入ってもらったり、初飼育の方にはマナー教室などに入ってもらったりもしてました。(現在はこれもうるさくなったのでわざと膨大にした書類のみですが)

長々書きましたが、これらは単純に売れ残り病気、返品や遺棄などなどのリスクヘッジから考えれば当たり前で、普通ペットショップならどこでもやってることだと思います

そう言えば一昔前に繁殖目的多頭飼育崩壊話題になり、そのことでペットショップ忌避されることがありました。

ペット文化のものイメージダウンしてペットショップに矛先が行くのはまぁ理解できます

でもアレってペットショップじゃなくてブリーダー問題なんですよね。

そしてそもそも真っ当なペットショップはそんなアホみたいなブリーダーから仕入れません。だって遺伝子異常や病気心配がありますから。安く仕入れてもコストに見合わない。

けど何故か批判されるのはペットショップでした。(劣悪なペットショップ自分規制されてこてんぱんに叩かれるべきだと思いますよ)

よく欧米を引き合いに出して「日本ペットショップ文化おかしい」という人もいらっしゃいます

かに欧米ではペットは届け出が義務付けられたり、免許制だったりもしますね。条例が厳しいところもあるでしょう。

しかしあのドイツですら当初は動物愛護が行き過ぎた結果、数字保健所での殺処分頭数が減っても今度は街が野良犬だらけだった過去があります

ブリーダーが突然免許制になったせいで近親交配が増えて病気の犬まみれになったのはどこの国だったかな。

ペット好きって言いながらこの手の美談をする人は結果だけが好きなんですかね。

ペットショップお仕事をしていると保健所の方とのお付き合いも多いです。

フードを卸すついでに毎度中を覗く度にうちで売れた子はいいかとヒヤヒヤしながら見ています。(幸いお取引先では一度もありませんでした)

よく「譲渡会優先、ペットショップから買うのはやめよう」みたいな話も聞きます

そのこと自体否定しません。ペットが増えれば結果的ペットショップは儲かりますから

けれど譲渡会に来てる子が全部優良なペットショップから来ているわけでないのに、いつも劣悪なペットショップやクソ飼い主の汚名を被らされるのは不服です。

ペットショップで買える犬と譲渡会で出会える犬に違いはありません。

簡単ペットを買える環境を安いコスト提供するペットショップブリーダーが悪いのですが、極一部の人ペットショップ全て悪だと肉食のくせに言うんですね。

生体販売と食肉の違いってなんなんでしょう。

可哀想ってなんなんですかね。

私がペットショップにいる理由は一つ。儲かるからです。

犬も猫ももちろん可愛いと思いますが、商売道具しかありません。

商売道具からこそ大事に預かって、真っ当なお客さんに売るのです。

ここ最近コロナの影響でご来店される方が増えました。

動物園代わりにくる人がいるのもクソ迷惑ですが、ブームから簡単に買えると思われるのも迷惑ですね。

ペットという、人間が多種族動物の命を制限下における文化が出来上がってしまった以上、それを正しく維持せねばなりません。

「そんな文化いらない」とおっしゃる方もいるでしょうけど、里山と一緒で一度手が入ったものを「じゃあ」と手放してすぐ無くなる文化でもなければ、シンプルに終幕するものでもありません。

それをしようとして失敗したのが一昔前の諸外国ですから。終わるにしても一気には終わらないものです。

ペットショップ運営していると、やはり愛護団体からのあれこれも尽きないものです。

大抵は寄付をすれば黙るのでこの手の団体はもう信用していませんけどね。この人達はきっと可哀想動物しか見ていないのでしょう。

うちから出ていった子はみんな幸せだと自信を持って言えますが、生体販売をしているというだけで全て可哀想動物だそうですよ。

元々ブリーダー商売下手だからペットショップができたのにね。

ブリーダーの元で用途変更になるのと、きちんと真っ当なお店で新しい家族出会えるのなら、私が犬なら後者です。

さて、長々と吐き出しましたが。

ペットってなんなんでしょうかね。

喋らない、意思の疎通ができない、ただ可愛いだけの生き物を可愛がるという文化について考えてきた人生です。

でもきっと、だから良いんでしょうね。

どれだけクソな愛護団体にぶち当たろうとも、どれだけ生まれたての子犬より聞き分けのないクソ子連れにぶち当たろうとも、ペットは可愛くて金になりますから

やはりペットは良いものです

2021-04-23

anond:20210422181514

しろウマは名前をつけられ愛され、それでも殺していいっていうシステムが出来上がっているのが羨ましい。

愛護法とかのせいで野良猫野良カラスだって処分できないのに。

2021-04-05

anond:20210405195427

から生半可なリベラルどころか愛護団体に目を付けられてる定期

 

オタクが好きになるコンテンツを潰しに行くつもりでウキウキで抗議しに行けばいいのよ

まぁ競馬場にいるのは博徒しかいないか人生が終わったばかりの人に声掛けはしないことね

2021-03-18

anond:20180706031659

猫って昔から政治性や宗教性を帯びせられやす動物な気がする。

古代エジプト宗教とかイスラム教でも猫は重要動物として扱われたりしてるし。

流石にキチゲ愛護現代産物だと思うけど。

2021-03-01

anond:20210228235254

保護業界のことがよくわかってない人が「虐待する可能性なんてとても低いのにそれでも男性譲渡拒否して猫を殺処分させるのか」みたいなこと言ってるけど何もかもがお門違いなんや

まず身を斬って猫を保護してる猫狂いの活動家が猫を殺処分に出すことなんて無いんだわ。

どんな厄介な条件の猫でも引き取って自腹で終生飼育してる人たちもいる。

だいたいのボラ男性NGなんじゃないよ。

若くて健康な猫なんて応募がたくさん来るから、その中でできるだけ条件のいい貰い手を選ぶわけ。子猫なんて応募が殺到するよ。

そうしたらどうしてもファミリー世帯だったり猫飼育経験ありそうな家ばかり選ぶことになる。

都内の猫で応募が独身男性だけ何てことめったに無いからね。

もし応募がその独身男性しかなかったら譲渡されるだろう。

愛護団体男性拒否することで殺処分件数が増える」というのはロジックおかしい。

実際は殺処分は猫を簡単に捨てるような人間によって行われてる。だいたいは人も金も足りてない地方だ。

anond:20210301192808

27,108って多いように見えて、ほとんど死にかけてたり安楽死に近いような猫もかなりいる。

猫は人間に超優遇されてる愛護動物から、どこの都道府県保健所に入る前に愛護団体が引き取ることが多い。

保健所側も殺処分したくてしてるわけじゃないし、かわいい盛りの健康子猫なんてどこもすぐ貰い手が見つかると知ってるから最初にそういう団体に連絡する。

anond:20210301191606

もうとっくにそれを行動に移してる人はたくさんいるよ。

保護猫カフェとか愛護団体は猫が余ってる地方まで保護猫を貰いに行って需要過多になった東京まで持ち込んで猫の需要釣り合わせる努力をしてる。

わざわざ沖縄から猫を護送したりしてるからすごいことだよ。

anond:20210301015054

地方では殺処分するほど猫が余ってるけど、東京愛護団体ボランティアがたくさんいるか保健所健康な猫はいないよ。

みんな引き取られて手厚く保護されてる。

道に落ちてるきもいおじさんよかよっぽど大事にされてるよ。

2021-02-28

anond:20210228021045

元増田なんかより遥かにたくさんの金と時間を割き、限られたリソースの中で保護活動してるのに

こうやって「レッテルを貼り付けてくるクソ愛護」みたいに言われるんだからたまったもんじゃないだろうな

まぁこうやって増田匿名ブツクサ悪口つぶやくようなこどおじなんだから結局募集サイト人達の目は正しかったのでは?

要は「お前らの都合など知らない、俺の都合に合わせろ」って話なのに、クソくらえなんて言ってくるわけで

実際に繋がりを持ってたらどんなクレームを受けてたからわからないだろうから正しくリスク回避できてて良かった。

2021-02-25

女って男に愛護されてる存在で恥ずかしくないの?

当方女性ですが、他の女性が声高に女性権利を!とかいってるの見ると悔しくて仕方ない。

女性専用車輌とかアファーマティブアクションとかよく言うけどさ。男から与えられた傘の下で縮こまって食う飯は美味いか

生理休暇とか言うけど、別に与えてあげてもいいけど、要は上位存在であるから権利を下賜されてるってことに気づいてる?

そう言うのはいらないって女性なら言わない限り、永遠に女は男より下ってことになるけどそれでいいのか?

2021-02-16

動物愛護はまだわかるが

ぬいぐるみ愛護は本当に頭がおかしいとしか思えない

布と綿だぞ?感情なんてある訳ないだろ

2021-02-11

でもさ、女性の方が劣ってるのは事実だよな?

スポーツでも頭脳使う系の何かでも、まあなんでも良いんだけどさ。男性より女性の方が優れてるものって、何か一つでもある?

歴史的にも、男性のほうが女性より社会的に優位に立ってたことは事実。だけど、それはヒトという種として、男性のほうが女性より優れているか結果的にそうなったとも言えるよね?

勿論例外はある。けど、全体的にみて、女性男性の下。これをまず認めて貰わないと困る。そうでないと色々議論ができない。これを認めるからこそ、女性専用車両だったり女流だけでリーグ戦やったり、アファーマティブアクション取ろうよって話ができる訳よ。要は女性は男から見て庇護対象だと言うこと。少し言いすぎだけど、愛護するべき存在って感じだな。

それを認めない奴は、まず男性にハンデなしで戦ってから言ってくれ。

その事実をまず認めようぜ?

2020-11-26

anond:20201126044548

船が転覆し、溺れる老若男女の前に観音様が降臨しました

観音様は誰から助けるのでしょう?

そう、老若男女関係なく自身に近いものから順番に救っていくのです

というわけで

愛護団体支援団体だって

犬だけ助ける、猫だけ助ける、●●駅前ホームレスだけ助ける

とある程度自らの活動範囲に線引きをしています

でないと正直、際限がないわけです

そりゃ善人であれば助けれるだけ助けたいでしょうけど、

結果的自分がつぶれてしまったら、未来の助けてあげられたはず人が助けられなくなります

そこはぐっと我慢して自分にできる範囲の事をめいいっぱいしているわけですね

フェミニストさんも日本での意味合いとしては

基本的には女性権利問題に線引きをして活動しているんですね

(または、日本国内の、という線引きも追加されるかもしれません)

誰彼構わず権利問題アンテナ建ててたらきりがないからですね

観音様ですらできる範囲からやっている

いわんや人間においてをや

できる範囲しかできないわけですね

2020-10-11

ヴィーガン否定中国共産党の夢を見るか

ヴィーガンになると精神が病んでしまうのも無理ない

https://togetter.com/li/1605085

コメント欄より

なかなかおもしろいやり取りだったので、備忘録として


議論の流れを変えない範囲コメントの順番を入れ替えた

また誤字脱字が明らかな場合はそれを補った


箱のなかの海 @kawa_machi

他者権利侵害すべきでない”という一般的道徳観を動物まで広げるなら、ヴィーガンのような主張になるのは自然なことではある。

人と動物は違うと言うなら、その線引きをどこに置くかの明示は必要だけど、論理的妥当基準を出すのはかなり難しいよ。

自分リバタリアニズム消極的自由から肉食を正当化できるか悩んだことがある。

今のところ子供(→契約主体になりえない存在)に対する パターナリズム対応を援用して考えてるけど、お肉を食べたいがために無理してないと聞かれたらちょっと困る部分も無いとは言えない。

お肉美味しいから食べるけど。

倫理判断普遍可能である」「遺伝差異自体差別をする理由にはならない」「動物人間と同じように苦しむ」「認知能力契約能力等、動物人間区別する道徳的に重要な違いとされている違いは人間同士の間にも存在する(すなわち、限界事例の人たちが存在する)」「限界事例の人たちにも人権があり、危害を加えてはならない」、これらの組み合わせから容易に「動物にも「人権」があり、危害を加えてはならない」という結論が導ける。 (Wikipedia 動物権利)

他者を食べることを倫理的に正当化するには、これらの前提のどれかを弱める必要がある。

ヴィーガンの多くは「植物動物人間と同じように苦しむ」を弱めて、植物を食べているように思うし、 自分は「限界事例の人たちにも人権があり、危害を加えてはならない」を弱めて肉を食べている。

kusorip @kusorip2

人権は人の作った道具に過ぎないので、人が快適に過ごすために如何様にも定義変更可能なんだが 勝手に都合よく定義を狭めて理論ぽく仕立ててるだけでガキの屁理屈まりなんだよなぁ

箱のなかの海 @kawa_machi

人が作った道具であり、適宜変更ができると言うのはそのとおりなんだけど、その快適に過ごすべき”人”って何なのかという話。

人と動物の違いは何を基準にどこで線引きすべきか? 遺伝情報? 認知判断能力苦痛を感じる能力YHWHがそう定めた?

他者危害を加えることを正当化するのってちゃんと考えるとホント難しいよ。

誤: 人と動物の違いは

正: 快適に過ごせる”人”とそのために危害を加えても問題ない”動物”の違いは

人権定義問題なのではなく、人権適用される/されない対象定義問題にしている と言ったほうがわかりやすいかな。

スリーS @Super_S_Shoborn

危険危険でないか、だよ。人間集団危険性を保障し合うが、動物はそうでないか区別可能

箱のなかの海 @kawa_machi

危険性を保証し合うと言うのは、法律(してはいけないこと)の概念をを持つという理解で良いですか?

そうなると、ある種の知的障害者や1, 2歳までの子供は人間ではないので殺していいことになりますがそれで良いですか?

逆に、ルール概念を持てる動物(例えば、ある程度以上の哺乳類はそうでしょう)は”人間”なので殺してはいけないことになりますね。

スリーS @Super_S_Shoborn

知的障害者だろうが幼児だろうが、その家族報復しうるし、その境遇に陥るかもしれない人間が次は我が身次は我が子と考えて排除しうるので、危険性は保障されてますので問題ありません

危険性が保障されてるから危険からやってはいけないという簡単ロジックです

大ざっぱに言ってしまますと、全ての人間任意人間から危険性を保障されているので、その危険性が保障された人間安全に取り扱う為に人権に沿う必要があります。言い換えれば、人権人間安全に取り扱う規範だと言っています

箱のなかの海 @kawa_machi

なるほど。しかし、「危険からやってはいけない」は「危険でないならやってもいい」に繫がりますよね。

例えば、家族がいないまたは家族報復しないことを約束して譲る場合どうでしょうか。悲しいことですが、親から虐待を受けている子供障害者など、可能性は十分考えられると思いますが。

また、次は我が身、我が子と考えるかも微妙だと思います

食用の豚は殺されていますが、だからといってペットとして豚を飼っている飼い主(保護者)が「次は自分の豚が殺されるかも」とは考えないでしょう。

親が自分の子供を殺す(故意または未必の故意)場合報復危険は無いので問題なくなりますね。

パチンコ中に車の中に放置されて亡くなった子供がいたとして、その親が近くに暮らしていたとしても、「自分自分家族が殺されるかも」とは思わないでしょうし。

危険性を保障されているという言葉定義がよくわかりませんので、もう少し詳しく説明ください。

家族報復する危険報復しない、できない場合は?

周囲の人が次は自分と思って排除してくる危険→そう思わないような場合は?

また、 「人権人間を取扱うためのものである人間とは人権で取り扱われるものであ(動物はそうではない)」 はトートロジーです。何を基準人権で取り扱われる”人間”を決めるのか?と問うています

スリーS @Super_S_Shoborn

家族が居ない、または見捨てられた等の天涯孤独者は天涯孤独者同士危険性を保障し合っています。では天涯孤独乳児はどうか。普通の子供でも親が死ぬ等で天涯孤独になります。親の危険性の保障から外れえる子供を守るために「危険でないならやってもいい」という人間排除するでしょう。

からも見捨てられ誰も報復せず次は我が身我が子だと考えて誰も排除してくれない子供はどうか。子供にそういう危険性がないことを調べる必要がありますが、それを調べることもまた危険であるのでやってはいけまん(続く)

家族報復する危険報復しない、できない場合は? 周囲の人が次は自分と思って排除してくる危険→そう思わないような場合は?』

かに必ずしも家族や同じ境遇の人が報復排除をしてくれる訳ではありません。そのような危険性が保障されない人間が潜在しています。彼らは自身危険性が無いと判断されることは死刑宣告にも等しい。従って危険性を判断するような人間排除するでしょう。つまり危険性がないことを調べる事自体危険でやってはいけないことなのです

さながら、危険性が保障されない人間危険性を保障された人間擬態するように。山に生えるキノコが可食か毒か見分けがつかず、見分けることも危険であるならば、山に生えるキノコは全て毒と判断して食べてはいけないと判断するように

箱のなかの海 @kawa_machi

なるほど。 ある程度以上の知能を持つ動物も、自分自分家族、群れを傷つける他者排除しようとしますが、それらの動物危険性を保障しあっていないのでしょうか。

人間がそれらの動物を傷つけた時に報復危険性を感じないのは単に人間がそれらの動物より強いからですが。

動物の(勝手な?)代弁者である動物愛護団体などから報復危険性を感じないうちは動物には”権利”がなく、彼らが強大な力を有した段階で”権利”が生じるとなりそうです。

それは、過去王侯貴族が下々の者の人権を決めていた時代と何が違うのでしょうか?

実際のところ、権利は力の獲得とともに増えてきたという歴史はそのとおりではあるものの、

少なくとも理念上は、

力の有無や数の大小ではなく、一人ひとりが等しい人権を有しているというのが現代では概ね合意であるはずです。

動物には力がないか人間にとって危険性がなく、だから動物を傷つけても良いという”危険性の論理”はこの合意に反しますし、弱者マイノリティへの攻撃に容易に繋がりかねないのではないでしょうか?

スリーS @Super_S_Shoborn

医療食料問わず動物資源人間生命であるので、その使用禁止生存手段放棄であり自殺行為です。また、人間から動物資源という生存手段剥奪はその人間から排除対象となるので、これもまた自殺行為。二重の意味危険行為なので動物権利を与えてはいけません。

全ての人間任意人間から危険性を保障されている(自分はそう主張している)ので、弱者マイノリティへの攻撃に容易に繋がりません。

動物報復しますが、人間にとって大した危険ではなく、それ一頭を銃等の動物では認識出来ない武器で殺せば再報復されません。人間危険なのは動物と異なり火や毒、自動車銃火器等の過剰な攻撃力を持っているからです。毒を使う動物はいますが、それを報復には使いません。『過剰な攻撃力』を持ち、かつそれを『報復等に使用する』生物はただ一種、ヒトのみです。故に人間にとって人間特別です。他に該当する動物が居るのでしょうか?

箱のなかの海 @kawa_machi

2点教えてください。

1. 過激動物保護団体は多く居て、その中には銃火器などで武装しているものも有りますよね。 単に危険性の大小なら、下手な人間マイノリティよりもよほどある種の動物のほうが危険性を保障されている(報復可能性が高い)と思いますいかがでしょう。

2. 本当にすべての人間同士で危険性を保障しあっているのでしょうか。 例えば、ウイグルの人々が中国共産党上層部報復できるとは思えないのですが。 仮に米国を動かして、米中戦争が起きたとして中国が勝った場合は?

端的に言うと、 「どうしていじめダメなの」という問に対して、 「先生に怒られるから」と答えられてるような感覚があります

それは実際には大きな理由ではあるのだけど、それをメインで答えるのはまずいだろうという感覚です。

スリーS @Super_S_Shoborn

1. 危険性の保障を代行・専門化・強化した警察司法という組織の方が基本的に有能です。

2.国家という組織人間運用すれども人間のものではありません。人権は『人間が』人間安全に取り扱う規範ですので、国家個人では基本的機能しません。中国みたいに強い国家にとって人間は脅威ではないので、中国人権を守る必要がありません。では何故人権を守る国家があるかというと、国家比較的弱いか国民運用している国民主権国家からですね

箱のなかの海 @kawa_machi

1. 確かに警察司法のほうが優秀です。しかし、危険性で問題になるのはどちらが大きな力を持っているかではなく、ある閾値以上の力を持っているかでしょう。

戦車戦闘機よりマシンガンの方が弱いですが、普通の人にとってはどちらも脅威です。

2. 人権とは、単に人間であるということに基づく普遍権利。「対国家権力」または「革命権」から由来している。ブルジョア革命資本主義革命)によって確立された権利であり、「近代憲法の不可欠の原理」とされる。 人権は人が生まれつき持ち、国家権力によっても侵されない基本的な諸権利であり(略)  Wikipedia 人権

えっと、その人権定義は少なくとも一般的に受け入れられている定義ではないですよ。 対国家、つまり自分より強い相手に対するものです。

箱のなかの海 @kawa_machi

ちょっと議論が発散してきたのでまとめますね。

人と動物との違いはなにか?という問いに対して、

1. 傷つけた時に報復される危険があるのが”人”で危険がないのが”動物

2. この危険とは殴る、噛むなどではなく、銃火器などの過剰な武力を指す

3. 報復するのは傷つけられた本人ではなく、それを見た他人でも良い

という基準が出されました。

それに対して、

1.例えばクジラを傷つけた相手銃火器を用いて報復すると宣言する愛護団体存在したら、クジラは”人”の基準を満足しますよね?

2.銃火器などを苦にしない強い個人や団体(国家)は、弱い立場ホモ・サピエンスを傷つけても倫理的に問題ないとなりませんか?

という2点を質問しています

スリーS @Super_S_Shoborn

警察司法の方が基本優秀なので、過激動物保護団体テロリスト認定して取り締まってその保障無効化してますね。

銃火器などを苦にしない強い個人(超科学異星人だろうがスーパーマンだろうが)や団体(国家)が弱い立場ホモ・サピエンスを傷つけても、その個人や団体(国家)にとっては問題ありません。同じように強い力である台風が我々の人権を慮ってくれるんです?

箱のなかの海 @kawa_machi

なるほど。そこまで力を信奉し、強者は何をやってもいいとお考えならそれはそれで筋が通っていると思います

願わくば、その考えが弱い立場に向かないように、また貴方強者蹂躙されませんように。 どちらにしても、中国には住まないほうがいいと思いますよ。

攻め方と守り方は非対称で、普通は攻め方が大幅有利です。本当に取り締まり完璧にできるなら、アメリカ911を受けずにすみました。

同じ様に、畜産業者は過激愛護団体に対して警察を完全に信用できないでしょう

スリーS @Super_S_Shoborn

自分スーパーマンでも独裁者でもないことを知ってますし、立場が弱かろうが強かろうが人間ちょっかい掛けて好き好んで危険を被ろうだなんて思ってないのでご心配なく。

それに『安全』というのはリスクゼロという完璧を表す言葉ではありません。人間対象に限らず、危険性を小さくする為に安全な取り扱いを行っていますが、自動車安全運転してたって事故は起きます警察を信用しないのは自由ですが、警察という抑止力がなければもっと被害を受けていたのは想像に難くないでしょう

BLM運動警察機能不全に陥った結果を見ればわかることです

箱のなかの海 @kawa_machi

警察がなければもっと被害を受けていた と 警察があっても被害を受ける危険がある は矛盾しませんよ。

報復される危険があるなら(実際に日本では太地町が有名ですし、海外ではもっと大きなテロも起きています)、あなた基準ではそれは”人”であり、傷つけるべきではないのでは?

スリーS @Super_S_Shoborn

報復排除による危険性を無制限正当化するのもまた危険です。極端なことを言ってしまえば『貴方の周りの空気保護する。吸えば貴方に対して報復する』ということも殺人正当化悪用されてしまますね。従って人間への危険性が最小になるように線引きする必要があります。今の所設定されているベターな線引きはヒト及びヒトに所有される(動物含む)物ですね。

その線引きに動物まで含めてしまうと、動物資源によって生存している人間及び今後そうなるかもしれない人間(つまり万人)は生存手段を奪われた形になります。鯨も飢饉時は立派な食料です。狩猟には継続的経験必要ですので、飢饉時だけは鯨を殺していいと言われても狩猟出来ずに餓死ですPermalink | 記事への反応(1) | 10:35

2020-10-01

anond:20201001231051

兄弟と引き離すのは明確に虐待だと思っているし、猫を家の中に閉じ込めるのも虐待だと思ってるし、

犬が自由に走り回れる・他の犬と遊べる広大な庭を提供できないのも虐待だと思ってるやで

 

でもその上でもペット飼うやで。だって可愛いから

ついでに犬猫幸福よりも人間幸福の方が優先されるべきだと思っているやで

なぜなら人間の良いパートナーにはまだ出会っていなくても動物の良いパートナーになら

会っている人はいると思うし、人間として同族人間幸せを願うのは当然だと思うから

と言っても愛護動物法令役所指導不適切とされる飼い方・扱いをしている方々は別でやで?

法令遵守し周辺住民に恐怖を与えることな良識ある市民として暮らしてどうぞ

 

 

ちなみに宇宙人がやってきてSFパニック映画よろしく地球征服されて

自分自身愛護動物と同じ立場になったら絶対に納得はしないと思う

すごいエゴだね

2020-09-11

動物園の思い出話(追記

追記

全然突っ込んでもらえないかネタバラシするけどイマジナリー息子とイマジナリー私のお話です

追記終わり)

先週の日曜日は息子の動物園デビューだった。

写真を整理していたら色々思い出したので、今更ながら日記に残したいと思う。

何を隠そう、私は動物園が大好きだ。

小さい頃は、休みのたびに両親にせがんで動物園水族館に連れて行ってもらったものだ。特にアメリカバクオタリアなど大きくて柔らかそうでヌメッとしていそうな動物たちの不思議な造形と質感が大好きだった。

本当は息子ももっと早く動物園に連れていきたいと思っていたのだが、このご時世おいそれと遊びに行けるわけでもなく、調整に調整を重ねてついに実現できた、満を持しての動物園デビューだ。

私の英才教育のおかげですっかり動物に興味を持って育った息子はもちろん、久々に動物に触れられると思うと私も楽しみで仕方がなかった。カメラ双眼鏡スケッチブック、前日夜から念入りに準備をした。当日は動物園の近くのコッペパン屋さんに寄ってお昼ごはん調達し、開園時間と同時に動物園に飛び込んだ。

ちなみに入園時間予約制となっているので、これから行こうと思っている人は気をつけよう。

予習バッチリな息子はまずオカピを見たいとリクエストしてきた。良いチョイスだ。

知らない人もいるかもしれないので解説するが、オカピ茶色わがままボディにしましまの手足とお尻がキュートキリンの仲間だ。

いわゆる珍獣として話題になり、私も子供時代にたいそうおもしろく観察したものだが、今も変わらず珍獣のようだ。オカピの魅力を一発で見抜くとはさすが我が息子。

どちらかと言うと人間に興味がなさそうなイメージのあるオカピだったが、この日は草を喰みながらじっと息子を見下し…見つめてきた。ああ、ちょこんとした角がかわいい。息子も一生懸命見つめ返して、スケッチを取る手が完全に止まっていた。

ちなみに私はオカピの近くにいるハシビロコウがお目当てのひとつだった。ハシビロコウは鋭い眼光と巨大くちばしが特徴的な大きな鳥だ。一時期「動かない鳥」として話題になったこともあったが、少なくとも動物園で見ているぶんには結構動く。大きく形の良い羽がふわりと膨らみ、瞬きするたびに淡く澄んだ灰色の瞳がキラリと輝いて、実はとてもきれいな鳥だと思う。私が見たときはオスとメスが一羽ずつ、一つの大きなケージに入っていた。繁殖チャレンジしているのだろう。ちょっとオスが奥手なのかな?メスの気が強いのかな?人間目線ではあまり上手くいっていないように見えた。頑張れオス。

この調子で一つ一つの動物を語っていくと永遠に終わらないので一気に端折るが、結果として息子は大変満喫したようだった。

おみやげコーナーで新しい図鑑を買ってあげたら、今日に至るまで毎日飽きずに読みふけっている。ちなみになぜかイルカぬいぐるみも欲しがったが、動物園イルカはいなかったので許可しなかった。見ていない動物を実際に見た動物より優先させるのは私の教育方針に反する。ニシキヘビなら買ってあげるよと言ったら、少し迷ってから「いらない」と言われた。それから更に色々迷って、結局ホッキョクグマリアル模型を買ってあげた。

そういえばコッペパンも美味しかった。私はやはりベーシックポテサラが好きだ。息子はいちごホイップが気に入ったらしい。

動物園から帰った日の夜、息子がしみじみと「ぼく、あんなにたくさんの動物に会えたなんていまだに信じられないよ。動物園って天国だね」と言った。

妙にませた口ぶりにちょっと笑いながら、私は「そうだね、でも昔は『狭い檻に動物を閉じ込めるなんて動物がかわいそうだ!』って動物園のことを嫌う人もいたんだよ」と教えてみた。

息子はかなり驚いたようだった。そりゃそうだ。いわゆる「野生動物」が自然から消えて久しいのだから

野生動物絶滅した。動物園でその名残をかろうじて確認できる今の世界しかしらない息子には、自然が溢れ、野生動物が溢れていた時代など信じられないだろう。息子より先に生まれた私でも実際に見たことはなく、最初理解できなかったのだから

一部の愛護団体から動物虐待だのなんだのと批判されていた動物園が、動物たちの最後の砦となり、今では動物を愛するものは皆動物園にすがっている。皮肉なようにも見えるが、まあ動物園はもともと博物館一種であり、動物自然保護研究教育普及を目的とする施設である。当然の結果とも言えるだろう。

ともあれ、息子の動物園デビュー大成功だった。また近いうちに、息子と一緒に動物園に行こうと思う。コビトカバと息子のツーショット写真撮り損なっていたし。

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