はてなキーワード: 想定読者とは
いやね、それらの新聞って社是として左巻きの記事を載せているわけじゃなん。
それ自体は(嘘をついてない限りは)構わないと思うんだよ。
読売や産経のような逆パターンもあって、その両方を読むのがメディアリテラシーって考えもあるし。
けど、この現代っていう日本含む世界全体では、若者っていうのは総じて"右傾化"している。正確には、リベラル離れが明確になっている。いまの60代が街宣車の連中を馬鹿にして、40代がネトウヨを馬鹿にしてきたように、20代はヴィーガニストやツイフェミを馬鹿にする。
どうも右とか左とかいうより、イデオロギーに同調しなくなっている、と見るのが最も正確らしいが。
そうなったときに、左寄り報道っていうのは大幅に不利だと思う。右寄りよりもだ。
なぜなら、報道がイデオロギーに寄った記事を書いてきたのは、想定読者層に寄った記事を書いてきた面があった。リベラル層の読者はリベラルの記事を読んで気持ちよくなったし、保守層の読者は保守の記事を読んで気持ちよくなった。でもイデオロギーを読者が信じなくなったときに、保守紙には日本ホルホルの気持ちよさが残るのに、リベラル紙には何も残らない。まさか中韓ホルホルの気持ちよさで読者をつなぎとめるのか。それを実際やっているかもしれないが、いかんせん親中韓派だけをターゲットとするのは母数が少なすぎる。
そんな訳で、左巻き記事には、まずマスゴミとか偏りとか馬鹿にされる頻度が増えていく(いる)。それによって売り上げが減るし、多分一番致命的なのは新入社員の質が落ちていくこと。その世代を代表するような優秀なやつが応募を避け始めたり、入ったとしても早期に退職独立したりしだすと思う。
その時に上層部は方針を転換するか? しないと思う。だってイデオロギーだからだ。読んだルポによると、そもそも朝日新聞がアカ寄りになったのは、70とか80年代に社内で派閥抗争があったらしいぞ。それがいまさら変わらないよね。昇進させるのも思想が合致する社員にすると思う。
でも思想が合致する社員が優秀である確率は、今まさに下がっているはずだ。
世の中には「狙ってバズらせることができる」という技能を持っている者たちが居る。
ブログや文筆業を趣味や生業としているのならば喉から手が出るほど欲しい技能だろう。
もしかすると「そんなことは不可能だ」と否定をしてしまう者も居るかもしれない。しかしこの技能は現実的に存在する。
昨今ではこのような技能を持つ者たちの一部はインフルエンサーなどと呼ばれている。もしくはマーケッターとも表現するのかも知れない。
そのような文脈を前提に「自分はその技能を得た」と言っても怒られない程度には狙ってバズらせるようになってきた。
オンラインとの関わりはざっくりと説明するのであれば、小学生のときにニフティサーブ、時代を経ると共に2ちゃんねる、そしてTwitterという典型的なものだが、その中で「どうすると人々は僕の作ったもので馬鹿笑いしてくれるのか、興味津々になってくれるのか」をいつの間にかよく考えるようになっていた。
そしてその考え続けたものは現代で言う「バズらせる」ことへ繋がる。
ただ、やはり人間は簡単に疑心暗鬼になるもので自分自身が本当に狙ってバズらせる技能を得たのか不安になってしまった。
去年の暮れ頃、とあるコミュニティで初めて力試しとして「どれくらいバズらせることが出来るか試す」のようにコミュニティ所属する多数の前で宣言をし、年が変わって元旦に1つの記事をインターネット上へ公開した。
その結果として現在までに5万に迫るアクセスを得た。前提として無名かつ匿名の人物が公開した記事であり、内容としては難解とされがちで読者を選ぶジャンルの記事を事前に宣言して5万に迫るアクセスを狙って記録したのだ。
5万はPVなのかUUなのかシステムの都合上判然としないが、数字だけ見ると別段凄くはない。しかしこれを嘘や炎上を使わずに真面目な記事で狙ってやるのはなかなか難しい。
この結果を得たことにより「狙ってバズらせる」技能を持つ人間の末席に座っても良いのではと思うようになった。
長々と書いてしまったが、おそらくアナタたちが気になるのは長々と語った前段よりも重要なのは「狙ってバズらせるにはどうすると良いのか?」という点だろう。期待通りそれを語ろう。
ただし、何も特別なことはない。基本と呼ばれるものは流石は基本と呼ばれるだけはあり、結局のところは基本を踏襲することへ収束していくからだ。
アナタはどこでバズらせたいのか?を考えなければならない。
TwitterなのかYoutubeなのかInstagramなのかTikTokなのか、それともインターネットへアクセスする全ユーザなのか、年齢層はどの辺りなのか。
それらのユーザ(=読者)がどのようなことを好み、どのような文体(=表現)だと受け入れて貰いやすいか考えなければならない。
結局のところバズらせるには読者の膨大な受け取り方をあらかじめくまなく想定しておく必要があるのだ。
つまり、読者によっては自分自身が想定していない斜め上の発想を持つことがあり、よくわからない理由で「このコンテンツは自分向きではない」としてコンテンツの閲覧をやめてしまうことがある。
それを抑える工夫が必要だ。
Twitterなどではブログ記事の画像がサムネイル化され表示される。
このサムネイルは非常に重要であらゆる読者のアイキャッチとなり得る。
「Youtubeの動画サムネイルは日本的なスタイルがある」と言われるように、読者層へ合わせたスタイルのアイキャッチを作ることによって読者流入を呼び込みやすくなる。
実際はアイキャッチとなるサムネイルも含めてなのだが、読者は筆者が思うよりも非常に早い段階でコンテンツを切る。
アイキャッチはタイトルを読者に読ませるもので、タイトルは冒頭3行を読ませるもので、冒頭3行は記事全体を読ませるために存在すると思ってもらって構わない。
早い話が読者の興味を維持し続け、欲を言えば次々と読者の興味を増幅していく必要があるのだ。
もしアナタの書いた記事のアクセス数(PVやUUなど)自体が全く伸びないとするならばアイキャッチやタイトルの時点で失敗している。
どんなに記事の中身が良くてもクリック(タップ)されなければ意味は無いのだ。
例えばはてなーであるならばはてなブログを使いたくなるだろう。
しかしそれは「はてなブックマークでホットエントリ入りしたい」という目的でない限りは間違っている。
バズらせたい読者層を想定したときに、はてなブログ以上に人気のあるブログサービスがあるならばそちらを使うべきだ。
想定読者層に人気のプラットフォームには想定読者が居るのは当たり前であり、アナタの目的は想定読者層でバズらせることなので、アナタの好みでプラットフォームを選ぶべきでない。バズらせたいのであれば想定読者の好みでプラットフォームを選ぶべき。
YouTubeだろうがInstagramだろうが想定読者が好んでいるのならばそのプラットフォームを使うべきなのだ。
読者層を想定した際に、その想定読者層でよく読まれシェアされている記事の堅さはよくチェックしておかなければならない。
あまりにも堅い記事が続いてシェアされていたり、同じジャンルの記事が続いていたりすると想定読者層はそれに飽きていることが多い。
例えば想定読者層でお堅い政治の記事のシェアが続いているならば、アナタが書いたお堅い政治の、しかも素人が書いた下手な記事を読むわけがない。
お堅い政治の記事のシェアが続いているならば、そこへ食の乏しい2月の今、旬の食べ物やちょっとプレミアムな食事の記事をサムネイルと共に公開してみると良い。間違いなく人気が出るはずだ。
この例で右や左、保守やリベラルや革新の膨大に公開され続ける素人記事の多くが読まれない理由を察すると良い。
逆に柔らかい記事が続いていても読者は飽きるので、そういうものが続いているのであれば知識欲を刺激するような記事を公開すると良い。
扱うなという話ではなく前段に共通する話だが、女性性やLGBTQ+やジェンダーなどのネタでバズを経験するとコレに旨味を覚えて継続してしまうことが多い。結果として読者は飽きる。
そして結果としてやりがちなのがセンセーショナルな言動をしてしまい炎上状態へ陥ってしまうというパターンだ。
何もお堅いネタばかりでなく下世話なネタやエロネタでも全く同じ。それで1つバズると続けてしまいがちだ。
特に女性性によるエロネタは2ちゃんねる成長期から続く「女神」の悪習なので良くない。ニコ動でどれだけ女神の垢BANを見たことか。
女神を批難するようなフェミニズムが居ることは良いことだが、それによってバズを経験し旨味を得て繰り返すとしっぺ返しをくらうのは最早インターネットではありがちな光景だ。
フェミニストやジェンダー論者、LGBTQ+の目的は怒りを拡散することではなくフェミニズムやジェンダー論、LGBTQ+の考え方を広めることだと解釈しているが違うだろうか?
怒りは人間の心理上ネガティブな感情であってネガティブな感情を継続したくないのは人の常だ。
性的被害などを叫ぶのは重要だが、それ以上に大切なのは「誰しもが楽しく面白いフェミニズムやジェンダー論、LGBTQ+」を広めることだと思う。
敢えて言おう、バズらせるのに「怒りのフェミニズムやジェンダー論、LGBTQ+はもう古い」と。
前述した要素を考えて数十回コンテンツを公開するとバズるコンテンツが現れるはずだ(当然ながら見当違いな考えをすると失敗もするが)。
プロではないのでテキトーなことを言うけれど、プロがプロである所以は安定して高いアクセス数(PVやUUなど)を稼ぎ出すからだ。プロはおそらく1発のバズよりも一定期間内の総数の方が重要だ。
今回5万程度の数字を得たが、プロは1回の記事が1000としても、例えば1週2記事の公開した場合は1年約52週=10万4000もの数字を稼ぎ出すはず。
そしてそれが想定読者層へ対して最適なプラットフォームであった場合は1000などという小さな数字であるはずがないので5万などという数字は鼻で笑うようなものだ。
何ならプロはオススメやレコメンドなどによって他の記事の数字すら伸ばすだろう。
今回は事前に宣言するという失敗すると恥ずかしい自身へハードルを設けたが、プロは常にこのハードルを超えているわけで流石としか言いようがない。
しかも当然ながら(真っ当な)プロであるならば嘘や炎上は使わずにそれを行っているのだから感服する。
この記事は今のところのバズらせるコツみたいなものを書いたものなので今後考えが変わるかも知れないが、参考にしていただければ有り難いしツッコミは大歓迎だ。
個人的な予想としてインフルエンサーマーケティングは失速するだろうから、この記事をもってインフルエンサーになろうとするのはやめたほうが良いと強くアドバイスする。では。
既存絵使いまわしとコラボの中でもかなり軽量級なのにネットでBuzzるどころか新聞やテレビにも取り上げられ、啓蒙効果も抜群だ!私みたくこれをきっかけに献血へ行った人もいるだろうし、費用対効果やばすぎだろ。
アマラン、ドラゴンエイジコミックのトップ10のうち既刊3冊が4位、8位10位にランクインしてる(10/29現在)実際これをきっかけに買いました!という人もいるし、フェミニストも作品自体をどうこうは言ってないしそもそも想定読者にとってフェミニストからの批判はほぼノーダメージというか、むしろ追い風?
たぶんアニメ化動いてるだろうけど。
こういうポスターを日赤が使うのに批判的な人間がこれだけいると可視化。
で、「フェミからオタクコンテンツが批判されて不快だ!」みたいなお気持ちはまったく考慮しなくて大丈夫だよね?
もちろん。
1つのアニメ・漫画・ラノベ・ゲームのメインキャラの1人が巨乳だとすると、それらの作品を100個集めたら100人の巨乳が集まる。
そうすると巨乳率の高さが現実離れして二次元キャラは巨乳ばかりという印象ができる。
クリエイター達が協会を作って、巨乳を何人、どの作品に登場させるかを月ごとに審査して決めるべきだろうか?
巨乳が存在することは自然現象なのでおかしいなんてことはなく、どんな作品でも世界をくまなく探せば巨乳が1人ぐらいは見つかりそうなものだが、創作物だからキャラクター造形に必ずストーリー上・世界設定上の意味がなければならない。
作品のメインテーマが巨乳そのものかエロでなければ、巨乳は作者の趣味か想定読者・視聴者・プレイヤーの趣味だ。
巨乳が趣味のクリエイターや、エロがなければ作品の中身がなくて読者を集められないと自覚している制作側も、ぜひ自分のところから巨乳キャラを出したいと思うだろう。
そういう人達の意見をまとめて、じゃあ今月はAさんのところから1人、Bさんのところから1人、C社さんからは2人出しましょう。何月にはD社さんから新作が出るので1人出す予定です。
映画「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」について、楽しめたのでその感想を書く
映画「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」をすでに見て、そして楽しめた人
本当ははてなブログに書きたいが、他の様々なエントリやSNSを見ている限り、これはパブリックエネミーとなってしまったのでここに書く。トラバやらはてブの反応は一切見ない。異論があることは認めるがそれをいちいち納得も承服も反論もしない。
先に世に出ているエントリを見る限り、このコンテンツもこのコンテンツの制作者も邪悪なものとして一方的に殴られている光景がほとんどであり、それに対して肯定的な感想を書こうものなら、人格まで否定される攻撃を受けかねないと本気で心配しているため、なんとしてもidを伏せる必要があった。
肯定的に思えた人が同じ感想をwebに求めた際、ポジティブな気持ちである人がちゃんといることが伝わるといいなと思っている。
ドラゴンクエスト5を真面目に映像化しようとした場合、これは最低でも3部作延べ6時間は必要だよなぁ……というのが見る前に思った感想であった。それをどうやって単発の映画にするのだろう、単発にしてしまった場合、どうしても雑なダイジェスト版になってしまうのではないか、という不安でいっぱいであった。
そして視聴した。単なるDQ5の再構成として見るのなら最悪であると思うが、すでにDQ5のストーリーを熟知した観客を前提として単発の映画の中で収めるの中であれば、非常に効果的な再構成であったと思う。子供時代はほとんどすっ飛ばしたこと、ヘンリーに対するマリアやら祖国のゴタゴタをカットしたこと、結婚イベントと天空の剣とブオーンを一カ所にまとめたこと、主人公の出自判明から帰郷をカットし出産までをさくっと終わらせたこと、子供を双子から息子のみに絞ったこと、話の目標を大神殿へ集中させたこと、マスタードラゴンと妖精の国をラストにさっくりまとめたこと、このあたりの再構成を大胆に必要最低限のチョイスで、最大限映える形で行っていたと感じている。
ストーリー上のご都合とも思える、あるいは崩れた主人公の動きは、最後の暴力的で破壊的なオチによって強引に解決される。しかし、そもそもここまでのストーリーのカットが行われている以上、どうあがいても強引にならざるを得ないのだ。下手に取り繕えば取り繕うほど、ぐだぐだとだれてしまうものになるのは過去の様々な映像化が証明している。それならば一思いに根本から覆す舞台(VR的な世界の設定)を準備する方が潔く綺麗にまとまる。その判断に感動をした。
このあたりである。
DQ5でやる必要があったのかと問われると分からない。ただ、DQ5はこれを実現するのに、非常に適した内容であるとも感じた。それは
このあたりの要素である。
特に、しばしばネタにされる「主人公が実は勇者ではなかった/人の親なのでした」という話について、この構成を最大限に生かしていると感心したのである。
というのは、特に日本における大体の話において、主人公というのは年の若い方の存在であり、親子であれば子の方が選ばれがちだからである。見栄えとしても、話の中心が勇者である子供の方に移ってしまうことを避けられないしかし勇者の存在は必要であるところを、DQ5のメタ構成とすることによって自然に解決している。
身も蓋もない世界に対する説明が十分な覚悟や予兆が提供されることなく急に差し込まれてくる、という所はどうしても否定できないが、そのあたりを(どうにか)受け入れてみると、とても綺麗で丁寧に作られているものだと思う。私はこの大胆なアレンジと、コンテンツの映画化ではなく、コンテンツを題材とした映画化をとても楽しむことができた。
もし、似た思いの人がこの世界のどこかにいて、その人にとって本エントリが楽しく読まれるもであれば、非常に幸いに思う。
楽しめなかった人については、何故それが楽しめないのかは十分に分かるし、そういう人に対して書ける言葉がどこにも存在しないことも自覚しているつもりなので、不快に思った人に対しては、特に何も主張するつもりはない。だからこそ、私はこれを増田に書いたのである。
まあ読み進めれば慣れてくるんだけど、ひさびさにSAOの最近のやつを手に取ったら冒頭からこんな感じ。
まるでおとぎ話に出てくるような美しくも微笑ましい光景からは、(略)最大級の戦闘力を持つ《整合騎士》へと成長するであろうことがなかなか想像できない。
いやいや、美しく微笑ましいって誰の感想だよ、神視点にしても「おとぎ話に出てくるような」なんてたとえ使うか?神ともあろう者が。なかなか想像できない、ってなんだ「なかなか」って。お前にも想像つかないんか。
シリーズ最初っからずっとこうで、まあ入っちゃえばお話とか設定とかは面白いんだけど。アリシゼーション編良かったです。
こういうラノベ文体ってやっぱり想定読者に合わせてるのかな。あるいはおれが知らないだけで、ラノベ特有でもなく一般の文芸でもこういう感じの作品ってあるもんなの?おれはあんま読書しないから、読書家がどう思うかちょっと気になる。
ラノベでも「狼と香辛料」とか、違和感ないやつも結構あった気がするけどどうだっけ。
なろう系とかだとより自由な感じだったりするのかな。
それは「女性化フェチ」漫画。昔から「チンコのついた美少女」好きなノンケは一定数いるから。
ノンケが不快感なく興奮できるように作られたキャラの言動でLGBTの世界を覘いたと思ったことがすごい。
他の人も散々言ってるが、おそらくその漫画の作者も想定読者も全員(男の娘に興味があるだけの)ノンケだぞ。
”「男なのにチンコ入れられて気持ちよくなっちゃう―」っていう性の歪みに向けられている”のはノンケのフェチ趣味を満足させるため。
ノンケ読者にチンコのついた可愛い女の子を洗脳する快感を与えたり、自分が女の子にされる妄想を満足させるための創作。
なので、いくつか「ゲイにも色々な人がいる」って反論あるけど完全な見当違い。
そもそも「男の娘」は自意識が男で性対象が男のゲイ(G)じゃなくて女になりたいトランス(T)か、
女扱いされる自分に興奮するフェチの一種(つまりノンケ)かだ。
その漫画に出てくる「男の娘」は言動から見て、典型的な女性化フェチ男じゃないか。
ガチのトランス(心が女)なら、男として男と愛しあいたいゲイとは完全に人種が違う。実際交流はほとんど無い。
男の自意識のまま「女の子にされる私」に萌えるってのは「自己女性化症(オートガイネフィリア)」って種類。
そういう人向けの漫画でゲイを知ろうというのは、女の描いたボーイズラブで男の気持ちを知ろうとか、
今、日経新聞では林真理子の小説「愉楽にて」を絶賛連載中である。
ほどほどにエロパートがある、朝のサラリーマン(中高年)の癒しのページである。
主人公の久坂はなんかの会社の大株主かつ取締役で五十代のくせに1日2回違う女と
セックスをするという、想定読者が歯ぎしりをして羨むような境遇である。
失楽園の時もそうだったが日経はこういう小説をよく載せるものだ。
これによって購読者が増えることはないだろうが……
今日の話では飛行機のCAが「今度食事でも……」とフライト中に名刺を渡してくる。
外国のエアラインだが、座席は当然ファーストクラスだ。CAって逆ナンするのか。
最初は気持ち悪いなと思って読み出したが今では毎日心待ちにしている。
http://anond.hatelabo.jp/20170525145352
どちらかというと大学側に同情している情報系の院生なので,以下の内容はそのようなバイアスがかかっていると思われます.
個人的な感覚では「インターネット上に公開したものは分析・批評の対象となる可能性がある」と思っているので,この点について著者を責めるのは難しいと感じます.
オタク的に言えば、「任意の作品は,2次創作の対象となる可能性がある」程度の感覚です.ここで大声を上げすぎるとブーメランにならないのかとヒヤヒヤします.
公開した論文は必ず批評・文献の対象となる可能性があり,それに際してわざわざ許諾を取る必要はなく,必要があってはならないと言う文化が存在するのもその一助となっているのではないでしょうか.
一方で,論文の趣旨に対し,「対象の作品の作者は誰か」「対象の作品の種別がBLか・そうでないか」は重要な情報ではないため,わざわざ記述する必要もなく,当てつけのように受け取れるとは思います.著者はそこまで考えてないと思いますが.
論文の再現性を考えると,pixivのランキングは過去のものも参照できるので,「201x年y月aa日〜bb日のウィークリーランキング上位10小説を対象とした」程度でよかったのではないでしょうか.
また,「自分の公開した論文が想定読者以外の人間に突然有害と言われ不愉快だ」という点においては,研究を行う側としては気をつけていかなければならないと思いました.「猥褻表現のフィルタリング」くらいが妥当でしょう.
もしくは「pixivって男子に人気で見ても男同士の小説がかなり混ざるので,(実用の為に)分類したい」くらいですかね.個人的にはこの問題があるのでノクターンノベルズの方が好きです.
一般の方を名指しをするなら許可を取ろうね,くらいの話で収まってほしいと思います.何か法的に明らかに危険だ,とは感じないので……
学生の処分みたいな話になったらさすがに大学の上の方々の頭の中身を疑います.
「うちの客が不愉快になったんだけど」以上の対応は取って欲しくないです.pixivは内部で多少機械学習を行っているようなので,あまり極端な対応は取らないと思いますが.
もしくはこれを機に,匿名処理を施したデータセットの販売なんかを行っても良いんじゃないかと思います.
インターネットには気をつけよう.
このような研究は,当然pixivが内部でやっていると思われるので恐ろしいテーマ選択をしたな,と思いました.研究途中にpixivが何かを出してきたらどうするんだろう.
健常者も障害持ちも知能の分布は大差ないわけだし、起業とかスキルアップとか考えられる仕事に就ける程度の能力レベルを有する人材なんてそんなに多くはないでしょ。
借金玉のブログとかもそうだけど、自身も想定読者も比較的高い学力を持ってることが前提だから、ブコメで話が噛み合ってなくて紛糾してるのを見てるとうんざりする。
ADHDの人はパフォーマンスの期待値で考えると相当レベルを落とした職場で仕事をしない限り、尋常じゃないストレスに晒されることになる。
低いパフォーマンスの期待値を瞬間最大風速で粉飾して、無理に能力以上の職場に適応しようとすることの良し悪しは個人の価値観によるから俺がどうこう言う話でもないけど。
裁量労働が認められているような専門技能が要求される職種だと、発達障害の傾向をうまくカモフラージュしてパフォーマンスを発揮してる人も散見される。
仕事内容自体が過程よりも結果が重視されるがゆえ、職場の全体的な雰囲気として他人の仕事のやり方に寛容であるという土壌が、そういう人材を醸成してるともいえる。
もっともそういう職種に就いている人は、障害の有無にかかわらず十分条件としてほぼ漏れなく比較的高い知能運用能力を有しており(結果的にほぼ受験難関校出身である)、全労働人口の数パーセントにも至っていないのが現実であろう。
超過勤務の是非にかんするエントリでブコメが地獄のごとく紛糾しているが、知能がよくも悪くもないごくありふれた発達障害の労働者が、マジョリティの労働者として職場に適応することの困難さや絶望を想定したコメントがちらほらあり、ネタ元のどちらかと言えばハイアチーバー・マイノリティ労働者の考え方と噛み合っていない点に苦しさを覚える。
ネタ元のブログ主側も、自身の経歴・立ち位置をいまいち明確化していないため、想定読者をどの辺りに置いているのか不明確な点がそもそも問題であるとも言えるが。