はてなキーワード: 射幸心とは
いろんな活動量計があるけどそのデータをつかって育てゲーみたいなのを作ったらどうだろう?
運動すると早くなる、ちゃんと休むと成長率が上がる、運動さぼるとステータスが下がる、を活動量計のデータで行う。
育てたチョコボでレースする。(射幸心をあおるような感じで作る)
課金アイテムはあってもなくてもいい。(活動量計の売り上げだけで運用できるとうれしい)
グランブルーファンタジーの課金ガチャ問題が大きな騒動になっている。
貴重なキャラやアイテムの出現率が非常に低確率に設定され、射幸心を煽り、何十万、何百万円も課金させている行為について、パチンコ業界を引き合いに規制を求める意見もある。
パチンコ業界といえば、数年前までテレビでは、パチンコメーカーによるパチンコ台、パチスロ台のCMが席巻していた。
エヴァやアクエリオン、冬ソナなど、懐かしアニメやドラマを題材にしたパチンコ台のCMが四六時中流されていた。
しかし現在は「それはあかん」という声が大きくなり、メーカーによる台のCMはテレビから消えた。(ホールのCMはあるが)
山本一郎氏と長田氏の対談の記事を見て気になるやりとりがあった。
長田氏:
でも海外の消費者団体の方とお話することがありまして,そこでですね,日本ではなぜ,ガチャが認められているんですか,不公平じゃないですか,って指摘されることがあるんです。
山本:
海外製のアプリでも,日本のソシャゲ成功事例をまねてガチャを導入している作品がありますが,基本的には賭博に該当する可能性があるのでNGだと判断するメーカーは多いようですね。
長田氏:
ほかにも,「お金を出せば有利にゲームを進められる」とか「ほかの人に勝つためには課金が必要だ」というゲームを出しているのなら,それは“無料で遊べる”と表記してはいけないのではないかとか,お金を出した人が有利なゲームは不公平のはずなのに,日本ではそれが認められているのはどうしてなのか,といったご指摘を頂戴します。
山本:
海外における「公平」の考え方と,日本のそれは異なりますよね。しかし,そういう話で言うならば,PCのオンラインゲームでは2000年代からやっていた「ゲームプレイ基本無料」って表記がそもそもマズいと思っていたんですよね。
これを見て海外ではガチャが規制されているのか!と誤解をした人も多かったようで、こちらの記事のはてブで何人かその趣旨のコメントをしている。
このやり取りの中で重要なのは、基本無料という表記の問題と不公平感についての文化の違いについてなのだが、山本氏の途中に挟んだコメントで趣旨が大きく変わって受け取られているように思われる。
ガチャについて、過度に射幸心を煽ったり誤解を招くような詐欺的な確率表記のような実態があるなら是正されるべきだとは思う。だけど、海外のスマホゲームの実態について変な誤解をする人が増えるのは残念なので、海外のスマホゲームのガチャの実態について書くことにした。
参考になれば幸いである。
AppStore、Google Playのトップセールスのランキングは、IPによってその国ごとのランキングが表示されてしまうが、以下のようにランキング情報をまとめてくれているサービスはゴロゴロある。
http://applion.jp/market/us/iphone/rank/gross/
上記はアメリカのAppStoreのトップセールスのランキングである。200位まで見ることができる。
傾向を見ると、アメリカで人気のジャンルは、戦争を題材にしたRTS、気軽にプレイできるパズル、そしてカジノ、となる。
スマホアプリ市場において、F2Pの先駆けになったのはアメリカであるが、ゲームでの課金形態は時間短縮や資源購入型の課金形態が主であった。
2012~2013年頃に日本製ゲームである神撃のバハムートのローカライズ版が配信され、トップセールスランキングで1位を取るほどアメリカで人気が出た。それ以降にガチャ機能を持ったゲームが受け入れられ始めた、と考えている。
以前知り合いのアメリカ人に聞いたところ、アメリカにもコインを使っておもちゃを排出する機械はあるが、チープでそれほどメジャーな存在ではないとのこと。
そうしたアメリカで、ランダムに商品を提供するガチャに相当する存在は何なのかというと、トレーディングカードゲーム(以下TCG)のパック販売である。
TCGの始まりは、1993年にアメリカのウィザーズ・オブ・ザ・コースト社から発売された「マジック:ザ・ギャザリング」とされていて、その後に世界中で大ヒットしている。
なじみの無い方向けに説明すると、マジックの場合、1パック買うと350円で15枚のカードが封入されていている。その中は、レア1枚、アンコモン3枚、コモン11枚、という比率で入っていることが保証されている。
当然同じレアリティでも強いカードと弱いカードがあるが、オンラインゲームやソーシャルゲームのガチャのように同じレアリティ内で偏りは無く、排出量は保証されている(はず)。
これを踏襲して、アメリカ向けのスマホゲームでガチャ相当の機能(ランダム性を持ったアイテム販売)が出てくる場合、"Pack"と呼ばれることが多い。
アメリカでは、スマホにおけるランダム性を持ったアイテム販売を規制するような法律は現時点では無いので、ガチャを持ったゲームも普通に配信されている。
カジノ系のゲームも、ガチャと同じようにランダム性を持って景品を提供するゲームと言えなくもないが、今回はカウントの対象外としている。
ガチャ的な要素があるタイトルは以下の通り。 (ちゃんとプレイしたことの無いゲームもあるので勘違いをしているタイトルもあるかも)
9位: Marvel: Contest of Champions
18位: Star Wars: Galaxy of Heroes
34位: Walking Dead
52位: HearthStone
53位: Jurassic World: The Game
57位: Knights & Dragons!
62位: DRAGON BALL Z DOKKAN BATTLE(ドラゴンボールZドッカンバトルの英語版)
66位: Castle Heros
72位: Brave Frontier (ブレフロの英語版)
89位: Marvel Puzzle Quest
100位中12タイトルなので、日本に比べると少ないがまずまずの数がある。主流であるというほどではないが、ガチャ機能も十分受け入れられている、といっても良いかと思う。
ガチャが日本の市場だけで受け入れられているって訳でもないし、またアメリカの場合だとカジノゲームのように文化によって形は違えど射幸性を持ったゲームが存在している、というのは覚えておきたい。
先ほどのサイトで他の国のランキングを見てみると、多少の順位の前後はあれど、上記のタイトル達がほぼランクインしていることも追記しておく。
中国・韓国ではランダム性のあるアイテム販売の規制が入っていることで有名な話だと思う。
中国については以下の「ガチャについての規制」の項目を読めば良い。
https://www.jetro.go.jp/ext_images/jfile/report/07001588/china_mobile.pdf
日本と比べて中国ではRMTの文化が根強く、多分国の規制が入っていなければ、ガチャの景品が現実のマーケットで取引されてよりひどい問題になっていたことが推測される。
余談になるが、トレード機能を持つ日本やアメリカのソーシャルゲームは中国人のRMTの対象なることが多い。昨今の日本のスマホゲームでトレード機能が無くなってきたのは、これに対する対策という側面もあったりする。((代わりにいいアイテムを持ったアカウントが売買されたりしてるけど))
ただ、規制されても両国ともグレーゾーンを走るメーカーは多く、法に触れない形を取った確定ガチャやVIPシステムのような提供したりもしているのが現状である。
色々書いてきたけど、早い話が隣の芝はそんなに青くないって話。
http://anond.hatelabo.jp/20160220142801
ソシャゲのガチャ問題の中で語られる言葉の中に「射幸心を煽る」というものがあります。
ガチャキャラの確率操作などの詐欺的な行為が問題視されることが多いのですが、
実際にはこの「射幸心を煽る」ことそのものがかなり問題である、という話をします。
さて、ところで、私は犬を飼っています。
犬のしつけをするとき、命令を出して犬がいうことを聞いた場合、「おやつ」をあげます。
ここで突然問題ですがいうことを聞いた犬に
1)毎回かならず「おやつ」をあげる。
のどちらが効果が高いかご存知でしょうか?
日常的な感覚としては1)の毎回いうことを聞くたびに「おやつ」をあげる、
こちらの選択の方がより学習効果が高いように思われるのではないでしょうか。
しかし、違うのです。実際には2)のときどき「おやつ」をあげる、が正解です。
「常に」ではなく「ときどき」もらえる報酬の方が学習効果が高い。これを覚えておいてください。
猿の檻に自動餌やり装置を設置します。ボタンを押すと餌が出てきます。
猿は、ボタンと餌の関係を学び、餌やり装置のボタンを押すようになります。
ここで犬のしつけと同じように設定を変更してみましょう。
1)ボタンを押すと常に餌が出てくる
猿がより、ボタンを押すようになるのは、犬の例と同じく2)の選択肢です。
犬よりも猿の実験のほうがより具体的な事例として実感しやすいことがわかるでしょう。
まさに「パチンコ」であり「スロット」であり「くじ」であり「ガチャ」です。
なぜ、この部分強化のような不可解な現象がおきるのでしょう?
言い換えると、
2)不確実な報酬のボタンを叩いてメダルを出すこと(賭け事)を好む人がいるのでしょう?
それは、脳の仕組みにあります。
このドーパミンは「意外な報酬」であればあるほど分泌が促されることが分かっています。
先日、有名元野球選手が使用していたことで脚光を浴びている「覚せい剤」も、
脳の報酬系に作用しドーパミンの分泌を促すとともにその効果を増強させます。
詐欺的なお金のやりとりそのものも問題なのですが、人間の報酬系に直に作用するような
遊戯の代償として対価を貰う行為は自由社会では認められるべきですが、
多くの人が社会生活を営めなくなるような可能性があるものは規制されなければならない。
そういうロジックなわけです。
「ガチャ」の問題において「射幸心を煽る」ことが問題となるのもそのためです。
「詐欺的な確率表示」でお金を振り込ませる商売は確かに問題です。
しかし、考えてみてください。そうした問題が散々明らかにされているにも関わらず、
「それでもガチャは回る」のです。
通常の詐欺的なモノの売買では考えられないことです。
「報酬が獲得できなければできないほど」意外性は上がり、報酬系への作用は大きくなります。
非常な低確率である人々に「価値がある」と認識されているものを供給する行為そのもが、
「射幸心を煽る」行為であり、多くの人間の社会生活へ負の影響をもたらす可能性が高いので、
これを覚えて頂ければ、と存じます。
http://www.4gamer.net/games/238/G023885/20160216028/
PlayStationやWii,Xboxなどのゲーム機で,最後まで遊べるデータも入って5000円,6000円という値段をつけて売られているゲームと,
ソーシャルゲームのように後からいろいろ出てくるゲームとで,同じ仕組みや法律で判断されるのはおかしいのかなぁ,と思うんです。
運営と言うのは、教会の神父やお坊さんに近いんじゃないかなと思うんですね。
ソシャゲの中での人間関係のこじれについて助言してあげたり、運が良くなる壺を販売したり、まぁこの壺、じゃなくてカードは
実際に効果があるんですが、50%も60%も体感値はあまり変わりがないので信じてもらえないこともあります。
他にもお布施が高いと言う声に答えて奇跡のようなサービスする事もありますし、素行の悪い人たちをポア、ではなくデータをバンする事も。
まぁ判断を下すのは辛いんですが。
隊長はガチャで射幸心を煽るように、空売りしたいサイバーエージェント暴落させるべくに煽っているんじゃないかとさえ考えてしまいます。
子供の名義で空売りなのか、第三者に依頼され、お金を受け取って真剣に炎上をエンジョイしてなんて…楽しく妄想しています。
本題のグラブルに関しては、詐欺行為として立証したい考えのようですが、運営をやっていた側からすると設定ミスではないんだろうかと思えるんですね。
設定ミスをしてしまったけれど、運営として強気な振る舞いしなければいけないので孤軍奮闘している感じです。
運営と言うのは24時間のコンビニで働くのと同じぐらい辛いものがあり、ミスの少ないルーチンワークを設計実行していくのが安定運用のカギになります。
ガチャに新キャラを追加するのもルーチン化されて何も考えずにどんどん追加していったんでしょう。
3%の最高レアリティ枠に10種類突っ込めばそれぞれ0.3%ぐらいになり、いい感じに”当たりにくい”ガチャとなりますが、
何十体と繰り返しと新キャラを追加すれば、1体あたりの当たる確率は小数点以下の数字がコンドームの薄さのような値になり、
実際に目標数が出回らないカードになってしまうこともあります。
正しい運用はガチャの最高レアリティ枠は入れ替えて程良い確率を担保することですが、
入れ替えずに追加する一方となり確率が低くなり過ぎたのではないでしょうか。
グラブルぐらいに売れると、よくある話が、Pが天狗になりパワハラに走ってしまい、
たとえ下っ端の作業者がこのガチャ確率に気づいてたとしても助言できる空気がなくなってしまう、と言うもの。
まあ原因は何であれ、あれはプロの運営が故意で設定する確率ではありません。
「札束で殴り合わせる」ようにして
こう言ってはいるんですが、ガチャを回す行為が”殴り合い”になんて感じないんですよね。
ガチャの確率が低いことに感付いたユーザーはガチャを回しながら、動画撮影をしたりキャプチャを取っていくんですよね。
これって、セコイですよね。お金を払って超絶レアなカードが入れば儲けものだし、もしもカードが出なくても、
スーパー課金したヒーローとしてSNSなんかでバズるんですよ。
下手したらゲームユーザー数を超える人たちに見てもらえる可能性だってあるじゃないですか。
どの道お金を払ってハッピーなんですよ。殴らずに。彼ら高課金ガチャユーザーは自己顕示欲のためにガチャを回してるんです。
ゲームに飽きた後,何も手元に残らない……というのはねえ。
何も残らない問題に関しては、これは傍から見たらそうなんでしょうね、でも、ほんまは残るんやで!(関西弁)と言いたいです。
一人で遊んでるユーザーはきっと何も残らない。でも友達と遊んでるユーザーは負けて悔しかったり、勝って嬉しかったことが
思い出として残っていると思うんです。友達と遊んで思い出に残らないなんてレジェンド悲しいことはありません。
ソーシャルゲームなんです。
ソーシャルのつながりが面白くしたり思い出を作ったりするんです。
断捨離の時代にいちいちものが残るなんて必要ないです。大事なものは心のどこかに残っているんですよ。
ソシャゲはまだ生まれて間もないジャンルです。良いところも悪いところもあると思います。
でも、決してすべてが悪じゃないので、これからも悪いところは直して良いところは伸ばす感じで成長して行くことを願っています。
区別すべきは「なかなか手に入らないレアカードを運良く手に入れられたら嬉しい」と、
「こんなにレアなカードだけどあなたも当てられるかもしれませんよ」というのがまさに射幸心を煽る態度である、という認識がないのは駄目でしょ。
俺はアイドル文化というやつにどうも乗れず、周囲がAKBで盛り上がっているときも、アイマスあたりを発端とするアニメのアイドルブームも、全くわけがわからなかった。オッサン世代は普通に「どのアイドルが好きだった?」「○○。歳がバレるなぁ〜」なんて会話が成立するようだし、子どもたちはアイカツ?だとかラブライブなどを見ている。しかし俺は乗れなかった。理解できなかった。そして次第に、その乗れなさは嫌悪になっていった。
しかし今回の騒動でやっとわかった。良かった。SMAPには感謝している。ついでにメリーとかいうババアにも感謝している。
どうでもいいけど、メリーという人は「権力を握っているババアである」という情報以上のものがなかなか入ってこないのはおもしろいと思う。写真が全然出てこない。相当にババアだから写真は遠慮しているのかもしれないけど、それにしたってここまで見かけないのはすごいと思う。権力の源泉は情報統制ということなのだろうか。にわかにババアへの興味が掻き立てられてきた。ミステリアスなババアにときめいてしまいそうだ。
それで俺が思うところには、アイドル文化というのは、アイドルとファンが同じ方向を向いているときに最大の快感を得られるシステムなんだろう。アイドルはアイドルになりたい。トップアイドルになりたい。センターになりたい。金銭欲だとか名誉欲ではなく、純粋に表現をしたい。ファンと一緒に。そしてそれをファンは支える。同じ方向を向いて一緒に歩いて行く。
これが快感たりえるのは、つまりこの状態は長くは続かないということがわかっているからだろう。アイドルにはいろんな試練がある。そう演出されることも含めて。それはアイドルの周りの要因によるものかもしれないし、単純に人気がなくなることや、アイドルがアイドルを目指さなくなるということもあるだろう。自殺とか引退とか。
ジャニーズ事務所はファンとアイドルを同じ向きにすることに長けているようだし、ジャニオタの人も積極的に同じ方向を向きに行っているように見える。
そういうわけで、「一瞬でも同じ方向を向いていられることに感謝」する快楽がアイドル文化の源泉なのじゃないかと得心した。ある種の射幸心、快楽システムとして。
一緒にしたら怒られると思うけど、不倫をやめられないのと同じような理由なのかもしれない。恋愛はじめの頃の熱情を何度も体験したい人のように。
去る元日、出掛ける予定も無いので家でのんびり過ごしていたら、友人からあけおめメッセージと共に
「クッキークラッカー知ってる?」というラインがきた。一時期流行った事は知っているが、
全くやった事なかったし、自分は普段はブラウザゲーもスマホゲーも一切やらない。
何でこんな事送ってきたのかわからないんだけど、軽い気持ちで調べてたら気になってきて何のけなしにやってみた。
のが、13時間前。さっきまでずーっとPCにはり付いて、狂ったようにクッキーポチポチ押してた。
完全に人間として終わってた。魂抜けた顔でクッキーをクリックしながら、増減する数字をみて
時々現れるゴールデンクッキー押して......脳みそを全く使ってないのに辞められなくて
あと五分だけ十分だけ、が心の中で続いて日付がかわってしまった。
普段、創作的な事を仕事にしているだと思うけど、何の生産性もないのに
ポチポチカチカチで数字が貯まって満足感与えられちゃう感じ、改めて恐ろしいなと思った。
よく話題になっている、スマホゲーで射幸心煽られてガチャガチャ回す感じもきっとこれに近いんだなと思った。
お金を失わない分良心的だけど、気になって他が手につかなくて時間を浪費するこの感じ。
これ、免疫ない人はとことん駄目になる。自分は全く無い事が判明したので、改めてこの類のゲームは
興味本位でも絶対触れないと肝に銘じた。例え金銭が絡まなくとも。
あと、こういうゲームは頭使わないでも楽しめるけれど、創意工夫して楽しめる人は
きちんと頭を使って、どういう風に施設を展開していったら効率的か考えてやっているのだろう。
自分は思考停止しながら遊んでて、それは結局ゲームを楽しむのではなく、
ゲームへ現実逃避している感覚に近かった。誤解を恐れずに言うと日常を放棄して
ゲームへ逃げても、作者(ネトゲとかだと運営)の手のひらで踊らされてるに
お風呂に入ってさっぱりしたらどーでも良くなっちゃって、何とか辞められたけど
後悔するだけでは悔しいので、こうやって書きなぐりつつ振り返ってみました。
ここで、質問したいことがある。
ドラクエや FF では「すごく感動した」という声をしばしば聞いた。
では、ソシャゲでは、そのくらい感動したことはあるのか?
ラブライブでも、アイマスでも、艦これでも、パズドラでもいいが、同じぐらい感動できたのか?
ラブプラスのキャラに嵌まるように、ソシャゲのキャラに嵌まった人はいるのか?
ブコメで、ソシャゲ廃人になった人がいるそうだが、それは長期にわたってのめりこんだというだけ。量的に大きいだけ。(課金額も大きい。)
私が話題にしているのは、質的に深く感動したことがあるかどうかということ。
「ラブプラスのキャラに嵌まるように」というのも、のめりこむという意味ではなくて、生身の人間を扱うような感じがすることがあるのか、ということ。1対1の対話性があるのか、と言ってもいいが。
sisya まず「ゲームは感動のみをもとめるものなのか」という疑問が生じる。ソーシャルゲームは射幸心と達成感を煽る傾向になりがちなので、求める方向性が違うのだと思う。
そうだよ。それが私の言いたかったこと。
以前のゲームは感動を与える対価として金をもらった。
今のソシャゲは単にユーザーから金を取り上げることばかりを目的としている。収奪体質。
そして、それにのめりこんで金を奪われる体質になったのが、今のユーザーだということ。
きみたちは、昔は優良なお客様だったけど、今は金を取られるカモになっているだけだよ、と言いたい。
それを言ったら、射幸心を当てにしているバクチやギャンブルやパチンコや競馬だって、金を得ることを目的としている正当な業務だ、ということになる。そんなわけないだろ。
ソシャゲは、ユーザーを中毒にして金を得ることを究極の目的としているのであって、普通の商売とはかなり違う。麻薬販売や煙草販売が普通の商売と違うのと同様だよ。
あなたの主張は、ヤク中をカモにしている麻薬業者の言い分と同じだよ。
少なくとも「自分は廃人になった」と自覚しているソシャゲ廃人の言葉でも聞いた方がいい。彼は少なくとも自覚している。あなたは自覚していない。
cider_kondo 「以前のゲームは感動を与える対価として金をもらった」なるほど、増田のいる世界線では俺のいる世界線と全然違うゲームが流行っていたらしい。べんきょうになるな。
fut573 インベーダーゲームで感動した人ってどれくらい居るのだろう
勘違いしているようだが、私が言っているのは、冒頭で述べた RPG ゲームのことです。ドラクエと FF のこと。おまけで、ラブプラスが追加されている。従来のゲーム一般のことではない。インベーダーやぷよぷよは関係ない。そんなことは、当り前だと思うんだが。インベーダーゲームで感動したなんて、私はまったく言っていないんだが。
わかっていて意地悪で曲解しているんだか、それとも、まったく文意を読めないんだか。どっちかな?
kawacchosan 追記見る感じわかってなさそうなので補足するけど、その理屈だと感動するドラクエやFFはいいけどインベーダーゲームはゲームとして認めないって言ってるのと一緒ですよ
私は単に言及していないだけです。それを勝手に被害妄想で曲解するとは。これをゲーム脳というのか?
私の見解を言っておくと、ただの暇つぶしで無課金のものは、良くも悪くもない。ただの暇つぶしにすぎない。どうでもいい。
ミリオンアーサーには平均すると一か月に五千円くらい使ったと思う。
これは模範解答ですね。今のソシャゲは、すごく良いというほどではないが、かなり良いものもある。ただしその良さを味わうためには、たっぷりと金を払って、養分となる必要がある。肥やしの見解としては、模範解答でしょう。
外部サイトだが、次の話がある。
ソーシャルゲームの本質「面白いかどうかは二の次、どうすれば課金したくなるかがキモ」
最後に
「ソシャゲで感動する人っているの?」
という質問です。
その質問に対して、「感動したよ」「こんなのただの金儲けだよ」というような
さまざまな意見が寄せられましたが、そういう多くの意見が聞きたい、というのが私の狙いでした。
私の意見を言いたいのではなく、みなさまの意見が聞きたかっただけです。
ご意見をお寄せくださった皆様に感謝いたします。ありがとうございました。
2011年度の週刊プレイボーイNEWSのこの記事の一部にもやっとした。
http://wpb.shueisha.co.jp/2011/11/25/8226/
女性が「ギャンブルが好きな男性は嫌いです」と言ったら、これは「お金の配分は自分のために使うのではなく、私のために使ってちょうだい」と宣言しているということ。
これが「趣味にお金を使う男性は嫌いです」「海外旅行に連れて行ってくれない男性は嫌いです」なら何も思わなかった。
ギャンブルにはまる人には
・節度がない
・根拠のない自信を持っていて、根拠のない自信ゆえに努力をしない
・行き当たりばったりになりがち
という人が多い。
これは浪費だけの問題じゃない。
こういう人は健康管理も苦手で成人病になりやすかったり、無計画な行動で周りに迷惑をかけたりする。
ギャンブルはどうでもいいけど、馬やボートが好きだから競艇や競馬を見る人もいる。
こういう人は普通の人が多い。
でもギャンブルが好きな人は上記4つの欠点を抱えていることが多い。
そして父よ、パチンコはもうやめて。
アメリカン・コミックスにウォッチメンってのがあって、映画にもなってる。
長く冗長で無駄に大味なセックスシーンとか暴力描写とかアメコミの再現度は高いんだが、おすすめはしない。
その中に、ロールシャッハってキャラクターが出てきて、白黒ハッキリ付けたがる。絶対に妥協しない。悪を許したりグレーな領域を認めたりしない。
杓子定規というのとはちょっと違って、Justiceという単語がぴったりな、盲目で剣を持ち天秤で判断する正義の女神のグロテスクな表現に見える。
パチンコ、という遊びがある。まあギャンブルだ。スロットもそうだな。
法の下の平等や、実態としての賭博の規制などを鑑みると、そこにあるのは不正義だな。正しくない。
射幸心を煽り、勤労意欲を削ぎ、経済に影響を及ぼすので、ギャンブルは悪いことだとされている。
ただ、公営ギャンブルという存在を見ても分かる通り、お上の管理する賭博は良しとされている。
昭和の時代までは、競輪競馬競艇オートレースは、地方自治体を潤すお財布だった。
意識している人が少なくなるようにイメージ操作してるが、宝くじもギャンブルには違いない。
刑法が取り締まるギャンブルもそのものズバリ「賭博及び富くじに関する罪」だ。富くじは宝くじと同じだな。
どうやったって一定数そういうのをしたがるヤツがいるなら、お上がコントロールしてやるのが一番効率が良い。
変に潜らず目に見えるところでやるなら、パチンコみたいに、民間委託するのも、まあコントロールの範囲内だ。
繰り返しになるが、これは不正義だ。まったくもって正しくはない。
じゃあこれが正義、つまりは法律が正しく運用されて、かつ、ある程度吸収できるような方策を考えると、手詰まりになったりする。
つまりパチンコパチスロに慣れたジャンキーを吸収できる公営ギャンブルを設立できるかという問題だ。公営カジノが一番近いがやはり違う。
あの客層をそっくり収容できる娯楽施設が、まだ世の中に存在しない。
何度もパチンコが危機を乗り越えて存続している一つの大きな要因だ。
ただ、この世界もそろそろ終わりになってる。何度も繰り返しになるが、いままでが不正義で、正しくなかった。
ドヤ街に日雇い集めてその中で完結させる、日雇い払いの賃金を酒や焼き鳥で消費させて次の日に回す、働けなくなったらホームレスになって、働けないほど体が悪いから遠からず冬を越せずに死ぬ。つまりはそういうスラムが日本にもあった。他所の国のスラムに比較すれば健全なのかもしれないが。
本来正しくは生活保護を受けて、健康で文化的な生活が送れることが保障されている人たちだ。
この国が整備しているシステムが正しく運用されていれば、乞食は存在しない。
浮浪者も、餓死者も、それを望まない人たちはそうならないように文面では既になってる。
そして正しく運用されていないという不正義が問題視される程度には、日本は先進国となり、社会的に成熟してきつつある。
苛烈な正しさは、見える範囲の綺麗さと見えない部分への皺寄せという形をとることが多いが、シワを隠せる領域が減ってきている。
見えないところに追いやってそれとなく回していた不正義が許されなくなり、破綻しないようにさらに外側にシワを寄せようとしている。
東京のイベントに向けて、都内は綺麗になっていき、そのシワを吸収するべく既に受け皿ができていくように見える。見えない人もいるだろうけど。
でもきっと、そういう外出しした不正義も、糾弾されていくんだろうな。
例えばフィリピーナをネット越しに英語教師にするのは、日本に連れてきた移民を低賃金で働かせるより問題になりにくい。
同一労働に対して低賃金払っていることには変わりないけれども。
さらに苛烈な不正義を先に糾弾すべきというのは方法論として正しいし酷い現場はまだまだある。
海外へ仕事出す先が高賃金化でどんどん移動してるというのも、不正義だとはみなされにくい。
結局何が言いたいかというと、盲目のまま正義を無条件に実行すると、そこには正義だけが残るんじゃないかってこと。
理念への純粋性は美しいけど、たいてい現場の泥臭さが勝ってきた。
ものすごく卑近な例で言えば、シリア難民を救うために、とりあえず日本人とシリア人とで子作りして、それから在留許可を求めるという手段は難民申請よりもずっと現実的だし少子化対策にもなる。もちろん足元を見た人身売買だし、偽装としない為に子供を産むことになるし、当然に非人道的だろう。
この例は極端だから、この例なら文字通り死ぬほうがマシだったりするだろう。それがほんとにマシかは本人にしか解らないけれども。
でもきっと、正しければ多少の人死はやむを得ないというのは、すぐそこだと思う。
浮浪者はテントを張れなければ死ぬが、収容施設に入らない人間が死ぬのは自業自得だと思う人間が多数派になった時、対象は浮浪者から高齢者になり無職者になり、いずれ低所得者になるんじゃないかと、今から自分は怯えている。
ソーシャルゲームのガチャは、もっと世間的に悪者扱いするべき。
ソーシャルゲーム=悪じゃない。ソーシャルゲーム内のガチャが悪。
ガチャで課金する要素のあるゲームは『ギャンプル』の類だと、もっと世間で広まるべき。
そんなものを未成年もプレイできるなんてイカれてるとしか思えない。
ソーシャルゲームという一見健全そうな皮を被り、平然と「ギャンブルじゃないよソシャゲだよ」みたいな顔してるのが、強い違和感を覚える。
ガチャなどの射幸心をあおるソーシャルゲームアプリの製作に関わっている人たちは、もっと罪悪感をもつべきだ。
自分をコントロールしきれない子供や大人から時間とお金を搾取していることに気づくべき。
重課金、廃課金と揶揄される人たちがいることに、反省を感じないのか?
以上。