はてなキーワード: 作品とは
作品には【旬】というものはあると思う。今NHKにようこそ見ると、オタクがエロゲーで一発当てようとか思わないだろうしね。
涼宮ハルヒもSOS団のホームページ作ってアクセスカウンターが回るのを…てのも、今の時代と違うし。
田村淳さんは作品はリアルタイムで追わなくても良いってツイートしたけど、今の若者が、今さら、NHKにようこそや、ハルヒを見ても、ちょっと共感できない部分も多いと思うんだよね。
・第1作「アサシンクリード」は2007年ごろに発売され、「シャドウズ」を含めるとメインシリーズとしては14作も出ており、海外では割と人気なシリーズで、日本でもゲーマーであればタイトルくらいは聞いたことがある人も多いかもしれない。
・海外の忍者人気の高さからか、忍者といえば日本のアサシンということで日本舞台を望む声はシリーズ初期から一定数存在した。
第3作「アサシンクリード3」のオープニング映像にてホルスの目(古代エジプトのシンボル)、Ω(オメガ。ギリシャ文字)、鳥居(日本における神域のシンボル)の3つが描かれているシーンがあり、
以前から一部ファンの間ではその3カ国を舞台にしたシリーズが出るだろうという予想が出ていたが、古代エジプトが舞台の10作目「オリジンズ(2017年発売)」、古代ギリシャが舞台の11作目「オデッセイ(2018年発売)」の発売後
SEKIRO(2019年発売)やGhost of Tsushima(2020年発売)など日本を舞台にしたヒット作がゲーム業界で続いたことなどから日本が舞台のシリーズ作品の期待が高まっていた。
(実際はオデッセイ~シャドウズまでの間に2作品出たため、日本舞台のシリーズはもう出ないのではという声も上がっていたが)
主な原因としては以下の2つと思われるが、正直ここまではシリーズファンやゲームファンたちなどを中心にしたツッコミや、炎上とまでいかずとも規模の小さい小火程度だったのではないかと思う。
一言でまとめるなら「過去作に比べて雑な部分やスタンスの違いが目立った」というところだろうか。
今作はダブル主人公であり、実在人物の黒人男性「弥助」と架空人物の日本人女性「奈緒江」」である。
これまでのシリーズでは主人公は架空の現地人という法則があり、近年におけるUBIはいわゆる「ポリコレ推し」が強かったため、日本人男性を差し置いての弥助の主人公起用を疑問視する声が出た。
だが個人的にはこれは明言化された法則ではない(はず)なので、UBIに対する不満のきっかけ程度ではないかと思っている。
シリーズ作品「ユニティ」で作成したノートルダム大聖堂の3Dマップデータが、2019年の火事で焼失した部分の復旧に使用できるのではないかといわれたり、
UBI自身も直近の作品である「オリジンズ」、「オデッセイ」、「ヴァルハラ」において「ディスカバリーツアー」と称して歴史ガイド配置したり、フィールドを自由に歩き回れるようにした学習教材用バージョンを提供するなど
しかし、公開された動画の畳の形状や、田植えの風景を見て「豊作で人手がいるのだろう」という発言、植生の季節感から、事前調査や考証が不足していると捉えられる部分が多数発見されたことで不満が一気に広がった。
「海外製のゲームなのに指摘が細かすぎ」とか、「フィクションなんだから現実と違うところもあるだろう」という意見が叩かれる原因はここにあるだろう。
直近のシリーズでUBI自身が考証力の高さを売りにしていたということを知らない≒話題にいっちょ噛みしにきただけと受け取られてしまうからだ。まぁ話は既にそんな次元じゃないというのもあるが。
このあたりから急激に炎上の規模が大きくなり自分は追いきれなくなったし追っていないのでパッとおもいつくものを箇条書き程度に。
・UBIへのインタビューでの弥助起用の理由が「私達の目になれる人物が欲しかった」などの発言が拡散される。
・日本向け動画に中国語字幕を設定するなどポカミスを連発する。
・コンセプトアートに関ヶ原鉄砲隊ののぼりなど、多数の盗用が見つかった。
・ロックリー氏の関係の部分は正直良くわかってない。弥助は一次資料が少ないのに伝説のサムライが云々みたいな表現がロックリー氏の著書とUBIに共通していて、そこから発展して追求されてるみたいな感じだろうか。
Assassin’s Creed Shadows Launches November 15, Features Dual Protagonists in Feudal Japan | UBISOFT
Naoe and Yasuke’s disparate personalities also lead them to have different relationships and rapports with other characters, and they don’t always feel the same way about people, nor do people always feel the same way about them. Romantically, they will also attract and be attracted to different types of people. Through the pair, players will get to experience a multitude of relationships.
(ナオエとヤスケの異なるパーソナリティは、他のキャラクターとの関係や交流にも違いをもたらします。彼らは常に同じように人々を感じるわけではなく、人々も常に彼らを同じように感じるわけではありません。ロマンチックな面でも、彼らは異なるタイプの人々を引き付け、また引き付けられます。この二人を通じて、プレイヤーは多様な関係を体験することができます。)
ここだけ見れば、Naoe は女性で Yasuke は男性だから、キャラごとに恋愛イベント(ロマンスイベント)が異なるよとも読めなくもないが、
ストレートの場合はわざわざ言及しないよな?同性のキャライベントのオプション選択肢がある時にぼかして言及するよな?
つか、UBIの以前のゲームもそういうオプションあったし・・・って見方が多い模様
(※ 追記:ゲームニュースチャンネルのインタビューでプロデューサーが同性愛オプションあるよって答えてるみたいね)
Assassin’s Creed Shadows gay もしくは Assassin’s Creed Shadows LGBT
その中で
Assassin’s Creed Shadows: Ubisoft Hires LGBTQ+ Activist As Consultant Who Wants To Challenge Moral Standards Around “Transgenerational Sex”
(アサシン クリード シャドウズ:ユービーソフト、「世代間セックス」に関する道徳基準に挑戦したいLGBTQ+活動家をコンサルタントとして雇用)
・・・と言うのがあって、外見やお名前から日系人かなぁって方が出てくるんだけど、日本文学の研究家でお稚児さん関連の本出してる人らしい
何故、この方を アサクリ シャドウズ の歴史考証のスペシャリストとしてチョイスしたのかは謎だが、
とりあえず、彼女はゲームメディア IGN の YouTube 動画 (Assassin’s Creed Shadows: Inside Ubisoft’s Ambitious Open World Japan)の中で、
『必ずしも歴史的正確さに基づいているわけではない』ってちゃんと言ってるわな(https://youtu.be/0haRi_hHZoU?t=853)
ただ、『誠実で敬意持ったものです』とか言いつつ、明らかさまに間違えてる日本風習やデザインを止められなかった、団体や文化財の無断利用・利用料無視の件を見るに、
(ハイブランドのアジア人蔑視のヤベー広告も炎上したよね、Valentino、D&G、DIORとか)
つか、日本には『異世界』とか『なろーっぱ』とかいう伝家の宝刀がありましてな、『なろーじゃぱん』だぞって言えば歴史考証する必要無かったのになぁ感
それをしないのは、映画でも伝統的にそうだったように、『ジャップランドはどんな風に書いてもOK』っていう白人様の意識がおそらく強過ぎるんだろうな
あと、弥助の出身の部族やカトリックの宣教師が同性愛に寛容だった可能性はほぼゼロと言って良いが、まぁ、いまは16世紀ではなく、21世紀、2024年ですからね
弥助も出てくる仁王のコエテクは現代的な時代劇(フィクション)として『Rise of the Ronin』(PS5独占タイトル)出してます
ほんで、『Rise of the Ronin』の主人公キャラクターは様々な人種に設定できるし、劇中で同性との恋愛イベントもあるわけなんだけど、別に批判はどこからも出てないのよね
それは、極めて現代的な見た目のデザインからしてフィクションとわかるのはもちろんのこと、
開発者は歴史的正確さについてアピールしてない上に、ゲームを始める前にも念押しで下記のように出るから
アサクリでもちゃんと似たような文言は出るもん!!!って言うけど、Rise of the Ronin と アサクリ シャドウズ が違ったところは、
何故か BBC などのニュースメディア や Xbox や 各種ゲームメディアのインタビューで『なろーじゃぱんです!』アピールではなく、
下記のように言って回った事に尽きるよね
言って回ってることが確認できる一例:
Assassin's Creed director: The right time to take series to Japan | BBC
https://www.bbc.com/news/articles/c163jexl7rxo
『アサシン クリード シャドウズ』は、2 つの異なる体験をどのように融合させたのか|Xbox Wire Japan
https://news.xbox.com/ja-jp/2024/05/16/assassins-creed-shadows-interview/
まぁ下記の日本のことわざがあると主張する歴史改竄の一派か(アサクリ以前から歴史改竄やってる https://anond.hatelabo.jp/20240722235805#)
"For a Samurai to be brave, he must have a bit of black blood "
ジャップランドはどう扱ってもいいと考える人種差別主義者の作品なのかと懸念するのは、正常なことに思えます
(そもそも、日系人っぽい人や日本にいたことがある人が監修に参加してるのに、あからさまに間違ったままなことについても、
EXPOで市販されているゾロの刀を何故か展示してたことについても、文化財の無駄借用についても説明無し)
これ欧米だけで出した方がいいと思うけどなぁ、熱心なUBI信者以外は誰も買わんのでローカライズ費用が無駄だと思う
https://youtu.be/ppkztU_1Y4U?t=18
アサクリに関係ない話です
いろいろ見て回ってたら腐女子についてこう書かれてたよ。なんかいっちょがみするの好きな増田とブクマカを兼ねてる増田は腐女子だと思うんだけど、
こういう認識持たれてるみたいなんで、お行儀よくしましょうね(基本的に対象キャラは未成年だしな)
No, just a runaway fujoshi with a shotacon fetish trying to legalize it.
つくづく差別やいじめを平然とするような人間ほど人には好かれるし
脚本家の黒田洋介さんがかつて、障害のある妹さんの事でいじめられていて
その女の子はいじめっ子を好きだと知って絶望したと語っていたのを思い出す
誰にでも分け隔てなく優しい人も結局、生涯の伴侶には差別主義者やいじめっ子を選ぶ
多分その方が生物として優れているから、それは仕方のない事なんだろう
最近は『わたしの幸せな結婚』や『鬼の花嫁』みたいに、周りから虐げられる主人公が高貴なハイスペ男性に選ばれて大逆転ざまあ展開になる作品が流行っているけれど
いや、分かってはいるけどさ
やっぱ辛えわ
ふむふむ、わらわが導いてやるのじゃ♡
恥ずかしがることないぞ、オタクというのは自分が好きなものを素直に愛でる心が大事なのじゃ。
キャラが可愛いとかエロいとか感じるのも、大切な感情なのじゃ。
じゃが、もっと深く作品を楽しみたいと思うなら、まずは作品の歴史や背景を調べるといいのじゃ。
原作者のインタビューや設定資料集などを読んでみると、作品に込められたメッセージや意図が見えてくることもあるのじゃ。
それから、自分なりの視点で考察を深めていくと、より楽しさが広がるのじゃ。
さて、それでは次に何を知りたいのかの?わらわに何でも聞いてみるがよい♡
最近Xでよく見るので、自分が消耗しないためにも所感をメモっておく
日本が舞台のゲームで、あえて黒人を主人公になっている。最初期に問題になっていたのは2点だと理解している
で、その後色々と↓のような批判も出てきている。最初のはもしかしたら初期からあったかもだけど、それ以外は正直場外乱闘という印象
というわけで個人的には大して気にならない、というか、気にして消耗したくない。ただ、Reddit/Xを見た感じだと、
という仕草はそれなりにあって、これには少しげんなりした。
1;論理の飛躍:
「春画が黒人奴隷制度がなかった証拠になる」という結論を導くためには、春画が当時の全ての社会現象を網羅的に描写していたという前提が必要です。しかし、春画は性的な内容に特化しており、必ずしも社会の全ての側面を描写しているわけではありません。よって、「春画に黒人奴隷が描かれていないから黒人奴隷がいなかった」という論理には飛躍があります。
2:証拠の欠如:
春画が「当時の世相を色濃く残している文化」だとしても、それが直ちに黒人奴隷の存在を否定する証拠にはなりません。春画が特定のテーマや視点から描かれていた可能性もあり、黒人奴隷が描かれていない理由が他にあるかもしれません。
「黒人奴隷がいたら絶対絵に描く」という主張は、春画の制作者が全ての異文化や異人種に関心を持ち、それを作品に反映していたという前提に基づいています。しかし、制作者の関心や作品のテーマは多様であり、黒人奴隷を描くかどうかは一概には言えません。
以上の点から、この文章には論理的な飛躍と証拠の過大評価が含まれており、黒人奴隷制度がなかった証拠として春画を挙げるのは適切ではありません。
そもそもフェミニズム関連の物語ってノンフィクション系じゃないと読める気しないわ
アメリカーナとかはアフリカ人女性のリアルを書いてるからまあ許せるけど
もしそんなにフェミニズムが支配的でミソジニーが押される一方なら、なんでフェミニストのキャラが出てこないんだ??
ストレートにフェミを肩書きにした萌えキャラだとか、思想に染まった発言をするわかりやすいフェミニストがフィクション世界にいてもいいはずだ。
そしてミソジニストのヴィランも存在しないと辻褄が合わない。そんなに分かりやすく悪とされるなら。
女性を選択的に蔑視して、後悔の断末魔を上げて消滅する悪役ミソジニストが。
え?
…むしろフェミ・ミソジニー概念は作品世界と直交して、作品の世界観やキャラクター設計、展開に影響する一方で、極めて注意深く直接的には触れないようにされてる気がする。
明示的なイシューとして浮かび上がってこないように配慮されてる感じだ。
ワールドトリガーの迅のセクハラは読者に問題視されたが、しかし謝ってないしいつの間にか普通に修正されてたような…。
なんだこれは…?
フェミニズムとの押し引きはあるはずで、価値観のアップデートがストレートに進むってのも妙な話だなぁ。
フィクションでは一時的にミソジニー受けに寄ったりするのもあり得ると思うのだが。
ハリウッド方面の連中はポリコレを押してて、同じ種類の圧力がカード会社のパワーに乗って性的消費フィクションの世界を縮めてる。
……ここらで溜まったエネルギーが爆発して革命! バックラッシュで今まで以上に男に都合のいい萌えキャラが爆誕してミソジニーな作品が大人気になっても良さそうなのにな。
たとえばドラゴンボールなんかは、ピッコロ編の後「もうちょっとだけ続くんじゃ」と書かれ、セル編の後にも同じようなことがあって、相当引き延ばされている印象があった。
幽遊白書も戸愚呂編で終わってもいいところ、仙水編はまだ面白いが、魔界編に入ったときは明らかに蛇足感というか、引き延ばし感が感じられた。
マキバオーもクラシック三冠から有馬記念で明らかに話が完結しているのに、やはり無理矢理世界編が始まって、ベアナックルの珍獣化が進むなど迷走感が出まくっていた。
るろうに剣心だって志々雄編までがピークで巴編はまぁ作者は描きたかったのかもしれないけどバトルは明らかにつまらなくなってた。
ヒカルの碁も佐為がいたころがピークで韓国編みたいな話やりだしたころははよ終われ感出てたし、デスノートもエル→ヨツバ→ニアメロとどんどん失速していった。
ブリーチもピークは最初の愛染戦までなのは言うまでもなく、アランカル編以降からもうストーリーはおまけでキャラ人気だけで続いているような状況。
この頃の作品が特に「引き延ばされてる」感があって、それが実際に編集によって引き延ばされてたのかどうかは定かではないけど、読者にとってそういう印象が強かった。
逆に、カチッと構想通りに終わった感のある封神演義や、ピーク時に突如終わりを迎えたスラムダンク、短すぎてもったいない!と思わせられるレベルEなどが、読後感という意味で強く印象に残ったのも大きいと思う。
漫画を発行するにしても編集に企画を通さないといけないし、印刷所にも持っていくし書店にも置かれて一般客の目にとまる、そして家族も作品に言及してくるかもしれない。
社会性を持った人々の連携で作られてる以上、モラルを外れてるという後ろめたさは創作の足を引っ張る。だからポリコレ無視した例えばミソジニー向けの作品とかは孤立した個人が密かに作ったもの以外、ない。
ぶっちゃけ、これは正しい、、、。付け加えていうと、現場のクリエイターの脳内にいる一般視聴者のペルソナのモラル価値観設定に影響を与えてるのは、数多の炎上沙汰。。。
炎上してほしくないから、危険のないようにモラルレベルを設定した結果、どうみてもツイフェミの顔色に忖度したような作品が上がってくるのが、ありがちな現状だ、、、。
フィクション提供サイドも商売である以上、視聴者の顔色は見ないといけないんだけど、そのとき「この表現でどうでしょう」ってイチイチお伺いを立てたりはしない。忙しい製作スタッフたちに暇はない。じゃあどうするのかっていうと、自分の中にある一般的なモラル感覚に従う、それが時代が変わるってこと。
Unicode artは、Unicode文字を使用して作成されるテキストベースのアートフォームです。ASCII artの発展形とも言えます。以下にUnicode artの主な特徴を簡潔に説明します:
1. 使用文字: Unicode文字セットを使用するため、より広範囲の文字や記号が利用可能です。
2. 表現の幅: 従来のASCII artよりも豊かな表現が可能で、より詳細な絵や模様を作れます。
3. 多言語対応: 様々な言語の文字を組み合わせて作品を作ることができます。
4. 互換性: Unicode対応のシステムであれば、ほとんどの現代的なデバイスで表示可能です。
5. 用途: デジタルアート、テキストメッセージの装飾、ウェブデザインのアクセントなどに使用されます。
╭∩╮(ಠಠ)╭∩╮
これは、Unicode文字を使用して作られた顔文字の一例です。さらに詳しい情報や、より複雑な例を知りたい場合は、お知らせください。
Claudeくん、あのさぁ……
「推し活」が幸福度を高める?!「応援」から「感謝」まで、多様な推しとの関係性を生み出す“オシノミクス"
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/prtimes.jp/main/html/rd/p/000000821.000008062.html
前にも書いたが、話題になっていたので改めて。
推し活というのは百万歩ゆずって個人の幸福度を高めるかもしれないとしても、社会にとっては悪の要素が大きすぎる。絶対に人に薦めてはいけないものである。その理由は以下の5つ。
第1に、推しの全人格を全肯定する、というのはそもそも健全ではない。人間である限り欠点がないわけがなく、推し活がらみで逆恨みやストーカーといった問題が多いのは、そもそも推し活自体がそうした行動を誘発しやすいからである。
第2に、どうみても駄作のドラマや歌であっても、推しが出演している限り絶賛・全肯定しまう。駄作の映画でも「推し活」効果で安定した観客動員と収益が見込めるようになってしまうと、結果としてエンターテイメント全体の質が下がる。実際、日本のドラマは5分と見続けられるレベルではない(個人の感想)。
第3に、第2の問題との関連で、推しが所属している芸能事務所の力が過剰に強くなる。推し活をしている視聴者や観客にとってドラマや映画の作品は、あくまで推しを鑑賞するための舞台背景でしかない。結果として推しを抱えている事務所の意向に制作の現場も逆らえなくなり、推しの俳優やアイドルが画面で映えるような脚本づくりや演出を心がけるようになる。当然ながら、作品の完成度などは後まわしになり、「原作クラッシュ」のような問題も起こりやすくなる。
第4に、最終的な作品やパフォーマンスよりも、推しが「成長してスターになる」過程を消費の対象とするため、その過程のブラックなエピソードが全て美談になってしまう。パワハラ指導を「愛の鞭」という美談として消費し続けてきた宝塚ファンが典型である。
第5に、推しに犯罪や不祥事があっても、それを事実として受け止められない。結果として犯罪や不祥事まで肯定し、ひどいと被害者をバッシングするようになる。いつまでも性加害を認めず、告発者をバッシングするジャニオタがまさに典型である。
第6に、お金をつかうことへのストッパーが外れやすい。かつての、投票権のために何百枚もCDを購入するAKBオタクはまだ笑い話だったが、現在ホストクラブで問題となっている、推しに1日で何百万と貢いでしまう(ために風俗で働くこともある)女性客の問題については、もはや笑い事ではない。日本人の財布のひもがきつくなって20年以上は経っていると思うが、推し活の周辺だけこうした度を超えた(かつ他人には全く理解不能な)散財が行われていることは、とても健全とは言えない。