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はてなキーワード: 不可能とは

2024-02-19

anond:20240219130107

それだけだったらどうやっても説得不可能オタクがいまだに大量にいることに説明がつかない

美少女キャラクターの消費という本質発達障害能力の低い人間を集めて飼い慣らしてしまうというシステム問題があり、それを誰も改善できない

結局その人達から強く集金するためのシステムでもあるんだから

国民民主党小池百合子と再接近して「東の維新」になる可能

やっぱもう国民民主党小池百合子の仲は修復不可能なの?

維新政策自体批判はあれど、大阪を回していること自体は悪くは無いと思っている

から維新のように自治体経験を積みつつ、老人切り捨てとかそう言う過激思想でない政党ができたら個人的にいいなと思うんですよ

それ、東京小池百合子国民民主党ができないっすかね?

2024-02-18

anond:20240218192624

> 「難しいですね」

これは実際に難しいと感じてる場合に素直に言ってると思います

一週間とかの工数で試しに手を動かして調べてみて本当にどうしようもない難しさか、少し調べてほしい、というのもひとつの手です。

もしくは外部のその分野の専門家ヘルプを得ると可能性があるか聞いてみるのも有効手段。ただし、その専門家の選定には必ずそのヘルプを受ける当事者エンジニアに関わってもらい納得できる人選をすること。外部の専門家を入れることができても、それだけで出来ると早合点しないこと。

それでも難しい場合は、本当に難しすぎることをやろうとしてると思うのであきらめましょう。

> 「技術的には可能ですが」

例えば Windows 互換OS を開発することは技術的には可能だとしても、人月的にも著作権的にも Microsoft を買収できる程度の金額と相当の期間が掛かります

このように現実的には不可能という状況で言うことが多いです。

それでも不可能と言うのは不誠実だと思って言っているので、それでもやりたければあなた技術以外の問題を取り除く手配をする必要があります

> 「そもそも要ります?」

勘違いしている人間が多いですが、要件自体が間違っているとまともなソフトウェアは作れません。

なので、優秀なエンジニア要件についての質問します。

場合によっては目標達成するためにソフトウェア不要なことがあります

そのような場合に「そもそも要ります?」と言います

要件についての質問をしてるので、要件を作った人間責任をもって答えてください。

答えられないのは怠慢です。

とはいえ別に文句をつけてるわけでもないので、答えられるならばごちゃごちゃ考えてる暇があるなら早く答えてください。

というわけで、別に他人事だと思ってるわけでもなんでもないのにそうやって決めつけて文句を言うな。

日本人設備投資大嫌い、無駄労働やすの大好きなケチケチセカセカ民族から貧しくなってるだけ

https://anond.hatelabo.jp/20240218115032

外需とか内需とかは本質ではない。

国民の豊かさを語るうえで外需/内需という切り分けにそこまで意味はない。

為替というのはあくまで結果であり、政策為替を直接変動させて得をするのは不可能だ。

日本が貧しくなってる理由は単に設備投資をしないこと、無駄労働を削減しないことだ。

本当にそれだけである

他国に比べて労働生産性が上がらないというのは、単に他国がやっている効率的設備投資、人的資本の移動

これをやってないというだけなのだ

日本人は逆に、設備投資の削減、無駄労働の創出が大好きだ。

与党野党も全く同じで、なぜかといえばそれしか人気が取れないからだ。

それは日本人が設備投資が嫌い、無駄労働で小銭をもらうのが大好きだからだ。

割とどうしようもない。

俺もこれに気づいてからマクロ経済政策を云々するのをすべてを諦めてひたすらS&P500を買うことにした結果、豊かに暮らしている。

増田も諦めたほうがいい。

anond:20240218142849

そもそも

全ての自然数加法による計算は、感覚ではなく公理定義から導出出来るものであるということの一例と私は考えています

1+1=2は直感的に正しそうだけど証明可能不可能かは大問題証明できないと数学破綻している可能性があります

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13293425613

みたいな主張、ようは「数学的に証明されたら感覚的なことではない。感覚じゃない事実なことを示すために証明するんだ」みたいな主張に対する違和感から始まってんだよね、元増田は。

いや、定義自体が、人間インプットされた「同一/非同一」とか「書き換える」みたいな原始的観念/身体感覚依存してる部分が多少なりともあって、このプリセットが全人類で同一か確認する術が不可知なのだから

感覚あいまいなもとみなし、そこから『全く』逃れるために証明するんだ」という考え方は、誤りだろって突っ込みたい動機から始まってるんだよね。全くじゃなく、程度問題だろ、全く感覚の影響を排除できてるというのは思い上がりだろっていう。もちろん厳密であろうと努力する態度は尊いと思うよ。

anond:20240218130608

色んな都合の悪い現実を見ずに言い訳ばっかりしてきた結果がこれだから

日本の何々が悪いって言われると

「何々よりはマシ!!!!!」って発狂する知恵遅れが増えすぎた

その結果色んな問題がずっと放置されてもう自力じゃ解決不可能な所まで来てて詰んでる

2024-02-17

エッタラジェンダの会社について思うこと色々

まず私は株式会社エッタラジェンダについて特に支持する立場でも反対する立場でもない。今回の件について自分の頭の整理をするための文章なのでもし目に止まった方がいたらこんなことを考える人もいるんだー、ふーん程度で流してほしい。

2月9日株式会社エッタラジェンダが設立された。

この知らせはさほど広いとは言えないインド界隈にゆっくりと知れ渡る。

社名が映画RRRのエンディングテーマ曲名であったこから社名に対する賛否両論が巻き起こり、特に否定的な反応が目立った。

私自身、率直な感想としては「私はなんでもいいけど大丈夫かいな」だった。

「旗を上げろ!」という意味の「エッタラジェンダ」という言葉はRRRの象徴的なシーンやメッセージを思い起こさせるもので、ファンにとって思い入れの強い言葉になるのは自然なことだと思う。

個人的にはこれは線引きの問題だと思っていて、会社という団体を立ち上がることで「エッタラジェンダ」の「内側」がファンの中で生まれしまたことが大きかったのでは、と思っている。

多くの人が強い思い入れを共有する集団の中にエッタラジェンダという具体的な集団がつくられ、突然エッタラジェンダの外側に出されたように感じ戸惑う人がいてもそんなに不自然なことではないような気がする。

これがもし「合言葉を共有する集団」のど真ん中で行われたことじゃなければこんなことにはならなかったのでは。

長い妄想だけど、喫茶エッタラジェンダにはRRR大好きなマスターがいて、一般的カフェメニューの他に結構本格的なインドカレーが食べられたり赤と青のシロップがじわりと混ざり合うイメージドリンクがある、とかだったらむしろファンとして一度は行ってみたいお店になれた世界線もあったんじゃないかなあ。そしてたまに貸切でインド映画イベント期間限定イメージメニューとか出てくるとか(そういうお店行きたい)

もし株式会社エッタラジェンダシステム開発(長い)だったとしても名刺交換の時に「へえ、インド映画?そんなに好きなんですかあ」で済みそうな気がする。そもそもこの場合映画ファンに向けて大々的に会社設立の報告をする必要もあまりないが。

他にも「ん…?」と思われてしまう原因、いろいろあったんじゃないかな。

・「エッタラジェンダ」という言葉日本での意味合いが限定的すぎる。例えば株式会社ビームだったら同じことにはならなかったのでは(炎上の気配が見えても違う意味を強調して若干逃げ場もある)

・RRRのヒットで界隈が急に大きくなり、強まった商業色や乗っかり的なものに対するファン疲労。これをぶつけられたのは気の毒である

設立者の方のこれまでのファン活動を鑑みて、権利関係に関して深く理解された上でとは考えにくい部分がある

などなど。

ただ、上記のいずれも反対する気持ち理解できるという話で、法律的または権利的に直ちにアウトではなくあくま道義的可能性)または気持ち的な問題がメインだ。

上記の線引きがどうの話も個々の感受性思い入れベクトルや強さの問題で、コンテンツに対する愛情の強さとは必ずしも比例しないし、辛いと思うこともどうでもいいと思うことも間違っていないと思う。

今回否定的気持ちツイートしたほとんどの方も気持ち的な問題というところは理解されている印象を受けた。悲しみや怒りを感じる投稿は多くあったものの、社名変更希望通り越して強要だったり、口汚く罵倒する言葉ほとんど見えなかった(見えるところにないだけでDMではわんさか届いてたりするのかもだけど)

新たな挑戦をする人を寄ってたかっていじめているような見方をされている方もいたけど、(もちろん強い言葉で詰め寄るのは論外として)嫌だと思うものを嫌だと言うまでの権利は誰にでもあっていいはずだ。今回、新たな挑戦「そのもの」を叩く人って言うほど多かったか…?

結局好きなものを共有するだけで、それ以外は異なる価値観の人の集まりでみんなが同じ意見であることは不可能だし、その状態を目指す必要もない。どの意見も間違っていない。間違えがちなのはいつだって伝え方のほうだ。

そもそもファン向けビジネスをしようと思った時、お気持ち蔑ろにできるものなのだろうか。ファンというもの自体お気持ち集合体だと思う。お気持ち論は根拠にならないという意見もあったが、結構割合の人が同じように感じている気持ち無視して進むことは事業としてリスクがあったのでは。

つらつら書いてみたけど、会社は結局一番残念な形で終わってしまった。お会いしたことはないが、設立された方はオフ会の仲間の皆さんからとても慕われているようだ。ホームページ(すでに消えたが)を見ても「良い奴」なんだろうなあと思う。

動力が並外れに高くてあっという間にリーダーになってしまタイプなのかな、と。それだけに今回これだけあっさり全部取りやめてファン活動のものから撤退されるのは惜しいと思う。

何度も開催した大規模オフ会の中心的な人物(だよね?)として多くの人から慕われていたのが、いざ会社を立ち上げた時にぶつけられた想定外否定的意見の数々に戸惑い打ちのめされたのは想像に難くない。ご本人から詳細を説明されたツイートも状況を好転させることはできなかった。一個人にそれをすべて耐えろと押し付けるつもりはないが、もう少しいい形で共存できる方法はなかったのかと考えてしまう。元々は同じファンなのだから

実務的に頼れる(それこそ法務とか、今回の対応含め)人物はいなかったのか、長いことインド映画を盛り上げてきた方々の力を借りつつ一緒に進めることはできなかったのか、勢いよく進む傍らで大局を把握する軍師表現)的な方がいるだけでも随分違ってたのではなどと、今回のことが起こらなかったもしくはうまく乗り切れたシナリオを思い描いている。

また、この新しい団体によるイベントはどんなものだったのか、いつか私も何かの上映会に参加していたのだろうかともはや叶わないたらればに思いを馳せる。

追記

今回の騒動を異なる価値観気持ちのぶつかり合いではなく、単なる「集団いじめ加害者」と「新しいことをしようとして潰された被害者」の物語としてとらえる人の多さに少し驚いてしまった。

人の感性って思いのほか色々あって、絶対に分かり合えない価値観の人も少なくない。

自分理解共感できる痛みは尊重すべきもので、自分理解、納得できない痛みは非難していいなんていう善悪の考え方は社会で生きていくにはあまりに危うい。だいたい他人気持ちは誰かを納得させるために存在しているものではない。

その気持ちに至った土台の中に明らかな事実誤認が含まれているのならそれを教えるのはアリだと思うが、気持ちのもの否定は争いしか生まない。

もう一つ、設立者の全面撤退により、今回の会社に対する議論ではなく結局クレームつけて潰したという構図だけがクローズアップされてしまい分断が加速しそうだなと思っていた。

設立者さんの人柄やコンテンツ愛で補われている部分も多々あったが、会社設立までのプロセス問題提起されてから設立者さんの対応はいずれも思うところがある。これが全て有耶無耶になって批判勢がただ悪者になるのも違うのでは。

しかし、設立者さんは撤退の際問題提起をされていた方にDM捨て台詞暴言を送りつけていたとのことで。相手の言い分を理不尽と思うなら公に反論してもっと議論を重ねればよかった。批判を押し切る選択肢も、少し主義を曲げて社名を変える、スピーディーユニット名を全面に出す(そういやこの話どうなったん)などやりようがないようには思えない。

これまでの対応でもあまり良い手を打たれているとは思えず歯痒い思いをしていたが、これは本当に悪手だったと思う。そもそもネット上での騒動なんだから裏で仕返ししようとバラされるに決まってるじゃないか。本文スクショを貼られなかっただけ良かったと思う。こんなことをしたら「愛と勢いに溢れたちょっと不器用だけど応援したい人」のイメージまでも失ってしまう。

サークル内の兄貴分としてはとても頼りになる人、けれどいざ法人化となったとき批判する勢力を納得させるだけの力量もなく、かといって一度全て飲み込んで突き進み結果で語るだけの推進力もなく(社名を絶対に譲歩できないのであればこれが一番現実的選択肢だった)、多くの人が寄り添った「優しすぎた被害者」の立場までも本人が手放しかけている。

もしくは人一人の力なんて結局はこんなもんなのかな。

応援してます!」だけではなく現実的な助言や手助けをくれるパートナー存在が見えなかったことが個人的には一番残念。

anond:20240217140448

中国ITベンチャー日本拠点に勤めてたけど中国IT企業ってエンジニアレベル高いけど金盾とか政治体制とか米中対立の影響で技術的な自前主義がめちゃ強くて、

議論するにも中国語はネイティブレベルでできないとついていけないけど

そこまでして中国しか通用しない技術身に付けるメリットもないなと思って辞めてしまった

というかそもそも不可能だと思った

代替不可能人材とはなんなのか?

いつでも代わりが見つかる人材は安く買い叩かれるらしい。

その主張に意義はない。

しかし、代替不可能人材とはなんだろう?

どんな組織も、属人化を嫌う。

この人しかできないという業務解体対象

実際のところ、代替不可能人材って、コネを持ってるとかしかかばない。

anond:20240217155451

横だけど、気が狂った人が主観的に納得するかどうかは数学の厳密性とは全く別の議論だろ

それを言い始めたら「¬¬A→A」という主張に対して、「俺はお前が¬A→Aと言ってるように見える」と主張して否定しにかかることも出来るわけで、定義の厳密性など全く意味の無い話になってしま

そうした気が狂った人を排除するために論文という形で多くの専門家批評を受ける必要があるわけで、その多くの専門家が全員気が狂っていないことを証明するのは不可能かもしれんけど、まぁそれもまた数学の厳密性とは別の話だよね

究極的には多くの人が「これは厳密である」と信じているから、としか言いようがないけどさ

AIには感情に訴えかけるような文章で指示したほうがよい結果が出る、とかいう話を聞いて思ったこと。

AIには感情はない。

しかし、感情があるかのように振る舞う

これが示唆しているのは、

ある言葉を受け取ると、

その言葉対応する言葉というもの創造されているということだ。

初期の頃に公開されていたAIでは特に顕著だったが、

バカとかアホとか乱暴言葉かいを使うと、

それに対する回答も乱暴文章になりがちだった。

それは乱暴言葉に対しては乱暴言葉が対になるということだ。

この仕組みは人間でもAIでも同じなのではないか

とするならば、人間の仕組みというのは我々が考えているものと少し違うものとなるのかもしれない。

一般に信じられているのは、

かに馬鹿」と罵られたとき

私たちはその「馬鹿」という言葉感情を害され、

それゆえに「なんだとこの野郎!」というような言葉が出力されているという仕組みだ。

しかし、実際には感情のないAIでも感情を害したかのような出力を行うのだからこの理解は間違っている。

私たちAIと同様に

馬鹿」が入力されれば

自動的

「なんだとこの野郎!」

という言葉が想起される。

その言葉創造されることによって、

はじめて自分は気分を害しているのだ、

ということを知り、

その結果として人間の古い脳に怒りの反応を起こさせている可能性のほうが高い。

でなければAI感情的になることな不可能からだ。

順番が違うのだ。

ある言葉にたいして怒ったから、怒りを含む返事を思い浮かぶのでなく、

ある言葉に対して、それと対になるような怒りを含む返事を連想たから、脳は怒るべき状態なのだと知り、そして怒るのだ。

おそらくそういうことだろう。

現代くらいの技術レベル同士で数光年くらい離れたとこに電波通信可能文明がある世界を描いたSFってある?

「三体 1」はわりと近いけど、あれは恒星間の征服戦争というシチュエーションを描くために三体人側にぶっとんだ惑星、ぶっとんだ技術を与えてるからちょっと違う。

どんなに科学進歩しても超光速通信とか量子サイズの自立機械とかは不可能で、数万年オーダーをかけない限り恒星間を移動可能もの実質的情報だけみたい世界観。

仮に相手支配下しても、そこから資源土地などは得られないので相手文明支配したり滅ぼしたりしようとする動機基本的存在しないので、

暗い森林で光を灯しても矢は飛んでこない。

 

まあその場合でも、宗教など利益度外視した概念上の理由ならあるかもしれないが。

あと「計算資源」として見るなら、情報だけしかやりとりできなくても相手支配する価値はあるかもしれない。実際そういう理由クラックされているPCはいっぱいあるので。

ただレイテンシが数年になるので仮に支配した相手惑星コンピュータにしても使い道が限定されすぎている気もする。

anond:20240216195122

教育費が上がりすぎることによる少子化

中国韓国はまさにこれ

韓国10年で教育費3割増だって

中韓アッパー層ですら1人育てるのが精一杯

中韓日本の一部の狂ってる層(インター校とかに子供を入れる層)は知らんが、日本の大多数の人間にとって教育費が増えたと言ってもせいぜい子供1人あたり数百万円のレベルだろう。これは少子化本質的な原因ではないと個人的には思う。

金銭的な観点での本質的な原因は、①不動産価格の高騰と②共働き一般化だと思う。

不動産価格の高騰は言うまでもない。東京都市部ではここ10年程度で、一般的なファミリー層が必要とする家の値段が3000万円程度は上がった。教育費に換算して子供3~5人分と言えるだろう。教育費上昇の効果より遥かに影響が大きい。

共働き一般化については機会費用問題だ。不動産価格が上がったせいもあるが、夫婦共にフルタイムでの共働きをするのはかなり当たり前になった。しかしながら子供を持った途端にフルタイム共働き実質的不可能になる状況は大して変わっていない。

そうすると、一度共働きが当たり前と慣れた人々は機会費用を考え始める。共働きを続けた場合世帯収入の総額と、専業またはパート主婦になった場合世帯収入の総額との差のことだ。これは定年までの総額と考えると、低く見積もっても1億円に近くなる。教育費の上昇なんかよりも遥かに巨大な額だ。

①と②を合わせてトータルで1億円〜2億円の差が生じる。子供を持たないか1人程度にとどめることでこの分が家計に入ってくると期待されるわけだ。仮に教育費が大幅に下がったところで、子供を2人以上持った場合世帯収入減少を軽減する効果は誤差レベルと言える。

このことが金銭的な観点における少子化の最大の原因だと思う。

解決策として考えられるとすれば、教育費なんかよりも乳幼児無限に手間を掛けるようになってしまった文化の根絶だろう。情操教育だの愛着形成だの発達だのといった言葉に踊らされて子供に手間を掛けまくるのをやめれば働き続ける余裕も生まれるかもしれない。昔みたいに子供適当放置して言うこと聞かなければぶん殴って聞かせる程度で育てるようにすればいい。教育費削減なんかより遥かに効果があるだろう。

あと不動産については外国人や非居住目的での購入に強い制限を掛けるのがいいと思う。

anond:20240217131154

この場合はまず定義が先にあって文字説明はその定義表現しているにすぎない。言葉定義が成り立ってるわけではないので一意に取れなかったらカジュアル言葉の方を変えていいしそれで定義が変わることはない

ってブコメもあるけど、少なくとも定義者にとっては、定義をするたけに記号列を作りだしたそのとたんに、定義のものも作られていくでしょ。

定義なるもの(一意であるべき対象)を記号列を通じて(間接的に?)考えている。

じゃあその記号列で相手にどういう推論スキームなり規則なりかが伝わってなかったとして、記号列を変えてもともとの定義なるもの対応させようとしたとき自分の中の定義内容に対する認識と、相手の中の定義内容に対する認識担保するものはもはやどこにあるのか?

定義自身にとっては、「記号列を作るとともに定義なるものをつくった(つもりになってる)」から記号列と定義内容の関係自分の頭の中でわかってる可能性"もある"けど、他人同士で頭の中をぱかっと割りあって共有することは不可能なので…

定義が変わることはないって、表現とともの定義自体を考えてるのに、表現を変えちゃったら、定義自身にとってももはやもとの定義とは別物の何かを考えてるってことにならざるをえなくないかと。

anond:20240217074909

ってかプログラミング言語統一されてない意味分からん

自然発生じゃなく人工的に作った言語が一つにまとめられないの何なの。

ハードウェアUSBは規格統一できたのに。

技術的に不可能じゃないよね。

Rustだけでいいやん。

実況者ってオタクツイートしちゃダメなの?

とある実況者が「動画見てないけどSNSキモ過ぎて無理」だの「急にオタクツイートしだしたけどどうした」などと言われてたので見に行ってみたのだが、別にまあ普通なんだよな。有名実況者にダルいリプライ送ってんのはどうかと思ったが。

そいつ私的な事はサブアカウントポストしてたし、その内容も別にキモくないというか、よくいる奴の範疇に収まってるものだったかそいつらの意見がわからなくて困ってる。

というのも自分自身も実況者の類で、SNSサブアカウントをめちゃくちゃ私的に使ってるので、もしこれがキモいと思われてるようなら完全別名義で私的な事はポストしないといけなくなるからだ。

誰にも嫌われないなんて不可能なのは分かっているのだが、やっぱり嫌われたくはないのだ

GDPが4位になりました?

当たり前だろ

自民党みたいなガイジ以下のクソ低脳集団投票するクソ未満のガチ境界知能が大量発生してる国がまともに経済成長人口増加もできるわけねぇんだから

仕事セックスも出来ねぇ欠陥馬鹿が増えすぎたし放置しすぎたんだよこの国は

から正社員解雇規制なんてもんは完全撤廃してアメリカみたいに競争社会にしなきゃいけないかったんだよ

大量のお荷物の窓際と役立たずを職場放置してどうやって生産性上げる?不可能だろそんなもん

そういうお荷物の変化大嫌いゴミ自民党支持者になって国も会社破壊してんだよ

2024-02-16

右や左ですら定義できないのに数学定義できると言う欺瞞

右や左すら、現実感覚と結びつけず、つまり対面で「右とはこっちだよ」と具体的に指さしで説明することなく、言葉記号のみで形式的定義することは不可能ですね。

ヒルベルト流に右や左自体でなくそ関係から定義したとしても、おそらく現実で右と呼ばれる方向かその逆か一意に定まらない定義しかならないでしょう。

それなのになぜより高度と思われる数学概念現実感覚によらずに定義できるというのか欺瞞を感じるわけです。

ちなみに磁極とか電流の向きとかで説明しようとするのは、その方向を向いているものの具体例をあげているだけで定義とは言えないでしょう。

(方向ってのもたかだか感覚ありきの概念な気がするがひとまずこの定義クリアされてるものとしても)

anond:20240216164931

どう定義したって厳密でありえないって話なんだけど。定義という入れ物によらない内容だけを一意厳密に伝えることは不可能だろ?

anond:20240216152842

認知行動療法保険適用になったのは2010年

あなたのご親族が受けさせてもらえなかったのはそれ以前の時代では?

あるいは精神分析アダルトチルドレン療法など現代精神医学では否定されてるカウンセリング内容を希望していたか

精神分析は自費と言われるし、宇多田ヒカルくらいのお金持ちでないと不可能だけど

ドラマに出てくるカウンセリングはこれが多い。

anond:20240216124331

数学科出身です。

この疑問は第一不完全性定理についてですね。

数学という矛盾のない論理体系の中にも、数学説明不可能な要素が必ず残ります

「方向」を数学の別の言葉定義したとしても、その時用いた言葉を他の何かに定義して…と終わりがないことを表しています

よく言われるのが「右」「左」の定義が難しいってやつですね。

数学定義は本当に厳密で一意なものと言えるのか気になりました

たとえばユークリッド幾何学での直線は「幅をもたず、両側に方向に無限にのびたまっすぐな線」だそうですが、これも「幅」とは?「(幅を)持つ」とは?両側とは?「方向」の定義は?「無限(限りが無く)」とは?そもそも「限り」って何?「のびる」とは?「まっすぐ」とは?「線」と結論づけるのは循環論法じゃないの?

と突っ込む人にとっては厳密ではなくなっていませんか?

ここで、これらの言葉意味は、国語辞典に載っている意味と同じものだよなどといおうものなら、それこそ数学の厳密性を否定したようなものになってしまっていると思います

たとえば「方向」を調べたら「向くこと」とでます。これを調べると「物がある方向を指す」というふうに出ます。これは循環論法に陥ってますし、「物の正面があるものに面する位置にある」という別の語釈もありますが、物とは?正面とは?面するとは?位置とは?となります。これを繰り返せば結局どこかで循環論法に行きつくでしょう。

そもそも数学の根幹部分を支える論理学重要概念である否定(そうでないこと)」にしても、厳密に定義することは可能なのかと思います

「~でない」というのは、そうであることがないということ、と言ってみたところで循環論法

そうであるのになぜ上記のような定義公理が厳密なもの認識されているかといえば、「さすがにここまで平易な単語の組み合わせで書けば、これらの単語については私が常識として理解してる意味と同じ常識を、相手も持ってるはずだから同じ理解をするよね?」みたいな態度に立っているんだと思います

結局相手も同じ常識を持っているという不確かな信念によりかかっている、甘えている点で、数学記述もまた完全に厳密で一意というわけではないのかなという気がしてくるのです。

そもそも「方向」なんていうような概念は、言語によって定義されたものを知っているというよりは、幼少期に言語習得していく過程で、それが話されるシチュエーション、つまり五感などあらゆる感覚総体とセットでそうした言葉が使われているという環境に身を置いているなかで理解しているにすぎません。理解内容が各個人で全く同じである保証はどこにもないと思います

どんなに高度な数学表現も究極的には自然言語還元されるはずで(どんな高級言語機械語に置き換えられて処理されるように)、自然言語の各単語に対する人々の理解原理的には五感に根差し感覚的なものなのだから数学記述が厳密で一意というのは、結局はほかの記述の仕方に比べた程度問題(つまりは誇張表現)なのかなと思うのです。

感覚によらない「証明」をすることに価値を見出す人が数学をありがたがることがありますが、数学もまた根源的には感覚ありきの理解に基づいていると思うわけです。

この考えは間違っているでしょうか?そうであればどうして間違いなのか、どこがどう理解を誤っているのか知りたいので教えてください。

ちなみにたとえば「否定」というのは、根本的には、やはり言語理解が完結しているものではなく、現実の状況としての存在非存在にそれぞれ直面して、それぞれに対して「○○がある」「○○がない(なくなってる)」と言われてる場面を経験したうえで、その状況から理解した内容のさらなるアナロジーとして理解してるに過ぎないと思います(理解のあり方が、言語的ではなく、観念直観的)。

数学が他よりも他者と厳密に同一な合意が常に成り立つ、その工夫として、抽象度を高くしているのがその工夫にあたるのではないかという人がいました。↓

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14293524459

しか抽象度を高くすることは、合意内容のずれを減らすという点で「有効でもあり逆効果でもある」のではないかと思いました。つまり諸刃の剣なわけです。

有効である理由リンク先に書かれているのでそこに説明を譲るとして、逆効果であると思う私の説明を書きます

まり抽象度が高い概念は、抽象度が低い概念や直接的な事物に比べて理解が難しい傾向があるのがまずあるわけです。

また定義者の提起する定義をそれを発信される側が期待通りに理解しているか確認するのも、抽象度が高い概念ほど困難な傾向はあると思います

これ自体ある意味抽象のものなのでたとえが悪いですが、たとえば「左を向いて」という発言に対して、「左」を向く反応をすることで、この人は左について正しく理解してそうだなという確認(いや原理的には推定というべき)することができます

抽象度が高くなるほど具象と結びつけたこのような正しく理解してるかの評価確認テストをすることが難しくなるでしょう。

といってもそもそもわれわれは相手自分の言ったことを期待することと厳密に一致した内容で理解してるか確認することは原理的に不可能です。

頭をパカっと割って理解内容を覗きみるということはできないですから

対象となる言葉に関連したその人の発言や反応をみて、理解の結果としての発言や反応として、その人がある部分で正しく(定義者の期待通りに)理解してるだろうということを推定するしかありません。

しかも全体ではなく一部だけの理解が正しくても、発言や反応には異常が見られないということもあるでしょう。

反応や発言いくら調べても、概念全体を期待通りに理解してるかのテストには無限通りのパターン必要と思われ、原理不可能と思います

哲学的ゾンビにも通じそうな話ですが、日常範囲内で「理解齟齬があるような反応が返ってこないなら」そんな「理解が完全同一でないかもしれない」という可能性上の話を心配する必要はないというのはその通りでしょう。

ただ場合によってはそれが表出したように見える一例が、あれの原因がこれだとは言いませんが、望月新一がABC予想を証明したという論文での紛糾みたいなことが起こる一因にはなりえると思います

あれだけ理論として抽象的な概念を積み重ねた先には、定義者とそれ以外のその定義を見た人とでの理解のずれは、反応や発言として顕在化してくるほどになっても不思議ではありません。(定義者の解釈が正しいという優劣の問題ではなく)

特定公理範囲内において論理的矛盾のないシステム

はいますが、そもそも矛盾」とは何か?「論理」とは?「範囲」とは?とは、といくらでも曖昧でしょう。

たとえ矛盾記号論理の表現記述して定義した気になったところで、じゃあその記号定義ないし意味は?とどこまで突っ込まれても感覚に頼らない定義可能なんですかね?と思います

dorawiiより

追記

数学に限らない話じゃんっていうのはまあその通り。

でも定義について「厳密で一意」であることを(得意げに?)標榜してるのは数学(+論理学)とそれベース客観的であろうとする学問ぐらいだから別にエントリ詐欺じゃないよね?

a=b、aはbだ。「は」って何?「だ」って何?「英語的にはどっちもisという語に集約されてるけど、じゃあisってなんだよ」ってところから概念の共有をしてない前提に立った時、その概念を非感覚的で厳密に共有することは可能なのか、それが「完全に」できたと確かめるのにはどうすりゃいいって話よ。

言葉という形式が従で、それに乗るべき内容が主であることは百も承知だが、形式言い換えれば入れ

物抜きに内容を厳密に伝えられるのか、入れ物の存在無関係な、内容の厳密な伝達というテレパシーじみたものを考えることはそれこそ論理的に正しいのかという話でもある。

言語的なテレパシー論理的に矛盾してるので存在しえないのではないかとは思っている。

さら追記


イデア論かな哲学書読めばってブコメついたけど、順序が逆なんだよね。

イデア論とか学校で習って本読んだりして教養として知ってるからこそ、改めてその考え方を自分なりの具体的な考察対象にあてはめて思索したくなるわけよね。

先達の哲学者たちがいなかったら俺はいまだにブルアカで抜くだけの毎日だわ。むしろ哲学者リスペクト100パーセントなんだよね。

語彙力ないので語弊ありそうなのは百も承知だが、哲学って考え方の基幹部分のオリジナリティーはそんな求められてないんだよ。

しろ先人から受け継いだ考え方をどう今の時代の具体的な問題適用して考察を広げるかが大事なので、ちょっと哲学かじったような素人目には過去論文の焼き増しに見えてその存在意義が理解できないような論文ごまんとあるんだよね。

哲学において焼き増しは無意味パクリじゃないのよ。

あいブコメつける人って「方向性とかみたいな意味ベクトルという言葉を使ってる人は横文字使いたがりの格好つけ」と言ってる人みたいな人を性悪説的にとらえるクレーマー気質が高い人間に感じる。

ちなみに俺はベクトルという言葉を使う人は「周りがベクトルという言葉を使ってるからリアルタイム性を要求される会話でとっさに出てくる言葉ベクトルから、それをそのまま使ってる」ってだけだと思う。

2024-02-15

anond:20240214165302

この項目は単体だけなら人物像を限定するのはほぼ不可能だけど

この中から3つほど選ばせてみたら、そこから何となく人物像が見えてきそう

anond:20240214185555

思考自意識生理現象なので死んだら思い悩むことは不可能なのだが、認識対象だけでなく認識する主体さえも存在しない死という状態の何もなさを想像すると、今生きている自己世界への確信が揺らいでしまうよね

2024-02-14

anond:20240214232616

遅刻で悪びれないのは、それが不可能行為だと思っちゃってるからなんだよな。

発達障害って脳の血流がおかしくなるから発達が不均等になるんだよ

ってことは寝てるとき睡眠時の血流にならないか回復しない時がある。

まり自分意思とは関係なく徹夜状態にされてるってことなんだよ。

どこに引っ越してもランダム強制徹夜させられる人生だとしたら、

時間通り出勤するのが格段にしんどくなるだろ?

まあ、だからといって会社ルールが守れない奴が悪いって事実は揺るがないんだがな。

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