右や左すら、現実の感覚と結びつけず、つまり対面で「右とはこっちだよ」と具体的に指さしで説明することなく、言葉や記号のみで形式的に定義することは不可能ですね。
ヒルベルト流に右や左自体でなくその関係性から定義したとしても、おそらく現実で右と呼ばれる方向かその逆か一意に定まらない定義にしかならないでしょう。
それなのになぜより高度と思われる数学の概念を現実の感覚によらずに定義できるというのか欺瞞を感じるわけです。
ちなみに磁極とか電流の向きとかで説明しようとするのは、その方向を向いているものの具体例をあげているだけで定義とは言えないでしょう。
(方向ってのもたかだか感覚ありきの概念な気がするがひとまずこの定義はクリアされてるものとしても)
Permalink | 記事への反応(1) | 21:20
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じゃあ右ないし左を心象によらず規定してみてよ?↓ https://anond.hatelabo.jp/20240216212019