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はてなキーワード: 一枚岩とは

2024-06-14

anond:20240614000528

そうなの?じゃあおれとちがうなぁ 表現の自由界隈も一枚岩じゃないなぁ

2024-06-12

少女小説、もしくは「女性向けラノベ」とラノベ関係

言いたいこと:少女小説ラノベに含めても無視してもボコボコに叩かれる」という難しい状況がある。

女性けが省かれるラノベ150選

いま、ライトノベルオールタイムベストを選出する作業が進められている。

ラノベ社会に認められるためには、売り上げだけが唯一の評価である現状では差し障りがある。文化としての成熟には体系化と批評存在必須であり、その一歩としてたいへん意義のある活動と言えるだろう。

その暫定的な成果であるラノベ150選が先日公開された。

あくまで叩き台であり、作品数的にもより拡張した形を目指していくようだが、現時点でも各年代に目の行き届いた、ラノベ歴史の流れを俯瞰できる内容となっている。

ただ、この手の企画はどのような基準で選んだとしても、あれがないこれがないという不満はどこかから出てしまものだ。ラノベ150選も例外ではない。

その中で今回特に目についたのが、「女性向け作品がない」という声だ。

これに対する企画者の返答は、女性向け作品については単独ガイドブック等が先行して存在しているから、というものだった。

合理的判断だと思うのだが、これでも納得していない人は多い。少女向けをないがにしろにするのか?と憤慨し、容赦なくボッコボコである

増田は、ライトノベル少女小説(もしくは「女性向けライトノベル」)の歴史のものについてはともかく、ライトノベル少女小説との関係性についてはちょっとした知識がある。

今のままでは企画者氏があまり不憫なので、これについて簡単解説しておこうと思う。

「ソノラマ・コバルト系」から始まったライトノベル

用語としての「ライトノベル」が誕生したのは、1990年

ニフティサーブSFファンタジーフォーラム内で増えてきたある種の若者向け小説話題を別会議室独立させるにあたって、管理人神北恵太氏が命名したものである……

といった事実は、ラノベ史ではすでに常識と言っていい情報だ。

もちろん名前はそうでも、ジャンルとしてのラノベ自体が90年に突然生まれたわけではない。起源をいつとするかは諸説あるものの、ラノベ作品はそれ以前から存在していた(存在命名の順であってその逆ではない)

そのようなラノベ小説群は「ライトノベル」が定着する以前には、個人コミュニティごとにさまざまな呼ばれ方をしていた。そのうちの一つに、ジャンル代表的レーベルから取った「ソノラマ・コバルト系」というものもあった。

言うまでもなく、コバルト文庫少女小説代名詞というべきレーベルである。つまり命名の時点では「ライトノベル」は少女小説(の少なくとも一部)を当然に含むような形で規定されていたということだ。

(ここでの「少女小説」とは当時のコバルト文庫ティーンズハート文庫などのことであり、たとえば吉屋信子や創刊直後のコバルトシリーズなどは当然ながら想定していない)

以後、他メディア化の機会などの関係男性向け作品の方が存在感はあったものの、ライトノベル(的なもの)は女性向けを含めたひと塊のカテゴリとして扱われていく。

2000年代に入り、語としての「ライトノベル」が一般に定着して以降も、この認識はそれほど変わっていなかったはずだ。

少女小説ライトノベルではない

この状況に大きな変化をもたらす出来事が、2010年代前半に起こった。

まずは2013年とある文学研究者ツイッターでこのような発言をしている。

少女小説ラノベそれぞれのジャンルについての価値判断を含んでいるとまでは言わないが、これが少女小説の側に立った発言であることはまず間違いないだろう。

少女小説ライトノベルではない。

それまでの一般的なラノベ定義史観を覆す、非常に大胆な主張である

ただ、一部のラノベ読者が過敏に反応はしたものの、この時点ではアカデミシャンとはいえあくまでいち個人の主張に過ぎなかった。

それが正式な形で世に出たのは、2014年のことになる。著書としての刊行である

この本で研究者氏は丹念に事実を積み重ねた論証により、まさに「少女小説歴史的にライトノベルではない」ことを証明してしまったのだ。

詳細は省くが、

少女小説戦前から少女文化独自伝統を直接的に受け継ぐ文学ジャンルライトノベル戦後マンガ文化等の影響から新たに生まれた新興の娯楽であり、その出自からして全く異なる別物である

ということだ。

この、市井オタクではとうてい太刀打ちできない完璧な形の少女小説ラノベ論の出現により、少女小説ラノベ派の多くは白旗を上げて沈黙することとなる。逆に、少女小説ラノベの枠内で扱われることに不満を感じていた少女小説業界関係者・読者は、我が意を得たりと快哉を叫んだ。

日本文学研究者による恐らく初めての本格的なラノベ論ということもあり、この本はもともとラノベ少女小説に興味のあった人間にとどまらず、幅広い層の人々に読まれていった。今やラノベ関連の研究ではほぼ必ず参照される一冊となっており、アマチュアでもラノベ定義歴史を語るなら必読と言っていいだろう。

これによりパラダイムが決定的に転換し、少女小説ラノベに含めるような人間は、もはやそれだけで時代遅れな「分かってないやつ」の烙印を押されるまでになったのだ。

フェミニズム的な意識の高まりにより、女性文化少女小説)の功績を男性側(ラノベ)が都合よく収奪してきた、という構図に気まずさを強く覚えるようになったのも、この傾向を後押しした)

この空気の変化は以前/以後と呼んでいいほどに劇的なものであり、刊行から10年経った2024年現在にいたっても、更新される気配は特にない。

少女小説ラノベでなくても

お分かりだろうか。

まり少女小説は「ライトノベル」ではない、というのは、もともと少女小説サイドが言い出した主張なのだ

現在では、ラノベ定義歴史との関連で(特に男性の論者が)少女小説に触れる際には細心の注意が要求されるし、実質的にはほぼタブーに近い。

企画者氏がラノベ150選から女性向けを除外したのも、世間のその暗黙の風潮におとなしく従ったという側面がやはりあるのではないだろうか。

加えて企画者氏の場合は、かつて不用意にレジェンド少女小説作家を「ライトノベル作家」と呼んで、少女小説から激しい批判に晒された当事者でもある。そのため今度は、なおさら慎重に配慮したつもりだったのだろう。本人としては。

結論として今回の件は、気遣いがすれ違ってしまった悲しい事例ということになる。

少女小説読者といっても一枚岩ではないし、自分はそんな配慮ぜんぜん嬉しくない。多数派がどれだけ否定していても自分少女小説ラノベに含めるべきだと言い続けるぞ。という人もいるだろう。その気持ちもよく分かる。

分かるが、少女小説ラノベに含めても無視しても必ずどちらかからボコボコに叩かれることになる、板挟みの苦しい立場のことも少し考えてみてはもらえないだろうか。

オールタイムベスト企画者氏は現在文化としてのラノベ保全のため「ライトノベル図書館」の設立計画を進めており、クールジャパン予算を獲得すべく自民党国会議員に働きかけている。ラノベオールタイムベストはその陳情材料にもなる予定らしい。

こうした活動文化的な意義を踏まえた上で、できれば多少の意見の相違は呑み込み、振り上げた拳をどうかそっと下ろしてはくれまいか……

という、無関係第三者増田からのお願いでした。

レスゾーン

長え! 一番言いたいことを最初に置いとけよ。

追加しときました。

核心部分が何で匿名やねん

はてな規約関係っすね

ラノベルーツの1つは少女小説である」と「少女小説ラノベである」は意味全然違うと思うが(後者を主張してる人いる?)

ラノベオールタイムベスト”に、ある少女小説を推すとした場合、(少女小説全体やレーベル全体ではなく)少なくともその作品は「ラノベ」で(も)あることが自動的に前提となるのでは。

逆に言うと、ラノベではないがラノベオールタイムベストに入れろ、は通らない。

逆になんでそんなに熱心に漫画しろラノベしろ女性向けのもの排除したがるのがわからんモチベが怖い。

排除ではなく、少女小説の側がラノベに括られることを拒否した運動があった、という話です。

クール・ジャパンから公金を引っ張るために少女レーベル未分化期を無視するのは仕方ないキリッ されて、納得は出来ないですけど………

リストから少女向けを除外した理由(と思われるもの)と、批判トーンをなるべく抑えてほしい理由は、別々に書いたつもりです。

wikipediaより「1990年初めにパソコン通信ニフティサーブの「SFファンタジーフォーラム」において〜「ソノラマ・コバルト」などのレーベルから出版物に「ライトノベル」と名付けたことが始まりコバルト入ってるやん

はい

その話を本文に書いています

その、とある文学研究者って誰だよ。名前を出してくれないと分からないよ。2013年の事なら記憶にありそうなものだが思い当たる人がいない。

ツイートの件はともかく、著書の話を見ても心当たりがないなら、たぶんそもそも知らないんじゃないかな……

そんな知らん研究者お気持ちなんか知らんがな その研究者とやらが何言おうが150選選んだのはその企画者だろう

その「知らん研究者お気持ち」が定説化して力を持ってしまっているという現実があるのです。

 「女の扱いがわからいから透明にしておきました!」

たとえとして適切か分かりませんが。

ナンパ不快に感じるA子さんと、女をナンパしない男は無礼だと信じるB子さんがいるとします。二人のナンパに対する意識は、事前に外から判断できないものします。

この場合男性が取るべき行動は、ナンパをするではなく、ナンパをしないになるのではないでしょうか。

後者消極的不作為に過ぎませんが、ナンパ行為はA子さんにとって積極的な「加害」となるからです。

2024-06-11

anond:20240610225441

いつからネトウヨ愛国者が対朝鮮限定になったんだよ。

日本が発展するならそれに越したことはない。

南北朝鮮は政治的に信用できないから付き合う価値はないと思ってるよ。

それはそれとして、日本統一教会に売って日本財産毀損させた安倍売国奴だよ。

ネトウヨだって一枚岩じゃねーんだよ。

2024-06-10

ズボンを下ろしてパンツ見せて腰を振る動画と超ハイレグエアロビ

【初めに】

まずかったら削除する。ただ、以前はパンチラの映っているPVを紹介したので大丈夫だろうか。

英語にはtwerking、トゥワーキングという言葉がある。音楽に合わせて尻を上下に振る動作のことで、見ているだけで筋肉痛になりそうであるyoutube検索すると、ものすごい大臀筋女性が実演しているのが見られる。やったら筋トレ効果健康になりそうだ。

元々ヒップホップで使われたらしい。ウィキペディアではサザンヒップホップとが由来だと書かれているのだが、ヒップホップラップR&Bの違いがわかっていない。おそらく、わかっている人からすればモネシニャックみたいに全然違うよ! ってことになるんだろうが(それどころかエル・グレコくらい隔たっているかもわからない)、この辺についてはいずれ調べておきたい。

具体例に関してはこちら。

https://www.youtube.com/watch?v=UNj05HL0UPw&ab_channel=RubiRose

Rubi Roseというラッパー作曲家モデルミュージックビデオだ。ややこしいことにRuby Roseというオーストラリア女優モデルがいる。

ブルマーだったりミニスカだったりで腰を振る文化はよくわからない。評価をするだけの知識がない。

ただ、いきなり曲の途中でズボンを下ろしてパンツを見せる例があるのには驚いた。ブルマのようなしっかりと尻を覆うタイプではなく、ティーバックタイプの下着だ。

リンクを貼るのがためらわれるので名前だけ。「VI AMElI // TWERK CHOREO(bilibili動画にもあるやつ)」「АМЕЛИ // Twerk ВТ/ЧТ 18:00」がそれだ。かなり面食らっている。欧米圏にはムーニングという、ケツだけ星人のように尻を出して相手嘲弄する動作があると言うが、これは相手馬鹿にするというか、演者絶対的優位を意図しているのだろうか。私は何も恐れないという宣言なのか。

道玄坂69のyoutube動画に、目が死んでいると批判的なコメントがあったのとは対照的である

知らないことがまだ世界にはたくさんある。

社会的に認められた露出については、ルールが非常に恣意的だ。そこに道徳や法の柔軟さや二重思考確認できて面白い

World Naked Bike Rideのときロンドン市内で全裸だし、トップレスが許されるプールもある。それが文化戦争様相を呈することもある。

現に、エアロビ全盛期の頃は、タイツはいていることもあるとはいえ驚くようなハイレグも見られた。

https://www.youtube.com/watch?v=3pm3TC57lHI&ab_channel=uwatenage

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=U6itxVo4T5A&ab_channel=foolicus

(35:00あたり)

https://www.youtube.com/watch?v=WTflOuT_nPI&ab_channel=Hatsumi

(1:52あたり)

とにかく、不思議でならない。

【お昼の追記

かに欧米の性の感覚日本と違っていて面白い

バルセロナに行ったとき、十歳から十二歳くらいの女の子が、お腹ほとんどが露出していて、お腹を薄いレースで覆っているだけの格好をしていたけれど(見た目がほぼ裸エプロン姿)、一方で児童ポルノには極めて厳格だ。

小学校低学年の子どもがビキニを着ていると、なんだか不思議な感じもする。

性的であることと、実際に性交することとは別だという思考かもしれない。ウエルベックがどこかで、非モテの悲哀として、誘惑だけされるが情交には至らないと怒るキャラクターを出していたのを思い出す。欧米一枚岩でははありえない。でないと激しい選挙戦文化戦争理解できない。

なんであれ、レッテルを貼らず、わからないことはわからないと認め、自分感覚を精密に言語化していくこちが肝心だ。

夕方追記

昔はやった腰パンみたいなものか。そう思ったが、では腰パンについてもよくわからない。

さら追記

ブルマよりも遙かに伸びてて吹いた。

みんなブルマーよりも他のファッションに興味があるのねw

2024-06-06

「○○も一枚岩では無いのでな」

自民党

フェミニスト

増田

・柱状節理

2024-05-30

なんで立民はいつも自分の後頭部を自分で殴っちゃうの?

なんでパーティー全廃法案提出した直後に身内がパーティーしようとしちゃうの?

立民っていっつもそう

自民が隙を見せた、今こそ!って時に限って同じことしちゃう

立民程度の規模ですら一枚岩になれないの何の冗談なの

マジでいい加減にして

そんなんだから消去法的に自民って言われ続けるんじゃないの

今度こそ、私もおこだよ

2024-05-27

anond:20240527125826

そもそもフェミニストが団結できなくて主張がまとめられず「フェミニスト一枚岩でいるよりも、多様性があるほうがずっといい」でなあなあにしてきた集まりやん

一致してるのは自称する時の名前だけ

団結なんてできるわけないと嘲笑すべき対象弱者男性ではなく人間

2024-05-10

anond:20240510221024

麻婆豆腐にそんな派閥的なものがあるんですか?

自分麻婆豆腐好きは一枚岩だと思ってましたすみません

絹と木綿はお好みでいいのでそこに垣根は有りません

2024-04-26

anond:20240425232309

デマはいてコソコソっと逃げた讀賣新聞から話半分に受け取るとしても、一枚岩じゃないのか。

スローガンだけ威勢がよくて本土ポロポロっと爆弾落とされたら(ドイツの1/10以下)あっさり降伏した島国と大差ないな。

2024-04-23

「ざるおえない」と書く人間ありがちなこと

2024-04-21

anond:20240421163045

そういうもんだと思うけど、はてなで語られるオタク論は、なぜかオタクから語る場合でもオタク一枚岩みたいな論調になりがち。

そんなわけねーだろ。今だってVTuberバカにするオタクメチャクチャいるのに。

2024-04-13

狭量厄介オタク逆鱗逆撫でるする方法

人類は〇〇を読め!→ほーん(無関心)

オタクは〇〇を読め!→知らんがな(イラッ)

全□□プレイヤーは〇〇を読め!→はぁっ!?□□プレイヤーって言っても一枚岩じゃないんですけど!?大体関係性に対してはいろいろな解釈があるべきだろ!?公式解釈だって公式解釈しかないのに何言ってるんだ!?〇〇だってつの解釈しかないのに全プレイヤー押し付けるなよ!?お前が△△の何を知っているんだよ!?まるで自分が最大の理解者のように振る舞うな!!奢るなーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!(ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!ブツチチブブブチチチチブリリイリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!

 

狭量厄介オタクをブチギレさせたいなら、対象を絞り込むべきである。全人類や全オタクと言った広い対象に語りかけるような口調では狭量厄介オタクには響かない。

2024-03-16

コメント

2024年3月15日19時33投稿

視点】お三方鼎談の中で、「クィア」「当事者」という言葉がよく出てくるが、当然ながらクィア当事者でも全く一枚岩ではなく、見る角度や目線はそれぞれ大きく異なるという点は指摘しておかなければならない。

はいわゆるクィア当事者の一人ではあるが、記事中の「当事者たちから批判の声」とは全く違った感想を抱いている。

私は、この「怪物」という作品から、他の映画作品では到底感じたことがないほどの深い慰めを受け、勇気を受け取った。

まり予備知識なく初めてこの「怪物」を映画館で観て、大きな衝撃を受けたのは、昨年の夏。

それから残業の合間に幾度もレイトショーで深夜の映画館に足を運び、その度に打ちのめされ、そして不思議勇気と自信を得て帰る、という経験を繰り返した。

この作品は、確かにクィア登場人物たちを描いている。

だが、決して「クィア」や「LGBT」という明確な切り口から描いてはいないし、むしろ普遍的物語」として描きつつ、しか当事者たちを取り巻く状況についての勘所は押さえた上で描かれていた。

からこそ、クィア当事者である私に刺さったのだ。

今や私たちは、とにかく「LGBTQの人」といったカテゴライズをされがちだ。しかし、「LGBTQ」という言葉は、一方で当事者たちの連帯を生む概念でもあり、他方で、その外側から安易カテゴライズの道具として使われがちでもある。

だが、私たち個々の人生も生きざまも実に多様で、平凡で、そこにあるのは、普遍的な一人の人間像でしかない。

そして、とりわけ思春期以前の当事者にとってのそれは、LGBTQという言葉では言い表せない、「名前のない何か」だ。

怪物」という作品は、そこに安易名前を付けることなく「普遍的な何か」として描いたからこそ、私自身も子どもの頃に感じていた、得体の知れない怪物のような何かを生々しく描けたのだと思う。

私はむしろ、この作品が、クィアLGBTQという要素を全面的に出してプロモーションしていたならば、かえってありがちな陳腐ものになってしまったのではないかとすら思っている。

そしてラストシーンについても付け加えておきたい。

鼎談でも上がっているように、ラストシーンに「死」のニュアンスを感じ取った観客もいたようだが、私は全く逆で、自分肯定できた子どもたちの「生」への祝福に感じられた。

そして、その後は描かれなくて正解だったろう。

その後の人生を作っていくのは、嵐を乗り越えて自己肯定した当事者それぞれであり、私たちそれぞれだからだ。

私もかつて嵐のような何かを乗り越えて、今こうして生きていることを、「怪物」という作品は思い出させてくれた。これほど勇気と自信を与えてくれた作品は他にない。

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https://digital.asahi.com/sp/articles/ASS323PGSS2WULLI00F.html

2024-03-08

anond:20240307210157

フェミニズムだって一枚岩じゃないんだからそこは個々の判断なんでは?

出産自身特権だと思ってるガイもたくさんいるわけだしさ

2024-02-24

ネット主義主張戦争の渦中に自ら身を投じてる人って敵の姿を巨大に強大に醜く極悪に妄想しすぎだと思う

実際はそんなでかい権力を持った強大な一枚岩の○○(なんでもいい)はいなくて、

どんなにバズった意見の持ち主もそこらへんにいる一人の普通の人だしその数を作ってる人もネットであれこれ言ってるだけの単なるよわよわの個人がいっぱい集まってるだけ

3日ネットから離れたら姿が消えて雲散霧消する

敵を自分の中で育てすぎるとその敵に自分精神けが苦しめられる

他人にはその敵が見えないか

2024-02-21

anond:20240221154556

日本アメリカ台湾進行を止めたいんだけど一枚岩じゃなくてね

自民党など与党リベラルからゆ党」と呼ばれる政党ネトウヨな方々はアメリカと協力して対処したいんだけど

リベラル台湾中国の一部というのを支持してる人が多く親中派ほとんど

あと、ウクライナ見てるアメリカは多分日本台湾兵器を売って支援する可能性すらあり信用ならない

日本安倍晋三時代以降は色々な国と同盟を結ぼうとしてるけど、上手く行くかどうかは……

2024-02-01

anond:20240128201444

自民党内にさまざまな勢力があってその勢力図で政治が動いてるんだから

自民党一枚岩として語ることがアホすぎるのよね

野党そもそも比較対象にすらならんだろ

2024-01-31

anond:20240131113739

一枚岩ではなく主義の違う多種多様な人が、お互いを見ずに違ったことを言ってるならいいんだよ。

でも実際には、目撃しておいてスルーしてますよね、はてなブックマークの皆さまは。

ブクマ相手を殴るために使う正義を、自分たちには決して向けないのが、ダブスタなんよ。

原作者にもいろいろいるのよ

原作者個性バラバラ一枚岩でもないという話。

今回、最悪の事態になってしまった先生のように

強いテーマを持って漫画を描き、一つの文芸作品として扱い、絶対主張を曲げない原作者もいる。

その一方で、ビジネスライクマーケティングをして受けそうなテーマ漫画を描き、

主張とか何にもないかドラマ化とかでも改変自由

その代わり視聴率取ってバズらせて漫画で儲けさせてくださいと注文つける原作者もいる。

まぁ、大変よな。

2024-01-28

anond:20240128031950

ちょっとネガティブすぎるなーと思うけど、実態としてはそんな感じなのかな。

リベラルの人たちは能登についてしばらくちょっと黙っててほしい

という話だけど、

「馳さんは外のもんにいじめられて可哀想や」

能登の暗いところばっかりニュースにしていやらしい」

これを能登人間が言っている事実についてちょっとは考えてくれ

ない想像力を働かせて考えてみる。

谷本県政時代から引き続く工業団地などの企業誘致北陸新幹線。そして延伸へ向けた馳知事の尽力、などなど。

こうした地域経済振興観光アピール公共事業、過疎対策をいろいろやってくれたからなのかな。県政評価は高いと思う。

県民しては、とりわけ28年も知事を務めた谷本には強くお世話になった感が強いのだろう。

でも谷本さん自身は当初、革新政党系の支持を受けて初当選したというのをさっき調べて知った。当時、森喜朗推していた農林族の対抗馬を破った経緯もある。

2003年能登空港の開港小松空港国際線就航などは、森喜朗が尽力したといわれているけれど、谷本とは不仲だったという。

2022年谷本知事引退の際に、再び新たに農林族の山田出馬することになり、保守分裂という事態に陥ったが、森喜朗自分が育ててきた馳を推すことに決めた、という内容の記事もさかのぼってみた。そして行政側は第一次産業への理解が厚い山田を推す動きがあった一方、谷本事実上、馳に自分の後継として信を託したという記事もみた。

そう考えると、保守王国石川県というけれども、一枚岩じゃなかったけれども鋭く対立もしていなかったというのも今後の復興を考えるうえでは、いろいろと興味深いと思った。

そんなところへ、ワイドショーやらSNSで、インテリ風吹かせた連中が、能登限界集落は遅かれ早かれ滅びる運命だったのが早まっただけで

この際、復興過程では、そういうところを切り捨てて優先順位をつけるべきだ、とかいう雑な議論が耳に入ってくると、それは地域人間としてはイラっとくるのかもしれない。

想像だけど。



余談ーー

また初動に関して、「馳知事はよくやっている」論も、わからなくもない。

馳氏は谷本県政時代に後回しにされていた地震被害想定など、災害リスク軽減のための取り組みを見直そうと着手していたことは事実で、

今回の震災に間に合わなかったいうのは事実だとしても、馳知事だけの責にするわけにはいかないだろうと思う。

あと、今回初動の遅れの原因のひとつとして、石川県北陸地整が本来事前に取り組むべき道路啓開計画が未整備だったという指摘もある。

総務省は去年の段階でいくつかの地整や県に対して是正勧告を出していたから、いくら県政2年目の新人知事といっても知ってはいたと思う。

これって建設業者など指名業者と事前協定をし、迅速に予算執行するうえで超重要なんだけど、結果としては後回しになってしまった。

ただ、去年から道路啓開計画に着手していたとしても間に合わなかった可能性が高い。

そういう意味では、馳知事はよくやっている、あんまり叩くな、という県民気持ちはわかる。

一方で、発災直後の対応外野があれこれ批判しているうちに、交通インフラ問題は解消しつつあり、あれよあれよという間に復興モードスイッチが入っていく。

復興初期段階のスピード感というのはものすごく早いので、初動の問題はいろいろあったにせよ、そんなことの検証にあまり時間を割いている余裕はなく

これからがれきの処理やら広域の自治体間協力も必要になってくるなど、馳知事には復興の手腕が問われることになる。

という感じであるので、震災後一ヵ月になろうとしているこのタイミングでは、

県民もっとポジティブに前向きに物事をとらえたほうがいいんじゃないかと思う。

多分、震災3か月後には初動の失態なんて議論過去のものになって、もうしていないと思う。

disられていじけて、保守ますます保守に、というルサンチマン丸出しのネガティブスパイラルもわからなくもないけど、

からと言って、何も知らない外野がわーわー騒ぐのは止めようもない。ましてやネット空間なんて。

しかし、外野意見なかには、今後国や行政がどう動こうとしているのかのヒントもあるのも確かなはず。

そこは地元人間だけではルサンチマンを越えられないかもしれないけれど、災害復旧のプロセスで入ってくるさまざまな他者民間支援企業だったり、NPOだったり、コンサルだったり)との対話の機会が今後増えてくると思う。

よそからきた民間経験などを踏まえて、外部の冷静な視点意見を再整理してゆく、ということもまた大切と思う。

そして、実際、国や行政復興モデルに着手し始めると、とりわ予算をつけることが前提となると、行政としては長々と議論してもらいたくないので、予算執行を急ぐのが世の中の常。

復興公営住宅にしても行政が「これならすぐに着工できますが」と提示されたものから復興が進んでいくなかで、ただでさえ経済的に苦境に陥っている被災者に、地域を出てゆくか、受け入れるかの二者択一で選べという形で行政主導が突き付けられる、というのが東日本の教訓としてある。

しかスピード感のある復興とか国や県はかっこいいことを言い出すに決まっているので、恐らく震災半年後くらいには被災者決断を迫られる。え?そんなこの状況でまだ決断できない、という被災者も多かろうに、行政は「受け入れるひと、この指とまれ方式なので、行政提案を受け入れた人だけが救済を得られ、地域を出て行った人はどうなったか統計すらないというのが実態となる。

それこそ、発災直後はヒーローみえていた馳知事が、復興期には被災者に苦渋の選択を急がせる役人顔をするかもしれない。

心理的メカニズムとして馳はヒーローだというマインドがどんどん強固なものになって、ますます保守保守していくなかで、次に復興の話がやってくる。

ルサンチマン的な心理的メカニズムから解脱して悟りを開いている人が何人か周りにいればいいんだと思う。

そういうことの萌芽を、今の時点で何も知らない外野がわーわー騒ぐ言葉の端々にちょろっと見出せることがあるかもしれない。

先日、被災地域ではようやくボランティア活動が本格的に開始されることになった、というニュースをみた。

外部の人間がこれからわんさか入ってくる。これまで入っていただいていた100くらいのNPO団体も含めて。

そのなかには、東日本含め、過去復興経験を持つ人も多くいるはずで、そういう方々と交流をする機会が増えるんじゃないかなと思う。

外部の人間玉石混交で、なかには、インテリ風な意見を持つ人もいるかもしれない。

間垣の里なんてどうでもいいんだよ、堤防なんだよ生命安全第一なんだよ、とかね、中にはいるかもしれない、例えばだけど。

そういうときに、その意見ちょっと違うよね、と言ってくれる人もまた外部の人だったりするので、不協和音のなかだからこそ貴重な意見も拾える。

そのときに、いちいちルサンチマンに陥っていると、聞く耳をもたなくなって、聞けるはずの意見にも耳を閉ざしてしまうことにもなりかねない。

はいっても、これといってどうしようもないことかもしれないけれど。

被災地の人にはこのままルサンチマンを深めながら一方で公助への依存を強め行政から提案を待っていると、

最終的にあんまりいい結果にならない気がするので

玉石混交の外部の人が入ってくる機会をチャンスととらえて、復興の話を進めていったらいいんじゃないかなと思う。

2024-01-22

石川県知事まで自民党キックバック汚職してるとなると、地方政治家ガッツリ汚職利益を得ているわけだ。

自民党一枚岩じゃない、派閥が〜とか良く言うけど、汚い金でしっかりと繋がっているじゃないか

金の上での綿密な繋がり。クソだな。

まー確かに連中も一枚岩ではないが、「あの時は言いすぎました」って増田謝罪ブコメ書いてるブクマカなんて見たことないがな。

私的な印象として、オレはブクマカは謝れないと思うし、今回も最後まで謝らんと思う。

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