「コミットメント」を含む日記 RSS

はてなキーワード: コミットメントとは

2013-09-18

http://anond.hatelabo.jp/20130918020018

こーゆー奴こそ大学通っても意味ねーんだよな。

大学講義なんて出て当たり前、理解してて当たり前。

その上で、同じ学問を志す者同士でいかに議論を深め、かつその先への人脈を築けるかがポイントなわけで。

ただ、今の日本大学って「主にネトゲやってました」でも普通に卒業できるからね、

一概にこういう人間を責められないところもある。

でも、海外大学だとそもそも授業は予習してきて当たり前

コミットメントがなければ容赦なく卒業させないが基本だし、

「放送で大学教育の代わりとするよ」なんてのがムリな話だってのは

大学当局人間が一番わかってそうなもんだけどな。

ひどい話だ。

2013-07-07

http://anond.hatelabo.jp/20130705235954

たぶんふたりは別れる。

そして彼女はこのことを忘れてしまい、彼はこのことを一生悔やみ続けるだろう。

そういうカップルをたくさん見てきた。

性別反対のこともあるけど…

コミットメントフォビアという言葉日本でも早く市民権を得るといいね

2013-05-28

http://anond.hatelabo.jp/20130528175705

演習問題は結構だが、コミットメントとか言って目立ちたいだけの奴が嫌いです。

机上でできる演習問題なら何も問題ないんだけども。

これは人によるんだろうが、

速読」のそもそもの目的はとりあえず量をこなして、再読に足る本を見つけるためじゃないのか。

人生短いんだし下らない本の為に時間を費やす無益ものはない。

ゴミの山の中からピンポイントで良書を発見出来る能力があるならいいが、

適当に選んできただけの、深みなんて欠片も無い本をいくら熟読したところで、何も得られる物は無いでしょうよ。

2013-05-13

http://anond.hatelabo.jp/20130512160633

-

ぼくはチャーリイ。みんなからは"社畜らしい社畜"って呼ばれている。

でも、良いんだ。ちゃんと働いてお金をもらってるし、みんな喜んでくれてる。

ちょっとノルマキツイけど、飲みにも連れてってもらえるしね。

久しぶりに日記をつけてみた。

"何を言うか"が重要って、ソンジャーネが言ってたから。

今日はついにMacBook Proを買った!やっぱりMacは質感が良い。

Windowsテキストもそのまま引き継げたし。

これから会社じゃなくて家でも色々読める。

世の中にはいろんなブログがある。勉強になる。

ニートでも海外就職する人も居るし、これから会社にしがみつくだけじゃ、いけないのかもしれない。

上司に誘われて飲みに行っていたけど、確かにこれは仕事プライベートの混同かも。

自分の頭で、よく考えてみよう。

  • 1月8日

年末年始も短かったけど、多くの記事を読んだ。

(こういった日々のメモブログポストすべきなんだろうけれども、やはり推敲してからにしないといけない)

みんなも言っているけれども、やはり脱原発すべきだろう。太陽光や風力で十分に電力はまかなえるし、危険な核燃料リサイクルにも問題が多い。(最終的な廃棄処理が問題とのこと。要調査)

それに、社畜という生き方も問題だ。ノマド比較して、リスクが高すぎる。

ポータブル技能を持たない会社員は、サラリーをもらうだけしか能がなくなってしまう。

結局、既得権益にしがみついている以上、理不尽上司の横暴にも、顧客を選ぶこともできずに耐えるしかなくなる。

嫌な仕事をしながらハゲるのなんかまっぴらだ。

年収150万だって生きていける。ニートだって楽しく暮らせる国なんだから

今なら持っている技術を活かして、どこでも、海外だって働ける。

電源付きカフェマップもググれば簡単にわかるし、いずれは講演会や著作活動で稼げるようになるだろう。(レンタルオフィス私設秘書箱等、要調査)

政府も、はやくBIに舵を切るべきだろう。人間創造性や、少子化問題も一気に解決できるのに、結局政党が変わっても口ばっかりなのは変わらない。政府には何も期待できない。

いずれにせよ、今の状況に安穏としているのはマズイ。

今年は変革の年にしないと。惨めな社畜のままでいる限り、心の平穏は訪れない。

一刻も早く、自らの頭で考え、自らリスクを引き受けて大きなリターンを得る真の人生を歩み出さないと!

ついに会社を辞める事にした。

理由はこうだ。あまりにも経営陣の頭が硬すぎるからだ。

この数ヶ月考えてきた会社での問題点(業務上、経営上、今後の戦略を含め)を上司に直接ぶつけてみた。

当初半笑い対応していた上司も、こちらが何度も食い下がると真剣さが伝わった(残業を前提として間延びした薄らぼんやりとした意識も覚めたのかもしれない)のか、対応検討してみるという。

しかし、期日も切らないし、具体的なステークホルダー名も出さず、何らコミットメントを行わない誠実さ真摯さを欠いた対応だった。

あげく、忘年会では部長課長も来るから話そう等と、悪しきノミニケーション()で誤魔化そうとしたので激高して、改善提案書を叩きつけて帰ってきた。

今、退職に向けて準備をしているが、この退職願というのも噴飯モノだ。なんだ願いって。

辞める時まで無意味手続きや押印が必要で、ウンザリする。

その割に、離職票雇用保険保険者証はすぐには出てこないらしい。

ハローワークがどうのと言っていたが、人事が仕事をしたくないのは明白だ。

杓子定規で規則でがんじがらめで、減点法だから何もしようとしない。

辞めて正解だ。時期もちょうどいい。

4月からは新たな気持でスタートをきれる。新しい門出だ。

ゴールデンウィークが終わった後の観光地巡りは結構悪くない。

どこも人は少ないし、イベントが終わった後だから少し寂しいけど、その閑散さが逆に良い。

最近は、iPhoneで何処でもヒアリング勉強ができるし、旅先でも問題なく継続できる。

引き継ぎだの何だのと五月蝿く言って来ていた前の職場からもやっと連絡が途絶えてくれた。

お前がいないと仕事の進め方がわからなくて困るなど、こちらの人間性を見てタダ働きさせようとする人間が多いのは、逆にびっくりした。

理解のあった同僚も、結局社畜ってことだ。

ブログPVも順調に伸びているし、最近は狙って炎上させるのも成功率が上がってきた。

セルクマFacebookの友人からブクマで新着にも載るし、なんでみんなやらないんだろう?

黒字化するまで後少し、旅先から分析できるなんて、良い時代だ。

久しぶりに友人と飲んだが、なかなかノマドという生き方は理解されない。

カフェでぺちゃくちゃとずっと五月蝿くしていたオバサン二人に注意したという話をしたら、そういうのは止めた方が良いと、オマエも同じだ、などと言っていた。

確認すると、どのへんが同じなのかきちんと説明できないし、最終的には人格攻撃だ。

少ないながらもきちんと稼いでいるし、経費精算できるように領収書も集めている。

まり税金はちゃんと払うわけだ。

社会寄生しているわけでも、言われたことだけやっていれば良いアルバイトでもない。

折角のフレンチだったのに、興ざめだ。かなりがっかりした。

今日合コンはハズレだった。

当初はノマド個人事業主だ、企業との直接契約だと食いつきが良かったのに、実際の業務の話で失敗したのかもしれない。

確かに地味かもしれないが。

その後のベビーカーマナーの話も、防災の日の話も、ちょっと引き気味だったかも。

難しい話はなしにして、馬鹿になって盛り上げるべきだったかな。

でも、備蓄した防災用品は、計画的に使わないと意味が無い。パニック買いなどもっての外だ。

家にあるものだけで暮らしてみて、正しく数字で理解&確信出来れば、問題など何もない。

備蓄スタートラインは、「自分は何が必要なのか」を理解することだ。

ってことは、確かに面倒だし難しいから、理解されにくいのかもね~

なかなか景気が上向かない。

今回もひとつ得意先がなくなった。元々自転車操業気味の中小だったから、痛手は少ないけどね。

、、、とも言えない。結構マズイ。

自民党憲法改正草案ヤバイし、選挙したって結局何も変わらないんだろう。

そもそも、いつ投票かもイマイチわかりにくいし、ネット選挙を解禁しないなんて、ちょっと陰謀説チックだけど、どう考えてもおかしい。

新規開拓にブログは向かないのか?Twitterからの流入も減ってるし、思うようにPVも伸びない。

平和正月だった。人間正月くらい休むべきだよね。

イオン初売りに行ったら、既に無印福袋はなくなっていた。ガッデム。

新しいパスタの作り方を見たから、あとでスーパーに行こう。

アベノミクスとかなんの実感もない言葉を使うマスゴミけが楽しそうだ。

物価ばっかり上がって、結局企業から落ちてくるカネは変わらねえんだろ。

、、、正直な所、かなりマズイ。

ATMエラーが出るから記帳したら、下ろす分だけ入ってなかった。

家賃滞納も結構溜まってるし、次も入金が遅れたら本気でマズイ。

でも、いまのところあそこしか仕事いから、きるにきれないし。

なんだよ。どういうことだよ。

ニートノマドストレスフリーじゃないのかよ。

更新停止したブログは多いし、phaさんも禿げてるし。

結局、マトモにカネも払わないような相手にも頭下げてて、なにしてんだろ。

  • 日付不明

もう何も残っていない。

これも電池がきれたら終わりだ。

住所もなくなったし、マックもさっき追い出された。

家に帰れば奥さんも子供もいるサラリーマンと、どっちが惨めだろう。

涙が止まらない。どこで間違えたんだろう。










伯父さんのところで働かせてもらって、一ヶ月すこしたった。

"ノマド坊や"って言われることが多いけど、冗談だってわかるし、いやな感じはしない。

社畜ってほど大きなところじゃないけど、来月は資格試験もあるし、手に職って悪くない。

ちょっとノルマキツイけど、飲みにも連れてってもらえるしね。

久しぶりに日記をつけてみた。

どんなことがあったのか載せることは、どこかのだれかには役にたつだろうから

これを読む人へ

ソンジャーネのために正気を失ったまま寿命がつきてしまった

ネットの向こうにいる名もないノマドたちのおはかに、花束をそなえてやってください

2013-04-27

【再掲】青二才って「え、なんだって?」を多用するよな

はがない批判しながらもはがないの小鷹もまっさおの「え、なんだって?」ぶりをリアルで発揮するのが青二才の笑いどころダヨ。

自分が反論できると思ったものにだけは反論し、自分と同じ意見と思ったものはきっちりRTし、自分が反論できないものは見て見ぬふり。こういうところだけ見ると、はてな民相手のハーレムを維持するコツは「どうでもいいものマメに反応し、かつ都合がわるいものはえ、なんだって?といってごまかす」ところにあるような気がする。 。これだけ観測範囲をつまびらかにしておいて、「俺それ見てないし」が通じると本気で思ってるならまじでアホだが、さすがにそれほどアホではないだろう。 わかった上でとぼけてるのは、はてな民ハーレムを維持するための彼なりの努力なのだろう。 だから、批判されても頓珍漢な受け答えで話をつうじなかったりするのも、あれは本当はわかっているけどとぼけているだけなのだ。そうにちがいない。

ただ、青二才は小鷹と違って国語力が低いのか、自分皮肉っているものと、自分の味方をしてくれているのの区別微妙につけられていないようだ。RTしてるもののなかで、青二才、これ皮肉だってわかってる?って感じるものがある。あと時々調子に乗ってリプした結果、それが通じなかった時に泥沼になる様子なので、あまり相手を見定める目がないようだ。 今回のも、twitterでは変なやつに絡まれたか最後まで書けなかったとか意味からないことを言っているが、無視して書き続けることがなぜできなかったのか。いちいち言っていることが意味不明である

しかしたらただのアホなのかもしれない。



https://twitter.com/search/realtime?q=http%3A%2F%2Ftogetter.com%2Fli%2F486943

のうち青二才の反応で分類してみた。

青二才がRTしたもの

https://twitter.com/David19881988/status/322717611513221120

https://twitter.com/_nickname/status/323168599307071489

https://twitter.com/ten_mon/status/323050648511860737

https://twitter.com/wsplus/status/322862755247951872

青二才が、直接言及されていないのに拾いに行ってるもの

dokai3 

多分懐かれている。飼い主として責任持ってほしい。

青二才がリプしたもの

https://twitter.com/tm2501/status/322844362566406144

https://twitter.com/tm2501/status/322844283390541827

https://twitter.com/shiwazanin/status/322809291272773632

https://twitter.com/srpglove/status/322725663402516480

https://twitter.com/tm2501/status/322746157694590976

その他 tomorox、cornpt、hakuhai、non0nun、giteki

青二才がリプしたけど変な受け答えになっているもの

https://twitter.com/kinoko2002_/status/322759979411070978

https://twitter.com/valerico/status/322729546908585984

多分意味を理解していない

青二才エアリプしたもの

twit_shirokuma、REVFTTH、str017、TM2502、amamako (今回はkanoseには言及なし)

青二才にはケンカしたくないやつと出会った時に、違うやつを叩き始めて強引に話をそらすなぞの芸が多数観測されている。

今回はstr017を叩くためになぜかREVとかTM2502叩きを始め、ウォッチャー論にはなしがずれていく。この話のずらしぶりはまさに小鷹。

そこでお前が来るのかよ…すとらいさんよ~。なんで、やる気なくしたあとに来ちゃうのかなぁ?この人は…(ついでに言えば、ちょくせつてきに対決してないが、この人の俺へのウォッチ量はかのTM2502に匹敵するんじゃないのかねぇ…と最近思うわけです。)言わないようにしてきたけど、俺の見立てブクマなどの痕跡から言えば、青二才ウォッチャートップ3はあままこ・すとらい・REVであって02さんは五本指にも入るかどうかぐらいだと思う。あとマイナーだけけどはてブに3人ほどやたらと俺へのマークがきつい「ウォッチャー」がいます(T▽T)「ストイックウォッチャー」という意味では、TM2502は間違いなくトップクラスだと思うよ?ただね、最近あままこさんから聞いたけど「影響力が強すぎるウォッチャー純粋意味での観測者ではないため、ウォッチャーとして評価すべきではない」とも聞いた。ウォッチャー論を色んな人に聞きたい


青二才意図的にスルーしたとおもわれるもの

https://twitter.com/crowserpent/status/322754920925241344

批判する側は批判対象に匹敵する価値を持ってないと批判者たる資格はない、って青二才の人が言うので、その「価値」の基準って何よ?と突っ込まれてるって構図だよね。それに対して「野球はどう見たって価値があるに決まってるだろ!」って返すのはちょっとお粗末すぎる。「カーストを受容しつつも甘んじない」のは立派で、カーストを逸脱するやつはダメ、ってのはカースト価値基準に首までどっぷり浸かった考え方だと思うけれど、当の@tm2501 氏があんまりそう思ってないっぽいのが気になる。多数派の価値基準によって抑圧されている人達にとって、「価値基準をずらす」というのは凄く大事な防衛手段の一つなのよね。それを卑怯だって言うことが何を意味するかってことだ。

https://twitter.com/srpglove/status/323029412960407552

スクールカーストの点からハルヒ」という作品を見るならば、ハルヒ暴走の被害がしばしば比較的下位カーストに属するコンピ研に降りかかり、現状のカースト構造を追認する形になってしまっていることこそを指摘するべきではないのか。それは確かに荒ぶる神たるハルヒにふさわしくない振る舞いだ。正直、ベン・トー石岡ネタも似たようなところがあると感じる。ああいナチュラルスクールカースト感覚見ると、やはりアサウラって現代っ子だよなと思う。作品は面白いけど絶対に友達にはなれないだろう。>現状のカースト構造を追認する形になってしまっている

https://twitter.com/str017/status/322696734360875011

ハルヒ批判ってあまり新鮮味が無いって印象があるから、その題材でここまで人を怒らせるってある意味才能だよなー由衣分からんけど、八幡雪乃もあの部活によって言うほど幸福を得られてるという感じはしない。まぁ氏はよく読み込まずに見てくれだけで批判するから、真面目に反応するだけ損しそうな感じはするんだよなーもうちょい精神的に元気だったら真面目に反応してたかも知れないけど、どうも精神倦怠期入った臭いので、ちょろっと牽制するしか気力が湧かないんだわ。言っちゃあれだけど、どう真面目に批判しても氏の批判の根底ってだいたいルサンチマンが元だから、氏が思うなら氏の中ではそうなんだろって結論しか出ず、問題意識の共有とか無理ゲーすぎる。どうでも良いが、体育系の部活からと言って、体育会系の体質だとは限らなかったりする。ソースは私が高校んころ入ってたラグビー部。あー、見えてきた、八幡の高僧スタンスは作品のテーゼでは無いよ。

https://twitter.com/str017/status/322978056291614720

まさに「ヤンが卿ならそう思う」。あ、この場合は「八幡が卿ならそう思う」かw卿は「俺ガイルなんか読み続けると堕落する」とは言うが、これには「だが人間永久に堕ちぬくことはできぬだろう」という言葉を返したい。しかスクールカースト存在も割と怪しい部分がある、ソースは私。理由はスクールカーストでいえば最下位のはずなんだが風紀委員長もやったことがあるからスクールカーストという存在自体もっと恣意的に受け取らなくてはならん。というか俺ガイルも3巻まではそういうことを言おうとしてる感が。一応現段階ではこの程度の牽制をするぐらいしかできんというか、真面目に反応しても卿は「釣りに何マジになってるの?」とか言い出しかねないしなー、どうせ俺ガイルdis釣りなんだろー? 釣りなんだろー?釣り宣言するとすべて釣りネタとしてしか扱われんようになるので諸刃の剣だということを卿は気づいていない。卿は一体誰と戦いたいのか?言っちゃあれだがスクールカーストって存在的には呪いと一緒で、当人や周囲が存在すると思えば思うほど当人や周囲に影響をもたらすもので、無いと思えば垣根なんて無くなるんだが、俺ガイルはそういうことを作品で言い表したいのではないのかと思うのだが。そのスクールカーストという存在プラシーボ効果なるものだとすれば、その人がスクールカーストをどう捉えるかでその人の自分史観を浮かび上がらせるという言わば鏡像の存在になるともいえる。つまり卿の自分史観とは……では何故に「スクールカーストはその人の自分史観」なのかと問われると、言わば実際に存在する階級は「生徒会長」「委員長」「委員会員」「部長」「先輩」「後輩」という役割的な階級しか存在せず、スクールカーストはそれ以外の「恣意的な階級」を扱っていて、しかも確固たるものではないから。スクールカーストトップのやつでもうんこ漏らせばうんこまんになるんですよ!!!から「ヤンが卿ならそう思う」なのですよ。いくらスクールカースト定義したところで、学校や校内のコミュニティにおいてスクールカーストの性質はすごく変わって来ますので、厳密に定義することは不可能な訳で。結局は自分史観に落とし込むしかない。最後に何故に夕方ごろに「俺ガイルなんか読み続けると堕落する」に対して「だが人間永久に堕ちぬくことはできぬだろう」という言葉を言ったのかというと、そんなに意識が強い奴なんか居ないんですよ。ここで「スクールカーストに批判的だが何もしない」読み手がいたとします。その人は俺ガイルを読んで溜飲を下げたとします。(実際はかなり違うのですが、ここではあえてそうします)しか現実スクールカーストは変わらないし、その人も社会コミットメントしないと生きていけない訳で。そこで妥協せずに「カーストよくない!」とか思い続けていてかつ何もせずにいたらそれはそれで対したもの……というかある意味「意思が強い人」だし、もし変えて行くなら実際に行動すればよろし。まあ大体は妥協するしか無くなるんですけどね。結局はどこかでコミットメントせねばならないですよね。理想が高くない人がムキムキってあんま考え辛いんだが、や、草野さんの話。自称真面目系クズの人って大体理想が高すぎる結果だと思ってる

人のこと言えないが、このstr017って人青二才のこと好きすぎ。

2012-11-04

http://anond.hatelabo.jp/20121104173439

それを言いたいなら、

タイトルは、

twitterネット上の関係性は一度壊れてしまうと修復できない」ではなく、

Twitterのみの関係性は一度壊れてしまうと修復できない」じゃないか

1点めはあきらかに、ネット一般の話じゃなくて、Twitterのみの話としてのは同意

2点めは、昔からフレーミング」といわれてる話。知らなかったらぐぐれ。

3点めは、「ネットオンリーでの、薄いコミットメント場合」という但し書きをつけるのならば同意

2012-03-27

イケダハヤトとは #2

前回: http://anond.hatelabo.jp/20120324004758

◆人の話を聞かないのは、痛みを知らない行動 ?

 猪突猛進というか、何も見えていないというか。

エゴサーチをしているからなのであろうが、ツッコミをもらってキャパ オーバーになるであろう時に以下のような発言が出ることが多いように見受けられる。

しかし、そんなに人生軽いものとは思えないのだが、失うものはないというのも大切なものを失ったことがないからではないだろうか。また、守るべきものがあることによって人は強くなる。 守るべきものがないときの行動は単なる暴走になることもある。残念ながら、この種の発言が変わるのは人生を大きく左右するようなこと (たとえば子供が出来たり、親が無くなるような大きな事) に遭遇しないと理解することはないだろうとも思われる。

IHayato:何をやっても別に失うものなんてないし、何かを失うとしても、それは最適化範疇死ぬわけじゃなし、やりたいことをやれば良い。ということを改めて感じた飲み会。現状維持を抜け出し、自分の信じるアクションを取る人はマジでクールだ。 http://twitter.com/IHayato/status/151648508494090240] 
IHayato:僕は僕の感覚しか語れないので、みんな自分の答えを持つと良いと思います。何が正しいかなんて答えはないと思いますが、強いて言えば、時間が正しさを証明してくれるかと思いますhttp://twitter.com/IHayato/status/154897704567308288] 
IHayato:ブロガーとして、今月から嫌われ者になる」「オンラインの批判はスルー」「公開ボタン押すのを躊躇わない」という方針にしました。エッジを効かせられるようになって良い感じです。 http://twitter.com/IHayato/status/164312037541937152] 

 ただ、先のとおり「旗振り役」のようなので、当然一人ではない。他に多くの人達がいるのだがその人達のことは考えなくていいのだろうか? 「失うものなんてない」という自分自身はそれで良いのかもしれないが、やってきたことが失敗やトラブルに見舞われるといった際に協力者達にも危害が及ぶ可能性があるが、それは考慮に入っている様子は余り感じられない。

また、協力している人達も同じように「別に失うものは何もない」「何が起きても問題ない」という覚悟の下で一緒にやっているのか疑問を感じる。

 旗振り役なのであれば、本来はそこまでの責任を負うか最低限考慮に入れて動くべきだろうと思うが、先のような発言なので残念ながら何かの障害が発生した際においてのフォローは余り期待できないように感じられる。一緒に動く人達はそれを考慮しておく必要があるだろう。

 しかし、プロジェクトを進める場合においてはステークホルダーが別の視点を持っている場合も当然あると思われる。

そのような場合において、彼の御仁はどういうコミュニケーションをするのであろう。以下の内容と前述の上から目線の話題を合わせると、話しが進むのだろうかと心配になる。

(現状、進んでいるのは一致しているかであるある意味一致しているところだけを選んでいるとも言えるだろう)

IHayato:価値観の違う人とのコミュニケーションを取ることと、オンライン粘着批判をスルーすることは明確に違いますhttp://twitter.com/IHayato/status/160631189525364736]IHayato:僕は当面はオンラインの批判は基本スルーする、というアプローチを取ります。これはあくまで僕が辿り着いた答えであって、寛容を貫き、徹底的に対話しようというスタンスを否定するものではないです。玉置さんのアプローチは本当に尊敬です。 http://twitter.com/IHayato/status/158499173786861568]
IHayato:解決すべき課題がない議論は不毛だと考えます。また、解決するプレーヤーが不在の議論も次に不毛コミットできる範囲で議論し、より良いアクションを導き出す。価値観の違う人たちとの議論はコミットメントを獲得しにくいから、不毛になりやすい。 http://twitter.com/IHayato/status/167129747111948289]IHayato:ちなみに一度オンラインの批判をきっかけにオフラインの対話を実践したのですが、全然ダメだったことがあります。そもそも僕がそんなに寛容の精神ある方ではないことに気付いて終わりました…。 http://twitter.com/IHayato/status/158501606625787904]
IHayato:「否定された気がする」というのが争いの原因だったりする。発信者にそんなつもりはなくても、そう感じる人は出てくる。これは難しい問題。発信者の配慮と、あくまで個人の意見に過ぎない、という受信者側の寛容と自信があれば良いのでしょうけれど…。 http://twitter.com/IHayato/status/172295950788870145] 
IHayato:ダークサイドには落ちずに、やるべきことをやるのみです。 コロシアムには出ない ikedahayato.blog - http://www.ikedahayato.com/?p=5754 http://twitter.com/IHayato/status/164490200091869184]
kinky_tada:ちょろっとフォローしてみた。 http://twitter.com/kinky_tada/status/151147099134771200]kinky_tada:まさかの瞬間ブロックww。俺、何もしてねえじゃん!w http://twitter.com/kinky_tada/status/151149391217045504]

 このように、ネット上での批判は受け付けないとある

では、そういった *価値観が違う人とのコミュニケーションをする* ために、 *オフライン、つまり現地にて対談を行おう* としても *コロシアムには出ない* という発言を行っている。加えて、価値観が違う人とのコミュニケーションオンライン批判は違うと言っていながら、価値観が違う人との議論は不毛であるという。

また、「寛容性がないことに気付いて終わった」とあるように、相手に寛容性は求めるもの自分自身がその幅を広げようとすることは考えていないようで、相手を理解しようとする意欲が欠けていると思われる。相手側が彼の御仁を理解し手を差し伸べることによって初めてコミュニケーションが成立するということになる。(前述のパネルディスカッションの例が当てはまる)

そして、この行動は前述の上から目線に関係するが、「自分が相手に合わせる必要は皆無」という態度にも通じる。

 さらに、特に厳しい指摘などをするわけでなく、フォローした瞬間にブロックされるケースもあり、本人の発言については一貫性は何もないという状況である

 結果として、自分が発した言葉に賛同支持以外受け付けないソーシャルカルト教団 (村) 創設に向けた方向となる。つまりコミュニケーションしようとする場合において、仮にステークホルダーが別の価値観であった場合にはそこは無視して進めようとする可能性が高い。そのために指摘や質問といったものすべからく排除するという行動に出ていると思われる。

ブロックしていても気になるメンタルの弱さ

ということで、指摘や質問等の意見を言うと確実にブロックされるようになる。 RT を使っているのでメンション扱いになるが、彼の御仁のメンション欄などには表示されないようになる。

ここまでは、twitter機能である

炎上しても自分は平穏

IHayato:先ほど某氏から「ハヤトさん最近よく炎上してるけど大丈夫ですか?」という心配言葉を頂いたけど、ブロックしてるので僕のタイムラインは基本的に平穏です。 http://twitter.com/IHayato/status/160633017558245376] 
IHayato:意外に知られていない機能のようなので。 ブロックすると対象からのmentionが表示されなくなる ikedahayato.blog - is.gd/aEGAHC http://twitter.com/IHayato/status/165256335250829312] 
kiyoami:IHayato どちらかと言うとメンションをブロックするのがメインの機能ですね。もう一つがフォローのブロック。フォローしなくてもツイートは見れますから、見せない機能では無いと思いますhttp://twitter.com/kiyoami/status/165257832030150657] 
IHayato:反響が大きかったのでまとめてみた。 mentionで失礼なことを言ってくる人たち ikedahayato.blog - is.gd/3xrGgm http://twitter.com/IHayato/status/165285014433579008] 

gosuke:いや、だから面と向かっても言うから。そもそもボク、名出し顔出し所属出しだから…。> mentionで失礼なことを言ってくる人たち ikedahayato.com/?p=5806 IHayatoさんから http://twitter.com/gosuke/status/165297112739880960] 

平和」とまで言っているのでそれで終わりかと思いきや、自分の評判というのは気になるもののようでこういった行動に出る。

IHayato:ブロックしてるのにmentionよこすのホント止めて欲しいんですが…。純粋に気持ち悪いです。そういう人は全く尊敬できません。 http://twitter.com/IHayato/status/175526124988801025] 
IHayato:まぁ、それこそ良く知らない人から気持ち悪い粘着メッセージ貰うのは、自分が何かを成し遂げている証拠だと思うと良いのか。ホント不快まりないったらありゃしない。 知らない人に悪口を言われたら - holyppの日記 - is.gd/gGtnRV http://twitter.com/IHayato/status/175529046078259201] 

→ずいぶんと、口が悪くなった

masayuki_hori:たくさんブロックしちゃったけど、自分twitterでなんて言われているか気になっちゃって仕方ないから、こっそりエゴサーチしちゃおうかな。。。。弱い!!!!!お子様じゃねーか。 http://twitter.com/masayuki_hori/status/175546227440627712] 
IHayato:アフィリエイト頑張ると嫌儲な人からDisられ、小商いとか低消費とか言うと脂ぎった人たちからDisられるという面白構図になりそうな予感がしている。 http://twitter.com/IHayato/status/179727079305265152] 

先のとおり、メンションは自分のところには現れない。その割に、「ブロックしているのにメンションされている」ということを知っているというのは *エゴサーチ* をしているということになる。

まり、散々ブロックして自分に対する同調以外は排除していながら、エゴサーチを行い自分の評判を確認し、指摘や意見で使えるところはパクっているという状況である

たとえば、ブログにつけている写真などで copyright が入っていないことを指摘したらつくようになったのを見ると、明らかにエゴサーチ自分に都合のいいように使っている。

ただし、アフィリエイト & 引用ばかりの書籍紹介は止めないようだが... まぁ重要収入源らしいし、コピペブログを書いているような状態なので honz.jp のような書籍紹介は不可能だろう (笑)

さらには実験と称して、ブログバナー広告の出稿まで求めだした。

http://www.ikedahayato.com/?p=6488

ところがどういうレポートが来るかという質問に対しての答えは... 出ていない (笑)

次なる資金繰りの手段は何であろう。

2011-09-18

無力感

今の仕事に対する悩みというのは、つまるところ無力感だ。

自分のこれまでの経歴と年齢からかんがみて、期待されている「仕事」というのは想像がつく。

しかし、それは、わたしのしたいことではないのだ。いや、できることではないのだ。

これまで仕事に対して不真面目だった。作業はまじめにこなしてきた。スキル経験も積ませてもらった。それは今での充分商品価値があるだろう。それは会社、大勢の同僚に感謝している。

が、しかし、仕事に対して不真面目だったのだ。会社目的に対して自分の役目を決定し、それをどのように売り上げに変換するのか。そのために必要な、会社に求めるものは何なのか。それぞれの期間でどのような出力を行い会社に対して答えるのか。

自分はこれまで言われたことをしてきただけだった。指示された作業を指示された期間内に指示された品質で完了させていく。それだけしかしなかった。会社が掲げる、同僚たちが共有している、目指している目標に対して自分コミットメント定義していなかった。ただ作業をこなしているだけで同僚だと勘違いしていた。自分ですべてを定義してそして達成する「仕事」をしていなかった。

から今急にそれを求められてまったく対応できていない。まるで転職たかのように社内の制度が判らない。作業をする前の仕事をどのように規制にのっとって完了すればいいのかわからない。

気づけば、自分で何一つ決められない人格になっていた。

ソースコードレベルの決定はその理由も添えて出力できるのだけれども、レイヤーが変わっただけでなにもできない。プロトコルがさっぱりわからない。

自信が持てない。無力感けがわたしを苛む。

これまでわたしに指示をくれた人たちを思い出す。技術的知識差から彼らを内心あざけっていたのを思い出す。

でも彼らはわたしよりよほど「仕事」をしていたのだと、いまさら思い知らされた。

今日も一日精神安定のためにソースを書いた。夕方ごろにつまらないゲーム自分アンドロイドケータイで動いた。ちょっと新しいことを書いたのだが、それが無事に動いた。

でも、それは今の「仕事」に何の役にも立たない。

ソースコードと向き合って何日も過ごしたあの日々はもう戻ってこないだろう。どうしていつまでもそんな日が続くと信じていたのだろう。もう40近いのに。

2011-08-02

http://anond.hatelabo.jp/20110802091708

言われてみると,地方の近所づきあいの「これくらいのコミットメントはしておいたほうが角が立たない」といった判断はまさにそんなかんじがするなあ.

2011-07-10

http://anond.hatelabo.jp/20110710024122

風向きなどの運が最悪でも、検出限界以上の健康被害が100mSv被曝する前に逃げる時間はいくらでもあったでしょう。

100mSvが基準値なんだ。しか閾値あり派ですね。それならただちに逃げる必要はないですね。

私なんかは、建前重視で、1mSvプラスでも気にしますがw

基本的に政府対応は「情報公開」という面では及第点

文系のオレからするとあれは、落第点ですね。あの時の政府発表はとにかくウソくさかった。

真実というのは、真実味があるように伝えないとダメなんです

ウソでも真実味があるように伝えるのが文系のテクニックですよ。それを真実ウソくさく言ってどうするんですか。

直ちに影響はない」という表現は、説明としての表現としては最悪ですよ。今でもそう思っています

受け手恣意解釈によるブレ幅が大きすぎて、言わない方がマシなレベルです

「最悪の事態が生じても東京に住んでいる人は逃げる必要は全くありません」とハッキリそう言いきるべきだった。

だって事実あなたが言うとおりそうなんだから。そうでしょ。なぜそう言わなかったのか。要するに説明下手です

見ていて、やたら数値を低く低くみせようと必死だった。普通逆でしょう。

数値は大目にとって、同時に、それでも大丈夫というところきちんとロジカルに説明しないと安心できません。

リンクした記事もそういう意味で「大本営発表」ということですウソとホントかは関係なく「ウソくさい」という意味で。

あの記事にもタイトルに「数値にウソはないかも」と書いたとおりです

(1)福島第一原発-日立間は、100Km離れていることを言えばよかった

(2)3/15に大量に放射性物質放出された影響で高い数値がでているが、他の日は全然なので、これは一時的なものだと言えばよかった

(3)全部の野菜が同等程度に汚染されていた場合、これこれの数値になるが、全く問題ないと言えばよかった

あと、最悪のケースについて語らなかったのがいけない。

いつまでたっても、最悪の座標が決まらいから、最良と最悪の間がとれなかった。

想定外」という言葉を使ったのもよくなかった。

いちど発表した内容も、コミットメントされないのではないかという印象がきわめて強くなった。

私が危惧していたのはそんなことではなく、3号機・4号機の使用済み核燃料が本当に露出して全部溶融したら東京も壊滅じゃないかと思ったわけです

これも、政府が最悪の事態とその影響度をきちんと説明していたら、そうはならなかったわけでしょう。

私が逃げたいと思った理由は、ひたすらウソくさい政府発表とメディア報道にこりゃだめだと思ったから。

渦中にいると判断にバイアスがかかるから、いちど「安全圏」に身をおいてからゆっくり状況を判断したいと思った。

理系あなたとはどうもツボが違うみたいw

2011-02-01

大学院博士課程はどうなるべきなのか?

id:aionarapです自分ブログがなく,ブコメじゃ情報を書き足りないのでこの場をお借りしました

エントリを書くきっかけ

“徒弟制度”や修士論文の廃止求める 大学院博士課程で中教審答申 - MSN産経ニュース http://sankei.jp.msn.com/life/news/110131/edc11013122040003-n1.htm

はてなブックマーク - “徒弟制度”や修士論文の廃止求める 大学院博士課程で中教審答申 - MSN産経ニュース http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/life/news/110131/edc11013122040003-n1.htm

この中教審答申に関して,ブコメでは否定的な意見が多数,というか肯定意見は皆無ですね.しかし,私個人はある程度この試みに賛成です.あ,先に書いときますが,完全肯定じゃないですけどね.修論は書いたほうがいいし,徒弟制の完全廃止もどうかとは思っています.

じゃぁ何が賛成なのよ,という話ですが,Qualifying Examの導入,及び広い範囲の教育に関してです.これは必須,と私は考えています.この辺りのお話に関するご意見を皆さんに聞いてみたいと思い,当エントリを書くことにしました

要約

今回の中教審答申は,博士の現状の問題を反映した意欲的な取り組みに感じる.丸呑みにするには良くない部分もあるが,期待しても良いのではないのか.

博士はなんなのか

さて,そもそもの出発点ですが,博士は「スペシャリスト」でありさえすれば良いのでしょうか?私は否と考えます博士こそ「ジェネラリスト」にもならねばならない.…と書くと誤解を招きますね.要は専門馬鹿なっちゃいかん,ということです

勿論,博士課程の人間自分の専門分野に関して,国際的な第一線に立てるような知識と経験が必須です一生懸命自分研究に取り組む必要がありますですが,それだけではダメで,最低限隣接領域(まぁ定義微妙ですが)に関して,可能であればもっと大きな枠組で知識を深めなきゃいけません.科学技術はどんどん煮詰まってきて,先に進むためには学際分野の融合による新しい概念の創出が必要です.それをイノベーションと呼ぶこともあるでしょう.それを生み出すためには,少なくとも2つの分野に関してよくものを知っていないといけません,そうですよね?

テクニシャンとして分野を極めるのもひとつの道かもしれませんが,博士に求められているのはそういうことではないと私は考えています.

国はどういうつもりで博士を育てているのか

加えて,博士が「スペシャリスト」のみを意識していると,博士課程の人材の活用先は研究者,それもかなり狭い分野に限定されます

ここで,大学院設置基準が定めている博士課程の役割を見てみましょう.昭和49年の時点では,

「専攻分野について,研究者として自立して研究活動を行うに必要な高度の研究能力及びその基礎となる豊かな学識を養うことを目的とする。」

というものでした.それを,平成元年の時点で

「専攻分野について,研究者として自立して研究活動を行い,又はその他の高度に専門的な業務に従事するに必要な高度の研究能力及びその基礎となる豊かな学識を養うことを目的とする。」

と,敢えて変更を行っています.差分は,

「又はその他の高度に専門的な業務に従事するに必要な高度の研究能力

が必要,と明文化したところ.その意図を,

社会の多様化,複雑化等に対応し,博士課程において,大学等の研究者のみならず,社会の多様な方面で活躍し得る高度の能力と豊かな学識を有する人材養成する必要から明確化」

した,と説明しています.

(以上,http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/05090501/021/003-3.pdfの2ページ目より引用.)

平成元年の時点で,大学院設置基準は博士課程学生に「社会の多様な方面で活躍しうる」人材たることを求めているのです

博士はどこで活躍できるのか / あるいはすべきなのか

「おいおい,博士研究者にならなくてどうするのよ…」という意見もあるでしょう,それは理解します.ですが,包含関係を取り違えてはいけません.研究者として生きて行けるのは,博士号を取得したうちの一部の人です研究者になるのは博士号取得者でしょう.です博士号取得者は全員研究者はなれません.国家として,限られた国庫の中から博士を全て取り込めるほどポストを恒久的につくるのなら別ですけどね….

それに,(ありえませんが)もしそうなったとしても,全員研究者になるのもどうかと思います.一人ひとりが研究テーマを持って,プロジェクトリーダー的な役割を果たしつつ,世界最先端を突っ走ってきた人間が,その経験と知見を他の分野に持っていくことは非常に意義があるでしょう.ある意味,一人でプロジェクトチームに求められる役割を全て果たす必要があるのですから,その能力は推して知るべしです.是非,社会のあちこちで活躍するべきです

非常にポピュラーなのは,専門を活かした職業でしょう.企業での研究開発を初めとした「明示的に博士を求めている」職業は多いです.…まぁ敢えて書く必要はないですね.

初等,中等教育の教師もいいでしょう.勿論高専も.起業もいいですね.

そして,本当はその他の「博士が求められていない」と考えられている職業にも行ったほうがいいと思うんですだって,ずっと知的体力を鍛えてきたわけですから,同年代博士号非保持者と比較してその辺りは大きくリードしているはずです

彼ら/彼女らが持っている問題発見能力は,必ずや企業にとって大きな助けになります

現状はどうなのか

前節の内容に関して,同意して頂けましたでしょうか?して頂けた方も,そうでない方もいらっしゃるでしょう.

でも,同意/非同意にかかわらず,ほとんどの人は「夢物語乙!www」という感想を抱くのではないでしょうか.いえ,私もそう思います.

だって現状が全く異なるのですから

例えば,id:scicom 氏の快著,「博士漂流時代「余った博士」はどうなるか?」(http://goo.gl/Pd0ls amazonへのリンク)には現状の博士号取得者,特にポストドクター(PD)の状況が整理されています.

簡潔に言えば,現状は散々たる物です企業博士号に魅力を感じていません.これは伝聞ですが,採用担当者は「博士は当たり外れが大きい」と感じているようです.ハズレを引くリスクを恐れて採用を控えるそうです

そもそも,皆さん,博士号をとっている人間が「最低限」「共通して」何を出来るか,分かりますか?

言い換えると,博士号が担保しているものは何か,知っていますか,ということです

公開されたばかりの中教審の資料から引用しましょう.

特に,博士課程では,①学生特筆すべき顕著な研究業績を求める大学院もあるなど,博士学位が如何なる能力保証するものであるかについての共通認識確立されていないこと,②博士課程(後期)の教育が,個々の担当教員がそれぞれの研究室等で行う研究活動を通じたものにとどまり,学位プログラムの整備という観点から不十分であること,③大学産業界等との間において,大学院養成する人材像と産業界等の評価や期待に関する認識の共有が十分でなく,修了者が産業界等の社会の様々な分野で活躍する多様なキャリアパスが十分に開かれているとは言えないこと,といった問題点が見られる

(http://goo.gl/Jq0LU, pdfファイル,5ページ目)

文科省は,博士号が担保するものに関する共通理解は無い,と述べています.また,教育の質もバラけていることを指摘しており,このことも共通理解の妨げになるかと思います.

個人的には,博士号は「専門知識」と「プロジェクト(研究)遂行能力」は担保していると思います.…が,サンプル数が少ないので断言はできません.

この「一般的な博士像の不存在」が,世間一般への博士の浸透を妨げていることは想像に難くありません.

現状は問題なのか

敢えて節を作って強調しますが,現状は問題です

当の本人たる博士号取得者は活躍の場が減る,すなわちたつきの道の選択肢が減ります

納税者の皆さんは,せっかくお金をつぎ込んで育てた人材が有効に活かされず,「税金無駄だ!」と感じるかもしれません.

後進の学生は,この惨状を見て博士に進まなくなります(というかそうなってます).

こうして,本丸たるアカデミック世界ごとジリジリと衰弱し,…あとは言わずもがな.

どうすればよいのか

勿論,「これさえやれば万事解決!」みたいな簡単な処方箋はないでしょう.でも,チャレンジは出来ます

私は,そのチャレンジの一環が今回の中教審答申だったのではないか,と考えています.(というか資料はそれを物語っています)

すなわち,博士の質を担保すれば良いのです

専門の知識だけではなく,基礎知識や計画力語学力倫理観などもちゃんと持っていることをQualifying Examで保証しましょう.

教育の質がばらけない様に,たくさんの先生教育しましょう.

どこに放り出しても生きて行けるほど強くするために,総合的な教育もちゃんとしましょう.

そういった取り組みが,今回の答申意図はないのでしょうか.

この新課程を出た博士がその有用性をアピール出来れば,在野の博士号取得者にもスポットが当たり始めるでしょう.

さて,ここで,「大学院に進んでまで人に教育を受けるとかwww自分で学べよそれぐらいwww」という気持ちになる人もいるかもしれません.

正直,私も「それぐらいじぶんでするわい」と思ってたりします.

でも,主眼はやっぱり「質の保証」なんだと思います.ちゃんと大学院は「最低限」「共通して」一定の能力を持った博士を輩出しますよ,という保証

さぁ,雇用者の皆さん,安心して雇用してください.

さぁ,経営者の皆さん,安心して共同事業を博士経営するベンチャーと行って下さい.

さぁ,保護者の皆さん,安心して博士教員を迎え入れてください.

そういう事を,皆が自信を持って主張できるように,ということでしょう.

ちょっとやりすぎじゃないのか?

ええ,上記の効果を狙ったとしても,逆効果になる部分もあるでしょう.

徒弟制を完全廃止すると,一本軸の通った研究ができなくなって,結果として「スペシャリスト」にもなれなくなります

(念の為に再度主張しますが,博士は「スペシャリスト」の能力を最低限備えてなければなりません,と考えています)

博士課程に進学希望学生修士論文書かないと修士/博士の間のフレキシビリティを損なうことになります

なので,細かい部分は考える必要があるでしょう.

でも,今回みたいに,現在抱えている問題に対してちゃんとコミットメントしたということで,私は文科省をちょっと見直しました

というかなんか雰囲気で「お役人は肝心なことに取り組まない」みたいな思い込みがあったのですが,やっぱりそんなこともないよなぁ,と思いました

なんせ,前述の「博士漂流時代」を読んで気になったことを調べ始めたら,殆ど中教審の資料にまとめられていたのですから

さて,長くなりましたが,これにて本エントリはお終いです.お付き合い下さり誠にありがとうございます

意見コメント,批判,大歓迎です.皆さんの意見を知りたいです

私のtwitterアカウントhttp://twitter.com/aion_a_rapですので,何か有りましたら.

2010-12-28

女向け漫画よりも男向け漫画のほうが性表現批判されてきた

ポルノを語るのは誰か - キリン逆立ちしたピアス

http://d.hatena.ne.jp/font-da/20101227/1293419254


これは、漫画の性表現批判の流れを知らないで書いているね。


 私はオタク漫画家権利を守るためにコミットメントするわけではないのだから


こんなことを書いているから無理もないけど、少しは調べたほうがいいよ。


BL少女向け漫画規制の標的になったとか書いてあるけど、今まで漫画の性表現で盛んに批判されてきた漫画はそれじゃない。今までは少年漫画での性表現女性差別として盛んに主張してきたんだが、それに比べて女向け漫画フェミニストたちはスルーしてきたからね。BLは同性同士だからいいやということで、特にスルーされてきた。


少女向け漫画規制の標的になったのは、今まで男向け漫画ばかりを標的にして実際に性表現を少なくさせてきたのだから、今度は女向け漫画にも批判が向かったというだけのこと。BLは同性同士だからといって、どきつい性表現未成年が買うのも何ら問題なかったからね。BLのどきつい性表現は成人向けに当たるものでもスルーしてきた。


標的になったと言っても、今までの男向け漫画のようには批判されてないよ。女向け漫画は「女性の性の自由なんちゃらー」とかがあるからね。


女向け漫画ばかり批判して!男向け漫画も批判しろ!とか言ってるのは、それをやったら、女向け漫画の性表現は少なくしないといけなくなるよ。それくらいに、女向け漫画の性表現スルーしてきたし、男向け漫画の性表現ばかり標的にしてきたからね。


こんなことも分からいで漫画のことに口出しして「女だけが標的!」とか見えない敵叩きの藁人形が入ってきたら、困ったことになるね。

2010-06-24

基本的に、こどもに何かを期待するのはよくない。

何かを条件に(エサにして)、子供を望む方向に行かせようとするのは、たぶんムリです。

だから欲望を通すために親側にコミットメントしようとする。その時に「高校合格したら」とかの条件を付ける。そうすりゃ初速くらいは得られるのではないか。

携帯ゲーム機を取り上げ、リビングテレビも捨てて「高校合格したら」と言ったら、やる気になるんだろうか???

親に何かを禁止されたり、取り上げられたりすることで、自発的に意欲がわいたり、それが長続きしたりするかい?

不登校経験者の意見を聞いてみたいところだが。

http://anond.hatelabo.jp/20100624151721

そういう方法が通用するのは、幼児か、損得を計算できる大人だけです。

わたしが中学生ごろのことを考えても、そのような大人の「意図」が透けて見えるようなゲームに参加することは、屈辱的なことだ、と考えていたので、ぜんぜん勉強しませんでした。(勉強自体はしたほうがいいと思う)

ちなみに、わたしは、不登校経験者ではないので、具体的なアドバイスはできません。

わたしが、お子さんに対して、やったらいいと思えるのは、

  • スポーツ(成長期だから)
  • 図書館に通う(たとえ読まなくても、制限冊数まで毎週借りて帰る)
  • できるだけいろんな人に会う(同年代でなく、20歳以上離れている人がよいと思う。ボランティアとか?)

ということぐらいです。

読むかどうかわかりませんが、とりあえずコメントいたしました。

失礼しました。

引きこもる空間をなくすというか

引きこもる空間を与えているからそもそもいかんのでは(http://anond.hatelabo.jp/20100624142449

コメントありがとう。

http://anond.hatelabo.jp/20100624140030なんだが、

自分の部屋に自分パソコン自分テレビ自分ゲーム

人から干渉されずにその世界に入ることができ、かつそこが安息の空間なら、一生そこから出てこられないよね。外のみんなは一所懸命努力しているのに。

いや、子どもの部屋にはパソコンテレビもないんだ。持ってるのは携帯ゲーム機のみ。パソは親のものだ(ペアレンルコントロールかかってる)。

テレビリビングで見てるよ。

ただ、昼間は誰も家にいないから、独り占め状態だけどね。

だから欲望を通すために親側にコミットメントしようとする。その時に「高校合格したら」とかの条件を付ける。そうすりゃ初速くらいは得られるのではないか。

携帯ゲーム機を取り上げ、リビングテレビも捨てて「高校合格したら」と言ったら、やる気になるんだろうか???

親に何かを禁止されたり、取り上げられたりすることで、自発的に意欲がわいたり、それが長続きしたりするかい?

不登校経験者の意見を聞いてみたいところだが。

あと、引きこもっているといっても、学校以外の場所に出て行くのはOKなんだな。けっこう、外出はしてるよ。

だから、それをなんか、プラスに結びつけたいとは思っているわけ。

一生子供子供として養って死ねば?

今のままだと、そういうことになるよね。

本人もそれはわかってると思う。

だから、闇であり、迷路なんだな。

2010-05-14

政策に向き合うということ

http://d.hatena.ne.jp/bewaad/20100514/p1

BewaadさんのエントリーTwitterとかで盛り上がっていた。こういう良いエントリーを読むと自分も何か書いてみたくなる。とは言え、氏の議論への反応ではなく、氏の議論への反応を見ての感想なのだが。

twitterをつらつらと眺めていて、ある種いわゆるリフレ派の最大公約数的な意見だなと思ったのが以下のコメントだ。

個人的にリフレ派諸氏に言いたいのだけれど、開き直ってもいいと思うんだよ俺。「gdgd言わないで全部ボタン押せ、学術的な決着はその後だ」と。俺は少なくともこの立ち位置立脚してるし、この立ち位置が「ただの素人リフレ派」にとって最も強いと少なくとも俺個人は思っている。

http://twitter.com/kumakiti2ch/status/13936833688

感情論としては、正直同意せざるを得ない。不況長すぎ。いらだつ気持ちは自分にもある。そもそも、経済政策理論に先行したことは今まで何度もあった。むしろその方が多いんじゃないだろうか。ならば、限られた情報能力選択肢の範囲内で、最良のものを選んでいく、そういう割り切りは必要なはずだ。

ただ、この割り切りは我々外野人間がするものじゃない。それは為政者仕事であり、責務であって、我々が出来る事じゃない。残念ながら。もちろん、全部ボタン押せと言ってはいけない、とは言わない。それをやりたい人は政治活動・宣伝活動として大いにやればいい。でも、外野の我々にとってもっとも意義深い仕事はそれではないと思う。

本当に大切な外野仕事は、ボタンを用意すること。そしてそれを磨くこと。政策の選択肢を提案し、そのコストも、ベネフィットも、考え得る全てのリスクも、全てが出尽くすまで叩いて叩いて叩きまくる。もう鼻血も出ないほどに叩き合ったその末に出来たコンセンサス為政者の前に積み上げること。それこそが外野仕事ではないだろうか。

もちろん、いくら完璧に鍛え上げた最良のボタンを用意しても、それが採用されるとは限らない。ユーロ通貨統合の直前に、どれだけの学者が議論を積み上げ、賛否両論ボタンを用意してきたか。30代以上の人なら覚えているはずだ。そして、過半数の経済学者(と記憶している)が提出した反対意見は結局為政者達に却下されて、今の惨状に至ることになる。それでも、例え捨てられるとしても、政策オプションというボタンを磨き上げる行為が無駄だと思っている経済学者などいないはずだ。今は捨てられても、一度磨き上げられたボタンはいつか必ず何かの役に立つ。

翻って、過去5年間、いや10年間、リフレ派の論者の人たちは自分たちのボタンを磨き上げてきたのだろうか。自分にはそうは思えない。「インフレターゲットデフレ脱出」、という意見に「いや、コミットメントの問題が解決されてないでしょ」とツッコミが入った。それに対してリフレ派の人たちはどれだけ真っ向からの反論をしてきたのか。財政政策だってあるじゃん、みたいな議論に逃げてはいなかったか。それは「このボタンじゃ機能が足りないんじゃない?」という客の質問に、「その機能は別のボタンについてるから大丈夫です」というようなものだ。それじゃぁ意味がないんだよ。一つのボタンじゃ機能が足りないなら、その半端なボタンはさっさと捨てて、二つの機能を統合したボタンを客に見せるべきだ。客のツッコミに耐えられるようなボタンが出来るまで、スクラップアンドビルドを繰り返すべきだ。

それを怠り、自分ボタンケチが付けば「いつまで文句ばかり付けるんだ」「ぐだぐだ言ってないでボタンを全部押せ」と叫んでみても、それが為政者に届くわけがない。未完成品のボタンを山ほど差し出して、時間がないからとにかく全部押せと。国に大してそんな押し売りが出来るほど我々は強くもなければ偉くもない。我々に出来るのは、地道にボタンを改良していくことだけだ。いつか、どこかでそのボタンが役に立つことを信じて。

本来は、そのボタンは役に立つはずだった。リーマンやベアスターンズが破綻したときに。でも我々はその議論には殆ど貢献できず、結局似たような議論がアメリカブログで繰り返されて、あっという間に向こうの議論が先に進んでしまった。これは本当に恥ずかしく、悔しいことだった。少なくとも、自分にとっては。

最後に、ひとつだけリフレ派に提案したい。リフレ派は今すぐ内部抗争をするべきだ。インタゲインタゲと繰り返す人と、財政政策重要だという人が、同じ意見のはずがない。例えアイデアの95%が同じでも、残りの5%が違うなら、そこを徹底して叩き合うべきだ。そうしないと、お互いの前提条件に違いがあることに気づけない。自分が(多くの場合無意識に)仮定している前提条件を明らかにして、再検討して、その上で始めて政策オプションというボタンを改良することが出来るのだと自分は思う。そこを怠るから、インフレターゲット時間的不整合性を問う意見に「財政政策があるからいいじゃないか」というような議論のすり替えを行って、そのおかしさに気付けないのではないかと思う。

2010-02-23

http://anond.hatelabo.jp/20100222091736

もう見ていないかもしれないけれども。

とりあえず、学部高学年向け又は大学院初級向けのテキストなら、必ず時間的不整合性についての解説があるはずなので、とりあえずはその辺から読み始めると良いと思う。RomerのAdvanced Macroeconomicsとか、斉藤誠の新しいマクロ経済学とか。ただ、これだけでは自分で議論をするには致命的に情報量が少ないので、Monetary Theory and Policy (Walsh)の当該章を熟読することを勧める。

コミットメントについてはゲーム論の入門書(ギボンズとか)を読んだ方が早い。サブゲーム完全性などを学ぶと、時間的不整合性のコンセプトもかなり容易に理解できるようになるだろう。ついでにIncomplete contract (verifiability)まで学ぶと、中銀を法制度で縛ってリフレ政策にコミットさせることの難しさが分かるようになる。これはHartのFirms, Contracts and Financial Structure辺りが入門書としてはお約束(ただ、最初からそこまで読もうとしない方がいいと思うが)。

君がこういった経済学の基本理論を押さえたリフレ村の論客になることを期待しています。外野としても、ここ数年のまるで進歩のない議論をウォッチし続けるのは飽きたので(しかも、議論が尽くされたようには見えない辺りがもどかしい)。

2010-02-22

http://anond.hatelabo.jp/20100221183451

コミットメントを前提とするインフレターゲット政策」を前提にしながら「コミットメントが困難だからリフレ政策は無理」ってあり得無くない?



君はコミットメントを「それを仮定しさえすればなんでも出来る魔法の杖」か何かと勘違いしているのか。

通常のインフレ目標コミットメントメカニズムを一から説明していては日が暮れるので、はしょって説明する。興味があるなら自分勉強して欲しい(コミットメントにこだわるなら、マクロだけでなくミクロテキスト学習すると良い。繰り返しゲームあたりなど)。重要なのはどうやってコミットするかということ。例えば、無限繰り返しゲームを仮定して、一時的なサプライズインフレーションを行うインセンティブを中銀がもっていたとする(中銀の目的関数はこの文脈で一般的なものを用いる)。この場合、例えば一度でもターゲットレートを上回るインフレ率を中銀が設定したら民間は以後中銀を信頼しなくなる、というトリガ戦略を敷くことで、中銀にターゲットレートを守るインセンティブを与えることが出来る(この戦略は、若干修正すれば中銀が経済のstatusに対してprivate informationを保持している場合、または中銀が完全にはインフレ率をコントロールできない場合にもある程度は対応することが出来る)。これによって、中銀はターゲットレートにコミットすることが出来る。

このコミットメントと、リフレ政策が要求する「いつか景気が回復したら均衡インフレ率以上にインフレ率を誘導する」ことにコミットすることとが「同じ」だと言えるのか、ということ。クルーグマンが仮定した「均衡実質金利が一時的にマイナスになっている状況」からの脱却がcommon knowledgeであればまだ何とか両立は可能かもしれない(同じなどでは全くないが)。しかし、それが例えば中銀のprivate informationであった場合には(均衡実質金利などという統計など存在しない)? 2つのコミットメントが異なるのは言うまでもなく、両立も困難と言わざるをえない(不可能であるとは言わない)。

加えて書けば、クルーグマンが仮定する「来期には均衡実質金利プラスに復帰する(中銀による過剰なインフレが実行可能になる)」の「来期」が遥か先のことだとしたら?その遠い将来に必要となる(より)過剰なインフレコミットすることが、本当に可能なのか? 今現在インフレーションバイアス抑制しているコミットメントメカニズムが、その遠い将来の過剰インフレへのコミットをも可能にするなどと何故簡単に断言できるのか。

もし依然としてこっちの書いていることに納得できないというなら、「なぜ同一視できるのか」、そのコミットメントメカニズムを分かるように説明してもらいたい(論文引用ももちろん構わない)。正直疲れてきたので、二つのコミットメントメカニズムが同じとは言えない、ということくらいはそろそろ納得してもらいたいのだが。

http://anond.hatelabo.jp/20100221101656

意味が全く分からない。無視してしまおうかと思ったが一応2点。

2010-02-21

http://anond.hatelabo.jp/20100221081435

だから、2%のターゲットレートを4%に引き上げることによって、コミットメントの問題が追加的に発生することはない。

いや、だから全然ずれてるよ。最初の2%のターゲットコミットメントが必要ないとでもいうのか?

コミットメントを前提とするインフレターゲット政策」を前提にしながら「コミットメントが困難だからリフレ政策は無理」ってあり得無くない?

http://anond.hatelabo.jp/20100221082157

ゼロ金利制約下ではマネーサプライをいくら増やしても無意味という話はクルーグマンが10年前に説明してるので、そちらを参照して欲しい。

これは反論になってないよ。それともわざと論点をずらしてるのかな?

「将来のマネーサプライ増加へのコミットメント」というのがクルーグマンba..ack!!論文でも、Woodford(2003)でも、そして今回のブランチャード論文でも一貫して論じられている「標準的な処方箋」だ。現時点で単に(コミットメント無しで)マネーサプライを増やしても駄目だと言うのはその通りだ。

しかし、今の文脈は「コミットメントしたって(利下げという)手段が無いのだからクレディビリティがない」という君の議論に対して「コミットメントの対象は『マネーサプライ増大』であって、それに対する実行手段は現在も(もちろん将来も)存在する」と反論されてるのよ。

リフレインフレ目標の違いについて

http://anond.hatelabo.jp/20100220230624

将来のインフレ目標に(したがってそれを達成する貨幣供給量に)コミットすることにより期待インフレ率を操作するメカニズムは、通常のインフレ目標政策流動性の罠からのインフレ目標による脱出も全く同じでしょう。

だから全然違う。

ブランチャードらが言及した4%ターゲットを含む一般的なインフレ目標の議論で問題になるのは、中央銀行に(短期的に)目指すべきターゲットレートを超えるインフレ率を設定するインセンティブが事後的に発生してしまうという点。いわゆる時間的不整合性の問題(この問題の解決法は多くの方法が散々議論されているので、適当テキストなり論文なりを自分で参照してもらいたい)。だから、2%のターゲットレートを4%に引き上げることによって、コミットメントの問題が追加的に発生することはない。前回の繰り返しになるが、もしも4%の達成を一般の人々が信じないのなら、中銀は喜び勇んで金利を下げるだけの話だ。

一方で、ゼロ金利制約下では、今実質金利を引き下げるには、将来時点で一定期間均衡インフレ率を上回るインフレ率を達成することにコミットせねばならない。しかし、仮にその宣言が信頼され、経済が安定成長軌道に復帰してきたとき、Forward lookingな中央銀行には過去約束を守るインセンティブがない。むしろ、この時点においては以前からコミットしてきたインフレ目標の遵守を迫られることになる(インフレ目標を置いている場合)。この場合、インフレ目標リフレ政策とを実行するインセンティブは両立し得なくなる。ここまで書けば両者の違いについて理解してもらえるだろうか。

公平を期して書くと、Eggertsson and Woodford (2003)でも、このコミットメントの困難性は認識されており、それを解決する方法、それが日本でなぜ実行されないかの類推までもが議論されている。興味深い議論なので、こういう話が好きなら読んでおくべきだろう。ここを読むと、Eggertsson and Woodford (2003)の議論が少し違って見えてくるのではないかと思う。この部分が日本語で議論されているのは寡聞にして見たことがないのが残念だが。

それから、上で散々書いたのでこれ以上嫌みったらしいことを書きたくはないが、一点だけ。

なんか根本的に理解してないんじゃない?

増田なんだからどんな放言をしても構わないと思うし、それを失礼だ!と憤るつもりもないが(自分もやっていることだし)、一つ質問させて欲しい。君がこれを書く前に、インフレ目標政策理論についてどれだけ勉強した?君が「自分根本を理解している」と明言できる自信は一体どこから来るんだろうか。前から気になっていたのだが、リフレを議論する人たちは(賛否に関わらず)、自分意見に反論されるとすぐに「経済学が分かっていない」とか「トンデモ」だとか言い出す傾向が見受けられるように思う。十分に勉強した人間が、確固たる確信を持ってその言葉を口にするなら構わない。ただ、外野から見ていると、そうでもない人間が軽々にそう言うことが目に付くように思う。それは、結局リフレに関わる議論それ自体の価値を貶めているように思うのだが。

2010-02-20

http://anond.hatelabo.jp/20100218194345

ところで、リフレ政策の理論的基礎とインフレ目標政策理論的基礎はそんなに異なるものなのかいw

全然違うに決まってるじゃないか。ブランチャードが議論しているのは均衡インフレ率の話。それとリンクしているのは均衡名目金利であって、これはゼロ金利制約にはハマっていない(少なくとも、常識的な仮定の下でなら)。仮に高いインフレ率にコミットできないというなら利下げすればいいだけの話。一般的な中銀の目的関数を前提とする限り、そうしない理由がない。

リフレにおいてコミットメントが問題になるのは、「今」利下げが出来ないからでしょうが。

2010-02-18

http://anond.hatelabo.jp/20100217215359

ふーん。ブランチャードはリフレ政策に効果がないと主張し、一方ではインフレターゲットの数値を引き上げることを検討すべきだと主張してると。

ところで、リフレ政策の理論的基礎とインフレ目標政策理論的基礎はそんなに異なるものなのかいw リフレ政策の時だけはなぜか合理的な期待形成は行われなかったりコミットメントができなかったりするとか?

http://anond.hatelabo.jp/20100217215359

非常に論理的かつ説得力にあふれた議論だと思うけれども、最後の「司祭」云々はいただけない。それまでの議論と全く異なる話にねじ曲げてるじゃないか。日銀が実際にコミットメント(注:単なる約束ではなく、法的な結果責任を伴う約束)を実行する能力あるいは意思に欠けていたというのが、Eggertsson and Woodford (2003)で示された事実だろう。実際、日銀コミットしてないよね。したか?何か結果責任を問われたか? 全くないよね。これは英文解釈とか学説の問題ではなく「事実」だ。

つまり、「日銀は、標準的な処方箋を実行しなかった」が事実なのに、なぜか司祭の出てくる喩え話では「実行したのに効果が無かった」ことにねじ曲げられてしまっている。現時点で量的緩和をいくらやろうと無効だというのは、まさにWoodfordらをはじめとするリフレ派の帰結じゃないか。コミットメントこそがインフレ目標によるリフレ政策の鍵だし、ブランチャードも金融緩和自体じゃなくコミットメント重要性を度々強調しているにもかかわらず、そこを無視してリフレ政策が効かなかったという事実があったかのように書いている。

これは、ちょっと余りにひどいんじゃないのか?

2010-02-17

リフレ村の司祭様かく戦えり

せっかく2時間もかけて前のエントリーを書いたのに、丸一日経っても誰も読んでくれないよ…と涙に暮れていたのですが、なんとお褒めの言葉付きで長文のリプライが!「もうこれは2chに自作自演宣伝書き込みをするしかない」、と悲壮な決意を固めかけていたのですが、ああ、神様、どうやら私は人の道を踏み外さずにすみそうです。

馬鹿なことを書くのはこれくらいにして本題に入りましょう。

http://anond.hatelabo.jp/20100217164344

「中銀が高めのレートでインフレターゲットを実行する」能力も意志もないのです。処方箋はあるのに肝心の中銀がそれを採用しようという意思がないのです。

こんな中銀ですから、平時においてインフレ率を高めに誘導しておく必要が、すなわち名目金利引き下げの余地を残しておく必要があるのです。

名目金利引き下げの余地を残しておいて流動性の罠に陥らないようにしておかないといけないのです。

まず、ブランチャード(フランス語読みではブランシャール)らがここで書いた文章の表題をもう一度確認してみましょう。”What we thought we knew”とあります。直訳すれば「我々が理解していると考えていたこと」でしょうか。

ここで過去形になっていることは非常に大きな意味を持ちます。これは「今はもうそうは考えていない」ことを意味しているからです。日本語的な発想では「過去にそう考えていたとして、今どう考えているかは分からないのでは?」と思いがちですが、今も引き続きそう考えているなら英語では現在完了形を使わなければなりません。

英語はこの辺りの時制のコントロールに対して非常に厳密です。ですから、1970年のJohn Smithの論文がこう主張している、という表現をするときには、J. Smith (1970) arguesと書くのが普通です。論文自体が書かれたのは40年前ですが、Smithの主張が今も有効であるならば、現在形になるのです。逆に Smith (1970) arguedと書いた場合、この著者はSmithの意見を既に時代遅れなものと見なしていることになります。

つまり、私の翻訳した部分はブランチャード自身が「既に時代遅れである」と判断したことについて書いてあるのです。翻訳では若干時制が不明確になってしまっていますが、『中央銀行が将来の高い名目マネーサプライ成長率とひいては将来の高いインフレーションコミット訳注約束)できるなら、中銀は期待インフレ率の上昇によって将来の予想実質金利を低下させ、それによって現在の景気を刺激することが出来る』という下りは、原文では

The formal argument was that, to the extent that central banks could commit to higher nominal money growth and thus higher inflation in the future, they could increase future inflation expectations and thus decrease future anticipated real rates and stimulate activity today.

となっています。過去形に注目してください。ブランチャードはこの議論を最早信じてはいないことがここからも分かります。過去形解釈について納得がいかない方はマークピーターセンの「日本人英語」辺りを読んでみると良いでしょう。

つまり、ブランチャードが批判的に取り上げているのは、「処方箋があるにもかかわらずそれを採用しようとしない中銀の存在」ではありません。処方箋に問題があるにもかかわらず、それを中銀の意思と能力の問題に矮小化してしまった経済学者の態度こそが批判されているのです。だからこそ、前回翻訳した最後の部分で『公平を期しておくと、Fed日本経験を無視したわけではなく、2000年の初めにデフレリスクを憂慮した論文を発表している』と添え書きされているわけです。経済学者にも良心的な態度を取った人がいたことは、公平のために言及しておく、と。もしも「リフレ処方箋」にコミットする能力と意思を中銀が欠いていることをブランチャードらが問題視しているなら、to be fairなどと書くはずもないことは文脈から明らかでしょう。

ですから、

将来のマネーサプライ増と将来のインフレとにコミットする能力も意思も欠いた中銀だからこそ、4%のインフレ率が必要となるのです。

将来のマネーサプライ増と将来のインフレとにコミットする能力も意思も欠いた中銀だからこそ、流動性の罠など恐るるに足るのです。

流動性の罠に陥らないようにするために、4%(具体的な数値は検討の余地があるでしょう)のインフレ目標が必要になるのです。

この解釈ブランチャードらの論文から引き出すことは出来ないと思います。この論文で議論されているのは徹頭徹尾経済学の問題であって、「能力と意思を欠いた」中央銀行に対して批判的な表現は、(上でも書いたとおり)少なくとも私の読んだ限りでは全く見当たりませんでした。中央銀行能力も意思もないから、それを前提に現実的な経済理論を再構築しよう、とも書いていません。今まで半ば普遍的に信じられていた、「2%前後で安定したインフレ率が望ましい」という経済学者コンセンサスそれ自体に疑義を唱えているのです。

加えて、中銀が無能ないしは怠惰であるという理由以外で能力/意思を欠いているのであれば、それは中銀の問題(だけ)ではなく処方箋の側に(も)問題があると考えるのはごく普通の理解であろうと思います。例えば、中銀にそもそもコミットメント能力が備わっていないならば、それを前提とした処方箋は無効であることは当然ですよね。

「いかにして流動性の罠に陥らないようにすればよいのか」を問題にしているブランチャードが、「いかにして流動性の罠から抜け出せばいいのか」という問題への処方箋であるリフレ政策を支持するはずも否定するはずもないのです。

前回翻訳した部分をもう一度参照してください。なぜブランチャードらは2%のインフレ率を望ましくないと判断したのでしょうか。ブランチャードらは過去にも「2%のインフレでは低すぎる、利下げ余地が小さすぎる」という懸念があったことを紹介しています。そして、その懸念は「ゼロ金利になっても、中銀が将来のインフレコミットすれば大丈夫だ。」という、Eggertsson and Woodford (2003)らの議論によって葬り去られました。そして、日本金融政策の失敗を受けても、一度葬り去られた懸念が見直されることはありませんでした。

そして、世界中ゼロ金利の罠にハマった後、ブランチャードらはようやく「2%のインフレでは低すぎる、利下げ余地が小さすぎる」という懸念を復活させます。それは、「いやいや利下げ余地が小さくても問題ない、打つ手は他にある」、というリフレ派の議論がもはや有効とは言えないと考えられたからこそなのです。繰り返し書きますが、「流動性の罠から抜け出す簡単な方法は存在しない」からこそ、利下げ余地が論点として再浮上し、高いインフレに伴う経済への負担を覚悟してでも流動性の罠に陥らないようにしようという結論に至る、という論理構成なのです。この論文はかなり読みやすい英語で書かれていますので、暇があれば通読なさると良いでしょう。

また、以上の説明から、最終段落で言及されている「ブランチャードらは流動性の罠から脱出するためのリフレ政策を支持していると読めないこともない」点は、誤読であると申し上げるより他ないことはご理解頂けるのではないかと思います。この辺りも、原文に当たられた方が文章の雰囲気と構成("stood more uneasily in the way"や"to be fair"など)をよりはっきりと掴めるでしょうから、原文を当たられることを繰り返しお勧めします。

最後に、ブランチャードが書いた部分を、少し分かり易く脚色してみます。

とあるところにあるリフレ村で司祭様が村人に説教をしています。

司祭 「全能なる我らが神はこの村の人々を温かく見守ってくださっておる。なんの心配もいらないよ、君たちは選ばれた民なのだから。100年前の大飢饉大恐慌)では人々は神への祈りを捧げなかった。だから多くの民が死に絶えたのだ。だが今は違う。私が正しい神への祈り方を教え授けている。神は我らの祈りを請け給うたのだ。」

 「司祭様。それでは何故私の父は病に苦しんでいるのでしょうか。既に10年以上、病床を離れることが出来ません。」

司祭 「…それは、あなたの父親の信心が足りないからだ。神を理解する能力に欠けるからだ。彼が心から神を信じているならば、彼の病が長引くことなどあり得なかった。家に帰って彼に伝えなさい。悔い改めよ、と。さすれば彼はたちどころに快復するであろう。」

これは新興宗教の必勝パターンでありまして、この父親が毎日祈りを捧げても(量的緩和)、喜捨の額を増やしても(国債買いオペ増額)、病から快復しないならば「信心が足りない!まだ不十分だ!」と言い続ければよいのです。楽な商売でございます。

ただし、この戦法は多くの村人が病にかかってしまうと通用しなくなります。挙句の果てに村の外からは賢者様がやってきて、「いや、そのお祈りじゃ患者は救えないでしょ。治療法は確立されてないし、一度病気なっちゃうと後が大変だから、とりあえず患者が増えないように予防策を考えようか」とおっしゃっておられます。

さぁ司祭様の立場は一気に悪くなってまいりました。石もて追われる5秒前!しかしこのまま大人しく村を去る司祭様ではありません。一発逆転の隠し玉は当然用意してあるはず。疫病快癒の大祈祷でもって見事リフレの神のご威光を天下に知らしめ、村人達笑顔を取り戻して下さるに違いありません。

というわけで、外野増田矢野先生(及びリフレ村の司祭様方)の逆転の一撃を心よりお待ちしております。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん