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はてなキーワード: 現在完了形とは

2023-12-20

時制のある方言

anond:20231220000042

完了形がある方言といえば土佐弁。

「〜ちゅう」が現在完了形で「〜ちょった」は過去完了形ニュアンスがある。

また、現在進行形は「〜ゆ」である。「ゆぅ」と少し延ばし気味に発音する。

雪が降りゆ。雪が降り続いている様。

雪が降っちゅう。過去から現在にかけて雪が降り続いていた状況。雪が積もっている情景が想像できる。

また、推定の「〜に、かーらん」という言い回しもある。

「雪が降っちょったにかーらん。」は雪が降っていたらしく、今は止んでいるが何かが降って地面が濡れている様子が想像できる。尚、高知では山間部を除き滅多に雪は積もらない。

追記

四国にも似たような時制をもつ方言があるとも聞く。

2023-10-12

anond:20231012115014

英語他動詞とか自動詞とか現在完了形とかの解説見てると、この勉強の仕方じゃ日本人英語全くできないのも仕方ないわなと…

そもそもこれ、用語も教える目的100年くらい前にできたんじゃなかったっけ

イギリスの有名な教科書であるところのGrammar in useシリーズとか読んだことないの?

普通にそういう解説載ってるよ。

日本人英語ダメ理由は、母語の音素がショボすぎるとかそういうどうしようもない理由を除けば単純に勉強時間が少なすぎるからだよ。

今の10倍〜100倍は時間掛けないとできるようになるわけない。

英語他動詞とか自動詞とか現在完了形とかの解説見てると、この勉強の仕方じゃ日本人英語全くできないのも仕方ないわなと…

そもそもこれ、用語も教える目的も100年くらい前にできたんじゃなかったっけ

当時は数少ない英語の本を専門家が読むために学んだとかどうとか

それはともかく、このやり方じゃそりゃ時間無駄から学校での英語教育は文字通り大刷新しないといけないと思う

暗記力を測るテストとしては最高のやり方だけど、あまりにも本末転倒

2023-04-09

anond:20230409141647

「湧く」という動詞は、「温泉が湧く」「湧き水」といった風に「地面から水やお湯が出てくること」を意味する。追い炊き機能のあるお風呂であれば、バスタブ側面下方に配置される給湯口から出てきたお湯が溜まった状態になるので、「お風呂(の実体的要素であるお湯)が湧きました(現在完了形)」との表現はまあまあ適切な気がする。追い炊き機能のないお風呂であれば、お湯をバスタブ上の蛇口から注ぐことでお湯が溜まるので、ご指摘の通り「沸いた(高温になった)お湯がバスタブの中に溜まりました」との表現がふさわしいと思う。ただ、この種のアナウンスがなされる後者のお風呂は少ないのでは?

2021-02-18

数年ぶりにDMM英会話した

初めてDMMやった4年前:地元田舎仕事辞めて無職、試しにDMM無料体験やってみたが、緊張と英語能力0だったため、う、う、ああとゾンビみたいな鳴き声あげて撃沈。

後に3ヶ月間語学留学することにする。(この経験とは関係なく単に暇だったから)

現在:だらだら勉強してTOEICは800取った。会社英語圏の社員が多いがぶっちゃけ、みんな喋りが早すぎるし半分しか理解できてない。

必要事項を伝える程度しかできない。

無料チケットがいまだに余ってたのでやってみた。

相手ガーナ黒人男性ヨーロッパ圏の人とはプライベート仕事で軽く関わったことある

アフリカ人とは一度も話したことなかったし、どうせみんな綺麗そうな女性ばっか選んで予約してるだろうと思ったから。(4年前の俺)

開始、お互いに自己紹介

思った以上に訛りはなく、綺麗な英語だった。

聞く所によるとガーナの現地語は40程に別れてるが共通公用語としてみんな英語話せるらしい。

とりあえず文法を選んでどのテキストがいいか聞かれる。

適当に98番目の「上級者向け」のものを選ぶと、先生が読み上げる。(画面は共有されてる)

先生はただ読み上げるだけ。そして内容は現在完了形過去完了形で、中学レベルだったので、

オーケー ティーチャー!レッツチェンジトピック!ナウアイフィールディステクストイズトゥーイージーフォアミー!

ソーレッツスタートフリーカンバセーションオーケー?!

ということで、ただの会話をして25分間のレッスンを費やした。

気づいたのが、4年前はめちゃくちゃ緊張しながらオンライン英会話してたのが、今回は全く緊張しなかったこと。

最近はあまりネイティブスピーカーに囲まれ環境に、コミュニケーション取れない俺だめだなぁとなってたが、

このガーナ人はゆっくりめに話してくれたのもあるが、いや俺前より全然余裕で会話できるじゃん!と気がついたこと。

まぁ結局地頭弱くても、人間勉強続けてれば上達するもんなんすね。

2020-12-19

高校時代必死に覚えた過去完了形とか現在完了形ってビジネスならともかく日常会話では使うんかな?エリート増田民なら知ってるだろ

2020-07-14

anond:20200714192928

> ふつう高校出てりゃ、現在完了形不定詞関係代名詞仮定法などの主要な英文法の基礎は理解できてるだろうから

釣り針もうちょっと大きくして

日本人はなぜ「日本人英語ができない」という幻想を自ら抱きたがるのか

本当に謎。

まともに中学行ってなくてアルファベットも分からないDQNとかを除けば、多くの日本人英語が使える。これが客観的事実

ふつう高校出てりゃ、現在完了形不定詞関係代名詞仮定法などの主要な英文法の基礎は理解できてるだろうから普通に使う分には困らない。

なぜか、外交官英文学レベル英語を知り尽くしてないと英語が使えるとは言わないと思い込む奴がいるが、そもそもお前ら日本語もそんな高いレベルで使いこなせてないだろ。何外国語で欲張ってんだよ。

2019-06-12

anond:20190612125441

現在完了形のほうが、未だに見つかってないというニュアンスがある。

過去形のほうは、見つかったかもしれないし、見つかってないかもしれない。

2018-10-16

手帳ノート人生変わる人っているの?

秋が来て新しい手帳本屋文房具屋に並ぶ季節になるといつも気になる手帳コーナー。私はこの手の文具類やノートなどを見るのは大好きだが、あまり活用するのは得意でないので、必要最小限のマンスリータイプ手帳を買うようにしている。

で、気になるのがその時期に本屋店頭にならぶビジネス雑誌手帳特集普通に予定書くのに使えばいいじゃんと思うんだけど、何かと手をこらして「手帳の達人」なる人々がいろいろな活用方法提案してくるので、それで本当に人生変わるのかと疑問に思う。

基本的自分だったら仕事の予定は〆切や打ち合わせ・会議の予定を書くぐらいで、プライベートなら病院の予約とかその他飲み会の予定とかぐらしかネタがない。まぁ手帳活用することに意義があるんじゃなくて、忘れてはいけないことを代わりに覚えておいていてもらうものから自分の予定が頭に入っている人はいらないんじゃないかと思う。

が、手帳の達人たちは違うんだよね。「仕事をやるのにかかる時間計算して書いておき、ちゃん作業時間を確保する」ぐらいはいいけど、自分のやりたいことを書いて実現したら消していくみたいな提案をされると、「それってそんなに簡単に実現するもんなの?」と思ってしまう。人によっては「○○したい」じゃなくて実現したことにして「○○になりました」と現在完了形で書けとかいうのすらある。それほど具体的な夢ってあまりないし、仮にあったとしても、わざわざ手帳に書いて、職場の人とかに見られたら恥ずかしいように思うんだけどどうなんだろう?

どっちかというと毎日一行日記みたいなのを書いて、後から見返したときに「あのときあいうことをしてたんだなぁ」と思い出したりする方が面白いんじゃないかと思う。私はその手のことが長続きしないタイプなので3年日記とか5年日記とか買わないけど、せいぜい1~3行ぐらいでその日の出来事を簡単にまとめて残しておけたら案外いろいろなことが思い出せていいんじゃないかと思う。

それなので「ほぼ日手帳」みたいに1日分が1ページみたいな代物は理解不能である。まめな人は日記みたいなものとか、そのとき思ったこととかいろいろ書いておくのかも知れないけど、私にはそこまで手帳時間をかけるということが理解できない。どっちかというと1ヶ月分の予定が一目で見られるシンプルものが好きだ。

毎日まめに手帳を書いて、それで人生変わる人っているんだろうか?本当にいるならお目にかかってみたい。

2017-09-05

方言に残る完了形

はてなブックマーク - VIPPERな俺 : 日本語口語文法)のクソな所で打線くんだwwwwwwwwww

http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/news23vip/archives/5262274.html

完了形に関し、方言言及したブコメがあった。例文をあげるとしたらこんな感じ。

雪の降りよる(雪が降っている。現在進行形

雪の降っとる(雪が降っている。現在完了形。朝起きて、雪はすでにやんでいるけど積もっているのを見たときなどに使う表現

2017-06-03

現在完了形本質過去形否定意味を消すこと

サウスパークの有名なフレーズ "Oh my God! They killed Kenny!"(オーマイガー!奴らケニーを殺しちゃった) というのがあるが、実はこれは、少しおかし英文だ。They killed Kenny.だと、今は死んでない、というニュアンスが生じかねない。(あと"Oh my God"はバチ当たりなフレーズで、本当は"Oh my goodness!"とか"Oh my gosh!"といった形でぼかして使わなければいけないということも周知されるべき。外国人の前で気楽に「オーマイガー」といってしま日本人が多すぎて怖い)。

They've killed Kenny.の方がより正しい。They've killedなら、殺して、生き返っていないという意味がはっきりする(ケニーは次の話では生き返っているのだが、発言時点ではまだ生き返っていない)。よく聞くとThey've killedと言ってることもある(たとえば http://southpark.cc.com/full-episodes/s02e04-ikes-wee-wee の13:30あたり。字幕を出すとよく分かる)

特にアメリカでは、現在完了形を厳密に使わず過去形にしても、文脈から読み取ってくれる。死んだら生き返らない、というのは常識から過去形の"They killed Kenny."でもかまわない。しかし"I had a pen."(私はあるペンを持っていた)なら、日本語でも、今は持っていないと類推されるだろう。「私はあるペンを持っていた、そしてそのペンを、今でも持っている」という表現を、日本語では一言では言えないというところに、現在完了形の難しさがある。

I saw him.(私は彼を見た)なら、今は見ていないのは明らかだろう。I've seen him.の場合、今でもずっと見続けているというのは変なので、「私は彼を見たことがある」とか「彼と何度も会っている」といった感じになり、文脈から何がいいたいか感じ取る必要がある。I've just seen him.だと「ついさっき彼を見たところだ」という意味になるが、アメリカ英語では"I just saw him."と過去形の方が自然になる。今は見てないわけだから過去形の方が自然じゃないかという気がする。

She went to America.(彼女アメリカに行った)だと、その後どうなったのかはよくわからない。完了形では、She has been to America.(彼女アメリカに行ったことがある) She has gone to America.(彼女アメリカに行って、まだ帰ってきていない) She has been in America.(彼女アメリカに住んでいる)といった使い分けができる。

過去形現在完了形をどうやって使い分けるか

She went to America.のような文を書くと、過去形なので「今はもうアメリカはいない」というニュアンスが生じる。でもまだアメリカにいる場合は、その表現では不正確だ。なのでShe has gone to America.と書く方が良い。

2016-09-23

http://anond.hatelabo.jp/20160923133955

日本語現在完了形がなくて、現在形と過去形のみだと言われているけれど、

いかがでしたでしょうか?」は、その不備を補うために現れた新しい表現かもしれませんよ。

2012-11-11

世間体とは宗教進化

宗教とは一言でいえば「考え方」だ。

宗教を持たない集団はない。人が複数集まって生活する以上何らかの共有規範はあるはずだから

一人で生きるにしても思考を持つ人間である以上、考え方を持たないことはない。

誰の考え方かというと「世間の多くの人」だ。

宗教世間体の違いは何かというと、

前者はある集団が真善美として普遍化されようとするものであるのに対して、

後者自分価値判断はさておき既に世間普遍化されているものである

現在進行形現在完了形の違いと言ってもいい。


日本以外の国、特に途上国も早く宗教世間体進化すればよいのに。

そうしたら不毛な争いや差別殺戮は劇的に減るだろう。

西洋人は「何をしても神様が見ている」と考える。それが規律になっている。

東洋にも「天網恢恢疎にして漏らさず」という似た考えがあるが、

日本人場合神様に該当するのは「世間なのだ

2012-05-18

なぜ中途半端なバカどもが借金してまで大学に行くのかよくわからない。本当に。

普通貧乏

 自分らで思ってるわりには有力でも有名でもないことで有名な私立大学文系学部に入った春、僕は貧乏人たちと出会った。

 奨学金存在自体は知っていた。優秀な学生や困窮の極みにある優秀な学生が実質無料高等教育が受けられるなんて、日本はなんて良い国なんだろうと思っていた。さすがは先進国だ。福祉が違う。おかげでどこかの学生みたいにバイトなんかしなくてもいいし、一心に勉学に打ち込める。うち程度の大学にはあまり縁のない話だが(まあしかしその程度でも援助に値する将来性のある人材はいものだ)ともかくもすばらしい。大学全入時代とは、つまりみんなが好きに好きな分野を学べる、そういう幸福時代なのだ勘違いしていた。国がお金を「くれる」ものと。

先輩たちの話

 例えば目の前に一人の先輩がいる。彼をA先輩と呼ぼう。A先輩はまるで平凡なナリと面の童貞で、平凡な成績で、おそらく家庭環境も平凡なのだと推測される。父がサラリーマンで、母が主婦パートタイマーで、かつ子ども自身は地方公務員志向しているような、僕の感覚すれば極めて平均的でありふれた家族一億総中流の名残。

 しかし先輩は奨学金を受給している。

 意味がわからない。彼の成績はなるほど悪くはないが、抜群ではないし、っていうか講義サボってるし、飲み会で聞いた生い立ちには生活保護の「せ」の字も出て来なかった。

 その上バイトもしているという。

 意味がわからない。あんた、奨学金受けてるんだろ? すると彼は不思議そうな顔でこう答えた。

「でも借金から。返さないといけないから」

 聞けば、大学四年間で支援され他数百万を、後日弁済しないといけないという。する義務があるという。血の気が引いた。

 地方公務員給料というのがいかほどは知らないが、少なくとも完全に返済するのに何年もかかる額であることはわかる。自分の生活を切り詰めないと、ひねり出せないような負担だ。バカなのかと思った。なんでわざわざ借金しに大学に通ってるんだ? なんで高校卒業したら即就職しなかったんだ? そんないい大学でもないだろ? そんないい将来が望めるような就職予備校じゃねえだろ? マゾなのか?

 

 もう一人、A先輩と似たような境遇童貞存在する。彼をB先輩と呼ぼう。バカのBだ。B先輩がA先輩と違う点は、大学院を志望している点だった。しかも、うちの大学の院。専攻は民俗学

 バカなのだろうか。バカ決定でいいと思う。

 私立文系の院が絞首台への階段であることは今時分、三歳のガキでも知っている。僕ですら知っている。信じがたいことに彼は院で更に奨学金、もういい借金と呼ぼうこれは借金だ、大学院借金を上積みしようとしている。っていうか2012年現在、彼は現在完了形借金した。学部時代借金と連結すると、総額で一千万に達する。

 今のところ彼が富豪の隠し子で将来的に大いなる遺産が転がり込んできて紳士に成り上がるという予定は聞かない。今儲かるベンチャー社長出身モード民俗学博士号にあるという事実も聞かない。もしかしたら、その博士号がいずれ投資の倍額で売却できる日が来るかもしれない。

 B先輩はA先輩や僕と違い、学問的なポテンシャルやアンビションに恵まれていた。

 朝、大学図書館が開くとともに分厚い専門書を抱えて閉館時間まで篭りきりでノートをとるような人。専門外からするとフィールドワークとかしなくていいの?などと心配してしまうが、ある程度は優秀な学生ではあると思う。ある程度までは。

 残念ながら、飛び抜けて優秀かといえばそうではない。彼以上の人材は世の中にゴロゴロしていて、たとえばそういう人達国立大の院などへ籍を置いているはずだ。その差を埋めるほどに処世に長けているかといえば、大人しすぎて不器用な人なので、どうだろうか。

 彼自身も漠然とした不安は度々口にしている。「このままでは先は暗い」「不安だ」。バカか。だったら、さっさとスーツ着て説明会行って訳知り顔で頷きながらメモ帳にこまめにネコ落書きを描きつつ質問タイムになったら何も考えてなくても元気よく手をあげろ。

 けれど、僕はB先輩がそんなはしたない真似をできる人間ではないことを知っている。それだから、一千万借金をひっかぶったわけだ。彼が引っ込み思案だという、それだけの理由で。まるでクソみたいに素晴らしい世界だとは思わないか

わたしがかんじたこと

 こうした個別のケース経験から僕が学んだのは「『中流世帯』の家庭の子供もフツーに奨学金を得ている」「彼らは特に優秀なわけでも、学問的に意欲が高いわけでもない」という事実だった。一人暮らし先に引っ越す前夜、僕は父親から「お前の入る大学なんて、遊ぶかバイトするためにしか学校に通わない役立たずどもしかいない」と失望気味に脅かされたが、彼の認識は誤っていた。彼らは借金をするために大学に通っていたのだ。

 ショックだった。僕はそれまで「大学に進学するには『普通の家庭』の収入で十分」と思っていたから。だって、そうじゃないと日本人の半分も大学なんかいかないでしょ? そうじゃないと誰もこんな大学入らないでしょ?

 B先輩のように「学問しかない」人間ならまだ理解できる。人生を賭けるとまではいかなくても、わずかでも学問に興味を抱く人間ならば平等に機会を与えられるべきだと思う。でもほとんどの三流大学生学習意欲などはない。彼らはただ高校時代中学時代とおなじように「大卒」の資格を得るためだけに出席カード名前を書いている。

 わからない。そこまでして「大卒」の資格を得たいものなのか? 何百万もの借金に見合うような肩書きなのか? 半世紀前ならいざしらず、就職市場は冷えきっている現在では数年で借金を完済できるような職などまず望めない。学生時代にかけられた呪いと向こう十年二十年はつきあっていかなくてはならない。「大卒資格と引換えに。

 僕の地元の友人は、高卒地元企業就職した。彼は家に相応の金を入れつつ、こつこつと貯金をためながら現在彼女との結婚のために準備しているという。

 彼は兄を憎んでいる。彼の兄はやはり地方無名私立大学入学して、穀潰し生活の六年目に突入しており、その学費の一部は友人の「上納金」から出ている。長男にまだ一定の優越権が認められている田舎の話だ。

 友人はそれなりに頭は良かった。勉強好きではなかったが、努力家だった。もし将来を見据えて本腰をいれて勉強に励めば、僕なんかよりランクが上の大学だって夢じゃなかったはずだ。だが彼は「うちにはお金がないから」という理由から進学を断念して、高校で僕と道を違えた。僕は彼の家の貧乏を哀れんだ。彼が「特別なケース」だと錯覚した。でもそうじゃなかったんだ。友人の進学を阻んだのは「お家は長男のために」という冷徹田舎力学であって、「経済的理由」は二次的な障壁に過ぎなかった。今うちの大学は、彼の家とそこまで経済事情の違わない別の地方の子供たちで溢れている。彼らには友人と違って、憎むべき「兄」が存在しない。自分を恨むしかない。惨めな私立にしか入れなかった自分の頭を。

 就活生の狂気じみたテンションは、そんな後ろ暗さを払拭したいところから生まれたのかもしれない。そのチャンスを逃したら、借金は一気に人生を破滅させる獣へと変わるのだ。意識が高くないと、やってはいけないのだろう。

 

 経済価値においてはすでにひっくり返っている気がしないでもない「大卒」の肩書きを、それでも「行っといた方がベター」という空気のために、手に入れなければならない。「大卒」は「高卒」よりも選択肢の幅が広がるし、立派な生活が保証されるという。本当だろうか。東大京大早慶以外の大学でもその神話有効なのだろうか? 明日潰れるともしれない中小ブラック営業職で十八時間労働を強いられる「大卒」は定時であがれる僕の友人より幸せなのだろうか。二十年後三十年後の給料に差はでるかもしれない。だが二十年後三十年後に前者はまだ生存していられるのだろうか。

 飲み会の席で、A先輩の伯父さんが最近自殺したという話を朗らかにされた。

「そうなんだよ、死ね奨学金帳消しになるんだよ、死ねばさあ〜」

 なぜ彼は笑っていたのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2011-05-30

 When S V~とか、明確な過去時の表現を伴ってはいけないのは現在完了形だけだったんだ。過去完了は別にいいんだ。どおりですっきりしなかったわけだ。

2010-02-17

リフレ村の司祭様かく戦えり

せっかく2時間もかけて前のエントリーを書いたのに、丸一日経っても誰も読んでくれないよ…と涙に暮れていたのですが、なんとお褒めの言葉付きで長文のリプライが!「もうこれは2chに自作自演宣伝書き込みをするしかない」、と悲壮な決意を固めかけていたのですが、ああ、神様、どうやら私は人の道を踏み外さずにすみそうです。

馬鹿なことを書くのはこれくらいにして本題に入りましょう。

http://anond.hatelabo.jp/20100217164344

「中銀が高めのレートでインフレターゲットを実行する」能力も意志もないのです。処方箋はあるのに肝心の中銀がそれを採用しようという意思がないのです。

こんな中銀ですから、平時においてインフレ率を高めに誘導しておく必要が、すなわち名目金利引き下げの余地を残しておく必要があるのです。

名目金利引き下げの余地を残しておいて流動性の罠に陥らないようにしておかないといけないのです。

まず、ブランチャード(フランス語読みではブランシャール)らがここで書いた文章の表題をもう一度確認してみましょう。”What we thought we knew”とあります。直訳すれば「我々が理解していると考えていたこと」でしょうか。

ここで過去形になっていることは非常に大きな意味を持ちます。これは「今はもうそうは考えていない」ことを意味しているからです。日本語的な発想では「過去にそう考えていたとして、今どう考えているかは分からないのでは?」と思いがちですが、今も引き続きそう考えているなら英語では現在完了形を使わなければなりません。

英語はこの辺りの時制のコントロールに対して非常に厳密です。ですから、1970年のJohn Smithの論文がこう主張している、という表現をするときには、J. Smith (1970) arguesと書くのが普通です。論文自体が書かれたのは40年前ですが、Smithの主張が今も有効であるならば、現在形になるのです。逆に Smith (1970) arguedと書いた場合、この著者はSmithの意見を既に時代遅れなものと見なしていることになります。

つまり、私の翻訳した部分はブランチャード自身が「既に時代遅れである」と判断したことについて書いてあるのです。翻訳では若干時制が不明確になってしまっていますが、『中央銀行が将来の高い名目マネーサプライ成長率とひいては将来の高いインフレーションコミット訳注約束)できるなら、中銀は期待インフレ率の上昇によって将来の予想実質金利を低下させ、それによって現在の景気を刺激することが出来る』という下りは、原文では

The formal argument was that, to the extent that central banks could commit to higher nominal money growth and thus higher inflation in the future, they could increase future inflation expectations and thus decrease future anticipated real rates and stimulate activity today.

となっています。過去形に注目してください。ブランチャードはこの議論を最早信じてはいないことがここからも分かります。過去形解釈について納得がいかない方はマークピーターセンの「日本人英語」辺りを読んでみると良いでしょう。

つまり、ブランチャードが批判的に取り上げているのは、「処方箋があるにもかかわらずそれを採用しようとしない中銀の存在」ではありません。処方箋に問題があるにもかかわらず、それを中銀の意思と能力の問題に矮小化してしまった経済学者の態度こそが批判されているのです。だからこそ、前回翻訳した最後の部分で『公平を期しておくと、Fed日本経験を無視したわけではなく、2000年の初めにデフレリスクを憂慮した論文を発表している』と添え書きされているわけです。経済学者にも良心的な態度を取った人がいたことは、公平のために言及しておく、と。もしも「リフレ処方箋」にコミットする能力と意思を中銀が欠いていることをブランチャードらが問題視しているなら、to be fairなどと書くはずもないことは文脈から明らかでしょう。

ですから、

将来のマネーサプライ増と将来のインフレとにコミットする能力も意思も欠いた中銀だからこそ、4%のインフレ率が必要となるのです。

将来のマネーサプライ増と将来のインフレとにコミットする能力も意思も欠いた中銀だからこそ、流動性の罠など恐るるに足るのです。

流動性の罠に陥らないようにするために、4%(具体的な数値は検討の余地があるでしょう)のインフレ目標が必要になるのです。

この解釈ブランチャードらの論文から引き出すことは出来ないと思います。この論文で議論されているのは徹頭徹尾経済学の問題であって、「能力と意思を欠いた」中央銀行に対して批判的な表現は、(上でも書いたとおり)少なくとも私の読んだ限りでは全く見当たりませんでした。中央銀行能力も意思もないから、それを前提に現実的な経済理論を再構築しよう、とも書いていません。今まで半ば普遍的に信じられていた、「2%前後で安定したインフレ率が望ましい」という経済学者コンセンサスそれ自体に疑義を唱えているのです。

加えて、中銀が無能ないしは怠惰であるという理由以外で能力/意思を欠いているのであれば、それは中銀の問題(だけ)ではなく処方箋の側に(も)問題があると考えるのはごく普通の理解であろうと思います。例えば、中銀にそもそもコミットメント能力が備わっていないならば、それを前提とした処方箋は無効であることは当然ですよね。

「いかにして流動性の罠に陥らないようにすればよいのか」を問題にしているブランチャードが、「いかにして流動性の罠から抜け出せばいいのか」という問題への処方箋であるリフレ政策を支持するはずも否定するはずもないのです。

前回翻訳した部分をもう一度参照してください。なぜブランチャードらは2%のインフレ率を望ましくないと判断したのでしょうか。ブランチャードらは過去にも「2%のインフレでは低すぎる、利下げ余地が小さすぎる」という懸念があったことを紹介しています。そして、その懸念は「ゼロ金利になっても、中銀が将来のインフレコミットすれば大丈夫だ。」という、Eggertsson and Woodford (2003)らの議論によって葬り去られました。そして、日本金融政策の失敗を受けても、一度葬り去られた懸念が見直されることはありませんでした。

そして、世界中ゼロ金利の罠にハマった後、ブランチャードらはようやく「2%のインフレでは低すぎる、利下げ余地が小さすぎる」という懸念を復活させます。それは、「いやいや利下げ余地が小さくても問題ない、打つ手は他にある」、というリフレ派の議論がもはや有効とは言えないと考えられたからこそなのです。繰り返し書きますが、「流動性の罠から抜け出す簡単な方法は存在しない」からこそ、利下げ余地が論点として再浮上し、高いインフレに伴う経済への負担を覚悟してでも流動性の罠に陥らないようにしようという結論に至る、という論理構成なのです。この論文はかなり読みやすい英語で書かれていますので、暇があれば通読なさると良いでしょう。

また、以上の説明から、最終段落で言及されている「ブランチャードらは流動性の罠から脱出するためのリフレ政策を支持していると読めないこともない」点は、誤読であると申し上げるより他ないことはご理解頂けるのではないかと思います。この辺りも、原文に当たられた方が文章の雰囲気と構成("stood more uneasily in the way"や"to be fair"など)をよりはっきりと掴めるでしょうから、原文を当たられることを繰り返しお勧めします。

最後に、ブランチャードが書いた部分を、少し分かり易く脚色してみます。

とあるところにあるリフレ村で司祭様が村人に説教をしています。

司祭 「全能なる我らが神はこの村の人々を温かく見守ってくださっておる。なんの心配もいらないよ、君たちは選ばれた民なのだから。100年前の大飢饉大恐慌)では人々は神への祈りを捧げなかった。だから多くの民が死に絶えたのだ。だが今は違う。私が正しい神への祈り方を教え授けている。神は我らの祈りを請け給うたのだ。」

 「司祭様。それでは何故私の父は病に苦しんでいるのでしょうか。既に10年以上、病床を離れることが出来ません。」

司祭 「…それは、あなたの父親の信心が足りないからだ。神を理解する能力に欠けるからだ。彼が心から神を信じているならば、彼の病が長引くことなどあり得なかった。家に帰って彼に伝えなさい。悔い改めよ、と。さすれば彼はたちどころに快復するであろう。」

これは新興宗教の必勝パターンでありまして、この父親が毎日祈りを捧げても(量的緩和)、喜捨の額を増やしても(国債買いオペ増額)、病から快復しないならば「信心が足りない!まだ不十分だ!」と言い続ければよいのです。楽な商売でございます。

ただし、この戦法は多くの村人が病にかかってしまうと通用しなくなります。挙句の果てに村の外からは賢者様がやってきて、「いや、そのお祈りじゃ患者は救えないでしょ。治療法は確立されてないし、一度病気なっちゃうと後が大変だから、とりあえず患者が増えないように予防策を考えようか」とおっしゃっておられます。

さぁ司祭様の立場は一気に悪くなってまいりました。石もて追われる5秒前!しかしこのまま大人しく村を去る司祭様ではありません。一発逆転の隠し玉は当然用意してあるはず。疫病快癒の大祈祷でもって見事リフレの神のご威光を天下に知らしめ、村人達笑顔を取り戻して下さるに違いありません。

というわけで、外野増田矢野先生(及びリフレ村の司祭様方)の逆転の一撃を心よりお待ちしております。

 
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