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はてなキーワード: ADHDとは

2023-02-22

メンタル問題自分をノンバイナリーと思い込んでいた話

トランスジェンダーとその差別問題話題になってるから私の体験談を書きたいと思う

増田なので叩きは好きにどうぞ

当方23歳女

ASDADHD持ち

公立小学校特別支援学校高等部

精神疾患はないが精神科にかかっている

小学校の時は、絵が上手い子で有名だったし、大人しくて目立たない子だったけど、女の子らしい子ではなかったな

まり2013年精神科デビューしたこと

昔出された性教育の本は読んでいたし、言葉能力は優れていたので性知識Wikipediaで得た

精神科デビューの少し前に生理が来て、感覚過敏やら内科的な痛みに敏感なのもあってこの上なく嫌だった

当時は精神科医も支援者も、まだ変なのがいた

私のネット依存に対して、ネット機器を取り上げたりとか

後に知ったことだが依存症から依存対象物(例えばアルコール依存症ならアルコール)を取り上げるのはよろしくないんだって

それから自分はなんなんだろうか」と考え込んだ

性同一性障害と思い込んだんだけど、これは性同一性障害Wikiを見て存在は知っていたのでそれを思い出して「GIDかな?」と考えてた

バイセクシャルなのかもとぼんやり思っていたが、当時は明言できる程ではなかった

今はミレーナ入れてるけど、当時はPMSと経血が垂れる感触が嫌で何とかしたかった

当時は二次障害もあって母娘共に地獄だった

母親しょっちゅう殴ってたし、中2から不登校になった

ネトゲ廃人に片足突っ込んだり昼夜逆転して散々だった

でも上下両方の手術、ホルはしたくなかったし、可愛らしい女性と思われたいので胸や女性らしい体型はまだ好きだった

当時好きだった椎名林檎が歌えなくなるのが大きかった

この頃から自分ジェンダークィア、ノンバイナリーと思い込むようになった

ネットで調べて当てはめていったらそうなったんだと思う

その間に、精神科病院を何度も転院した

ネット禁止は1つ目の精神科だけど、2つ目の精神科先生が若手の人で慣れておらず、暴れる度に薬を大幅に増やされた

3つ目の精神科なんか最悪だった

先生が、言っていることは間違いでは無いが伝え方が下手な先生だった

例えば中3の私に「過去5年間にやった事を反省しろ!」とか、殴りたくて殴っている訳ではないのに「人を殴るのは異常だ」とか

それで病院に行く度にストレスを感じていた

思えばこのストレスもあるんだと思う

その後高等部に進学した

養護学校では一応形だけの受験はあるけど、学力を見る側面が大きい

その前後(2015年位)からLGBTが取り沙汰され始めた

それもあって余計に自分の性について色々考え始めた

女性の体はそのままでたかたから、エロ漫画であるようなふたなり女子になりたいと本気で思っていた時期があった

数年後

3つ目の精神科先生の幻影が見えた

それを突き飛ばしたら婆さん2人だった

言い訳にもならないが当時は病院にもろくに行ってなくて、切羽詰まった状況だった

よく心神喪失とかあるやん?あれは善悪区別がつかないと言うより、どちらかと言えば「そうせざるを得ないほど正常な判断ができない」に近いと思ってる

事件化して、私は逮捕された

逮捕時の取り調べで部屋に連れてこられた

あるのは大きな白い机とシンプル椅子刑事ドラマであるようなライトはない、あるのは軽いデジタル時計だけ

危険防止の為らしい

そこで身上を書いたり色々供述を述べた

時度供述調書を見せてもらい、必要に応じて私が手直しした

弁当差し入れられた

少し温かく、普通に美味かった

さなカリカリした梅干しの入った弁当だった

そこで精神科入院となった

3つ目の精神科

私は嫌だと言った

白い車に乗せられた

扉を開けると保護室だった

3つ目の精神科は、個室はおろか保護室にすらナースコールのない病院だった

先生から簡単には退院させんぞ!」と言われた

すぐさま私は怒って退院請求をした

理由もきちんと述べ、転院したいと書いた

それもあり私は転院し、そこで認知行動療法などの治療を受けた

ここでの治療については、専門書の類ではないのと、読みやすさの観点や本題とずれるので詳細は控える

その頃から患者さんとのやり取りなどで異性愛の男女の作法や、一般常識を徐々に知り始め、自分はノンバイナリーではなく、本来ビアン寄りのバイセクシャルではないかと考えるようになった

退院後は一悶着あって、その反省で自立の為の繋ぎとしてだが、生保を貰い一人暮らしをする事になり、彼氏も出来た

まだ先だが、彼氏同棲する事が決まればもちろん生保は切るつもり

最近、休息の為に入院したのだが、入院中に離人感(自分と外の世界の間に膜が張られているような感じ。現実世界VRに見えて少し面白かった)と解離性健忘(色々忘れて彼氏に怒られるくらい酷かった時期がある)が治った

安心出来る環境であったことなど様々な要因が絡んでいるのだと思う

私は忘れていた記憶を取り戻した

ずっと抱えていたもの

何となくモヤモヤする感じがあり、それにより分からなくなっていたのだ

それを自覚してからはノンバイナリーという概念から縁を切った

2023-02-21

anond:20230221214113

単純に疲れてるってことない?

自分集中力なくて壊滅的に片付けできなくてADHDかと思って検査受けたらとくに問題なくて、

激務の仕事からフルリモートの楽な仕事に変えたらかなり困りごとが改善された

学生時代から死ぬほど忙しくしてたから気づかなかったけど自分はずっと疲れてたのかもしれないと思った

口頭説明理解できない&口頭説明が出来ない

クッソ悩んでるんだが同志いたら解決法を俺に授けてくれ

口頭で言われたことが俺は頭に入らない。情報が抜け落ちるというか、声が音としては処理されるが情報として処理されないような、そんか感覚といえば伝わるんだろうか。復唱すると2割ぐらいは頭に残る。

社会に出てから俺はこの症状に苦しんで幾度となく転職をした。そして苦しんで短期で離れるを繰り返しジョブホッパーカスになってしまった。俺の手元に残ったのは社交不安障害高卒という学歴と汚い履歴書とまともに書けない職務経歴書だけだ。

ADHDの友人に「増田発達障害だと思う。」と言われたことがあった。そうか、精神科相談すれば解決の糸口が見えるのかもしれない。精神科のドアを叩き、予約3ヶ月の末に発達障害検査を受けた。動作性と言語性に差はなく、全IQ105と、ザ・健常者だった。

頭がとりわけ良くなければ、悪くもない。そんな結果だ。臨床心理士の診断結果の文言の中に「増田さんは質問の聞き間違え、取り違えが目立つ」と書いてあった。いやそうなんだよ、そんなん自覚症状あるんだよ。俺はどうすりゃいいんだよ。「落ち着いて、一つ一つのゆっくりこなしていきましょう」と言われた。どこに行っても生産性を求められてきたので、そんな仕事あったら紹介してほしかった。

おそらく俺は耳情報が弱い。調べてみると感音性難聴の気もあるし、カクテルパーティ効果も働かない。そして、どこの職場に行っても口頭説明が多い。高卒で頭の悪い30代を迎える俺でも出来るテキストベースで出来るような仕事があれば良いが現実にはない。

俺みたいな人ってどんな仕事をしているんだろうか。

2023-02-19

ADHDの知られざる諸症状

・何でもすぐ飽きる

よくあること。これすごい!!と思って買っても三日すれば飽きる。

・尿関係トラブル

いろんな理由はあるけど漏らしたり頻尿だったりする。

・味覚や触覚の過敏がある

これにより不養生ファッションのダサさがある

でも好き嫌いとかの範疇を超えて無理なのマジで

anond:20230219183200

1秒家出るのが遅れたら失敗だと思うADHDの人?

迎撃ミサイルと違って、数ヶ月は発射期間あるんだよ。

やっとわかったよ、

雑談とは、共感目的とする行為なのだと。

から

天気の話は、ふつう大して共通項の無い他人と、同じネガティブ鬱屈ポジティブな状況の変化を喜べる。

もちろん、

それで自分の持っている情報で会話のマウンティングをすることは雑談ではないですよ(苦笑)、

(だからオマエはいつまでたってもオタクとかADHDとかASDとか謂われ)



目的は何をすることだったのか、よく考えよう!

2023-02-18

anond:20230218090237

事前準備と後始末は、できない奴にやらせなきゃいいだけでは?ADHDとかだとどう頑張っても事前準備と後始末ができなくて無理かもだけどそのケースは付き合う段階で織り込み済みでしょうし

2023-02-17

発達障害とかトランスの人ってあまり理解されないか理解されないことによる辛さってあると思う。

昔養護学級にいたけどADHDのことをあまりわかってないんじゃないかって発言が多かった。

今はどうなんだろうね

2023-02-16

anond:20230216204503

ADHDについては今は良い薬が複数あるんだから飲ませれば良いのに

それとも飲んでてその状態

子ども発達障害で家庭崩壊してる

良い子でがんばり屋さんだったら息子が、9歳くらいに爆発して不登校になった。それから2年たった。妻はカサンドラ状態になり、私は無気力暴力装置との極端な行動目立つようになり、家庭が崩壊した。息子は不登校引きこもり病院にも支援施設拒否して診断に至っていない。人間関係が苦手で感覚過敏があるASD的側面と、すぐイライラする我慢できないADHDの側面を併せ持っていて手のつけようがない。暴言暴力無気力発達障害グレーゾーンから悪化という状態。親がカウンセリングに駆けまわってアドバイスを聞いて実践するも、どうもうまく行かない。

発達障害不登校は、当事者になるまでこんなに生き地獄だと思わなかった。家庭は崩壊してボロボロ。生き地獄だよ。

2023-02-15

anond:20230215122243

自分に原因があるもの社会問題だと思い込むことで一時的幸せなんだからいいんじゃない

本当はシンプル頭が悪いんだけどADHDなんだって思うことで受け入れられるのなら、それは幸せじゃん

2023-02-13

TODOリストタスクをやっつけるようにしたADHDだが

やっぱり本当にやらなきゃいけないことを避けて避けて最後にそれに辿り着くことになるのにいつも笑ってしまう。

優先順位をつけようとすると気が狂いそうになるので「できそうなところからやって、そのかわり書いてあることは可能な限り全部やる」作戦をとってる。

ブルーロックかい時代錯誤漫画

ブルーロックという漫画を読んだ。確かに面白い

サッカー天才を育成するために、300人を集めてさまざまなミニゲームやらせて成長させる。

今まで人気のあったデスゲーム×能力バトル×バトル漫画試験編を、スポーツ漫画に織り交ぜて作った漫画


ただ申し訳ないのが、やってる内容というのが時代錯誤しか思えない内容、ということだ

ブルーロック目的が「1人の天才」を生み出すために299人を犠牲にさせる

その中で「エゴイストであることが賞賛され、推奨されているのだけれど

今のサッカーや、サッカーだけでない現代の現状とマッチしてないのだ。


現代サッカーは「個の時代からチームの時代」と呼ばれている。

これを読んでる人の中で、「日本代表で1番強いサッカー選手はだれ?世界中で1番上手い人は?」と言われても、即答できないだろう。


サッカー戦略トレーニング方法が均質化、高度化し、過去視点から言えば「天才が1万人居る」状態になっている。

それに従い、サッカー戦略も「個人を中心にプレーを組み立てる」から役割競技」へと姿を変えたのだ。


一般社会でも、食品だけでなくさまざまな営業、開発において技術が均質化し、突出した個人が生まれにくくなっている。

「コツコツと言われたことを着実にこなす定型がどの分野でも成果を出し、性格に癖のあるADHD型は「凡人以下」へと成り下がった。


ブルーロックはそんな社会の変化から取り残された「天才への憧れ」を捨てきれない世代に向けて書かれた漫画だ。

理解のある彼くんの彼女

バイト先で、障害者割引を使いたいと手帳提示してきたお客さまがいらした。

20代半ばくらいの男女カップルで、手帳を出した女性の方はまあ腕くらい切っててもおかしくはないかなって雰囲気

まじまじと手帳の中身を確認したりはしないので確証はないけれど、恐らくメンヘラ界隈の方。じゃあ隣に居るのは所謂理解のある彼くん』かあ……。なんてちょっと羨ましくなってしまった。

私はうつ病パニック障害→双極II類と診断されてきていて(通院は今はしていないが、ODはしないだろうという信頼のもと得た頓服が300錠くらいあるので生き延びている)尚且つ兄弟療育育ち元手帳持ちの所謂ギリ健と言われる発達障害持ちがおり、私自身も学生時代親にADHDでは?と診断を勧められた経験のある発達障害疑いアリの、まあまあ立派なメンヘラである

でも!私には!理解のある彼くんなんぞ居たことがない!!!

うつ病になったとき彼氏には「うつ病とか甘えだから無理」と言われ、うつ病寛解後にパニ障になったとき彼氏には「俺には面倒見られない」と言われ、

わかる、わかるけど……私だってメンヘラ相手することあるけど、擦り切れるし、わかるけど!

と思ってたのに、世の中には案外居る。理解のある彼くん。

最初からメンヘラだと名乗れば良いのか?と思うが、親しくもない人に打ち明けたくない。

でも関係が深くなってから実は〜と明かすのもずるい気がする。だって多分、私がメンヘラだって知ってたら彼女には選ばないだろうし。

とここまで書いてみて気付いたけれど、多分理解のある彼くんに出会えてる人は、割と多方面に、最初の方から『弱い自分』を曝け出せてる人なのかもしれない。

そう考えるとなんか色々言われてるけど『理解のある彼くんの彼女』たちはすごく勇気のある人なのかもなあ。指咥えて羨んでるだけじゃ駄目だね。はあ。

2023-02-10

anond:20230209200124

人に合わせて上司マネージメントの仕方を工夫すると伸びる人は結構いる。

あと、ADHD, ASD 傾向のある人って突飛な新規アイデアを考え出して動くのが比較的向いてるから新規事業というが合ってたのはあるかも。

新規事業って失敗はつきもので数出してチャレンジするのが肝だから

オレもADHD, ASD 傾向で、保守的日本企業空気読めないダメエンジニアだったけど、いわゆるベンチャー行ったら役員レベルまで上がった。

まあ、いまでも細かいミスしまくって総務・経理の人には頭が上がらないけどね。

anond:20230209200124

同調してるADHDが多そうだけどこんなのはレア中のレアケースであなた方はただの無能です

2023-02-09

社会人7年目だけど上司が変わったらナンバーワン成績になった

クソ無能ミス多すぎADHDゴミ野郎です。

以前『社会人2年目だけど上司が変わったら仕事ミスが無くなった』って記事を書いた者です。ご無沙汰してます

https://anond.hatelabo.jp/20160916213845

超有能上司の下についてから仕事ミスがなくなった俺だけど、あの後すぐに別部署へ異動になり、そこがもう超パワハラ昭和上司。何を聞いてもすぐキレる、言ったことはコロコロ変わる、末端の仕事を全く把握していないの最悪上司。すぐにクソ無能に元通りになりました。

そんな感じで社会人6年目、新規事業の立ち上げの為に俺が別部署に飛ばされた。管理系の仕事から、社内でも全く例のない新規事業立ち上げだ。利益ほとんど望めない。立ち上げのための実働員は俺一人。新しい上司はメイン業務の片手間で俺を見ることになった。厄介払いなのは誰の目から見ても明らかだった。あらゆる人から仕事のできないゴミ扱いされ、行き着いた場所

そこで出会った新しい上司が今までと全く違う上司だった。

・話を必ず最後まで聞いてくれる。

相談時間は嫌な顔をせず必ず取ってくれる

・上からの指示がおかしければしっかり指摘する

・怒鳴らない

過去ミス絶対に擦ってこない

今まで最悪環境にいた俺にとっては目から鱗のような環境だった。

ずっと受け身だった俺が、たくさんの新規提案をした。上司の顔すら見れなかった俺が上司とのミーティングを何度もお願いした。意気消沈していた俺が燃えるように仕事をした。この人の下で絶対立ち上げ成就をさせたい。俺を無能扱いした奴らを見返してやる。

新規事業は無事立ち上がった。

最初から無理だろうと思われていたような高い設定の目標。その3倍の成果を上げた。誰もが驚いた。俺が一番驚いた。

しかもこの俺が、その年のナンバーワン社員として選出された。更に史上最低の無能扱いされていた俺がなんとマネージャーに抜擢され、今は部下に指示を出している。

環境次第で、人は変われる。

俺が部下と話す時はしっかり目を見て、最後まで話を聞く。頭ごなしに否定をしない。少しでも心地よく働いてもらえるようにしている。

これから無能なりに頑張るよ

2023-02-08

なんでここそんなにADHD大量発生するの

怖すぎる😨

逆張りを極める人生

ハッタショが馬鹿にされている時はプロフィールADHDと書き、LGBT馬鹿にされている時はdeepfakeで女装する

社会と逆を行きエネルギーを使うことで脳内報酬を得るのだ

外国で暴れて精神科に入れられたんだけど

なんか書いたけどクソ長いか外国精神科措置病棟が気になるやつは下までスクロールしてくれ。

入院に至るまで

お前らは精神科入院したことはあるか?俺は一回もなかった。でも精神科/心療内科に通院はしてた。俺はADHDから毎日ストラテラを飲まないと仕事にならない。ストラテラは処方薬だから医者に行かねば貰えない。毎回医院に行って1分話して処方箋貰って金払うだけ。

ある時、俺は海外一身上の都合引っ越した。医療制度というのは国毎に大幅な差異がある。引っ越した先の国では生憎ストラテラは18歳以下のみの保険適用だった。やっとのことで見つけたクリニックの先生は、ビバンセを勧めてきた。言うには最新の作用機序リタリンよりOD不安もない。そして保険適用。かつてコンサータがまるで駄目な方にしか効かなくて3日でやめた記憶もあったものの、軽い気持ちスイッチしてしまった。

ADHDにはニ種類の薬がある、と俺は思ってる。集中力を高める薬と、気が逸れにくくする薬である。似たような響きだがまるで逆だ。後者が俺の相棒であるストラテラ、前者はコンサータ(どちらも先発名)。コンサータは薬というと聞こえはいいが、どちらかといえばヤクと読むべき、ほぼ覚醒剤である。もちろん患者が薬物依存になるとまずいので、徐放剤といってガツンとキメないように調整はされている。先生の勧めてきたビバンセもこの覚醒剤サイドで、違いといえば覚醒剤原料が体内で覚醒剤に変わるというところであるビタミンAじゃなくてカロチンなのかくらいに俺は認識していた。間違ってたら教えて。

そうして薬をビバンセに変えたら途端に寝れなくなった。初日なんて考えてるだけで夜が明けた。今思えば当たり前で、覚醒剤なんだから眠れなくなるのは当然だ。でも俺は一日の睡眠が減っても活動できると喜んでいた。季節は夏。高緯度の日照も相まってたいそう便利だった。

しかし季節が進むにつれ、困ったことが出てきた。まとまって考えることができないのである仕事の都合上ゆっくり腰を据えて考えられないのは致命的だ。家族にも最近まるで話ができないと呆れられている。俺は薬が足りないのだろうと考えた。先生相談して薬は一日40mgから徐々に増え、ついには120mgまで達した。高緯度では夏昼が長いかわりに冬がとことん暗い。俺史上で最悪の冬が迫っていた。

冬になると俺の考えはいよいよまとまらず、出前一つ頼むにも1時間かかるレベルになっていた。仕事でも当然頭は微塵も回らない。上司は進捗の無さに苛立ちを隠せず、俺は完全に途方に暮れていた。家族心配してるものの俺にも全く見当がつかない。しっかり薬を飲んでるのに…俺は焦って更に薬を飲んだ。そうして寝室に籠もって考えると、ふと人生とは詰んでいる気がしてきた。人生とは詰んでるから人生は詰んでるのだ!ただの循環論法小泉進次郎も逃げ出すくらいのアホくさい"証明"だが、当時の俺にはQEDと思えた。そして俺は一切の社会活動をやめた。

俺は恐怖に怯えて布団にこもる。世界は詰んでるから何をすべきかわからない。俺は何日も何週も寝てないように感じた。もはや家族もこの世界を詰ませた陰謀一角に違いない。俺は家族の一人をその首謀者と断定し、他の家族と俺は囚われているか処分しなければならないと画策した。幸いこの企てはすんでのところで失敗し、家族は俺を行きつけの精神科に連れて行った。そこでも俺は先生に向かっていか家族が俺の世界ダメにしたか語った。診断は統合失調症、なんか薬を処方されて俺はそれを飲まざるを得なかった。そして俺は意識を失った。

意識を取り戻すと俺は大変なことに気づいた。家族は俺を陥れるのに成功し、完全に俺は世界から分断されてしまった!行動するのは今だ、そう思った俺は誰かに家族陰謀告白するたった5,6行のメールを2時間かけてしたためて、覚悟を決めて救急車を呼んだ。俺はこの内容を見せて告発するんだ。しばらくして警察が家に来た。俺はぱっと玄関に出た。あれ、俺は鍵かけて閉じ込められてたんじゃなかったのか?それに警察?でも俺が家族に嵌められてることを説明するには誰でもいいか。そう思い俺は警察官についていった。本当は俺が傷害罪犯人っぽいか警察署に連れて行かれたんだけど、俺は家族が悪いと信じて決めつけている。警察官も通訳挟んでもまるで話が通じない東洋人にさじを投げたのか、救急車措置入院と相成った。

入院

救急車外国っぽい青いライトを光らせて夜の山道をひた走る。救急車に本人として乗るのに怪我一つしてないのは不思議なもんだなと、妙に冷静なつもりの俺は思っていた。どれくらい走ったか救急車は薄暗い建物の前に止まった。俺は促されるとおり建物に入った。石造りの古い建物で、照明もロクにない薄暗い廊下を右に折れて、15人位入りそうなでかい部屋に通された。巨大な机の向こうに何人か人がいて、書類に何通かサインさせられた。正直何喋ってるのか全然わかんなかった。部屋が暗かったのか、その人たちは顔だけ真っ黒に塗りつぶしたように見えた。その後は夜も遅かったこともあり、すぐ相部屋の寝室に通された。枕元にはスーパーで一番安い炭酸水ボトルが置かれていた。一杯だけ飲んで徐々にせり上がってくる不安に蓋をした。途中同房の人にトイレ場所を聞いたところ、寝ているように見えたもののすぐ教えてくれた。でも何言ってるか分かんなかったか自分で探した。

次の日起きて俺は焦っていた。なんで精神科入院してるんだ…言ってる意味が全く分からないと思うが、マジで焦っていた。

朝起きたら何もすることはない。みんなおもむろにロビーに出たり朝飯を食べている。それがまず気に食わない。生産的ではない気がする。周りのやつの目が全部死んでるように見える。ここにいたら俺は終わりだと思った。なんのことはない、家族仮想敵に仕立ててたのが精神科になっただけだ。なんだけど、俺は自分危機的状況に最悪なリアクションを取った。錯乱だ。

まずはでかい声を出して職員を探した。しかしまるで相手にされない。そのまま逃げようと思って大声を出しながら雪の上を素足で走った。しかし、精神科だけに柵がある。逃げ場はなさそうだ。少しだけの理性で俺は柵をよじ登るのを諦めて戻った。すると職員が騒ぎを聞きつけて何人か集まってきた。外に出れるチャンスか?俺は必死自分はまともだからここから出せと迫った。しか職員はつれない態度ですぐ俺を元のロビーに戻して対応をやめようとする。なるほど、騒ぎを大きくすればするほど対応する職員も増えるんだな。それを学習した俺は更に声を荒らげて職員を捕まえた。

彼は俺にこういった。あなたがまともなら、それでいいじゃないですか。俺は焦った、こいつはこのまま話を終わらせようとしている。逆を言えばいいのか?そう思って俺は自分サイコパスから危険から病院から追放したほうがいいと逆張りしてみた。そうすると職員サイコパスかどうかは血液検査しないと分かんないですねと返してきた。んなわけないだろ、その時の俺ですら分かった。分かったが、検査を受けないと何も変わらない気もしていた。なので必死サイコパスだね俺は危ないねと話を合わせ、とうとう採血までされるに至った。

しかしどうだろう、検査が終わったら彼は、はい用済みと言わんばかりに俺をロビーに戻すではないか。これまでの会話で勝手検査=退院と思い込んでいた俺は完全に頭にきて、いよいよ本気で暴れた。そうすると複数職員外国語で(当たり前だ)何か言いながら迫ってきた。それがちょうど進撃の巨人普通巨人みたいに見えた俺は恐ろしくて走って逃げた。ロビーから裏の通路を通って行き着く先は袋小路。ドアが閉められたとき、俺はそのドアにドアノブがない事に気がついた。

入った部屋は6畳くらいで、日本人感覚で言えば十分な広さだった。床はリノリウム、壁はクリーム色一色で、はめ込みの厚い窓が冬の寒々しい景色を切り取っていた。部屋には唯一つベッドが置いてあった。退院するために暴れてたのに閉鎖病棟に入れられるだって冗談じゃない。俺はドアをバンバン叩くがまるで開けてもらえなさそうだ。覗き窓からゴミを見るような職員の顔がちらりと見える。次に俺は窓を開けようとした。割ろうとも思ってこちらも叩くがなかなか頑丈でヒビひとつ入らない。この時点で俺は寝たら廃人になると思い込んでいた。ここ10日寝てない(体感から、寝たらパソコンRAMのように頭に入ってる記憶知識知恵すべてが失われ廃人になるに違いないと。しかし体は完全に疲労困憊していた。トイレに行きたいが行かせてくれる気配もまるでない。いよいよ俺は錯乱して部屋の中で小用を足した。これがもしかたら窓の外から目に止まり救出されるのではと思ったが、あとから思えばもし見えたとて重度の精神病患者が暴れてるようにしか見えないだろう。ともかく俺は疲れ果てて寝落ちした。

どれほど寝ただろうか、気がついたら閉鎖病棟に寝ていた。さっきの部屋だ。少なくとも廃人というには認知能力記憶連続性は失われてなさそうだった。あと、漏らして寝たはずなのに服やシーツは取り替えられていた。それには少なくとも満足した。

しかし俺はあまりの空腹と便意ですぐ耐えられなくなった。部屋は暗く時間も何日たったのかすら分からない。とはいえ2大欲求が充たされないことには始まらない。俺は再度ドアを叩いた。しかし飯が全く出されない。トイレも連れて行ってはもらえない。刑務所の部屋にはトイレがついてると聞いたことがあるが、この部屋はベッドしかない。ドアをひたすら叩いてようやく職員から得られたものは、おまるですらない用を足すお椀であった。このとき俺は完全に人権を失ってることを理解した。その後しばらくして食事も与えられた。ツナと冷たいジャガイモを混ぜた犬のエサレベルのもので、俺はさら人権がないと思って涙をこぼして食べた。こっちはよくよく考えると、実はただのメシマズな賄いだったのかもしれない。ともかく起きた日は俺の人生でも指折りの人権のない日だった。

次の日俺はまたトイレ交渉をしてみた。ダメ元だ。しかしあっさり外のトイレに連れて行ってもらえた。人は一度酷く当たられると、多少でもマシな扱いをされた時いいことをしてもらったのではと勘違いする。その時の俺はまさにそれで、トイレに行けただけで感謝した。同時にトイレに行けない可能性に恐怖した。何も口答えする気がなくなった。そしてその日はパンバターだけ食ってたまにトイレに出て終わった。

次の日は更に良くなった。部屋の扉を常に開きっぱなしになるように、食事も他の患者たちと取るようになった。もちろん俺はクワイエットルームに逆戻りしたくないから何も口答えはせず唯々諾々と従った。病棟全体には10人ほど入院していた。そのうち数人から閉鎖室に入れられるなんて可哀想にと同情されてしまった。そうして開かれた閉鎖部屋に何日いただろうか、ほどなくして相部屋に移された。

相部屋の相手はまともな学生さんに見えた。挨拶もするし自己紹介もしてくれた。ただ、虚空に向けて話し出すときと、段ボール箱ラジオと称して実際には携帯音楽を鳴らすときだけはヤバい奴だと思った。実際彼は軽症なのか、一週間ほどで退院していった。他の患者は古株そうに見えた。分かんないけど。常に冷蔵庫自分の食い物を入れては食べてるおばあちゃん、常に食洗機を回すおばあちゃん、常に電話してるトルコ人の女、2chにいそうな青年偶数日はクレオパトラ級のゴリゴリメイク奇数日はサロペットの地味子になる女の子、みんなそれ相応に精神を患ってそうに見えた。

部屋から出られるとはいえ閉鎖病棟自分のいる階から外には出られない。と言っても中で暮らしていくのは暇な事以外何も不自由はなかった。朝昼晩三食食事は出るし、キッチンで持ち込みの食事を作るのも自由だ。途中から家族文明IT機器を持ち込んでもらってからは暇潰しも簡単だった。社会に触れるのは怖かったから、オフラインゲームだけを黙々と遊んだゲーム時間を埋める作業か、あるいは順序立てて行動する訓練のように思えた。ゲームでもいいから何か進捗がないと人間としての価値がなくなるような切迫感を感じてプレイし続けた。

夜は就寝時間があり、あまり遅くまで起きていると当直の人にハロペリドールを飲まされた。すごく頭が鈍くなって好みではなかったが、あの部屋に戻りたくはないから諦めて飲まざるを得ない。

先に書いた通り閉鎖病棟から俺は一歩も出られなかった。当たり前に聞こえるけど、俺だけ外出が禁止されていた。他の患者たちは毎日午後一時くらいにお散歩に出かけていた。たまには俺も外に出たいと思って参加していいか職員に尋ねたが、あなたズボンと靴がないんですと残念そうにみな口を揃えた。自分の足で歩いて入院したのにズボンと靴が無いことがあるだろうか?しかし何度聞いても埒が明かないので、ズボンと靴は汚れて捨てられたのだろうと解釈した。家族に頼んでズボンと靴を差し入れしてもらった。そうしてズボンと靴が揃ってもなんやかんやと言い訳して外に出れず、入院して2週間たちようやく外に出ることができた。

散歩病棟の唯一外に出る玄関職員が開けて、その引率でぞろぞろと歩いてついていく。まず、俺が最初にいた病棟を通った。驚いたことに、この病棟は外の道路からなんの障害もなく行き来できるようだ。柵があって出られないと思っていたが、反対側は正面の入口に繋がっていた。はじめにもう少し理性があったら閉鎖病棟に連れて行かれなかったのにと思う反面、理性がないか入院したわけだし、あの錯乱状態で外に出たら車にはねられてそうだなとも思った。

この散歩想像していたものよりずっと大規模だった。30分から時間精神病院の周りの住宅街を黙々と歩いて回る。歩き電子タバコに歩き火タバコで吸い殻を投げる精神病患者達に近隣住民から苦情は来ないのか、非喫煙者としてはヒヤヒヤする。患者同士しゃべりながら歩いていて、小学校遠足くらい伸びた列を定期的に立て直す。そしてなぜおばあちゃん冷蔵庫食品を蓄えてるかも分かった。多分自分スーパーに買い物に行ってるのだ。そうなってくると家なんだか閉鎖病棟なんだかよく分からない。散歩で外の空気を吸えるのは嬉しいが、また俺はここにいたら駄目になると思った。今度こそ話で退院に持ち込まねばならない。

職員はのらりくらり退院の話を誤魔化し続け、医師の診察もろくになく、どうなってるのかと思い始めた、入院一ヶ月後。小原ブラス似の職員の引率で卓球テーブルサッカー遊んだ帰りに唐突に俺は数日後の退院が告げられた。退院する支度中に、その職員が「あ~ここにあったわ〜」みたいな猿芝居をしながらロッカーから俺のズボンと靴を出してきたが、既に俺にはツッコミを入れる気力は残されて無かった。彼らからしてみたら、話の通じない患者にどうやって秩序を与えるか、自分の気が狂わないか考えた結果がその猿芝居なんだろう。

そうして退院して数ヶ月はものすごく不安で仕方なくどうなるかと思ったけどその後はすっかり元通りになった。相変わらずのADHD、薬を飲まねば仕事にはならない。先生も上手いことストラテラ保険で落ちるようにしてくれた。ビバンセは少なくとも依存性は無かったようで、リタリン系の薬を飲みたいとも思えない。元々飲んでキマってた訳では無いからかもしれない。そのあとめちゃくちゃ面倒なことになったんだけどそこは割愛勝手に敵に仕立てて迷惑一方的にかけたのに見捨てない家族には感謝言葉しかない。

まとめ

2023-02-06

ADHDの診察を受けに行った話④/心療内科2回目

【前回の話↓】

https://anond.hatelabo.jp/20230202130751

 ②で送ったアンケートとCAARS=ADHD診断スケールの結果をふまえて、心療内科で30分のカウンセリングを受けてきました。

 まずはCAARSの結果。6個中2つでADHD判断されるところ、見事に6ヒット。これにより「ADHDの診察を受けに行った話」は晴れて「ADHDの診断がおりた話」となりました。タイトルは変えないけど。

 ちなみに注意欠如(最近は欠陥と言わないらしい)より、多動の項目の方が重いとのこと。これは自覚がありあり。

 ADHD偏差値表みたいなものもあって、平均的な人を50とすると自分は不注意偏差値70・多動偏差値90・総合偏差値83。ちなみにグラフ上90がMAX

 まぁこれは自己申告に基づくものなので、悩んだ末病院まで辿り着く人は概ね高いものなんじゃないかと。

 ちなみに「自己概念問題」という自尊心の低さをはかる項目もあって、これは偏差値40以下でした。自信満々の多動。これが高いと二次障害心配なんだろうな。

 そこからADHDとはどういうものかの説明を受け、「注意力散漫だったり集中力が続かなかったりより、喋りすぎてしまうことに困っている」と相談しました。発達障害の対人関係には孤立型、受動型、積極奇異型、尊大型があるというけれど、まさにこの積極奇異が一番の問題

 ADHDですよ〜と言われてもそりゃそうだよね〜という感じでしたが、この話をしているときはなんでか妙に悲しくなりました。「ミスばっかりする人」もつらいけど、「なんか変なテンションでぐいぐい来る人」もキツイんだよな。周りからは悩んでるように見えないだろうし、話してるとき自分もノリノリだし……

 最後に服薬の話。候補順にインチュニブ・ストラテラコンサータを挙げていただきました。

 インチュニブは「多動と衝動性と感情に対する薬」だそうで、まさに自分向き。ただ元々は血圧を下げるための薬なので、低血圧だと飲めないとのこと。普段上100切ってるから厳しいかと思いきや、その場で測ったら120ありました。無事飲めたらいいな。

 ということで今回の診断は終わり。30分あっという間でした。ちなみに初診が3000円、今回が5000円ぐらい。

 次回はWAIS検査の結果を聞いてから、いよいよ薬の処方が始まる予定。発達障害の診断って時間がかかるイメージだったけど、意外とポンポン進むなぁ。

【続き書きました↓】

https://anond.hatelabo.jp/20230225171843

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