「バケツ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: バケツとは

2023-10-12

いうて溶岩なんかバケツに入れて持ち運べる程度だろ

何をビビってんだ

2023-09-23

となりのトトロって、ノスタルジック物語ではあるんだけど、その郷愁の中に「かぁちゃんの腹の中に還りてぇ」というニュアンスを感じる。

まずファーストシーンでトラック引越し道具の中にメイとサツキが潜んでいる時点で何かを予感させるし、ボロ屋の2階に向けた暗い階段は胎内めぐりよろしく暗闇の中に未知との遭遇があるし、メイが底の抜けたバケツを見つけるのは穴の空いたバケツ=日常を通り越して未知の世界を覗き込むチューブを手に入れた隠喩だろうし、トトロ出会う獣道が子宮的なニュアンスを持っている。

最終的にメイとサツキ母親に会えて良かったね、なんだけど、そこに精神的な成長は見当たらない。いやいいんだけどね。かぁちゃんに会えて良かった。めでたし。

2023-09-20

anond:20230920100713

腐った水を薄めていくつかのバケツに分けるか、腐った水が入ったバケツの中身を徹底的に調査した後、洗浄滅菌するかみたいな選択肢の話に思える。

もちろん後者ではバケツの中の生物は生き残れないので、より過酷選択となる。

2023-09-15

永久に消えないぞ

下記のいずれにならないと無くならない

 

社会的成功してる人でも、実家パートナー世間に毒(怒り)撒き散らしてる人、ぜんぜん見るぞ

 

結局のところ、自称アダルトチルドレン克服というのは、

社会活動に重大な影響を与えるレベル鬱病強迫観念寛解だけを意味しており、

経済的成功しても、パートナーを得ても、子どもを作っても、永遠に穴が空いたバケツのまま

『助けてくれなかった世界への怒り』『無限の試し行動』の問題は消えない

 

親が愛してくれなかった・まともな養育をしてくれなかった怒りは、なにを得ても永遠に過去のものにならないし、

助けてくれなかった世界のあらゆるものを羨み、バカに出来そうなら攻撃するし、

わたしが一番だよね?わたしを優先するよね?を無限に繰り返す

 

これが人の親になっちゃうからな、虐待連鎖ってマジでこういうこと。単純に殴る・蹴る・怒鳴る・ネグレクトするとかそういう話だけではない

 

毒親問題って茶々入れるような軽いネタじゃない

anond:20230914182108

胡蝶蘭、最高だよね。

すぐ枯らすという人は大抵は根腐れが原因。胡蝶蘭のあのラピュタみたいなカッコいい根っこは、水を吸うだけじゃなくて、空気中の窒素を固定する菌が共生している場所でもあるの。だから、水に触れる必要もあるけど、ほどよく空気にも触れる必要がある。空気に触れないと窒息しちゃう

うちでは根腐れて死にそうな子は、コルクの樹皮に一握りの水苔と一緒にくくりつけて窓辺にぶら下げている。よく売っているビカクシダみたいな感じ。水苔がカサカサになったら(2日に一回くらい)適当に水をかけて、週に一回は水をはったバケツ10分くらい浸けて水を飲ませている。たまにバケツの水にハイポネックスを入れてやると、翌日に急に葉っぱが伸びたりしてかわいい。この育て方だと超元気になる。根っこがのびてくると、コルクの樹皮を自分で抱えるみたいになっていい感じだよ。毎年ちゃんと花が咲くけどぶら下がって咲くから支えの棒もいらない。

今、白くて大きい花を咲かせる胡蝶蘭が三株ぶら下がっている。花が咲いている時は圧巻。うちの子たちは2月から8月ごろまで咲き続けるよ。

俺の性癖が歪んだマンガ一場

ディスコミュニケーションで、男の娘という当時としてはメジャー誌では珍しい概念を出してきて、「ほら」と上着をぺろっとめくって胸を見せる場面

コロコロのリトルコップという漫画で、おっぱいをモロに描いてる場面があって、作者が「本当は描きたくなかったんだよ〜!」と横で喋ってる場面

バスタード‼︎の事後の場面

電影少女の4巻。スカート自分でめくる場面。あとバケツ

・てんで性悪キューピット下着をハサミで切っていくシーン

みんなもある?

2023-09-12

トマト先生作品は心が幼いイジメっ子の発想で作られていると感じる

増田くんお風呂入ってる~~~臭いからキレイにしてあげるね~~~(バケツの水バシャー」

みたいなのが小中学校教室で繰り広げられることがあったじゃないですか?

まあ、あの頃「コレ」をやられて傷ついた側だった僕たちは、今度はインターネットで「コレ」をやる側に回ってたりするわけですが。

トマト先生作風って究極的には「コレ」だと思うんですよね。

特定の何かを平気な顔して嘲笑い、自分たちの短絡的な笑いの種にして弄ぶ。

ただこれが純粋に悪意と嘲笑だけだと流石に自分の中の「良心回路」みたいのがピリピリ痛むわけで。

からそこにちょっと正義感みたいのを加えることで大義名分の力でイジメ行為の臭みを取ろうとするわけです。

一時期やたら流行ったら韓国人への攻撃だったり、「フェミニストを名乗る人たち」がなんでも性加害扱いするのだったり。

トマト先生はその路線を極めることで現代日本において一定数の太い読者を獲得するに至っています

特定の「disっても許されそうななにか」を見定め、それを面白おかし嘲笑することで楽しい時間を生み出す。

イジメっ子の時間の潰し方を漫画の中でやってみせるわけですね。

別にそれが悪いとは思いません。

だって僕らはさんざんインターネットでそれをやってきたし、そういうコンテンツインターネットの外に置いても大好きです。

政治家をもしたキャラクターが悪し様に描かれる展開を見て楽しくキャッキャッして過ごしてきたわけですから今日までもこれからも。

テコンダー朴みたいな露骨特定集団コケにしているような漫画でやっぱり楽しくなっちゃうんですから

でもね、そういう作品から逆流して「でも増田って本当に臭すぎるからさ、マジで不登校にしたほうが学校のためなんじゃないかな……」みたいなヒートアップの仕方をするのだけはやめてほしいんですよ。

イジメコンテンツのために振り上げた正義感暴走させて、現実のものとして正義のもとにアレコレパンチするのを始めるのは危険すぎる。

トマト先生の良くない所は、「これはあくま漫画の中で作られたサンドバックですよ。現実の人たちを同じようにサンドバッグにしちゃダメ🙅」ってちゃんと言わない所。

それをやらずに毎回そのまま「今回のサンドバッグも気持ちよかったね~~~こういう奴ら皆嫌いでしょ~~~???イエーーーーーーイ!!!!」で終わらせちゃう所。

から毎回コメント欄とかで「でもマジで田舎因習、都会の軽薄さ、日本の悪しき風潮みたいのって滅びるべきだよね。ウンウン」みたいにマジメに語ろうとしちゃう人たちが出て変な流れになる。

そこまでする話じゃないでしょ。

増田くんは臭いからキレイにしてあげようぜ~~~」は単なる『イジメとして楽しむための大義名分』であって、『真剣に取り組むべき僕らの課題』じゃないんだよ。

あーもうなんでこんなことをわざわざ赤の他人である俺が作品の外で補足せねばならんのだよ。

インターネット学級会はすぐ暴走するから面倒くさい。

2023-09-02

ちなみに海外ではストもデモ権利、参加してない人もそれはわかってる

って言うけど、フランス支社に飛ばされてた時にデモ隊バケツの水かけてるババアに3回くらい遭遇したし

ストで公共交通機関が止まってたら普通にクソ文句言ってた

そら一人の人間として考えたら迷惑なもんは迷惑だわな

2023-08-30

[] 「おしっこおじさん」ことdonovantreeさんの人気に嫉妬している

donovantree プールに直接オシッコするのと一旦バケツにオシッコしてそれをプールの水で薄めて捨てるのとどっちが汚い?って議論。どっちにしても汚いよと思うのだが

自己顕示欲が強いアホなのでID省略)id:donovantreeコメントがまさに増田の言うこれだろうな→『いくら希釈しようが「希釈なし、ALPS処理直後の水」というもの希釈水のうちに概念として残っている』

murlock id:donovantree この場合最初プールにはすでにおしっこが十分混じっているんだよね?

masudasman 元々の海に放射性物質は含まれている(もしかしたら処理水よりも?)ので、id:donovantree 氏の伝で言うと海がそもそもおしっこ水なんだよね、我々はおしっこの中で平気で泳いでいる。ばっちぃw

cha-hanmen donovantree おしっこした川の河口で泳ぐのと、おしっこを200tの水で薄めたものを少しずつ排出した川の河口で泳ぐのは印象全く違うと思わない?プールバケツレベルだったら同感です。

fishma 全方位から殴られるid:donovantreeに笑う

本人の応答がまたダサくていい。

元々オシッコ混じりだといいの?/皆様オシッコに反応しすぎw

期待の新人

通算で2000ブクマを超えてるのに「新人」は失礼だろ、と思いました。

あえて失礼してるに決まっているのに何を言ってるんだ。

純粋かよ。(おしっこだけに)

Arturo_Ui 増田からidコールが飛ばないぞ! またひとつ賢くなったね!

なぜこちらがIDコールを飛ばそうとしていると思ってたんだろ。 

野次馬たちに他のブックマークコメントを見せるために決まってんだろ。

本人にidコールを飛ばしこちらになんのメリットがあるの?アホな人の思考ってまじでわからんな。

Voi che sapete che cosa è amor

恋だの愛だのがわからない。増田バツイチであるが、元配偶者に対して愛情を抱いていると思うことはあった。愛情というのは、他の友人と比較して優遇したいという気持ちが一番近いものだった。元配偶者自分との関係を総括して、穴の空いたバケツに水を注ぎ続けるようなものだったと言った。

元々他者感情が分からなかった。早々に自分には分からないが、他者はどうやらわかるみたいだということを察し、小説映画漫画を読み、見漁った。自分は一人で過ごす時間が心地良いが、それが過ぎると他者は寂しく感じるということを理解した。愛情という友情上位互換のような感情……もしかしたら友情とはまた違う感情なのかもしれないが……があるということもわかった。よくわからないけれども、ジェイン・オースティンだって愛情を主軸に物語を書いている。物語の良さはわかるし、愛は尊い感情なのだろうし、いつか理解できればいいなと思っていた。

結局自分事としては理解できなかった。好きという気持ちは他の友人と比べてでしか言い表せなかった。これを表明するのは、おそらく良くないことなのだろうと思ってそのようには言ったことはなかったが。元配偶者のことは大事に思っていたが、友人を大事に思う気持ちとの違いが自分には説明できなかった。離婚後に交際した人間浮気をしたが、一般的には悲しみを覚えるのだろうけれども自分には交際に係る約束を違えたことへの怒りしかわかなかった。

わかっていたことではあるけれど、自分は欠落した人間なのだと思い知った。本当は恋人の心が離れたことに対して悲しんだり怒ったりするものなんだろうが、自分はどうだ、恋人行為に対して怒りを覚えるだけだ。むしろ欠落した人間によくここまで付き合ってくれたものだと思うべきかもしれない。

そこで訊きたいのですが、恋とはどんなものなのでしょうか?幸いにも友情は感じることができるが、愛情がわからない。物語の中の愛情絶対的ものに見えるが、自分友情の中で比較することでしか情を感知できない。

本当にマジで全然わからん怪獣バラードを聞くと、他人事ではないと強く思う。人を愛したい、愛をわかりたいという気持ちは確かに自分の中にある。

共感覚というものがあるが、それそのもの体感せずともそういった感じ方があるんだなってことは知識として知ってはいる人って多いと思うが、自分にとっては恋愛感情がそういったものであり、周囲の人間は概ねみんなわかっていて、だから他者もそうであるという前提で話してくることがとてもしんどい

2023-08-28

フケを集めてる

フィルムケース一個分貯まった

10年くらい続ければバケツ一杯にはなるだろうか

そうしたら公園砂場にして、何も知らない子供を遊ばせたい

2023-08-27

オリーブオイル毎日一杯飲みだしたら毎朝うんこが出るようになった

追記

昨日深夜テンションで一気に書いて真夜中に公開して、朝おきたら1つしかブコメついてなくて失敗したなーと思ったけど、今みたらなんかホッテントリにあがっててびっくり。ありがとう

追記ここまで

さら追記

タイトルに【追記あり】っていれたら元タイトルが省略されちゃうので外して元にもどしました

事前情報

きっか

やったこ

結果

  • 翌日、朝起きてトイレで小用を足そうとすると大も出た
  • その翌日も出た
  • 翌々日も出た
  • 朝以外は便は出ない(以前は無理やり朝出したら昼過ぎ夕方に2回めの便が出ることがよくあった)
  • 一ヶ月続く
  • 確実にオリーブオイル飲んだおかげで朝にうんこが出るようになったと言える

以下余談

槍投げって何の役に立つの

槍を遠くに投げられたら何の役に立つのか。

投げて運ぶためだろうか。

100メートルごとに投擲者を配置してバケツリレー形式で投げていけばある程度の速さで運搬できるように思える。

しかし投げられた槍に当たる危険もあるし、地面に落ちた時に槍が傷む可能性も高い。

現代ではトラックを用いて運んだ方が合理的だろう。

本来目的を考えるなら、投げた距離より、いかに正確に的に当てられるかを重視すべきである

象に向かって槍を投げ、命中率や殺傷率によって競う競技に変えるべきである

2023-08-24

汚染水放出だけど、イデオロギーだけではない

原子力関連は、以前「バケツウラン運んで臨界死亡事故」みたいな科学的には信じられないような前例をつくっているから、

今回も

「処理したことにして、実はさぼってもわからない、ヨシッ!」

ALPSで実は処理しきれない半減期の長い核種があるけど些細なことはいいんだよ」

があるんじゃないか、というところが疑われているんだよね。

2023-08-17

anond:20230817113705

バケツを被って歌うと自分の声が反響して聞こえるからうまくなる…という話をどこかで見た

2023-08-14

サウナーとか言う気色悪い人種全員殺したい

近所の銭湯改装してサウナができた

悪い予想の通りサウナーが列挙している

サウナの順番待ちで建物の前に並んでてきしょい

中に入っても徒党を組んで行動するからウザくてきしょくて全員死んでほしい

何がととのうだよ夏の陽射しの下ににいて勝手に汗かいて頭からバケツの水でも被ってろよ死ね

黙浴っつってんのにぺちゃくちゃうるせぇんだよ死ね

刑務所のお世話になりたいと思ったらサウナーを真っ先に殺す

風呂上がりに銭湯の周りでヤニ吸ってるんじゃねぇよ殺すぞ

それ整ってねえだろ百歩譲ってサウナ健康にいいとしてもその一本で健康レベル-100だろ一貫性がなくて気持ち悪いんだよ糞野郎どもが

誰だよサウナ趣味みたいに流行らせようとした人間は殺すぞ

サ飯がなんだよレトルト食品食って健康になれるわけねぇだろ死ね

サウナは行き場のない死んだ目をしたおっさんの集まる場所でいいんだよ

誰も一言も発しないテレビの音だけが流れる空間でいいんだ

サウナーとかいうキショキショキショキショ人間どもは家の風呂半身浴でもしてろやカスどもが

サウナー全員殺す

死ね死ね死ね死ね死ね

うざいんじゃ

2023-08-05

東京文化

東京にいわゆるサブカルチャー的な(本屋が多いだのライブが、コンサートが多いだの美術館ギャラリーがうんぬん)リソースの集積があるのは、まぁそう。

でも、東京には歴史あんまりないし、色んなお国から集まってきている人の集まりの街なので「東京のくらし」という共通認識あんまりない。

増田東京まれ・育ちなのだが、東京には割と潤沢にあると言われがちなサブカルチャーサブカルチャー的な”文化”よりも、人の生活に根差し文化がある地域が素敵だと思うのだ。この間はTVを見ていて、青森には「普段は別の仕事をしている市井ねぷた絵師」がいる、というのを知って、何だよそれめちゃステキじゃないか。と思った。

東京は、色んなお国から人が集まってきていて、そういう暮らしに根差し市井文化は割と薄まってしまやすい。まぁ薄まっているところも「東京らしさ」でもあるのだけれど、市井ねぷた絵師のような存在文化だなーうらやましいな、カッコいいな、と思う。

ところで、サブカルチャー的な文化ではない、市井文化も、薄まってしまっているとはいえ東京にも残っていたりする。

下町まれ育ちの増田が感じる、東京下町の、もうすぐなくなってしまうもしれないな…と思ったりもする、東京市井文化を紹介させてください。

祭り

そりゃ歴史のある他の街ほど立派なものではないが、東京はいわゆるお祭り結構かなり多い。

下町特に、もう数百年のあいだ狭い長屋に人がひしめき合って暮らしてきたところでもあって、人の数だけ「祈り」も必要とされてきたんだろうと思う、街ごとに小さいお社がある。小さいお社は普段町内会掃除とかの面倒を見ているが、このお社がお祭りに参加する。大きな祭り氏子だったり(例えば神田祭だと100個ぐらい神輿が出るらしい)、自分たちだけの祭りがあったり色々である

下町では、各町内ごとに「自分の町内は〇〇祭の神輿」がある。氏子という言い方なんだろうと思うんだが、かなり割とキッチリと、祭りの割り当て?範囲?みたいなものが決まっていて、町内ごとに神輿を持っている。まぁ他の街でも祭りってそういう感じだと思うので珍しくもないと思うけども。

下町祭り基本的には神輿がメイン、山王祭日枝神社祭り)は山車がメインのようだが、まぁあの辺は山の手だな。下町神輿。わっしょい、わっしょい。

隅田川より西側下町祭りは、春~初夏ににやるところが多い気がする。そして隅田川より東側祭りは夏にやるところが多い。夏にやる祭りは「水かけ祭り」といって、町内を練り歩く神輿に、宮入する神輿に近所の人たちが水をわっしゃーわっしゃーとぶっかける。手にバケツを持つおじいさん、ホースを持ち出すお母さん、金だらいにビールを浮かせながらひしゃくで水をかけるお父さんなど。担ぎ手もびしょびしょ、道路もびしょびしょになる。

神輿が出る日は一日中、町内が法被と脚絆、なんならふんどしの人がウロウロする。非日常ですごく楽しい普段ダラシナイ自分の親父殿が祭り衣装になると5割増しに格好よく見える。近所の、普段は古いビルの1階のすすけた喫茶店マスターをやってるおじさんが、祭り半纏めっちゃ粋に格好よく着こなしたり、新しいマンションの住人の若いお父さんの装束をきゅきゅっと直してあげてたりね。女も神輿担いでも全然オッケー。ただめちゃ肩が痛くなるので私はまぁ、雰囲気だけ味わって担ぎ手はあんまりやらない。子供神輿を持ってる町内もあるし、うちの町内は子ども山車が出る。

下町祭りは毎年はやらない、2年に1度とか3年に1度とか。本当のところは知らんけど「江戸っ子祭りお金を使いすぎるから毎年だと無理」だかららしい。馬鹿だな江戸っ子ときたら。

木遣

増田子供の頃は近所に「木遣りをうなる爺さん」というのが居た。「木遣り」と書くので、木にまつわる仕事をする人たち、材木関連、とび職さん、火消し(火消し≒鳶)の労働歌がルーツなんだろうと思う。よく知らないのだが笑。Youtubeなどを見るとうなってる爺さんの動画があると思う。

結婚式の時とか葬式の時に「木遣りを歌うじいちゃん」が何人かで来てくれて、家の前にずらっと並んで木遣り歌を歌ってくれるのだ。平成の半ばに亡くなった祖父の出棺の時にずらっと「木遣り爺さん」が並んで歌ってくれたのが良い思い出。ちなみにおじいちゃんはとび職ではなかったので木遣りは歌えなかった。

まぁでも、もうこういうのは無くなっていくんだろうなーと思う。数年前に祖母が亡くなった時は少し離れた町の老人ホームだったので葬式もその町でやったから、それ以来木遣りうちには来てない。マンションも多いしなぁ。

今は、正月とか区の祭りかに出くわすと「ずらっと並ぶ木遣り爺さん」が見られる。保存会伝承しなくては、とかそういう感じみたい。

ちなみに祖父母の家には、私が子供の頃(昭和後半)まで、年末になると上記の「木遣りのじいさん」が門松を立てに来てくれていた。その木遣りのじいさんのことを祖父母は「親分さん」と呼んでいた。今思うとあれは銭形平次的な何かの名残なんだろうな。昭和の頃まで、うっすら「江戸」が残っていたんだろうなと思う。バブルで全部洗い流されたけどね…。

寄席演芸相撲

東京には寄席がある。上野の鈴本、浅草演芸ホール新宿末廣亭池袋演芸場。あといくつかの落語演芸団体がある。落語家が多い街、東京

下町には落語家さんが結構たくさん住んでいたりする。私が初めて一人暮らしをしたマンションにも偶然かなり有名な落語家が住んでいて、すれ違うと気さくに挨拶してくれるおじいさんだった。

落語は、上記定席小屋毎日やっているし、〇〇市民会館、○○ホールみたいなところで独演会なんかたくさんやっているが、もっと小さい、近所の落語好きの蕎麦屋のお父さんが自分の店で若手を集めて落語会をする、みたいなことが、結構あちこちで見かける。

覚えている人もいるかもしれないが10数年前のNHK朝ドラちりとてちん」で(まぁあれは上方落語の話なんだけどさ)、アル中から立ち直った師匠を中心に一門の小さい落語会を近所の居酒屋で開くようになるのだが、その「寝床寄席」みたいなのが、蕎麦屋やら居酒屋やら和菓子屋やら、結構あちこちで見かける。神保町のらくごカフェとか日暮里ひぐらし亭とか、ミニ寄席最近ブームだったりするが、それよりももっと「地元落語好きの人が場所を貸す」みたいなのがあるんですよ。

歩道の植え込みの勝手花壇

これは良い文化ではないのだが、下町には、下町名物の、何て言うか「飛び地の庭」というか…歩道の植え込みを不法占拠して勝手に花壇を作っちゃう爺さん婆さんが生息している。下町の家は狭い。元々長屋だったところなのでとにかく家が狭いし庭なんてない。玄関を開けると2、3歩で歩道なのが下町建築

なので、下町園芸好きは、軒下などに細ーくプランターを並べて園芸を楽しむのだが、それが段々エスカレート過激になってくると、歩道を飛び越えて飛び地的に、街路樹が植わっている土や植え込みにも鉢植えやらを置きだす。通行の邪魔になりかねないのでなぁ…とは思うが、庭の無い下町まれなのに園芸を楽しみたいぐらいなので結構、きちんと管理されていてきれいな花が咲いたりする。逆ビッグモーターである

そういえば下町は庭がないからかもしれないが、結構園芸趣味がある。朝顔祭りなんてのは典型だし、少し大きい神社境内植木屋台が出ていたり。庭がない家が多いからね…せめて緑を。でも良くないんですよ。

ちょうどいい距離

これは、すべてがそういうわけではないと思うのだが、下町に暮らすために必要ものとして「踏み込みすぎない、ちょうどいい親しさを表す距離」を作るスキルがあると思う。

増田は4代前までさかのぼれる東京者だが、その前の先祖京都出身新潟出身。しょせんはよそ者同士。色んな理由で集まってきたよそ者が大きくしてきた街が東京である

例えば真逆存在として地方農業地域なら、農業という生計を近所で共に協力して行っていくという、関係を良くするための必然的理由があるが、東京にはその理由希薄である。だからこそ、隣近所とはそれなりに良い関係継続しておく必要があり、かつお互い踏み込みすぎない適切な距離を保つ必要もある。この辺は、下町育ち同士だとすごく「そう!」となるのだが、下町育ちじゃない人(山の手育ちの人や郊外地方の人)には、イマイチぴんと来てもらえないことが多い。都会に暮らすって、住み着いて何十年も経っても、少し緊張感のある交友関係必要になるんだろうなと思ったりしている。

手前味噌で恐縮だが、増田は、ご近所さんや、よく行く店の店員さんとかと、適切な距離を取るのが上手いと思う。近所の人におすそ分けをもらったり、差し上げたり、常連の店でひっそりこっそりオマケをしてもらったり。そういうのを目立たないように、踏み込みすぎないように、負担にならないように。数か月に1回程度なんだけどね。何かがあったら協力できる程度、でもプライバシーを保った距離というか。

やたら広い墓

これは下町に限らないのだが、東京文化的な特徴だと思う。墓が広い。というか「古い広い墓」がある。

前の項にも繋がる話だが、やはり東京に暮らす人は少し根無し草なのだ先祖代々の寺や墓がない。ある人ももちろん結構いるんだけど。

特に明治期以降は、仕事の都合で東京に出てきている人が山ほどいるわけで、そういう人に向けた公園墓地がたくさんある。古くは谷中墓地現代でも八王子とかちょっと郊外に「誰でも入れるでかい墓」がある。

やたらと広い墓には有名人の墓があったりするから趣味の人用の案内があったりするね。


このぐらい。

山の手の方に住んでる人や郊外の人、タワーマンションで暮らす市井の人のことはあんまりからない。

2023-07-31

バケツ語源は馬のケツ

バケツの形が馬のお尻に似てるから、馬ケツ→バケツとなった

人生は短いかバケツリレーの緊急度で受け売りリレーをしないといけない

水源地から近いほど文化的で都会的ってやつだ

まとめサイトの頃を思い出せ

2023-07-29

東京に住んでいない俺がどこで文化享受しているか

これはいま、おれの中にひとつわりと明確な答えがあって、それは

"スーパーセンタートライアルに向かう途中の田んぼ道"

です

おれの住んでる田舎は、市の人口5万人とかなんで、かなりザコいんだけど、24時間営業スーパーセンタートライアルを抱えている

そんで俺はそっからチャリで5分程度のとこに住んでいる

そうすっと、夜10からでも、思い立ったらチャリに乗って、でけえスーパーで買い物ができるわけですよ

まずこれはひとつ文化資本と言って良い スーパー って博物館からさあ!

そんで、そこまで行く途中の道、これもまたいいわけ

中規模の川が近くにあるから、いまの季節、サワガニが地面を這い回っているんですよ

まず、玄関からチャリまで歩く過程で、スマホライトに照らされて、聞き取れるくらいデカ足音を立ててカニが逃げる、おれはウオっと思ってちょっとのけぞる、こういう体験が、よくわかんねえけど、ひとつ原体験となるわけだ まあおれがここに来たのは就職してからなんで、ゲンミツには原体験じゃねえけど、原体験に上乗せしてやってもいいと思ってる いい体験だ カニカルチャー

マルケス小説読んでると、すげーカニが出てくんだよ 夜になったらカニが海からワンサカやってくるんで、それをバケツに入れて海に追い返す、みたいな話がある

このくだりってマジックリアリズムなのか?と思うわけ そんなにカニいることってねえだろと思ってっから

しかし、身近にカニを感じるにあたって、ああ、その辺のショボい川からでもこんだけカニが出てくるんだったら、コロンビア海岸なんかだとマジでワラワラいてもおかしくねえのかな、と思いなおす

現実で積み上げた体験が、読書体験に深みを与えるわけですよ (逆もまた然りっすねえ!)

そうやってカニをやりすごしながら、川沿いの道、川沿いっつっても土手に隠されて川は見えねえんだけど、そこを漕いで行くわけよ

漕いで行こうとしたらさ、夜8時なのに案外明るくて、真上の空はすげえ晴れててさ、日が落ちて濃さを増し、藍色になった空をバックに、でけえ雲が連なってそびえているわけですよ

山脈」とか「大いなる」とか、そういう形容をしたい感じなわけ

これってヘタしたらエベレストより立派なんじゃねえか?とすら思う 実際、高度で見りゃいい勝負だと思います

おもわずチャリを路肩に停めて、ちょっと雲を眺めたりしている時間、あれは実際かなり文化的だと思う

夏はそういう、デケー雲とか日暮れどきの光の具合なんかが目を惹くんだけど、秋とか冬もまったく悪くなくて、なんせ涼しいし、星が綺麗なんだよなあ!

秋口に、完全に夏の格好してチャリ漕いでスーパーセンタートライアルに向かってたらさ、思ったより秋が深まっていて、まあ寒い寒い!って感じで、そのうち歯がガチガチなってきてさ、そんで田んぼ道だからチャリもガタガタしてさ、内からも外から振動しながら、ふと空を見ると、なんかマジでアホみたいに綺麗な星空が広がっていたりして、おいおいマジかよ、と思うわけですよ

ホント暗いんだよ田舎 絶対街灯もっとあったほうがいいだろ!って思うんだ

でも、やっぱその分、星が見えんだよなあ!

スーパーセンタートライアルに向かう道すがら、寒さに震えながら見上げる星空ほどイイものって、実際そんなに思いつかないっすよ

まり何が言いたいかっていうと、これはよくわからない

俺はかつて東京を憎んでた(キモいから!)けど、最近ガチでどうでもよくなってきていて、それはひとえに、田舎全然ええなあ!と思い始めたからだと思う

人のいねえ道で適当に腕振り回したりしながらチャリ漕いで、雲とか星とかを眺めて、そのあとスーパーセンタートライアルアイスとか75円のイカフライとかを買って、別に腹が減ってるわけでもねえけど、帰り道に開封して、食いながら帰る

これはまさに、俺の文化だと思っていますよ!

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