はてなキーワード: コンビとは
昨今、同人オタク界隈を賑わせているおけパ島概念など、羨望や劣等感を拗らせて苦しんでいる方々をよくお見かけする。
それらのお気持ち表明を読むのだが、これに共感がわかないのだ。
今はすっかり創作活動から遠のいて、いわゆる読み専をしている。
だから進行形で対抗する意識がないせいなのかとも思ったが、思い返すと現役時代も嫉妬の感情はなかった。
私はあまり運動が得意ではなく、同じく体育が苦手な友人と組んでいた。
まあ、当たり前に手も足も出ない。
終了間際、運よく手前にシャトルが落ちて1点だけ我々チームに入った。
やった!と喜ぶ前に、相手チームが膝をついて大声で叫んだ。
大差で勝っているのに、負けたみたいに喚いていた。
まだ未熟な子どもであるから、感情を抑えられないのは仕方ないけれど、今思えば相当に失礼な態度を取られている。
ずいぶんと見下されて相手をされていたのだなぁと思う。
でも、腹は別に立たない。
皆は何と闘っているのだろうか。
pixivの評価、フォロワー数、憧れの相手からのフォローバック、リプライ……
何故そんなに苦しんでいるのだろうか。
皆と私の価値観は大きく違うようだ。
顔の見えない創作者を羨んで妬んで憎んで、それが良くないことだと思って自縄自縛に陥っている。
なんでループするんだよこう書けばわかるか?
増田:選挙とは多数決。民主主義についてではなく選挙の手段ついてだけ言及している
ワイ:選挙とは民主主義の根元を成すものであり切り離すことはできない(選挙に立候補するのも投票するのも意思表明)また民主主義とは多数決ではない
ちな増田は政治が大好きみたいだからこのドキュメンタリー映画をオススメするぞ
『立候補』だ
泡沫候補の知られざる衝撃の実態に迫るエンタテインメント・ドキュメンタリー!
負けると分かっていても闘いを挑む― 誰しもが負けると思っていた闘いの為に鍛え続けるロッキー・バルボアのように、本作の登場人物たちは 勝つ見込みのない闘いにも、己と世界のために闘い続けます。選挙とは立候補のもとに成り立つシステムです。それが政党や団体によって支援された受かる見込みのある候補者たちだけのものになりつつあるのが今日の日本ですが、本来選挙とは誰もが声を挙げられるように出来ています。映画『立候補』に登場する泡沫候補たちは、選挙に勝つため、政治家になるために闘うだけではなく、自らの信念を貫く様を人々に 見せようと孤軍奮闘しています。その姿がおかしくもあり感動的でもあるのはなぜでしょうか。それは、行動を起こす人々に対して“ツッコミ”をいれたり、嘲笑したりしがちな現代に生きる私たちへのアンチテーゼに見えるからなのかもしれません。何をしたいかよりも、どう見られるかが勝ってしまう、今の私たちの姿に気付かされるのです。奇異な行動を取る泡沫候補たちを劇場に観に来て、笑いながら、最後にはなぜか感動してしまう力を本作品はもっています。監督は新鋭・藤岡利充。製作を手掛けた木野内哲也との二人三脚で困難な撮影を経て、本作を完成させました。二人はこれまでもコンビで制作を続けており 本作にもその独特なコンビネーションが活かされています。
[8bit news]
『立候補』だ
泡沫候補の知られざる衝撃の実態に迫るエンタテインメント・ドキュメンタリー!
負けると分かっていても闘いを挑む― 誰しもが負けると思っていた闘いの為に鍛え続けるロッキー・バルボアのように、本作の登場人物たちは 勝つ見込みのない闘いにも、己と世界のために闘い続けます。選挙とは立候補のもとに成り立つシステムです。それが政党や団体によって支援された受かる見込みのある候補者たちだけのものになりつつあるのが今日の日本ですが、本来選挙とは誰もが声を挙げられるように出来ています。映画『立候補』に登場する泡沫候補たちは、選挙に勝つため、政治家になるために闘うだけではなく、自らの信念を貫く様を人々に 見せようと孤軍奮闘しています。その姿がおかしくもあり感動的でもあるのはなぜでしょうか。それは、行動を起こす人々に対して“ツッコミ”をいれたり、嘲笑したりしがちな現代に生きる私たちへのアンチテーゼに見えるからなのかもしれません。何をしたいかよりも、どう見られるかが勝ってしまう、今の私たちの姿に気付かされるのです。奇異な行動を取る泡沫候補たちを劇場に観に来て、笑いながら、最後にはなぜか感動してしまう力を本作品はもっています。監督は新鋭・藤岡利充。製作を手掛けた木野内哲也との二人三脚で困難な撮影を経て、本作を完成させました。二人はこれまでもコンビで制作を続けており 本作にもその独特なコンビネーションが活かされています。
[8bit news]
ネタバレ満載なので未見の人は見ないように。
甲賀弾正×お幻
「バジリスク」という名称自体が、死んでも殺す的な意味合いで付けられたものと思われるので最終的に壮大な相打ち物語なのだが、
その初戦を飾る戦い。
かつて愛し合った二人の戦いであり、物語のラストシーンとの対比となる名シーンである。
とはいえ、ここでお幻の鷹がいなければ勝負は恐らく一方的に甲賀の勝利に帰したであろう事を考えると、実質的にお幻の勝ちに近い気もする。
甲賀弾正は巻物をスリ取った上に不意打ちでお幻を倒して、かなり甲賀有利の状況を築いたにも関わらず、一瞬の油断から相打ちに持ち込まれた上に、結果的に巻物は鷹の翼によって先に伊賀方に届いてしまい、その後長きに渡る伊賀のイニシアチブを許すという、踏んだり蹴ったりな結末であった。
■FF7
FF7のストーリー上、クライマックスと言っても良い名シーン。
ここでの神羅カンパニーの社長退場と、その後のシスターレイを巡る一連の戦いによって、物語の最初からストーリーを牽引してきた神羅カンパニーは組織的な統率力を喪失し、物語の舞台から退場する事になる。その引き金となった戦い。
超長距離での大火力の撃ち合いによる相打ちだが、シスターレイの標的がダイヤウェポンではなくセフィロスの張ったバリヤーであった事や、ダイヤウェポンが倒れた後にその攻撃がミッドガルを破壊するなど、超長距離での戦いゆえの見せ場がカッコいいシーンである。
一方、本来ジェノバ(セフィロス)を攻撃するはずのウェポン達が、神羅カンパニーを攻撃したり適当にウロチョロしてるだけでイマイチ仕事してない感がある事や、
北の大空洞とミッドガルの直線上にダイヤウェポンが重なる偶然(神羅側はそのタイミングを狙ってたのかもしれないが)等、ややストーリー上の強引さを感じるのがマイナス要素である。
結果的に、サファイアウェポンやダイヤウェポンは神羅カンパニーを攻撃してセフィロスをアシストしてたようなものだし、アルテマウェポン・ルビーウェポン・エメラルドウェポンはあの有様なので、ウェポンは使徒を出したかっただけやん感が強い。
アルミサエル×零号機
前半でせっせと株を上げて、後半で一気に落としたTV版エヴァンゲリオンのエヴァ対使徒の実質最終戦(最後のシ者は、エヴァ対使徒って感じじゃなかったし)
前話でみんなのヒロイン惣流明日香ラングレーさんがアレな感じで退場した直後、嫌な雰囲気全開の中で行われた戦いの中で、やっぱり嫌な展開で発生した相打ちである。
レイ2号機の最後の回想が我らが主人公碇シンジくんではなく、ネグレクト総司令碇ゲンドウ氏であった事も含め、視聴者への嫌がらせが頂点に達した瞬間でもある。
思えば第一話から「勝てなきゃ自爆」がデフォの使徒戦だったので自爆では死なない印象があってもおかしくなかったのだが、黒ジャージ戦以降、物事が悪い方向にばかり進んでいたので、もはや出撃しただけで死にそうな感じが漂っていたのが印象的である。
しかもこの辺の戦いは、ゼーレやゲンドウが暗躍しまくってるせいで、初期の「使徒に勝たなければ世界が終わる」という背景が形骸化し、なんか消化試合みたいな雰囲気すらあった。
という事で、視聴者に嫌がらせするために行われたと思われる壮絶な相打ちシーンである。
■FSS
KOG×ジュノーン
ストーリー上重要な相打ちのはずだが、なんか全然重要じゃない気もするワンシーン。
設定変わっちゃってよく分からんけど、MHはレッドミラージュだけあればいい気がするんで相打ちになった二機が割とどうでもいい感じがしてるのと、
パイロットも割とどうでも良くて、重要なのは2人のファティマのはずなのだが、
それもなんでそんな所で相打ちになってるのか良く分からない感の漂う、良く分からない相打ち。
なんの意味があったのか。
言わずとしれた名シーン。ドラえもんの道具を使えば簡単に直せそうな気がするが、それは言わぬが花というやつである。
22世紀から来たドラえもんがいる以上、世界が滅びるはずがないのだが、それも言わぬが花である。
>相打ちはお互いに攻撃を仕掛けてお互いに致命傷を負うことであって、バギーちゃんみたいなのは自爆やろ
↑まあ、そんな気もするけど、鉄騎隊はポセイドンが操ってたみたいなんで、一応両方攻撃したよ、という体裁で一つ。
>バギーちゃんがしずちゃんの涙の雫に反応して奮起する名場面、水中では雫ができないはずだが、それは言わぬが花というやつである。
↑言われてみるとそうやな。まあそこは、おいらの心の胸は、お空の月の星の涙よおいらの胸の心の切なさよ、雨が降れば胸の心の頭もぬれるよって事で一つ。
スパイク×ヴィシャス
戦闘開始時点ですでに疲労してボロボロかつ腕に被弾していたスパイクと、無傷で座って待ってたヴィシャスではフェアな戦いとは言えない気もするが、
まあ殴り込みをかけたのがスパイクである事と、拳銃使いのスパイクに対してヴィシャスは日本刀使いというハンデがあり、更にスパイクはヴィシャスの部屋に爆弾投げ込んでるっぽいので、その辺込みで「堂々たる一騎打ちであった」と評して良いだろう。
かつての親友同士だったが女を巡って争った挙句、女は雑な感じで死亡済み、という背景もハードボイルドで良い。
最後、お互いの武器を押さえあった状態から相手に武器を渡しての相打ちであった事も、救いのないはずの戦いに花を添えている。
ラストシーンで入り口でスパイクを待ち伏せしていたマフィアが、既に戦える状態にないスパイクを見て銃を下ろすシーンがお気に入り。
ダイヤのJ×北家
2位以下は全員死亡というルールの中、逆転できるわけでもないのにアガって(しかも国士)そのままゲームオーバーとなった北家に対する、
「どこで運使っとんじゃあああああ」というダイヤのJの最後の叫びは、この作品一のお気に入り。
まあ、既に勝ち目が無いに等しかった北家と南家は、良くても東家のチシヤをトップにしてダイヤのJを道連れにするしかできない状況だったので、
そういう意味では北家は良くやったと言えるのだが、あんまりそんな雰囲気ではなく単に当たり牌が来たからアガった感の漂う北家の空気も良かった。
ゴルツィネ×フォックス
同作の組織戦としては最終決戦のクライマックスに起こった名シーン。
致命傷を負いながら裏切り者のフォックスを倒したゴルツィネの最後の心境はどのようなものだったのか、
その重点が裏切り者を許さないマフィアのプライドだったのか、自分の手に入らないならばアッシュを誰にも渡したくないという執着だったのか、
色々なものを想像させ愛憎入り混じったBANANA FISHの最終ボスを飾るにふさわしい男であったと言えるだろう。
片や主人公陣営を散々に苦しめた大ボス・ゴルツィネを用済みとばかりに軽く裏切って片付けたフォックスも、
その悪役らしいあっけない退場の仕方も含めて途中出場でありながら存在の軽さを感じさせない名悪役であったと評価したい。
なお、同作で相打ちといえば、言わずと知れた最後の名場面があるわけだが、ラオの存在がちょっと軽いので、相打ちというよりは「アッシュの最期」という印象が強い。
あと余計な事ではあるが、ふつーに考えると腹刺されて失血死する場合、床は数リットルの血でグチョ濡れで魚市場のようなムッとした臭気が立ち込めている上、顔はゾンビのような土気色のはずで、良い夢見てるようには多分見えないのではないかという疑いが強い。
※ブコメを見て
知らないのもあるけど、知ってるのもあるなあ。
□幽遊白書
飛影×時雨
あったなあ。解説の躯さんがいるので野暮な解説はしたくないが、
この時点で飛影と互角だった時雨がなぜトーナメントで蔵馬といい勝負ができたのか、原作読んだだけだと疑問しかない。アニメだと何か説明があったのだろうか・・・
なお、このトーナメントの逆トーナメント覇者は俺たちの柘榴であり、「自分に勝った奴は許さねえ」という柘榴の執念を感じる。
あった。勝てない相手に対してでも、何が何でも殺すというネテロの執念の一幕だった。
あの一撃でメルエムだけでなくユピーとプフにも致命傷を与えており、「当初はネテロの負けに見えたが、実は勝ってたのはネテロで、後からその凄さがわかる」という冨樫先生の演出の妙が光る。
一方、ネテロは立場上自爆を選択しただけで、一武術家として戦っていたならそのような戦法はとらなかったのでは、とも思わされる。
□北斗の拳
ファルコ×名も無き修羅
あったあった。修羅の国への期待値を爆上げして、後からパワーバランスが良くわからくなる原因を作った一戦。
それだけファルコが弱っていたと言えなくも無いが、刹活孔注入してからも一発喰らわせてるし、ケンシロウにも一応かすらせてるので、紫光のソリア程度の強さはありそうな気がする。
□マヴァール年代記
しかしあの一戦のせいで、あんまり英雄と知将の戦いという読後感がなくなったのも惜しかった。
孫子曰く「凡そ用兵の法は、国を全うするを上と為し、国を破るはこれに次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るはこれに次ぐ」というやつで、
お互い全滅するまで戦って最後に大将同士で一騎打ちして相打ちって、お前ら何やってんだという感が強い。
しかし今にして思えば、アルスラーン戦記の最後の相打ちに比べればまだマシだったかなーという思いもある。
相打ちすりゃ良いってもんじゃないんやで。
■BASARA
揚羽×夜郎組
最終決戦の裏側で、敵方の暗部夜郎組を一手に引き受けて散った、タタラ軍の縁の下の力持ち揚羽。
敵も倒し、崩れる城も支え、友人の太郎ちゃんの仇も討ち、と八面六臂の大活躍だったのだが、その最期は崩れた城の下敷きであり、見届けた者はいない。
物語の最初から更紗を救い続けたものの、その更紗は敵将朱理とできてしまい、それでもBSSとか泣き言を言わずに支え続けた男の中の男である。
なお、この物語にはもう一幕の相打ちシーンがあり、作中最強の暗殺者である柊と朱理・今帰仁コンビによる一戦。一交錯で決着がつき、双方死ななかったものの双方片腕を失うという痛み分けの結果となっている。
つまらない深読みをするなら、作品として物語前半で悪逆非道をなしている朱理を無罪放免というわけには行かず、華を持たせつつも贖罪的な意味合いで片腕を落としたのであろうと思われる。
早期にマーズランキング2位が退場した戦いであり、読者に絶望的状況を知らしめた。
レーダーよりも遠くから敵を察知するアドルフさんの謎能力がヴェールを脱ぐときの説明文のカッコよさに加え、
雷で倒す→避雷針で避ける→側撃雷で倒す→心臓マッサージ→銃を電磁場で防ぐ→電磁場の通じない投石で殺害→自爆
という二転三転する状況が、希望を見せてはまた絶望に落とすという、一筋縄では行かなさを演出した良い戦闘だった。
なお、状況的には相打ちというよりアドルフさんの負けであるが、多くのゴキブリを殺害及びボスに重傷を負わせ、結局何も渡さなかったという点と、
数話後にこの時のボスゴキブリが討ち取られた際に、すでに側撃雷で内臓に重傷を負っており、生き延びたけど長くはなかったであろう、という説明が入ったので、相打ちと判断したい。
余談だが、単行本には収録されていないが、YJ連載時の『雷帝、戦闘体勢(アドルフ・スタンバイ)』という煽りはかっこよかった。
アニメ版など無かった。
って結局何なんすかね?
メディアでも今では当たり前に使われてる「アンジャッシュ渡部」みたいな呼び方。
当方の記憶だとビビる大木が相方の廃業でピンにならざるを得なくなった事情で使いだして
人気が出だした頃のカンニング竹山が名乗った事で浸透し始めたような印象がある。
その前の世代のボキャブラ芸人やそれ以前のダウンタウンウンナンとんねるすナインティナインみたいな人気お笑い芸人に対しては
グループ名+名字でひとくくりにして語られる事はほぼ無かったはず。あくまでダウンタウンの松本人志といった普通の紹介のされ方。
爆笑問題が爆笑太田、みたいな事はあったかもしれないけどあまり目立っては無かった。
ドリフターズの○○、といった使われ方はほぼ無くて名前一本だけで勝負できてた感じ。
二次創作オタクの道に迷いこんでから、人生の1/3くらいになる。インターネットでは小説らしきものを書き散らかしていたが、同人誌は買うものでしかなかった。
「同人作家には感想を送るといい」という言葉を素直に受け取って、ありがたく読んでは神々に感想を送っていた。全員ではなかったが、買う時点でセレクションをかけていたのもあって半分以上の本には少なくとも原稿用紙1枚相当以上の何かしらをお送りしていた。
それからしばらくして、はまり込んだとある界隈、ある推しカプの威力があまりにも凄まじかった。私はとうとう読み専を卒業し、同人誌を印刷することでサークル参加デビューを果たした。それが、1年程前のことだった。
初めてではあったが、本自体はなんだかんだ出せた。だが、同人活動はそこから先こそが試練だったということを、知らなかった。
最初の本を刊行するのにかかった時間は4ヶ月程。平日は仕事の後、休日は日中の半分程度、原稿に時間をコツコツと割いてきた。そのおかげで、人生で初めて出した本は文庫だが200pを越えたし、まあまあ満足するものができた。そんな本が印刷され、世に出たことによって、自分の想定程度には売れた。だが、感想はほとんど来なかった。
正確には、界隈の中で本当に仲がよい友人ふたり程、それに地方在住のおそらく主婦業をやられているフォロワーさんからは来た。この方々がいなかったらこんなもの書く前にさっさと同人誌のことは黒歴史にして畳んでいただろう。しかし、それ以外の、いわゆる同人仲間やフォロワーからは来なかった。
自分が同人誌を読み捨てるタイプのオタクだったら、まあそんなもんだろうと納得が行ったのかもしれない。
だが、今まで感想は書くものだと思っていたオタクにとって、この状況はまあまあキツい。通話しながらあつ森やポケモンではわいわい楽しんでいたフォロワーは、本は買ってくれたものの「良かったですよ」の一言すら来ない。こっちは付き合いも兼ねて読んで感想を送っているのに……と、最初の感想が来るまでは恩着せがましい感情まで抱く程、ダークサイドに落ちかけた。
私一人が書いていた量よりも、自分で本を出版してもらった感想の方が少ないなんてことがあるのか。自分が良かれと思ってしていた経験に復讐されるなんて、そんなのひどくないか。その思いに苛まれつつ、今日もイベント中止にも負けず本を出してくださった方に感想を書いている。
ただ、この増田で書きたかったことの主題は、むしろ同人活動をしていると表明している人間が実際には「同人誌を描いてくれた方に感想を送る」という責務を果たしていないことにあるかもしれない。
このジャンルを仕切るいわゆる同人ガチ勢がいかにも「わたしら誇り高き同人サークル、インターネットの木っ端とは違うんですよ」みたいな面を下げていながら、同人誌に対する感想についてはサボりまくっていることを臆面もなく表明しているのが、ここ最近の精神的苦痛に拍車をかけている。
この界隈には、いわゆる「ボス」的な立場にいる人間がいる。よくオンリーイベントやアンソロジーなどの色々な企画を取り仕切ったり、学級委員として何かを回したりする立場の人間と言えば、ほどほどの規模の界隈なら心当たりがあるのではないか。オフライン活動がメインだと公言しており、インターネットで描いてた頃は反応すらなかったのに、サークル参加を表明してからは急に「あなたの書くものいいですよね〜ファンでした〜〜」と接近してきた。
「ネットで送るよりも生の感想を即売会で本人に伝えるのが醍醐味だから」を言い訳に、この人が感想を書いているのは見たことはない。そして結局当日打ち上げで伝えてくる感想も「こないだのあの本めちゃくちゃ良かったですよ! やっぱり〇〇はかわいいですよね〜」くらい。
ボス程ではないが、同人活動「ガチ勢」の中にはちょくちょくそのような人間がいる。Twitterでは自分の原稿や界隈の中で行儀が悪い人への愚痴がほとんど。それなのに自分がインターネットに適当なイラストを上げる時は「RTうれしいな」と言っている。もちろん他人のイラスト・小説はほとんどRTしない。
「作者の解釈をきちんと言語化して感想として送れるの、本当すごいですよね」と言いながら、この間まではポケモン(自作の刊行直後、TLはこれ一色だった。わたしのような木っ端な作家よりも世界的タイトルが話題になるのは当たり前だが、それが辛くてミュートした)、最近はあつ森の進捗をTwitterにせっせと上げている。
「同人文化を支えていこう」などとお題目を唱えている割に自身の……率直に言って絵柄やストーリーが大して練られているわけでもない原稿に時間を割いて、お友達以外の他者にはほぼ無関心なのは、彼らの言う「同人文化」もたかが知れているのではないか。
界隈にとある方がいる。フォロワーは私の30倍以上、ボスの10倍以上いる、いわゆる神絵師だ。でも、物腰は柔らかだし、私がインターネットに投稿していた頃からちょくちょくお褒めの言葉を頂いていた。上で述べた友人……と、本当に今でも言っていいのか分からないが、恐れ多くも自分が出した同人誌に感想をくださった方のひとりでもある。
その方がかつて、原作について非常に深い考察を繰り広げたものをまとめた、商業の単行本並の厚さ・クオリティの同人誌を出したことがあった。ジャンルバレが惜しくなければ所構わず宣伝したいくらい、本当にすごい本だった。当時読み専だった私は、どうしたらいいのか分からずとりあえず長文の感想を送りつけた。その方はいたく感激してくれた……のが、少しずつ仲良くなることができたきっかけだったような気がする。
それから私は初めてイベントにサークル参加し、Twitterで繋がっていた人たち中心に打ち上げに参加した。ボスが企画してくれたもので、カラオケの一室を貸し切って(何故ならオタク女は人目を憚る話を大声でする必要があるため)わいわいと推しについて語りあっていた。
中盤に入ったあたりだった。ボスが思い出したかのように言った。
「〇〇(神)さん、こないだの本読みましたよ! あんなに(原作)をきちんと捉えてこれが出せるの、本当すごいですよね〜私の本でもそういうの大事にしてて〜」
それで終わりだった。後は自分の本語り。その本が出たのは数ヶ月も前のことだったのに。数人が神の本に話を戻したことで、とりあえずしばらくの間はその本について盛り上がることができた。
その方は、それでも微笑みながら受け止めていた。ただ、それ以降あまりボスのイラストをRTすることはなくなった気がする。
最近、神が主催する推しCP(コンビ)アンソロジーへの寄稿を打診されたので喜び勇んで引き受けた。執筆者にはグループDMで連絡が来たが、同じCPがメインのはずのボスは参加していなかった。それを確認した時、私は暗い喜びを内心に感じながらも素敵なメンバーの皆様に挨拶をお送りした。
……と、まとめてみたら「これ、感想を書いて得してるのでは?」と気づいた。どちらかというと、感想書きのシンデレラストーリーとして自慢できることの方が多いかもしれない。それでも界隈でのさばっている奴らへの心象は悪いままなので、記念として増田に投稿しておこうと思う。
猿山のボスへの愚痴が大半を占めてしまったが、逆に言えば感想をコンスタントに書いている人はどれだけ書き手から感謝されているのか、忘れないでほしい。
この間の新刊にも原稿用紙5.5枚の熱い感想をくれた人のおかげで、今も生きている。ご家庭の都合でイベントには来られなくても感想をくれるあなたのために、次の新刊も頑張ろうと思う。
(20200618追記)
放置していたらはてぶに上がっていた。おかえりなさいという気分です。見てくれた人、ありがとう。色々言われているけど、反応してくれた時点で今日もあつ森をやってるフォロワーの100倍マシです。
@pikopikopan 文字書きってなんでこういうタイプ多いんだろ。/私は描く側だけど壁打ち上等だし、読むけど身悶えするほど好きで何度も読み返した本ほど感想送れないし送らない。/感想送ったら活動止まった人が居てな後悔したわ
私は性格悪いとは思いますけど性格のいい文字書きの方も多いので、主語でかくするのやめた方がいいんじゃないですか。私もやりますが。
あと、感想送る→活動止まるは見えるけど、感想送らない→活動止まるはすぐには見えないから気づいていないだけじゃないですか。何もしなければ責任を取る必要はないけど、真面目に考えるなら見殺しにしてきた同人作家の数でも数えた方がいいんじゃないですか。感想を送らないことを正当化する人間が一番腹立つんですよ。
世の中はリソースの奪い合いじゃない、ゼロサムゲームじゃない、みたいに言う人ちょいちょいいるけど、あれが納得できない。
そりゃ数十年単位とか、世代を越えた範囲で見れば人類全体の過ごしやすさは上がってるだろうけど、大体世の中の人はそんな話はしてなくて、一時間後とか来月とか五年後とかの、実生活と繋がってるスパンの話をしてるわけじゃん。
ほんで、そういう時間スパンや、ミクロな個人規模では、そりゃ基本的にリソースは奪い合いでしょ。
手術の順番待ちでどんな人間が優先されるかで生き死にが決まるのに、人類全体の医療レベルはあがって~とか言われても困るでしょ。
スーパーマーケットの棚にどんだけ並べてもらえるかで売り上げが全然変わるのに、棚スペースの奪い合いじゃないわけない。
人材も予算も時間も限りがあるんだから、誰を救って誰を後回しにするかで福祉の奪い合いだ。
テレビの局数も放映時間も番組数も限りがあるんだから、嫌いなコンテンツをどれだけ潰せて好きなコンテンツをどれだけ増やせるかは日々の楽しさに直結する。
まあゼロサムではないかもしれんよ。元の材料以上の価値を生み出せるからな。+15幸福ポイントを取り合うゲームかもしれんよ。+1、+5、-2、+9みたいなゲームかもしれんよ。
それで幸福ポイント+1とか-2とかの立場で満足できますか。私は無理だね。生きてるだけで寿命が減ってく損害を受けてんだから、できれば9点、せめて5点はかき集めたいね。
ある限られた関係においてはたまにwin-winが成立することもあるが、それは麻雀でコンビ打ちやトリオ打ちしたらそいつらは得、みたいな話で、誰かはカモにされてんのよ。
リソースの奪い合いじゃないよって人は、マジでどういうスタンスで言ってるんだ? 他人をカモにするつもりの悪党か、自分がカモと気づかずに仲間を増やそうとしてるしやわせな不幸者か? 好きな作家がろくに広告費かけてもらえず消えていった経験とかがないのか?