はてなキーワード: 視覚とは
それはただの自己満だし、仕事中に露出に付き合わされる周囲の苦労もわかってほしい。
おばちゃんの露出はエゴ。飲み会でおっさんが延々と自分語りするのと同じ。
飲み会は聞き流せば良いけど、露出は視覚でアピールしてくる分、無音のテロ。タチが悪い。おっさん以下とも言える。
ほんとにもう!愚痴りたくもなるわ…!、いい年なんだから、もう勘弁してくれ!
うちの会社は公務員的な会社で、独身高齢女性が多い。昔は綺麗だったのかなって先輩社員もちらほら居る。
しかし、そのうちの3人ほどが、大胆に露出したり、きわどいラインの高そうなブランド服着たり、
ミニスカにセクシー(笑)柄のストッキング履いて出社してくる。
男なんで一瞬、目が行く、そして、あ、あのおばちゃんの足だったと気付いて自己嫌悪に陥る。
多少スタイルが良くても、仕事中なので意識して見ないようにするのがめんどくさい。
見たら見たでもっとめんどくさい。
あいつらは視線に敏感で大好物だから、若手の○○にジロジロ見られたって「被害」を同僚に話す。
そんで、気持ち悪いって相談するふりして、実は自分の足が綺麗だって暗に再認識したいようだ。
濃いめのメイクにちょい露出、これって社内に居ながら田舎のスナックに居るような気分になる。
女は30代後半になったら露出は自粛してほしい。これは逆セクハラです。
男がやるとセクハラで訴訟モノなのに、女がやっていいのって変だろ。
下着が浮き出すぎてるやら、黒のレース柄ストッキングも勘弁してほしい。
男→男視点で気持ち悪さレベルを喩えると、おっさんが下に着るシャツ無しで、Yシャツを第3ボタンまで開けて、乳首もほんのり透けてるくらい気持ち悪い。
女がセクシーストッキングで衰えない美脚をアピールしてもOKなら、男だってスキニーなスラックス履いて、衰えないもっこり感をアピールしてもいいって論法になるわ。
そんな修羅の国、いやだ。
頼むから、せめてチラリズムでお願いしたい。透け透けレースはアウトだが、上品なレース模様やらで、ちょい見せくらいで勘弁してほしい。
ふだんは隠してるのに、近くで見てみたら、実は良いもの持ってんじゃん、くらいのドキドキがちょうど良い。(一部のニーズがある人には)
年増の女性にセクシーにされても、仕事中なんだから、きれいなの見れてラッキーとか全然思わんし、
私がキリスト教徒に対していつも不思議に思っているのは、会ったことのないイエスという存在をどうしてキリストだと信じられるのだろうか、ということだ。
神を信じるということであれば、まだ出会う(もしくは感じる)体験を通して達成されるということが想像できる。でも、イエスは歴史上のある特定の時代に生きていた人物であって、その人に出会うことはできない。
さらにいえば、その一般的なキリストの視覚的イメージはヨーロッパで生み出されたもので、本来のイエスその人の姿とは大きく異る可能性が高い。キリスト教徒がイエスに出会えるのはただ聖書の中でしかない。
まずイエスという人をイメージできなければ、三位一体を信じることはできない。それならば神を信じるということもキリスト教の教義的にはできないということになる。
イエスをキリストとして信じ、神の位格のひとつであることを信じるというこの凄まじく難しい行為をキリスト教徒はどのようにして達成したのだろうか。私はそれが不思議でならないし、その困難さゆえにキリスト教の教えに感嘆するもののキリスト教徒にはなれない理由でもある。
追記:
トラックバックを読むとどうも誤解されているようなので補足すると、私はキリスト教徒の信仰を嘘だと思ったり、現在のキリスト教が形骸化していると考えているわけではない。どちらかといえば私は、程度の差はあるだろうけれどもキリスト教徒が本当に、真剣にイエスをキリストだと信じているのだと考えている。
おそらく彼らは個々人のやり方でイエス・キリストを信じる強い根拠を手に入れたからこそ、キリスト教徒でいられるのではないかと思う。私はその個々人がその強い根拠を得て、信じることができた、その人が真にキリスト者になれた過程を知りたい。
女子高生の白いセーラー服も汗に濡れその若く活発な新陳代謝の結晶である滴を夏風の中にキラキラとまき散らす七月下旬のいま私は女子高生が猛暑のなか今日一日分の汗を存分に染みこませた裾をバタバタと揺らしてうっすら湿った双丘に新鮮な外気を送り込もうとする姿が見られるのではないかという期待のもとに午後六時頃に都心から郊外へと向うサラリーマンキャリアウーマンその他あらゆる暑苦しい面々を新幹線で売ってる押し寿司のような要領でぎゅうぎゅうと圧縮させた仄かに押し寿司の香りさえ漂う列車に乗り込んだのであるが列の後ろのほうでぼんやり立っていたためホームの駅係員のたくましき腕によってメタボ中年の下腹に押しつけられた上に私の身体の押しつけられた部分が中年の服から染みだしてくるなにかによって水分の感触をおぼえ私は思わず声を上げかけたがそんなことで音を上げるようでは女子高生など夢のまた夢と思いなおし眼球をあたう限り上下左右に動かして周囲の状況を観察してみると車内の人間はほとんど成人のようであったからああ来る時間を間違えたかと気落ちしかけたそのとき右目の視界の端っこ眼鏡のツルに隠れて見にくい辺りにわずかに女子高生の姿がありしかもそれは私が待望していた白いセーラー服に黒光りする合皮の鞄をもった女子高生だったので私は欣喜雀躍し彼女のとこまで雀のごとく跳躍していこうかと思ったのだが常識的に考えて無理だったので鷹のごときつぶらな瞳でもって観察してみると吊革を握る女子高生の指はその何気ない動作においても柔らかであって腕は白くそしてその奥にある腋の下は一本の黒線が入ったカフスに遮られて見えないのであるが私が想像するに制汗デオドラントの鼻に抜ける香りの背後にカバーしきれない膨らみをもった濃厚な汗の香りが混じり合ったものであるだろうというのも彼女がたとえ部活のあとに自分の身体にスプレーをかけたとしてもその汗は今朝通学電車に駆け込んだとき腋の下の汗腺から滲みだしたものであって数時間ものあいだセーラー服の中という狭く通気性の悪い空間の中で発酵したものであるから制汗スプレーのようなもので軽く糊塗したからといって消しきれるものではなく私の眼は五感の一つとしての視覚という枠組みを超えてその臭いをたしかに感じ取るのであったがそれにも増して注目すべきは通勤電車のなかで際立って輝く白いセーラー服のその生地の上にまで確かな存在感をもって浮かび上がってくる淡い緑色あれはたしかに下着の色であろうぞ少女のわずかな動きに合わせてその緑色は細やかな陰影を生じその下にある膨らみの形状を間接的にしかしそれゆえ本質に迫った形で示すのであったがそれを見た私は触りたい吸いつきたいという強い衝動を感じたその瞬間私の押しつけられていたドアが突然開き私は大きな毬のようにころころと線路の上に転がり落ち危ないと車掌が絶叫したのも遅し早し上りの電車が運悪く地を撼かしてやってきたのでたちまちその黒い大きい一塊物はあなやという間に三四間ずるずると引き摺られて紅い血が一線長くレールを染めた。
成功したものだけで、コミュニティを形成しれていることを最近よく感じる。
アメリカでは顕著なようだが、日本でもそれを実感する機会が増えてきた。
ソーシャルネットワーク、スマートフォンとここ最近コミュニティ形成における環境が大きく変化した。
昔から大学、そして会社と階層別コミュニティはあったが、コミュニティ形成がより視覚化された。
昔一緒に情報交換して切磋琢磨した仲間も、勝ち上がれば勝ち上がったものでまたコミュニティを形成し、敗れ去ったものの声を聴かなくなり遠ざけるようになった。
敗れ去った側の自分としては、こうやって人は社会的に死んでいき、生きながらに亡霊となるのだと思う。
死んだ者の声はもう生者には聞こえない。
死んだ者には、条件の悪い住環境、労働環境、よりモラルの低いコミュニティが待っている。
日本はまだましだが、格差が進めばますます死者の環境は悪化するだろう。
まるで、天国と地獄のようだ。
成功したものだけで、コミュニティを形成しれていることを最近よく感じる。
アメリカでは顕著なようだが、日本でもそれを実感する機会が増えてきた。
ソーシャルネットワーク、スマートフォンとここ最近コミュニティ形成における環境が大きく変化した。
昔から大学、そして会社と階層別コミュニティはあったが、コミュニティ形成がより視覚化された。
昔一緒に情報交換して切磋琢磨した仲間も、勝ち上がれば勝ち上がったものでまたコミュニティを形成し、敗れ去ったものの声を聴かなくなり遠ざけるようになった。
敗れ去った側の自分としては、こうやって人は社会的に死んでいき、生きながらに亡霊となるのだと思う。
死んだ者の声はもう生者には聞こえない。
死んだ者には、条件の悪い住環境、労働環境、よりモラルの低いコミュニティが待っている。
日本はまだましだが、格差が進めばますます死者の環境は悪化するだろう。
まるで、天国と地獄のようだ。
告知されていたブックマークへの返信機能(コメント一覧ページで検討中の新規機能について、ご意見を募集します - はてなブックマーク開発ブログ)が実装されたが、いくつか気付いた点を書いてみる。
引用スターがしづらい、コメント内URLが一旦ブックマークコメントページに切り替えないと踏めない、という2つの欠陥がある。これはコメント文章をリンクにすることをやめて、従来の状態に戻せば解決できる。元に戻しても新設されたTwitterアイコン、Facebookアイコンの隣にあるリンクアイコンからブックマーク コメントページに飛べるので問題ない。
raimon49 はてなスターで引用箇所を選択しづらいのでコメント本文全体がクリッカブルな仕様はダメ。
(追記)
seiyuDB url貼っても1クリックで飛べなくなった。改悪でしかない。無条件で鳩とかfとか出して鬱陶しいったらありゃしない。聞く耳持たないご意見募集とか。
従来はメタブタワーが一系統だったが、これからは各ブコメにブックマークできるので、一つのブックマークページから何系統ものタワーが伸びることになる。これを見やすくするには、ブコメの横に赤いブックマークアイコンが付けば多少見やすくなる。
kha パーマリンク(鎖マーク)の隣に[XXusers]とメタブ数が表示されれば、手斧を投げ合う様子が視覚化されて良いと思います。
一つのブクマページから何系統ものタワーが伸びると、それを追うのも大変。
似たような構造としては、スラッシュドットのようなネストできる掲示板がある。スラドのようにボタン一つでメタブを開けるようにすれば非常に見やすい。
ボタンはOff,5users,3users,1userとなっていて、1userにすると全メタブが開く。
メタブというのはブックマークページをブックマークすることだが、 ブックマーク コメントページをブックマークすること何と呼べばいいのか。誰か早めに決めたほうがいい。例えばブックマコメントで、マコメというのはどうだろうか。
取り急ぎ、改善できそうな点を書いてみた。
古来ヴァイオリンというのは、全く弾けない者・少しだけ弾ける者・とてもよく弾ける者の3種類に人類を区別するための楽器だった。
1番目と3番目は人類にとって特に益にも害にもならないが、2番目は雑音を撒き散らして周囲に迷惑を振りまく。
かくいう自分は2番目に入る奏者だった。
保育園の頃から習っていたのに、耳が幼いまま長じた結果、独学になってからは大して弾けもしないのに慢心を極め、手が付けられない状態に落ちたというか。
例えるなら、幼少から料理を手ほどきされたのに「甘い」「辛い」「脂っこい」「デカい」くらいしか味覚が備わっておらず、しかもそれ以上興味が湧かなかったため、「節子デカいは味覚ちゃう視覚や」と親切に指導してくれる人間がいなくなった途端、どんどん腕が荒れてメシマズ化したと。
そこに転機が訪れたのは去年のこと。
何を思ったのか、突然「満漢全席を作りたい!」みたいに、とんでもなく難しい名曲を弾きたくなり、自己流()では無理そうだったので、大人向けのレッスンに再入門したのがきっかけだった。
今振り返れば本当に身の程知らずな話だった。もし例えでなく先生が料理の包丁を持っていたら、冗談抜きで何度か刺されたんじゃないか?という話だ。
そこで、メシマズならぬ音マズでさえ考えなくても弾ける曲を1曲セレクトし、その曲を通じて包丁ならぬ弓の持ち方を叩き直される所から始まり、「ちゃんと歌って完璧に弾け、手先だけで弾くのは許さん」と言われ、先日ようやくマスターした。
でもその結果、それまで全く理解できなかった「妙味」がハッキリ分かるようになり、マスターした曲とほぼ同レベルと定義されている(そして味を理解できない故にバカにしていた)幾つかの定番曲がスラスラ弾ける上に、心底名曲だと体感できるまでになっていた。
やっていた当初は屈辱的なレッスンだと思っていた(この期に及んでまだプライド高杉なのだw)けど、想定外の成果に一人狂喜してしまった。
・・・などと偉そうに書いたが、所詮は「出汁の取り方」「器具の基本的な使い方」「調味料の加減」を考えなくとも正しくこなせるようになった程度だ。
そして「基本がきちんと備わるだけで、こんなに美味しく作れる料理がいっぱいあるんだ!」と喜んでいるに過ぎない。昔からやっていて今更そこかよって話だ。
イージーモードでゲームをプレイすれば、大抵のタイトルでハイスコアを叩き出せるレベルとも言い換えられる。
実際先生も仰っていた。
「これでようやく増田さんも、今まで色々ブレて偏っていた所から、正しい道の入口に来れましたね」と。
「♪君の行く道は 果てしなく遠い」けど、別に歯は食いしばっていない・・・多分。
今自分に出来ることと出来ないことを明確に実感してしまった以上、こうなったら何年かかろうが絶対上手くなるしかないのだ。
最初に書いた3番目にはなってないけど。
先週、母の付き添いで某アイドルグループのコンサートに行った。母はファンだけど私はファンじゃない。ただ母がチケットを二人分で申し込んだところ当選してしまったので(しかも二日間)、ホテルを予約し観光も兼ねた旅行ということで、私はホイホイついて行った。
前提として私はこの某アイドルグループのファンが嫌いだ。理由はまあ子どもっぽいものなんだけど、とにかく嫌いだ。どうしても好きになれない。それは母も知っている。
初日のコンサートはそれはもう苦痛だった。身体的にも精神的にもやられた。背もたれすらない固い椅子に3時間半も座っていなきゃならなかった。周りはみんな立ち上がってたけど自分はファンでもないし立ち上がる気にはなれなかった。母にペンライトを渡されたが、これも振ろうとは思わなかった。
母や周りのファンたちは、私に言わせればどこがいいのか全然わからないルックスのアイドルの、どこがいいのか全然わからない歌と、見ても特に何の感情もわかないファンサービスに体をくねらせながら狂喜していた。異様な光景だった。彼らが何か一言喋れば「キャーーーーーーーーー!!!!!!!」と耳にうるさい歓声がわき上がる。まるでカルト宗教のようだと思った。ただただ気持ち悪かった。
途中で一旦アイドルが舞台裏に戻り、ファンたちがアンコールをしている時はこっちの気が狂うかと思った。何分も延々と、ファンたちがアイドルグループの名を呼び続けるのだ。洗脳されるかと思った。
しばらくしてアイドルが舞台に戻ってきた。またもわきあがる歓声。まあアンコールならせいぜい一、二曲で終わるんだろうなと思っていたら、横にいた母が「まだ一時間くらい続くよ」と一言。私の腰と精神はすでに崩壊寸前だった。
それから結局一時間以上アンコールが続いたのち、やっと帰れることになったのだが、もう私は何も話すことができなかった。話す気力がなかった。ぐるぐると渦巻く後ろ向きな気持ちを抑えるために、ひたすらだんまりを決め込んだ。電車内はファンたちで溢れかえっていた。もみくちゃにされた。疲れきった私の精神はほとんど活動を停止していた。
二日目。できれば初日のような嫌な思いはしたくなかった。そこで私は考えた。
まず身体的ダメージを軽減するため、固い椅子にタオルを敷いた。またコンサート中嫌でもたびたび立ち上がることで腰への負担を軽くすることができた。
また、コンサート中はほとんど目をつぶっていた。アイドルの顔も周りにいるファンたちも、私にとってはストレスでしかないため見ないことにしたのだ。効果はてきめんだった。視覚を遮断することで自分の内面に意識を集中させることができ、有る程度の精神的引きこもり状態に持ちこめた。ただ基本的に座っている状態なため、周りのファンの目を気にした私はペンライトだけは振ることにした。相変わらず歓声はクソうるさかったが初日に比べるとストレスはだいぶ軽減されていた。ああ、今度から何か嫌なことがあったら目をつぶることにしようと強く思った。それくらい視覚によるストレスってやばい。偉大。とにかく今日はこのまま過ごせば大丈夫だなと思った。精神的にもだいぶ落ち着いている。順調だった。だが……
ここで初日にはなかった問題が発生した。初日に比べてこの日は気温が高く、会場内はファンのむさくるしい熱気に包まれていたのと同時にとてつもない悪臭が立ち込めていた。くっせぇ!!!と何度も叫んでしまいそうだった。視覚を遮断している分、他の感覚はより敏感になってなおさら辛かった。初日と同じようにファンたちによる洗脳アンコールが始まり、母は終始目をつぶっている私を心配したのか「大丈夫?」と聞いてきた。私は「いや、このアンコールだけは本気でキチガイだと思うわ」と言った。
舞台裏からやっとアイドルが戻ってきて「みんなアンコールありがとうー!」と言っているのに私はムカついて「何がアンコールありがとうだよ!お前らのせいで私はこんなところで何時間も座らされてんだよ!!早く出て来てさっさと歌って帰れやボケ!!!」と思いながらブンブンペンライトを振りまくった。それにしても臭い。臭すぎる。このアイドルのファン臭すぎる。色んな意味で臭すぎる。今日は少し心の余裕ができたからこの人たちのいいところを見つけてみようなんて思ったけどやっぱり無理だった。笑い声もゲラゲラうるさいし。何が面白いのかわからん。どうしても耐えきれなくなった私はマスクを取り出して装着した。旅行前にネットで「旅行に持っていくと役立つもの一覧」といった内容のページを見て、特に使う機会はないだろうと思いつつ何となく持ってきていたマスクがこんなところで役に立つとは。おかげで臭いによるストレスもだいぶ軽減された。また耳栓も持ってきていたのだが、さすがに歌っているアイドルたちに失礼だと思い装着は控えた。それでもファンたちの歓声がウザいことには変わりなかったので、脳内でファンたちをボコボコにしたり蹴ったり吹っ飛ばしたりして過ごした。
そんなこんなでコンサートは終わった。
ホテルまでの帰り道、私は母に「○○ファンの特徴。クソうるさい、キモい、臭いの3K」とよくわからない愚痴を吐いた。
これほどまでにファンを嫌っているのに、わざわざその中に飛び込んでいくような真似をしたのは、それによる苦しみよりも母と旅行に行ける嬉しさの方がまさったからだ。
ただやっぱりこのアイドルグループのファンだけは好きになれない。そこはもうしょうがないと思ってる。一応それなりの理由があるんだ。
邦画は邦画で音の強弱が微妙で音響効果が無駄に派手である事以外は背景も無駄に凝ってるというだけで
とにかく作品世界を味わいたいという気持ちに発展する事はない。
派手さというコスパだけ無駄に高い演出がアカデミー賞受賞への近道だとすれば、日本円で数百億円規模の制作費を投じて
作られた作品がやたら視覚効果を重視し過ぎて作品世界を壊してしまっている事は割と無視されてるのが現状だろう。
最近は制作費や単価そのものを安く浮かせるために漫画を原作としたオリジナルムービーが主流であるが、
ムービースターは年々その出演料の高さから無名のスター候補をリストアップして、マスコミを使って未来のスターとして宣伝させ
広告塔としての役割を担わせてから出演という形に持って行く事が随分増えた。
AVでいえば、元アイドルという箔を付けるために一度グラビアとか一般のバラエティー番組に出演させてから元〇〇といった具合に箔付けをさせていくのと同じ方法だ。
広告といえば、有名な作家に帯でこの漫画はすごい!とかこの小説は面白い!とかを書かせる事でその作品の良し悪し関係なく先にイメージを定着させる事に重点を置きだしている。
何が悲しいって、昔は一応話題性のある俳優は出すが、作品世界を大幅にアレンジしたりあの手の手の込んだ前準備などは殆どしなくても絶対この映画を見たいと思わせるPVであったり表紙ジャケットだったりがあったし、見応えのある空気を映画自体が醸し出していたと思う。
それなのに実際、昔の映画は放映しなければ分からないギャンブル要素の強い作品であったのが、今は見なくても大体結末が分かってしまう訳だ。
何故ならば情報が様々にあり、大幅に脚色し、無駄に派手なエフェクトだけが先行してしまい、肝心の映画を見たいという気を殺いでしまっているためだ。
邦画と大して変わらないのは、PVや広告に力を入れ過ぎて内容が疎かになっている、というよりは監督やスタッフが視聴者と同じ目線で作品を描くようになった事やマスコミを使えば
どうとでもなるという、映画を舐めきった人間が制作しているからである。
邦画も同じで、その作品がどうして面白いのかを伝えず、やたらと出演俳優や派手なエフェクトにばかり焦点を当ててしまって見たいという純粋な気持ちを無くさせている。
これにより「映画離れ」が進んだのだと考える。
俗に出崎演出(出崎統)、金田演出(金田伊功)と呼ばれるそれは、コストを考えた結果苦心の末編み出された技術の結晶だったのでそれは
一つの表現方法と言えるのだけど、一方でシャフト演出はただ納期に間に合わないから場当たり的に編み出された物ではあったが、それでも
箇所に散りばめられたパロディやギミック等もあって、これもまた表現の一つであると言う他ない。
しかしながら、最近の俗に紙芝居作画というのは酷い以上の物はない。
どうやら予算編成上色塗りをした物に声充てをするに留まっているのである。
どのブランドとは言わないが、商業エロ漫画を原作とした作品群を主にアニメ化しているブランドである。
あれはアニメとは呼ばない。
色塗りをしたところにピストン運動を重ねただけに過ぎず、アニメの体裁を整えていない。
アニメは視覚効果を狙うのにもっとも適した媒体であるにも拘らず漫画に色を塗っただけに留まっており、声優の演技で凡そカバーされているだけに
にも拘らず、このような手法をアニメーターによっては「表現」とか「演出」とか言っているのである。
しかもこのブランドは、動画時間が20分程度でありながら、うち3,4分は色塗り前の、商業エロ漫画をそのまま転載しているのである。
これは果たして商業用に使えるエロアニメなのだろうか、演出は手抜きでただの色塗りに留まっており、声優がそれに声を充てるだけで同人作品以下の印象を受ける。
騙されたと思って、一回、仕事の手順を全て(全て! ここが大事)ノートに書いてみて下さい。業務の手順を、出社前の準備、出社、始業前準備、業務中の各フェイズに区分して。プログラムの構文のように条件分けしてまとめます。わからない所があったら、必ず同僚が上司に尋ねましょう。おそらくボロボロ出てきます。教えて貰えないときは、仕方ないので(クソが、と思いながら)条件を絞って同僚の動きを観察するなり、マニュアルを探すなりして情報を得た上で、兎に角、一度、視覚化しましょう。
「カクテルパーティ効果」というのがあって、自閉症の人は、これが苦手です。無数の聴覚情報から、コミュニケーションや社会参加に必要な情報『だけを』抜き取って取得する、というのができないのです。しかし、視覚情報が選択性が高いため、この情報の刈り込みの不良の影響を受けません。「何度言われても聞かない」のは、そもそも相手の言葉を「聞けていない」のです。情報の視覚化に加えて、マニュアルなどがあるなら、勤務何年目だから、もう慣れているから、などとアグラを書かずに、見せてもらってきっちり読みましょう。経験上、ADHD優勢の人でも、これでかなりミスが減ります。ファジーな判断を求められて困る場合も、データを積めば必ず対応できます(まあ、上司や同僚の気分、というのもありますが、『こんな状況ではマニュアル通りに、ここは手を抜いて大丈夫』というのも、ある程度視覚化して条件分けすると、びっくりするほど理解しやすくなったりします) 覚えきれないことは、ポストイットに書くなり、手帳を持ち歩くなりしてすぐ目で見て確認できるように。情報を、「自分に取得可能な形で」外部化するのです。
当事者だったり、あるいは当事者が職場にいる知人からときどき相談を受けます。で、同じようにアドバイスするんだけど、自分が相談を受けた3件はこれで3件とも改善した(「ほんとだ聞こえてなかった!」)との報を貰いました。単純だからみんな案外やらないんだよね。耳は悪くないのに『聞こえて(認識できて)いない』、というそれだけの状況なのに、想像するのはとても難しいです(本人すら! 経験者は語る)。お世話になった擁護の先生が言ってたけど、これ、耳が聞こえない人と変わらないからね。
・追記:「アスペルガーっぽい同僚」にイライラしてる人も、「あ、こいつ聞こえてないんだ」というのを念頭に置くとちょっと心安らかになるかもしれません。
教育を任されているなら、情報を視覚化するとスムーズです。
・追記2:全ての職場でマニュアルが作られればいいのに(含接客業)
・追記3:当事者から、「耳が悪いので」と最初に伝えるのも、わりとアリだと思います。
発達障害がどうこうと説明しても、多くの人は理解できません。このほうが先入観を持たれにくいし、情報の外部化もラクになります。
これはただのアンケート調査にすぎず、痛覚が脳の活動として見られたとは言っていない。「痛かったと思う」と「痛覚(体制感覚野)が活動していた」は別です。
海馬の活動が見られる事は、夢の中に過去の記憶が出てくる事と関係するだろうが、痛覚などの感覚との関係は不明。
それに夢での感覚が錯覚というなら視覚こそが最大の錯覚、勘違い、思い込み、記憶の誤認識でしょ。絶対に目の前にないものが見えているんだから。
このへんは何言ってるか意味不明。夢は脳の活動が作り出したvirtual realityだと言いたいんだろうけど、それは夢に限らずです。
夢の開始点とv1の活動が相関するという報告はある。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/18830586
http://sucra.saitama-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php?file_id=29415
Zadra, et al(. 1998)、Knoth and Schred(l 2011)らの報告と同様、一般の大学生を対象とした調査を行った結果、夢の中で痛みが体験されることがあることが確認できた。
PGO波以外にも海馬も活動してるんだから、視覚以外の記憶や感覚が機能しててもおかしくないよね。
それに夢での感覚が錯覚というなら視覚こそが最大の錯覚、勘違い、思い込み、記憶の誤認識でしょ。絶対に目の前にないものが見えているんだから。
rem睡眠中にpgo波(pons-geniculate-occipitalis)という脳波がみられ、これが夢の生成と関係していると考えられています。occipitalの名前通り後頭葉、つまり視覚野の活動があるわけです。なので夢は視覚で構成されます。
一方痛覚に関しては視床でゲーティングを受け、ほかからの入力がないため、夢とは関係ないと考えられています。
覚醒後に夢の内容に意味付けをしようとして知覚があったと勘違いをしている(炎の視覚イメージを根拠に、熱かったはずだと考えた)可能性、あるいはメタ認知を認知と勘違いしている(熱いと思った、を、熱かった(熱い感じがした)と間違えている)可能性が考えられます。
男「山手線の乗り換えってどっちですか」
私「向こうにありますよ」
私「そうですね」
男「通勤ですか」
ナンパかキャッチかわからないけど、道案内が目的ではないと察した瞬間に相手の男の顔が急激に醜く見える。
それまではフツメンのサラリーマンと認識していたのに、突然「醜悪な笑顔だ」と感じてしまう。
強引なティッシュ配りのように付いてくる身体の動きも恐ろしく(背の高い男だった)、無視して小走りで逃げることになる。
男「待ち合わせですか」
私「はい」
私「いえ、もうすぐ来るので」
男「もう本当ちょっとだけでいいんですよ」
こちらも顔を見た瞬間は小奇麗な大学生風の男だと認識していたのに、突然、恐怖と嫌悪の対象になる。
待ち合わせ場所に居続けることが出来ず、小走りでグルグルと移動しながら友人に「待ち合わせ場所を変えてくれ」とメールした。
ナンパされ「君の人格を尊重する」的な甘い嘘を言われ強姦され病気をうつされるとか、
無理やり裸を撮影されてネットにばらまかれるとか、ばらまくぞといって金を脅し取られるとか、
キャッチに引っかかって複数人に囲まれ脅迫され高額商品を買わされるとか、変な契約をさせられるとか、
話は至ってシンプル。
「服に興味ないと、知らないところで色々損すると思うけど、それでいいの?」
というだけ。
彼女出来る可能性が低くなる、色んな人から軽く見られる、或いは視覚面で暴力的存在になるので視界から除外される、そうなるリスクを背負っても、身だしなみに無頓着でいいと思うならそのまま生きれば?ってこと。
ガンダムを知らない程度なら一部のアニオタとコミュニケーション出来ないくらいで済むけど、服とか髪型はそうはいかない現実がある。
えーと。「オシャレ」にはだいたい2種類あって。
・コスプレ
ここ分けずに「オシャレ」言い出すから百家争鳴になる。
わかりやすいですね。なんかみんなが「CD」だの「コーデ」だの言ってるやつです。
2次絵で言えば「属性」の盛り方です。
パンクコスプレとか、イタリア色男コスプレとか、NYゲイコスプレとか、西海岸大学生コスプレとか。
雑誌のモデル<<メゾン(メーカー)のモデル<<実在の風俗(軍服とか作業服とか社交服とかクラブ服とか)
みたいな。
実在の風俗なりメゾンの文脈なり抑えてると上級者だけど、まぁそんなのはいいや。
「どこに属するか」を記号的に表す。
BDオックスフォードシャツは、UKオクスフォード大を起源とするホワイトの上流階級学生風コスで、ポロラルフローレンの主力で意味論的には普段着なんだけどフランクなビジネスにも許容されるようになった。みたいな。UKの不良(モッズ他)からウォール街までちょっと二次使用されすぎて意味がぼやけてるんだがその分使いまわしやすい。
こっちが「服装がダサい人の特徴と、唯一の改善策」http://anond.hatelabo.jp/20140413020052 でおもに言われてる要素。
生地とか縫製とか体型にあったシェイプとかを便宜的にこう呼ぶ。
2次絵で言えば塗りとデッサンみたいな。
こちらは「センス」とかあんまない。UNIQLO以降は特にどこも最適化しまくってるので。
材料費と人件費と歩留まりが全てなので、基本的にカネださないと良いもの買えない。
で、テクスチャの方って、どっちかってーと他人に見てもらってセンスを評価してもらう用というよりは、もっと内向きなものだと思うんだわ。
いい素材、かっちりした縫製、合ったシェイプのものを着ると断然にキモチイイ。
単純に、「真冬にゴアテックス素材の体型に合ったジャケット着てると全然暖かい」とかそういう話。
で、その喜びを知っている人間同士が「お。それキモチイイですよねー」と褒め合う、みたいな。本来は。
(あと絵の素人でも塗りの巧拙がある程度は雰囲気で評価できちゃう人がいるように、着たこと無い人でも無意識化であるていど「いい素材」を評価できる人もいる。というかそのような視覚的な快感ももたらすのが素材、縫製、シェイプが「価値のある=高いテクスチャ」だからね。)
で「唯一の改善策」の人は「ゴアジャケこんな快適なのに、なんでおまえそんなペラペラのビニールウィンドブレーカ着てるの? 寒くないの?」って言ってるようなもんで、言いたいことはわかるし、そういう言い方になっちゃうのもわかるけど、世の中には冬でもビニールのウィンドブレーカで乗りきれちゃう我慢強い人も多いし、そもそも寒くない地方の人かもしれない、という。
個人的にはペラペラのウィンドブレーカ2シーズン買うカネで、2倍の値段のジャケットを買って大事にして2シーズンもたせるほうが楽しいと思う派ですけどね。愛的な意味で。
あと他の人も指摘してるけど一般的な意味でいうふんわりした「オシャレ感」については髪とか顔周りの毛関係が果たす役割がすごいデカくて、こっちは服とかよりはるかに難しくて地理的な要因とかめぐり合わせとかあって制御も一般化も無理で厄介だと思う。