はてなキーワード: 自慰とは
そっとして欲しい
けど、それだけでは世の中は進まない
他の誰かが犠牲になってくれて初めてそっとできるんだ
でもミスリードをする人がいる
そっとして欲しい立場の人間はこうやって匿名でしか発言できないから
発言が弱すぎる
罵倒する言葉だけでなく養護する側にも違和感が増していくこの流れに色々書き記したくなった
(本題に入る前に)
厚生省トイレ訴訟の判決については以下のツイッター連続投稿に詳しいので一度目を通して見て欲しい
https://twitter.com/KvN_DSsub08/status/1678688770873524224
ryuchellさんに対して例えば
「男なのに女みたいにして女に近づいて女と子供作っといて男が好きで女になりたいなんて虫が良すぎる」
という論調
言いたい事はわからないではないが
そしてその事に対して子供の頃からずっと思い悩み揺れ動いてきている人生
それこそ成人するかしないかの時期までに
人間の身体は胎児の段階でもともと女の状態から始まりY染色体を持つと
蟻の塔渡りと言われる男性の股にある線は割れ目が閉じた跡であったり不要な乳首が残ったりするのもそれ
何かしらの機能を特化させていく
適合手術をせず男性っぽく過ごしていても特に咎められる事がない前提もあるが
手術をしたらわざわざ言わない限り気付かれる事は無いケースが非常に多いからである
当事者同士というのは普通の人の目線よりも遥かに見分けが付きやすい独自の感覚がある
言われてようやく言われてみれば…の域なのだ
身長が高くなってしまった人はどうにもならないし、他の部分にしたって
整形でどうにかするには性別適合手術と合わせてとてつもない額になる
そのうえ1度やってお終いでもない
ただでさえそこにいたるまでの美容費や時間も女性より多くかかる上に
性別違和がある人間がそれを超えて大金を貯めるために稼ぐというのは
大企業への就職を目指すにしても健常者には見えない精神負担の場面が多い
(風俗など身体を売ればいいじゃないかという事を軽々しく言う人は相手をするに値しないが
仮にそこを考えても女性が風俗をするよりも収入はずっと低いし、それは水商売も同じ)
中には「LGBTの人には特殊技能がある人が多いから良い」というのを言う人がいる
これは順番が違う
特殊技能の世界でしか生きられないからその中でどうにかするしかないというのが現実
特殊キャラでの方が稼げる人はごく一部な上に、自分を犠牲にする比率はより高い
性別適合手術だってそもそも生命の危険を伴うケースも少なくはない
手術自体に成功して戸籍も変更できてこれですべて完了したと思っても
元男という事実は消えないし、そこまでやってもどうにもならなかった骨格などから
「やれることをすべてやったのにこんなではもう無理」として自殺を選ぶという気持ちも
性別適合化は早ければ早いほど良いがとにかく難しい
親にどう話すのか
理解は得られるのか
友人知人にはどうするのか
こういった事をすべてクリアしてようやく社会的にスタートラインに立てる
でもそのスタートラインには同じ世代は既にスタート済みでもう次の世代が立っている
そういうのはトランスじゃなくてもあるだろうと思うかもしれない
それは当然そうなのだけど
トランスだから増える選択肢なんてものはそもそも突飛な芸能人枠しか無い
以前LGBTアライと言われる理解者と言われる人達の出演するラジオに
そのメールには「性同一性障害を患っている」という書き方をされていた
その人達は恐らく悩む事はないという感覚で「患っているって!www」と笑い
そんな身体を五体満足などと思えない
子宮も卵巣も無く乳房が無く異常に男性ホルモンが多い女性としたらそれは疾患であると言えるのではないか
いっそ病気であると捉えてくれた方が精神的に救われる当事者もいるはずで
その上で様々な苦しみがあって
ずっと答えが出なくて
その悩みを和らげてくれる素敵な恋人ができたとしても
恋人でさえも解消しきれない悩みや闇があり続けてしまう事も心苦しければ
その上苦しくても前を向いて明るく生きる事を求められる職業だったryuchellさんの
早くに適合化した人の本を読んだ事があるが
だからこそこういう人もいるんだなとスルーしてくれればそれでいい
それに扇動されてしまう当事者達のせいでスルーしづらくなっているのもまた理解できる
私もその活動に関してはハッキリ言って困っている
そして冒頭の意見になる
ここまで色々語っても
という点についての話はまだできていない
「自分の性別に違和感があるならそもそもセックスなんて気持ち悪いと思うのが当然だろ!」
という当事者でもないから体感したことが無いのに当然と言い放つ人が多いのもまた難しい
トランスだろうとなんだろうと、性欲というものは男女と等しくある
そしてそれは繁殖を意図したものではなく、単に気持ちよくなりたいというのも大きい事は
ペニスは女性器のクリトリスが肥大化したものである事はご存知だろうか
女性と挿入を伴う性行為をしているという話は意外とあったりする
性別を考えず”人”として捉えるのであれば
あくまでも快感の伴う棒状の部位を刺激して性感を伴う行為をしているだけであり
そこに男女という概念を見出さない者同士で行われるセックスというのは
そういう相手とのセックスは一時的に自分の性別がどうでもよくなれる素晴らしい瞬間でもある
そういった悩みを和らげてくれるような恋人に対してなら
男女としての行為を超えて
人と人として愛し合いながら気持ちよくなるという幸せを得たとして
その親がどう示せるのかにかかっている
私の親の片方はメディアに出ていたりもした
良くない報道があった事もある
その事を自ら人に話すことは無いのだが
知る人は知っている
目の前でそれを知らずに「あの人嫌い」という
話された事もある
昨今不倫報道なり色んな事があるたびに「子供が可哀想」という意見が出る
当事者側として思うのは
その親と私は当然違う人間でまともな人ならそれはわかっているので
わざわざ触れてこようともしないし
寧ろ気を使わせちゃってごめんね!
それにメディアの姿はメディアの姿であって自分が親と思っている姿とも違う
子供の頃からずっと一緒に住んでいないしたまに会う事しかないが
大人になって仕事をする姿としてようやく同一視できるようになったぐらい
逆に便利といったぐらい
ありがたく思うまでに留めておけと思う
どちらの話にしても結局
で全て片付く話なのだ
お前は違うだろうと他の当事者に思っている人間だって中にはいる
私もryuchellさんと近く
子供は成していないが
適合手術については一生悩みながら
今も生きている
その上でこんなに長く書いてもまだまだ独自の尺度について僅かしか触れられていない
全てを理解してくれる恋人と出会えるかどうかは大きな鍵だと人生を振り返って思ってしまう
その事さえ申し訳なく思う
pecoさんはもし別れなければと思ってしまうかもしれない
そしてそう思うであろう事はryuchellさんだってわかること
そう思わなかったのかという意見もあるかもしれないが
それもまた尺度が違うのだ
私は男にも女にもなりきれず
一旦女にならない事を選んだこと
結果それが苦しくなったけどどちらを選んでも苦しかったであろうこと
男子制服を着ててもスラックス選択できるなんていい学校だね!と他校の女子に
言われるぐらいにはその頃まではまだ後の苦しみに気づけずにいた事
ryuchellさん
えーと、私は女です。
私は小さい頃から「男の人に無理矢理エロいことをされる」のを妄想しまくってきました。
どの位かと言うと、幼稚園くらい。
セーラームーンのアニメを再放送で観た時「わたしがされたいのはこれだ!」と思ったのを覚えています。
具体的に言うと主人公のうさぎちゃんがタキシード仮面ではない男の人に目をかけられて着替えさせられ、無理矢理襲われそうになるというシーンでした。
(作中ではもちろん未遂です)
それ以来ずっと脳内で「自分が誰かに犯される」のを想像してました。もちろん具体的なことはわからんのでぼんやりとイヤらしいことってこんなだろうな〜〜とか妄想しました。もっと具体的に言うと自慰をしました。
少し大きくなってちゃおを買ってもらいました。
当時ミルモとかエンジェルハントとかたくさん面白い漫画が載ってたので楽しく読みました。ちょっとエッチなのもあってよかったのを覚えてます。
で、しばらくするとそこで不満が出始めるわけです。《エッチさが足りない》と。
するとどこからか(おそらく兄姉がいる家の子)から「少女コミックというのがやばいらしい」という情報が入ってきました。
私はいつも漫画を買うための小遣いを使って少女コミックを買いました。
当時は新條まゆ先生が「覇王アイレン」という漫画を連載していて、それがもうとんでもなくエロかったのですね。
私が買った号では、主人公の女の子が無理矢理お酒を飲まされてクンニされ最高に気持ち良く喘いでいるシーンが掲載されていました。
こう書くと下品の極みですが、当時の私はものすごく安心しました。
雑誌の中で女の子がエッチをしている、これは私がしたいことだ。
私は本当は誰かにこうされたい。
もちろん好きな相手とこれをしたい。
自分は小さい頃からずっとずっとこれをしたかったんだ…………!
自分は独りじゃなかったんだと。
自分と同じような考えの人はたくさんいるのだと。
さながらヘレン・ケラー女史が「Water」を理解したときのようでした。
しばらくして、この気持ちを「性欲」というのだと学校で教わりました。
セックスは誰とでもはしちゃいけない、自分の身体は大切にしなきゃいけない、ということも先生達に丁寧に教わりました。
そして現在
私は真面目な会社員になりました。
夜にはオナニーをしますし、時々彼氏とセックスもします。(私はムラムラした時しかしたくならないのであくまで時々です)
マッチングアプリで出会った相手と流れで……といったこともありませんし今のところ望まない妊娠もありません。学校で避妊は教わったので。
さて、私はこんな人間に育ちました。
これは少女漫画やアニメからの悪影響でこうなったのでしょうか。
本当に子供向けコンテンツの性的描写は一切NGなのでしょうか。私は疑問を覚えます。
子供は漫画やアニメが原因で変態になるのではなく、そもそも変態に産まれるのだと私は思うのです。
大丈夫。
なるようになるから。
映画鑑賞は趣味として許されて、テレビ鑑賞はまだ微妙な気がする。
ウインドウショッピングは許されて、買う気がないのにAmazonを探索ってのはまだ趣味としての市民権は得てない気がする。
ちなみに、私の趣味は、
小学生だってマスターベーションをするからです。男子だけでなく、女子も。
https://news.yahoo.co.jp/articles/73d6ccaddc8cda67aa8b6c9ddb8c28493c7e0a92
炎上しているこの件、「なぜ小学生が読む雑誌に性的な漫画を載せる必要があるんだ」「子供に性的コンテンツなど必要無い」「子供に性的要素を見せるな」
と一部の大人たちが吹き上がっているが
簡単な話で、「小学生もマスターベーションをするから」であり、小学生男子は少年誌に載るようなパンチラやおっぱいの直接的なエロ描写で自慰行為をしますが、小学生女子は「直接的ではないけれどエッチを想起させる雰囲気や関係性」から妄想してマスターベーションするんです。
(そもそも溺愛ロワイヤルは新潮社ではなく小学館のちゃおだし、出張再掲載されたものだし、溺愛ロワイヤルに限らず八神千歳先生の漫画はエッチな雰囲気を醸し出す事に定評があっても直接的な性描写に突入するような漫画は描かない)
もう一度言います。
(※物心付いたばかりの幼少期の無意識的な自慰行為の問題もありますが、その頃の自慰と思春期の小中学生の自慰は別物であるという考えが一般的です。本記事においては小中以降の意識的な自慰行為について言及しています)
(自慰行為を「セルフプレジャー」という言い回しを推奨する教育者もいますが、それこそ臭いものに蓋をするようで個人的には嫌なので本稿ではマスターベーション・自慰と表記します)
今回に限らずこういう性的表現問題で炎上する際に、毎回必ず「小学生もマスターベーションをする」という事実を黙殺、蔑ろにした状態で議論を進められる事にずっと違和感があります。(くどいですが溺愛ロワイヤルはそこまで直接的なエロを描く漫画じゃないです。が、性描写に踏み込む少女漫画は数多くあるので一般論として話を進めます。)
小学生の立場で考えたらそんな事言及されたくは無いだろうし私も言いたくありませんけど、でもそれで子供が声をあげられない事を良いことに「子供から性的なものを想起させる程度の描写といえども徹底排除させろ!」という人たちには鼻白む思いを何度もしてきたのであえて言及します。
こう言うと、「そういうのが見たければこっそり青年誌を読むだろう」「だから子供が読む物に性的なものなど必要ない」と言う人もいます(ていうかいました)
ゾーニングの問題もありますが、あえてそれは置いといても異論があります。
私は小学生の時にAVをこっそり見る機会がありました(仁義もあるので見た時の方法・状況については伏せます)
性的な欲求からではなく、単なる「大人はどういう物を見るのだろう」という好奇心や興味からです。
実写の男女がセックスで交わる映像を見て、率直に思ったのは「気持ち悪い」でした。
大人がセックスする事は、それこそ漫画の知識などで知っていましたが実際にやっている所を映像を観た時は、こんなものを観ることで「エロい」と思える事が理解できませんでした。
だからといって全般的な性嫌悪になるかと思えばそうはなりませんでした。
やはり性的なものが絡む世界には興味がありましたし、たまに載るちゃおやりぼんの「少しエッチな空気の漫画」にムラムラし、小学生が考えうるレベルの「その先の更にエッチな事」を想像してマスターベーションをしていました。そして背伸びしてSho-Comiに手を出したりします。
でもそれ以上の年齢層の女性誌や青年誌をこっそり立ち読みしても「なんか違う」「ここまでのものは求めてない」という気分になり実用に向きませんでした。
(Sho-Comiは建前上は中高生向け雑誌という事になってますが、小学生も読者層のターゲットに加えていることは暗黙の了解となっています。Sho-Comiによる小学生からを対象とした投稿漫画コンクールもあるぐらいですから)
小学生にとってはちゃおや、行ってもSho-Comiレベルが一番身の丈にあっていて、それ以上の性表現は逆に性的に感じなくなるんです。
ただそれは年齢相応の話であって、年月を重ねる毎に性的に感じるレンジも広くなっていきます。成人した今では普通にAVやエロ漫画を見てマスターベーションをするようになりました。
漫画の性表現についてはコンプライアンスの問題がついて回りますし、今回炎上した溺愛ロワイヤルもコンプライアンスをキリキリに縛れば当然不適切なものにあたるのでしょう。
でも漫画は道徳の教科書じゃないんだから時には不道徳なものだってあるでしょう。
ハラスメント的な問題も当然もあるでしょう。子供に変な思想を植え付けられるという心配もあるのでしょう。
でも子供の事をそこまで馬鹿だと思っていないなら、そういう時は親や大人は子供と適切な対話でもって対応してほしいですし、決して否定や叱責、あるいは世間を扇動させて作品や描写の排除に向かわせる事だけはどうか止めて頂きたいんです。
私は性教育における「はどめ規定」は無くなってほしいし、小学生の内から適切な性教育を受けるべきだと思うし、ジェンダーや性交をタブー視しない包括的性教育を行ってほしいと思ってます。
その上で、ちょっと危うい不道徳さが残る性表現をも排除する社会にもなってほしくありません。
私は小学生の頃からマスターベーションをしてきた身として、小学生にもマスターベーションの自由はあると思うし、大人が頭ごなしに否定してほしく有りません。
そして小学生ともなると、何も見たり聞いたり一切参照せずマスターベーションする事は流石にできなくなる事も知識として理解してほしいです。
私は小学生の身の丈に合った性表現の漫画、いうなれば「小学生が読めるエロい漫画」は必要だと思うのです
ジェンダーやコンプライアンス、ハラスメントの問題、描き方の問題など多くの事が積み重なってくると思いますが、そこを乗り越えてでも「小学生が読めるエロい漫画」はあったっていいと思います。
私の、あまり明るくはない小中学生時代はマスターベーションをする事でだいぶ救われた過去があるので、性的な描写を含む漫画を子供から取り上げる事は、私のようにマスターベーションが救済になっている子に対してマスターベーションを取り上げるようにも思えて、気分が悪くなります。ましてや「検品」だなんて・・・・、この親は育成ゲーム的な感覚で子供を育てているのかと少なからず怒りもあります。
私の親は誇れるような親ではありませんでしたが、私のマスターベーション事情に関しては深く追求せずにいてくれた事は有りがたく思っています(何度かしてる最中に部屋に入られそうになり、テンパった姿を目撃されているので何をしているのか親も大体はわかっていたんだと思います。)
長くなりましたし、思いついたまま書いたので非常に取り留めのない文章になりましたが、今回の溺愛ロワイヤルの炎上の件で一度思っている事を吐き出したい感情にかられたので書きました。
乱筆乱文でごめんなさい。
昨日さー婦人科行ったんすよ。
30代で生理痛酷くて血も赤褐色になっててこれはあかんなと思ってさ。多々調べて行ったので案の定じゃあ内診しましょうってなって。まあ内診台にはゲロ吐きそうになったものの精神殺して乗ったけどその先の内診がむちゃくちゃに痛くて痛くてヤバかった。マジでヤバかった。
ちゃんとゼリーも使って器具?も1番小さいのにしてもらったのにクソいてぇのなんのよ。
膣って体内器官な訳で腕や足の外部の痛みとは全然ちげぇのよ。かっぴろげた内蔵を無麻酔で、ゴリンゴリンされるような痛みなのかな。されたことないけどさ。
いてててあああああたたたたたたいたたたたたっ!!!!!!!!て思わず足を抑えててくれた看護師さん蹴り飛ばしてしまった…。ごめんなさい…。
ドタバタ内診に先生には慣れてるから大丈夫ですよって言われたけどほならなんで麻酔かけへんねんアホボケカス…。
もーーーーズッキンズッキンして歩くのも痛くて今鎮痛剤飲んでる。マジで痛い。親知らず抜いた時以来のつらさだわ…。
どうも膣が小さい人もいるみたいで(広げる手術とかあるみたい?)そういうのかなと思ったけど先生には特に何も言われんかったのよね。
これ皆どうしてんだろ?
セックスなら前戯とか愛撫でもうちょい広がるんかね?自慰好きだけど膣にぶち込むタイプの行為はやってねーからますますセックスは御遠慮したい以外の気持ちがない。
てかセックスも出産も無理無理無理。無痛ならアリだけど。無痛セックスってある??なくね???じゃあもういいやいらん。
使ってないから萎んだ説を考えたのだがそんなら余計に麻酔いるやろ。ここの神経使ってなくて縮んでるのでじゃあ麻酔なしで歯抜きますねーってならんやろ。
あとやっぱ内診台はよくない。あれはトラウマ生むわ。特に若い子にはダメ。海外の内診台は腰が上に上がらず寝転んだ状態で足が開く形で先生が下から覗き込むみたいなやつだったけどあれにしてくんないかなぁ。ウィーン股間ガババババーとかほんと無理。自分の中のメンタルが根こそぎぶっ壊される感じ。もう二度と無理。無理無理の無理。
子宮頸がん検査もあれなんでしょ?どうせセックスするつもりもないから検査受けないけど世の女性はセックスするとあの屈辱を受けることになるぞと性教育で教えた方がいい。でもワクチンあれば大丈夫か。じゃあいいや。
あ、診断結果は子宮内膜症でした。おめでとう。ありがとう。生理止める薬の副作用に生理(不正出血)ってあってなんでやねんって思わず突っ込んだ。つか生理って止めていいんだね。これで旅行もプールも行き放題じゃんって喜んじゃった。
数か月に一度は内診必要らしいけど私の暴れ具合を見て免除になりました。ごめんなさい…ほんと。看護師さんもごめんなさい…。先生は良い人でした…。
だからこそ女は痛みに耐えれるなんて歴史作ったアホは土下座して欲しい。耐えれる訳ねーーーーーーっつの。
部位的に難しいなら頑張って使える麻酔作ってくれ。そんくらい出来るやろがい。頑張れ日本。
はぁつら……まだシクシク痛むわ……
当然のことながら、実生活においては女性を憎んだり、屈服させたいとかは一瞬たりとも考えたことはありません。国や個人は、そういった性的な暴力が生まれないよう働きかけるべきですし、何より被害に合われた方のことを考えれば、たとえ創作であってもそんな恐ろしい事柄を扱った物は無くなるべきだとも思います。
しかしこと「抜き」の場面となると、そういった性暴力要素が含まれている物でなければ満足の行くものにはなりません。そして今私はそういった創作物でシコり倒しているわけです。これは矛盾です。自慰行為なんてしなくても生きていけるじゃないですか。
やっぱり本心では被害にあった方のことはどうでもいいと思ってるんでしょうか?
何故そんな趣向を持つ事になったのか、理由を考えます。自分が初めて触れた(あるいはさせられた)ポルノ作品が強姦モノだったことが起因しているかも?もしくはリアリティの問題かも?そんな経験とは関係なしに、生来の気質かもしれません。
この趣向を正そうと、以前性被害の悲惨さを訴えたものや実際起こってしまった事例について調べたことがありました。が、案の定私はその本や記事を読んでいる間じゅう勃起していたんですよね。苦笑。
現状僕を治療する手段も逮捕する法律もありません。おそろしいことです。
こんな人間を野放しにしていいのか?まぁいいんですけど。でも、良くないよねと。
ストンと性欲も、食欲(グルメ欲と言い換えたほうが良いかもしれない)が湧かなくなってしまった。
原因はわからない。
それまでは、この年にして恥ずかしながら毎日1~2回は自慰行為をしていた。
FANZAで買ったAVは1000本を超える。風俗を利用する頻度も多い。
同じように自分はグルメ欲も強く、美味しいものを食べるのが大好きだった。
女の子と、友人と、一人でもいっぱい食べた。
そういった欲望を満たすために今まで猛烈に働いてきたようなものである。
それがどういうわけか、ストンとその欲がいきなりなくなってしまった。
仕事の結果に対して「まあなんでも良いんじゃないの」と投げやりな感情が芽生えつつある。
承認欲求にまみれた投稿をしていたSNSも触る気になれなくなった。
2年ぐらい、週一でパーソナルトレーナーと筋トレに励み、
歯列矯正を始めて、口内環境が常に少し不快なのはあるかもしれない。
どうすれば性欲と食欲を取り戻せるだろうか???
真剣に悩んでいる。
10代と変わらない鬱屈とした欲望で自分は前に進んできたのに。
「性欲は下賤な感情だ」「グルメは意地汚い」「その年なら父親であるのが通常だから普通の話だ」のような説教はいらない。
自分でも充分わかっている。
自分なりに問題と向き合ってみて何がいけなかったのかを整理してみた結果、気付きがあったよという話です。
我が家では妻が二人目の子どもを妊娠してからセックスに応じてくれなくなり、気がつくと8年近く経っていました。
子どもがいるとなかなかそういう空気にならないのは仕方ないことですが、まれにチャンスがあっても「眠い」「疲れている」「休ませてほしい」と言われるばかりで、そうなると強要することが加害ともなりかねないとそれ以上は話が進まないままにフラストレーションを溜め込み続けました。
セックスの話をするときに、どうしても「気持ちがいい」という言葉が頭の中に支配的になります。
実際、妻と話し合う上で、どうしてそんなにセックスがしたいのかを説得するときに大きな戸惑いとなりました。
そんなに難しい話ではないかもしれませんが、でも、どうしてしたいのかを考えた時、「気持ちよくなりたい」「気持ちよくしたい」以外の理由にはなかなか行き着けなかったのです。
誤解のないように書きますが、ただセックスをしたいのではなくて、妻とセックスがしたいからこそ悩みました。
他人とのセックスが浮気になるとか、そういうことは問題にはしていません。
その時点で、「気持ちよくなりたい」という理由に対して少くない矛盾が生じました。
ただ気持ちよくなりたいなら誰でもいいはずで、妻を気持ちよくさせたいという気持ちでさえ、相手が望んでいなければただの押しつけになります。
なのになぜ自分は、これほどまでに妻とセックスがしたいのでしょうか。
頭をかきむしりたくなる気持ちで妻とのセックスを渇望しているの自分が不思議でなりませんでした。
ここまで結論をもったいぶっているわけではなく、このジレンマとも言えるような気持ちに多少なりとも共感してもらってから話を進めたかったということをご理解ください。
そうして考えて考え抜いた結果にたどり着いた視点が、セックスは「嬉しい」ことだということでした。
そんな当たり前のこと?と思われるかもしれません。
それくらいに気づいている人には当たり前のことなのでしょう。
でも、自分はそれに気づくまでに実に10年近い時間を要しました。
自分が妻とセックスをしたいと渇望する理由は、この「嬉しさ」を二人で共有したかったからなのです。
「気が乗らないけど、そんなにしたいならいいよ」と言われたこともありました。
でも、それは違うような気がして断りました。
自分も気持ちがよいし相手も気持ちが良いはずなのになぜなのでしょうか。
無理やりさせてもらっても自分が惨めになるとかそういう気持ちがなかっとは言いませんが、何かもっと、自分が満たしたいものとは違うような気がしていました。
そのセックスに自慰行為との違い以上のものが見いだせなかったからです。
そうして考え抜いた結果にたどり着いた結論が「嬉しさ」でした。
きっかけがあったわけでも運命的な啓示があったわけでもありません。
あくまで仮説でしかありませんでしたが、色々と照らし合わせて考えてみると納得できることばかりでした。
例えば、自分が他人とのセックスにそれほど興味がないのも、この「嬉しさ」が実感できる気がしなかったからなのだと考えれば納得でした。
この仮説を元に、妻ともう一度話し合いをしてみました。
セックスがしたいという欲求自体は快楽からくるものかもしれないとした上で、自分にとって妻とのセックスがどれだけ嬉しいものであるか、その嬉しいと思えることが何年も実感できていないことがどれだけつらいことであるか、この嬉しいという気持ちは妻とだから成り立つものであって他人とでは絶対になしえないものであり、そして、妻にとっても二人のセックスは嬉しさに満ちているものであったはずだということをゆっくりと時間をかけて話し合いました。
妻にとってもこの「嬉しさ」という視点は盲点だったようで、深く納得している様子が見られました。
どこか子育てを責任もってやり遂げなくてはならない自分にとって、快楽を求めることが罪のように感じられていたことは否定できなかったそうです。
それでも快楽という欲のために行うのではなく、夫婦としての「嬉しさ」をともに感じ合う行為だとするのであれば、そこに罪悪感はないのではないか。そんな風に考えてみたらどうかと提案してみました。
すると妻からは「それならば」とOKをもらうことができました。
ただし、今すぐにというわけではなく、少し体調が整うまで待ってほしい。
その日はそうして話し合いが終わりました。
かくしてその一週間後、何だかいつもより上機嫌にお酒を飲む妻が、子どもたちをさっさと寝かしつけると夜になって僕の寝室へと忍び込んできました。
(子どもが小学生になったことによる生活時間の違いで自分だけが別の部屋で寝ていた。)
そうして8年のセックスレスは終わりを告げました。
月並みな話かもしれませんが、終わったあとは本当に嬉しくて涙がでてしまいました。
それに気づいたからか、妻の目も何やら潤んでいることがわかりました。
なんとなく、快楽を一番の目的としないことを自覚した上でのセックスは、今までとは少し違ったものに感じられました。
それほど多い訳では無い自らの経験を振り返ってみても、この「嬉しさ」を感じられたセックスとそうではないセックスがあることに気づきました。
愛などという乱暴なことばで説明するつもりはありませんが、少なからず、性欲や快楽を満たすために行ったセックスでは感じることのできない感情だということがわかりました。
ただ欲に従って生きていれば満たされるわけではないということが、分かっているようで全然分かっていませんでした。
特効薬を期待した人には申し訳ないですが、これが我が家でのセックスレス解決方法となりました。
もし同じようなジレンマに悩む人がいるならば、何かの助けになってくれれば幸いです。
https://anond.hatelabo.jp/20230613103158
俺は表現の自由戦士として、刑法175条は廃止するべきであると考えている。理由は次の2つだ
A.チャタレー裁判への疑問
チャタレー裁判の最高裁判決が出たのは1957年でまだ戦前からの司法が色濃く残っている頃であり、その判決を現代まで続けることに疑問がある。とりわけ、チャタレー事件ではわいせつ図画を規制する理由として『性的秩序を守り、最小限度の性道徳を維持することが公共の福祉の内容をなすことについて疑問の余地がない』としているが、私は少なくともこの点について十分に疑問があると考える。
もしくはチャタレー裁判で示された『性的秩序を守り、最小限度の性道徳を維持すること』が守るべき利益(保護法益)だとして、『それを守るため、男性器と女性器にはモザイク等の修正をしなければならない』が保護法益を守ることに繋がるのか疑問だからだ。インターネットで海外の無修正性器画像や動画をいくらでも見られる時代に合った規制であるとは同意し難い。
まず前提として、表現の自由に限らず自由権の本質には『他者に我慢させる権利』が含まれる。ユダヤ人の居住移転の自由は『ネオナチに我慢させる権利』が含まれ、街中でロックを流す権利は『KKKに我慢させる権利』が含まれ、地上波テレビで『弟の夫』などの同性愛コンテンツを流す権利は『“同性愛は神の作った自然に反する罪である”と考えるアブラハムの一神教徒に我慢させる権利』が当然に含まれる。
その上で、ある程度人権が制限されているのは未成年だ。参政権などは代表的だが、ポルノを見る権利、ポルノに出演する権利、性行為をする権利などの性に関する自己決定権もある程度制限されている。
その意味で言うならば、ゾーニングは表現の方法そのものに制限を加えるド直球の表現規制であると同時に、表現を見たい側の権利も侵害する。だから俺は『未成年に見せないため』の最低限のゾーニングについては支持する。一方で『見たくない人のためのゾーニング』は表現する側が行うのは自由であるが、行うことを義務にすることには一切賛成しない。見ると不快になるものからは目を逸らせばいいだけだ。
もちろんある程度は制限されるが、未成年にも性に関する自己決定権はある。『中学三年生の息子の自慰行為を止めさせたいです。未成年に性的自己決定権は無いのだから、親の監督権として止めさせても問題ないはずです。私が統一教会の信者であることは無関係です』という主張には元増田もそれ以外の読者も同意しないだろう。
その意味で、未成年が『性器·肛門·胸などを出すポルノに出演する性的自己決定権』は制約されてもやむを得ないだろう。だが『水着撮影会もダメ』という制約も妥当だろうか。あるいは、今回の性交同意年齢の引き上げはつまるところ13〜15歳から性行為をする自己決定権を奪うことになるが、本当にそれが妥当なのか。パターナリズム的に“保護”するということは自己決定権を奪うことだ。そのことをもっと自覚して慎重になるべきではないか?