はてなキーワード: 自己肯定感とは
元増田です。
認知の歪みがある→これは本当にその通りだ。自覚してる。素直にSCさんの話が聞けないどころか、ああいうキラキラした自己肯定感とか言われると仄暗い感情がわいてくるのは俺の認知が歪んでいるからだよ。
続けるのが大事っていうのも確かにそうだ。でもな?俺にとってはあんな自信や慈愛に満ち溢れた人間の話を長時間聞くことが既に苦痛でストレスなんだ。どうすりゃいいんだ…俺がひねくれてるのは大前提として、SCさんとの相性が悪いんだろうか…?
お前の指摘はもっともだよ。筋が通っていて素直に納得できる。ただ、大人相手に「お前の話のここがおかしい」とか言えたら苦労してねえんだ!!!大人と二人きりになると基本的にニコニコして話を聞いてしまう癖が抜けねえの!!なんなんだ俺は!!大体の問題は俺の性格と認知のせいに帰結するんだよな!!
ごめんな、まともな指摘してくれたのに叫んでしまって。一重に俺のせいでしかないんだが、どうにも難しく考えすぎる節があるんだよ。こういうのも治せるのかなぁ…
定期的にS○Xできる相手はいないので、単なる自慰行為ということになるが、常時というわけではないが多いとほぼ毎日(週5,6回)してしまう。
ストレスがたまっていたり、自己肯定感が下がってそれを埋め合わせたいと考えていたり、思い当たる節はいくつかあるが、わかっていてもなかなかやめられない、疲れていても翌日早くて寝ないといけないとわかっていてもやめられない、つまり依存状態になっていると危惧している。
筋トレをした後特に欲求が高まるような気がする(テストステロンが出るから?)。
仮に自慰行為をやめれたとしても、根本的な原因をなんとかしないとまた他の何かに依存してしまいそうだ。
自己肯定感を高めれば緩和されるのかどうかはわからないが、とにかく無駄な時間と労力を使っているこの状況をなんとかして改善したい。
お盆の時期、自分や自分の6歳の娘を含めた親戚数名で何でもバスケットをした。
※何でもバスケットとは、人数分より1つ少ない椅子を円に並べ、中央に鬼が立ち、それ以外の人が椅子に座る。鬼が例えば「眼鏡をかけてる人ー!」と言うと眼鏡をかけてる人は席を移動する、座り損ねた人が次の鬼、というゲームだ。
鬼が「可愛い人ー!」と言った。みんながシラーっとしてる中、私の娘が1人だけ当たり前のようにすっと立った。1人しか立たなかったのであっさり鬼になってしまった。みんなで「まぁかわいいからしょうがないねー」と言った。
そのあと何回かして鬼が「賢い人ー!」と言う。が誰も立たない。次に「バカな人!」と言うがやはり誰も立たない。大人は移動を少なくすることが勝つコツだと心得ている。その後鬼はニヤッと笑って「可愛くて賢い人!」というとまた娘が1人だけスッと立った。完璧だ!と私は内心満足していた。
その後また鬼になってしまうと察した娘は「〇〇ちゃんも可愛くて賢いじゃん!」と〇〇ちゃんの手を引っ張って無理矢理立たせて〇〇ちゃんの席に座った。鬼は〇〇ちゃんになった。
期待以上だ!!と私は感動した。
私たちは30代夫と20代妻、身体面では至って健康な夫婦である。
おそらく妊娠は可能だが、結婚当初からあえてピルでの避妊を選択しはや3年余りが過ぎた。
子なしの理由は様々だが、一番の理由はお互いそもそも子供を欲しいと思っていない点が大きい。
特に私(妻側です)の「産みたくない欲」は凄まじく、とにかく産みたくないったら産みたくない。
思えば子供時代からおままごとやお母さんごっこが苦手で、与えられる赤ちゃん型のお人形にはあまり興味を抱かない幼児であった。
おままごとに参加するにしても、常に赤ちゃん役やペット役に徹し、親側の視点には立たないよう心がけていたように思う。
その当時私の家庭事情が複雑で親が暴力により離婚していたこともあり世間一般よりも2〜6歳頃の記憶が濃く、なにせ友達におままごとに誘われると嫌な気持ちになっていたことをよく覚えている。
将来の夢に「お母さん」「お嫁さん」と書ける人間の気が知れなかったし、中学生になった頃にはもしも大人になって結婚したら子供は持たないでおこうと決めていた。
現代医学を持ってしても十月十日自分の子宮に子を宿し内蔵や骨の位置をグチャグチャと変えられながら育てないといけない時点でもう嫌だし、自分の身体を交通事故と同等レベルまで痛めつけないと出産ができない時点で本当に嫌だ。
その後も地獄のような育児が始まり、一秒でも目を離すとすぐ死ににいく生き物を自己責任で最低20歳まで生かさなければならないのも負担が重すぎるし、何より我が子の愛着の形成に全くと言って自信がない。
子に唯一無二の自己肯定感を与えられる教育育児など私にできるはずもない。
おかげで、二人で慎ましく暮らす分には夫の給料だけで十分食べていけるところを、私も自由にフルタイムで働きに行きそれなりの世帯年収でそれなりに二人してドンチャカ遊びながら暮らせている。
「なんで子供いらないのに結婚したの?」とよく聞かれるが、これは「大切な人が危篤になったり亡くなったとき、自分が一番側にいてあげたいから」に尽きる。これが我が国の婚姻制度における一番のメリットなのではなかろうかと思うのだけど、この話をすると既婚の方にさえ「へえ、確かに!そんなの考えたことなかった!」みたいなことを言われるのでこっちがびっくりしてしまう事が多い。
またよく言われること繋がりの話だと、私がまだ20代前半であるため「これから気持ちも変わるよ〜子供欲しくなるよ〜」という言葉をよく頂くことが多いのだが、少なくとも6歳前後から今まで「私、お母さんになりたい!」と思った瞬間が一秒たりとも存在しなかった私が果たして本当に母になる自分を許容できるのかと言われると正直怪しい。
おそらく我が家は生涯子なしのまま、数千年前より長らく続いた命のバトンを我々夫婦で終わらせることになるのだろう。
辛いのは、不妊疑惑をかけられ腫れ物扱いされることぐらい。何度選択子なしだと話してもこればっかりは理解されづらいらしい。仕方ない。
他人の子供は可愛いし知り合いの出産は素直に喜べるので、本音を言えば気を遣わず教えてほしい。
逆に言うと不満はそれくらいのもので、今の生活はとてもとても幸せだ。
ニュージーランドのジェンダーギャップは世界で6位だ。日本の121位に比べたら天と地ほどの開きがある。
多くの女性は思うかもしれない、さぞや女性にとって生きやすい国なのだろう、と。
少し話をしようと思う。本当に生きやすいかは話を聞いてから考えてほしい。
あらゆることにおいて男女平等と言うことが進んでいくと、女性も男性も等しく実績に応じて昇進、昇給する。性別が判断基準になることはない。性別が判断基準になるのは、性別が本当に重要だときちんと説明できるときだけだ。
業務の割り振りについても性別は顧みられない。道具が用意されてれば容赦なく重たい家具を運ぶ仕事もやらされるし、危険な場所で仕事もする。道具がなければ流石に男性がやる。女性にもできるとみなされた時点で女性もやる可能性がある。
政治の世界でも同じだし、教育でも同じ、たしかに平等に扱われる。女性だからといって不当な扱いを受けるいわれはない。女性もきちんと意見を述べて主張するところは主張する。
ハラスメント研修でも、女性が加害者になるケースに必ず触れられるし、DVの啓発ポスターでも男性が被害にあったものと女性が被害にあったもの半々だ。ここでも性別は考慮されない。
女性のほうが被害に合う率が高い、とか、男性のほうが深刻な暴力を振るう、なんてことは言われない。男女の別なく被害者も加害者も制度に従って平等に扱われる。
許されることは男女平等にゆるされるし、許されないこともまた男女平等だ。
女性が働いて家計を支えるケースも当然有る。男性がキャリアチェンジしたくて一年学校に行く間、女性が働く事だってなんの問題もない、というか、それも家庭のあるべき姿と考えられている。家計を支えるのは男女どちらが本来やるべきか、なんていうものはない。
妊娠出産については別で、こればっかりは女性がたくさん産休をとり、男性はちょっぴりだ。女性が妊娠中、その間の男性はいろんなことを肩代わりする。だが、それだって女性の負荷が高いのだからそれがフェアだ、という考えが浸透しているからだ。同時に、だからといって男性に過剰な負荷をかけてはいけないという考えも浸透している。
社会的にサポートがしっかりしてるので、そんなに男性の人生に影響はしないようだが、旦那があーだこーだと文句を言う女性は見たことがない。働きながら家のことも両方やるのだから家のことが手抜きでも仕方ないしそこにクオリティを求めること自体ナンセンスだからだ。変な話毎日バーベキューでも文句は言わない。嫌そうではあるが。
嫌なら別れてしまえばいい、という考え方も浸透している。シングルマザーだからといって不利になる社会ではない。
男女が等しく社会や家庭にコミットする文化が根付いている。みなが仕事と家庭のバランスをうまく取れるようになっている。
こういう社会の女性たちは確かに自信を持っており、自己肯定感も高い。ただ、それに向けての努力も怠っていない。
ジェンダーギャップについて大騒ぎしてる人たちは、ジェンダーギャップが解消された世界がどういうものだと思っているのか、果たして彼ら、彼女らが思い描いた世界ってこういうものなのだろうか、という疑問を感じたので書いてみた。
自己肯定感の低みで低姿勢でいくけど、いざ舵が取れようもんならイキっちゃう人って多いんじゃない。だって自己肯定感が低くて成功体験を満足に積めてないんでしょ。腐女子に限らずで、数が少なくて世間から見えないアングラでやってた頃だったら、趣味のことだけで関わっていればよかったし、時間も情報も密なSNSも無かった頃だろうし。
https://anond.hatelabo.jp/20170510162932
以前卵巣嚢腫を取った者だけど、その節は読んでくれた人ありがとう。あれからしばらくして尻にカメラ入れたから色々書く。これ読んで検査迷ってる人の心的ハードルが下がったら嬉しいな。
今回もあくまで個人の体験・感想なので、そんなパターンもあるんだへぇーくらいに受け取ってほしい。クリニックによって、結構違うみたいだし。話が話なので色々汚いかも、許して。
元々お腹がゆるい方で、事あるごとに腹を下してきた。
繊細なティーンだった中学生の頃は、数日あるテスト期間のどこかで1度はテストを途中で切り上げてトイレに行ったし、スポーツの試合前には正露丸が欠かせなかった。今でも生理前・生理中は大体下痢してる。あと、油物食べた時とか。
そんな私でも流石に2カ月も下痢が続くことはなかったから、受診を思い立った。
ちなみに、腹痛はそうでもなくて出せば落ち着くタイプだった。
2.初受診
悲しいことに自宅周辺にある内科はヤブ多目だったが、ギリギリ歩いて行ける距離に過去に消化器系の研究をしていた開業医を見つけて事なきを得た。検査用の設備もあった。
先生によるとあなたの場合は典型的な過敏性腸症候群だと思われますとのこと。ストレスが原因なことが多いそう。
「今のところ重篤な様子はないけど、同じような症状の別の病気が潜んでいることもあるから」と、腸に問題ないことを確認するために内視鏡検査をすることになった。
毎週この曜日しかやってないんだけど都合どうです?再来週?空いてますよ、今コロナでみんな病院控えてるでしょ?暇なんですよね(東京都内で緊急事態宣言中だった)。なんて具合にアッサリ日程が決まった。ちなみに、後日健康診断専門のクリニックにも興味本位で聞いたら、そこでは今は逆に予約取りづらいらしい。ここも検査出来る曜日や人数が決まってるそうだ。機関によりけりだから気になる人は問い合わせてね。
その日は血液検査用の採血をして、検査前日から当日の注意事項を聞いて、検査当日に使う下剤をもらって終わった。下痢止めや整腸剤なんかも処方されたけれど、あまり効かなかった。
過敏性腸症候群について、詳しくは専門家のHPを見てね。心当たりのある人は医者にかかってね。
https://www.jsge.or.jp/guideline/disease/ibs.html
3.検査前日
事前に調べたところ、各クリニックによって食べて良いもの悪いもの・食事制限の開始のタイミングが違い、ところによっては専用の食事セットが支給されることもあるらしい。
私が受診した医院では、肉・野菜・果物・きのこ類・海藻類なんかがNGだった。繊維質は敵。うちで普段使う食材の9割がダメだった。逆に食べていい物を指定してもらった方が楽だったかもしれない。白米と食パンをモソモソ食べて過ごした。量も控えめにしなければならないのが地味に悲しい。
4.検査当日の準備
私が処方された下剤は、検査の数時間前(私は大体5時間前だった)から原液を水で薄めて合計2リットルにしたものを2時間かけて飲むものだった。適切な濃度で作ると体内で吸収されることなくそのまま出てくる仕様らしい。
先生曰く「お酒をチビチビ飲むくらいのペースです。計測用のカップが付いてるけど1杯ずつ計るの面倒だから、空の2リットルのペットボトルに原液入れて、水で薄めたものをトイレに持ち込んで飲むと楽ですよ。」とのこと。先生自身胃腸が弱く、何度か内視鏡を経験している様子だった。こういう経験に則したアドバイスは最高にありがたい。
コロナ蔓延に伴って仕事にセーブがかかり、すっかり朝寝坊になっていた私は少し早起きをして下剤を準備した。
どんな味かな、飲んだら即出てくるのかな、お腹は痛くならないだろうか、病院に向かう途中で催したらどうしよう……等、期待と不安でドキドキしながら下剤を口にする。
ちょっとスポーツドリンクと似ている塩味がする。飲めないほどでもないかな?と思ったのは最初の500ccまでだった。
甘味と酸味と香りが無いおかげで、だんだん苦痛になってくる。マズい。
今まで多少マズくてもなんでも食べ切って飲み切ってこれまで生きてきたけれど、その自信が揺らぐ。一気に飲んでしまいたいけれど、少しずつ飲まなければならないのが辛い。
「お薬飲めてますか?……そうですか、少し遅れ気味なのでペース上げて下さい。ところで、増田さんの前の予約がなくなったので、よかったら予定の1時間前に受診しませんか?出来ればでいいので……お通じどんな感じですか?……はい、それならもっとペース上げてもらって大丈夫です。それでは急で申し訳ないのですが、○○時にお待ちしています」
そこからは残り数百ccをジョッキでビール飲むくらいのスピードで飲んだ。真似しないでね。
お通じは飲み始めて5〜10分頃に第一陣が、その後少しずつ間隔が狭まりながら二陣三陣と続いていった。回を増す毎に具が減って、さっき飲んだ下剤にちょっと色がついただけの液体が出てくるようになった。強烈な便意はあるものの、腹痛はなかった。
トータル何回トイレに入ったか覚えていないけれど、下剤飲み始めて大体3時間くらいで粗方出切ったと思う。
5.検査
出発する頃にはお腹の具合も落ち着いて、途中でトイレ休憩を入れることなく無事に病院に着いた。
到着後、まず不織布製の検査着に着替えた。布製もあったけど、万が一汚したら嫌だ。
上はブラトップに検査着を羽織る。普通のブラは取るように言われたけど、ブラトップはセーフだった。下着の詳細な説明を事前に聞いておけばよかったと思った。
下はノーパンにキュロット型の検査着を履く。キュロットの尻部分に開いたスリットに、ここからカメラを入れるんだなぁ……と想像せずにはいられない。履いてみると思ったより尻は出てこないしチラリもしなかった。
ベッドに案内されて、看護師さんに「下剤飲むの大変でしたよね、飲みきれない人も居るんですよ。どうしても味が受け付けないとか、体力的に厳しいとか、中高年の方に多いんです。頑張りましたね。」なんて労いの言葉をもらいつつ血圧を計ったり点滴を入れてもらったりしたんだけど、麻酔(注射だった)したあたりからあまり覚えていない。
肝心の大腸内視鏡検査中のことも、どんなものだったのかよく覚えていない。フェイスシールドにガウンを着た重装備の先生と看護師さんと一緒に、横向きに寝てる私の尻から入れたカメラの映像をへぇへぇ言いながら見ていたはず。意識はあるけど、少しボーッとする感じだったと思う。その時はしっかりしてるつもりだけど、後から振り返ると確かに色々鈍っていたと思う。痛い・不快といった感覚はなかった。これも麻酔の効きやすさ次第で個人差あると思う。
検査後に着替えて結果聞いて歩いて帰宅する間は、少しフラフラしてた。
余談だけど、実は以前に痔の治療で肛門科で軽い内視鏡は体験済みだし、私としてはいちばん他人に見られなくない便は全部出してきたし、産婦人科でも何度となく内診を経験しているので、医師相手に下半身を見せる恥ずかしさというものはもうどっか行った。無。無です。下の毛も特別処理することなくいつも通り。
6.結果
その日のうちに教えてもらえた。何も問題なかった。
今後の治療については参考にならないだろうから割愛するけど、しばらくは下痢と付き合っていかなきゃならないそうだ。ドンマイ、重病じゃなかっただけラッキーと思おう。
お会計は2万5000円に少し欠けるくらい。保険はきかない。もし検査中にポリープが見つかっていたら、その場で取ってもらう関係でもう少し値段が上がってたらしい。
麻酔もしたことだし、検査後は乗り物の運転は控えて、大人しく過ごした。食事は普段通りの物を普段通りの量食べて問題なかった。
7.印象的だったこと
生理前・生理中も腹を下す旨を医師に話したところ、「生理ってすごいストレスかかるから、下痢や便秘になる人多いんですよ」と言われた。今まで女性ホルモンがどうたらこうたらってやつだけが原因だと思ってたから、目から鱗だった。両方あり得るんだって。
そりゃそうだよね、突然自己肯定感ガッツリなくなって数日間落ち込んでたら生理が来て「原因お前か!!!!」ってブチ切れた回数山の如しだし、最中は不快だし不安も多いし、ストレスの影響ない方がおかしいくらいだ。
PMSや女性ホルモンに振り回されるのが辛い人は婦人科に相談しようね。
8.その後
麻酔もしたから検査後は気をつけて様子見してたけど、特に体調の変化もなく、下痢が続く以外はいつも通りの生活にすぐ戻れた。
ちなみに下痢は、長らく登園自粛していた子どもをまた保育園に預けるようになったら劇的に改善した。
育児によるストレスが、今度は保育士さんに降りかかるのかもしれないと思うと悩ましいけれど、本当に助かった。保育士さんには頭が上がらない。
以上です。
正直、下剤がいちばん大変だった。そこさえ越えたら後の工程はなんてことないと思う。飲み切る自信がない人は、事前に先生に相談してみた方がいいかも。
なんでだろうね
そこに乗っかって付き合うと性格は全然合わないしこっちはそもそもあんまり好きじゃないから面倒だけど
高校生のときに先生に言われた言葉をはっきり思い出せなくなった。
それは私がこれまでの人生で言われた中で、一番心に傷として残っていた言葉だった。
シチュエーションは今でも覚えている。
高3の夏休み、午前中から始まる夏期講習を前に早く登校し、私はいつも早朝から自習室で勉強をしていた。
早く来すぎると昇降口が空いていないので、偶然外にいる先生を呼んでくるか、昇降口前で待つことになる。
校庭にも先生は見当たらないので、私は待つことを選んだ。
先生は、鍵を開けると私に対してぶつぶつ言い始めた。
まず、呼びに来ればいいのに、と。
それから、私がずっとクラスに馴染めずにいることを、靴を履き替える私を背に話し続ける。
そして、私の将来について、人格否定のようなことを言われたと記憶している。
そのあと私は、誰もいない自習室で悔しくて小さく声を上げながら号泣したのを覚えている。
そりゃ10年もすれば忘れるかという思いと、10年もしないと忘れられなかったのかという思い。
はっきりとした言葉を思い出せなくなった。
それだけで私は心が軽くなり、ツイッターにも書きなぐれないこの思いを、勢いだけではてなにしたためることにした。
私が場面緘黙症かもしれないと思ったのは、今から5年ほど前だろうか。
自分が喋れないことはずっと引っかかっていたが、学生時代は、私は人見知りだ、社会不適合者なんだと単純な言葉で片付けていた。
自分と見つめ合うことが多くなった社会人数年目で、病気じゃないんだろうかと検索した先に、やっと見つけた答えだった。
正確に診断されたわけじゃない。
しかも、今となっては周囲との人間関係の築き方が学生時代とは異なるのもあって、うまく社内でやっていけている。
ただ、私は場面緘黙症のような症状に追加して、自己肯定感が低いという特徴もある。
自分が発する言葉は必ず誰かに否定される。自分の発した何かは周囲に受け入れられるはずがない。
自分の声が、体が嫌い。自分は周りより劣っている。自分の行動は相手にとって不快でしかない。
声を発する怖さ、体を動かす怖さ、学生時代は常にこうした劣等感と恐怖感が渦巻いていた。
その症状がいつからかと聞かれると、物覚えついたときからが答えになるかもしれない。
内弁慶ともいうかもしれない。
ただ、周りがいう、人見知り、恥ずかしがり屋、そんな言葉で片付けられるレベルではなかった。
とくに幼稚園、小学1,2年生のときは、先生とは首を縦か横にふるか、傾げるかのコミュニケーションしかとらなかった。
Whatで聞かれたときのみ、答えを言った。
人見知りの次元を超えていた、と思う。
小学6年生のときの担任に言われた「この中には、まだ殻を破れない人がいる」という言葉に対して、
あ、私かと思ったと同時に、殻をかぶっているつもりなんて毛頭ないのにと感じていた。
数人の友達がいることもあったが、高校までの学生時代の大半は1人で過ごしていた。
1人のほうが楽だったし、喋れない自分を否定する気分にならなくてすむから。
でも、症状が改善することはなかった。
それを一度も言われることはなかったし、真面目、大人しいの一言で、親にも伝えられていたと思う。
ただ、緘黙症状は、兄にも弟にもあったのを私は知っている。
兄は小学生のときはいつも1人だったし、クラスでも馴染めていないのを私は知っていた。
私と帰りが同じになっても、絶対に話さないのが暗黙のルールのようだった。
弟は友達ができることもあったようだが、学校から持ち帰ってきた紙には、「なんで喋らないの?」と書かれていた(クラスのみんなから言葉をもらう何かだったと思う)。
母親が数年前に正式にADHDであることが診断されたが、うちの血筋はどうやら精神疾患になりやすいらしい。
統失の話はまた別として、家庭内の環境が問題か、遺伝要因から緘黙症状が引き起こされたのかもしれない。
インスタグラムで、自分の子供が緘黙症であることを公表しているアカウントを見つけたが、
どうやら「普通」の家庭なようなので、もしかしたら要因はまた違うのかもしれないけれど。
幸い私は、大学生、社会人と成功体験を積み、周囲に自分の性格を理解してもらえる機会が増えたのもあって、
普通の「人見知り」くらいになったし、コミュニケーションも以前と比較してとれるようになった。
ネットでは普通にやり取りができていたし、中学生以降はネットを通じて日々の思いを発信していたので、その影響も大きいかもしれない。
緘黙症状は人によって違うし、その人それぞれで改善方法やきっかけも違うんだと思う。
子供を産む年頃になった今は、子供が場面緘黙症になったらと考えることもある。
でも、親や周囲が気づけなかったことを私は気付けるかもしれない。
それだけでよしとしよう。
推しができたのでTwitterの専用アカウントを取ってみたが、最近ヲチスレにアカウントを晒されてる。
ツリーにだらだらと繋げたツイートとか、友人へのリプライとか、ノリで作ったネタ画像とかの一部を悪意のある形で切り抜いてきてヲチスレに晒される。
ツリーに「浮気者で罪作りな推しが好き」「とんだ浮気野郎だよあの男はいい加減刺されるぞ」「推しは可愛いので4人までなら妻帯可」って三つツイート繋げたとして、真ん中だけスクショで晒される。
推しは公式で浮気者キャラであり、そこが魅力でもあるというのがファンの認識なので、浮気を本気で糾弾すればアンチと取られて叩かれるのも分からんでもないが、私に推しの浮気を糾弾する意図がないのは文脈上明らかだ。
切り抜いて燃やしてやろうみたいな古典的かつ王道の嫌がらせに辟易する。
ヲチスレの住民はなぜか情報強者を気取っているが、切り取った情報に騙されて燃やし、燃やした後で切り取りだと気づくと途端に沈黙する馬鹿ばかりである。
晒された画像やツイートは他のツイートより伸びるので、みんな結構ヲチスレ見てるんだなあとか、わざわざ検索で私を探してくれたんだなあとか思う。
別に晒されても特別大きな被害はないが、めちゃくちゃ気持ち悪い。
ヲチスレを見ているんであろうフォロワーが、私が晒されると急に慰めか励ましのように親切になって「いつも凄いなって思って見てます」とか私を褒めてくれるのも、やたらマシュマロが増えるのも、まあ、嬉しくないわけじゃないが、インターネットの人間を自己肯定感の拠り所にするのは、自分でも人としてどうかと思うので、そういうのいいから。
うちはプリンセス扱いをしてる。
別に別にゲイでもホモでもなんでもない男子だけど、世界で一番可愛いプリンセス〜賢く素敵なプリンセス〜〜って褒めちぎってる。
心の底からそう思ってるから可愛いと思った瞬間素敵だと思った瞬間にウザイくらい褒めてる。多分。例えば、寝起きの髪の毛がふわふわで可愛い時とか洋服がとても似合ってる時、肌の調子がいい時。ご飯をよく食べてえらい時。もはや褒めないことがない気もする。
最初の頃は褒めても割と素っ気ない反応だったり、反応に困ったりしてたみたいだけど今では褒めて欲しい時に近寄ってきたりわざわざLINEで報告してくる。
自己肯定感が上がってるかはよく分からないけど彼が自分自信のことを認められてるような気がして私も嬉しい。これからもその瞬間瞬間を褒めていきたいな〜
世の中には、人生における至上命題が「他者のあらを探すこと」という人たちが一定数存在する
他者というのは、同級生であったり、職場の部下であったり、恋人であったり、家族であったりするが、基本的に彼らが”強者”サイドに立てる何かしらの要素を持っている相手になりやすい
アラを探して何をするかといえば、そこを責めるのだ
責めることで、精神的優位性を得られることになる
それはたとえば、「晩ご飯何がよい?」と聞かれ「何でもよい」と答えておきながら、出てきたモノが微妙だとナンクセをつけること
それはたとえば、旅行の行き先を二択まで絞っておきながら最後に相手に決めさせ、行った先が激混みで文句を言うこと
それはたとえば、絶対にミスが生じるような作業を部下にさせ、ミスが出た時点でそれ見たことかと説教を始めること
彼らの目的は晩ご飯の満足度を上げることでも旅行を楽しむことでも部下を成長させることでもない
相手を責める理由を作り、責めることで "自分が相対的に上に立てた" という一時的な満足感、という名の錯覚を得ることだ
確実に関わってはいけないタイプの人間なわけだけど、彼らも好きでそういう精神状態になっているわけではないというのが難しい
この辺りは自分も独学なので誤認や知識不足もあるだろうが、だいたいは育ってきた環境に依存するらしい
反抗期での衝突の不足であったり親からの愛情の不足であったり安心感の不足であったり、いまでいう自己肯定感の欠如の源流に近いものもあるのだろうか
そういう歪んだ環境で育った人間が、自分(の育った環境)に問題があったと認識すること自体が難しい
他人に指摘されたところでそれを受け入れるほどの心の余裕がない彼らには、自分で症状を認める以外の選択肢はないのかもしれない
こう言う長文を書くときは結論とかどう言う話なのかを先に書いておくといいとどこかで学んだので先に記載しておきますが、
これは「何かに認められたいのに自分が自分を認められないせいでどうにもできなくなった絵描きの独り言」です。
途轍もない自己承認欲求と自己肯定感のなさがバグを起こしてオールウェイズ三丁目の躁鬱病持ちとなりました。
最初にこれまで生きてきた話をダラダラ書くのでここは読まなくてもいいです。
自分は人の少ない田舎で育ったので、一度いじめられたら進学エスカレーターから外れない限り
ずっといじめられっ子の枠に収まっているような、そんな社会の中の、どこにでもいる隠キャいじめられっ子でした。
母方に絵を描く人がいて、母もその兄弟も絵を描くのが好きでよく描いていました。血筋なんでしょうか、偶然私も絵を描くのが好きでした。
中途半端に手先が器用で平均くらいはできたものだから、中途半端に絵は描けました。
田舎の、学年に20人も人がいないクラスの中では一番手先が器用でした。
しかし私はいじめられっ子でした。保育園の頃からの筋金入りのプロです。すごいでしょう。
20人も居ない教室では私以外の全員が敵か傍観者であり、もちろん私のことを認めてくれる人なんて居なかったし
私が絵を描けばランドセルを漁られ、狭い校内のどこかに貼り出され馬鹿にされたものでした。
周りのクラスメイトが怖いから、昼休みも一人で教室で絵を描いていました。
当時の私は、自分が描く絵が好きでした。
誰も私を認めてくれるようなことはありませんでした。
今でも自分のこと、「カスなので」とか「ボンクラだから」と口癖のように卑下してしまうんですが、
もう少し違う人生を歩んでいたらこんなことになってしまうことも無かったのでしょうか。
私自身の自己肯定感の無さはおそらく幼少期から10年以上に及ぶいじめの影響も少しあるのかなと思います。
とにかく私は何かに認めて欲しかったんだと思います。それは今もです。
私を認めて欲しい、今ある私が幸せなのだと、過去の自分とは違うのだと認めて、認めさせて欲しい。
絵が上手くなりたくて、
認めて欲しくて二次創作をした。
同人誌も出した。
そうして一次創作をはじめました。
いろんなものにしがみつきながら、何年も絵を描いていて、ようやく気づきました。
ああ、絵、言うほどうまくないじゃん。と。
それでも絵を描くのはやめられませんでした。
絵を描くのが好きだったから。
そんな感情だけで絵を描いていたいのに、どうしても承認欲求が出てきてしまって、
何かに勝たなきゃいけない、あの時いじめてきた人間たちより優れていると、そうであると思いたかった。
そう言う気持ちがどこかにいつもあるから、滲み出してしまって、人を寄り付かせなくさせるのかもしれないですね。
もちろん有難いことに褒めてもらえることも度々ありました。ただ、
認められることのなかった人生を歩んできて、私を褒める言葉をまっすぐに受け取ることができないんですよね。
自分が褒められてると感じることができない。この絵は私が描いたんじゃない。描いた記憶がない。
もうぐちゃぐちゃです。自分を認めてあげたいのに。
折角褒めてくれた人に心からありがとうって伝えたいのに伝えられないのが何よりも申し訳ない。
もうちょっと楽になりたいだけなんです。
楽に生きたい。楽しく絵を描いていたい。
評価なんて気にせずに、楽しく。
実際いい絵を描くために必要なのは「楽しんで描くこと」が一番大きいんじゃないかと、
勉強することも大事ですが、一番はやっぱ楽しくなくちゃいけないんじゃないかなと、
少なくとも私自身に必要なのはそこだと思ってるんです。けど、それが一番私から遠いところにあって
どうしようもないんです。
描くたびに辛い。周りの人のデッサンが多少狂った絵も、味だとか個性だとか、そう言うものがカバーして
いいものに見えるのに、自分の絵だけはなんの面白みもない平凡な、しかもちょっと下手な絵でしかない。
こんなに苦しい思いをするなら絵を描くのをやめちゃえば一番楽なのに、
でもペンを握った瞬間「描かなければ」と言う義務感に変わってしまう。
あ〜〜〜〜あ! いじめられなかった世界があれば、そこからもう一度やり直してみたい。
楽になりたい。
どこかで見かけた話ですが、
「こんな…少しばかり絵が描けたばっかりに…!」
これ、首がもげるほど頷きました。
こんな苦しさといつまでも一緒にいないといけないなら、いっそ
絵なんて描けない方が良かった。
とりあえず書き殴って満足しました。