はてなキーワード: 真剣勝負とは
まず僕の立場から書いておくと、ちょっと差し障り(笑)があるからとりあえずは某大手(笑)外資の正社員(つまりある程度業界を牽引するエリート達を選ばなきゃならない立場ネ)を選定する現場のそこそこ偉い人ぐらいに思ってください。
で、最近僕が気になるのが、就活生の中でなんだかとにかく履歴書を手書きで書くのが偉いとか思ってるが多すぎ!て件。
あのさ、君たちさ、常識ってものを知っています?正気なの?ちょっと僕の世代からは考えられなかったなー。
ていうと君たちはこういう反論をしてくるんだよね?
なんでネットでエントリー完結しないといけないのかわかりまちぇん
ぼくちんはそんな冷たいことをしたくないんでちゅ
そんなことよりぼくちんの筆跡からあふれる熱意を見てくだちゃい
バブバブー……ウンウン、わかったから大人がいる会社じゃなくて幼稚園にエントリーシートだそうか(笑)
言うまでもないんだけど、本当にこれを言うと当たり前のことをドヤ顔で言うイタいひと呼ばわりされそうで困るんだけど、企業はそんな汚い手書きのエントリーを送ってよこすような、こっちのことを昭和の遺跡に思ってるような赤ちゃんは要らないんですよ。っていうかニートですかあんた(笑)もしかして引き篭もってたニートとかフリーターとかがいきなりウチを受けにくるようなパターンだったり(笑)
ネ、あのさ、これは真面目(笑)に言うんだけど、今どき全ての業種で IT が必須と考えてアナタが採用担当だったとして、履歴書をわざわざがんばってがんばって手書きをしてくれた人間と、最低限の PC スキルがある事を示せる人間と、どっちを採用しようと思います?
こちとら長い間(と今数秒だけあんな苦労もこんな苦労もしたナーと遠い目になってしまったんだけどそれを書くと長くなるのでやめましょう)就活生と向き合ってきたわけ。これはね、採用担当と就活生との真剣勝負なんだよ。その大人と大人の戦場に、子供がよちよちと歩いてくるなってんだよ!
履歴書っていうのは、変化の早い、IT への適応も避けられない今後の社会に向けて、自らの適性と、今後のキャリアプランを考えながら書く……そういう自分のスキルやキャリアをきちんと考えていることが伝わってくるから美しいし、だからこそこちらとしても「よし受け止めてやろう!」と真剣に向き合う気になるわけ。チョット格好つけすぎたかな(笑)
マア実際履歴書を手書きするような人間っていうのは、我々(僕なんかまだ下っ端で、実はガラケー手放せないとかまで読み取ってしまう猛者(笑)とか上にはいる)からすると数秒やり取りしただけでわかるんだけどまず間違いなく今後の社会において行かれる。そう、勘違いしてほしくないんだけど僕は「履歴書を手書きしたら落とす」と言っていないんだ、逆で「履歴書を手書きすることを良しとするような古い常識の奴は100%伸びない」と言ってるんだ。
現代に適応している姿を、見せろよ!雇ってもらいたい、会社に役に立ちたい、どんな会社に移ってもやっていけるスキルを身につけたいならさ!
とマア、最近になってもまだ手書きの履歴書がチラホラ目に付いたのをきっかけにこんなことを書いてみました(笑)
就活生のみんな、ちょっと僕が現実的(笑)なことを言ってしまってショックを受けてるかもしれない。でもこういう風に打ちのめされて甘えを捨てた人間こそ、本当に企業に目を向けてもらえるんだ。ファイト・ザ・パワーだぜ(笑)
まず僕の立場から書いておくと、ちょっと差し障り(笑)があるからとりあえずは某大手(笑)外食チェーンの正社員(つまりある程度業界を牽引するエリート達を選ばなきゃならない立場ネ)を選定する人事のそこそこ偉い人ぐらいに思ってください。
で、最近僕が気になるのが、就活生の中でなんだかとにかく履歴書をワープロで書いて送ってくる人が多すぎ!て件。
あのさ、君たちさ、常識ってものを知っています?正気なの?ちょっと僕の世代からは考えられなかったなー。
ていうと君たちはこういう反論をしてくるんだよね?
ぼくちんはそんな面倒なことをしたくないんでちゅ
そんなことよりぼくちんの内面を見てくだちゃい
バブバブー……ウンウン、わかったから大人がいる会社じゃなくて幼稚園にエントリーシートだそうか(笑)
言うまでもないんだけど、本当にこれを言うと当たり前のことをドヤ顔で言うイタいひと呼ばわりされそうで困るんだけど、企業はそんなたかだか手書きをする程度の労力さえ惜しむような、こっちのことをマトモに顔すら見てないような赤ちゃんは要らないんですよ。っていうかニートですかあんた(笑)もしかして引き篭もってたニートとかフリーターとかがいきなりウチを受けにくるようなパターンだったり(笑)
ネ、あのさ、これは真面目(笑)に言うんだけど、常識として考えてアナタが採用担当だったとして、履歴書をわざわざがんばってがんばって手書きをしてくれた人間と、チョチョイのチョイとキーボード叩くだけでこしらえた人間と、どっちを採用しようと思います?
こちとら長い間(と今数秒だけあんな苦労もこんな苦労もしたナーと遠い目になってしまったんだけどそれを書くと長くなるのでやめましょう)就活生と向き合ってきたわけ。これはね、採用担当と就活生との真剣勝負なんだよ。その大人と大人の戦場に、子供がよちよちと歩いてくるなってんだよ!
履歴書っていうのは、戦場へ出向く兵士が一筆一筆魂を込めて、この会社しかない、この会社に受からなかったら死んでやる……そんな覚悟を込めて自らの手で書くから美しいし、だからこそこちらとしても「よし受け止めてやろう!」と真剣に向き合う気になるわけ。チョット格好つけすぎたかな(笑)
マア実際履歴書を手書きしない人間っていうのは、我々(僕なんかまだ下っ端で、両親の質の良さとかまで読み取ってしまう猛者(笑)とか上にはいる)からすると数秒やり取りしただけでわかるんだけどまず間違いなく甘ったれ。そう、勘違いしてほしくないんだけど僕は「履歴書を手書きしないと落とす」と言っていないんだ、逆で「履歴書を手書きする程度の常識も弁えない奴は100%使えない」と言ってるんだ。
魂を、込めろよ!雇ってもらいたい、会社に役に立ちたい、戦場で勝ち抜きたいならさ!
とマア、最近手書きじゃない履歴書がチラホラ目に付いたのをきっかけにこんなことを書いてみました(笑)
就活生のみんな、ちょっと僕が現実的(笑)なことを言ってしまってショックを受けてるかもしれない。でもこういう風に打ちのめされて甘えを捨てた人間こそ、本当に企業に目を向けてもらえるんだ。ファイト・ザ・パワーだぜ(笑)
先日掲示板で知り合った人からエロ抜きの相撲をしようと誘われ参加したときの話です。
相手も相撲経験はあるということでしたので当然廻しを締めての真剣勝負と思い指定の相撲場に行ったら、相手は廻しを持っていないからと六尺褌を締めて待っていました。
しかも他にも人を誘っていてその人達には六尺相撲と話していたそうです。
自分には、連絡を忘れていてすまない。六尺は持って来たので廻しでなく六尺で相撲をとってほしい。
と言って六尺を渡してきました。その人は自分に比べ細身だったのでその六尺は自分には短く、なんとか締めれるくらいでした。
仕方なくその六尺を締めて相撲場の方に行ってみたら他の二人が相撲を取っていたのですが、それは完全なエロ相撲でした。
褌を掴んではいても投げにでるわけでなく、ただ引っ張りあって股関の締め付けや尻への食い込みを楽しんでいるだけで、やっと投げが決まり終わったと思ったらそのまま互いの股関を擦り付けあっていました。
正直すぐにでも帰りたかったのですが、せめて一人一人と一番くらいは取って行くかと思い参加しました。
エロにもっていかれる前に勝負を決めればと思ったのですが甘かったです。
組んだらいきなり縱廻しを掴んできてそのまま離さずぐいぐい引っ張って来ました。
止めてくれと何度も言ったのですが無視され、次第に自分の物は固くなりきつめに締められた六尺にくっきりと浮かび上がってきました。
すると今度は両手で六尺を掴み引き付けてきて自分の物と相手の物を密着させ激しく腰を動かしてきました。
そのまま自分が押し倒されると他の二人がやってきて股関を自分の顔に押し付けたり、自分の手を股関に持っていき物をしごき始めたりと酷いものでした。
やがてその三人は絶頂を迎えるとようやく自分から離れて行きました。
自分はもういやになり六尺をその場で外しシャワーを浴びて帰ることにしました。
帰りに相撲場を覗いたら二人はまたエロ相撲を取っており、一人は自分の外した六尺を顔に当てて自分の物をしごいていました。
その日は本当に最悪でした。
さらに帰ってしばらくしたら相手からメールが送られてきたメールを見たら、この六尺宝物にします。という文章とたぶん自分が借りて締めた六尺を相手が締めている画像が付いていました…
http://www.asahi.com/articles/DA3S11251769.html
ワールドカップはおろか、サッカーに関する記事のなかでこれほどまでに無知蒙昧、盲目、的外れのくせに上から目線な記事は初めて読んだ。
全文を読む為には登録しなきゃいけないところをみると炎上商法か?
以下、興味ある方向けに全文をコピペします。こんなクソ記事読むために登録なんて誰がするか、誰がさせるかクソ朝日。
=====
サッカーのワールドカップ(W杯)ブラジル大会が終了した。熱戦続きだったが、「なぜ、開催国ブラジルはドイツに7点も奪われたのか」「なぜ、日本代表はまったく精彩を欠いていたのか」など、さまざまな謎も残った。映画評論と共に、斬新な視点からのスポーツ評論でも知られる蓮實重彦さんに、謎解きをお願いした。
――今回のW杯、特に決勝トーナメントに入ってからは、一部の試合を除き、なかなか点の入らない展開が目立ちました。素人が見てもワクワクするような試合をもっとやって欲しかった、という思いもあります。
「国民や国の期待を背負うと、どれほどスポーツがスポーツ以外のものに変化していくか。それを見せつけられた何とも陰惨なW杯でした。サッカーとは本来『ゲーム』であり、運動することの爽快感や驚きが原点のはずですが、W杯は命懸けの『真剣勝負』に見えてしまう。お互いもう少しリラックスしなければ、やっている選手もおもしろいはずがないし、見ている側も楽しめない」
「『ゲーム』ではなくなるからです。ましてや負けないための真剣勝負など、見ていて興奮するはずもない。前回2010年の南アフリカW杯で、日本代表の岡田武史監督は大会直前、徹底的に防御を重視した『負けないサッカー』へと泥縄的に方針転換しました。確かにそれで1次リーグは突破できましたが、『1点でも奪おう』というサッカー本来の精神からは、ほど遠いコンセプトだった。今回3位になったオランダ代表は、まあ前線にファンペルシーやロッベンがいるからでしょうが、5バックというさらに防御重視の戦術で、まるで『岡田ジャパンのなれの果て』のようにさえ見えました」
「勝ち上がるのを最優先すれば、どうしても『岡田化』が進む。今後はさらに防御重視の傾向が強まるでしょう。しかし、サッカーはどちらかが防御に徹すると、ゲーム自体が成立しなくなる。日本―ギリシャ戦はその典型です。運動の快さを放棄してまで、国が期待する勝利にこだわる。そんな『スポーツの死』には付き合いたくない。W杯はそろそろ限界だ、とつくづく思いました」
「国を背負うとどこか血生臭さも出てきます。その一例が、コロンビアの選手がブラジルのネイマールの背中にひざを入れ、骨折させた場面です。故意かどうかという問題ではなく、国のために死にものぐるいでプレーすると、ああいうことが起きてしまう。他にもずいぶん負傷して血を流している選手がいました。観客の皆さんは、あの血生臭さにもう慣れてしまったのでしょうが」
「ザッケローニ監督は、日本のサッカーのためにある程度までうまくやったと思います。岡田監督とは違い、前々代表監督のイビチャ・オシムが作った流れを壊さなかった。私はオシムが率いていた時代のジェフ市原(現・千葉)の、攻守にわたり選手たちがダイナミックに動くプレーを見て、日本でもサッカーが見られるんだという喜びを感じました。ザッケローニにも『みんなが走り、気持ちよくサッカーをしないと意味がない』という姿勢があった」
「問題はそれを十分に実現できなかった選手の方です。私は前回の日本代表について、岡田監督の急な戦術変更にもかかわらず、選手たちの『運動する知性』が想像以上に高かった、と評しました。選手たちが無言のうちに素晴らしい連係を達成したり、味方をも欺くようなはっとさせる動きを発想したりする知性のことです。前回は、松井大輔からそういうトリッキーな動き方を感じたのですが、今回はみんながまじめすぎた。少なくとも大久保は、もっと不まじめでもよかったのではないか。市原でオシムに鍛えられた前代表・阿部勇樹のように、『失点のリスクをつぶす責任はオレが負うから、君たちは好きにやれ』という人もいなかった。知的な面では退化していた、と言わざるを得ない。それでも、岡田サッカーで勝つよりも、ああいう負け方の方が日本の未来にはよいことだと思います」
――本田の「目標は優勝」という言葉とは、かけ離れた結果でした。
「本田の発言の真意は分かりませんが、多分『そうでも言わなければやってられない』という思いがあったのではないか。『オレたちはどこまで伸びられるのか』ということを意識的に試そうとしている選手が、彼以外にはあまり見あたらなかった。そんな仲間たちを鼓舞しなくてはいけない、と思ったのでしょう。ただ、本田自身も、勝利へのこだわりが動きの柔軟さを奪っていたような気がします。それでも1点を取り、1点をアシストした。彼が日本代表の最低限の名誉を守りました」
――誰もが国を背負い、勝利にこだわりすぎたW杯だった、と。
「サッカーの魅力は『うそのように思いがけないことが、ピッチで起こる瞬間を目撃すること』ですが、今回それを味わわせてくれたのは、オランダ―スペイン戦におけるファンペルシーのヘディングシュートだけでした。決勝戦でのドイツ・ゲッツェのシュートは確かにみごとでしたが、ああいう場面で輝くのは真のスターでなくてはならず、まだスター予備軍のゲッツェが決めても、私たちを驚かせることはできません」
「1カ月も大会を続けていれば、その間に必ず愉快でおちゃめな選手が出てくるものですが、今回はそれも不在でした。唯一、相手選手にかみついたウルグアイのスアレスには一種のかわいげを感じましたが、おちゃめと言えるかどうか。02年の日韓W杯で、ブラジルのロナウドが前髪だけ三角形にそり残した奇抜な髪形でプレーし、優勝トロフィーをさらってしまった。そういう『変な人がおちゃめをしながら勝つ』という楽しさもなく、みんなが必要以上に本気になってしまった」
「一方で『見たことを一刻も早く忘れたい』という瞬間が多すぎました。世界最高GKの1人、スペインのカシリャスはオランダ戦で5失点した。彼があんなによれよれで崩れてしまう、という場面は決して見たくなかった。ポルトガルの対ドイツ戦での惨敗にも目を背けたくなりましたが、極め付きはやはり準決勝のドイツ―ブラジル戦です」
――ブラジルが7失点。目を疑いました。
「あれはもうサッカーではない。ドイツが7点も取ってしまったことは、果たして成功なのか。もちろん、勝利したという点では成功なのですが、『サッカーをサッカーではないものにしてしまった』という点においては、醜い失敗だったとしか思えません。誰かがドイツ代表の精神分析をやらなくてはいけない。どこまで点が取れるのか、面白いからやってみよう、というぐらいの気持ちになっていたと思うのですが、どう見ても7点も取ってはいけない。何かが壊れるし、人の道から外れているとしか思えない」
「サッカーから運動の喜びを奪うW杯という枠組みが、選手たちの精神とゲームそのものを、いかに異様なものにしてしまっているか。それを象徴する試合でした。サッカーは死んだ、と思いました。前回のW杯でも、国を背負うことの問題は至る所に現れていましたが、それでも決勝、準決勝は緊張感のあるいい試合でした。それが今回のW杯では、なくなった。次回のW杯まで私が生きているかどうか分かりませんが、確実なのは『もう、徹夜をしてまでは絶対に見ない』ということです」
■ ■
「実は今回のW杯では、二十数年ぶりに心から応援するチームがありました。ボスニア・ヘルツェゴビナ代表です。1914年に同国の首都サラエボで起きたオーストリア皇太子暗殺事件が、第1次世界大戦の引き金になった。それから100年。20年近く前まで殺し合っていた三つの民族が、オシムの尽力で一つのチームを作り、W杯に参加した。これはもう、応援するしかない」
「最初の対アルゼンチン戦で、敗れはしましたが、イビシェビッチがチーム初得点を決めた時には、わがことのように泣きましたね。最後のイラン戦で初勝利した時にはまさに『オシム流サッカー』という感じの躍動感にあふれた闘いぶりで、その華々しさにまたも涙しました。この年になって真夜中に何をやっているんだろう、とも思いましたが」
――蓮實さんは、スポーツの世界に、スポーツ外の浪花節的な物語を持ち込むことを嫌っていたのではなかったですか。
「いや、これは私個人ではなく、人類の問題なのです。サラエボ事件100年ですよ! そこから来ている代表が民族対立を乗り越え、W杯で初勝利した。その奇跡を、日本と関係の深いオシムが実現させたことを、心から祝福するべきなのです。そしてボスニア・ヘルツェゴビナがオシム流のサッカーをさらに継承し、将来のW杯で魅力あふれる運動感をピッチに行き渡らせる。これは私のロマンチックな願望です。そうなれば、W杯をまた熱心に見ることになるかもしれませんね」
(聞き手・太田啓之、金重秀幸)
*
はすみしげひこ 1936年生まれ。東京大教授、教養学部長、総長を歴任。著書「『ボヴァリー夫人』論」「表層批評宣言」「スポーツ批評宣言」など多数。
http://anond.hatelabo.jp/20140616005514
偏見で女性作家作品を読まない人がいるのはもったいないなと思ったので
「少女漫画アレルギー」でも楽しめる漫画を集めてみます。すでにやっている人がいたらすみません。
この世はヒト知れぬ生命に溢れている――。動物でも植物でもない、生命の原生体――“蟲”。それらが招く不可思議な現象に触れたとき、ヒトは初めてその幽玄なる存在を知る。蟲とヒトとをつなぐ存在――それが“蟲師”たる者。
深遠なる世界観。
蟲と人との関わりを描く。基本的に一話完結。
語られる物語はどこか懐かしく、優しく切ない。
普通の人間には見えない不可思議なモノたちが見えてしまう飯嶋律。彼とそのファミリーがさまざまな妖魔との出会いの中で紡ぎ出す不思議絵巻。
語られる妖達はどこかで見たことがある気がしてくる。昔話の中で。民話の中で。
20世紀末、高度な文明は滅び、人々は暴君の支配する国で圧政に苦しんでいた。300年の時が過ぎ、山陽地方の白虎の村に双子の兄妹が生まれ、兄の方はタタラ、そして妹は更紗(さらさ)と名付けられた。兄のタタラは暴君の圧政から人民を救う「運命の子」と予言されるが…。愛と冒険のジパング伝説!!
とにかく熱い。読んでいると天下統一したくなる。
主人公がゾクゾクする程かっこ良い。だが女だ。
演劇の道にすべての情熱を賭けて生きる少女・北島マヤ。幻の名作「紅天女(くれないてんにょ)」をめぐって、さまざまな人物とその思惑が交錯する演劇大河ロマン!!
貧しい母子家庭に育つ北島マヤは才能を見いだされ、逆境の中演劇の道を志す。
演劇の道に人生の全てをかけた2人の少女。天才・北島マヤと努力の天才・姫川亜弓。
2人の才能のぶつかり合いが熱く描かれる。古典的名作。完結するのだろうか・・
今は亡き有名なオペラ歌手を母に持ち、同じ道を目指す資産家の娘、麻見史緒。バイトをしながらオペラ歌手を夢見る緑川萌と出会い…!?
怒濤の展開に目が離せない。
「ガラスの仮面」が絵柄が古すぎて抵抗あるという人はこちらだけでも読んでみてほしい。
その少年は、幼い頃すべてを失った。夢も家族も居場所も──。この物語は、そんな少年がすべてを取り戻すストーリー。その少年の職業は──やさしさ溢れるラブストーリー。
居場所のない少年は棋士の能力だけで自分の居場所を作ろうとした。
生き方を見失った彼は3人の姉妹と出会い、人との関わりを回復させて行く。
次々と担任が辞めていく問題クラス、4年さくら組の新担任になった芳賀稲子・通称“ハガネ”。ひと筋縄ではいかない、クセモノぞろいの子供&その親たちを相手に、ハガネの真剣勝負が今、始まる―!!
いじめ・虐待・ネグレクト・・・扱う題材は極めて重いが読後感は悪くない。
いじめられっ子はいじめられたまま。虐待児は虐待されたままだ。
しかしながら子供の成長を予感させるラストで読者に希望を感じさせる。
良く取材をしていると思う。
ゴルゴ13より目が細いこの人は世界一ヒューマンな大学教授である。道路は右端を歩き、横断歩道以外で道を渡らない。安くてうまい“さんま”のためなら、足を棒にしても歩きつづける。本書は、Y大経済学部教授柳沢良則の克明で愉快な記録である。
暖かかったり、ほろっとしたり。泣いたり笑ったり。
勉強っていいな。学ぶ事はすばらしい。
はじめの方の巻はちょっと毛色が違うのであえて途中の巻にリンクしています。
王道少年漫画。
の増田にも満足できるのではないかと。
悪魔の血を継ぐ少年・奥村燐の前に、突如父を名乗る魔神が現れ、悪魔が棲む虚無界へと連れ去ろうとする。高名な祓魔師である養父は、命を懸けて燐を守り死んでしまう…。燐は己の無力さを悔やみ、祓魔師になって魔神と闘うことを強く決意するッ!!
その昔、霊感の強い烏森家の殿様が妖しげなものを呼びよせてしまったために、それを退治する結界師が生まれた。かつての城跡に建つ私立・烏森学園を舞台に、400年後の現在も跋扈(ばっこ)し続ける妖怪に立ち向かう墨村家と雪村家の若き後継者、良守と時音の活躍を描く妖結界バトルストーリー!!
兄・エドワード・エルリック、弟・アルフォンス。2人の若き天才錬金術師は、幼いころ、病気で失った母を甦らせるため禁断の人体錬成を試みる。しかしその代償はあまりにも高すぎた…。錬成は失敗、エドワードはみずからの左足と、ただ一人の肉親・アルフォンスを失ってしまう。かけがえのない弟をこの世に呼び戻すため、エドワードは自身の右腕を代価とすることで、弟の魂を錬成し、鎧に定着させることに成功。そして兄弟は、すべてを取り戻すための長い旅に出る…。
まとめは力尽きました。たくさんいますよね・・
中村光(聖☆お兄さん) ヤマザキエリ(テルマエ・ロマエ) 岡田あーみん 新井理恵(ペケ) 柴田亜美
とかいろいろ。不条理ギャグ系は古いと通じないかなぁ。ススメにくい。
狂気を孕んだ耽美さに「少女漫画アレルギー」な人は耐えられないかも
名作だけど少女漫画っぽいかな・・?
コメントどうもありがとうございます。
ブコメも全部読めていません。すみませんすみません。日曜までには・・
今日も獣医学部のユニークな仲間とかわいい動物たちは大騒ぎ。思わずニヤリのおもしろさで、国民的人気大爆発のドクトル・コメディ!
ストリートキッズのボス、アッシュは、胸を射たれて瀕死の男から薬物サンプルを受け取った。男は「バナナフィッシュに会え…」と言い遺して息を引き取る。ベトナム戦争で、麻薬にやられて、正気を失ったままの兄が時々つぶやく「バナナフィッシュ」と同じことばを聞き、興味を抱いた。謎の言葉『バナナフィッシュ』を追うアッシュに、暗黒街の黒影が迫る…! 大人気ハード・ロマン!!
まだ“情熱”って言葉さえ知らない、小学校6年生の千早(ちはや)。そんな彼女が出会ったのは、福井からやってきた転校生・新(あらた)。おとなしくて無口な新だったが、彼には意外な特技があった。それは、小倉百人一首競技かるた。千早は、誰よりも速く誰よりも夢中に札を払う新の姿に衝撃を受ける。しかし、そんな新を釘付けにしたのは千早のずば抜けた「才能」だった……。まぶしいほどに一途な思いが交差する青春ストーリー、いよいよ開幕!!
緑の原の一族(グリアナン・クラーク)の中で唯一、黒髪で生まれたアリアンロッド。魔法使いのもとで修業を積むアリアンは、炎の中で一族を滅ぼした“邪眼のバラー”を目撃。運良く生き残ったアリアンは助け手を求めて旅に出る…。神話と伝説の古代ヨーロッパを舞台に、遠大な構想で描かれた大河ファンタジーロマンの決定版!!
先日掲示板で知り合った人からエロ抜きの相撲をしようと誘われ参加したときの話です。
相手も相撲経験はあるということでしたので当然廻しを締めての真剣勝負と思い指定の相撲場に行ったら、相手は廻しを持っていないからと六尺褌を締めて待っていました。
しかも他にも人を誘っていてその人達には六尺相撲と話していたそうです。
自分には、連絡を忘れていてすまない。六尺は持って来たので廻しでなく六尺で相撲をとってほしい。
と言って六尺を渡してきました。その人は自分に比べ細身だったのでその六尺は自分には短く、なんとか締めれるくらいでした。
仕方なくその六尺を締めて相撲場の方に行ってみたら他の二人が相撲を取っていたのですが、それは完全なエロ相撲でした。
褌を掴んではいても投げにでるわけでなく、ただ引っ張りあって股関の締め付けや尻への食い込みを楽しんでいるだけで、やっと投げが決まり終わったと思ったらそのまま互いの股関を擦り付けあっていました。
正直すぐにでも帰りたかったのですが、せめて一人一人と一番くらいは取って行くかと思い参加しました。
エロにもっていかれる前に勝負を決めればと思ったのですが甘かったです。
組んだらいきなり縱廻しを掴んできてそのまま離さずぐいぐい引っ張って来ました。
止めてくれと何度も言ったのですが無視され、次第に自分の物は固くなりきつめに締められた六尺にくっきりと浮かび上がってきました。
すると今度は両手で六尺を掴み引き付けてきて自分の物と相手の物を密着させ激しく腰を動かしてきました。
そのまま自分が押し倒されると他の二人がやってきて股関を自分の顔に押し付けたり、自分の手を股関に持っていき物をしごき始めたりと酷いものでした。
やがてその三人は絶頂を迎えるとようやく自分から離れて行きました。
自分はもういやになり六尺をその場で外しシャワーを浴びて帰ることにしました。
帰りに相撲場を覗いたら二人はまたエロ相撲を取っており、一人は自分の外した六尺を顔に当てて自分の物をしごいていました。
その日は本当に最悪でした。
さらに帰ってしばらくしたら相手からメールが送られてきたメールを見たら、この六尺宝物にします。という文章とたぶん自分が借りて締めた六尺を相手が締めている画像が付いていました…
582 :ソーゾー君:2014/02/13(木) 12:31:24 ID:xsnUIiJM
コレキヨと懐疑は勃起不可避打よなw
これじゃ賭けになんないよぉ~頼むよぉ~w
オリンピック酷いなwオーロラビジョンの選手紹介は馬鹿丸出しだなw
死ぬ気でやれよ?あちこちに地雷でも仕掛けとけばもっと面白いんじゃね?
真剣勝負だから面白いんだろ?負けても勝っても別に良いなら出るなよ?
敗者にかける言葉はね~んだよ?選手達のハイテンションを見るとイライラしてくるな・・
本当に教育上良くねーな・・ホモビデオ流した方が良いんじゃねーか?
岡田くんは5位かね・・どの面下げて帰ってくるんですかねぇ・・
参加することに意義があるの?5位になれて嬉しい?最後まで滑れて嬉しい?
実費でやれチンカス。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/10043/1387207762/
カンニングして良い点とったり、課金してゲームに勝ったり、いいね!もらう為にいいね!したりする友人たちみたいになれないよ。
筋が通ってなきゃ、中身が伴ってなきゃ、本心から思ってなきゃ評価されても意味が無い。勝っても嬉しくない。
形だけの勝利感や承認なんか嬉しく無い。むしろズルや嘘が際立って見えて余計むなしくなる。
真剣勝負で勝たなきゃ意味が無い。自分が納得できなきゃ意味が無い。
でも外っつらだけ良ければ満足しちゃう人たちって多いんだよな。そんなのホンモノの人たちからみれば外っつらだけなのはバレバレなのに。外っつらに騙されるのはニセモノの人たちで、そんな人たちに好かれても良い事なんか無いのに。
4歳から楽器を始めて30年以上、今まで辞める理由が無かった程度の感覚で、なんとなく続けてきた。
高校までは先生に師事してレッスンを受けてきたが、今思うとかなりいい加減で、その楽器を4歳からやっていれば必ず習うレベルの名曲をやったこともなければ、おっさんになった今はテクニックも荒れ放題と、本当に適当なアマチュアだ。
多分保育園・幼稚園の頃から続けてきた人の中では、自分は最も下手っぴな部類だと思う。
とはいえ、この歳になって弾けないままでは死ねないと思うほど弾きたい曲(どれも名曲で定番曲)が出てきたので、ウン十年ぶりにレッスンを再開した。
長年ヘタっていたテクニックが整理され、再構築されるのは本当に嬉しいし楽しい。
この調子で、願わくば還暦までに、プロでも専門家しか手を出さない、キチガイじみた難曲かつ、最高にエキサイティングな神曲を弾けるようになれば・・・などと夢が膨らむ。
さて、仕事にしろ趣味にしろ、何をやるかと同時に、誰とやるかも極めて重要なのは御存知の通り。
まあ、自分みたく中途半端でいい加減で、しかも諦め悪い奴がいないのは道理だろうけど、分かっていても結構寂しいもので。
でも似たような人間がいない程度ならまだいい。
正直な所、自分は同じ楽器の経験者とは全くノリが合わないので非常に苦手だ。というかその楽器を弾くのが好きな人とはいつもしっくり来ない。
特に近寄りたくないのが、小学校高学年くらいの頃に、確固たる自分の意志で楽器を始めた、いわゆるレイト組。
物心つく頃から楽器をやっていた人は、その楽器向けに書かれた曲だったら、音符を見れば「なんとなく」「適当」でも、その通りの音は出せる。
これは自分のようなヘタクソでさえそうなのだから、漏れ無く当てはまる話だろう。
しかしレイト組は、この「なんとなく弾き」を非常に嫌うのだ。特に上手い人ほどその傾向は顕著だ。
大学のサークルの先輩にそういうテクニシャンが何人かいたけど全員そうだったし、おまけに演奏の上手さを誇示し、ひけらかし、更には自分のヘタレっぷりをバカにしてきた。
ついでに女子にもモテてたけど、楽器であからさまな実力のひけらかしなんて必要ないじゃんと思っていた自分は好きになれなかった(自分のファンを増やしたいのは分かるけど)。
それから今習っている先生もレイト組だけど、やはり適当な音は一切許さない。そんな音を少しでも出すと目の色を変えて怒る。
まあ自分が弾きたい曲は遊び感覚では絶対マスターできないので、そこはもうレッスンを真剣勝負だと思って取り組むことにしたけど。
結局、小学校高学年くらいから始めて上手な人は、そこまで弾けるようになるのに相当頑張ったのだろう。
ましてやプロになるなんて、自分みたいな怠け者には想像出来ないような努力と修練なしには無理なのは間違いない。
だからこそ、なんとなく弾くのが、それで弾けたつもりになっているのが人一倍許せないと。はい、全くもって正しいです。
とても真摯な人達なんだろうけど、音楽ってそれだけなのも勘弁・・・と思うのだ。ちょっと息が詰まるというか。
テレビの特集や経験者の伝聞や自身の経験に照らし合わせると、スポーツとか警察・消防・軍隊とかの訓練では、「指導は真剣勝負」と言って憚らない教官が散見されるようだ。
これは要するに「俺はお前らに全力でスキルを叩きこむから、お前らも全力で来い」ということらしい。
そして練習生が「全力で立ち向かっている」と見なされるには、常に気合が篭っている返事・挨拶、同じ事を何度も訊かないとか基本的な事柄から色々あるけど、結局のところ教える側が「全力で叩きこみに来る」以上、指導の言葉は基本厳しいので、その言葉を燃料にして奮起するような性格の人間じゃないと続かないんだと思う。
どれくらいきつい言葉が飛んでくるかって「何やってんだ」「何遍同じ練習に付き合わせるんだ」「違うだろ何聞いてたんだ」「やる気ないなら今すぐ帰れ」とか割と当たり前、まさしく絵に描いたような鬼教官というか(オプションで竹刀片手だったりすることも)。
こういうのを気にしない人は全然気にしないだろうし、少なくともそれでめげる人はお呼びじゃないのだろう。
逆に奮起して喰い付いてくる人は「やる気があって大変よろしい」「根性ある」「将来が楽しみ」というお墨付きを頂けると。
それでいままで上手く回ってきている以上、文句はつけにくいのだが、ある分野の指導がこういうノリ一辺倒とか、本当にそれでいいのだろうか。
逆w
真剣勝負だと信じる純朴な観客で成り立つ商売が永遠に続くなら変わる必要はなかった
それが続かないと見切ったから「ショーです!」とカミングアウトして
今までの商売が出来なくなる未来を見越して脚本に力を入れだしたのであって
元々は古き良きアメリカンプロレスのフェデレーションのひとつだ
半端な知識で口を挟まないように
それさあ
嫌な話だけど、
「ヘマ打って非処女発覚したアイドルを炎上させて追い込む」のって明らかに娯楽性があるじゃん
あれはっきり言って、
「裏切られ」て石を投げるところまでがアイドルオタの楽しみなんじゃないだろうか
プロレスとアイドルで商売の未来性に違いがあるとしたらそこでさ
虚構の説得力が弱まると
「どうせ弱いのに強い振りしてらあw」
「どうせビッチなのに清純ぶってらあw」
って馬鹿にされだすのまでは一緒
でも
プロレスラーが異種格闘技戦に出て弱いのばれても心底がっかりされるだけ
皆で証拠集めて共有・回覧したりCD割ったり握手会でハブったり
果ては事務所やプロデューサーに切られて涙目で会見して消えるまで
これは横じゃない方がお答えするけど
このレスはとてもいい疑問だ
(「WWEの全盛期は10年前だもん!」とかいう「言い返せばなんでもいい」レベルのズレズレアンポンタンレスとは大違い)
>プロレスで八百長だって自分からバラさなければいいのと同じ。
というのは、処女じゃないとしても、それを隠しておけば「ファンタジーを堅守(引用)」できるって話だろ?
だとしても、処女じゃないことを積極的にばらす必要はまったくないよな?
既にチラッと出てるとおり、
そしてこれは、プロレス業界が主体的に選んだことじゃないんだよね
昔の客は
素直に信じてくれる客だった
今の消費者はそうじゃない
きちんと気づいて冷笑的に突っ込むし、
動かぬ証拠まで掴んでネットにアップして共有するようになった
そこで「芝居です」と積極的にぶっちゃけて大幅な路線変更した団体と
状況の変化で否応無くそういう二択を迫られたと言っていい
虚構を維持するエンタメが不可能になってきてるんだよ
そういう意味で、プロレスとアイドルって言うのは、確かに「虚構エンタメ」という共通性のあるいい例えなんだ
で、
だけど、
「バレバレでも自分からバラさなければいい」のポジション選択者は
結局こっちは、「これまでの価値が崩れてるのに新しい価値を創出しない」という保守的路線だったからね
プロレスについて言えば
っていうのは「いい」どころか破滅的な選択だった
ガチンコのドキュメントストーリーに思えるものを見せて隆盛を極めたのがモーニング娘。
だから、秋元康に対してやいのやいのブーイングを飛ばしてしたり顔になっているのは、完全に運営側の思う壺。
本当に嫌いなら、何も言わない方がいいし、AKB商法を非難する=AKB48のファンであると何も変わらない。
AKB48が恋愛禁止っていうのは、「プロレスは真剣勝負」と同じものだと考えるべき。
AKB48のファンには二種類ある。本気でAKB48のメンバーは彼氏を作っていないと思っているのと、そのルールが本当にあるという前提で乗っているのがいるわけだ。
米沢、平嶋がやったことって言うのは、つまりプロレスラーが「試合の結果は決まっています」ってカミングアウトしちゃう行為で、他でもないメンバー自身が明かしちゃいけないのよ。
作ってもいいけど、彼氏がいることは墓場まで持っていかなきゃいけない。
なお、Perfumeは総合格闘技。いろいろなものが決まっているはずのアイドルに、本当にシュートを持ちこんじゃったから革命だし、後にも先にもこういうアイドルは出てこないだろう。
ゲーセンで出会った不思議な女の子の話をめぐって、事実と創作の垣根についての議論があるようだけど、それに関して思うのは、かつてプロレス界で「ガチヤオ」議論が話題となったこと。そんときからモヤモヤしてることについてちょっと書いてみる。ガチとはガチンコ(真剣勝負)のこと、ヤオとは当然八百長のこと。
プロレスにおける「ガチヤオ議論」の中で、「いわゆる『リアルファイト』系をうたう格闘系団体は、本当はヤオなのにガチっぽくやってるから腹が立つ。ヤオなら最初からヤオと言え、その意味では開き直ったプロレス系団体の方がよい」と怒る人たちがいた。レッテルと中身が一致していないと、我慢がならない性格なのだろう。「プロレスは、楽しくするためにヤオだと分かった上で見る人も楽しんでるから、あれでいいんだ、素晴らしい」というプロレス擁護をするプロレスファンがいた。
そういうのを聞いて、とても悲しい気持ちになった。ガチかヤオかなんてレベルでしかプロレスを語れないプロレスファン、というものに。多分、プライドの高いレスラーは、傷ついていただろう。
トップロープからダイブしても、ヤオなら痛くないとでも言うのか? 開始5秒で体痛くなって、ホントは立てたかもしれないけどかっこわるいから寝てました…とかでもガチならそれで満足か? 格闘家とプロレスラーと平均すればどっちが長生きしてるだろうな? 試合に筋書があるって、筋書きがあるから誰でもできるとでも思ってるのか? 手に何も持たず、パンツ一枚の身一つで、30分で数万人の人間を沸かせる仕事、できると思うならやってみせてくれや。
プロレスだろうがリアルファイトだろうがリアルファイトのようなプロレスだろうが、それが人前で演じられるなら、問題は、見てる人間の心に刺さるかどうか、それだけだろうが。詰まらないリアルファイトは詰まらないプロレスと同じように詰まらないよ。心に刺さる試合の向こうには、リアルだろうがプロレスだろうがとてつもない苦労があるわけで、その集積が形をとって表れた奇跡に、見てるものはただ頭を下げるだけだろう。プロレスなら楽だろうって、ほんとに失礼な話だ。
だいたいなあ、事実か創作かという議論が、もうレベル低いんだよ。どこか非現実的でとてもありえなさそうな、それでいて今の時代のどこかにそんな話がありそうでやっぱりなさそうな話が、この時代のある一定数の人間の心に刺さったというのが、ただの事実なわけだろう。それ以上に何か確定して言えることなんて、最初から無い。もともと「小説」なんてシステムができるまで、「物語」というのはおおむねそういうものだったわけで、大多数の人の心に刺さり言い伝えられていく中で変質してやがて固まっていく昔話や神話がそうであるように、大げさに言えばそれは民族の記憶みたいなもんだったんだよ。それで何か問題があるのか? 沢山の人が、こういう話があって欲しいと思い、誰かがそれを形にした。それが奇跡なんだ。
ゲーセンに書かれた話が事実かどうか、当然オレは知らない。ただ、書き手が人間性のある面をとてもよくつかんでいて、それを文という方法で形にする能力に長けているということ、今という時代の空気をよく吸っており、ある方面のサブカルチャーに十分な造詣があることはよく分かる。……たとえばデビューした頃の村上春樹のようなもんだ。そして、それが仮に創作だとしても、そのレベルの創作は、書き手の人生の幾ばくかを注ぎ込まないと生み出すことはできない、ということも分かる。書き手は、自分の書きたいことを、一番読み手に届くだろう方法で世に出した。素晴らしいことだよ。よく書いてくれた。それだけで、オレは充分満足だ。書き手自身は、書きたいことの10分の1も書けなかった、届けたい言葉を書ききることができなかった、などと、いま嘆いているかもしれない。それもいい。どれだけ生きても、ことばなんてそもそも100分の1も他人に届かない。そんな中で、あいつは自分の人生を絞り出しながら、100分の2か3か、誰かに届く言葉を生み出すことができた。よかったじゃないか。「彼女」も「どこか」で喜んでいるよ、きっと。
あれが事実であろうがなかろうが、オレはアレを批判する人間よりは、アレを書いた人間と一杯やってみたいと思う。絶対その方が面白い、それは断言できる。少なくとも、ああいうものを読んだ人間の取るべき態度というのは、事実かどうかを論じるとか、創作ならそう書かないと卑怯だと匿名批判するとか、そういうことじゃないだろうと思う。大体、そんなやり方で人の心を動かせると思ってるなら、やってから言え、と。
それとも「オレにはできないけど、そこそこの書き手なら誰でもできるレベル」とでも言うか? それなら、できるという「そこそこの書き手」に頼んでもいい。そういう人間を探して、試しに書かせてみてから言ってくれ。そんな書き手がいればな。
だから、アレを読んだ人間が、書き手に届けるべき言葉は、次の二択だ。
・「チラシの裏に書いてろ」
それ以外には、ない。言うまでもないが、当然オレは前者だ。
…で、お前はどうなんだ?
日本で格闘技で食えている人口が多いのは、相撲が1番で、次にプロレス。
あれは格闘技ではないと言う人が居るかも知れないが、体操で食うためにサーカスをやるような物だと思えば良い。
ボクシングも総合格闘技も日本チャンピオンになっても他に仕事を持っていないと生活できない。
格闘技が金を稼ぐには客を呼ぶ必要があり、
客を呼んで金を稼ぐ業種が安定的に金を稼ぐには定期的な興行が必要で。
定期的な興行に選手が安定して出場している必要がある。
選手側も安定的に金を稼ぐにはには、定期的に興行があって、定期的に出場しないといけない。
そのためには、怪我をすることも怪我をさせることも御法度になる。
誰かが怪我をしたら選手は金が稼げないし、興行主も困る。
それは本来、相手を痛めつけるのをもって目的をなす格闘技では無理という話。
だから、ボクシングなどは一人の選手が試合をする間隔は長いし、一試合で引退という話もある。
格闘技で安定して食うためにはどうしたら良いかって、本気でやらないことが前提条件。
八百長という手法もある。
ただ八百長をしなくても、それ以外にも寸止め決着という方法もある。
伝統派空手の試合は怪我を防ぐため八百長はないが寸止めで決着がつく。
プロレスは暗黙の了解で寸止めを使っていて、当てられた側も当てられたと言う了解で当てられたように振る舞う。
当てた当てられたの了解の結果、どっちが勝ちかということで決まることもある。
相撲も安定的な興行をするならば、全部が真剣な勝負というのは無理だ。
八百長は一部だけで他に八百長はやっていないと言うが、あれだけ試合をやっていれば真剣勝負の方が無理だ。
八百長をなくすと息巻いているが、それならばもう少しルールを安全な物に変えなくてはさらに怪我が多くなってしまう。
ボクシングが1ラウンド勝負とは言え15回連続試合を年間6回出来るだろうか、無理だろう。
正直言えば、八百長や手抜きはむしろやって欲しい。
それよりも安定的で定期的な興行で、それに安定して選手が出るようにして欲しい。
すげーよかった。ハマる人がいるのも頷ける。
バトルものやスポーツものだと、どうしても対戦や勝ち負けが出てくる。
それで大体の登場人物は勝つために、「苦しい努力」することになる。
対戦においてもガチのバトルものなら命がかかっているし、スポーツものでも何故か人格やプライドといったものがかかってて、真剣勝負になる。
その結果作品全体から「弱いものは否定される」などといった厳しさが発生して、一定の辛さが出来てる気がする。
けいおん!はバトルでもスポーツでもないから、何とも戦わないし、何かを打ち負かしたり否定することはない。また、それをされることもない。
努力に関してもその演出がぬるい。個人の練習はそれなりにしているのかもしれないけど、特に平沢唯が家でしてる練習って多分「苦しい努力」じゃなくて、「好きなことを好きにやる楽しい努力」だよね。
そこからは、「戦わなくても何かを得ることはできる。そのために必要な努力も苦しいものとは限らない」というメッセージを受け取れた。
おそらくここら辺が、俺が今まで見てきたアニメや漫画と違うところなんだと思う。
ただ、二期は「卒業」「進路」「受験」「取り残される梓」などと割と辛い要素も出てきて、緩さと幸福感という意味ではちょっと違う方向だったかな。