はてなキーワード: 真剣勝負とは
すげーよかった。ハマる人がいるのも頷ける。
バトルものやスポーツものだと、どうしても対戦や勝ち負けが出てくる。
それで大体の登場人物は勝つために、「苦しい努力」することになる。
対戦においてもガチのバトルものなら命がかかっているし、スポーツものでも何故か人格やプライドといったものがかかってて、真剣勝負になる。
その結果作品全体から「弱いものは否定される」などといった厳しさが発生して、一定の辛さが出来てる気がする。
けいおん!はバトルでもスポーツでもないから、何とも戦わないし、何かを打ち負かしたり否定することはない。また、それをされることもない。
努力に関してもその演出がぬるい。個人の練習はそれなりにしているのかもしれないけど、特に平沢唯が家でしてる練習って多分「苦しい努力」じゃなくて、「好きなことを好きにやる楽しい努力」だよね。
そこからは、「戦わなくても何かを得ることはできる。そのために必要な努力も苦しいものとは限らない」というメッセージを受け取れた。
おそらくここら辺が、俺が今まで見てきたアニメや漫画と違うところなんだと思う。
ただ、二期は「卒業」「進路」「受験」「取り残される梓」などと割と辛い要素も出てきて、緩さと幸福感という意味ではちょっと違う方向だったかな。
最近になって彼女との電話が口論になることが多くなった。不安定というか、やつあたりというか、はげしい口調でなにもかもを否定的に言う。
「あんな上司の下じゃ、きっと、いつかつぶされる、私のこと嫌ってるし」
「子どもなんて考えられない、こんな世の中で産めるわけない」
ぼくはそれをなだめながら聞き、いやでもさ、と口を挟む。
「それすごく先のはなしだし、今から心配しても仕方ないし、第一まだ」
「ちがうよ、でも、それ今決めなければいけないの?」
電話口の彼女の声はエスカレートしつめ寄るように鋭くなって、徐々に矛先がぼくにむかうようになると、口論になるのはほぼ間違いなくなる。いや、それよりも前に、あまりに否定的な見解にお説教じみた言葉を投げかけ始めてしまうこともある。彼女よりぼくの方がだいぶ年長だから、その言いようが子どもじみていて、甘い考えに見えるからだろう。
「そんなこと言っていたら、ほんとに首になるよ。そんな甘くないよ、会社」
ぼくの脳裏には、凄惨に会社にやめるように圧力を掛けられた記憶が蘇り、ぼくがみた社会の冷酷さの一面を彼女は理解していないのだと思ってしまう。
「そうなったら、せいせいだね。漫画読んで、テレビ見て、映画見て、ずっと楽しくすごす。あの会社入りたかった会社じゃないし、仕事も楽しくないし。あなたはいいよね、楽しいんでしょ、会社?」
「楽しいときもあるってだけだ」
「じゃあ、いいじゃない、私ぜんぜん楽しくも何ともないもん」
こうなると両耳で非常ベルがジリジリジリジリと鳴る錯覚まで覚え、危ない、このままでは彼女は落伍者になってしまうと、そんな危機感だけが脳内を旋回するようになり、それが超大型の爆撃機となって、鋭いクラスター爆弾の雨あられを投下してしまう。
あぶない、あぶない、あぶない、止めなきゃ。
その一心で、彼女の心が焦土になる危険さえ冒して、鋭い言葉を投げてしまう。
そんなことをしたら彼女を傷つけるだけなのに。
もっとひどいのは彼女の矛先が自分に向かったときだ。それはさながら決闘のようで、お互いの価値観をぶつけ合って、はげしいつばぜり合いになる。
「だって、あなた給料安いし、そんなんで生活できるわけないし」
「なにいってんだ。この業界では高い方だし、これはこれで」
「あーあ、これで彼が弁護士かなんかだったらな」
「弁護士だって、一流二流以外はたいして変わらないよ、今は。それにそんなつまらない仕事しても、面白くも何ともなくない? クリエイティブじゃないし。人のもめ事に首突っ込んで、解決料をもらう仕事だよ?」
「あなたの仕事もたいして変わらないんじゃない?」
まるで、剣を撃ち合わせるように、キンキンキンキン、と鋼と鋼を撃ち合わせるようで、お互いが意地っ張りで、プライドが高いという事もあって、泥沼と言うよりもつかれるまでする、決着の着かない果たし合いのよう。
キンキンキン。
最近どうも、果たし合いばかりしている。
彼女が一番鋭いところを出してきたときに、ぼくの中に対処できるところが鋭いところしかなくて、それで、剣を出される、剣で受けてしまう。
それでも、ぼくが彼女が好きなのはそんなところで、プライドが高いと言うよりは高潔で、一種の高貴さみたいなものがある。ふざけたり、馬鹿にしてみたり、いじわるをしてみたりする事もあるけれど、それは手管の一種で、ふしぎと俗悪な感じはしない。ぼくも似たもの同士で、彼女が手管を使う代わりに、どちらかというと間合いをとって相手をなだめることが多い気がする。
それが、こんな年下の彼女と真剣で、抜き身の刃で撃ち合えるなんてと、驚きはするのだけど、何か違うのだと、何か自分が間違っているのだと、最近になって思うようになった。
喧嘩はもちろんストレスフルだけど、それでも、ぼくに真っ向から立ち向かえない人を好きにはなれない。一対一で真剣勝負も辞さないぐらいでなければ、対等になれないのは当然で、ふしぎと彼女は対等の喧嘩ができる。
彼女がどう思っているかは分からないけど、ぼくには、ぼくと彼女のやり合いは対等だと思うのだ。
嫁と夫がささいな事で言い争いになり、どっちが正しいかを突き詰め合わずにはいられなくて、それで喧嘩になる。それが、知的プライドに根ざしている事が暗喩されていて、その話を聞いた友人が、深刻ではあるのだけど、平和的だなとか言うような小説。
それを読んで、うわ、これだ、これ、理解していないんだ、ぼく、そう思った。
もう彼女の理不尽な反応を受けるたびに、どんだけ、女性心理を書いた本を(漫画&小説)読みまくったかと自慢しても仕方ないのだけど、その短編を読んでまたショックを受ける。
その中で、嫁の、ちょっと至らないんじゃないかと思われる部分を指摘する嫌な(笑)夫が出てくる。その指摘は至極まっとうなのだけど、主人公は主人公なりに事情を抱えていて、その辺が交錯している。結局の所、夫も嫁も、まあそれって愛している&憎む部分もある=愛憎だよね! であいまいに終わるので、結論は出しにくいのだけど、その心理が乖離していく様子を見て、ああ、これだ、これか、と思ってしまった。
敵対に敵対で受けるのだろう。
そう思ったときが衝撃で、というか、彼女の剣、自分の身体に突き刺さったコレクションにすればいいんじゃない? 剣を剣で受ける必要なくない? 彼女が刺したいだけ刺させてあげればいいじゃん。そんぐらいではびくともしない、かもしれない、力があるんだから。
と思った。
つばぜり合いはいい。
でも、彼女が発している鋭さは受けよう。
この身で受け止めよう。
ここに刺さるのを甘受しよう。
そして、彼女が十分に戦ったと満足したなら、その痛みをこの身に受けよう。
刺されようと、そう思った。
それでも、びくともしないぐらいの強さを渇望している。
つよくなりたい。
彼女がいつ刺してもいいように。
それで、びくともせずに、抱きしめられるように。
市場とは、「自分の欲しいものにしかカネを出さない人の集まり」である。
http://mojix.org/2009/12/17/takenaka_kan
この「自分の欲しいものにしかカネを出さない」という「真剣勝負」が、市場の本質である。スポーツの試合と同様、それが「真剣勝負」だからこそ、みんなが欲しがるもの、必要としているものは何かを考え、いい商品やサービスを作ろうと努力する。そこから富や価値が生まれてくるのだ。
この「真剣勝負」は、「弱者救済」とは相容れないものだ。スポーツの試合で、相手に譲っていたら試合にならないのと同じだ。市場は「真剣勝負」の場であり、「自分の欲しいものにしかカネを出さない」というシビアな態度こそが「公正(フェア)」なのであって、それが富や価値を生み出す。
色々アドバイスをいただき非常に参考になります。
むしろ奥さんの方が議論派、というのは初めて聞きました。そういう方もいらっしゃるんですね。
すごく理想の関係に思えてうらやましい限りですが、きっとそれぞれの夫婦の関係も家庭ごとにすべて違うんですよね。
わたしも妻と私との理想の関係を見つけられるようにがんばろうと思います・・・。
1つだけ参考に聞きたいです。
嫁はいつでも真剣勝負だった。俺が面倒がったり、キレて物投げたりしても、泣いたりキレたりしないで話を続けてた。
正直ちょっとウザイ位。
このときに、増田さんは奥さんに、今私がこの一連の投稿の中で皆さんに多数指摘されているような「デモデモダッテ」的なものは感じたでしょうか?
「そのうち怒らずに冷静に話をしてくれるように相手が変わってくれるだろう、だって冷静に話すことがお互いにとって良いんだから」と思ってましたが、そんなことはないんだということが最近やっとわかってきました。
うん。大事だな
親子ですら分かり合うのは難しいんだから他人なんてもっと難しいと思うのは重要
奥さん(旦那さん?)ははじめからそういった冷静に何時間も納得するまで話をしてくれる人だったのでしょうか?それともそのように結婚生活の中で変わってきたのでしょうか?もしそうなれるコツのようなものがあれば教えてください。
元々は嫁の方が議論派、俺は面倒だと思ったりする事も多かったから参考になるかは解らないが
まず、絶対に面倒だとか適当な返事はしない。
嫁はいつでも真剣勝負だった。俺が面倒がったり、キレて物投げたりしても、泣いたりキレたりしないで話を続けてた。
正直ちょっとウザイ位。
そんでも、一回一回結論が出て、結論が出るとその後楽だし、変な思い込みとかしないで良いと思ったから議論をまじめにするようなった。
元増田の場合、これが正しいよねって話すと相手が責められてると感じるかもしれないから
相手を責めるんじゃなくて、どこが妥協点かを探る感じにするのがコツじゃないかな。
「俺はこう思うんだけど、お前はどう?」とか
「俺はこう言う経験からこう考えたんだけど、お前だったらどう考える?」とか
自分が理解してない相手の過去や経験から、自分と違う意見が出る前提で、ここは似てるな、とかここは違うな、何で違うんだろうな?とか
出来るだけ相手が感情的にならない状態で話してみるのが良いんじゃないか?
俺んトコは嫁が女だけど超ロジカルで感情論嫌いだから、まあ問題少なかったけど
感情的になる相手だったら、如何にそういう状態にせずに話をするか、が重要じゃないかと思うぞ。
その上で、自分が相手を知るように相手にも違う所とか違う考えで動いてる事とかを少しずつ解って貰ったらどうだろうか
男みたいに理性的には動けん事も多いらしいぞ
その辺も汲み取って、相手を尊重してるんだって事が解るように話しかけたり行動したらどうか
ある程度は、男の俺には解らないから教えて欲しい、的な話し方とか。
俺の場合、超ロジカルな嫁だが、つわりで苦しいらしく、涙を流しながら仕事の本とか読んでて無茶苦茶こえぇと思った事とかあるしな。
本人超冷静、涙出てんのに普通に統計学の本とか読んでるんだぜ。
「あー、何かホルモンバランス悪いみたい。涙出まくるよ。悲しくないけど」とか言ってたから、男には想像もつかない状態なんだと実感した。
そういう良く解らん何か、それも個人個人で違うって厄介だから、正直にごめん解らないから教えてっつった方が無難。
察するとかたぶん無理。
具体的じゃなくて悪いけど、他に何かあったら聞いてくれ。
解る範囲で答える
http://anond.hatelabo.jp/20090120215245
この部分は激しく同意。
それでもまだ弁護士はマシな方だ。いちおう素人の被告の相手をしないと行けないからな。問題は裁判官と検察。もうコイツラはほとんど何も考えてない。テレビや新聞で話題になるぐらいになるとちょっと別だが、それ以外のそこそこ小さい事例だともうほとんど最初からシナリオが決まっていて、弁護士はそのシナリオを察してどの程度修正できるか、というだけ。
以前ついてくれた弁護士はみんなそろってこう言う「あの検事と裁判官ならこの辺が落としどころです」「あの検事は今法律変わって実績作りに立件に燃えてますからね」「あの裁判官はこの手の事件にはきついですから」オイオイ、事件の中身とかいいのかよ。まだ始まってもいないんだよ。
もうね、考える事なんてほとんど無いの。テレビゲームの攻略本みたいなもの。このキャラならこのコマンド、みたいな。情報と経験だけ。
裁判員制度はイイとは思わないが、もし唯一あるとしたら、ほとんど脚本付きの演劇みたいな裁判を引っかき回して検事や裁判官、弁護士を悩ませて考えさせて真剣勝負の場に変えること。彼らにはソレができるだけの力はあるんだから。ただメンドクサイからシャンシャン裁判ですませちゃってる場合が多いだけでね。そんなので50万とか100万とかふんだくられてはたまらんぜ。
今年、誰が優勝しても去年のサンドウィッチマンを超えられなかっただろうし、
去年のサンドウィッチマンでさえ、前年のチュートリアルやブラックマヨネーズを
超えられたか?と言われたら、疑問が残る
回数を重ねるごとに、おもしろいコンビから順に抜けていくシステム
回数をかさねるごとに、緊張感が薄れていくシステム
奈良県立歴史民族博物館ネタで、その期待以上の笑いを取った時のM-1には、
だからこそ、笑いに爆発力があった
もともと、お笑いっていうのは、そんなに真剣に見なくてもいいじゃないか?という意見ももちろんあるが、
M-1という大会は、そういう価値観から離れて、日本一面白い漫才コンビを決める、見るほうもやる方も真剣勝負の
緊張感ある大会であって欲しいと願う
ということで、今度から4年に1回くらいでいいのではないか?
その方が、やる方も緊張が伝わるし、おもしろい人も残るのではないだろうか?
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五輪男子の完敗,女子の奮戦などで盛り上がるサッカー,ここらでちょっとオレオレフットボールコラム。サッカーが下手で最近のJリーグもほとんど知らない私が,どんな風に,どうしてサッカーが好きかを自分で再確認するために書くメモ。あるいは,素人戦術好きのメモです。
基本的に選手についても監督についても批判とかを書いたりするのは嫌いなので(やっぱ,がんばってる当事者達に文句を言うのって嫌ですから),今後の日本代表を監督人事や戦術を中心に思うところを書いておきます。
岡田さんの後の監督についても,いろいろとすでに話が出ているけど,やっぱり代表監督には目の前の結果と,将来への育成,この両方を期待してしまうし,でも日本に根本的に欠けているも「マスコミの良識」や,日本に存在する「広告代理店による商業サッカー」を思うと,人選はとても難しいと思います。サッカーの伝統や文化がない(マスコミと広告代理店のせいで育たない)日本は,戦略(主にサッカー協会が考えること)と戦術(主に監督が考えること)の両方で頑張らないと,W杯のような真剣勝負の舞台で世界から相手にしてもらえることは無理っぽいことがドイツW杯,北京五輪で改めて判明しました。サッカー協会はとてもがんばっていると思うけど,致命的に問題なのが日本のマスコミ(とその背後の広告代理店)で,ほぼ全く現代サッカー,特にその本場である欧州サッカーの動向なんかほとんど知らない,興味ない人たちが,代表戦の前後や,人事のゴタゴタだけを「視聴率が取れれば良い」,「ビジネスになればよい」というだけで騒いで終わるだけなので,日本でサッカーに対するまともな文化が育たない(と,偉そうに書いてみました)。W杯とか代表戦で盛り上がっていない普段は日本のサッカー情報は本当にマニアックで詳しい人も多いのだけど,ことW杯絡み,日本絡みとなるととたんに地道な報道や記事は吹っ飛んでしまうのですよね,恐ろしいことに。
現代サッカーは長期戦略(才能ある若手の発掘,育成,優秀な指導者の育成,獲得,有力選手の強化支援)をベースに,極めてシステマティックに構築された戦術と,選手の個人能力を融合であり,その実戦は主に欧州6大リーグで顕著に見ることができます。70年代に名将リヌス・ミケルスに率いられ,空飛ぶオランダ人,ヨハン・クライフによってオランダ代表及びアヤックスで完成されたトータルフットボール,それを内包して80年から90年代にかけて研究され完成したラインディフェンスによる高度にマニュアル化された戦術,これがしばらく世界のサッカーの基本戦術でした。すなわち,現代サッカー戦術において,重要な出来事は2回,ミケルスが率いクライフが体現し世界を驚愕させたオランダのトータルフットボール,そしてプロ経験のない靴のセールスマンだったサッキ監督が80年代後半から90年代初頭に完成させた革命的4バックラインディフェンスです。
この現代サッカーシステムはしばらく打ち破られないと考えられていましたが,2000年以降,皮肉にもこれらの現代サッカーの完成期に現役時代をおくった選手が監督としてピッチに戻ってきて,大きな変化が起きつつあります。W杯ドイツの監督であるクリンスマン,バルセロナを21世紀最初の黄金期へと導いたライカールト,PSVで結果を出したクーマン,批判もあるけれどやはり優れた戦術家であるモウリーニョ(この人はちょっと特殊な例,いろいろ言われてるけど僕は好きです),そしておそらく現在最も優れた天才若手監督であるデシャンなど,僕の世代ならば,小学生や中学生の時に選手としての全盛期のプレーを見ていた彼らは,リッピ,サッキ,クライフ,ベッケンヴァウワー達の下で自分たちがプレーしたラインディフェンスによるマニュアル化されたシステムの強さと限界を知り尽くしているので,その先のシステムが彼らから生まれてくるのも必然の帰結と言えるかもしれません。代表的なのはフランス,リーグ・アンの中堅だったモナコを一気に強豪まで育て上げたデシャンでしょう。彼の指揮するモナコの特徴は「世界初のシステム化されたラインディフェンス破り」と言われています。詳細は多くのサイトが取り上げているので割愛しますが,欧州トップレベルクラブでの戦術は,数秒単位,1m単位で極めて細かくマニュアル化されたシステムの攻防であり,フラットなラインによるDFでは,相手攻撃陣のボール所持位置,向きに応じて一瞬でラインのON/OFFを切り替える必要があり,この判断は基本的にチーム事のマニュアルで細かく決められています。しかしデシャンはこのマニュアルの唯一の弱点と言うべき,ON/OFFの判断ができかねる一瞬(通常これはバイタルエリア,あるいは最終DFラインとボランチの間が約5mから10mの距離の位置で,攻撃側の司令塔,トップ下,あるいはポスト役がボールを持った瞬間)を意図的に数多く作りだし,そしてそれをシステムとして突破する戦術(というか,この状況が形成された無条件で味方アタッカーの位置を考慮せずDFの裏へスルーパスを放り込むという暗黙の了解)を導入しました。極めて強固で洗練されたラインディフェンスによる華麗な守備を誇るスペインの強豪デラポルト・ラ・コルーニャを完膚無きまでに撃破した試合では,解説の人が「これを戦術でやっているならデシャンは天才です」と言っていたそうですが,メンバーの代わった試合でも同じようなことを続けているモナコの姿を見て,デシャンが天才だったことが証明されました。書くと簡単ですが,実戦するのは簡単ではないはずだし,実際欧州でこの戦術が実行された場面を見ると,攻撃陣の絶妙なパスと動き,そして恐ろしいまでの破壊力に驚きます。
このような戦術の話題は,欧州では瞬く間に話が広まり,各チームによって研究,実戦され,より洗練されていきます。日本でも普段からサッカーのニュースではこのような議論が喧々諤々続けられ,小学生から老人までが戦術について熱く語り合わなかればならないのです,たぶん。でも果たして日本のW杯や五輪サッカー関連のマスコミで,「デシャンのラインディフェンス破り」についてきっちり情報を入手して理解しているような記者はどれくらいいるのでしょうか。あまりにも戦術が軽視されているように思います。芸能人に得点予想を聞いたり,一つ覚えのように「3-5-2は守備的,4-4-2は攻撃的」と繰り返すよりも重要なことがたくさんあるように思えてなりません。実際デシャンは攻撃に人数を割くのが攻撃的なのではないと考えているそうで,4-5-1あるいは3-6-1でも攻撃的なシステムを研究し,実践しています。
オシムに決まった監督ですが,候補にジャケ・エメの名前が挙がっていました。同じフランス人ならばデシャンの方が,日本の4年後,そしてその先を考えるとふさわしい気がします。でも,デシャンほどの才能を,サッカーに理解のないマスコミがくだらないことばかり書き立てるアジアのサッカー後進国に迎えるのは世界のサッカーに対する犯罪のような思いもあります。長々書きましたが,とにかく言いたいのは,次期監督は日本に合った戦術をしっかり考えて,実戦できる人にしてくださいということです。
そして,今回の五輪で明らかになった,男子サッカーの衰退と女子の奮闘。特に,澤。この不世出の才能を日本サッカーが今後生かせるかが,日本サッカーが世界について行くことができるかの重要なキーになるかもしれません。澤に率いられた日本女子代表のプレー,皆さん見ましたよね。男子との違い(決定力や個々の位置取りから,システムの機能・実践まで)がここまでわかると,さすがにみんないろいろ考えると思います。
スイーツ側の人は業務内容が密接にプロジェクトや会社の中の話と結びつくことが多いので、はてな界隈ではなかなかスイーツ側の人はスイーツ側の濃ゆい話を書くことが出来ないことが多いようだ。圧倒的にスイーツ側の人間がはてなを始めとしたブロゴスフィア全体で少ないなぁとつくづく思う。QAも少ないけど。この辺をアツく語るブロガー出てこないかなー。
私は200X年に今の会社に入社して、数年間WEBアプリケーションの開発をやった。多くはJavaの案件だった。最後の案件は去年の夏ごろだ。前任のPMが逃げるように辞めていってしまい、非常に複雑なロジックを自分が担当することになった。1500行越えktkr。それを参考にして(これが大間違いだったんだよセニョールorz)2週間かけて作ってみたはいいものの、テストを繰り返しているうちにどんどんボロがでて、結局その当時のPMとパートナーさんに相談して設計からやり直した。パートナーさんの英知を借りて結果としてコード数が半分以下になり相当イケてるコードになった。今となっては英断だったと思うがその代償でほとんど土日を使い潰してしまった。コードの怖さを思い知った夏でした。
昔話はこれぐらいにしておいて、と。
でもって今は仕事ではコードを書かずにひたすらPowerpointに魂を込めるプレゼンの日々を過ごしているのですが、これはこれで意味のある仕事なんだなと思っている。この業界においてスイーツの人はやっぱり必要なはずなんだと思う。全員が全員エンジニアだったらビジネスにならないと思うのです。技術それだけでは1円も生み出さないのだから。私はずっと内製回帰すべきであると言い続けているけれど、誰かがスイーツを着なくてはならないと思っている。マネージャは必要なはずだと思ってる。誰かが顧客と向き合わねばならない。誰かがチームをまとめあげなくてはならない。できれば、その人は技術も業務も語れるハイブリットな人材が望ましい。このあたりの議論はSIerの中では絶対出てくるはず。
ただ回りを見渡してみれば、はてな界隈でフルボッコされている「スイーツなおやぢ」がマジョリティなのも事実。技術のこと、実装のことを肌で感じることができないし、感じようともしない。大規模になれば細かい所なんて見れるわけが無いので僕の仕事は工数を管理するだけなのでーす、という立ち位置の人間が多いのも認めざるを得ないし*1、そういうスキームになっている部分も否定できない。ごくまれにコードが好きだけど年齢的に管理職になってボヤいているなんて人もいるんだけどね。それにひたすらプログラマー現役続行状態でリスペクトされている方もいるのも事実。今あなたが立っている場所によって全然見え方が違う。
以前エジケンがニッポンIT業界絶望論の中で受託開発にはイノベーションなんてねぇよと切り捨てたけど、本当に革新的なものを生み出すことが全てでは無いだろうとも同時に思う。イノベーションは結果であって目的では無いだろうという見方もあるんじゃねーの、と。これは賛否両論だろうね。コードでなければ世界を変えられないとはてなおやは言うけれど、コードよりも何よりも人間を動かせばすぐに世界は変わるだろうとも同時に思うのです。
スイーツ寄りの人間が最もやらねばならないのは、人を動かすことだと思うのです。顧客を動かす、チームを動かす。プロジェクトが成功する方向に。人を動かすために必要なスキルと、システムを動かすために必要なスキルは全く別物です。Powerpoint1つとっても、結構ディープだよ。言いたい事を正確に伝えるのはスイーツでもエンジニアでも必要だと思うけど、そこで真剣勝負をする人は少ないのが残念。また、スイーツとエンジニアの間にはお互いリスペクトがあればそれだけでいいはずなのですが、上流から下流にお金が流れていってしまうため立場的に下流側にしわ寄せが来る。職業に貴賎は無い。技術神経が死んでいるおやぢほど技術者を十把一絡に捉える傾向が強い。これはガチだと思う。
スイーツにも新陳代謝が必要なんです。むしろ、スイーツにこそ新陳代謝が必要なはずなんです。政治家・似非管理者としてのスイーツが全てではないだろう、と。「ウェブ・リテラシー」を持っているスイーツが色々と面白い企画を立ち上げていく。会社を、回りをよりよい方向に持っていく。そういうスイーツがこの業界にはもっともっと必要なんじゃないでしょうか、と。そういうスイーツにはこれから色んな「けものみち」があるんじゃないだろうか、と。私はずっとエンタープライズにいる人間ですが、技術リテラシーが死んでいる人間が立ち上げたプロジェクトが砂上の楼閣のように崩れ落ちていくプロジェクトをそれなりに見てきたし経験してきました。だからこそ、そういうスイーツが要るんじゃないか、と。エンジニアがスイーツになってもいいと思う。エンジニア寄りのスイーツってめっちゃ希少価値高い気がするけどなぁ。いざとなれば自分でコード書ける自分でありたい。そこは失いたくない。
全然考えがまとまってないんだけど、スイーツはスイーツで結構奥深く多面的に色々なことを求められるのが本筋であり、スイーツにはスイーツのロールモデルがあって然るべきだってことが言いたいのです。スイーツ着たら負けだと思いたくないのです。そういうことを語り合いたい!!
ニュー速+/【裁判】インクカートリッジ訴訟、エプソンの敗訴確定
より
54 :名無しさん@八周年 :2007/11/09(金) 19:25:35 (p)ID:mS7S9/FX0(3)
双方あらゆる角度から、自分の主張を正当化しようとし、
あらゆる角度から、相手の主張を突き崩そうとして、持ち出せるものを全て出し尽くす。
結果的に、その問題に関して最も濃密で高度で興味深い議論が、そこで戦わされる。
なのに、結論としては「どっちが勝ち」という判断がひとつ出るだけで、それっきり。
百出した濃密な議論の価値は。
何のための白熱した議論だったのか。勝ち負けなんて一時の運に過ぎない事はままある。
なのに議論の全てはそこで終わる。勝てば官軍。なにそれ。無駄もいいとところではないか。
裁判だから暫定的に勝ち負けを出さなけりゃならないのはわかる。出せばいい。
けれど、せっかく議論の核が形成されたのに、「これにて落着」にするなよ。
でないと、我々の社会をもっとずっと良くできる貴重な可能性を、
毎日ドブに捨て続けている事になる。
それじゃ無駄が多すぎる。
今も昔も、期会を貪欲に捉えて活かし切る社会が、より強い社会なのだ。
型どおりを重んじているだけでは、我々は自分の血液をだらだら捨てているのと変わらない。
判例という形で影響を与えてはいるが、確かにもっと前向きに Feedback がかかる仕組みがいいように思う。
特に立法府あたりに限らずとも。何か無いだろうか? それとも自分が知らないだけで何かある?
みんなミニチュアだって知ってる。
子供だって知ってる。
ミニチュアは、視聴者を絵的に「瞞す」ためだけに、置いてるもんじゃないでしょ。
時間をかけて丁寧に創り出されてきたものが、実際に視聴者の目の前で、怪獣や戦闘によって、簡単に、瞬間的に破壊されてく。
その迫力。凄み。そして…儚さ。悲しさ。
そういうのを見てる。
スーツアクターさんたちは、本番撮影でミニチュアを壊すことになる。撮り直しは出来ない。一発勝負で「戦闘」に望む。それはもうリアルな真剣勝負ですよ。
ウルトラマンの戦闘には、アニメやCGでは絶対に表現できない、戦争がある。
あ ん た ぜ ん ぜ ん わ か っ て ね ー よ!!!
※それから「安っぽいのがいいんだ」みたいな声を、安易にこんな何も判らない人たちに届けないで欲しい。そういうのは、大きなお友達の間だけの話題にして。
http://anond.hatelabo.jp/20071001005837
いつ頃から圧迫面接って言うのが始まったのか分からないけれど、最低でもバブルが弾けたのが降り掛かり始めてからはあったと思います。
採る側としては「その程度のストレスに耐えられなくては仕事出来る人間にはならない」ってふるいにかけているつもりなんだろうけど、結局は奴隷になれる人となれない人をふるいに掛けちゃってんですよ。
そういう会社の全てがダメだとは思わないけど、圧迫面接やらない代わりに仕事始まったら顔がまったく変わる会社も多いです。
結局は奴隷が欲しいのか真剣勝負出来る人が欲しいのか。で面接も仕事やらせてからも違ってくるんでしょうけど、大半の会社はとにかく奴隷が欲しいから。
派遣会社がこれだけ流行っているのも派遣会社通すと、同じ金額を労働者への人件費として使ったとしても、派遣会社を通すことで会社自体がとるべき責任がかなり減るので。
つまりは、奴隷を使い捨てにしたいから派遣会社が流行るし、派遣会社が営業できる範囲が厳しく規制されていた頃から常時正社員使い捨てにしていて、解雇なのに自己都合退職を強要してくる会社とか沢山あったし、ワンマン社長がそういうことやる会社の時は部下が出来ても育て始められた頃に辞めさせてしまったり他の同僚が退職に追い込んだりって所もあったし。
結局、みんな保身に走るとダメなのよ。何処の経営者もも仕事の中身自体に対する真剣さという意味でのプロ意識なんか欲しがらなくなっている。
それが現実。でも、そこから這い上がることも、自分に志があれば・今なくても仕事していく中で出来てその方向に進めば出来ないわけではない。
何度も泥水すすって来ながら這い上がったり倒れたりを繰り返しているようなわしでもなんとかやれてきているんだから。
前途は暗く見えるだろうけど、暗いならば強引に日をのぼらせるか日の当たる所に着くまで転がるか。
今は昔ほどガチガチの会社社会ではないから、やりようはいくらでもある。
おっちゃんがちらしの裏に書いてること書いちゃったけど、参考になれば。