テレビの特集や経験者の伝聞や自身の経験に照らし合わせると、スポーツとか警察・消防・軍隊とかの訓練では、「指導は真剣勝負」と言って憚らない教官が散見されるようだ。
これは要するに「俺はお前らに全力でスキルを叩きこむから、お前らも全力で来い」ということらしい。
そして練習生が「全力で立ち向かっている」と見なされるには、常に気合が篭っている返事・挨拶、同じ事を何度も訊かないとか基本的な事柄から色々あるけど、結局のところ教える側が「全力で叩きこみに来る」以上、指導の言葉は基本厳しいので、その言葉を燃料にして奮起するような性格の人間じゃないと続かないんだと思う。
どれくらいきつい言葉が飛んでくるかって「何やってんだ」「何遍同じ練習に付き合わせるんだ」「違うだろ何聞いてたんだ」「やる気ないなら今すぐ帰れ」とか割と当たり前、まさしく絵に描いたような鬼教官というか(オプションで竹刀片手だったりすることも)。
こういうのを気にしない人は全然気にしないだろうし、少なくともそれでめげる人はお呼びじゃないのだろう。
逆に奮起して喰い付いてくる人は「やる気があって大変よろしい」「根性ある」「将来が楽しみ」というお墨付きを頂けると。
それでいままで上手く回ってきている以上、文句はつけにくいのだが、ある分野の指導がこういうノリ一辺倒とか、本当にそれでいいのだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20120731161407 ある分野の指導がこういうノリ一辺倒とか、本当にそれでいいのだろうか。 端的に言えば人材が思いっ切り偏りそうだし、それは翻って組織の将来性・可...
資本主義社会において、根性なしでも生き残れる仕組みを考案できたなら、革命どころの騒ぎじゃないと思うぞ。 元増田が本当にそんなことが可能だと思うなら是非やってみて欲しい。
でも元増田が挙げてる組織団体って、あんまり資本主義っぽい感じしないんだよな…
競争社会という意味では同じだと思うぞ。
根性無い人ってどんな分野でも絶対に使えないけど。一部の天才を除いて。
元増田が言ってるのは「根性があるというお墨付きを頂ける」ということだろ。 鬼教官がいるような組織では「鬼教官の罵倒に奮起できるような人間」=「根性がある」とみなされてい...