はてなキーワード: 町医者とは
ってなって
まず病院 医院 クリニック 診療所の違いってなんだ…ベッドの数で病院とそれ以外にわかれてるって話なんですね
とか調べつつ
大病院にはいきなり行かずに、行くとしたらかかりつけ医的なとこに行って紹介状もらってから〜みたいのがあるというのは何となく知ってる
とりあえず一番近くの内科…は肌荒れ見てもらってて通わなきゃいけないのにサボってるからめちゃくちゃ行き辛いしなぁ…
「頭痛なら内科より頭痛に特化した所の方が良いです」なんてのも見るが家の近くの町医者には特化してそうな所は無くて普通の内科ばっかり…
仕方がなく近所の大病院に行くのか?少し遠くても神経外科的なとこに行くのか
あと、医者の人柄だって色々あるが、できれば優しい人の方がいいな
でもそれと医師としての腕は別問題だから優秀な先生に見てもらいたいとも思うし
そんなんホームページやらレビューやらじゃ確かめきれんが、とりあえず行ってみてなんか違ったら次の別のとこに…と、ころころ変えるもんじゃ無さそうだし
そして何処かに決めて行ったとして、そもそも人と話すのも得意では無いし、問診の時に何をどう話したら良いかもわからんよな
何時からか、とかどの位か、とかどんな風にか、とか言うの難しいよな
てかこんな時間まで起きてるような生活してるのとか、めちゃくちゃ心配性だったり最近忙しすぎてストレスめっちゃあったり、もしかしたらそもそも行くべきは心療内科なのかもしれないよな
それいったら何が原因で何がどう作用してるかなんてわからんし、医者だって全知全能で無ければ結局「最善を尽く」してくれるだけで病院に行けば解決でも無いし
とかとか色々考えて、わからない事だらけで恐怖感だけ増していくから「病院に行く」という事がめちゃくちゃ苦手だ
うまく通院するにはどうしたらいいんだ
まず「どこの病院を土日営業にするのか」という問題が起こる。皆「私の近くの病院にしてよ」と思うからだ。
そこはまあ国が無理やり割り振れば、と思ったが、現実的には立地住民の不公平感を拭いきれず解決できないか多くのしこりを残すことになると思う。
土日開店の病院がある町には子育て家庭が引っ越しを検討するくらいのメリットがあるだろうし、逆もまたある。
次に、働く側。医師・コメディカルは「土日は学会」という理由がわりと大きいかもしれないが、看護師、事務員は「友人が休んでる土日に私も休みたい」が大きいのではないか。
であれば土日が休日の病院に人気が集中しそうである。休日出勤があるので今ですら友人と予定が合わないことは多々あり、ぼっち感に苛まれている人は少なくないはず……。
今、周りを見渡すと、町医者は以前より随分診療時間に融通を利かすようになっている。夜9時10時まで診療しているところが増えた。
受診する側としてはとてもありがたいが、煌々と明かりが点いているのを見ると大丈夫か?と心配になる。
閉店が遅い分、開店も遅いならまだいいが10時~13時まで開けて、一度閉め16時~21時というパターンもある。しかし皆も分かるだろうけど、間に休憩挟んだってそれほど休まらないよね、特に精神的に。
歯科医院・整骨院は過当競争が第一原因だとは思うけど「土日しか休めない会社員の都合」を汲み取った結果でもある。
便利さを求めると他の誰かに自分が得た便利さ以上の不便さを強いる結果になるのではないだろうか。
そりゃあ病気でしんどいのに一つも病院が開いてないってんじゃ困るが、今でも市町村内の病院で持ち回りで休日診療をやっているし、専用の休日診療所がすでにあると思う。救急車を呼ぶような場合では、24時間救急の病院を探して送ってくれる。
今だって医師とか看護師、コメディカル、事務員、みんな土日出勤あるし、年間休日数は普通の会社員よりずっと少ないと思う。(緊急呼び出しにはさすがに代休がある。がそれすら消費できずに捨ててる人が多い。規定によっては割り増し賃金だけの場合も)
(一方で以前複数あった休日診療所がいつの間にか「2市合同で一つ」になってたり、小児科・産婦人科が縮小されてクローズする病院があったり、公立病院の間口が狭くなってる感はある。人と予算が足りないんでしょう。)
それほどの急を要さないのであれば、土日二日なんとか我慢するという方針もありなのではないか。アレルギー性鼻炎の苦しみを知らないが、その苦しみを知ってもらう努力を病院の代わりに会社に向けるとか。有給・傷病休暇を取ろう。
医師に「なかなか休み取れないんですよ」といえば通常の2週間分でなく1か月分薬を出してもらえることもある。
とまあ、確かに「土日だろうと急病はやってくる」という観点から病院の休日分散はできるならやった方が市民の健康には良いと思う。
しかし一番の問題「どこの病院にどう休日を割り振るか」が解決しそうにない。
落としどころとしては「急を要する場合は休日診療所へ行くか、救急車を呼ぶ」「急を要さないなら土日は我慢。都市部なら#7119救急相談センター#8000小児救急電話相談」という現状維持が一番ましだと思う。
「みんな平日は会社を休めないんだよ」という根本原因を放置したまま「病院側でなんとかしましょう」という場当たり的な対応で進めると医師・看護師・職員の成り手がさらに減って悪循環が加速する。
追記。
歯医者が夜中まで頑張るのはコンビニより多い過当競争の中、高額な初期投資と複数の歯科医を抱えているので(一人の診察に一時間かかることもざらなため)がんばらざるをえないからだよ。
一方で町医者は供給が足りない。平日朝から列ができている。開院三十分後に入ったら一時間待ちはざら。土日休んだら捌ききれないからどちらかを開けて、変わりに水曜休む、実際にはその日もバイトの先生を雇って開院している所も多い。医師の時給はとても高い。
正直儲けはいらないから休ませてくれと思ってる医院の方が多いと思う。
そんなわけで「医者も歯医者を見習え。経営のために土日を開けろ」という意見はちょっと的外れ。
公立病院だと現状患者さんが来ればくるほど赤字になってる気がする。だから歯科とか薬局とか外部に出しちゃって診療科は減った。入院と違って外来は儲からないから科によっては週三日に減らされた。経営を考えるならスリムな方がいいからね。
とはいえ、いっせーのーでで美容室みたいに全部ずらして土日どちらか開けてみるってのはありかもしらんね。代わりに水か木あたりを閉めて。水曜日休みの俺が困るじゃねーか!という意見には「全体の幸福を考えると…」なんていう言葉で我慢してもらうことになるけど。
休日輪番制はいまでも救急とかでやってて、今以上に充実させるなら人員確保の目途をまずたてにゃならん。
あと連休がないってのはわりと怖いことでね、もとから連休のうちどちらかはなんやかんやで出勤になることも多くて、一日しか休みがないといつの間にか「あれ?前回休んだのいつだ?なんか12連勤とかになってね?」という事態が起こりやすい。
現状月~金を10、土日を2で回しているとしよう。計54だ。
これを職員分散で平均化すると7.7だ。職員数が7.7に減ったら仕事が7.7に減るかといえばそうじゃない。時間当たり仕事量は変わらない。開院してたらしてるだけ患者は来る。
まず「どこの病院を土日営業にするのか」という問題が起こる。皆「私の近くの病院にしてよ」と思うからだ。
そこはまあ国が無理やり割り振れば、と思ったが、現実的には立地住民の不公平感を拭えきれず解決できないか多くのしこりを残すことになると思う。
次に、働く側。医師・コメディカルは「土日は学会」という理由がわりと大きいかもしれないが、看護師、事務員は「友人が休んでる土日に私も休みたい」が大きいのではないか。
であれば土日休日の病院に人気が集中しそうである。まあ通常休日出勤はあるので今ですら友人と自分だけ予定が合わないことは多々あるけど。
今、周りを見渡すと、町医者は以前より随分診療時間に融通を利かすようになっている。夜9時10時まで診療しているところが増えた。
受診する側としてはとてもありがたい。ただ、いつも自分が帰宅する時間になっても煌々と明かりが点いているのを見ると大丈夫か?と心配になる。
閉店が遅い分、開店も遅いならまだいいが10時~13時まで開けて、一度閉め16時~21時というパターンもある。しかし皆も分かるだろうけど、間に休憩挟んだってそれほど休まらないよね、特に精神的に。
歯医者・整骨院は過当競争が第一原因だとは思うけど「土日しか休めない会社員の都合」を汲み取った結果でもある。
便利さを求めると他の誰かに自分が得た以上の不便さを強いる結果になるのではないだろうか。
そりゃあ病気でしんどいのに一つも病院が開いてないってんじゃ困るが、今でも市町村内の病院で持ち回りで休日診療をやっているし、専用の休日診療所がすでにあると思う。救急車を呼ぶような場合では、24時間救急の病院を探して送ってくれる。
今だって医師とか看護師、コメディカル、事務員、みんな土日出勤あるし、年間休日数は普通の会社員よりずっと少ないと思う。(公休日の緊急呼び出しにはさすがに代休がある。がそれすら消費できずに捨ててる人が多い)
(以前複数あった休日診療所がいつの間にか「2市合同で一つ」になってたり、小児科・産婦人科が縮小されてクローズする病院があったり、公立病院の間口が狭くなってる感はある。人と予算が足りないんでしょう。)
それほどの急を要さないのであれば、土日二日なんとか我慢するという方針もありなのではないか。アレルギー性鼻炎の苦しみを知らないが、その苦しみを知ってもらう努力を病院の代わりに会社に向けるとか。有給を取ろう。
医師に「なかなか休み取れないんですよ」といえば通常の2週間分でなく1か月分薬を出してもらえることもある。
とまあ、幾つかあるけどやっぱり一番の問題は「どこの病院にどう休日を割り振るか」という問題が解決しそうにないことだろう。
落としどころとしては「急を要する場合は休日診療所へ」「急を要さないなら土日は我慢」という現状維持が一番ましだと思う。
「みんな平日は会社を休めないんだよ」という根本原因を放置したまま「病院側の対応でなんとかしましょう」という場当たり的な対応で進めると医師・看護師・職員の成り手がさらに減って悪循環が加速する。
http://anond.hatelabo.jp/20160822143611
先日、回向院のあたりで辻斬に腕を切られたときの話をするでござる。
あまりに突然なことだったのでもちろん驚いたでござるし、
なによりこの件で一番強く思ったのが、
「幕府すごい」
ということで候。
…拙者の語彙力のなさはさておき、
幕府は良いところもあるよ、ということをまとめたくてこの武露愚に筆をとった次第。
【その1】捕方すごい
まず事件当日。
詳しくは伏せますが、とにかく回向院で知らない人に刀で腕を切られましたでござる。
下手人から逃げつつ、番所へ駆け込み、場所や状況などを説明しつつ…
あまりの迅速さに、
拙者の事件とは無関係でたまたま火附盗賊改方が通りがかっただけかと思ったでござる。
別方向から忍者と来た旗本の若殿?と共に犯人を捕まえてくれたでござる。
もしあの時、すぐに来てくれなかったら
また、長谷川殿の後追いでやってきた同心たちも、刃物を持っている下手人に対しても怯むことなく
しっかりと取り抑えてくれ候。
町方にはなかなかできないことです。
本当にすごいでござる。
【その2】藩の同輩すごい
間もなく拙者の忠勤する藩から同輩も到着し、
すぐに拙者の腕を何かで包んでくれ候。
その時の拙者は呑気に、
「とりあえずなんか包んでくれたし、医者のところへ行かなくても良いんじゃないかな」
なんて思っていたのでござるが、
何件かの医者に断られ、
やっと受け入れてくれる養生所は外科の先生が不在と由。まあ小石川療養所には本道(内科)の医者しかおらぬとは聞いた話ではござる。
とりあえず診てもらえるだけありがたいので、そこにお願いすることにしたでござる。
後になって分かることでござるが、拙者の傷はそれなりの深さがあったため
縫わないと血が止まらないような状況だったそうでござる。
藩の方がそこまで分かってくれていたかどうかは分かり申さぬが、
拙者はただぼーっとしていただけで、
色んなところへ早馬を飛ばして必死に受け入れ先を探してくださったり、
本当にすごいと思ったでござる。
また、養生所へ向かう最中に、同乗した鬼の平蔵がわたしの気を紛らわせようと
色々と話しかけてくださり、それもとてもありがたかったでござる。
「自分は専門ではないので、明日また専門の先生に診てもらってください」
と前置きした上で、診てくれたでござる。
とりあえず血止めしようとしたようでござる、
血が止まらないので縫うことになったでござる。
今まで体を縫ったことがない拙者は驚き申したが、
なにより先生自身が、覚悟を決めたような神妙な雰囲気を出していたので
先生は、慣れていないのが拙者でも分かるぐらい
一生懸命に、丁寧に、一針一針確認しながら縫ってくれたでござる。
一時間ほど経ち、なんとか縫い終わって
そして、終始汗だくで目が泳いでいた拙者に、優しく話しかけてくれた蘭方医さんすごい。
【その4】再び捕方すごい
担当のお奉行が、事件の様子を細かく文章でまとめてくれるでござる。
時々質問されるので、できるだけ的確に答るでござるが
(こんなことを申すのも何でござるが)
でももしお奉行がいなかったら?
自分で自分の状況を、矛盾がないようにまとめるのはとても難しいでござる。
およそ二刻ほどかかり、まとめられた文書(もんじょ)と証拠の物件は
今後、下手人の罪を裁いていくことになるようです。
下手人を捕まえ、事実関係を明らかにし、もろ肌を脱いで桜吹雪を見せることまでやってくれる
お奉行すごい。本当にすごい。
【その5】三味線屋すごい
翌日、外科の先生の代わりということで紹介された三味線屋へ行ったでござる。
三味線屋は傷口を見てすぐ、
「縫い直しだね」とおっしゃっていて
せっかく前日に一針一針一生懸命縫ってくれた糸を切るのは小川先生に申し訳が立たない気持ちになったでござるが
そして三味線屋は、さすが専門なだけあって
結果的に、三味線屋曰く「数えきれないぐらい」縫ってくれたでござる。
首も吊った(テレビ用の糸なので来週には消えているらしい)
ので、傷口はおそらくほぼ残らないだろうとのことでござった。
やっぱり仕事人はすごい。
【その6】江戸すごい
以上のように、たくさんの方々、たくさんの江戸の仕組みによって
拙者は事件以外の不満を感じずに、傷を塞ぐことができたでござるが、
1つ気がかりなのが、治療の費えについてでござる。
下手人へは怒りもあるでござるが、
拙者は死んだり不便が残ったりした訳でもないので
そこまでの恨みはないでござる。
ただ、もう、本当に大した額ではないのでござるが
すると、そのことを話した訳ではないのに、、
拙者の治療費を上様が払ってくれるという話を聞いたでござる。
どういう流れでそうなるのかは不明でござるが、
(徳田新之助なる旗本の正体を口外しないとかの条件があるらしいでござるが)
こちらはまったく刀を抜かないのに一方的にケガをさせられて
治療費まで被害者が払うのはおかしい、ということで払ってくれるそうでござる。
吉良殿をよってたかって惨殺した赤穂のテロリストどもに聞かせてやりたいでござる
そのような仕組みがあることは全く不案内でござったし、
そのような仕組みがなければ本当に被害者は損ばかりでござる。
僅かな金子でござる、そのおかげで拙者の心は大分軽くなり申した。
江戸すごい。
そしてそんなお金があるのはもちろん、
本当にありがとうございまですでござる。
江戸にはこんなにたくさんの仕組みがあり、うまく機能しているでござる。
中には問題があることもあるかもしれない、それでもなんとかうまくいくように
そう思うと、幕府ってすごいでござる。
表の顔は町医者という主人公 鏡二郎が、江戸の町の人々から恨みを買っている悪党の情報を集めては、夜中に襲撃して始末するというのがこのゲームの流れだ。
昼間パートは医者らしく町の人を助けて回ってお金をもらったり、情報を集めたりして、日が暮れると家に戻される。
夜パートでは襲撃を決行するか、準備ができていなければまた翌日の朝を迎える。
ところでこのゲーム、昼間にある店で買える<シジミの黒焼き>というアイテムを質屋で売ると、購入時よりお金が少し増えるという仕様になっている。
江戸の町で困っている人や病人を探してウロウロしている最中にこのことに気付いてしまった鏡二郎は、
その日からシジミの黒焼きをせっせと転売する、シジミ売りに転職と相成った。
くる日もくる日も、何往復もしながらシジミを転売しつづける毎日。より速く、一往復でも多く、このシジミを(質屋に)届けたい。
道端で病や怪我に苦しんでいる老婆や町娘のうめき声は、もう鏡二郎の耳には届かない。
結局、数週間後に次のゲームを買うまで、一度も裏稼業に手を染めることなく、鏡二郎の物語は、やり手のシジミ売りとして幕を閉じた。
せっせと稼いだ数百両という大金と引き換えに、民は病に苦しみ、江戸の悪は成敗されず、鏡二郎の手は血で汚れなかったのだ。
苦しむ他人を放置することを良心が咎めるでもなく、自らの平穏と安定、収入の向上を望み淡々と仕事を続け、
わたしが話している間,その心療内科の医師はずっとガムをくちゃくちゃ噛んでいるわ,防音がほぼ皆無で待合室の他患者に会話内容がだだ漏れだわ,就寝時間と起床時間を記録した睡眠表を「これはオシログラフだ」と言い張って憚らないわ,唐突に似非科学の是非について一方的に話しかけてくるわ,なのに患者は途切れないわで,謎すぎる場所でした。よくわからない新書を無理やり貸し付けられたので今度返しに行かなきゃならないのが億劫ですが,もう受診は控えようと思います。不思議な町医者もいるものですね……。
ここで書き込んだらそれなりに情報がもらえるかも。
主訴は「朝起きられない」と「気分が落ち込んでやる気が出ない」でした。元々落ち込みがちの性格ですが,ここ一ヶ月くらいがとみにひどく,仕事や家事が手につかなくなっての受診でした。(とはいえ(能率がたおちとはいえ)仕事には行けているし,不眠ではないしで,正直,こんなんで受診してもいいのかなあと不安に思いつつ,ほかに相談できる相手もいないし,てな感じでしたが)。
「朝起きられない」については睡眠相後退症候群を疑っていたのです。今回行った心療内科は,一応睡眠専門医も標榜していたので,専門家のアドバイスを聞きたかったのですが……。睡眠外来の方の受診も検討してみようと思います。
わたしが話している間,その心療内科の医師はずっとガムをくちゃくちゃ噛んでいるわ,防音がほぼ皆無で待合室の他患者に会話内容がだだ漏れだわ,就寝時間と起床時間を記録した睡眠表を「これはオシログラフだ」と言い張って憚らないわ,唐突に似非科学の是非について一方的に話しかけてくるわ,なのに患者は途切れないわで,謎すぎる場所でした。よくわからない新書を無理やり貸し付けられたので今度返しに行かなきゃならないのが億劫ですが,もう受診は控えようと思います。不思議な町医者もいるものですね……。
仕事が忙しすぎてかなり参っていた時の話だ。
膨大な仕事量に責任の重さが手伝って、文字通り休みなく働いていた。
そんな中、四六時中通して余りにも吐き気が止まらなくなったことで病院に行く決意をした。
吐き気以外にも色々と症状は出ていた。今思えば鬱病に片足を突っ込んでいたのだろう。
仕事に穴を空けられないという責任が重くのしかかり、短期決戦にしなくてはという思いが強かった。
公休でも当然のように出勤しないと仕事が間に合わず、とにかく時間を作るための大きな理由が欲しかったというのもある。
精神が不安定なことも手伝って、とにかくこの時は自分は近いうちに死ぬものだと思い込んでいた。
そうして確保した時間の大半は、待合で喰われることになった。
少なくとも4時間は待たされただろう。
しかし、そうしてやっとの思いで回ってきた診察の時間はたった5分足らずだった。
色々と自分なりに症状を整理していたにも関わらず、ただ淡々と事務的に胃カメラの予約手続きと採血の案内をされただけだった。
今でも診察室の引き戸を開けると同時に目に入った「何しに来たんだ?」という医者の呆れた顔が忘れられないほどだ。
予約していたにも関わらず、その日でさえも2時間は待たされただろう。
これをすませば何かしらの原因がわかるのだ。冷たくされようと乗り越えてやろうと思っていた。
そうして順番を迎えて案内された先には、またも思いやりの欠片も感じられないような白衣の若者が座っていた。
初めて飲む胃カメラだったにも関わらず満足な説明もされないままに紙コップの液体を喉の奥に流し吐き出すと、躊躇なく胃カメラを喉に押し込まれた。
麻酔がほとんど効いていなかったせいもあって、検査中幾度と無く餌付き苦しい思いをしたが、白衣の若者はただ黙って画面に映し出されたピンク色の粘膜を見つめているだけだった。
さらにまた後日、結果を聞くために病院を訪れた。もう待たされることには慣れている。
そうしてまた数時間を浪費したのち、無機質に「異常無しでした」という無骨な一言を伝えられただけだった。
今までの腹に据えかねる思いもあって、「異常はある。身体に出ている症状が証拠ではないか。」とたまらず食い下がった。
そこに更に言葉が続く。
「ストレスですね」
今まさに意識が遠のきそうなほどのストレスを感じさせている原因は悪びれる様子もなくそう言い放った。
全ての気力を削がれたわたしは、そのまま何も言えずに病室を後にした。
こんな扱いははじめてだった。大きな病院に行けば不安は全て払拭されると期待していただけに尚更だった。
その後もまたクソみたいな生活が待っていた。
もういいのだ。このまま死ねば楽になれる。会社も病院にもそれが何よりの酬いになるはずだ。
そう思うことだけがその時の心の糧だったと思う。
その時に掛かった町医者で、吐き気のことと一緒にその時の扱いについて愚痴をこぼした。
すると聞かされたのは、普通そうした大病院では紹介状がなければまともに扱ってくれないということだった。
それで全ての合点が行った。確かに誰が啓蒙活動をすべきか難しい問題だ。
今思えば私は研修生の練習台にさせられたのだろう。
今後もしそれがお金で解決できる問題になるのであれば、私は大歓迎である。
紹介状がなければどんな目に遭うか身を持って知る経験となったのだ。
ところがこの話には余談がある。
すこし仕事が落ち着いた頃に、会社の経営者にこの話をしたときのことだ。
そうすると意外な反応が帰ってきた。
つまり、奴らが見ているのは紹介状の有無だけではないということだ。
そもそも金にもならないに人間なんかに興味はないは当然だ。
友人が田舎移住について語っていたので、どの程度の田舎か話を聞いていると結構な過疎のことを指しているようだったので、病院について指摘したら結構反発を受けた。
まぁ、友人からすれば酒の席で水を差すように捉えてしまったのだろう。申し訳ない。
自分の考えとしては都会暮らし・田舎暮らしについてはどちらも否定しない。
議論しても答えは千差万別だし、最終的には自分に合う形で選択すればよいと思う。
その会話の中で、もし自分が東京を離れるときには、それなりの規模の病院(簡潔にいえば大学病院レベル)に快適にアクセスできることが条件で、これは譲れないとその席で断言した。
そんな私に対して酔った友人はいろいろと言ってきた。
「医者にかかるにしても、定期的に健康診断などを受けていれば事前に異常は見つかる。それから大きな病院み診てもらえばよい。」
「過疎の場合ヘリを出してくれるところもある。」
…宵の席のため、こちらの意図を上手く伝えられない。
田舎も否定していないし、別に自分が長生きしたいとかでは無くて、家族の体調がすぐれないときに設備の整った病院に連れていってやれないことが嫌だ、ということを上手く伝えられない。
(※過疎地の病院レベルをバカにしているように受け取られたのかもしれないが、そこは否定しない。)
誤解が無いように補足すると、地方の過疎地にある民間病院が全くダメという事ではない。
軽い微熱や腹痛であったり、ある程度症状が明確なものであれば近くの民間で診断してもらって処方箋もらって、薬を持って帰れば良い。
それで様子を見てだめだったら紹介状を書いてもらって大きな病院で診察してもらえば良い。
ここまでは友人の言っている内容に沿うと思う。異論も無い。
こちらが問題にしているのは、家族がそれなりの大病を患ったときのことを想定している。
友人たちはタバコを吸う。なので、その場の例として「慢性閉塞性肺疾患(COPD)」を挙げたかったが、多分上手く伝わらなかったと思う。
また、正月早々快適な田舎暮らしを何気なし語っていたところに、
「山の中にある自宅で療養中に呼吸が出来なくなって白目向いて泡吹いたらどうするの?田舎の町医者じゃ対応できないかもよ?」
「健康診断で事前に異常は見つかるかもしれないけど、ずっと入院することはできないでしょ?自宅療養になって発作でたらどうすんの?」
「ヘリがなきゃ病院に移動できないようなところに行く意味ある? もしヘリで運ぶとしてその移動時間は無駄じゃない?」
「田舎暮らしに憧れて施設の揃った病院が無いような過疎に暮らすことで、家族死んだらどうすんの?」
「それなりの地方都市に住んでいれば助かった命なのに、大きな病院まで数時間以上かかるような過疎地に移ったことで家族が死んだら後悔しない?」
といったような反論をすることも憚られた。
そもそも反論がしたかったわけではなく、田舎に暮らしたいと考える友人に対して、こういうアプローチでも考えとかなきゃいけない年齢になってきているぞ、
ということを伝えたかったのだが、何故か田舎をバカにしている、という点だけフォーカスされてしまった。
モヤモヤとしたままその会はお開きになった。
こちらの思う意図を上手く伝えられなかったことでモヤモヤさせてしまったのは申しわけないと思う。
友人はとても行動的だ。海や山にも時間を作って出かけたりしているようだし、
彼がこのまま一生、東京で暮らしていくイメージも沸かないのでいずれは田舎に引っ越すときが来るかもしれない。
もし、そうなっていずれ身体にガタが来たとき、そんなことを言っていた友人がいたなぁと思い出してほしい。
※追記
母子家庭だった。
母ひとり子ひとり。
僕の教育は祖母がした。
母は仕事がきつかったのか、よく僕にあたっていた。
僕を管理しようとし、意にそぐわないことをすると叩く、怒鳴るという人だった。
僕は祖母が大好きだった。
祖母が死んだ。
これ以上ないくらい泣いた。
母の知り合いの息子さんは脳外科だったが、腫瘍マーカーの結果を見てすぐに大きな病院へ紹介状を書いてくれた。
1度目の手術は大成功。ただ、浸潤していたので転移の可能性はあると。
術前から僕は無宗教から、各地の癌にまつわる神様仏様に参る多宗教信仰になった。
「うん、いいよ」
結局、泊まらなかった。
1年が過ぎたころ、母は2年の余命宣告された。
転移していたようだったが、今までと変わらない元気な姿だった。
その頃、初めて「小さい時にすぐに怒られて辛かった」という話をした。
母は僕を無視した。
でも、「それでも僕にとって、お母さんは大事なんだ」ということを伝えた。
目の前で「生きてて欲しい」と泣く息子を見て、母は喜んでくれていたらしい。
「あの子は優しい子」だと自慢していたらしい。
正月を過ごすたび、「お母さんと過ごす正月は最後かもしれない」と覚悟したりしていた。
同時に「このままずっとこういう調子なのかもしれない」とも思っていた。
2回めの正月を迎える直前、母は歩けなくなった。
骨転移だった。
帰り道の車の運転は嗚咽しながらだった。
3月。
週末に行ったらクリームシチューを作ってくれた。
テレビの料理番組の録画を見ていたら美味しそうだったとのこと。
しんどくなったのか、途中からは僕が作って二人で食べた。
腸閉塞だった。
手術で食べれるようになったが、母は以前の食欲を失っていた。
ある日、母は僕に「大好きだ」と言った。
僕も即答で「僕もお母さんが大好きだ」と言った。
母は泣いていた。
近所のおじとおばに「最高の答えだった」と言っていたらしい。
その後すぐに母は入院した。
先月、母が死んだ。
「何言っているんだよ、当たり前じゃん。また時間作ってお見舞い来るね」と答えた。
これが最後に交わした会話だった。
息を引き取った時、びっくりするほど泣いた。
泣かずに通夜を終えて、翌日、葬式の挨拶をしはじめた瞬間びっくりするほど泣いた。
母が「この人達だけに知らせて」と呼んだ参列者は全員泣いていた。
僕が本音で思っていることを伝えても問題ない人は、この世に存在しない。
会おうとも思わない。
死んでから一ヶ月近く経った。
祖母が死んだ時は「まだ病院で入院してそう」って思っていたが、母のときは「いなくなった」という喪失感がすごい。
後悔しているのは2つ、仕事なんて辞めて同居すればよかったこと。
手術前、恥ずかしくなって母を抱きしめなかったこと。
なんで恥ずかしがったのかわからない。
仕事柄、役所への手続きが得意だった母。この報告ができない。したい。
まわりは親をなくしていない友達が多い。
親をなくしていても、片方だったり。
仲の良い女の子に思い切って話してみたら、「ちょっと重いね。私にはわからないけど辛いんだね」と言ってくれたが、僕と別れた後のSNSでは楽しそうにしている。
当たり前だと思う。僕もきっとそうだっただろうし。
「わかってくれない」と嘆いたりはしない。わからないのが当たり前だ。
親と死別しているという人は少ない。
だから、どんどん誰にも話せなくなっている。
辛い。
闘病中に行った飲み会で「親と会える時間って計算してみ。本当に無いから。だから、みんな実家帰れよ」って言っても、「真面目だな」としか言われなかった。
そんなもんだ。
失って初めて気づくんだし。
そんなわけで、オチはない。
みんなは親を大事にして欲しい。口うるさいだろうけど、親身で口うるさく言う人なんて親ぐらいだよ。
嫌味で口うるさい人は会社に山ほどいるけど。
残り時間は思っているより少ない。
イライラするかもしれない。でも、優しくしておいて損はない。
優しくしていないとびっくりするぐらい後悔する。
平成17年、2005年に発達障害者の支援法が施行されたということだ。
2002年か、2003年頃に「片付けられない女たち」とかって本が出て、そっかぁ、大学病院でないと、見てもらえないのかぁ、と
思い、早や10年以上経った。
薬とか、勇気無かったし、よっぽど、良い医者に恵まれているのかと思った。
医者に、自分がADHDだって思いますって話すのにも、時間が掛かった。
頭の整理っていうのか、信頼できる人なのか、
町医者で、診断を下してくれると、思わなかった。
臨床心理士の人が、良い感じの人だし、
医者も、結構、適当な部分もあって「薬って一日3回の所を、2回ぐらいになることも、あるわな」的な感じで、
気が楽だった。
それでも、ADHDって意識、やらなきゃいかないのは、記憶していても、不注意から実行できないもどかしさ、みたいなことは、
たぶん、父親もADHDだったのかな。
オレの息子や娘も、ADHDなのかな。
たぶん、職場の人たちには、適応障害で、検査を良くしてみたら、ADHDだって分かったっていう
そこで、自分がまた、傷つきそうだな。
はぁ。嫌だなぁ。
今、診断が下るかどうか、心療内科(精神科)で幾つものテストを一ヶ月ぐらい掛けてしている。
実際に、ADHDだと10年ぐらい前だと私自身で、考えていたが、
町医者で、診断してくれるとは、考えていなかった。
そもそも、コミュニケーションに支障があって、本人ですら、自分の気持ちを把握できていないのに、
更に、言語障害ではないのだが、超絶的な天然なので、自分の考えが伝わらない。
ところで、発達障害持ちの人間のコミュニケーションというと、最近、テレビで面白いものを観た。
この間、マツコデラックスとナイナイの矢部っちがMCの番組で、ふかわりょうのこれまでの歩みを示していた。なんとかOutって番組。
ふかわりょう本人としては、インテリ的なハクをつけると考えて慶応を出たとか、
いじられキャラとして絶対的なポジションにいたのに、それを避けた。
周りからは、
「粋がってるから、逃げたんだろ」と、考えてられていた。
でも、本人のふかわは、真逆で「出川哲朗のようには、なれない。自分には、恐れ多くて出来ない」
と、考えて、今に、至るってところが秀逸だった。
周りと本人の考えとのギャップが大きすぎると言う話だった。
セルフプロデュースが下手な人間は、どうも、そういう感じだろう。
でも、普通ではないことに対して、出し過ぎるとうまくいかない。
考えたことを、そのまま話すと「余計なことを言うな」と言われて、発言権が、なくなり、
こんな時には、こんな風に答えるのが世間の常識だと考えて、気を遣って生きてきた。
それにしても、自己診断であっても、結局は、自分の気持ちを語ることで、問診がされていくのだから、
大変だよなー。
臨床心理士によるカウンセリングを10ヶ月ほど、したのだが、仕事のストレスから適応障害を発症した。
結局の所、幾つかのテストを受けることになった。
何回目かのテストを受ける前に受付で、ADHDの簡易テストを渡された。
カウンセリングをすることで、自分の感覚が変でないことや、この診療所の人たちは、信頼できるという気持ちもあって、私は自分で「ADHDだと思っています」と言えた。
ふう。
コミュニケーション能力を上げるって大変だよな。
ほんとに、泣きたいぐらいに大変なんだよね。
深刻なのであるが、「何を大げさな」と言われて傷つきたくないので、気持ちを隠していた。
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追記: 2015-06-05,
亀レスですが、ブックマークにコメントして下さった方ありがとうございます。
つたない文章でも、通じたようで、うれしいです。
上で、ふかわりょうさんについて、書いたことは、ライブドアのネットニュースで、まとめてありました。
『マツコ・デラックスが誤解され続けるふかわりょうを擁護「それでいいじゃない」』
http://news.livedoor.com/article/detail/10171452/
発達障害の診断が下るまで、について、ぐぐってみると、ヤフー知恵袋なんかでは、既に質問や回答が幾つかあるみたいですね。
グレーゾーンな人間ほど、診断にも時間が掛かってしまうようですね...。
軽度~中度(グレーゾーンではない)とのことです。』
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14134843234
http://www.asahi.com/articles/ASH465DMZH46UTIL026.html
この記事で朝日新聞が触れてないことがあるので書こうと思う。高齢者宅だけじゃなくて薬が山積みになる原因の一つは
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38866
こういう記事だ。薬が多いのは悪、薬を捨ててしまえという記事だ。間違って処方されれば1つでも死に至る(例をあげればアルマールとアマリールの取り違えで死んだ患者の原因薬は一つである)のが薬である。多いからというのは全く意味がない。副作用を承知でしかし患者にはメリットがあるので処方される薬もある。なのに、である。
こういう週刊誌記事に影響されて、薬が多くなると自分で医師・薬剤師に相談せず 勘で 薬を減らしてしまう患者が地味に多い。その結果病気が悪化して死にかけるのもしばしばなのだが(心臓病患者が勘で薬を減らした結果発作を抑える薬だけを自己断薬したなんて話はほんとうにゴロゴロしている)、週刊誌で、えらいやくざいしの先生がいったりしてるものだから、町医者の処方など無視して自己断薬する人が後を絶たない。しかし飲んでるふりだけはするので冒頭の記事のような事態を同じく引き起こすのである。
過剰な処方はそりゃ悪だろう。でも、数が種類が多いからって、それは悪じゃない。1日1回計15粒の薬飲まないとまた心臓発作起こして死んじゃったり寝たきりになったりする人は実在する。そういう人たちが「こんなに薬飲んでるなんて」と負い目を感じるようなことは、やめようやほんと。
コンビニの事件で大阪人はDQNが多いみたいな空気になってるので、良い所を書いておく。
町医者の待合室でのこと。阪大病院を紹介され、看護婦さんに道を聞いた。でもよく分からない。
そしたら、待っていたおばちゃんが道を教えてくれた。
さらにどんどんおばちゃんが集まってきて色々な道を教えてくれる。
「この道が分かり易くてええねん」
「こういう道もあるで~」
色々言われて訳わからんようになってきた。おばちゃんもそれを分かっているようで、
「こんなに色々言うたら分からんようになるやんな~」
と言われた。
「アメあげる」
アメをもらった。
おばちゃんたちの土地勘はすごい。
人によって道が新しくできたり、急に消えたりする。
それでも、自分のためにここまでしてくれるなんてと、嬉しく思った。
俺はATMで極力後ろの人を待たせないように気を付けている。
タッチパネルは間違わないよう慎重に、それでいて素早く入力する。
金とカードを回収したら、すぐ横にどいて次の人が使えるようにする。
他県ではそんなことをしても誰も感謝しない。それどころか、横にどいてるのに俺が去るまでATMを使わない人もいる。
大阪のおばちゃんは違った。嬉しそうにお礼を言ってくれた。大阪人は他人の気遣いに敏感だ。
有名な話だ。信号は変わっても、その瞬間はまだ青信号なのだ。だから平気で突っ込んでくる車がいる。
他県ならそんなことをすれば事故が多発するだろうが、大阪人はそのへん分かっている。
赤に変わってもすぐには発進しない。
大阪人は一般にせっかちな人が多いと思うが、相手のせっかちさを許容してあげるおおらかさもある。
当たり前だ。指示器を出したくらいでは、割り込ませてくれ、という意思表示にはならない。
車の頭を無理やり突っ込んで初めて意思表示となる。
相手も分かっているから、どうぞとばかりに減速してくれる。
何が何でも割り込ませない、俺の前を走るやつは許さん!という訳ではない。
ちなみにこれを大阪から地元帰ったときにしてしまって、事故りそうになったことがある。
左折するときは一時停止でもするんじゃないかと言うほどに減速する。
自転車が突っ込んでくるのだ。
自転車は信号が青なら周りも何も見ずに横断歩道に突っ込んでくる。
大阪人はせっかち、自分のことしか考えてない、など色んなイメージがあるかもしれないが、それらを許容した暗黙の了解があり、
皆がそれにしたがっている。
だから、よその人からみたら何だこいつらと思えることでも、うまくいっている。
あと面白くないことやオチのない話は嫌いだが、俺は変態なので、特に意識しなくても面白キャラで打ち解けることができた。
ご指摘いただければ幸いです。
「紹介状なし」に初診全額負担案 大病院受診で厚労省という記事に対するブックマークコメントをみた感想
町医者を3、4件回っても痛みに対して結果に納得行かず、大病院にいって膵炎と盲腸で即入院したよ。紹介料も書いてもらえず、この場合、初診で全額負担だとやばいんだが・・・
3、4件の町医者がそろいもそろってヤブであった可能性よりも、「町医者を3、4件回っても痛みに対して結果に納得いかない」という病歴を参考にして診断がついただけである可能性が高そう。その場合、はじめから大病院に行ったとしても、最初は診断がつかなかっただろう。そもそも、「3、4件回って」というところからして、フリーアクセスの弊害が出ている(これは患者さんのせいじゃないのだけど)。痛みが改善しなければ医者を変えるのではなく同じ医療機関にかかるのをお勧めする。医師が経過を詳しく知ることで、より適切な診断につながる。
「大病院でやっと診断がつく」ってことは、そりゃあるだろう。それは別に町医者のレベルが低くなくてもよくある。大病院では、町医者での検査や治療経過を参考にして診断を絞り、精密な検査をするわけだから。「後医は名医」という奴ですわ。あと、町医者で診断がつかなかった患者が大病院に集まるというのもある。
「あなたが信用できないから紹介状書いてくれ」みたいなこと言えないよねえ。町医者じゃ無理な病気確定で紹介状のためだけにかかるのも時間とお金の無駄だし。
「町医者じゃ無理な病気確定」だと判断できる資格をお持ちなら、ご自分で紹介状を書けばよいのでは。このブクマコメントを書いた方は正しい判断ができるだけの能力をお持ちなのであろうが、多くの人はそうではない。「町医者じゃ無理な病気確定」「町医者は信用できない(素人の自分の判断のほうが正しい)」と思いこんだ普通の病気の患者さんが紹介状なしでわんさか大病院に受診しているから、こういう制度ができるわけで。
初診料の全額負担なら、それで儲かるのは健保だから意味がない。むしろ大病院が儲かるようにする必要がある。そのためには初診時に特別加算金を徴収するべき。患者が余分に払った金は、健保でなく(赤字)大病院へ。
その制度は既に「選定療養費制度」というものがある。「儲かるのは健保だから意味がない」という主張もよくわからない。意味おおありだろ。
近所の大型病院も初診料高く設定してるよ。ただ実際開業医の場合、よくある病気(風邪等)に似た症状だと、ロクに検査せず「薬出すんでしばらく様子見て下さい」的な対応で、大型病院に比べると雑なんだよね。
よくある病気(風邪等)に似た症状だと、ロクに検査せず「薬出すんでしばらく様子見て下さい」的な対応をするのが正しい診療の手順だよ。確かに、よくある病気(風邪等)に似た症状にも最初から検査をしまくる大病院の医師もいるけれど、そっちのほうがむしろ「雑」と言える。なお、検査の有無ではなく、診察や問診が雑な医師を避けるというのには意味がある。
食べログとかアマゾン書評とか、批評サイトは沢山あるが、一番社会に必要とされるのは「開業医を批評する」サイトではないのか?
患者さんの希望通りに安易に検査や処方や点滴をする開業医の点数が高くなると思う。食べログ方式では患者満足度しか測れない。
町医者と大学病院で、カルテや検査結果を共有するシステムがない現状では、重病患者であるほど必要な検査を二度、受けることになり負担が大きいと思う。
紹介状を書いてもらえばいいと思うよ。大病院内での他科受診の際でも、「カルテや検査結果を共有するシステム」はあるけど、別途(紹介状に相当する)他科受診願いを書くよ。
適切な診療をせずに「紹介状を書くだけ」の町医者は医師の間でのコミュニティでの評判が落ち、逆紹介(大病院から町医者への紹介)が減って町医者は困る。
病院の検査で30分お待ちくださいで済むところが、町医者だと3日後また来てくださいだったりするのがなぁ…。休み1日で済むのと2日取られるのでは大違いなんだが。