仕事が忙しすぎてかなり参っていた時の話だ。
膨大な仕事量に責任の重さが手伝って、文字通り休みなく働いていた。
そんな中、四六時中通して余りにも吐き気が止まらなくなったことで病院に行く決意をした。
吐き気以外にも色々と症状は出ていた。今思えば鬱病に片足を突っ込んでいたのだろう。
仕事に穴を空けられないという責任が重くのしかかり、短期決戦にしなくてはという思いが強かった。
公休でも当然のように出勤しないと仕事が間に合わず、とにかく時間を作るための大きな理由が欲しかったというのもある。
精神が不安定なことも手伝って、とにかくこの時は自分は近いうちに死ぬものだと思い込んでいた。
そうして確保した時間の大半は、待合で喰われることになった。
少なくとも4時間は待たされただろう。
しかし、そうしてやっとの思いで回ってきた診察の時間はたった5分足らずだった。
色々と自分なりに症状を整理していたにも関わらず、ただ淡々と事務的に胃カメラの予約手続きと採血の案内をされただけだった。
今でも診察室の引き戸を開けると同時に目に入った「何しに来たんだ?」という医者の呆れた顔が忘れられないほどだ。
予約していたにも関わらず、その日でさえも2時間は待たされただろう。
これをすませば何かしらの原因がわかるのだ。冷たくされようと乗り越えてやろうと思っていた。
そうして順番を迎えて案内された先には、またも思いやりの欠片も感じられないような白衣の若者が座っていた。
初めて飲む胃カメラだったにも関わらず満足な説明もされないままに紙コップの液体を喉の奥に流し吐き出すと、躊躇なく胃カメラを喉に押し込まれた。
麻酔がほとんど効いていなかったせいもあって、検査中幾度と無く餌付き苦しい思いをしたが、白衣の若者はただ黙って画面に映し出されたピンク色の粘膜を見つめているだけだった。
さらにまた後日、結果を聞くために病院を訪れた。もう待たされることには慣れている。
そうしてまた数時間を浪費したのち、無機質に「異常無しでした」という無骨な一言を伝えられただけだった。
今までの腹に据えかねる思いもあって、「異常はある。身体に出ている症状が証拠ではないか。」とたまらず食い下がった。
そこに更に言葉が続く。
「ストレスですね」
今まさに意識が遠のきそうなほどのストレスを感じさせている原因は悪びれる様子もなくそう言い放った。
全ての気力を削がれたわたしは、そのまま何も言えずに病室を後にした。
こんな扱いははじめてだった。大きな病院に行けば不安は全て払拭されると期待していただけに尚更だった。
その後もまたクソみたいな生活が待っていた。
もういいのだ。このまま死ねば楽になれる。会社も病院にもそれが何よりの酬いになるはずだ。
そう思うことだけがその時の心の糧だったと思う。
その時に掛かった町医者で、吐き気のことと一緒にその時の扱いについて愚痴をこぼした。
すると聞かされたのは、普通そうした大病院では紹介状がなければまともに扱ってくれないということだった。
それで全ての合点が行った。確かに誰が啓蒙活動をすべきか難しい問題だ。
今思えば私は研修生の練習台にさせられたのだろう。
今後もしそれがお金で解決できる問題になるのであれば、私は大歓迎である。
紹介状がなければどんな目に遭うか身を持って知る経験となったのだ。
ところがこの話には余談がある。
すこし仕事が落ち着いた頃に、会社の経営者にこの話をしたときのことだ。
そうすると意外な反応が帰ってきた。
つまり、奴らが見ているのは紹介状の有無だけではないということだ。
そもそも金にもならないに人間なんかに興味はないは当然だ。