はてなキーワード: 殺意とは
俺は起こると思う
こんな零細サイトの個人情報バレなんてどうってことないなんて思うかもだろうが
このサイトは荒らし、もとい低能先生が殺人鬼へと変貌し、殺人事件を起こしたサイトだ
そして増田には他者への憎悪や殺意に満ちた第二、第三の低能先生がたくさんいる
誰かのエントリに対し、殺意に満ちた投稿と呪詛を書くような連中が、自分を煽ったヤツの情報を得て何もしないと思うか?
それ以外にも、殺人や大量殺戮を称賛するヤバい思想のヤツもたくさんいる
そんな連中の坩堝で個人情報バレなんか起きれば、続けて凶悪事件が起きてもおかしくはないだろう
記憶がゼロで赤ちゃんと同じ状態なんだからあからさまに弁理を欠いてるやん
犯行時は判断応力がある状態かつ殺意があったと判断されても刑の執行はどのみち無理やで
それはそうと、どこまでが同一なのかは単なるお気持ちでしかない。記憶以前に肉体が日々違う
1時まで待って寝室に来たタイミングで泣いて伝えた
「こんなに同棲がつまらないなんて思わなかった」「もっとコミュニケーションをとりたいのに、いつもゲームかアニメしながらじゃん」って
それどころか、後日その時の私の泣き真似されてまじで殺意わいた
「可愛らしい」という言葉、自分は普通に「可愛い」の同義語くらいにしか思ってなかったんだけど(しいて言うなら「可愛らしい」は「可愛い」よりももっと幼いイメージ)
世間での「可愛らしい」という言葉の実体を知ってショックを受けた
世間一般では「可愛らしい」は自分が今まで思っていたのと違って、「可愛い」とはお世辞にも言えない相手、つまりはブスに対して使う言葉らしい
何とそこまで違ったのか…
ていうか自分は相手の外見に一切関係なく、可愛いと思えば「可愛い」って言ってたけど…世間じゃ違うものなのか…
さらに「いい子」はもっと酷くて、「可愛らしい」すら出て来ないくらいに超絶ブスにしか使われない言葉らしい
いや自分はイケメンであろうとも優しそうだったら優しそうだというが…?いちいち他人の顔に言及する方が失礼じゃん
なんで他人の容姿にいちいち言及しなきゃいけないんだろうね…もうほんと疲れすぎて引きこもりたいし、ブスはどんなにメイクしようが無駄なのを思い知らされて、容姿強者のフェミニスト達が唱える脱コル理論にも殺意を覚える
ただ、時間を浪費している
鬱の人は気が済むまでずっと眠っていたらいい、身体も心も休めたらいいっていう
なら一体なんなのか?
分からない
暗くなっていく部屋の中で
何もせずに窓とか、カベの一点とかを見つめている
逃げたいんだと思う
けど逃げるのはしんどい
向き合うのもしんどい
こたえがでないかぎりおなじことの繰り返し
でもそれすら無駄に思えてくる
何にも心のよりどころがない
闇雲に動いたってすぐに行き詰まる
何かを犠牲にしなきゃ生きられないんだろうか
何を犠牲にすればいい?
いや、どうせ捨てられはしない
壊れた操縦桿が目の前にあるだけで
いったい、いつからこうなった?
心の中で何が起きてる?
何が邪魔して、前に進めない?
もうたぶんそこにはアクセスできない
彼らに私の思いは届かない
ものすごく大きな見えざる手に自分と世界がうっすら隔離されてる感覚がぬぐえない
…そろそろ動きだすときだ
私は大丈夫。結局、気の病でしょう。
よく休んで、無理をしないように
そんなくだらない診断を下して
win95とか98じだいのゲーム
たぶんどれ選んでもキャラは同じで被害者とか犯人が違うんだと思う
話をきいて自分で大事だと思ったところをメモして犯人を特定する必要がある
タイムリミットがあって、供述のビデオきいたり移動すると時間がへってく
現場検証みたいなのもあったきはする
小学生のガキがガキなりに全部動画きいてすくねえ脳みそで考えて、
確かパーカー上院議員みたいな名前のやつが見た目あやしいからこいつにしようって犯人指名したけど外れた
全然クリアできなくてつまんなかったから、親の知り合いのめっちゃ頭いい子供がやりたいっていってたから無料であげちゃったと思う
ちなみにそいつの家系は東大灘当たり前の医者家系でめちゃ頭いい
そのゲームあげたあとも短期間は交流あったから、クリアしたかどうか聞けばよかったな
すまんグーグル大先生のおかげで20年越しの疑問があっさり解決してしまった
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12231438847
春頃に行ってきて時間が経った今でもかなり行って良かったと思ってるヴィパッサナー瞑想。
スピリチュアルを舐めきっている俺でも結局今のところかなり生活に役立っていて、瞑想自体もサボりつつなんやかんや続けています。
で、基本的に「行くときに持っていく持ち物ハウトゥー」なんかは公式から連絡があったりするのですが、10日間の合宿ともなると快適な住環境が必要になるわけで・・・
改めて後学のため・備忘録としてネットに残しておこうと筆を取った次第です。
(というか、「自主的に持っていくと良いもの」みたいな記事っていろんなスピ系のサイトなりアフィブログなりがネット上に無限にあるんですが、マジで内容スピリチュアルに偏りすぎていたり、
個人的に「これいらね~」「これ書いといてよ~」「ビュー数稼ぎで中身無いやんカスアフィブログが……」「現在は施設が改善してるから要らなそう」みたいなやつが結構あったので、そんな痒いところに届くような内容を残しておきたいなと)
千葉のダンマーディッチャでは環境等が異なり必要なものも異なる可能性が高いです。あくまで参考程度に。
では、以下それぞれの詳細
かさばるから持っていくかギリギリまで悩んだけど、本当に持っていって良かったです。
普段Vtuberみたり友達と朝までDiscordばかりの私からしたら、慣れない環境での早寝早起き自体がシンプルに難しかったです。
もし枕が頭に合わなかったらより絶望的だったと思う。
ちなみに京都ダンマバーヌの枕はパイプ枕でした。普段パイプ枕の人であれば不要かも。
同室の二人がマジでイビキと寝言がやばかったのであってよかった。
他の部屋は寝言や独り言ヤバい奴が居て大変そうにしてる参加者もいました。
これもかさばるのでギリギリまで悩みましたが、最終的には持っていって良かったです。
普段の生活では「1時間微動だにせず座り続ける」なんてことが無いので「クッションとかいらないでしょ」と思っていたのですが、
人間1時間も座り続けると、どんな体勢であれ体は痺れるし、痛みも激痛に変わっていきます。
マジでどんなに崩しても超痛い。むしろ崩せば崩すほど、時間経過とともに体中が痛くなる。
瞑想中は体の正中線を意識して、背筋を伸ばして座り続けるのが最終的にはマシな体勢でした。
この体勢の維持 + 痛み軽減におしりの下に敷くクッションが大活躍してくれました。
瞑想センター自体にもクッションや座布団等があるのですが、数に限りがあります。
個人的には使ってない枕やクッションとかでも良いので、持参するものがあると便利だなと思いました。
僕は家に余ってたゆるめの低反発枕を持っていきました。
大活躍。センター常備のココナッツ洗剤はイマイチ洗浄力が弱く、シャワーにやや時間がかかります。
シャワールームを利用できる時間には限りがあるので、旅行用のシャンプーで10分前後でガーッ!!っと短時間で洗うのがおすすめ。
大活躍。すぐ乾くので朝の洗顔・夜のシャワーで使う→干す で、なんと期間中1枚で乗り越えられた。
雨が降っても速乾ならそんなに問題なし。2~3枚あればもっと余裕かつ快適。
マジで大活躍700mlもあるとごくごく飲んでも中々減らない。
くしゃみや気温差による鼻水などが多く、人より消費量が多い自信があったので、箱ティッシュを2箱持っていったがマジで大正解。
6日目で1箱終わってちょうどぐらいの感じでした。
合宿場のティッシュは共同なので気にせず使いたいという人は持っていくのをオススメします。
必須。トイレやシャワールームと散歩できるスペースは外にあるため、クロックスが大活躍。
「土でドロドロになるから、アウトドア用の靴が良いかも」みたいな記事も見かけたけどそんなんいらんかったわ。しまむらとかの雑クロックスもどきで十分。
髭剃り、歯ブラシ、シャンプーを洗面所(シャワールーム)の棚に置いておける。
個人的にはひげがない方が瞑想しやすかったので、普段使いのシェーバーを持っていって正解だった。
マスクに匂いがついたりすると、瞑想時に気を散らす原因になる。
換えを使いやすいように1日1枚ずつ計算で持っていって正解でした。
家に余ってたコールマンの一体型のセット+セリアで買った箸スプーンフォークが1ケースに収まるものを持っていきました。
そば、炒めもの、パスタ、ご飯、味噌汁等が出るので「器、器、皿、コップ」の4つが同時に使えるようなセットがあると便利でした。
ホコリ防止+自分のスペースをわかりやすくするためにも適当なバンダナとかをかけておくのがちょうど良かったです。
瞑想センターからの連絡では「3~4枚」と書かれていたが、個人的には1~2枚でも良かったなと言う印象。
瞑想期間中、基本的には頭痛薬・サプリメント・精力剤・カフェイン錠剤などを含むお薬の使用を非推奨としています。
とは言え、持病がある方や偏頭痛持ちの人など「どうしても無理」となってしまう状況もあるかと思います。
そんな場合に向け
○お薬は一応持っていっておく
○コース開始時のスマホと貴重品を預けるタイミングで一緒にマネージャーに預けておき、どうしても駄目なときにだけ取り出す
という形を私はおすすめしたいと思います。(10日間の修行に挑むために予め懸念事項を減らしておくことは特に大切と感じました)
鼻炎が他の人の集中の妨げになりそうだったので、一度アレルギーの薬はもらった記憶あり。
枕などかさばるものを持っていったので、収納下手な私にとってはかなり大活躍。
「肌の露出が多い服は他の参加者の集中の妨げになるので避けてください」と注意文があります。
私はこれを女性向けの注意事項かと思って、丈が長い半ズボンばかりを持っていってしまいました。大失敗。
ジャージパンツやスウェットパンツをもっと持っていけばよかったです。
「男をエロいと思うとか無いっしょ」って思ってましたが、人間10日もシコらず修行させられ続けると、ヤバイ、煩悩の均衡が少しの衝撃で崩れそうな状態にまで行きます。
本当に気が散りますしまた他参加者の迷惑にもなりますので、なるべく長ズボンを多く持っていきましょう。
ちなみに、私の行ったコースでは「寝るとき(且つ公共の場所にいかないのであれば)寝苦しくないように半ズボンOK」と最初のイントロダクション時に回答を得れました。寝やすくてめっちゃ助かった……。
京都の瞑想センターは山奥のため気温差が本当に激しかったです。
ヒートテックも半袖も足りなくて困りました。
あと着脱しやすい上着も持っていったら便利です(ユニクロGUあたりのジップアップパーカーとかカーディガンとかオススメ)
昼間は半袖、夜はヒートテック+厚着なんてこともしばしば。たまたま持っていたネックウォーマーは大活躍してくれました。
朝は鐘がなるし、「チープカシオの目覚まし機能もあるからいけるっしょ~」って思ってたらマジで起きれない日ばかりでした。
起こしてくれたコースマネージャー(管理人)さん本当にありがとう・・・寝起きに自信の無い方は小さいもので良いので目覚まし時計を持っておくと良いです。
持ち物の準備に悩む方も多いかと思います。そんな方の一助になれば幸いです。
あとついでにスピ系のブログの内容がスピリチュアルに傾きすぎて俗なレポートが無く、
なんかムカついたので、一般Vtuberオタクっぽい経験談を適当に置いておきます。
https://www.youtube.com/watch?v=zjz_EnV6wNA
広瀬香美が最後まで生き残ってずっと集中をかき乱してきてマジで最悪でした。
https://www.youtube.com/watch?v=UfEIharoOH0
僕も以前満員電車で座ってたら隣に座ってた頭のおかしい女性に、“肩が当たった。男のくせに座るなクズが。死ね”とか延々罵られて、駅員に突き出すって言ったら“そうだ、あんた痴漢した。みなさんこの人痴漢ですよ!!”とか騒がれて、殺意を覚えたことがある。
何度言わせるんだよ
先生にとってhagexはあくまで殺したい奴リストの中の「Bランク」でしかなかったわけ
「猫は害獣だから殺して良い」って殺意と憎悪丸出しの人間が増田には割りといるし、ぶっちゃけ2chの動物苦手板ばりの憎悪見せてるから
内心「猫を飼ってる人から飼い猫を奪い眼の前で惨殺する」とか、「誘拐して保健所に連れていき野良猫扱いで殺処分させる」とか、そういう事をやりたがってんのかなって
そんぐらいの殺意が見て取れるのよ、猫嫌いや猫を害獣として殺したがってる増田達からは
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」で、野良猫だけではなく他人の飼い猫(それがしっかり躾けられたいい子や、屋外に一切出さない子であっても!)を害したい気持ちがムンムンと見えるニャー
正社員として働き始めてから毎週土日は出掛けてるおかげか、鬱になる暇もなくかなり心が健康になり始めた。
だけど、過去の嫌な記憶は暇さえあれば思い出して色々と考えてしまう。
だから、これを機に過去の地獄だった期間の記憶を言語化して、過去の清算をしようと思う。
この記事を完成させるのに思い出して書いてる間、精神的苦痛と元の文章力の低さ故に読みづらい文になっているかと思います。ご了承ください。
たまにここの日記見たりしてますが、ここの人達の長文書いてる人の文章力高いので、初投稿でビビってます。
だけど、今は精神状態が普通に良い社会人なんで正直にコメおなしゃす(^O^)
俺の両親は物心ついた時から既に仲は最悪だった。たぶん週1,2のペースで喧嘩していたと思う。喧嘩の内容の殆どは、父が不潔でそれに対して怒ってたと思う。問題なのは母がヒステリックな事なんだが。
母は子供に割と尽くしたりしていたが、その反面で父は無関心な方だった。(それで母がヒスってた事もあったな~)
たぶん中2くらいの時から自分が徐々に論理的に思考できる様になったり、しっかりとした考えを持つようになった。それで、母の言動がおかしいと思う様になり始めた。
今になって確信に変わったのだが、母は自分が思い通りにならないと怒ったり、言い合いでは論理性が一切通用しない人だった。自分にはめちゃくちゃ甘く、人にはクソ厳しい。おまけにADHD。
高校までの自分は考えを言語化する能力が今より乏しかったし、世界がまるで見えてなかったから、何で正しい事が分からないのかと自分もヒスな母に対抗していた。
そしてお互いが暴れていても、父は依然として無関心。
高2の記憶
もっと前かもしれないけど、たぶん高2くらいからお金の問題で毎日喧嘩する様になった。
寝る前も、勉強中も、大事なテスト期間中も、部活が終わってクタクタな時も、、、如何なる時も母が叫んでた。
こうなると拉致があかないので、昔から俺が止めに入ってた。そしてこの時も。
最初は俺も落ち着いて止めに入っていたが、次第に母がエスカレートしていった。無理矢理に父の部屋から追い出しても辞めないので、手を出すようになった。
それでも母は叫ぶ事も愚痴をずっと喋る事もやめない。
当時は気づかなかったが、今思えばその頃から次第に俺の精神は壊れていった。
それからはもうめちゃくちゃだった。
人生唯一となる殺意がここで芽生えた。ストレスを一方的に溜めさせてくるのは母なのに被害者面して、警察を何度も呼んだり。
そして、それがしばらく続いた後、自由がままに母は本当に意味もなくアパートを借りて、たまにそっちで過ごす様になった。(しかも2回。ただでさえお金が無いって発狂してるのに、本当に意味のない行動だった。俺からしたらそれも怒り所の1つだった。)
冬頃になると父は家を追い出された。
しかし、相変わらず母と同じ空間にいると一生矛先を向けてきたりして、また俺らの間で喧嘩になったりしていた。
そして不幸が重なり、家の給湯器が壊れた。母はアパートだったり近くの祖母の家でシャワーを浴びていたが、母方である身内は全員母の味方をしていて被害者である俺を責める様な姿勢だったので、シャワーを借りに行く事は出来なかった。
そして、ただでさえ忙しい学校生活の中、チャリで2,30分ほどのアパートにいったり、家でガスを使って身体を洗える分だけのお湯を貯めたりと、更に家にいてもゆっくり過ごせない状態になった。
高3の記憶
母のあんな感じのキチ●イが1年以上続き、ついに父がアパートを借りて二人暮らしする様な流れになった。
正直いって父は家事はまともにできないし、何より汚い。
だけど、母のあのキチ●イを毎日受け続ける生活より断然良いと思っていたが、割とそうでもなかった。
まず、母からは何も支援を受けず父から毎月3万を渡されるだけだった。
父は殆ど家事をしないし、勤務時間帯的にあんまり顔を会わせる事もなく、ほぼ一人暮らし生活がスタートした。
そんな高3の大事な忙しい受験期に一人暮らしみたいな生活を強いられ、まともな生活費を渡されず、裏では受験費用は愚か目の前のお金すら悩まされて、そんな日々だった。
そして毎日、死にたいと思った。そして起きている間、ずっと色んな事を考えるようになっていった。
気づいたら鬱になっていった。
小学生の時からその時に至るまで、どんな日でも真面目に学校にいっていた。そして課題も真面目にやっていた。
そんな生徒が朝は起きれないし、授業も何も頭に入ってこなくなった。
当時の俺は疲れてるから怠くなって仕様がないよな~って軽い気持ちで考えたけど、鬱の症状で朝起きれなくなるらしい。
夏の引退までは変わらない詰まったスケジュールで、その上に家事や安さを考えただけの食事。
半年以上まともに勉強していない自分は学校に通って定期テスト等をこなしていくのに精一杯だった。
なのにも関わらず、馬鹿真面目だった当時の俺は大学受験しないと人生終わるとか狭いコミュニティに属していると出てくる典型的な思考に陥ってしまっていて、周りに合わせて漠然と大学受験をしようと思っていた。
周りは徐々に成績を伸ばしていき、親のサポートも手厚くなっていったり目に見えてギャップがどんどんと見えてきた。
その頃にはプラスの感情が湧かなくなっていった。友達と笑う場面でも愛想笑いだったり、周りが楽しそうにしているとため息が出てしまっていた。
白髪も段々と増え、ため息も常にする様になり、身体的にも鬱の症状が見え始めていった。
受験間近になると、また新たな問題が増え、もう書くの面倒だから省くが、更にストレスが増えていった。
こうして、今まで真面目に通学し授業を受け課題をして勉強して積み上げてきた人生は無駄になった。
まあそんなこんなで高校生活が終わり、その後の予定なんて何も考えていなかった俺はそのままフリーターになっていった。その後のフリーター1年目の時に気づいたが、受験に落ちて良かったと本当に思っている。
もし受かっていたら、入学金やら準備やらのお金でまたストレスを抱えていた。そして、大学に入っても周りとのギャップや気持ちよく過ごせない日常で更に鬱が悪化していたかもしれない。最悪死んでたかも
何よりバイトが楽しかった。今までは報われるかも分からない課題をどんどん突破していき遠いゴールを目指していたが、バイトはその場で対価が得られる。その感覚がずっと学生だった自分にとっては、すごく気持ちがよかった。
そんな感じで職場の先輩たちにも恵まれ、1年でお金を貯めて遠い場所にいって一人暮らしを始めた。
テレビでの不幸エピやドラマでの家庭崩壊物を昔にたまに見ていたが、まさか自分たちがこうなるなんて夢にも思わなかった。
一人暮らしを始めてからは全てが軽くなって、徐々に普通に近づいていき、日々に幸せを感じる様になっていった。
完治したと言いたいところだが、何かしらの物事がトリガーになったり時々憂鬱な気分になったり、やはり鬱病の原因である母親を一生許せはしない。
未だに本人は1mmも悪いと思ってないし、昔と何も変わらない。
数年経ったら母もさすがに落ち着くだろうと思って関わってみても、やっぱり人間としてどうしようもない人は子供の頃から一生変わらないんだろうなって、母と瓜二つの祖母を見て悟った。
母が過去にしてきた事は、母が精神を追い詰められたが故と仕様がない気持ちを少し抱いてたが、これを見ると元からどうしようもない人間だったんだと笑えてくる。
母は頭が悪すぎるし嘘をついて自分が有利な立場になろうとするし親だから立場が上だと勘違いしているし、そもそも話し合いにならない。不思議と祖母と母の喧嘩は成り立ってるらしい。もちろん彼女らは問題解決をした事はないが。
IQ20以上離れていると会話が成り立たないというが、これも本当だ。
まあこんな感じだから、母たちと関わるとアレルギー反応を起こすかの様にストレスが溜まるし、今関わらなくても後々面倒そうなので、縁を切りたいと思っている。
希死念慮が消えたかと言えばそうじゃなくて、昔みたいにどうにでもなれっていう考えたけど、幸せなまま死んでしまいたいって思う事はたまにある。
でも、死なないで今を生きて、そして楽しいと思えるのが本当に生きててよかったと思う。
普通に生きていたら今の視点や視野にはたどり着けないだろうし、どっちが楽しいだろうかと考えたら、やっぱり今のルートなのかもしれない。