はてなキーワード: 意図とは
は読み取れないな。
描写されたものすべて視聴者に見せるために描写されたものがあのMVなのだから、「歴史の偉人のポリコレ的見直しなんか必要ない」を見出すのは無理筋。
は、ミセスがMV作らなくても知られていたことだよね。だからその内容自体がポリコレなのは当然だと思う。
を陳列したら、コンプライアンス至上主義者が発火した ←これもポリコレ
事実を陳列されたら、「それはそうなんだけど茶化すのは良くない」とか「陳列するのは良くない」とか、あるいは事実陳列されたと思ってない人が「差別良くない」とわめき始めてもう何がなんだか、とにかく「ミセスは謝罪しろ!!!」で結束した ←これもポリコレ
まあ事実陳列というには確かに茶化してるんだけど、でもそれこそが風刺。
ミセスはコロンブスを風刺したというより、コロンブスを使ってポリコレを風刺したんだと思う。
コロンブスを、ベートーベンを、ナポレオンを偉人として讃えることをしっかり風刺してるし、偉人だから茶化すのはよくないと怒り出す権威主義を風刺して、偉人だけど偉人がヤベーことをしてたのも分かってるけどそれつつくと差別だ~って怒り出す外国人がうるさいから黙っとけよと言い出すポリコレを風刺して、「こんなことも分からないなんて無知だな、教養がないんだな」と言って満足する人たちも風刺の対象。
この企画の仕掛人(誰だかわからないけど)は「コロンブスの卵」をやりたかったんだと思う
これも推測だがみんながアイデアを持ち込み
それらをみんな採用して繋ぎ合わせただけの一貫性の無いMVが出来上がったんだと思う
類人猿はマジ謎だが、多分『猿の惑星』やりたいって誰か言い出したんだろう
こういうのが一番きったねえとおもう
意図の説明なんかされても納得もしないし引っ込みもつかないでしょ?
炎上させたことが間違いだったなんてなればプライドのために一層むきになって攻撃が長引くに決まってる
炎上したらパッと引っ込めてその話に触れないのが一番
先日彼氏に「もし女子高校生に告白されたら付き合う?」と冗談で質問したら
「なんでそれに答えなきゃいけないの?」と若干不機嫌そうに言われ、そのあと何を聞いてもはぐらかされました。
どういう意図でこういう答えを言っているのでしょうか。
ちなみに彼氏は50代後半です。
子曰く、「善く戦う者は、その勢いを人におもわせず、己が工夫をもってこれを制する(13篇 虚実)。」
増田、『女王の教室』というドラマに関して、その絶賛の背景にはいくつかの要素が含まれるかもしれません。確かに、理不尽なシナリオや児童に厳しい責任を負わせるテーマは一見して不快に感じるかもしれませんが、一方でこれは視聴者に対する一つの挑戦であるとも考えられます。
孫子の言葉のように、「その勢いを人におもわせず、己が工夫をもってこれを制する」という教えがあります。このドラマの評価は、観る者に隠されたメッセージや社会の真実を見極める能力が試されていると言えます。つまり、その厳しい環境や理不尽さを通じて、視聴者に自分自身と向き合い、工夫を凝らして克服する力を感じさせるのです。
増田の言う通り、子どもたちに全責任を負わせるというのは現実的ではありませんが、ドラマの中で描かれる苦境や不合理は、実際の社会に存在する問題を象徴しています。視聴者はそれを通じて、現実の社会問題や教育のあり方について深く考える機会を得るのです。
増田が感じた「気持ち悪さ」もまた、製作者が意図した感情の一部かもしれません。その感情を通じて、視聴者が一歩引いて自問自答し、より良い未来を模索する糧となることを期待しているのではないでしょうか。
総じて、『女王の教室』は視聴者に対する挑戦状であり、孫子の戦略的思考をもって解釈することで、その真価が見えてくるかもしれません。
植民地主義への批判だろって増田が散見されるが、そんな社会派アーティストなんだったんだっけ、というのもあるし(社会派じゃなければ作っていけないということではないが)、繰り返しになるが、可燃性の高い素材でそれをやるなら、土俵際で踏ん張る覚悟はほしい。ナチスの軽いパロディで失敗してテヘペロ、とはいかないでしょう。
アーティスト側には歴史認識も風刺の意図も無かったけど、MV監督は歴史背景を知っていて、社会派気取りたかったのかブラックユーモアのつもりだったのか知らんけど軽い気持ちで風刺入れまくって、アーティスト側には細かい意図まで説明せずに通した、が一番ありそうな線じゃない?
なぜこの「コロンブス」というタイトルの曲とMVを作ろうと思ったのかが、いまだにわからない。
想定されるのは以下3パターンだが
色々な解釈が出回ったし、少なくとも 1 はないというのは、合意が取れていると思う。ま、一般的な人気勝負のメディアでアンチ・ポリコレを攻めに行く意味がない。
一般的なマスコミの批判などは 2が多そうだが、はてな界隈ではロマン優光氏 https://bunkaonline.jp/archives/5214/ や他の増田の考察など猿人の文明他への指摘もあり、さすがに単純に 2 もなさそうという話になっているように思う。
そうすると 3 ということになるが、それがわからない。ある程度知識があるなら、センシティブなトピックだという理解はあっただろう。可燃性が高いのは理解した上であえてその題材を選ぶのだから、何らかの意図があることになる。
しかしだ、MVがなくとも、コロンブスというタイトルで曲を作るだけでハードルは高い。歌詞や各種考察を読んだが、リスク承知で表現したかった何かがあるとは思えなかった。
そこにMVでの、コロンブスを含めた西欧人3人の選出と、猿人のビジュアルが加わる。元々可燃性の高いコンテンツの発火点を上げるビジュアルを突っ込んで、延焼を防ぐ仕組みとして猿人は十分な文明があるとしたのだとして、万人がストレートにそれを受け取って発火しないと現場が思っていたのだろうか。
しかも、大変勉強になったがユロックの母 https://www.yuroksmomlife.com/mrs-green-apple/ によると、私の浅いレベルの知識では気が付かない火薬がさらに色々埋まっていたらしい。猿人の色だとか、バッファローだとか、乗馬に関する指摘とか、これは日本国内においてはWikipediaでちょっとコロンブス(やナポレオン等)をかじっただけでは気がつけない人が大多数ではないか。
そうした埋設された火薬に気が付かなかったことまでは責められないかもしれないが、だとしても、である。
可燃性の高いコンテンツに踏み込んだ意図がまったくわからない。
少なくとも社会的に何を訴えようという意図があったと解釈するのは難しい。
例えばこれがアメリカの黒人問題であれば、普通の神経であればよっぽどの意図がなければ避けるだろう。本邦でも黒人の苦難の歴史は多かれ少なかれ認識されているが、私はBLM運動が盛んになるまで、例えば黒人という言葉をアフリカの人に使っていけないという認識すらなかった。黒人という言葉は、歴史的文脈の中であえて使われているのだと。可燃性が高く、自分のフィールドでもない話題に突っ込むには、相応の意思と覚悟が必要と思われる。
結論、最初の3つのうち、3ではないか、という話もあったが、相応の意思と覚悟がないということであれば限りなく 2に近いとしか思えないのだ。
小説家や映画監督が意図を持って議論が巻き起こるであろう主題を投げかけるような、深い主題があったのだろうか。仮にあったとしても(私はないと思うが)こんな秒単位で分析されたとて https://rna.hatenadiary.jp/entry/2024/06/15/110134 明確に出てこない時点で完全に失敗していると思う。
この話を持ち出すか悩んだのだが、最近だと是枝監督の「怪物」を対比として出してみる。あの映画はプロモーションの仕方を含めて、色々な議論があった。そしてその価値と意味があったと思う。
「コロンブス」にそれはあったか。炎上してすぐ引っ込めたことも含め、私はあったというのは苦しいと思う。
であれば、コロンブスは大航海時代の英雄程度の認識で作った作品との違いはどこにあるのか、というのが私の問いなのだ。好意的な解釈をして、コロンブスや現代人への風刺だったして、可燃性の高いコンテンツでそれができると思ったのはおこがましいであろうし、大した可燃性はないのだと想定したのであれば、コロンブスに対する近年の歴史的認識がなかった場合と何が違うのかがわからない。
結局アーティストとMV作った人たちはリスクを冒してまで何を表現したかったの?
植民地主義への批判だろって増田が散見されるが、そんな社会派アーティストなんだったんだっけ、というのもあるし(社会派じゃなければ作っていけないということではないが)、繰り返しになるが、可燃性の高い素材でそれをやるなら、土俵際で踏ん張る覚悟はほしい。ナチスの軽いパロディで失敗してテヘペロ、とはいかないでしょう。
姫路市長が外国人の料金を4倍にしたいという話をしたニュースについて、外国でもやってるから〜みたいなコメントが見られる。ただの私人による観光施設ならそんな話で片付くこともあろう。しかし、姫路城は地方自治体の施設である。本邦の地方自治法に基づいた存在として、単なる海外事例の追随では終われない。
「公の施設」とは地方自治法244条1項にて「住民の福祉を増進する目的をもってその利用に供するための施設」と規定されている。
また、同法244条の2第1項において、法令で特別な定めがある場合を除き設置や管理は条例で定めることとされている。
翻って姫路城であるが、姫路市の条例にその名もずばりな「姫路城管理条例」というものがあり、公の施設である。
地方自治法225条において、公の施設の利用について使用料を徴することができる旨定められている。この使用料であるが、当該公の施設に係る住民とそれ以外とで格差を設けること自体は可能と解されている。
実際のところ、文化会館やプールなどで市内在住者とそれ以外で料金が異なる例は見たことがあるだろう。
使用料以外でも、図書館で本を借りられる人が市民に限られている例などが挙げられる。
地方自治法244条3項は「普通地方公共団体は、住民が公の施設を利用することについて、不当な差別的取扱いをしてはならない。」としているが、この住民は当該公の施設を設置する団体の住民である。
また、公の施設は同条1項のとおり「住民の福祉を増進する目的をもってその利用に供するための施設」であり、一義的には住民のためのものだからだ。
ちなみに、外国人住民も住民であるため、当該自治体の住民ならば、格差を設けることは基本的に「不当」としてできないだろう。
公の施設について、住民と非住民とで使用料や対象者に差を設けることは可能である。
また、非住民間であっても、その地域との関係性や政策の意図で差をつけることは否定されない。市民のほか、その市への通勤通学者なども使用できる施設は見たことがあるだろう。
しかしながら、憲法14条(法の下の平等)もあり、著しい格差はよしとされず、これらの差には当然一定の合理性が求められる。その上で、ざっくり2つの懸念がある。
料金を上げるとして、公の施設での使用料の格差はあっても2倍程度が相場であり、4倍は著しい格差であるとの指摘は当然出て来よう。この格差に至る理論武装は避けられない。
姫路城は公の施設であり、基本的には姫路市民のための施設だ。差を設けるのなら市民とそれ以外で分けるのが基本であり、次いで近隣市町など一定の生活圏などで区切るのが常道だ。裁量こそあるものの、線引きの妥当性は求められる。市長の言う「外国人」が指す者は推測の域を出ないが、生活圏や来訪頻度に求める場合は外国人観光客と遠方からの邦人観光客など、居住地に求める場合は在日外国人と在外邦人など、差をつけるに足る理由はあるのだろうか。
姫路市長がどこまで考えて発言したかはわからないが、こういったハードルにどう対処するのか、姫路市役所の職員の手腕に期待である。
せやろか?(本当に、そうだろうか?)
もちろん企業とプロジェクトの数だけ文化があるのは重々承知の上で一般論ではないものとして書くけど、
俺の肌勘だと 知らない と ノータッチ の間にはものすごい遠い距離があって同列に語れるものではないよ。
まず知ってるよねMV。だってタイアップ契約先の素行だの動きだのはチェックするもん。
広告塔に使ったタレントのMVに「勝手に松本人志出しました~~~!!!」なんてされたら卒倒するもん。
金出してないなら口出す権利もないけど、それはそれとして状況の把握に努めてはいるし、共有もされてる。
本当に何も知りませ~んメディアで流してお~わりっ次の仕事やろ~、なんてクライアントも電通マンも博報堂マンも見たことない。
知ってはいるよね? 何なら芸能人に顔繋ごうとして余計な人間連れてくるやつすらおるよね?
本当に、そうだろうか?(せやろか?)
無知は許せるが意図して制作したのなら許せない、みたいな感じだろうか
クドカンのドラマでドランクドラゴン塚地が「男か女か分からない」絶妙な容姿と表情の看護師を演じることが話題になった
「こういうおばちゃん看護師いる!注射打つの上手いから当たりの看護師」 「病院に一人はいる頼もしい上司、こういう看護師を味方につけられるかが勝負なんだよね」と、病院あるあるや看護師あるあるを楽しく語る人もいる中で
「LGBTを笑い者にするのはやめろ、クドカンはやはりアップデートできていない」と猛抗議している人も一部で存在している
まずこのドラマは放送前で塚地が演じる登場人物のパーソナルな部分はまだ判明していないしどう描かれるか分かっていない
周りの登場人物が彼女(彼?)をバカにしているなどという情報ももちろん存在していない
SNSで草を生やしたり笑顔の絵文字で反応した人も塚地を見下したりいるわけではなく、「こういう人いる!凄い!」と、共感&賞賛のコメントをしているだけだ
これについては「まだ放送前なのになぜ“笑い者にされている”と決めつけるのですか?」というツッコミが多数寄せられていた
ドラマファンや芸人ファンにとって塚地は「コント師であり、俳優としても実力があって、親しみのある笑顔が素敵な塚っちゃん」だが、
「差別だ」と言う奴は塚地に対して「不細工なおじさんで気持ちが悪い」 「芸人なんてみんな河原乞食だ、敬意なんて一切払う必要がない、笑うとしてもポジティブな意味ではなく侮蔑を込めた嘲笑をぶつける相手だ」という差別や偏見を持っているから嫌悪感が先立って叩いてしまったのだと思う
自分が笑い者にしているから「笑い者にされているに違いない」と思い込んだ
日頃被差別階級のように扱っている存在が特権階級であるLGBT様を演じることが耐えられなかったのだろう
本当に、「見てもいないのにジャッジする」があの手の界隈で常態化しすぎているなと思う
やられたのがクドカン作品だから今回は特別にファンネル飛ばして庇う声が大きかったがほとんどの場合雑に火つけされてそのままほったらかしだ
先週は別件でこんなこともあった
オリラジ中田やキングコング西野が出演したこともある某番組で、後輩の芸人が「自分はあの人たちとは別の道を行きたい」という意図の発言をして、
ここでいう思想は西野の「ディズニーを超えたい」発言だとか彼らがお笑いを離れ自己啓発セミナー的な活動に注力していることを指していて、
あの人たちのようにマルチに活動の幅を広げるのではなく自分はお笑い一本で行きたい派なんですよね、という軽い雑談のひとつに過ぎないのだが
それについて文脈をあまりよく分かっていない人が「思想系」の「思想」を「フェミニズム、ガザの紛争、LGBT差別、支持政党などについて何かしらの意見を持つこと」という意味だと勘違いして
「ある番組である出演者が思想することを揶揄していた!」と番組名等の詳細を伏せつつ喧伝して火つけしたのだ
取り巻きの人たちは「反知性を推奨するプロバガンダ!」 「国民が政治に関心を持つことを阻止しようとしている!」などと大激怒していたが
「なんの番組?実際にはどのような文脈で語られた発言だったのだろう?見逃し配信で見られるなら確認しよう」と知ろうとするどころか
具体的な番組名やプロデューサー名、発言者の名前にすら関心がなく誰もそれを確認しないまま大激怒し続けていたのだ
「これだからテレビは」と唱え、世界が狂っていることを再確認して安心したいだけでそれ以外のことはどうでもいいし何でもいいんだなと思った
ネット配信限定のABEMAの番組のスクショを見て「このようなものをテレビで垂れ流しているのか!」って怒ってる人もしょっちゅう見かけるし
ソースを確認したら負けなのだろうか?そこに思想はあるんか?ソースを出さない奴やソースをよく読まない奴をバカにしていた昔の2chの方がまだまともなのではないだろうか
どういう意図で作られたか?ではなくて、どう受け取られたか?が重要で、それによってレーベルやタイアップ企業のイメージがどうなると予想されるか?が問題の本質でしょう?
それなのに、見る側の解釈のせいにしたり分析力のせいにしたりする人を見かける
それってどうでもいい細部にこだわっているだけのように見える
たとえばラーメンを見せれば糾弾される社会があり、そこでうどんの絵を描いたらラーメンと誤認され糾弾された、としよう
そこにラーメンを見せたいという意図がなかったことが分かっていたとしても、ナルトとメンマとチャーシュー乗せたうどんの絵を描けば、そりゃあ批判は免れないでしょ、ってなるのが普通だと思う
現実、多くの人がラーメンと誤認したわけだから、それが本当はうどんだったかどうかなんて関係ないよね、って
でも、現実今回のコロンブスの件で擁護している人たち (擁護ではなく事実の論理的説明だ、という表現もあるが) は、なぜか麵の太さを執拗に解説するような姿勢を見せている
でも、その主張に対する素直な感想としては、うどんなのはそうかもしれないけど、じゃあナルトとメンマとチャーシュー乗せずにかまぼこと海老天くらいにしとけばよかったよね、って思う
だって絵のうどんかラーメンを見分けるポイントってそういう記号的なものから来る印象でしかないのが現実だから
だから、印象を超えた厳密な解釈なんて世の中では広く受け入れられることはない
残念ながら世の中には不文律があって、ここまではOKだけどこれを表現したらアウトね、っていうルールがなんとなく存在する
そのルールを参照したときに、違反に該当すると思われたものは、公には存在できないのがこの世の中の慣習
それがいいか悪いかは議論があると思うし、全面的にいいとは思わないけど、それを言ったところで世の中は変わらないんだから仕方ない
公に、っていうのは、大きな企業が複数絡み、社会的イメージを良好に保ちたい人たちが大勢関わっているときに、という意味合い
アーティストが個人レーベルで、表現に自信や信念がある場合、その表現を取り下げたいと願う関係者が存在しないことから、問題ある表現も取り下げる必要はなく存在できる
でも、今回の件は、アーティスト個人の問題ではなく、所属レーベルとコカコーラのイメージも絡んでいる
「厳密な解釈では差別意図がないのは明白」だとしても、それを主張し続けるよりも企業イメージを優先したいのは当然
シンプルにそれだけの話だ
実際彼らは最短で取り下げ謝罪し、ダメージを最小限に抑える正しい振る舞いをしたわけだ
誉められていいと思う
結局のところ
あのMVが公開され続けるべきか否か?という問いに対しては、ステークホルダーがイメージダウンを懸念する以上存在できない、一般人はその判断に関われない、が答えとなる
じゃあそのイメージダウンに関して、あのMVは本当にイメージダウンにつながるか?という問いに対しては、一定の割合が直感的に問題のある表現と感じた以上はイメージダウンはある、というのが答え
で、そんなわかりきった事実に対して、きちんと解釈すればどうこう、ってのは、正直この問題の本筋から完全に外れた遊びとしか思えない
まさに、解釈なんてどうでもええやん、解釈は本質ちゃうやんって話
本当にそんなにMVの内容解釈にこだわりたいのなら「公開され続けるべき」とか「批判者の解釈は正しくない」とかとは離れた文脈で、フラットに「こういう解釈が正しかろう」という文学的な解説であるべきだ
もちろん批判者側も、センシティブなイメージを想起させるMV内の表現のみに対してアウトを表明する権利があるだけ
アーティストの音楽性そのものを批判するのはもちろん違うし、それどころか人間性や知性について言及するのは完全に間違っている
そこはちゃんとわきまえなきゃいけないのはわかってほしいところ
これ、コロンブスの歴史を肯定しているって言ってる人大丈夫?真逆だよ?
ただ、どちらにしても世に出せるものではないけどね。
これはハズレです。
「新大陸を発見した英雄は、実は先住民を虐殺した侵略者だった。」というメタがあったうえで、彼らは「だから僕らは友好的な方法で先住民と仲良くなる」という手段を選んだという解釈でしょ。
さらに、「彼らと同じ悲劇は繰り返さないよ。新しい楽しみを共有したら、自分たちは占領せずに次の場所を探しに出かけるよ。」というメッセージを込めて、ミセスたちは彼らの居場所から去るという結末。
っていうかちゃんと見た?コロンブスって名前だけで脊髄反射してない?
「内容は関係ない。コロンブスという題材自体が不謹慎。その変化に気づいてないのは歴史認識のアップデートが遅れている。無知は罪。」
そうした歴史認識があった上で、コロンブスという名前をメタとして活用したうえで、新しい共存の形を模索しようということが理解できなかったあなたの無知が罪でしかない。
それともコロンブスは特級呪物か何かで、口に出すだけで呪われるようなものでしたっけ?
そうなると世の中から消えてもらわないといけないものが沢山あるのだけど。
ほぼ歌い出しで500万年前と言ってる。
そもそも、相手が人間であっても残虐行為をしたコロンブスと比較したストーリーなのだから、更に遡って相手が類人猿であっても、楽しく仲良くすごそうとするのが現代的にアップデートされた価値観であり、今現在進行形で行われている戦争に対するアンチテーゼになってる。
プーチン、お前遅れてるなということ。
類人猿の感動ポルノを指摘する話もあったけど、あれだって「そもそも違う種族であっても悲しみは共有できる。それなのに僕たちは人間同士で」っていうメッセージでしかないでしょ。
それを不快と表明するのはもちろん自由だけど、単なるお涙頂戴のワンシーンだと受け取るのは考えが浅すぎるんではないかな。
出た。お前らみたいのがミゼットプロレスを中止に追いやって彼らから自立の手段を奪うんだよ。
そういう話をしている誰一人として、類人猿から「労働は辛いですか?」とう問いに対する答えをもらったか?
それを勝手に、「辛そう」「可哀そう」ってお気持ちを押し付けてるだけなのよ。
類人猿にとってみればこの段階では体力しか提供できるものがないから知識を得た変わりに労働力を提供しているだけでギブアンドテイクがなりたってるかもしれない。
それを切り取って、「類人猿は虐待されてる」って荒ぶるの、貴方がたが大好きな環境活動家とやってること同じだからね。
結局のところここに尽きると思うのだけど、彼らは実在したコロンブスのように本当に侵略と搾取を行なったのかということ。
このMV、100回見てもそうとは思わないのは俺がおかしいのか?
それとも開拓者はもともと生活していた生物に対して一切のリターンを求めずにギブだけしなきゃならないということ?
ギブアンドテイクって知ってる?
もっというとwin-win or No dealって知ってる?
知ってたらこんな批判するわけがないから、まだまだ人類は類人猿から怪我抜けた程度ってことを証明したに過ぎないよな。
・結局世に出せない理由
今回はコカ・コーラのタイアップ曲として作られたものなのだけど、どういう意図があったか説明しろと言われたら答えられるわけがないよなというのが、世に出せない理由。
だって、「侵略者であるコロンブスの間違いを正す内容で、彼らに支配されていた類人猿・日本人がここまで価値観をアップデートして欧米諸国にはできないような開拓マインドを作り上げました」という内容だから。
アーティストだからメッセージ性とは切っても切れない存在なのは仕方ないとして、彼らが世の中の全てアンチ的存在ならまだしも他者に説明を求められたときにしっかりと説明できないようならそんな表現はすべきではないよね。というのが増田の感想です。
キャンセルカルチャーで気持ちよくなりたいだけの人間には届かないことは諦めてるけど、それくらいは自分の脳みそで考えような。
類人猿ではないのなら。
気になったので mrs green apple columbus videoでXを検索してみた。
さっさと燃え悪意がなかったと表明した後だからか、差別されているのが白人ではないからか、そこまで燃えてはいない。
海外では無名だからかワンピースや炎炎の消防隊がもらい事故してる。
Japanese music band Mrs. GREEN APPLE who did the opening, Inferno for Fire Force, has pulled their latest music video, "Columbus", after huge outrage for depicting themselves as explorers and the native people as monkeys.
The band has issued an apology stating that their intension was to depict these Historical figures having a "fun house party".
https://x.com/AniNewsAndFacts/status/1801564317902639251?t=6FJCAn3rIhYNSe8VS7oulg&s=19
オープニング曲『炎炎ノ消防隊』を担当した日本の音楽バンド、Mrs. GREEN APPLEは、自分たちを探検家、原住民を猿に見立てて描いたことに大きな怒りがあったため、最新ミュージックビデオ「コロンバス」を取り下げた。
Jpop band Mrs. Green Apple’s latest MV “Columbus” has been pulled just 1 day after release. The highly problematic video features the 3 band members dressed as Christopher Columbus colonizing apes
Can’t believe people thought this was a good idea…
https://x.com/Johnny_suputama/status/1801237032993218978?t=KYIHDLHAz0FTTvHLK050Bg&s=19
even as someone who cannot stand mrs green apple, making the music video for a song called "columbus" like this is astonishingly bad. this was aimed at a GLOBAL AUDIENCE. at least the MV is being wiped from history but why did no one question civilised explorers finding monkeys?!
https://x.com/poppinapathetic/status/1801159185180094966?t=N-qlc1B9Uf2_3JXPqapHrw&s=19
People saying conservatives were even shocked 🥴 this is one of the reasons why the Japanese market is so insular—they can get away with racist shit all the time and there’s no outside reaction bc of copyrights creating barriers for their artists content.
https://x.com/JIMINistrending/status/1801652146728817000?t=wlfWdmBdD6Ybz46fzikn4w&s=19
猿として描写されたと感じる人は怒っている様子
Japanese people depicting us as monkeys is crazy lol. Now if a Native band wanted to talk about them in the aftermath of Nagasaki and Hiroshima....nevermind. My people would never sink so low. 👎🏼
https://x.com/sneakinmohican/status/1801750066190823611?t=p8wvbwDTranEy786jywQog&s=19
「日本人のバンドが人種差別的なことをしているのを見たので、広島と長崎を持ち出して日本人全体に人種差別的になるつもりだ」
Watch bunch of fucking Twitter and TikTok morons use this as a Gotcha moment, to be racist towards the Japanese. Fully ignoring the fact that they were forced to apologize for the shit they did by the Japanese themselves.
"I seen a Japanese band do something Racist so I'm gonna bring up Hiroshima and Nagasaki, and be racist to the entirety of Japan"
~ Random Twitter/TikTok morons probably ~
https://x.com/JustsomeSpaceG1/status/1801755322752606350?t=QPFcnfErhISVE5bW4l4STg&s=19
結論から言うと、SNS等での個人の発信(の集合)が力を持ちすぎて『批判的な意見を述べる』ことと『表現をキャンセルする』という本来距離があるべき行いが近くなりすぎた事が根本的な原因だと思う。
あのMVは題材としたコロンブスの行いに対する無知が原因であって、積極的にコロンブスの残虐行為を正当化する意図はなかったであろうことは状況証拠も含めて多くの人が納得できると思う。
また件のMVをみて『コロンブスの虐殺は正しかったんだ』といった感想を持つ人は観測できなかったので、MVが存在することによる直接的な問題というのはない(あるいはあったとしても非常に距離がある)ように思える。
一方で明確な問題点として題材の調査不足による表現としての拙さ、表現としての伝わりづらさなどの作品として不出来な部分があることは事実であって、それらへの批判的な意見は十分に成り立つしアーティストや製作会社にとっても有益となりえる意見だろう。
令和6年現在、SNSで批判的な意見が噴き上がるだけで表現はいとも簡単にキャンセルされる。批判的な意見を述べることと表現をキャンセルすること、本来まったく異なる行為は同じ意味を持ちつつある。またこれはSNSだけの問題ではなく、企業側がSNS時代に対応出来ていないことで批判に対して過激な反応を起こしてしまうことや、距離が近くなったことを利用して気に入らない表現をキャンセルしようとする一部界隈の問題も含んでいる。(後者に関しては鶏と卵という感じもする)
またこの現象は否定派にとっては「正当な批判を行っただけ」肯定派にとっては「表現をキャンセルされた」という認識の違いを生み出し更なる分断の原因にもなっている。このボタンの掛け違いがある以上、議論は一生平行線なのでまずはお互いの立場を認識した上で議論を進める必要がある。
近年のキャンセルカルチャの問題について憂慮する気持ちは非常に共感できる。一方で批判的な意見もまた守るべき表現であり、長期的に見てよりよい表現を育てるために必要な物だろう。
また今回のMVのように表現の意図にまで踏み込んだ話をするのであれば、批判的な意見に対してもそれが「作品の不出来な箇所を指摘する」目的なのか、単に「気に入らない表現をキャンセルしたい」のかという意図についても検討する必要があると思う。
既に述べたが批判的な意見もまた重要な表現であって、健全な表現を守るために必要な物だ。
しかし芸能人のSNS炎上による自死問題の際にも散々話題になったことだが、正当な批判も数が集まれば暴力になり得る。何か思うことがあったとしても『既に十分に話題として騒がれていたら言及を控える』、『悪意によらず過失や無知による行いであればトーンを弱める』などの配慮は当然に必要になってくる時代だし、それらを欠いて正当な批判をしただけと主張するのはナイーブがすぎる。
批判とキャンセルは距離が近づきすぎて区別がつきづらくなっているが、本来は異なる物であるべき
肯定派と否定派はそれぞれ批判としての観点、キャンセルとしての観点から事態を観察しており根本的にボタンの掛け違いがある
それぞれが今自分がどの立場から発言していて、また相手側の立場からどう見えているのか自覚的し、節度をもったインターネットの利用が求められる
大体は真っ当かどうかとかより批判の声の大きさかあるいは重大さで判断してると思う。
コカコーラはアメリカが大きなシェアなので、当然アメリカ人の不興を買うようなことは排除する方向に動くのは自然なことだろうと思う。
よく言われることだけど、倫理と経済は別物だというところにこういったキャンセルカルチャーの危うさがある。
そんで意図なんかあんま関係なくて、人はそう見えたものをそう見えた通りに叩くので、そう見えた時点で大体負けっていうのも、それがどんなにおかしくてもあることなんだよな…とは思う。