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はてなキーワード: 当事者とは

2023-08-01

anond:20230801232618

対照用にdeepLの画面で対訳見ながら編集した翻訳和文原稿も吊っておく (deepLが誤解する場所とか主語を補ったりしないとちゃんとした訳にならんのよ)

ここは原文からニュアンス変えすぎでは等の突っ込みも甘んじて受ける。

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「例の件」に関して、彼らは当事者でもなければ長崎の生まれでも広島の生まれでもないのに語るべきだろうか、という書き込みを目にして、少し自覚したのでどうしても言わねばならないことを言う。俺は長崎の生まれ被爆三世当事者たちから直接話を聞かされて育ったから言う。俺程度がおこがましいという気持ちはあるけれど、当事者ほとんど残っていないから俺が言う。

長崎ではガキどもは原爆の話を聞かされて育つ。クーラー扇風機もない真夏小学校体育館に一時間近くも寿司詰めにされて、原爆の話を聞かされた。俺にはそれが辛い時間だった。話をする年寄りもっと辛かったと思うが、小学生のガキにはそんな想像ができるはずもないし、俺だってずいぶん聞かされた話をほとんど忘れてしまった。思い出せるのは精々ひとつかふたつだ。もうひとつ辛いことがある。毎年この時期になると、廊下にはずらりと、他所地域ならPTA発狂するようなグロ画像が堂々と貼り出される。最近は、原爆資料館ももうずいぶん漂白され、観覧者がトラウマを抱くような過激で恐ろしい展示は多くが撤去されたと聞く。なので、今も続いているかは知らないが、俺の頃はそこに展示されていた。

小学生の頃の俺にはどうしても直視できない写真が一枚あった。谷口稜曄さんの写真だ。検索すれば出てくる。閲覧注意のショッキング写真だが、それでもどうか見てほしい。どうしてもその写真掲示された廊下を通れなくて、その時期はいだって校舎の別の階を遠回りして、写真が目に入らないよう逃げ出していた。

今は、妹を探すために焼け跡に向かった俺の祖父は、目を背けることも別の道を通ることもできなかったんだなと思う。写真どころか、まだ生きて呻きを上げる人間が山ほどいただろうし、苦しみの果てに事切れた人間もっと山ほどいただろう。彼は瓦礫だらけの長崎の狭い道を、handcartを曳いて何キロも何キロも歩いて、妹を捜し歩いた。当時の祖父子供じゃなかったが、当然それと似たような事をしたこどもたちも居た。居ただろうじゃない。居た。俺はその話を本人から聞いたし今も覚えている。幼い兄弟が焼け跡から自分の親父の死体を見つけて、兄弟がそれを焼いた話。薪が足りなくて親父の遺体が十分に焼けず、零れ出た生焼けの脳ミソを見て逃げ出して、それが今生の別れになってしまった話。

俺はガキの頃に聞いたその話をいつまで経っても忘れることが出来ないし、今だって辛くて苦しくて、手が震えて涙を出している。どうしてあの親父の脳ミソから逃げた爺さんは、想像もできないほど恐ろしいトラウマを、一生治らない傷痕をほじくり返して人目に晒すことが出来たのだろうかとずっと思っている。

今は少しだけわかる気がする。

俺が自分トラウマをほじくり返してでも祖父やあの爺さんの話をせずにいられないのは、彼らの言葉が忘れ去られることに比べれば、この程度の苦しみなど何でもないからだ。俺の手が震えて動悸や眩暈と共に涙や鼻水に塗れることなど、かつて確かにあった途方もない苦しみがなかったことにされるのに比べれば何でもないからだ。

からひょっとしたら同じなのかもしれないとも思う。

俺には想像もできないほどの地獄を味わった祖父は、孫が産まれるまで生き、焼け跡で妹の死に目にも会えた。つまり祖父はあの焼け跡で、誰よりも幸福人間のひとりだった。祖父やあの爺さんは結局のところ、地獄の淵をさまよっていた人間に過ぎないのだ。俺には想像もできないほどの苦痛を味わった人間でさえ想像もできないほどの苦しみが、78年前の長崎には石ころのように転がっていて、誰にも顧みられなかったのだと思う。俺には想像もできない彼らの苦しみは、彼らが目にした無数の途方もない苦しみがなかったことにされるのに比べれば、何でもないことなのだ。

記憶は人に語られる度にどうしようもなく薄れていく。あの人たちが忘れられることをどうしても許せなかった記憶も、もうほとんど忘れ去られている。78年前の途方もない苦しみはもうほとんどが消え去って、二度とは語り継ぐことはできない。あの原爆で最も苦しんだ人たちは、それを誰に伝えることも出来ないまま焼け跡で腐れ落ちて死んだ。それを自分の目で見た人々も、多くは口をつぐんで墓まで持って行った。僅かに語った人々もほとんどが今や墓の下にいる。

老人たちの言葉と比べて、自分言葉は何と軽いのだと思う。こんな軽い言葉で語るくらいなら、口をつぐんだ方がマシだとさえ思う。それでも誰かが継がねばならない。俺のこんなにも軽い言葉でさえ、もはやこの世に残された原爆を語り継ぐ声の上澄みなのだと気が付いた。自分のような存在がこれを語ることが許されるだろうかと思う気持ちは痛いほど良く分かる。それでも口を閉ざさないでほしい。語るべきでないと、我々が口を閉ざした結果があれなのだ

想像もできない苦しみを想像することを止め、他者の苦しみを面白おかしく消費して生きていくことを、俺は時々選んでしまいそうになる。俺がもう声も顔も、言葉さえろくに思い出せない老人たちの、せめて苦しみの想像が残っているうちに、ここに書き残しておく。

翻訳者注記: このポストは、日本のある投稿者が「自分広島長崎出身でもないのに原爆に関する言論について発言する資格があるだろうか」と悩みながら、それでもバービー原爆の件について発言した投稿に対する返答である世界に読まれ価値があると考えここに翻訳した。

anond:20230801165708

当事者が辛かったっていうのは当然だよね?でも広島もも当事者ってほぼいないよ

しろ今の広島にとって原爆観光資源であって恩恵を受けてる側だよ

anond:20230801144949

お前が住んでるとこに落とされて当事者になれたらいいね

バービーの件に関してどうしても語らなければならない諸々の事

例の件に関して、当事者でもなければ長崎の生まれでも広島の生まれでもない人間がどうこう、という書き込みを目にして、少し自覚したのでどうしても言わねばならないことを言う。

俺は長崎の生まれ被爆三世当事者たちから直接話を聞かされて育ったから言う。

俺程度がおこがましいという気持ちはあるけれど、当事者ほとんど残っていないから俺が言う。

長崎ではガキどもは原爆の話を聞かされて育つ。クーラーどころか扇風機もない真夏小学校体育館に一時間近くも寿司詰めにされて、原爆の話を聞かされた。俺はとにかくそれが辛かった。

話をする年寄りもっと辛かったと思うが、小学生のガキにはそんな想像ができるはずもないし、俺だってずいぶん聞かされた話をほとんど忘れてしまった。思い出せるのは精々ひとつかふたつだ。

もうひとう、この時期になると廊下にはずらりと、他所地域ならPTA発狂するようなグロ画像が堂々と貼り出される。原爆資料館ももうずいぶん漂白され、観覧者がトラウマを抱くような過激で恐ろしい展示は多くが撤去されたと聞くので、今はどうかは知らないが俺の頃はそうだった。

小学生の頃の俺にはどうしても直視できない写真が一枚あった。谷口稜曄さんの写真だ。検索すれば出てくる。閲覧注意のショッキング写真だが、それでもどうか見てほしい。

どうしてもその写真掲示された廊下を通れなくて、その時期はいだって別の階を遠回りして、写真が目に入らないよう逃げ出していた。

今は、妹を探すために焼け跡に向かった俺の爺さんは、目を背けることも別の道を通ることもできなかったんだなと思う。

写真どころか、まだ生きて呻きを上げる人間が山ほどいただろうし、苦しみの果てに事切れた人間もっと山ほどいただろう。

瓦礫だらけの長崎の狭い道を、リアカーを曳いて何キロも何キロも歩いて、妹を捜し歩いた。

当時の祖父子供じゃなかったはずだが、当然それと似たような事をした小学生も居た。居ただろうじゃない。居た。俺はその話を本人から聞いたし今も覚えている。

幼い兄弟が焼け跡から自分の親父の死体を見つけて、自分たちで焼いた話。薪が足りなくて親父が生焼けになってしまって、零れ出た生焼けの脳ミソを見て逃げ出して、それが今生の別れになってしまった話。

俺はガキの頃に聞いたその話をいつまで経っても忘れることが出来ないし、今だって辛くて苦しくて、手が震えて涙を出している。

どうしてあの親父の脳ミソから逃げた爺さんは、想像もできないほど恐ろしいトラウマを、一生治らない傷痕をほじくり返して人目に晒すことが出来たのだろうかとずっと思っている。

今は少しだけわかる気がする。

俺が自分トラウマをほじくり返してでも祖父やあの爺さんの話をせずにいられないのは、彼らの言葉が忘れ去られることに比べれば、この程度の苦しみなど何でもないからだ。

俺の手が震えて動悸や眩暈と共に涙や鼻水に塗れることなど、かつて確かにあった途方もない苦しみがなかったことにされるのに比べれば何でもないからだ。

からひょっとしたら同じなのかもしれないとも思う。

俺には想像もできないほどの地獄を味わった祖父は、孫が産まれるまで生き、焼け跡で妹の死に目にも会えた。

まり祖父はあの焼け跡で、誰よりも幸福人間のひとりだった。

祖父やあの爺さんは結局のところ、地獄の淵をさまよっていた人間に過ぎないのだ。

俺には想像もできないほどの苦痛を味わった人間でさえ想像もできないほどの苦しみが、78年前の長崎には石ころのように転がっていて、誰にも顧みられなかったのだと思う。

俺には想像もできない彼らの苦しみは、彼らが目にした無数の途方もない苦しみがなかったことにされるのに比べれば何でもないことなのだ。

記憶は人の口を経る度にどうしようもなく薄れていく。あの人たちが忘れられることをどうしても許せなかった記憶ももほとんど忘れ去られている。

78年前の途方もない苦しみはもうほとんどが消え去って、二度とは語り継ぐことはできない。

あの原爆で最も苦しんだ人たちは、それを誰に伝えることも出来ないまま焼け跡で腐れ落ちて死んだ。

それを自分の目で見た人々も、多くは口をつぐんで墓まで持って行った。僅かに語った人々もほとんどが墓の下だ。

老人たちの言葉と比べて、自分言葉は何と軽いのだと思う。こんな軽い言葉で語るくらいなら、口をつぐんだ方がマシだとさえ思う。

それでも誰かが継がねばならない。俺のこんなにも軽い言葉でさえ、もはやこの世に残された原爆を語り継ぐ声の上澄みなのだと気が付いた。

自分ときがと思う気持ちは痛いほど良く分かる。それでも口を閉ざさないでほしい。語るべきでないと、口を閉ざした結果があれなのだ

想像もできない苦しみを想像することを止め、他者の苦しみを面白おかしく消費して生きていくことを、俺は時々選んでしまいそうになる。

俺がもう声も顔も、言葉さえろくに思い出せない老人たちの、せめて苦しみの想像が残っているうちに、ここに書き残しておく。

anond:20230731165055

バービー炎上で気づいた

アンフェって自分意見とか何も無くて  

何か起きた時にフェミがどう動くか見てからその逆張りしてるだけなんだな  

アンフェの大半って反リベラル自民支持層愛国保守層と被ってるけど  

原爆茶化した当事者には何の怒りも向けずに「フェミニストは◯◯で〜」みたいな話ばっかしてるもんな  

俺はアンフェだけど日本を愛する者としてこういう表現は許せない!みたいに言ってる奴1人もいない  

表現不自由展で天皇焼かれてた時にあんなに怒ってた奴らどこ行ったんだよ

バービー炎上で気づいた

アンフェって自分意見とか何も無くて  

何か起きた時にフェミがどう動くか見てからその逆張りしてるだけなんだな  

アンフェの大半って反リベラル自民支持層愛国保守層と被ってるけど  

原爆茶化した当事者には何の怒りも向けずに「フェミニストは◯◯で〜」みたいな話ばっかしてるもんな  

俺はアンフェだけど日本を愛する者としてこういう表現は許せない!みたいに言ってる奴1人もいない  

表現不自由展で天皇焼かれてた時にあんなに怒ってた奴らどこ行ったんだよ

もう当事者でもないし原爆ネタで憤る人間なんて実際は少ないはずなのにTwitterだとやたらいるあたりプロ市民っぽいのが混じってんだなって

2023-07-31

anond:20230731205405

ホンマそれな

権利主張してばっかの奴らうぜー!

なんて言ってるくせにいざ自分達が当事者になるとギャーギャー騒ぐ

元々心が狭いか権利を主張する人達にも厳しいんだろなあ

2023-07-30

anond:20230730121115

全く間違っている。強盗の例えでいうと、強盗が悪いのに店長が悲しい気もちをぶつけてくるのが問題なのであって、「君にぶつけてるだけ」では解決になってない。強盗が悪いのになぜ悪くない自分文句を言われなければならないのか。

強盗が悪いとか言っているのって世間一般の話で合って、当事者の話ではない。店長からすると、強盗が悪かろうが何だろうが金品を取られたら困るのだから強盗に入られないように治安の良い場所に店を構えるなり、入られても警察をすぐ呼べるようにしておくなり、とにかく自分が損しないように対策しておかなければならない。自分が困ることは自分が悪い。

バイトからしても、「強盗が悪い」で結論付けずに、自分店長八つ当たりされて困るのであれば、店長八つ当たりされないようにまともなバイト先を探すなり自分対策しなければならない。バイトにとっても、自分が困ることは自分責任である。注意が必要なのはバイトがいなくなって店長が困るかもしれない…なんてことを考える必要はないことだ。もしバイトがいなくなって店長が困るのであれば、店長八つ当たりをやめればよい。店長が困らないようにする忖度などバイトはやらなくていい。他人の損は自分責任ではない。

元増田のような奴が「泥沼思考から抜け出すには、他人から責任なすりつけられていることに気づくことが大事だ。

anond:20230730060410

この話に出てくるおっさんおばさんも、これに反発してるはてなーも、年代的には「衰退させてきた当事者であるのに、まるで部外者みたいに評論するからムカつくんだよな。せめて衰退の加担者の顔をしろ

2023-07-29

NHKBS問題がなぜあまり取り上げられないのかわからない

世間ビッグモーターの話ばかりだけど、タイトル事件のほうがよっぽど本来大事件なのが世間に伝わってないのおかしい気がする

ビッグモーターのやったことは、保険不正受給消費者として当事者になるのは、ビッグモーター自分の車を扱ってもらってた人たちだけど、NHKの件は国民の大半が当事者なのだぞ?

具体的にやってたことをまとめると、

経営者数人で法律で認められていない事業に9億使おうとした」

これ、つまり

会社経営者法律違反した(つまり会社ぐるみ法律違反した)

国民の大半が払った金を法律違反のために使おうとした

・使う理由自分たちのリスク回避というあまりにも利己的な使い道

こんなこと、普通会社がしたどうなるか、自分会社の偉い人がこれやったらどうなるか、普通社会人なら理解できるよね?

なんでみんな騒がないの?

anond:20230729111352

役所が使える制度を向こうから教えてくれることは老人介護以外では殆どないと聞く。使える制度について発信している当事者家族福祉職・心理職をSNSフォローすると有用情報があるかも。もうやってたらごめん

anond:20230729115406

そりゃ当事者が苦しいって声上げたらなんでも苦しいわけだから

朝田理論で言ったら

福祉課に駆け込んできた

兄が反社会性パーソナリティ障害だとおもうんだけど、警察のお世話になるレベルではなく、家庭内暴力を繰り返し、金銭要求してくるレベルADHD傾向があって、衝動的でキレやすい。計画性のある行動ができない。いわゆるグレーゾーン

母がもう歳なので、この暴れん坊を世話することも限界がきている。

自分が引き継ぐなんてまっぴらごめんなので、地域福祉課に電話して助けを求めた。

話を聞いてくれるということで、直接話してきたんだけど、結果からいえば、何も解決できなかった。

担当者は、ちゃん心理カウンセリング勉強をしているとすぐにわかった。否定もせず肯定もせず、熱心に聞いているようで、共感は示さない。

自分も、兄の様子は子供の頃からおかしいと思ってたので、精神医学に関することは軽く調べているので、兄がなんらかの発達障害パーソナリティ障害の傾向があるということは確信している。反社会的な行動に関しての良心の呵責がまったく見られない。反社会性パーソナリティ障害可能性は高いと思う。

福祉課に助けて欲しいと言っても埒があかないとおもったので、嘱託制度を利用して精神科医にも相談をお願いした。

この精神科医がまたひどかった。

「それは性格から問題ではない」と言った。いやいや、トラブル起こしてて困ってるといってんだろと。暴力と金トラブルがあって、人権定義されるところの、財産権侵害と、身の安全を脅かす行為をやってますよと。

社会の中で問題を起こす「性格であるから、それを「障害」と定義しているんじゃないのかよと。

その後も、その精神科医は、妙に揚げ足取りをしてきたり、こっちを疑うような姿勢でずっと対応してきた。

その精神科医が何を考えていたかはわからないが、自分はもう最初から福祉につなげないために嫌がらせして追い払うのが目的で来ているとそう感じた。

福祉課の人間は、あいかわらず否定肯定もせず、話は聞いているが助けの手を差し伸べることは決してなく、こちらが諦めて帰るのをずっとまっていると感じた。

時間をとって話を聞いてもらえたので感謝はしつつ、失意を絶望を感じながら相談を終了した。

 

終わってからその相談を反復しながら色々考える。

こういう、トラブルを抱えている人と、それに巻き込まれてる人を助けようと思う人なんていないのが当たり前だ。

それがたとえ福祉課のケースワーカーでも、精神科医でもそうだ。問題をこっち持ってくんなと考えるのが自然だ。

相手こちらを、不審者、嘘つき、妄想に囚われた精神疾患者、甘えん坊である可能から探りに来る。これも精神的にきつい。まず信じてもらえない。

グレーゾーンはその存在証明も難しい。こっちも頭が良いわけでもないので、自分が抱えている困難を、短時間で人にちゃんと伝えることも難しい。

これは無理ゲーだなとおもった。

当事者は結局自己解決する知恵と体力と金必要になる。しかし、困窮している人間はだいたいこの条件は揃わない。結局そうやって、自殺するか殺人するかって解決方法へ辿り着いてしまう。

今回はこの手のトラブル当事者になってみて、問題解決の困難さ、福祉警察ポンコツさがよくわかった。ポンコツというのもよくないか

 

今の頭の中はやっぱり、兄の命を絶つことでしか問題解決できないという結論になり、いやいやそれはダメに決まってるだろう葛藤している。

この思考を繰り返せば、精神的に限界を迎え、頭がおかしくなり、自分が命を絶つというなんとも無意味解決方法にたどり着くことも何と無く想像できる。

たとえそうなっても、当事者の外側の人はなにも困らない。頭のおかし社会に害のある人間と、無害だけど社会的無価値空気人間が二人社会から消えるだけだ。

外側の人間にとってメリットしかない。

トラブル抱えた人間は、こっちくんなと追い払って追い詰めていったほうが社会的に合理的選択だ。そして、当事者にとって殺人行為を行うことも合理的選択に思えてくる。

そう考えると、過去に起こった殺人事件などは頭のおかしい人、精神的に弱い人が起こすのではなく、理知的合理的選択だったのではないかと思ったのである

追記

みんな関心持ってくれてありがとう。もうちょっと戦えるような気がするよ。

コブメと言及見て少し補足する。

福祉課にやって欲しかったのは、事例と経験を多く持ってるはずだから、この先どうしたらいいのか指導が欲しかった。だから否定されまくって絶望デカかった。

・母は痴呆が始まっていて移転が難しいと感じていることと、もう母も心が折られていて諦めちゃってるところがある。暴力による学習性無気力とかカサンドラ症候群とかの状態

自分はもう別世帯になっているが、母が老齢で兄の世話が限界にきているので、自分が介入している。ほっとくとネグレクトになると予想してるから福祉相談にいった。

・兄は精神科へはいかない。暴れている本人は全く困ってないから。これも一部のパーソナリティ障害のやっかいさの特徴。

警察に突き出すのは、出所後悪い友人を作ってきたり、職につけなくなったり、状況が悪化する可能性があって躊躇してる。家族であるがために戻ってくる。母が縁を切りたがらない。

自分一人なら逃げる気まんまんで、母をどうするかという問題がある。

・診断名がつくと、俺のような不審者たわごとじゃなくて権威言葉になるから、各専門家を説得しやすくなるメリットガある。

匿名じゃないとなかなか相談できない。リアルだとみんな巻き込まれないと逃げていく。俺の人間関係も壊れてしまう。

精神科医否定ばかりで選択肢をガンガン潰していくのには驚いたし、絶望もしたけど、こうやってたくさんの意見がもらえて、不可逆な決断をするまえにいろいろ検討することができるよ。

増田社会福祉だと思います

映画バービー』を見た一部の男性発狂している

ジェンダー論が好きなはてなーは興味あるんじゃないかと思ったため紹介する。

8月11日日本で公開される映画バービー』が、アメリカの一部男性の中で波紋を呼んでいる。

(核心を突くネタバレはないけど色々言及あるので、まっさら気持ちで視聴したい人はブラウザバックしてください。)

バービーランド― そこはすべてが完璧で、毎日ハッピーな〈夢〉のような世界

ピンクに彩られた世界で暮らす住人は皆が“バービー”であり皆が“ケン”と呼ばれている。そこでバービー恋人ケンが連日繰り広げるのはパーティードライブサーフィンデート

そんな完璧毎日が続くバービーランドからある日ふたりは、完璧とは程遠い“人間世界”(リアルワールド)に迷い込んでしまう……。

この映画は概ね好評だ。

同時期に公開された『オッペンハイマー』の売り上げを上回っており、それなりにバズっていると思われる。

(↓500万いいねされた動画

https://www.tiktok.com/@its.julien.brown/video/7255724744698268954

しかし、映画を視聴した一部の男性的外れ批判をしており、物議を醸している。

その多くが保守的男性であると言われている。

代表的なのがアメリカ人のコメンテーター(39歳男性)で、『バービー』の批評動画でなんとバービー人形を燃やした。

炎上商法を利用しているとはいえ子供おもちゃであるバービーをわざわざ購入してドロドロになるまで燃やしたのだ。

https://www.youtube.com/watch?v=kC4aFx2xiTM

私も映画は未視聴のため想像に過ぎないが、保守的男性の反感を買っている理由として、

バービーランドジェンダーバイアスから解放された女性が自立して生活できる理想郷のため、「必ずしも男性必要ない」もしくは「家父長制は不要」といったニュアンスを含む描写があることが原因だと思われる。

TikTokでもいろんな感想が飛び交っており、保守的男性意見反論する投稿が多い。

一部の男性意見と、その反論はこうだ。


映画を通じて、思っていたより男性は「女性への抑圧」に対してかなり無関心・無自覚なことが分かった。

また、バービーランド現実世界の違いを「男性嫌悪」でまとめる浅はかさに頭を抱えている。

その上、女性に「必ずしも男性必要ない」と思われると自分存在価値ゼロに感じてしまうような歪んだ価値観普段から持っているらしく、価値観を改めないとこの映画を楽しめないことにそもそも気づいていない。

保守的男性意見反論するにあたって、「ジェンダーバイアス」がよく取り上げられる。

女性を古いジェンダーバイアスから解放させると自分価値ゼロになって困ることを、当事者たちは言語化できていない(もしくはあえて言わない)のだ。

一方で、映画からジェンダーバイアスを取り除くための指標の一つとしてベクデルテストというものがある。以下の項目に当てはまるかチェックするだけだ。

 1.少なくとも2名、女性が出てくる。

 2.互いに会話をする。

 3.話題男性以外のものである

このテスト合格する映画は56%に留まっているそうだ。

映画業界の男女比率作品内容にも左右されるので、ベクデルテスト絶対!というわけではないが、4割の映画は「女性男性の添え物」的な表現がある可能性が高いということだ。

すなわち、女性フィクション作品の中ですら抑圧されやすい性なのだ

一部男性発狂している中、とある女性が19歳の息子に「ケンについてどう思った?」と聞いたところ「これまでの映画女性役割女性=添え物)を表しているように感じた」と返したそう。

これまでの世代を直すことは難しいけど、これから世代が『バービー』を理解できたら、きっと未来は明るい。そう思った。

白人黒人アジア人も、細い人も太い人も、トランス女性も、みんなみんなバービー

男性も、古き男らしさから解放された方がハッピー

現実でもそれが当たり前になることを願っている人が、この映画を支持しているのであろう。

まともな男性の割合は数十年前と比べたら増えていそうだが、まだまだだなと思う今日この頃

面白いかどうか、好きかどうかはさておき、『バービー』が視聴者に伝えたいことを理解できる男性日本に沢山いることを願う。

そしてどうか、保守的男性によって炎上しませんように。


話は逸れるが、主役のバービーを演じている役者すっぴん画像投稿し「彼女10点満点中5点だ」と外見を評価したツイート炎上した。

https://www.insider.com/tiktok-leads-backlash-to-men-calling-margot-robbie-looks-mid-2023-7

このように女性の外見だけを見て点数をつける男性がいるのは世界共通であり、彼らは insecure men (自分に自信がない男性陣)と呼ばれている。

また、このツイートに対して「あえて美人すぎない女性バービーに起用したんだろう」と投稿した人もついでに炎上した。

2023-07-28

正直弱者男性フェミニスト自己憐憫サイクルって凄く似てるよね

自分が恵まれていないのは社会のせい(認知の歪み)

社会に対して過剰な要求をし始め、身内で褒め合う

当事者の横暴な要求に対して世間は拒絶

自分たちは差別されているという感情を抱き、ますます思想固執する

anond:20230728111726

当事者問題ではあるけど社会問題でもある

社会問題に興味が無さ過ぎるとcommon sense やright stuffとは何かすらわからなくなっていく

社会に対する極端に無関心な姿勢偏差値が高いゆえの行動と認識してしまうのはIQが低い

anond:20230727215246

ハッタショ当事者だけど、なるはやで診てもらったほうがいいぞ

周りとの違いを自覚し始めて、「なんで自分は周りと同じようにできないんだろう」と思い始めたら地獄の始まり

anond:20230727094703

「周りの友達も皆同じ感想」と言う事だけど、ツイでちょっと検索したら皆好意的で「より好きになった」とか言ってたけどね。

多分増田みたいに会場まで行くガチヲタではなく、既に他の推しがメインになってたりとかグループ箱推しみたいな人達なのかもだけど。

事実久しぶりにメンバー勢揃いした事に一番沸いてそうだったし)

これがジャニーズだと増田みたいな当事者ヲタよりも、同じグループの他メンヲタ、他グループヲタがギャーギャー騒いで炎上するんだろうなw

でもAAAって他のメンバーもそれぞれ起業家みたいな感じにはなってるよね。

2023-07-27

男は別名保存、女は上書き保存、まじでわからん

恋愛語りで10年くらい流行ってる、「過去恋愛は男はファイルで別名保存、女は上書き保存」のことが、女当事者としてまじでわからん

上記説に共感者が多すぎて私がおかしいのかとすら思う。

いくら恋人が替わっても、過去恋愛写真大事な思い出だから全部残すし

当時の恋人が撮ってくれた私の写真動画は、愛する人に向けた笑顔とか、状況の幸せに溢れてて我ながらめちゃくちゃ可愛い顔してるから

現在恋人にも、昔の私!って言って見せちゃうピン写真なら。

から別れて全部消すとか理解できない。

過去の男に連絡も数年に1回はしてしまう。基本的には1人が大好きな私は、恋人関係になるくらいの相手だと趣味や嗜好が非常に合って楽しかたからわざわざ交際して一緒にいたわけで、久しぶりに会ってもやっぱり楽しい。会ってない期間の積もった話も楽しい。そして少し邪な気持ちもあるから、やれるもんならやる。それはよくないけど。

1番の問題は、やっぱり、現在恋人がどれだけ大好きでも

過去に最高に愛してて今でもより戻せるもんなら戻したいと思ってる人がいること。

現実的には今の恋人とおそらくこのまま結婚するし、そうしたいと願ってるけど、別名保存してるから、たぶんこのまま過去の男たちと不定期なやり取りはする。

こういう思考学生時代にみんな終わってるのかな。

それとも、隠してるの?

[] そのななひゃくさんじゅうろく

フィーッス

 

本日日本において政治を考える日、スイカの日ニキビケアの日となっております

政治を考える日は田中角栄ロッキード事件逮捕された日を由来にしてます

金を積んで礼儀さえ重んじていれば何とかなった時代の奴ですね。

今は積む金も礼儀すらもどこ吹く風でございます

いやまぁそんなことないと言いたいのですけれど、つい最近あんな会見を見ましたからね。

金があっても、礼儀がないならどうしようもないんです。

何より、金がないのなら礼儀ぐらいは見せつけなきゃ誰もそんな人の下では動きたくないんです。

当事者たちはどういう感覚かはよくわかんねえですけどね。

俺ならこんなのの下で働くのはこんなのに馬鹿にされてるみたいで嫌だなぁと思ってしまます、ほぼ無職みたいな人が言うのも変な話ですが。

まぁ、やってきたことがエグすぎるからやめようとしたら何されるかわかんない、って言われたらそれまでです。

 

ということで本日は【元気な挨拶いか】でいきたいと思います

元気な挨拶いか!元気な挨拶ヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

2023-07-26

発達障害自閉症メンヘラ認知度があがったと同時に人格破綻者には何でも「発達障害?」ってコメントつくようになったよなあ

漫画ネグレクトをしていた母親描写に「発達障害知的障害だ」ってコメントがあってそしてそれに大量のいいねがつく

干渉毒親描写に「統合失調症」って診断名つけてる人もいたりな(こっちもいいねがつく)

嫌悪感を持つ登場人物は全部障害持ち、病気持ち認定って当事者に物凄い失礼だと思うんだけど何で漫画コメント欄をつけるようになったんだろうな

ニュースコメント欄なら返信で異論が出ていたりするけど漫画コメント欄って承認欲求の塊の0:00コメントいいねを攫うから、ただの差別意識丸出しコメントが上の方にバーンと乗ってるんだよなー

オッペンハイマー』を見た感想

当方ヨーロッパ某国にいるので、先日クリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』を視聴することができた。

同日公開だった方向性の全く違う『バービー』との造語ミームになるなど、英語圏を中心に話題になっているが、『オッペンハイマー』は原爆開発のマンハッタン計画を指揮した物理学者の伝記映画であるため、日本での公開は未定であるという(しか8月が近いこの時期なので)。

本稿では、映画を観て思った感想を徒然に書いてみたい。

ネタバレ等は気にしないで書くので、情報を入れないで視聴したい向きは注意されたい。

複雑な映画である

この映画では、3つの時間が並列で進む。

戦中の原爆開発まで、戦後赤狩りによるオッペンハイマーの失脚、さらにその後のストラウス(オッペンハイマーへの個人的因縁から裏で糸を引いた人物)の議会公聴会だ。

人間関係は多層的で、時間経過とともに関係も変質する。

また、最初マンハッタン計画までを除けば、基本的法廷である

当方英語リスニングに慣れているとは思うが、聞き逃した事柄もあった。日本語字幕で見ればこの苦労は少なかったかもしれない。

さらに3時間と長い。劇場結構混んでいたが、途中で携帯を見たり同伴者と話したりするガキ共もいた。

原爆の扱いを巡って

映画的なクライマックスは、一応ロスアラモスでの原爆の爆発実験に置かれており、中盤に訪れる。

これによってオッペンハイマープロメテウスとなり、世界に滅亡をもたらす「死」となる。

オッペンハイマーはこの後苦悩し、戦後水爆開発に反対し、それが戦後公職追放の憂き目を見る仇となる。

日本人として気になる広島長崎描写は、直接行うことは避けられている。

しかし、罪の意識に苛まれ主人公が投下後にロスアラモスの職員を前に演説する際、喜びを口にしドイツに落としてやりたかった(オッペンハイマーユダヤ人)と盛り上げながらも、皮膚がポロポロと崩れ落ちる幻影を見せる(これは『はだしのゲン』での描写が思わず想起された)、職員向けの広島視察報告会で残虐な写真想像させるリアクションを演じさせる、という程度は行っている。

また、アメリカ軍原爆投下地を選定する際、

などと軽い調子で話し合う場面は生々しい。

僕は被爆出身ではないし、広島高校修学旅行で一度訪れた程度なのだが、上述の演説中のフラッシュバックの場面では、被爆者が受けた残酷な苦悩を思い、思わず涙がこぼれた。

これはアメリカ人が憎いとかどうのという話ではなく、(戦後も含めた)歴史という大きな対象個人との対比に心が動いたという話と言えようか。

あとちょっと思ったのは、爆発前のカウントダウンAVJOIみたいな効果がある。

個人的営為の究極であるAV鑑賞と、大衆娯楽にする装置であった映画館での映画観賞との接続は興味深い。

アメリカ合衆国暴力映画

アメリカ合衆国原罪のようなものも、映画に盛り込まれている。

まず、ロスアラモ研究所を作った砂漠原住民土地であり、オッペンハイマー自身戦後インディアンに返せと言う台詞がある。

原住民から取り上げて作った研究員居住空間は、まるで西部劇舞台である

ガランとした土埃舞う道、左右に並ぶ木製の建物

妻がシーツを取り込む場面はフォードにありそうだし、ロスアラモスに引っ越してきたオッペンハイマーの妻はサルーンがあれば完璧ねと言う台詞もある。

事程左様に西部劇的な舞台が用意されるが、アメリカ合衆国西部劇で描いてきた神話や、その自警的な暴力性と法による支配との相克は、これまで様々な映画で繰り返し取り上げられてきた主題である

この映画でも、原爆を無事作り終えて職員に肩車されるオッペンハイマーの背景には、星条旗がはためく。

アメリカ合衆国原理的に持つ暴力性を描いているのだろう。

科学者戦争協力

自明テーマであるが、見逃すことはできない。

オッペンハイマーナチズムへの反発からアメリカ軍原爆開発をリードする役目を引き受けた。

科学政治関係というテーマは、コロナ禍での専門知の活用学術アカデミー問題、そして2011年原発事故など、日本でも問題になってきた。

現代的でアクチュアルテーマを扱う映画である

共産主義科学資本主義

この映画テーマはもちろん原爆というプロメテウスの火である現代的なテーマである

しかし今一度思い返してみると、科学共産主義資本主義関係にも踏み込まれているのではないかと思う。

科学の進展と共産主義は切っても切れない関係にある。ソ連科学推し進め、オッペンハイマーマルクス主義科学的社会主義)に興味を持つなど、科学者共産主義楽園が訪れるのではないかと期待した。

しか共産党による独裁となったソ連崩壊し、その混乱を収めたプーチンウクライナに核の脅しをかけている。

では資本主義勝利かと言えば、その限界が指摘されて久しい。アメリカ合衆国共産主義への恐怖から赤狩りを進める。さら戦争に勝つために原爆まで作ってしまった当事者である

この映画は、冒頭で述べたように3分の2が赤狩りに関するものである

原爆映画ではあるのだが、共産主義科学に関する映画と考えることもできよう。

日本で公開すべきか・できるか

3時間という長尺の映画であるが、これだけ多様で重層的なテーマを盛り込み、商業作品にしたクリストファー・ノーラン製作チームの意欲は素晴らしい。

しかし、あくまでもアメリカ国内の話であるという感じもする。ソ連、そしてヨーロッパ中国の動向も薄い。

そして日本では、まずもって娯楽作品ではないから、商業成功は見込めるのかは分からない。

さら原爆開発に対する反発も大きいだろう。被爆者が親類にいる訳でもない私でも涙がこぼれたので、当然のことだと思う。

しかし、重く重要主題を扱う映画ではあると思うので、公開の判断がなされて多くの人が視聴する文化的土壌に期待したい。

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