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はてなキーワード: 命題とは

2021-05-13

anond:20210512045724

> この文章哲学的に書きました

真逆

哲学は「思考論理的可視化」であり、「解明すること」が命題なので、人にとって読み取り方が違う可能性がある文章哲学的検知から許されない

2021-05-12

anond:20210511212805

この命題のものは、相手がどうとか関係ないよね。まず他人の嫌がることはやめましょうって、シンプルな話で。

キモい」を使い続ける奴は、ヘイター扱いされて構わないって覚悟を持ってやれよ。俺の差別は綺麗な差別とか正当化すんな。

2021-05-07

anond:20210507112734

難しい命題かのようにアホなこと書くの流行ってるの?

2021-05-01

自分が好きなものマイナーものカテゴライズされる傾向は偶然にしろかにあるんだろう

逆に言うなら、自分が好きとか面白いと思うものは売れない、疫病神みたいな傾向もあるのかもしれない

そういえば、庵野氏も似たこと言ってたけど、売れるものを作るのが命題だと精神的にキツいかもしれない

自分反吐が出るほど嫌いでも世間で売れるなら、というのはモチベーションとしては社畜サラリーマンと変わらない

面白さを感じる力点をずらすとか変える必要があると思う

例えば、作品自体には愛はないけど、制作スタイルとかワークフローを構築したいとか、

視点を変えることで選択権のない仕事を少しでも面白くすることはできるように思う

そういえば、自分なりのジンクスとしては、

例えばクトゥルーネタを持ってくると売れない、みたいなのがあったけど、

ニャル子で確実にそれは覆された感はある…

え?ニャル子はメジャーではない?

だとすると、それはそれで残念な気もするが、

まあ、ニャル子がクトゥルーネタかと言われるとちと疑問で、

それよりも平成ライダーとかガンダムではなかったか?という気がしなくもない

クトゥルーネタだと売れないジンクスは、どちらかと言うと映画の話であって、

サム・ライミキャプテン・スーパーマーケットもその前作も、

ネクロノミコン名前だけ使われているような感じだし、

そもそもクトゥルーの呼び声のモノクロ映画はショボいし、

ダンウィッチの怪は酷い出来だったし、

ちゃん映像化すればミストが近いと自分は思っているので、

最近CGなりでダンウィッチの怪をやってもいいような気がするんだけど、

まあ、大筋が古典的怪談というのは否めないんだよなあ

そのバックグラウンドというかスターシステムみたいなのが面白いわけだけど

ダゴン映画も売れたんだろうか

日本インスマスを覆う影と異なる脚色で、アクションなりエロなりを盛り込めたと思うけど、

あれはあれで、なんか長くない?という気がしないでもなかった

そう考えると、やはりインスマス佐野史郎のあれがベストであって、

あれを観たのは自分まだ子供で親戚の家に泊まっていたのだけど、

周囲からすれば迷惑だっただろうけど、テレビの前でワクテカして待機してたのを覚えてる

ネットはまだなかった気がするのだけど、

インスマステレビでやるという事前情報だけはキャッチしていた子供だった

佐野史郎インスマスとか怪奇路線は本人も大好物のはずで、幻想文学が好きなはずだけど、

他人評価されたのはまず冬彦さんだったと思う

あの怪演で、ドラマ現実区別が付かない視聴者から

佐野史郎本人までバッシングされたぐらいだったように記憶している

冬彦さんブームというか、宅八郎宮崎勤のような偏見差別マスコミも醸成してた気がする

彼としては単にプロ根性だったんだろうけど

と、発達障害らしく話が脱線しまくったわけだが、

結論としては売れる話とクトゥルーネタがまったく相容れないというか水と油なだけなのかもしれない

鬼滅の敵が邪神だったとしても、邪神圧倒的に無敵だし、

ラブロマンスな話を考えるとしても、彼女が半魚人とか、不死の恋人が登場するとか、そんな感じだろうか

そもそもラヴクラフト縛りみたいなのが足枷になっては良くない気もする

いずれにせよ、基本どうやったってホラーになるんだよなあ

そして、ホラー基本的に大ヒットはしない…

2021-04-24

anond:20210424154039

それは〈裏〉ですね。

命題

・悪そうな奴ならば→だいたい友達である(p→q)

について

・良さそうな奴ならば→だいたい疎遠である

は(非p→非q)です。

対偶は(非q→非p)なので

・疎遠ならば→だいたい良さそうな奴である

になります

2021-04-19

anond:20210419185204

そしてそのブドウ糖原料となる栄養である糖類はたいてい甘いので

砂糖を甘いのやめろという理由でアウトにするならブドウ糖果糖デンプン(唾液で即座に麦芽糖ができる)もアウト

はい脳捨ててでなおしてきて

ちなみに甘くない糖類や甘くても人工甘味料(一部のアミノ酸も含む)ではブドウ糖が生成できないよ

そのために味覚が発達したんだから

味覚に甘みをもたらす食品禁止するというのはそういうことだろ?

覚悟もなくてやってたの?


そういう理屈なら初めからそう言えば?としか

細胞ブドウ糖しか栄養にできないんでまず脳で考えるのをやめてもらうことになりますがよろしいですか

細胞ブドウ糖しか栄養にできない ならば まず脳で考えるのをやめてもらうことになります

この命題の中に増田の書いた理屈↓が省略されてるのを読み手想像させるのは無理でしょ。つーか俺は無理だわ。

そのりくつはおかしい と言って差し支えないレベルと思うし、控えめに言っても、論理が飛躍している。

そしてそのブドウ糖原料となる栄養である糖類はたいてい甘いので

砂糖を甘いのやめろという理由でアウトにするならブドウ糖果糖デンプン(唾液で即座に麦芽糖ができる)もアウト

はい脳捨ててでなおしてきて

ちなみに甘くない糖類や甘くても人工甘味料(一部のアミノ酸も含む)ではブドウ糖が生成できないよ

そのために味覚が発達したんだから

味覚に甘みをもたらす食品禁止するというのはそういうことだろ?

しかもそれだけの理屈を並べても、こちらの理屈への返答としてはいひとつだし。なぜ「そして」できれいにつながると思ってるのか謎。

2021-04-08

命題:「成功する人は、努力している」・・・正しい

対偶:「努力しない人は、成功しない」・・・正しい

 

逆:「努力する人は、成功する」・・・とは限らない

裏:「成功しない人は、努力していない」・・・とは限らない

論理学ってすごい!!すごくない!?

2021-04-04

anond:20210404152543

詭弁というのは、

詭弁(詭辯、きべん、希: σοφιστική、英: sophism)とは、主に説得を目的として、命題証明の際に、実際には誤っている論理展開が用いられている推論。誤っていることを正しいと思わせるように仕向けた議論。奇弁、危弁とも。意図的ではない誤謬は異なる概念

だそうです。

詭弁であると指摘した時点で、中身について議論必要なくなりそうなのは分かりますか?「誤っていること」というのは、「ただしくない」「まちがいだ」という意味です。

頑張って国語勉強してください。応援してます

2021-04-03

増田及びはてブコメに送る解像度高めのアンチフェミ弱者男性(KKO)

https://anond.hatelabo.jp/20210403004144

 

丁度良いタイミングはてブにこんな記事トピックに入っていたので追記的なものをば。

 

フェミニズム叩き」「女性叩き」で溜飲を下げても、決して「幸せにはなれない」理由

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/81804

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/gendai.ismedia.jp/articles/-/81804

  

まずはっきり言っておきたいのは「アンチフェミ非モテ」ではないということ。

 

どちらもフェミニズムフェミニスト)を批判すると言う部分があるので同一視されがちではあるけれども、前者は前回述べた通りフェミニズムフェミニスト)による保守的な抑圧行動に対する批判であるのに対して後者自分に獲得されることを許さな女性及びそれを肯定するフェミニズムへの批判なのだ

 

何年か前にエマ・ワトソンが男らしさというジェンダーロールに押しつぶされる弱者男性ジェンダーロールに囚われないでという言及したことがあった。それに対してそんな事言っておまえはイケメンと付合ってるじゃねえかという批判をしていた人達が居た。私もこの件をまとめたTogetter記事コメ欄でそういう輩とさんざんやり合ったのだけれども今にして思えばアレが弱者男性KKO)論者だったのだろう(当時から弱者男性KKOと言う言葉流通していたかは覚えがないけれども)。

  

当時何故彼らはそんなにも女性を獲得することを自己命題としているのだろうと思ったものだけれども、昨今の弱者男性論の盛り上がりを見るにうっすらと理解できるようになった。彼らは強者男性というジェンダーによってフェミニズム的に批判されるにもかかわらず実際に強者男性としての利益(女、金)を得ていない、つまり強者男性という枠組みの中で人並みに満たないものであるという自認があるから殊更それに拘り追い求めるのだ。

 

そして自分男性利益を得ていない自分達を強者男性として糺弾するフェミニズムを憎みそれに同調して利益を得ている女性をも憎むのである

2021-04-01

anond:20210401083740

個人の選好の問題じゃないよ

総体的に男女の収入が同等になることと、総体的女性上昇婚をかなえるということは両立しないって命題だよ

2021-03-26

anond:20210326201635

キラキラネーム→頭悪い」を全称命題と読んだので、その意図がなければよいです。内容が内容だけに相関であれば統計学だけど、全称命題だとすると差別スティグマになる命題なので。

古風と頭悪いは対偶ですらないので全く意味ないっすね。

anond:20210326195045

ん?

「俺古風で普通名前だけど頭悪い」は特称命題でしょ。

それに省略して「キラキラネーム→頭悪い」とは書いたが、全称命題として書いたつもりはないし、相関の前提の話だったよね。

相関の話としても、そんな反例出したってしょうがないよ、って話。

anond:20210326194624

それ全称命題っていうんだけど一例でも反証出された時点で否定されるから止めた方がいいよ。有名だけど森鴎外の子供たちで反証される。

あくまで主張できるのは相関。

2021-03-25

はてな自称リベラル勢、理念捨てすぎでは?

選択夫婦別姓や「呉座先生事件」関連のエントリブックマークコメントをみつつ連想したこと

呉座先生個別失言は、まあ擁護は難しいしするつもりもないが、リベラル自称する界隈の先鋭化が気になってしょうがない昨今。

最も気になるのは、保守派の主張を全面的に不合理なものとしてバッサリいく態度。

多様性尊重社会的公正の基礎はどこいったんやと。

一見不合理かもしれんけど、保守思想というのはそもそも現状維持が基本姿勢で、その背景は「経験歴史尊重」「人間理性に対する懐疑」にあると思ってる。

これ自体リベラル根底にある理性の信奉と根っこでは矛盾しないはずで、「歴史に耐えた制度にはなんらかの合理性があるはず」と考える態度は、科学的に見ても「合理的」でしょうに。

まあ政治思想理念的な背景は明るくないのでこれくらいにしとく。

リベラル勢に聞いてみたいのは、

例えば選択夫婦別姓が成った後に、一族天皇制といった概念希薄化し、日本民族性文化愛する人々が少数派になったとき、彼らをどう扱うつもりなのか、ということ。

そこまで来てからマイノリティとして手厚く遇するの?

他者自由を阻害しない範囲思想信条自由尊重されるべしというのが、リベラルの基本理念だと思うんだけど、マイノリティになってから初めて尊重します、っておかしくね?

現状において支配的な思想信条が、女性性的少数者自由侵害しているという主張はわかるし、それを解消すべく制度設計を行いましょうというのもわかる。

でも、「現状の戸籍や姓・婚姻制度にも機能利益があるはずで、性急な改革伝統文化を損なう可能性がある」という反論をバッサリシャットアウトするのはダメだ。

現状の被害者と同レベルとまではいかずとも、理解を示して妥協点を探るべきでしょう。

少なくともその伝統を拠り所にしている人々がいて、あなたがたは、かれらを「少数派」にしうる政策を支持しようとしているんだから

想定問答をあげておくと、

選択的なんだから問題ないだろう」というのがまず返ってくる反応だろうけど、保守派は「文化伝統」を問題にしているのであって、選択肢が発生すること自体に対するデメリット危惧している訳だから

その反論相手文意を読むつもりがないと言わざるを得ない。

「姓が別になった程度で文化は損なわれない」という反論もありえる。ここは保守側の仮定なので一定妥当である。「文化」の定義カバーする範囲が広すぎるので合理的説明が難しい。

でも、自分祖父祖母世代とのコミュニケーションから保守派の心情を勝手に代弁するなら、もう彼らは相当に妥協しているし戦線を後退している。

日本文化米国文化に塗りつぶされ、最後の一点で耐えている」という世界観現代高齢者世代は持っている。

(親父がネトウヨにいつのまにか傾倒していたなんて話がよくあるが、それもこの流れの一旦だと思うし、呉座先生高齢者ではないが歴史学者としてこういう流れに影響を受けていそうな気がしている)

彼らの世界観からすれば、今も米国文化によるマイルド同化政策は続いているし、それは一面では事実でもあるだろう。

かれらの青春時代にはリベラルなんて影も形も無かっただろうし、「家を継ぐことが至高命題」として育てられた彼らが、生きているうちにここまで世界が変わるなんて思いもしなかっただろう。

それは同情すべきこと・尊重すべきことではないのか?

日本文化もできるだけ維持し継承します、そのうえでみんなが活躍できる社会にしていこうとしてるんです」と、言い方だけでも寄り添ってあげようよ、という主張は、トーンポリシングとして糾弾されるべきことなのか?

自分自身は、ムラ社会の嫌な面を経験してきているので、家を継ぐべしというような思想は消えていいと思っている。

一方で、ムラ社会最後世代になるであろうジジババが寂し気に「私は親にそう教育され家を守ってきたしそれを誇りに思ってきた、子に受け継ぎ家を守りたかったがもうあきらめている」と語るのを聞くにつけ、かれらに「わきまえたマイノリティ」の像を重ねることもある。

(まあかれら自身保守政党に投票するだろうが、世代が変わればいずれムラ社会解体されるだろう)

ムラ社会総論として害が大きいと思っているが、それでも私の原風景は「田舎のばーちゃんちでジジババに載せてもらったトラクターからみた風景」であり、自分はそれを享受しながら、自分の子世代にそれを残せないことの寂しさや後ろめたさも感じている。

なんというか、そういう対抗派閥に対する共感配慮なしに、一方的断罪する論調は、先鋭化が行き過ぎているし、リベラル根底に置く理念矛盾していると思う次第。

二乗して0になる実数は0だけ」をどう証明するか

https://www.ajimatics.com/entry/2021/03/22/174633

これについていたブコメ

id:versatile実数の中には、「2乗して0になる数」というのは0しかありません」の証明ってどうやるの?

が、ちょっと面白い問題だったので参戦。

メタブを見に行ったら、そういう数が存在した場合は逆数をとると矛盾が引き起こせるよっていうスマート背理法が書かれてたんだけど、これはかなり危うい議論に見える。

というのも、その議論は0でない実数は必ず逆数が取れるよねっていう前提を所与のものとして扱っているわけで、じゃあその「0でない実数は必ず逆数がとれる」って命題はどうやって証明するのという話になる。

そんなの当たり前の話じゃないかと感じられるかもしれないが、我々の証明しようとしている「二乗して0になる数は0以外にない」という命題も同程度には当たり前のことであって、つまりこれは当たり前から当たり前を示す、基礎論的なところの問題なのである

こういう議論では、話の土台が何より重要で、よく知られた性質の中でもどれは使っていいのか、どれは使ってはいけないのか良く整理してから始めなければいけない。

なぜなら証明済みの性質を贅沢に使って基礎的な部分を証明してしまうと、その元の議論のほうの前提に実は今証明している命題が間接的に入っているんだよということになりかねない。

これは循環論法になってしまう。

から、「当たり前のものを示す時」には、議論が「逆流」しないか十分気にする必要がある。

で今回の問題が具体的にどう引っかかっているかと言うと、実数には有理数という土台があって、有理数整数という土台から作られている。

ここでもし、「二乗すると0になる0でない数a」が【整数の中に】含まれていると、有理数上で、(1/a)*(1/a)の答えが定義できなくなってしまう。

そうなるとそもそも有理数上の掛け算の定義が壊れているということなので、実数構成どころの話じゃない。

まりこの掲題の疑問は有理数に掛け算構造を与える際にこそ気にすべき問題なのである

逆数という概念は掛け算の成立後にようやく有効になる話であって、その前段階にあるはずのこの疑問に対して逆数の性質を使ってしまうのは若干論点先取というか、真芯を外している回答のように思う。

もちろん実数の話であるからには土台にある有理数基本的性質所与のものであるという考え方も間違いではないけれど、それはこの疑問の「心」が見えていないんじゃないかな。

で実際どうやって証明すべきかというと、まずは上述のように【整数で】この性質を示すべき。

もっと言うと整数の土台には自然数(ここでは0を含む)があるので自然数上で非0×非0が非0になることを示す。

そうして得られた性質整数有理数実数へと順々に拡張していく。こういう流れになる。

自然数上での証明は、0でない自然数には前者関数Preが適用できることを用いて、

a*b=a*Pre(b)+a≧a>0

という感じで示せる。(もちろんもっと厳密にやるけどね)

整数自然数コピーを貼り合わせてできている。自然数上での非0×非0=非0という性質から整数上でも容易にそれが示される。

有理数整数分子分母のペアに約分という同一視を入れてできている。ここでも整数上の非0×非0=非0の性質簡単有理数上に拡張できる。

最後実数は、有理数無限数列を極限の考え方で同一視してできるので、有理数上の性質をうまく実数上にも持ってくることができる。

概要だけざっくりだけどこれを組み立てれば疑問への回答になると思う。

道筋だけ最後まで立てられることがわかったら途端に興味を失うやつ)

追記

文章が長ったらしくて申し訳ないけど、やっぱ伝わってないね…。

前半部は、「当たり前のことを証明する時には当たり前の前提を無批判に使っちゃいけない」ってことを言ったつもり。

ブコメで貰ってる「両辺をaで割って〜」っていうようなのも、実は割り算の存在無意識に前提とされているけど、零因子があるかないかっていうのは【割り算の構成のためにこそ】必要な話なんだ。

から「割り算というもの存在する」って無邪気に考えることすらもこういう問題では危険だよと言いたかった。

零因子がないことを証明→よかった、これで割り算が「上手く定義」できるぞ→逆数も定義できるぞ

という話なんで、第一段階の証明のところで割り算の存在を前提にしては議論が逆流してしまうのです。

2021-03-20

波とうまく付き合うことに関する雑記

さて、今年度の7月適応障害と診断を受けてから8ヶ月の時間が経ちました。

この8ヶ月の中での変化や、心や気持ち環境との対峙の仕方などについて書いてみたいと思います文脈崩壊したり、段落のつながりが見えなかったりしたら、ごめんなさい。

【読んでくれると嬉しいなーという人】

自分の心の状態と向き合っている方

自分と関わりのあるお友達

1、診断の効用と注意点

自己理解・波と付き合うための方法を身につける

診断が下ったことで、自身状態が外部のストレス環境に大きく依存するということがわかりました。環境によって波は大きくなったり小さくなったりしますが、そういった波とうまく付き合っていくための方法を獲得できました。もちろん、まだまだ未獲得だったり、未学習な部分も多いですが。

(これについてはあとで詳しく書きますね)

②「自責をしないためのラベル

一度自身精神的にきつい状態を認めて病院に行き、診断をもらうということは、”病理”の世界に立ち入るということなのだと思います

そうなったときに、一点不安だったことが、自分アイデンティティの根っこを「病気」に持っていかれるのではないかということでした。つまり病気だ」というラベル自分自身につけて剥がせなくなるということです。これはメリットデメリットもあることだと思います

例えば、症状がひどかった当時は、診断書かばんに入れて持ち歩いたりしていました。おそらく当時を振り返るに、自責傾向の強い自身にとっては、「自分病気だ」とラベルを貼ることが唯一自分を責めないための手段だったのだろうと思います。「がんばらないと自分価値がない」という精神シャカリキから、「もうがんばらなくてもいいんだ」という気持ちへ、診断を機にやっと切り替えることができた感じですね。診断の力はすごいです。

また、適応障害を機に、調べたり本を読んだりすることで、自分認知がかなり歪んでいるということにも気づくことができました。(「認知の歪み」は過去記事にもある通り、去年の7月に「みんな私のことが嫌いなんじゃないか」などの考えのことですが、これは日常のささいな他人言動を捉えるときにも適応されるので、取り組むことは一定重要課題だと思います)。これは一朝一夕では解消されないので、なかなか苦労していますが、長期的に改善できるといいなと思います

③別の病気への移行

適応障害ストレス環境により症状が出てしまうという一過性のものなので、ストレス環境から身を離せば、症状がなくなります。ただし、うつ病(恒常的な)だったり双極性障害にも移行するということもあり、ちょこっと注意しなきゃいけないな…と思っています

この移行は、診断をきっかけに起こることなのかわからないですし、ごく個人的な所感なのですが。あまり病識が強くなりすぎた場合に、「ほかの病気のこの側面も自分状態にあてはまるんじゃないか…」と強く思いすぎることにより、自分不安定な状態を強化していく…というサイクルに入るんじゃないかなと思います。ここについては、ちょっと個人的に思うところもあるので、また別の記事に機会を見てまとめます

2、波とうまく付き合うためのあれこれ

感情を記録する

「muute」というアプリを用いて感情とその日にあった出来事を記録しています。記録することでよかったことはまだよくわからないけれども、2ヶ月くらいやってみた所感として「気分がいい時には記録つけない」「気分が落ちすぎていても記録つけられない」ということ、軽くしんどい時には記録を取れます。記録を見返すことで、「何がきっかけで落ちることが多いのか」を把握することができます。あと、アプリデザインかわいい。そして、毎週AIからの「ニュースレター」が届くのが嬉しい。

もうちょっと重めの出来事を整理するのために「認知行動療法アプリ」というアプリを入れています。これは割とがっつりと書かなきゃいけなかったり、アプリデザインあんまりかわいくなかったりするので、個人的には使いにくいなーと思うんですが、ちゃんとやれるならよいと思う。私は一度だけ、先月末に仕事であった出来事を振り返るために使いましたが、頓挫しました。認知行動療法を一人でやりきるのは、結構エネルギーがいるので、信頼できる人と一緒にやれるといいかもです。だれか一緒にやろう。

依存先について

どっかの大学熊谷先生は「依存先を増やせ」ということを常々から言っていますが、その通りです。依存できる場所分散し、相談の内容もそれぞれに分けられると超ベスト。これは相手のためでもあるし、自分のためでもあります

ざっとあげると、「母親」「病院」「社内の相談窓口(キャリアセンターこころ相談センターなど)」「仕事の同僚」「退職した元同僚」「パートナー」「知人」「元劇団の人たち」などかな。大学とか会社とかなんらかの組織に属している人は、組織リソースガンガン使った方がいいです。これ読んでいる人に学生さんがいたら、とりあえず健康センターとか保健室とか、なんでもいいから、お茶しばきに行く感覚で軽めのノリで一度はいっとくことをおすすめします。相談ハードルを元気なときに下げておくことも大事です。

個人的な話に戻ると、最近は友人との接触頻度を増やすことに意識を向けています。例えば、「ゲームやるだけの仲間」に入れてもらったり、過去大学の友人に気軽に話せる場(「mocri」というアプリ)を持ったり、「〇〇の会」と称してエネルギーのある時には知人を家に呼んだりしています(例、「私たちのためのバレンタインの会」など)。対面で会うのは結構エネルギーいるから、そのときにはオンライン手段もまぜこぜにしながら、ぼちぼちね。

あと、予定の管理がなかなかできないので(当日体調が悪くなったり、コンディションが悪くなるということが結構ある)、気の知れた人には「波が読めないので、当日連絡するか、遊びをやってることだけ教えてもらえたら当日調子がよければ行く」というふうに事情をつけて話しています

③過敏さとの向き合い方

今「HSP」なんて言葉が大流行しており、書店での平積みも凄いことになってますが、「過敏さといかに向き合うか」という命題は、特性によりけりでしょうが、「すぐ疲れちゃう」と感じている方にとっては、とても大事です。情報の取り込みすぎは、疲れちゃうから制限しながらね。私の方法を載せておきます

【音】

音への過敏傾向のために「耳栓」はマストです。トイレキッチン換気扇冷蔵庫の「ブォーン」という音が気になった時には情報取り込みすぎのサインだと思っています

最近耳栓が役に立ったのは、水族館イルカショーに行った時でした。意図せずスピーカーの真ん前に席を陣取ってしまい、生の音に触れた時には頭が割れるかと思ったので、よいしょとつけました、危機回避成功。あとは最近電車ですね、地下鉄JR快速は要注意。窓が開いていて大変に脳みそに音が突き刺さってくるのでイヤホンもしくは耳栓マストです。

【光】

これは入社当時から苦労していたのですが、白熱電球が大の苦手でして。白熱電球の下にいるだけで、パフォーマンスが低下することがわかっています。だから、なるべく太陽光を取り込んだり、廊下の光だけで部屋の中は電気を消したりと、いろいろ工夫をしています。前の教室とかだと「電気ついてるけど消そうか?」とか「窓のある部屋がいいですよね」とか、スタッフみんなが配慮してくれました。感覚はひとそれぞれだからしんどいときにはちゃんと言えることが大事です。ちょっと勇気いるけど。

睡眠

ストレスサインとして「悪夢」と「途中覚醒」は念頭に入れておいていますキャパティを超えるストレスを受けた時って、交感神経優位な状態睡眠に入ってしまうことが多いので。交感神経鎮めてから入眠する(お風呂に入ったり、湯たんぽ使う)などがベストですが、極度に疲労しているとそれもできにくいと思うので、お薬の相談もできるといいかなと思っています自分はまだ眠剤使用していないですが、場合によっては。

【教えて】

スマホとの距離感は、今試行錯誤です。依存気味なので、いい方法あったら知りたいです。

【その他】

鬱の状態とき衝動性は怖いなとも思うんですが、早く通り過ぎるものに吸い込まれるってのは、本当にあるのね。だからホームの端っこにはいかない」「赤信号の時には道路のキワに立たない」ことは普段から意識をしたいものだなって思います

3、最後

新年度が始まり社会人4年目になる4月に向けて、近況報告がてら書いてみたいという思いで書き始めましたが、波と付き合うための手立てやアウトプットできることがなかなか増えていて、自分でも感心しました。

こないだ見た映画で「いいなあ、君は私とは別れられるけど、私は私とは別れられないんだよ」というセリフがあって、「あーその通りだなー」ってぼんやりと思ったんですよね。そうそう、別れられないなら仲良くする方法を探すしかないのです。死ぬ勇気もないので生きるしかないんですが、穏やかに生きられるための方法環境をゆるゆる作っていきたいものです。

2021-03-19

anond:20210319164627

ちょい待てや。「有能なら勉強ぐらいできる」が命題なんやから勉強できへん有能が勉強できたらもっとすごいやん」みたいなのは論点をずらしとるんちゃうんか。おおん?

2021-03-13

anond:20210313163154

差別していない人間はいない。なら差別してもいい。

なんの論理にもなってなくね。

差別していいかいか」という命題とは関係ない話をしてるんだわ。

その「あってはならないからあり得ないんだ!」という思考典型的誤謬なんだよな。

平衡系の熱力学は近似的に成り立つこともあるけど宇宙が熱的に死ぬまではほとんど全ては非平衡なんだわ。

2021-03-11

IT系会社面接で迂闊にゲーム作ってる系の話をする奴は問答無用で落とされるのは常識なのだ

↓はおそらく盛山直太朗なんだけど、実際にゲーム関係のない職種ゲーム作ったことがあることを嬉々として話始めたら相手営業であれエンジニアであれ「よかったね、バイバイ」ってなるの、みんなわかっとらんのか…?

https://togetter.com/li/1680197

増田らは実際そういう香具師面談に来たらどう思うよ。

ゲーム系を作ってる会社面談なら分かるよ。そうでない会社IT部門として、

・まず面談を受けに来ている会社にどれだけ興味と関係性があるのかをアピールしろ

命題とする中で「ゲーム」がどれだけ関係性のあるものなのか。開発技術者面談にしても求められるスキルセットや方針に対して「ゲーム」マッチングすることは極めて少ないぜ?

2021-03-10

anond:20210310092810

考察をするならば大人でない」または「大人なら考察しない」という命題を真だと思える根拠がよくわからん

もしかして考察って楽しいからやってるんじゃなくてそれによって何らか「救われる」とマジで思ってやってた人たちがいるってことなのか?

それか「生活のこと以外で頭を使わないのが大人」という命題を真だとしている?

2021-03-09

科学判断」という言葉に何とも言えない気持ち悪さを感じる。

調べてみると、論理学における「judgement」の訳語として「判断」という言葉を使うこともあるらしい。まあそう言われると納得もする。

しかしここで言う「判断=judgement」とは、「命題の真偽を判定する」ことを指すのであって、決して「今後の戦略の選定」を指しているのではない。

その意味では、少なくとも「ワクチンの接種を推奨する」ことは「科学判断」ではない。(念のため、私個人ワクチン接種推奨派である。)

ワクチン接種は生存率を高める手段として有効である」までが「科学判断」であり、「だからワクチン接種を推奨する」以降は「政治的判断である

科学判断」という言葉を好んで用いる人々が、そこを区別できているようには思えない。


このような重箱の隅を突くような議論を持ち出すと、「ワクチン反対派に味方するのか!」と言われそうだが、そうではない。(もう一度言うが、私個人ワクチン接種推奨派である。)

この例に関しては、科学判断の後にシンプルな「功利主義」を援用すれば「ワクチンの接種を推奨する」という「正しい」結論が導かれるから、たしかに細かいことを気にする必要はないかもしれない。

しかし、そうではない場面は世の中にたくさんあるだろう。

例えば、ある特定人種犯罪検挙率が有意に高いという動かぬ事実を前にして、あなたはどのように「判断」するだろうか?

ここでの「科学判断」とは、「ある特定人種犯罪検挙率が有意に高い」までである

そこから安易に「だから特定人種排除してもよい」と「判断」することは、いわゆる経済的差別と呼ばれるものである

科学的」という言葉を、「政治的」に流用してはいけない。短期的には都合がよくとも、長期的には副作用が大きすぎる。

科学科学のまま、政治とは不干渉でなければならない。

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