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はてなキーワード: 作為的とは

2014-10-23

橋下徹vs桜井誠についての所感

 橋下徹桜井誠の約7分にわたる「意見交換」へと感想はさまざまあるが、どれもしっくりこない。

在特会意見を聞いていないという反応

言論の自由】「橋下vs桜井意見交換会を見て[桜H26/10/22]https://www.youtube.com/watch?v=vu0fpCZikIk&list=UU_39VhpzPZyOVrXUeWv04Zg

 まずは「論外」という反応から見ていく。

 この動画で言ってることは結局「橋下は桜井誠の「在日特権」についての主張を聞かなかった」ということにまとめられる。そもそも問題となっているのは「ヘイトスピーチ」についてである在日韓国人朝鮮人侮辱して、憎悪を煽る言動についての意見交換なのであって、「在日特権」について意見交換をする場ではなかったということを確認する必要がある。よって、私はこの種の意見を「論外」である評価している。

 てか、もともとチャンネル桜は、桜井誠を世に出したメディアでもあるんだから(途中で喧嘩別れにしたにせよ)、その辺をちゃんと清算すべきだよね。水島総氏は「ヘイトスピーチ情報謀略戦において不利に働く」と様々なところで、さかしらに言っているけれども、ようは「保守がみんな在特会みたく見えるようにつくられてしまうからやめろ」って言ってるだけである水島氏のこうした発言ヘイトスピーチへの本質的批判には程遠い。「自分に不利になるからやめろ」と言ってるだけだから

 あと、「在特会アンチ在特会平等規制する法律をつくらなければアンフェア」だと動画で述べているが、この点に関しても詭弁があることを述べ添えておく。問題となっているのは「ヘイトスピーチである。「ヘイトスピーチ」とは、特定人種国籍に対して差別を煽るような憎悪表現であるアンチ在特会にそのような発言は、明示的には存在しないはずだ。(アンチ在特会も「ヘイト」だ、という意見をよく聞くけれども、ヘイトスピーチについての基本的知識がないのだな、とそのたびに私は思っている)

橋下と在特会どっちもどっちという反応

 中道左派に多い意見だと思う。おそらく国民の多くは、桜井氏の下品さに嫌悪感をもよおし、橋下氏の「公人」としての振る舞いに疑問点を抱いたことだろう。

 橋下氏の発言には、たしか同意できない部分がある。例えば「本当に政治的主張を行いたいなら選挙に出ろ」といった類のことだ。これは彼が昔から言ってたことだが意味不明デモ活動は立派な政治的活動であり、直接に法整備を行うわけではないにせよ、国民意識を変えていくことで、ひいては国会にも影響を与えうるものであるから、立派な政治的活動である。こんなことは、グラムシヘゲモニー論を引用するまでもなく常識で考えれば分かることだ。

 こうした疑問点は様々あるにせよ、今回の橋下の綿密な行動に私は驚嘆した、というのが感想であった。橋下氏自身も述べていることではあるが、彼の行動はきわめて計画的であったとリアルタイムで見ていて感じた。彼はなかなか感情的には流されない人間であり、冷徹人間性を見せる。そもそも桜井氏の今回の言動くらいで激昂して理性をなくしてしまう男ではない。「帰れ帰れ」という言葉もおそらくはじめから用意したものであっただろう。というのも、在特会が常々言っていた「朝鮮人半島に帰れ」という言葉模倣して、桜井氏個人に突きつけるという手法を橋下氏はとっているのだと私は理解しているかであるそれから、より政治的に言えば、「ヘイトスピーチ」を行う人間公人が思いっき面罵した、という点も評価できる。ヘイトスピーチを行うものはこのように扱われても仕方がない、と世に流布した功績は大きい。

 他方、桜井氏の行動について。彼の「激昂」も半分以上は作為的・演技的であっただろう。そもそも彼の「激昂」それ自体が演技的であるのだから、当然と言えば当然なのだから仕方あるまい(この点については「ネットと愛国」における西村修平桜井誠出会いについての記述を参照いただきたい)。しかし、彼の「激昂」は、残念ながら、その容姿・恰好からしても、多くの国民賛同を得られるものではない。クレーマーのものである。多くの国民は彼の言動に不愉快を覚えたことだろう。

 桜井は自著がAmazonで一位になったことを喜んでいるが、それはあくま一過性のものだと私は考えている。動物園にいるチンパンジーを見たがる好奇心以上のものではない。二三年の視点から見れば、この会談が自分に大きな打撃を与えるだろうことから目を背けているに過ぎない。

 なお、こうした人物評にまどわされずに、あの場にいて、どちらかに組せねばならぬ、という当事者視点から見れば、100人中99人は橋下につくのではないかと思う。第三者的視点だけではなく、こうした当事者意識を持ってみることは様々なコンフリクトを見つめてみる上ではきわめて重要なことだろう。

 したがって、「どっちもどっち論」に対して私は違和感を覚えている。

「やっぱり私は桜井誠より橋下徹の方がはるかに嫌いだ。」

 外山恒一ツイッターで「やっぱり私は桜井誠より橋下徹の方がはるかに嫌いだ。」と述べている。

https://twitter.com/toyamakoichi/status/524541443637919745

https://twitter.com/toyamakoichi/status/524558184594173954

https://twitter.com/toyamakoichi/status/524577760044277760

 言葉数が少ないのでその真意は測りかねるが、外山氏らしい発言だと私は受け取った。外山氏は、世の中でヘイトスピーチ批判的になってきたのを見計うかのように、反ヘイトスピーチを大上段から罵る「パフォーマンス」をおこなう橋下氏の「したたかさ」に不愉快を覚えるのだろう。私は全力で同意をしたいと思った。それにしても、「橋下徹か、桜井誠か」という二者択一を迫られるような事案が出てくるとは、やはり悲しい出来事であるだろう。

ヘイトスピーチと法

 法的にヘイトスピーチについて見てみたい。まだ日本にはヘイトスピーチ規制する法律はなく、日本国憲法第21条における「表現の自由」に抵触しないかどうかという慎重論も上がっている。しかしながら、これは国内法だけではなく国際法にも目を向ける必要がある。日本批准している人種差別撤廃条約だ。この条約は、「京都朝鮮学校公園占用抗議事件」の民事訴訟においても注目されたことで記憶に新しい。京都地裁は「我が国裁判所に対し、人種差別撤廃条約2条1項及び6条から、同条約の定めに適合する法の解釈適用義務づけられる」と述べ、大阪高裁も支持している。司法によって国際法の直接適応を受けるのには、立法府のだらしなさを私は思う所である。同条約4条1項では「人種的優越又は憎悪に基づく思想のあらゆる流布、人種差別扇動、いかなる人種若しくは皮膚の色若しくは種族的出身を異にする人の集団に対するものであるかを問わずすべての暴力行為又はその行為扇動及び人種主義に基づく活動に対する資金援助を含むいかなる援助の提供も、法律で除伐すべき犯罪であることを宣言すること」を締約国に求めている。しかしながら、日本1996年正式批准してからもう20年近く経とうとしているのに、いまだに「表現の自由」を盾にして足踏みしているのは情けない。憲法98条2項に基づき、早く法整備を行うべきである

在日特権

 「在日特権」について最後一言

 日本国において日本人以上に「特権」をもっている人は存在しない、というのが私の意見である。もし日本人以上の特権在日の人が持っているのだとすれば、具体的に教えていただきたい。

 なお、私的には、むしろ竹田特権」を告発したい。竹田恒泰のことである。彼は慶應大学憲法学講師をしていたというが、通常ではありえない「特権」がなければ、とても彼は講師になれる人間ではない。彼は修士号も持っていないし、学部時代憲法学をおさめていたわけでもない。学術論文も一つもない。なぜそのような人間大学で「憲法」の講師をすることができたのだろうか。これは「特権」以外の何ものでもないだろう。「特権」という言葉はこのように使うのである

2014-05-15

人生意味を本気で考えだしたとき人生の終わりなんだよ」

人生意味を本気で考えだしたとき人生の終わりなんだよ」彼は言った。フライドポテトをつまむ手と、唇には油がこびりついている。そして続ける。

「それに気づいてしまった奴は一人残らず死んでる。具体的にはマンションの4Fから飛び降りてる」

太宰治とか?芥川さんとか?」私は尋ねた。

「いいや。それも違うね。一般論すぎるね。本物はもっと早い。もっと早くに人生意味を考え、小説はおろか、遺書1つ残さず死んでるんだ」

「でもね、生きている人だって沢山いるわ。そんなこと考えたこともない子も沢山。現に私がそう」

「そういう人は天才だよ。生まれながらの天才だよ…嫌そうな顔しないでくれよ。皮肉を言ってるんじゃない。僕はね、人生テーマパークだと思っている。待ち時間と食事の代金が高いことを気にしなければ、楽しいことだらけさ。適度な刺激と、そして最近になって遊具安全性が見直されたんだ。ほとんど死ぬことがない。そんな遊園地には奇妙なルールがある。それは裏側を見てはいけないんだ。例えば着ぐるみのファスナーを探したり。アトラクションの裏で巨大な機械が轟音を立てているのを見たり。そういうのを見てしまうと、決して元には戻れない。絶望して、観覧車てっぺんから飛び降りしか無くなるのさ」

「そこには救いがないの?一度気づいてしまったらもう戻れないのね?」

「救いはもちろんあるさ。それは簡単ことさ。ハリボテも、ファスナーの奥のおっさんも含めて世界だと認めることさ。そして僕らの世界は確かに作為的な、人工的なものによって作られていると知ることなんだ。その不完全な世界を、許してあげることさ」

2014-05-13

App Storeの不自然コメント

ツムツムというのが気になってApp Store見たら、似たようなレビューコメントが妙に連続していて作為的ものを感じて遊ぶ気失せた。

2014-03-18

モテるためのファッションと本当にいいファッションは違う

男性ファッション女性ファッションは大きく性質が異なる。

女性男性ファッションなんて理解していない。

にも関わらず99%の女性女性ファッションの知識を男性ファッション適用して、おもいっき勘違いをしている。

そんな女性たちにモテたければ、本当にいい服を着る必要なんてない。

「いい服」というのは、いい生地を使って、カッティングや縫製にこだわって作られている服ということだ。流行に合っているかというのはまた、別の話。

大手セレクトショップオリジナルラインやそれ以下の価格帯の服の大半は、そのクオリティの低さを「誤魔化すための」デザインが施されている。

そしてそれに気付けない大衆クオリティに見合わない値段で買っていく。

さらに言えば、そのデザインが「流行」として作為的商業誌で持ち上げられる。

だけど別に、ただモテたいだけ、職場人間に悪い印象を与えたくないだけならそれでいい。

そうでなければ、本当によいものしか身に着けたくないというこだわりがある人は、モノを見る目を磨こう。

2014-03-17

小保方問題雑感

現場教育方法に問題?

一理ある。何故コピペD論が有り得るのか甚だ疑問。修論博論は何度もボス教授なりメンター(助教とか)に修正されまくって、最初自分で書いた原型は留めない、というのはある意味研究者に共通のネタでもある。程度の違いはあるにせよ。

コピペ多用とデータ使い回しは全く別問題

仮に論文本体内でのコピペや嘘っぱちリファレンスリストを許容したとする。しかデータの使い回しは有り得ない。例えばPCR画像使い回しなんて完全に黒。余談だが、修論提出締切に間に合わなくて先輩のリファレンスリストコピペして審査員に提出する"裏技"というのは聞いたことがある。しかし当然減点対象になりうるし正本では直すのが普通

データ取り違え?

三年前のデータと?そんなん有り得るか。理論科学と違って実験の面倒なことは再現性をとるためとか綺麗なデータをとるために何度も同じ実験を繰り返さなきゃいけないこと。投稿論文への掲載に値するデータを取るのにいくつもパイロット実験があったりする。で、そうゆう膨大な下積みデータってフォルダファイル名に日付を入れて管理する。細かな作法は人それぞれだけど、日付の他に、実験名前とか、株の名前対象遺伝子タンパク名前データ管理に使う情報。どうやって数年前のデータと取り違えるのか理解し難い。

http://anond.hatelabo.jp/20140317015734

実験は大得意だけどそれをまとめるのは好きじゃないっていう人、実際に結構いる

わからんでもないが。実験詰め込み過ぎてノート書くの一週間放置とかデータ整理二週間さぼるとか。でも最低限どの条件で実験したとかはメモ書きしておく(そうじゃなきゃ後で困るのは自分)。しかしそれ以前に、自分データしかもうまくいったデータって覚えてないもんか?というのが本質的に疑問。まして顕微鏡写真なんか、DNAの泳動写真に比べたら憶えやすいのは。視野内の細胞の配置とかで。顕微鏡に関しては確かに膨大な数の写真を撮るけれど、「これ!」というデータはそのあと研究室内での発表とか学会発表で繰り返し見ることになるから自分どころか教授が憶えてたりするぐらい。

作為的じゃなかったらそれこそ狂気

コピペや泳動写真の切り貼りがいけないことだとは知らなかった、は理研ユニットリーダーとしては有り得ない発言だと思うが、これまでの研究教育環境が悪かったことも否めなくはない。しかし既に書いた通り一つのデータを「異なる実験」と言って使い回すのは単なる嘘偽り。研究教育以前の人としての問題。二月中旬だか下旬頃に「いま必至に追試・再現性の確認を行っている」と発表されていた気がするが、そもそもきちんと実験されていないもの存在しないかもしれない現象に再現性もくそもあるかい。いったい真実は何なんだ、おぼちゃんよ。

2014-03-11

http://anond.hatelabo.jp/20140311091031

そうなるとどこまで気づけたか、っていうと確かに難しいですね。下手に相手のこれまでの全ての業績を踏まえないと共同で研究できないっていうと共同研究なんかできやしないし。

となると今回の若山氏の会見も、特に作為的ものではなく、自然の流れで彼が自発的に行ったと考えるほうが合理的ですね。内容が内容だけにどうしても疑いを抱きたくなりますが、それは別問題ということで。

あとは元エントリにあるように、(共同)著者全員に対して科学的、倫理的な批判や検証が求められると思います

2014-02-23

お笑い界の「エース」がナイナイ以降出ていない

お笑い界には、約10年毎に「エース」と言われる存在が出現した。

これは業界内でも割と常識で、普段から使われている言葉でもある。

https://twitter.com/s_hakase/status/8555903607382016

定義曖昧ながらも、主に以下。

20代から活躍し続けており、ほぼ停滞期がない

冠番組しか出ない

テレビ、または映画しか活動しない

この定義に照らすと、残念ながら、さまぁ~ず、雨上がり決死隊くりいむしちゅーネプチューンなどは入らない。

具体的には、以下のような人たちだ。

テレビ世代以降のタレントに限定し、落語家噺家は含めないこととする)

コント55号萩本欽一

やすしきよし

ビートたけし

タモリ

明石家さんま

とんねるず

ダウンタウン

ウッチャンナンチャン

ナインティナイン

比較的近い世代に固まることもあるが、おおよそ10年に一組は「エース」が出現する。

しかナイナイ以降、このクラス芸人は出ていない。

一時期は、ロンドンブーツ1号2号が最も近くにおり、特に田村淳の才能はエースたちと肩を並べるほどであったが、いかんせん芸を磨くことをしなかったために、中途半端にまとまりすぎてしまった。

そして、数年前にこのポジションに立たされようとしていたのがオリエンタルラジオだったが、実力を伴わず、本人たちも認めるように、それは作為的トレンドであった。

今一番近いところにいるのはタカアンドトシかなと思うが、少なくとも現在のところ、ナインティナインほどの爆発的な人気とは言いがたい。

そのナインティナインもすでに40歳を過ぎ、次代のエースが待たれるところだが、ここ数年その気配を感じることはできなかったし、今後も疑わしい。

これは俗にいうテレビの衰退が原因だろうか。

今のところ、その才能が他の媒体流出した、という感じはしないのだけれど。

2014-02-11

自殺いいんじゃないだろうか?

http://anond.hatelabo.jp/20140210175751

何故止めるのだろう?

本人が本当は自殺したいわけじゃないから

病院行けとか言う意見が多いけど、

病院に行った所で医者は何もできないよ?

現代の心身医学レベルの低さを分かってない人がまだまだ大多数なんだね。

その人にとって自殺幸せというか自然選択肢としての一つの結論なら全然構わないと思うけど?

残された人の迷惑を考えろ?

そのために生き地獄を続けなければならない本人の迷惑はどうなるの?

自殺=全て悪」という間違った固定観念洗脳されてる人が多すぎる。

死は生の中の一つの選択肢しかない。

楽しいという感覚や、自然と湧いている勝手に体や心が動くモチベーションが、

どう頑張っても湧いてこなくなり、

何も楽しいとか面白いとか思えなくなってしま感覚がわからない人にはこの感覚は分からない。

勝手に興味とかワクワク感が湧いてくるのは当たり前だという感覚しかない人には、

それが何に対しても湧いてこなくなってしまうという地獄感覚を理解するのは無理だと思う。

理解できない人はそんなわけはない探せばきっと何かあるとか、

心の持ちようだとか、

そういう根性論パワハラしだすのでもっと始末が悪い。

めんどくさいからそういう人のいうことは聞き流すしか無い。

いくら説明しても当人には自然とそういう気持ちが湧いてくるのが当たり前で、

それが湧いてこないんだといくら説明しても、

なんとかすれば湧いてくるはずという論法一辺倒で話にならない。

すべてのものに興味がなくなり、

何もしたくなくなりというか何もできなくなり、

動けなくなり、

思考がとろくなって思うように考えられなくなり、

体の微調整や当たり前にできていたことができなくなるこの感覚は体験した人じゃないと理解するのはなかなか難しいと思う。

から理解できないことを責める気持ちはないんだが、

理解できないゆえに我を押し付けてこられると、

ただでさえ余裕のないこういうメンタルに陥っている人にとっては逆効果しか無い。

この状態がなんなのか、

現代医学的に客観検査をしたところで、

何もわからないし何も悪い数値は出てこないというのが現状。

それが現代の心身医学レベル

からこれを今すぐ治せる医者はいないし、

偶然に頼るしか無い。

そうなるとこの生き地獄を何の希望もなく続けていくのは酷過ぎる。

から自殺も一つの選択肢として全然ありだと思う。

命より大切なモノはこの世にない?

嘘だよそんなの。

そんなわけないじゃん。

そうでないと都合の悪い人たちによって作られた作為的価値観に踊らされて苦しんでもしょうがない。

本人がそれが楽でその選択が自然なら、

自殺全然いいと思う。

無理してもいいことはない。

2014-01-03

あるある過ぎて泣けた

普段は友人として普通に接している連中相手でも、みんなで飯を食いに行く時とか

特に壁を感じる

俺が「そろそろ行こうぜ」って言っても、みんな「うんそうだねー」って感じで

全然動き出さないけど、他の誰かが「行くか」って言うと動き出す

俺がいなくても何事も無いかのように進むけど、他の誰かが欠けてると

そいつに連絡取ったり待ったりする

俺以外の奴が財布を取りに行ったり便所行ったりするとみんなそれを待つけど、

俺が靴ひも結んでたりしてても完全無視でみんな先に行く

どの食堂に行くかという話で俺の案は採用されない

食べ始めるのはみんなが席につくまで待つのが基本だけど、俺が最後とき

みんな既に食べ始めている

食後、普通は食器を全員が片付けるのを待ってから食堂を出るのだが、

俺が最後ときはみんな先に帰り始めている

横に並んで歩いている時、俺の両隣りが徐々に迫ってきて遂には俺は後ろへ

追いやられて、みんなの後ろをトボトボ歩く羽目になる

誰かが購買に寄るとみんなついていくが、俺が行くときは誰もついてこない

これらの行為作為的ものではなく、無意識ものだと思う

みんなが特に俺への接し方に差をつけてるのではなく、ただ俺の存在や影響力が

薄すぎるだけなのだろう

たぶん、俺だけこんな空気な扱いになってることにも気付いてない気がする

みんなのことは憎くないけど、自分の不甲斐無さが憎い

こういうことが続くと、一人が楽だなーって思う

2013-11-19

http://anond.hatelabo.jp/20131119225458

自分が初めての恋愛をした時は仲良くなる過程からして本当に偶然で、偶然に恋に落ちたと言っていいだろう。

しかしそんな偶然はしょっちゅう起きるわけもなく、それきり恋人はいない。

ある程度作為的に動くしかなかろう。

http://anond.hatelabo.jp/20131119225458

恋人が欲しい」と「恋人を作る」は同一視していいのかな。

ともかく私は恋人が欲しいと思う人間のひとり。

欲しいと思うけれど、恋に落ちることがなかったし誰かから告白されることもない。

から自分から意図して意識して行動する。

増田のいう「恋人」でなくていいので、隣にいてくれる人が欲しい。作為的何が悪い

ようするに私は結婚相手を求めているのだと思う。

リア充ではない。なおさら意図作為重要になる。

2013-11-01

http://anond.hatelabo.jp/20131031224610

あのな









人が嫌って思うことなんていくらでもあるんだよ

虫が嫌いとかきゅうりがきらいとか前髪が目にかかるのが嫌いとかよ

その自分が行動したくないっていう感覚喚起される理由が




”この世の法則定義されている以外の、何かの存在がある可能性がありますよね?”




って言い出すのがウザいんだよ

それは自分が嫌だって理由だけでいいだろ





それをな、生理学的なものとして分類するなら当然かもしんねえよ




なんでいきなり限定的に「宗教」という共同共有観念体系にするんだよ






”おまえがたまねぎ嫌いなのは前世で罪を犯したからで現世でしっかりお布施をしなければ”






ここまでの思考造形は宗教って商売の範疇に入れてもいいだろうよ




”しなければ恐怖を体験します”





って付けるのは作為的利益誘導をして平等性も欠いて倫理的にも人道的にも社会的にも反するもんだろ

現実的に発生することを予測してコンサルタントするならそれはそういう商売があるから人間の法に則った根拠を商品正当性として認められれば営業ができるだろうけどよ





天国にいけますって投資を募るのは期待値または元本の保障をしない契約として契約書なんかに記載があれば

常識的に死んだらどうなるの範疇人間にはない、法的に取扱がないところから問題ないだろうよ



しか現実問題として発生する事象危惧させ利用して現世で法的に対応範囲な事柄を誘導するのは宗教関係ないだろ

投資物件としての宗教かいう範囲を超えてるだろ




あの人があの世にいったら待遇よくしてくれるって言ったんです とか本気でいってたらそれはそれでいいだろうしだれも責めねえよ

けどな、呪いを解いて災厄を解決するために現金いくらはらったとかになったら「宗教なんで非課税です」とか言わねえよ





まりな、この世に無いものいくら語ってもそりゃぜんぶ宗教でいいと思うよ

みんな神様のおかげだよな




けどな、宗教がこの世の何かを動かすってなったら、そりゃこの世の法則に縛られるべきなんだよ


人間座禅くんだまま宙にも浮かないし 祈願で病気は治らないんだよ

人間裁量範疇外、コントロールできない運がめぐってくるチャンスを獲得する方法なんて人間にはないんだよ

から運任せや神頼みって 存在するかしないかからないしアプローチのしかたも無いものについて

自分なりにアプローチ」するのはありだとおもうよ みんながやってることだったら安心感も増すだろうよ

なにか良くわかんないけど祈りますってよりは祈りを受け取る相手を具体的にしたほうがそれっぽいだろ

とりあえず「おねがいします」と祈って神やらなにやら対象を特定しない日本人ですら一応「八百万」って

祈っとけばどこかに受け取り先がいるって事にしてるんだぜ



いままで存在する祈りの方法で祈った人数と達成できた人数は たぶん宝くじ当選確率よりも低いんじゃねえの?


宝くじに当たったのが「神様のおかげなので寄付しなさい」っていきなり来るのと「宝くじがあたりますように」って無神論者が祈るのは

「同じ」か?







おまもりは神の国からきた異次元物質じゃねえだろ



人間の気持ちはどこからたかわかんねえから法律定義もないから、「神の国からきたもの」とか魂とかいものとして非常時の投資材としてあるってのもまあいいだろ


その気持ちが神の世界と繋がってるからかどうかはしらんが、現実のものをどうにかするなら一旦神の国にもってってからしろって話だ


日本犯罪を犯したら日本法律で裁かれろって話だよ

治外法権うったえるなら、大使館に連れ込んでからしろって話だよ




神の国との引き渡し条例とか組んでるならどっちかの法則が相手のエリアに介入してこないと意味ないんだよ




宗教会館みたいなテーマパークとかで神秘体験したとかそれは大事にしとけばいいよ

それテーマパークから持ち出したら魔法がとけてんだよ






もういっかい言うが


おまえがキモデブオッサンで引きこもりなのは前世で悪さをしたからだ


とかあるかないかわからんがあってもなくても真実かもしれないし嘘でも空想でもかまわんよ


アニメDVD再生中なら30分間だけ異次元世界で夢をかなえても問題ねえよ


メイド喫茶にいったら女子が心から愛してくれるとかそういうのでもいいよ





「だから現実にあるそこのお守り切りなさい」




ってのはただの嫌がらせなんだよ ただ嫌って気持ちをおこさせるだけなんだよ


メイド喫茶の会員券を切りなさい でも アニメDVDを切りなさい でもいいんだよ


ただ 嫌な気分になるだけなんだよ


DVD再生できなくなったのは 天罰だ とか

メイド喫茶にいけなくなるのは 天罰だ とか


その嫌な結果を 天罰 と称する方法宗教だとかいうのはただの自分ルールじゃねえか

メイド喫茶にいきたければ宗教に入りなさい とか言うならそれは宗教だろうよ

アニメショップの会員制度は たぶん宗教だろうよ





宗教ってのは 嫌って感覚をまとめて共同体として回避解決しようという集まり 組合みたいなもんだろ








改めて聞くが その嫌ってのと 一般的宗教って名称のもの



なんか関係あんの?

2013-09-04

(その2)このネット授業に賛成する人の意見が聞きたい。

目次(長くて途中で切れてしまったので分割しました)



2013/9/4 12:40ごろ ブコメ等への返信を追加

いやー・・・なんか、すみません・・・ほんと。下にもちょろっと書いたけどのりかけた船なんで収束するまでやってみようかなという気持ちです(でもこれで最後かもしれません)。どうせそろそろホッテントリから落ちるだろうし。いただいたコメントにもよるかな。基本的に反論いただいた方に返信という形なんで、それ以外のコメントスルー状態になってるのはすみません。心のなかですごく頷いたりしています

id:bit8セルフブクマ 元増田さん、よければ意見の参考にどうぞ http://bit8.hatenablog.com/entry/2013/09/02/233544

ブログでも取り上げてくれてありがとう。全部読んだよ。何事も経験して当事者立場にならないとわからないもの、だよね。刃物の取り扱いの話、障害者立場を体験する話、これらはブログに書いてたその通りだと思う。俺もネットリテラシーの授業で「匿名炎上体験」や「匿名誹謗中傷体験」を擬似的に経験できるなら、良いやり方だと思う。でもさ、今回のって擬似じゃないんだよね。ガチチャットやらされて誹謗中傷増えてきたところで実名さらされちゃうの。大人は疑似体験させたつもりかもしれないけど、子どもにとってはまったく擬似じゃないよね、これ。

id:Junpecon 「昔から影口言ってたら誰かがチクって修羅場になったことなんかあったし、それで学校生活台無しになったかっていうとならなかったよ。ローカルネットだと台無しなっちゃうの?」

学校生活台無しにならなかったのはあなたの個人的な経験だと思うけど、それを一般化して「大丈夫」とするのは無理があるよ。悪口が人間関係を壊すきっかけになるのは十分想定できる話で、しかもこれは何度でもいうけど、大人がわざと「匿名だよー」って嘘ついてまでさせる経験なの?って話。子ども同士が日常喧嘩したり、ときに陰口言い合ったりは勝手にやればいいと思うよ。でもネットリアル関係くそれって大人が仕組んでわざわざ体験させることじゃないよね。

id:arakik10 「授業の実施されたコンテクストや状況がほとんどわからないまま、あの記事を基にしてほぼ匿名の各自(増田も)が脳内補間してコメントが百出すること自体に、あの記事の授業で起きたことと相似的な何かがあるのでは?」

→あの記事だけではわからないことがあるのは事実だよね。俺が今してるのは、今ある情報だけでなんか有意義な議論がしたいということ。情報が全部出揃わないと議論スタートできないんじゃあものごと進まないし、実生活でも限られた情報自分にできることをしないといけない場面はたくさんある。その中で適当な予断で無責任なこと言っちゃうって俺も含めコメントにもその種のものってあると思うけど、そういうのが一定数出てくるのは、およそ議論と名のつくシーンでは織り込み済みとすべきであって、要は受け取る側がうまく取捨選択して消化すればいいんだよね。

しかもこうやって便所の落書きみたいな匿名増田でさえ、こんな記事があった、あんなこと紹介されてるって、コメントトラバ情報もらって、手持ちの情報は増えてきてるんだよ。それに比例して、今後俺自身、同種のトピックに対するアンテナ感度があがると思うしこうやって色んな人の意見見て、コメントしてること自体が、今後考えを深める土台になるの。俺自身は教育者じゃないけど、子どもがいたり孫ができたりするわけだから、この話題って今後何十年、折々に考えていきたいトピックだと思ってるわけ。

それに文字通コメント百出してるけど、罵詈雑言誹謗中傷なんてほとんどないよ。コメントしてくれてホントにありがたいと思ってる。これだけなげーと全部読んでくれる人は少ないので、書いたことを何度も説明しなくちゃいけない労力はかかるけど、いいかげんホッテントリからも落ちて収束するだろうし、そのくらいはいいかと思ってる。こんな増田の使い方ってあんま見ないけど、誰に迷惑かけるわけでもないし、コメントもらえる今のうちに楽しんでおこうかなという感じだな。

id:kumonopanya 「この人は減点主義の人、一度失敗したら取り返しがつかない、今の日本社会のものの考え方を持つ人。こんな考えの人だけが昇進していき社長になるんでは?銀行マンのドラマとかこんな人が昇進していったような。」

→世の中にはトライアンドエラーで失敗しながら改善していく方がよい結果が生まれることって多いし、ときには「えいやー」でやっていいこともあるよね。俺もそういうやり方大好きで、仕事では、別に人の生命人生に直接的に関わる仕事でもないんで、むしろ失敗は成功の元の精神でやってるよ。この授業ってどうだろう?俺はこのやり方はとき子ども同士の人間関係壊したり大人への不信感を生んでしまリスクもあると思ってて、トライアンドエラーの引き換えとするにはちょっと収支が吊り合わないなって思うわけ。減点主義って言うけどさ、俺はリスキーな問題には「減点加点主義」でありたいと思ってる。リスク次第では減点部分は甘めにして、加点は逆に盛ってみたり、あるいはリスクがほぼゼロなら完全に「加点主義」でオッケーだよね。繰り返すけど俺個人は減点主義じゃないです。問題の種類によって減点主義と加点主義とそのミックスの間を行ったり来たりしている人間です。

id:hyougoishin7 「この程度の失敗を取り返しがつかないと考える親がいるから、子どももそれを感じてYESマンでビクビクして、目に生気がない子どもに育つ。過保護すぎ。守ってるつもりが逆に脅してる事に気付こうな。」

→俺は上にも書いているように、子ども喧嘩トラブルを通して人付き合いを学んでいくものだと思ってる。無菌室で育てたいとは全く思っていないよ。・・・が、大人が用意したバイキン室に、子どもには「ここは安全な部屋だよ」と嘘をついて入れたいとは思わないよ。大人だってそうだよね。会社上司に「匿名からここに会社上司同僚へいいたいことをなんでもいいから書いて」と紙を渡され書いて出したら実名で貼りだされたらどうなの?という話。

id:kmyken1 「(追記)小学校ならば、という条件付きだけど。RT @kmyken1: 小学校ネット教育匿名→悪口多数→実名公開ボタンポチッとの件。いろいろな議論が出ているが、自分はこのような授業設計には賛同する立場。」

→授業設計という言葉が出たけど、俺はそこに一番恐ろしさを感じるよ。「誹謗中傷散見されるようになってきたら実名ボタンを押す」みたいな授業プランがはじめから用意されてるわけ。「誹謗中傷が見られるようになったらチャットを中断する」だけじゃないんだよ。この違いって怖いと思わない?

id:tokoroten999 「悪口聞かれたら人間関係破綻するってのが非常にネット小町的な狭い価値観だと思うけどね。悪口聞かれたり聞かされたりって全部避けて通るわけにはいかんじゃろ?」

→そうかな。上にも書いたように、俺は悪口が人間関係の悪化に繋がるのは一般論として十分に想定されることだと思う。ネットリアル関係なく、大人か子ども関係なくね。全員がそうだという話じゃないし、あなたもきっと悪口言われてもうまくリカバーできる人なのかな。子どもたちも、日常喧嘩したり悪口言ったりまた仲良くなったり、いろんな経験して人付き合いを学んで欲しいと思う。だからといってさ、大人がチャット誹謗中傷させて、しか後出し名前さらすというやり方しなくたってよくね???わざと子どもにそういう体験をさせるのが教育上望ましいの?という話なんだよ。これが有効なら、ネット教育云々とは関係なく、これまでも行われてきたはずだよね。

id:dal子供に負荷を与えてはいけない論てどういうことなんだろう。負荷なかったら何も覚えないじゃんね。」

→わざと「匿名だよー」ってだまして負荷与えるやり方どうなん。子どもって大人が邪魔しない限りは、自由に喧嘩して仲直りして、人付き合い学ぶものだと思うよ。大人が作為的に負荷あたえるのって、日常の学級生活で班行動したり、休み時間遊んだり、学級会で討論したり、係活動、委員会活動、クラブ活動修学旅行林間学校集団生活経験したり、そういう形で十分やってると思うよ。ネットリテラシー教育をするにあたっても、もっと他にやり方があるだろうという話をしている。少なくとも匿名だと言っておいてあとで裏切るやり方は学校でも会社でも認められないでしょう。

id:khtno73小学校友達ってそんなに大事かね。社会との接点もよくわかってないときに痛い目を見るのは超大事だと思うけど。自分は今もつながりあるのが高校大学以降の連中なのであまり感じないのかな。」

→どうせこのあと大事じゃなくなる友達から云々って、それ超怖い考え方だよ。大人がそう言って痛い目みせる実験台のようにして授業する社会ってぜったいイヤだし、「どうせ付き合いなくなるから喧嘩する練習やー」なんて、そんな考え方する子どもにも育ってほしくない。そもそも、そんなこと考えてる子が将来高校大学以降の友人たちとまともな友人関係築ける人間に育つんかな。小学校時代の失敗が結果としてその後の人生の糧になるという話ならともかくさ。あなたの言ってることそうじゃないよね。

2013/9/4 22:00ごろ ブコメ等への返信を追加

id:ktasaka 「2回目ですが、教師が学級経営ハンドリングできていないという前提はどこから出てくるんですか?増田自分でも簡単に学級経営ハンドリングできると思ってるんですか?」

→どもです。教師が学級経営ハンドリングできていないという前提をおいた覚えはないよ。そう受け取れる部分があれば指摘してください。あとは前回の質問と同じだと思うのでコピペさせてもらうよ。→「教師の学級経営が信頼できるかどうかという属人的かつ大きな主語の話をするつもりはなく、あくまで今回の授業手法の是非の話です。どんな授業手法であっても結局は教師次第じゃないかと言うかもしれませんが、であればなおのこと、わざわざこのようなリスキー方法をとらなくても、他にいくらでもやり方はあるんじゃないかという話をしています。「自分でも簡単にできると思ってる?」については「ネットリテラシー教育自分でも簡単にできると思ってる?」という意味かな?「親として子どもにすべきことをしっかりしたい」と考えていますが、それはこの増田の主旨ではないです。」

前回今回と同じところにこだわっているようだけど、こだわりたい背景や思いなんかを書いてくれるともう少し俺も別のことが書けるかもしれない。

その1こちら → http://anond.hatelabo.jp/20130903153935

2013-08-29

http://anond.hatelabo.jp/20130829000854

1、2、3とも人によって感じる所はあるかも知れないけど、実質他のものと比べて嫌がられてるのは1じゃない?

元々、中で書いてる人達が文句を言い始めたんだと思うんだけど。で、一部の板は禁止にしたりして。

2に関しては、例えばTogetterなんて、思いっき作為的にまとめられてると思うけど。(ま、あれまとめ作った人が得するわけじゃないけど)

あと、Neverまとめなんかもそういうとこあるし。個人的なサイトでもいくらでもTwitterなんかを恣意的にまとめられてるものは多いしね。


後は、4として、そういった他のまとめに比べて圧倒的に儲けが違うところだろうね。

2chじゃなくても、まとめみたいのばっかやってるサイトで、明らかにアフィ狙いなのはやっぱりイラッとする。

そういうのがさらはてなで人気になってるのも頭に来るし、検索で出てくるのも頭にくる。そんなもんじゃない?

なぜ2chまとめアフィサイトはだめなのか

もう既に「俺たちの遊び場所が荒れるから嫌だ」という理由については書かれた人がいたので別の理由を。

あんまり上手くまとめれる自信ないけど。

2chまとめアフィサイトを嫌う理由はいくつかあって、それは大体

1.他人の褌で金を稼ぐアフィが嫌

2.作為的なまとめかたをされるのが嫌

3.まとめを見た空気を読まないお客さんが増えるのが嫌

とか。

私が一番嫌なのは2で、最大の問題点であると思う。

作為的なまとめかた」というのにはレス改竄も入るのだけれど、じゃあどうしてまとめアフィサイトはそんなまとめかたをするのか。それは、過激的な内容の記事であればあるほどPVが増えて、収入が増えるからだ。

からまとめアフィサイトの人たちはスレタイトル改竄してより過激にするし、内容も過激に改竄する。

例えば、1000まで伸びたスレがあったとして、>>1に書いてある内容に賛成の書き込みが200個、反対が800個あったとする。2chまとめアフィサイトをよく見ている人はわかるだろうけど、まとめにあるのは多分多くても~100くらい(数えてないけど)。つまり、賛成の200個のレスから、なるべく過激で面白いのを選んでそれだけ載せれるわけだ。

こうして偏った内容の、管理人が望む内容の、あるいは雇い主の望む内容の記事が出来上がる。

見ている人は、当然そんなフィルターがかかっているとも知らずに、「ああ~こういう意見が多数派なんだな~」と思って読む。

そういうことの危険性は、まあはてぶとかいる人ならわかると思うから省略するけど。

あと、過激であればあるほどいい、ということは、「デマでもいい」ってことだ。まとめアフィサイトの人々がデマの記事を載せたことは多い。

一応下にURL張っておくので興味あったらどうぞ。謝罪することはあんまり無いです。

興味あったら下の記事とか読むといいかもね

http://blog.livedoor.jp/notaffiliate/archives/1904191.html

http://kanisokuhou.blogspot.jp/2013/07/blog-post_8100.html

http://kanisokuhou.blogspot.jp/2012/06/2ch.html

http://malpoison.blogspot.jp/2013/05/blog-post_7.html

2013-07-27

風立ちぬ

スタジオジブリ風立ちぬ」。

どこまでピュアな純情な作品でありました。

今の時代にこれだけ純粋な作品を作れるのはジブリ宮崎駿監督しかいないのではないかと思わせるほどで、

普通にこういった作品を作ると、どこか作為的で青臭い感じが違和感として残るのだけど、

この作品はあまりに素直でそれだけに見ている側が苦しくなるように心にズカズカと土足で入り込んできては、

だけども、最後荒井由実の「ひこうき雲」ですべてをさらっていってくれるような、そんな清々しい残り香だけが残るようでした。

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