はてなキーワード: ポピュラーとは
GPT4:
日本にはたくさんのB級グルメや変わった食べ物があります。それぞれの地方に独特のものがあるので、旅行を楽しむ上で良いアイデアだと思います。以下にいくつかの例を挙げます。
そば粉を使った蕎麦の実と、ご飯を混ぜて炊いたもので、地元のソウルフードです。
太い麺状のもちもちした小麦粉の麺と野菜が入った鍋料理です。地元のカボチャやこんにゃくなど、山梨県独特の食材を使っています。
広島県では、かき氷に広島名物のもみじ饅頭を添えたり、宮島名物のもみじ饅頭をかき氷の上に乗せて食べることがあります。
4. 大分県:とり天
鳥の天ぷらで、大分県では鳥のから揚げと並んでポピュラーな料理です。
秋田県の郷土料理で、ご飯を潰して柱状にし、串に刺して焼いた「きりたんぽ」を鍋に入れたものです。鶏肉や野菜と一緒に煮込みます。
山形県では、だし巻きたまごの中にイモを入れて、一緒に食べることがあります。イモと卵の組み合わせがユニークです。
鹿児島では、カンパチの刺身を炭火で炙って食べることがあります。表面が香ばしく焼けたカンパチは、一度食べると病みつきになる美味しさです。
羊肉を特製の鉄板で焼いて、たれにつけて食べる料理です。北海道ならではの風味豊かな郷土料理です。
仙台市を中心に盛んな郷土料理で、牛の舌を焼いて、塩やたれで味付けして食べます。
岩手県盛岡市の名物で、小さな丼に盛られたそばを次々と食べることが特徴です。
石川県の能登地方で食べられる郷土料理で、カキを具材にしたお好み焼きのような料理です。
名古屋名物で、味噌ベースのスープにうどん、野菜、豆腐、揚げ物などが入った具だくさんの料理です。
太くてもちもちとした食感が特徴のうどんで、香川県ではさまざまなアレンジが楽しめます。かけうどんやぶっかけうどん、釜玉うどんなどが人気です。
福岡県の郷土料理で、牛や豚のもつ(内臓)を野菜と一緒に鍋で煮込んで食べます。辛い味噌味が特徴です。
島根県出雲市の郷土料理で、どじょうを用いた汁物です。どじょうのぬめりと出汁の相性が良く、風味豊かです。
奈良県の伝統的な寿司で、鮨飯と鯖や鮎の塩焼きを柿の葉で包んで作られます。柿の葉の香りがアクセントになります。
いろいろな地方を訪れることで、日本の美味しいB級グルメや変わった食べ物を楽しむことができます。旅行を通して、日本の食文化を堪能してください。
40歳目前なので、キラキラな名前としては元祖くらいな世代だと思う
今では自分と同じ名前のキャラクターが漫画にもでてくるくらい珍しくもない名前だけど、今でも普通かキラキラかと言えばキラキラなほう
小さい時から、変わった名前ですね、とか、親すごいね、とか言われ続けてきた
面倒だからフルネームで自己紹介したくないし、自分の名前がプラスに働いたことはない
マイナスにもなってないとは思うけど
で、必ずあるじゃん、親がどうしてその名前にしたか、由来を聞いてくる宿題
そこでうちの親は、毎回曖昧なことを言いつつ、聞くたびに言うことが変わった
ドイツ語なんだよ、とか、ドイツ語は関係ないんだよ、とか、結局どっちか今でもわからない
ありふれた名前だと、イメージよくない有名人や友人がいたりすることもあるし、妙な先入観が入る名前は嫌だった、みたいなのが本音っぽい
デスノートで月と書いてライト読ます唯一無二の名前なら、かぶる子がいなくて、漫画のせいでいじめられる子は出ないだろう、みたいな配慮の発想と似ているよね
自分の名前がすごく嫌い、とかではないけど、面倒だ、とは思っているし、自分の子供にはありふれた名前をつけたいと思っていた
上の子は小2
普通の名前で、娘は幼稚園から小学校まで、必ずクラスに同じ名前の子がいてるくらいポピュラー
今でもたまに思い出すんだけど、子供が生まれたときに、うちの親が名前の候補をいくつか出してきた
別にいいんだけどさ
親、俺の名前のこと、後悔してるのかな
息子としては、やっぱりよくないって気付いたか!って嬉しくなるわけもなく、とても微妙な気持ちになった
https://anond.hatelabo.jp/20230203134636#tb
何番煎じだよと言われるくらいにポピュラーというかあるあるネタだったんですね。知らずになんの捻りもなくお気持ち表明してしまい失礼しました。
コメントを読んでいてなるほどなぁと思いました。
もし自分が夫の立場だったとしたらまず先輩に誘われても行かないし、強引に連行されたとしても罠にかかった鹿やその後の処理は見ない。先輩が何と言おうと無理。それでも処理に携わる事になったら、なるべく痛くないようにしたいし、罪悪感から自責してしまう。そして自分が命を頂戴したからには無駄なく食べると思う。
そういう感覚が夫からは感じられなかったのが引いた原因なのかもしれない。
ちょっと違うかもしれないけど、牧場で牛を撫でたあとに併設レストランでステーキを食べるのとか抵抗があるので私はそういう方面で繊細なのかも。
魚は可哀想じゃなくて哺乳類だから可哀想というのは正直少しあります。見た目が可愛いからかな。植物まで離れると可哀想という感覚はないです。ありがたいとは思うけど。
ただ、釣った魚を食べない、釣るだけ釣って放流するのはちょっとなぁと思う。
夫には「私は肉を食べるけどそういう屠殺とかの話は想像するのも嫌だからもうしないで」と言ってみました。それに対しては「そうか、嫌な思いさせてごめんね」という反応でした。
「芸術とはコミュニケーションの一形態である」という大前提を伝えるのが音楽・美術という科目の教育要領の根っこだと思います。
なんとなく気持ちがいい、とにかく上手、といった要素は芸術において重要な評価点ではありますが、あくまで評価点であって主題ではない。
メインとなることは「何を伝えようとしているか」なのです。
宗教画であれば「神という偉大な存在の物語」を共有するための手段として存在しますし、オペラミュージックであれば「場面の持つ意味を強調する」ことを目的とします。
音楽はその歴史の中で技巧に偏る部分が多く、宮廷音楽についても「こんなにも素晴らしい音楽を聞いている自分たち貴族の精神的な豊かさ」に重きをおいた表現になりがちでした。
そこから大衆化を経る過程において「純粋に音楽の持つ楽しさを共有する」ということへとテーマが移っていきます。
やがて現代のポピュラーミュージックにおいては、「現代社会の中で感じる様々な感情」が表現のメインへとなるわけです。
世界の音楽チャート上位をラブソングが占めがちなのは恋愛というものが「共有したくなるような事柄が多い事象」であるからだと言えます。
つまり、音楽とは昔も今も音を通して何らかの「物語」や「感覚」を共有するものとなっているのです。
造り手の想定したイメージを、受け手が音楽を聞くことによって脳内に再度作り出す。
それは紛れもなく「コミュニケーション」なんですね。
結束バンドのアルバム「結束バンド」はそうそうたるメンバーを集めた上で「駆け出しの天才たちによる青春ロックバンドのファーストアルバム」というコンセプトでリリースされます。
バンドとは元来「世の中に何か表現したい者たち」が集まって産まれるもの、その「表現したい者たちが集まって産まれた」という状態そのものを表現するのがこの名盤「結束バンド」なのです。
大衆化とそれへの反発心が混ざり合う中で詰め込みすぎた結果の若干なチグハグさ、そういったものが確かに感じ取れます。
音楽という強力な武器を持ってしてでも何者かに伝えんとする強力な叫び、その最もプリミティブな部分がファーストアルバムの奥底には光るものですが、結束バンドにならぶ「後藤ひとりという孤独な人間による反抗」というコンセプトの歌詞はハッキリとそれが現れています。
ロックとは大本をたどれば反発のミュージックであるわけですが、今では最も平穏でありきたりな音楽の一つとさえなっています。
同時に、「社会への反抗」「本当は人付き合いなんて好きじゃないことの暴露」といった事柄も、今ではポピュラーな文化の一つとなり、SNS等では日常のように誰もが口にするようになりました。
ですがその中にはそれぞれが心に持つ確かな苦しみや叫びがあるわけです。
現代に宿るそういった「一般化した反抗心とロック」を、「結束バンドの後藤ひとり」という触媒を用いることによって鮮烈に浮かび上がらせ「現代におけるロック」を一つの形に組み直したのがアルバム「結束バンド」なのです。
その表現に対して「もっと上がある」というのはナンセンスだと思います。
コミュニケーションには間違いなく良し悪しがありまして、それは「表現しようとしたものが表現できているか」で決まります。
結束バンドのアルバム「結束バンド」は、それによって表現しようとしたものが確かに表現できている。
これに対して「もっと良いものがある」と言ってしまうのはどうにも心が貧しいように思えますね。
結局のところオタクいじめを続けたい40代以上の連中は自分たちの理解できないコンテンツがエンターテイメント化し、それがポピュラーになっていく様が気に食わないんだろ?
現在のオタクとは趣味者であり伝道者でありエンターテイナーだ
インターネットの普及により文字媒体・映像媒体への送受信が非常に容易となり、コンテンツを制作したり面白おかしく紹介できたりする人はオタクとして認知されがちだ
「サカオタ」という言葉がある、サッカーオタクの略称だ
40代以上のサッカーサポーターへ質問しよう、そして素直に答えて頂きたい
「あなた達の学生時代にサッカーが好きな人へ向けてサッカーオタクと呼んだら蔑称扱いではなかったですか?」
サカオタなんて言葉は当時インターネットの特定のコミュニティでしか使われない言葉であって、現在のようにサカオタと気軽に自称するなんてことはありえない状況だった
でも今は違う、サッカーに詳しい人はサカオタであり、例えばワールドカップの解説などではサカオタは畏敬の念を向けられる存在だ
Jリーグ発足をその目で見て、当時のイケてるスポーツだったサッカーとそのサポーターが現在ではサカオタと呼ばれ、そして自称することを受け入れられていないのは、当時からずっとオタクをいじめ続けている40代の一部の連中だけなんだよ、今では詳しい人はオタク扱いなんだよ
当時からずっとオタクをいじめ続けている40代の一部の連中には信じられないだろうが「化粧品オタク(コスメオタ)」なんていう言葉すら現代には存在するんだぞ
お前らがオタクという存在を排除しようとしても、様々なコンテンツを愛して布教しようとする多くの人々はオタクを自称し、お前らの周りは既にオタクだらけなんだよ、オタクを排除しようとすること自体が不可能であり時代遅れなんだよ
お前らの青春時代の面白かった思い出、楽しんだコンテンツ、それらを今でも語り続ける者は現代ではオタク扱いだ
お前らの青春は既にオタク側へ取り込まれている、お前らが今好きなものを作っているのもオタクだ
このまとめ記事(「ヴィーガンは個人の趣味の話などではなく、正義の原理に基づいた規範的主張なのだから、それを他人に向かって主張するのは当たり前」 https://togetter.com/li/2013016 )のブコメを見てびっくりしたんだけど、このまとめの中心となっているTarouphoさんのツイートの意味が取れてない人が多過ぎる(いつものことだがね)。
例えば、
TANI_Röhei@赭埴庵 🏴 @Taroupho 何を勘違いしているのか知らんが、ヴィーガンは(少なくともその一部の派閥は)個人の趣味の話などではなく、正義の原理に基づいた規範的主張なのだから、それを他人に向かって主張するのは当たり前でしかないのだが。児童虐待に反対する人は、全ての人が児童を虐待することに反対するに決まっている twitter.com/otapediatricia… 2022-12-16 15:26:57
と言うツイート( https://twitter.com/Taroupho/status/1603637788272111616 )があるけど、このツイートが言っているのは(書いてあることをその通りに読めばいいのだが)、
「少なくとも一部のヴィーガンは、彼らが正当だと受け入れている規範的主張から演繹される結論として肉食を否定しているのであって、それを他人に対しても受け入れるよう迫るのは当然である」
ということ(多分)。ここで前提として以下を確認しておく。
以上の点を踏まえれば、先のツイートの内容は大体理解できるだろう。
オタ小児科医 @otapediatrician
その、「他の人、あるいは全ての人がヴィーガンになるべき」という思考自体が傲慢だし危険だし反社会的だし愚かだから嫌われるし未来永劫マイノリティのままなんですよ。 twitter.com/kohakunodarlin…
2022-12-16 05:19:03
要するに、「ヴィーガンが『他の人、あるいは全ての人がヴィーガンになるべき』と主張しているのがおかしい」という主張に対し、「規範的主張とはそういうものだ」と言っているのであって、今回のまとめのトップにある田村淳のツイートへの直接の言及ではない。そもそも「一部の過激なヴィーガン」の話をしていないということ。
「悪いものが良い」は、映画やテレビに特有の楽しみ方のように思われる。一部の人は、最悪の映画を嬉々として見るのである。
学術誌『Poetics』は、「Enjoying trash films: Underlying features, viewing stances, and experiential response dimensions https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0304422X16300821 」と題する研究を発表した。
「一見すると、誰かが意図的に出来の悪い、恥ずかしい、時には邪魔な映画を観て、それを楽しむというのは逆説的に思える」と、博士研究員キーバン・サルコシュは書いている。
研究チームは、何が映画を「ゴミ」にするのかを正確に把握することから始めた。回答者が挙げた最も一般的な特徴は「安っぽさ」だった。低予算のホラー映画は最も一般的な例である。
研究者は、ゴミ映画を見る人の楽しみが、会話/プロット構造の分析に起因することが非常に多いと見ている。
「このような観客にとって、ゴミ作品は、主流の映画から逸脱した興味深い作品として映るのです」とサルコシュは言う。「"文化の雑食性 "とでも言うべき、平均以上の教育を受けた観客を相手にしているのです。このような観客は、ハイカルチャーとポピュラーカルチャーの伝統的な境界を越えて、幅広いアートやメディアに興味を持っているのです」。
俺はロリコンではないしむしろ友達や後輩からロリコンをカミングアウトされて説教したことが何回かある
1つは男が圧倒的な力の差で支配するということ
ロリコン側が力や立場のみで支配できてしまうので相手の意思決定権を放棄しがちである
もう1つは幼い子どもはまだ個性がハッキリしていないためロリコンの頭の中では特定の個人に対する恋愛ではない
いうなればぷにあなのような無機物相手の恋愛のようなものをしている
俺みたいに同い年や自分より3歳くらい下までが好きという嗜好はいわゆる対人間、対個人として相手の意志の存在を認識している
恋愛対象である人間を「幼女だから好き」以外の理由なく行くからである
では逆に幼女から責められ力関係が逆転してる場合は問題がないのだろうか?
「幼女に支配されたい」というロリコン自体は少ないのではないだろうか?
現実問題として幼女側が責めるというのはフィクション以外でまったくあり得ない話である
ロリコンは基本的に力で屈服させたいと思うので、幼女に屈服させられたいという思いがある人間はいるのだろうか
いるとは思うが果たして性愛としてなのだろうか?イクメンは子供に四苦八苦している所も少なくないと思うが性愛に結びつくだろうか?
トラバに返信しようと思う
by-king この手のジャンルはかなりポピュラー。そんなに珍しくないよ “では逆に幼女から責められ力関係が逆転してる場合“
kuzudokuzu その説教で相手が鬱屈を深め、挙句に実際に児童へ手を出してしまったとしても、この増田なら相手が全部悪いんだロリコンが悪なだけだと、自分の行動を顧みることはなさそう。自分が気持ちよくなるための行動だから。
言いたいことは山程あるけど1つだけ。同性同士だろうと「俺実はロリコンなんだ」的な会話が結構安易に投げかけられるってなんだろうなって思う。ホモのアウティングと比べたらそりゃ危害及ばないけどあぁコイツ恋愛に個人を見てないなって思って軽蔑はする
djsouchou 頑迷な宗教右派が面白い事を書こうとして滑ってる感じがキツい。増田はカトリックに入信したら確実に男女問わず未成年者略取に走るタイプ 増田 お大事に
お前がいうな。
小児性愛には2種類あって、1つ目は「本当に幼い子どもにしか性欲を抱けない人」、もう一つは「本当は大人(の女性)が好きだが人間関係を構築できないので支配しやすい子ども(男女)を標的にする人」。大多数は後者らし
ようするにコレだよね。嗜好ではなく勝てる相手を選んでるだけ。その選び方が最悪の一手ってだけ。
atoh 「俺みたいに同い年や自分より3歳くらい下までが好きという嗜好」範囲せっま(笑)(笑)(笑)しかも年上はなしというのが(笑)(笑)(笑)もしやそこまで含めて釣りか?
"大学生"という生物はいないので、大学で1日の講義を受け終わった後に、学業・研究に支障が無いように、
そしてその一環で整形するのも自由なんだ
個人的には整形は推奨しないけど、
現実的には、エンターテイメント・ファッション業界は、人が拒食症で死のうが size 00 信仰は消えてないし、ルッキズムが蔓延ってる
市場にウケる容姿というのもが確実にあり、ハリウッドあたりだと、白人以外のメインキャストを起用する場合のみ、
何故か従来のモデル・女優像から離れた比較的ポピュラーな人物像を先進的に採用してぶっ叩かれまくっている。マンガでもぶっ叩かれるね
(例:スター・ウォーズ/最後のジェダイのローズ、ミズ・マーベルのカマラ・カーン、New Warriors の TRAILBLAZER)
なので、エンターテイメント・ファッション業界での仕事の幅を制限したくないという思いと、整形してものしあがるぞ!!!という思いが本人にあったら、
正直、2022年段階では、消去的にやむ無しとは思う
けどこれ、大学"内"で開催されるイベントでやるべきことですか?
人間にとって自らの所属する共同体の価値観は絶対的な影響を持ち、その価値観から完全に離れた個人などありえないのに、
学術の場・専門家を作る場で、美の多様性や差別を考えるのではなく、市場や変えていくべき価値にただただ迎合?????
大学の存在意義を考えられない人しか日本のアカデミアにはいないのかと
少なくとも国公立の中学高校の保護者は、学校外で芸能プロダクションが開催するミスミスターで整形なら学外のことなのでスルーだけど、
キャンパスライフ・青春を応援しまぁぁぁぁぁすでもいいけど、それ芸能プロダクションに任せて学外でやってもらっちゃダメなやつですか?
研究者としては知りませんけど教師としては問題がある教授の入れ替え(予備校TOP講師レベルを目指そう)、
研究費をかき集めるためのイベントでも打ったらどうですか?っていう
『市民感覚からかけ離れてる』『日本の病巣』を取り下げる気はないよ (まぁこのことで時間もお金もかける気もないけど。別のことに使う)
これが大学と無関係の芸能プロダクションなどが大学のお外で勝手にやってることなら、
成人年齢も18歳引き下げられてるし、お好きにどうぞって思うけど、
国公立大"内"で開催するイベントで『整形』ってあのさぁ・・・
それとも日本では公的に美の多様性を認める/ルッキズムを許さないではなく、
本人の自信に繋がるなら積極的に整形を応援😡って方針に変わったの?
少なくとも、芸能プロダクションが学外で勝手にやってるコンテストではなく、
国公立の中学高校"内"でミスミスターやって、優勝するために、あるいは自分自身のベストを尽くすために、
『整形する✨』とか言ったら保護者はミスミスター開催辞めろ!って言うと思うよ
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"大学生"という生物はいないので、大学で1日の講義を受け終わった後に、学業・研究に支障が無いように、
そしてその一環で整形するのも自由なんだ
個人的には整形は推奨しないけど、
現実的には、エンターテイメント・ファッション業界は、人が拒食症で死のうが size 00 信仰は消えてないし、ルッキズムが蔓延ってる
市場にウケる容姿というものが確実にあり、ハリウッドあたりだと、白人以外のメインキャストを起用する場合のみ、
何故か従来のモデル・女優像から離れた比較的ポピュラーな人物像を先進的に採用してぶっ叩かれまくっている。マンガでもぶっ叩かれるね
(例:スター・ウォーズ/最後のジェダイのローズ、ミズ・マーベルのカマラ・カーン、New Warriors の TRAILBLAZER)
なので、エンターテイメント・ファッション業界での仕事の幅を制限したくないという思いと、整形してものしあがるぞ!!!という思いが本人にあったら、
正直、2022年段階では、消去的にやむ無しとは思う
けどこれ、大学"内"で開催されるイベントでやるべきことですか?
人間にとって自らの所属する共同体の価値観は絶対的な影響を持ち、その価値観から完全に離れた個人などありえないのに、
学術の場・専門家を作る場で、美の多様性や差別を考えるのではなく、市場や変えていくべき価値にただただ迎合?????
大学の存在意義を考えられない人しか日本のアカデミアにはいないのかと
少なくとも国公立の中学高校の保護者は、学校外で芸能プロダクションが開催するミスミスターで整形なら学外のことなのでスルーだけど、
キャンパスライフ・青春を応援しまぁぁぁぁぁすでもいいけど、それ芸能プロダクションに任せて学外でやってもらっちゃダメなやつですか?
研究者としては知りませんけど教師としては問題がある教授の入れ替え(予備校TOP講師レベルを目指そう)、
研究費をかき集めるためのイベントでも打ったらどうですか?っていう
『市民感覚からかけ離れてる』『日本の病巣』を取り下げる気はないよ (まぁこのことで時間もお金もかける気もないけど。別のことに使う)
こういうのが東京オリンピック開会式や電通ほか広告代理店のノリにつながってるとしか思えないし、
不正研究や国際学会や著名な学術誌で同じこと言えます?な発言をSNSでかましまくってる国公立の教授を生んでる・放置していることにも繋がっているとしか思えない